ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「競歩王」(額賀澪著;光文社)を読む

2020-04-22 21:54:38 | 読む


この本を読んでみたいと思ったのは、1月にNHKの「おはよう日本」で取り上げられたからだった。
作者の額賀澪さんは、競歩のことはよく知らなかったが、東京五輪を目指していた小林快選手(アルビレックスRC)から話を聞いて参考にし、物語を作ったのだということだ。

競歩をテーマに選んで書かれた小説は珍しい。
駅伝をテーマにしたものなら、今まで結構読んできた。
「競歩王」という書名からして、てっきり競歩に取り組む選手が主人公だと思っていた。
ところが、主人公は、かつて「天才高校生作家」と言われた小説家だった。
そこで、おや?と思ったが、読み進んでいった。
この小説を書いた額賀さんは女性だが、主人公の小説家は男性として登場させている。

大学生の主人公は、かつて天才高校生作家と言われながら納得のいくよい作品が書けないことで悩んでいた。
それが、スポーツ小説を書くことを編集者から勧められ、たまたま競歩選手と出会い、ストーリーが進んでいく。

話は、競歩というスポーツについて描きながらも、小説家としての悩みや情熱との共通点も示しながら進んでいく。
出会った競歩選手の姿と主人公の、ひょっとすると自分の姿を重ね合わせているのだ。
小説自体も面白かったが、特に後半には、主人公の姿を借りながら、作者の小説家としての思い・魂というものが表現されているところが随所にあって、私はそのことについても感動した。
たとえば、次のような文章である。

底の見えない深い沼に、自らの意志で潜る。自分で組み上げた物語の筋書きで、自分の体を染め上げていく。
この世に実在しない登場人物たちの思考に、感情に浸かる。彼らが手を怪我すれば、キーボードを叩く忍の手にも痛みが走る。家族や大切な人を失えば、胸の奥が突き破られるように痛む。忍の描こうとする物語が忍の感覚や感情を支配する。
自分という存在を紙やすりで削って、削って、足元に落ちた粉の中から光る欠片を探す。

主人公の小説家としての姿を表すために、このような文章表現が書けるなんて、さすが小説家だと思った。

また、競歩と小説の接点を次のような文章で表している。

そうだ、この一文のために、俺は二年間も八千代を見てきたんだ。たった一行のために、俺のスランプも競歩という競技を見つめ続けた時間も存在したに違いない。
もがいて、足掻いて。出会うべきたった一文を探して、書き続ける。のたうち回ってやっと見つけた一文を灯火(ともしび)にして、暗闇の中を歩いていく。
彼らも一緒なのかもしれない。一歩一歩、果てしない距離を歩きながら、灯火となるたった一歩を目指しているのかもしれない。その一歩が、次のレースへ、また次のレースへ、歩みを繋いでいくのかもしれない。


文章から、小説を書くことに対する意気と迫力がびしびしと伝わってくる。
競歩を描いているところも面白かったが、私には、作者の思いが伝わってくるところが、最も心動かされたところだ。。

そして、この本の最後には、「謝辞」が載っている。

謝辞
この小説の執筆にあたり、新潟アルビレックスRC小林快選手に多大なご協力をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

新潟アルビレックスRC(レーシングクラブ)は、言うまでもなく新潟県にある陸上クラブである。
そこに小林快選手が所属していることは知っていたし、競歩のニュースのときにはいつもどうだったのだろうと気になっていた存在だった。
「おはよう日本」では、小林選手が箱根駅伝を走ることを目指していたが、かなわなかったので競歩に転向したこと、額賀さんが小林選手からたくさん話を聞いて、この話を作ったことなどを取り上げていた。
彼のことは、今後ますます応援したいという気持ちにもなった。

読後感がさわやかな青春小説だ。
ただそれだけではない。
世に出て生きていると、どの仕事をしていても悩むことはあるだろう。
この本は、競歩と小説家だけではなく、別な仕事であっても、どんな思いで働くかどんな思いで生きていくか、については共通点があるように思う。

それにしても、本の最終盤に出てくる「2020年8月8日」には、本物の東京五輪を迎えたかったなあ…。

コメント
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