ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

令和元年に、平成元年度の小学校卒業生たちと飲む

2019-08-12 21:25:36 | 「育」業
令和元年の今年。
「平成元年度小学校卒業生」の教え子が、先日、同窓会を開いて呼んでくれた。
同窓会とは言っても、集まったのは、男ばかりの10名ほど。
教え子といっても、すでに40代の働き盛りを生きている彼ら。
その彼らは、あれから30年余り経った今を、本当にイイ感じで生きていた。


すでに高校生となっている子どもをもつ男たちもいた。
高校3年生の子息をもつ2人の男。
高校野球でがんばって新潟県大会決勝まで行き、甲子園まであと一歩で敗れたA。
彼の息子も有望校で野球をやっていて、高3のこの夏の予選にかけていたのだそうだが、意外に早く負けてしまったとか。
でも、自らが高校で野球を教わった恩師が指導している高校に、息子も通わせたのだという。

外で汗をかいて働く仕事が多いというB。
その息子は、父親の姿よりも、母の職業である美容師へと進路を決めた。
「でも、あいつはオレが外で人のために働いていることをよく知らないんだ。オレは、わかってもらえなくても、やりがいをもってやっているよ。」と言っていた。

Cは、この日のために新潟に来たので、明日はすぐ東京に戻るという。
高校を卒業してから勤めた会社を辞めた後、ボクシングをするために上京した。
そのとき、口コミで連絡し合った同級生たちが新潟駅で見送ってくれた。
4回戦デビューしたときは、負けたけど、何人も横断幕まで用意して応援に来てくれたのはありがたかった。今でもその応援幕は家に保管してあるのだそうだ。
そして、母親が亡くなった時も、連絡しなかったのにいつの間にか仲間が集まって来てくれたのも驚きだった、と感謝しながら言っていた。


この代の連中(言葉遣いが悪くてゴメン)は、本当にじっとしていられなくてよく動くし、遊ぶことなど、楽しいことばかりが好きな者ばかりだった。
でも、口は悪くても、仲間のことを思う気持ちはとても深い、いい奴らだったのだなということに気付かされる。
Cのことでもわかるように、困っている仲間のことを見逃さない心をもっていた。

この日集まった彼らの中には、有名企業等に勤めている者は誰もいない。
しかし、皆、今充実感をもちながら人生を生きていると分かった。
これなのだ。
人が人とのつながりを大切にして生きている。
自分の暮らしにそれなりの生きがいをもって生きている。

決して偏差値の高い学校に進学させたり、有名大学から有名企業に進ませたりすることだけが教育の目的ではないのだ。
このように、目の前の子どもに学習する力をつけるだけでなく、将来大人になって自立して生きがいをもって生きていける力をつけるのが、教育の大切な務めだと思う。
そう思って、39年間仕事をしてきた。
それが間違っていなかったことを思わせてくれる夜であった。
気持ちよく杯が進んだ。

…久々の痛飲のおかげで、夜中から明け方、すばらしくズキズキとうずくような頭痛に苦しんだ私であった。


コメント
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