例年、この時期には「笹川流れマラソン」に出場する。
去年は、気温1℃の寒さで雪の降る中でハーフマラソンの自己ベストを更新したのだった。
ただ、今年は、この大会に参加しなかった。
というのは、別の大会に出場したから。
埼玉に来る用事があったので、笹川流れマラソンは出られないなと思っていたら、なんと、同じ日に、埼玉の家から近いところで大会があったのである。
その名は、「第23回 本庄早稲田の杜 クロスカントリー&ハーフマラソン大会」。
この大会のハーフマラソンの部は、なんと、私が埼玉でいつも走っているランニングコースの小山川河川敷コースをコースとするのだ。
こんなところでマラソン大会が行われるのか!!?
…という驚きと偶然のうれしさを感じたのであった。
ここのハーフマラソンのコースのすばらしいところは、「こだま千本桜」のほとんどを見ながら走れること。
今春は、寒気のおかげでなかなか桜が散らずに、ここまでもっていたのである。
さすがに、今日は散り始めていたところが多かったが、下流から上流に向かって走っていくと、折り返しの橋の辺りではまだ満開の桜が美しかった。
さて、出発地点の本庄市総合運動公園では、野球場が出発点であった。
そこからいったん小山川の下流に向かい、数百mで折り返し、やがて河川敷の舗道をずっと上流に向かって走っていくことになる。
今回は、息子と一緒に走った。
およそ5㎞の辺りで、妻と娘が応援してくれていた。
大会に出た私たちを応援してくれるのは初めてのことだ。
息子と、およそ1km5分20秒くらいの速さで走って進んで行った。
私は、この前走った翌日カタクリを見に行って多少の山登りをしたせいで、1週間ずっと右足太ももがおかしい状態が続いていた。
その影響もあって、あまり速くは走れないで、息子に引っ張ってもらう形になっていた。
その息子は、9kmあまりの地点から、「調子が出てきたのでスピードを上げる」と言って、ずんずん先へ行ってしまった。
私も、少しは走り慣れているコースなので、折り返し地点を過ぎてから下流に向かい下り坂となることを生かして、1km5分前後を目安に走り続けた。
ただし、帰りは向かい風となっていたのが少々厳しかった。
それでも、コースを知っていることが生き、コンスタントに走っていくことができた。
残りが少なくなることを喜びに代えながら、何人かには抜かれて行ったが、抜いて行く人数の方が圧倒的に多かったはずだ。
フィニッシュ地点には、息子が待っていてくれた。
半分近くを一緒に走っていたのに、残り半分で私よりも7分近く早くゴールしていたらしい。
提供された名物「つみっこ」をいただきながら、健闘をたたえ合った。
私の記録は、1時間50分を切るタイムであった。
60歳以上の男子は190人余りがエントリーした中で、30位以内に入っていた。
太ももの具合もよくなかったのに、このくらいの走りができたことは、満足できる走りであった。
去年は、気温1℃の寒さで雪の降る中でハーフマラソンの自己ベストを更新したのだった。
ただ、今年は、この大会に参加しなかった。
というのは、別の大会に出場したから。
埼玉に来る用事があったので、笹川流れマラソンは出られないなと思っていたら、なんと、同じ日に、埼玉の家から近いところで大会があったのである。
その名は、「第23回 本庄早稲田の杜 クロスカントリー&ハーフマラソン大会」。
この大会のハーフマラソンの部は、なんと、私が埼玉でいつも走っているランニングコースの小山川河川敷コースをコースとするのだ。
こんなところでマラソン大会が行われるのか!!?
…という驚きと偶然のうれしさを感じたのであった。
ここのハーフマラソンのコースのすばらしいところは、「こだま千本桜」のほとんどを見ながら走れること。
今春は、寒気のおかげでなかなか桜が散らずに、ここまでもっていたのである。
さすがに、今日は散り始めていたところが多かったが、下流から上流に向かって走っていくと、折り返しの橋の辺りではまだ満開の桜が美しかった。
さて、出発地点の本庄市総合運動公園では、野球場が出発点であった。
そこからいったん小山川の下流に向かい、数百mで折り返し、やがて河川敷の舗道をずっと上流に向かって走っていくことになる。
今回は、息子と一緒に走った。
およそ5㎞の辺りで、妻と娘が応援してくれていた。
大会に出た私たちを応援してくれるのは初めてのことだ。
息子と、およそ1km5分20秒くらいの速さで走って進んで行った。
私は、この前走った翌日カタクリを見に行って多少の山登りをしたせいで、1週間ずっと右足太ももがおかしい状態が続いていた。
その影響もあって、あまり速くは走れないで、息子に引っ張ってもらう形になっていた。
その息子は、9kmあまりの地点から、「調子が出てきたのでスピードを上げる」と言って、ずんずん先へ行ってしまった。
私も、少しは走り慣れているコースなので、折り返し地点を過ぎてから下流に向かい下り坂となることを生かして、1km5分前後を目安に走り続けた。
ただし、帰りは向かい風となっていたのが少々厳しかった。
それでも、コースを知っていることが生き、コンスタントに走っていくことができた。
残りが少なくなることを喜びに代えながら、何人かには抜かれて行ったが、抜いて行く人数の方が圧倒的に多かったはずだ。
フィニッシュ地点には、息子が待っていてくれた。
半分近くを一緒に走っていたのに、残り半分で私よりも7分近く早くゴールしていたらしい。
提供された名物「つみっこ」をいただきながら、健闘をたたえ合った。
私の記録は、1時間50分を切るタイムであった。
60歳以上の男子は190人余りがエントリーした中で、30位以内に入っていた。
太ももの具合もよくなかったのに、このくらいの走りができたことは、満足できる走りであった。