日本男道記

ある日本男子の生き様

観自在菩薩とは

2008年03月16日 | 般若心経解読
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)とは
「観自在菩薩」とは、一般に「観世音菩薩かんぜおんぼさつ)」という名称で知られている観音様こと。
しかし、玄奘三蔵法師が梵名アヴァローキテーシュヴァラ(अवलोकितेश्वर [Avalokiteśvara]=観察することが自在な)を「観自在菩薩」と漢訳して以降、「観自在菩薩」という名前で定着していく。
一般の「観世音菩薩」という名前は、鳩魔羅什(くらまじゅう)が「妙法蓮華経」(法華経)を漢訳したときに同じ言語を「観世音菩薩」と訳し、「観音経」として普及したために、「観世音菩薩」の名称が広く定着した。
「観自在菩薩」は、悟りによる、明らかな智恵によって何ものにもとらわれない自由自在な心の境地に到達した。
逆に、「観音経」に登場するときは、「観自在菩薩」よりも「観世音菩薩」の名がふさわしいといえる。
なぜなら「観音経」は、悩み苦しみ人々を観音さまが救済されると慈悲(楽しみを相手に与え、苦をなくす=与楽抜苦)の経典であり、「観世音菩薩」という名前にこめられた「世間の人々の救いを求める音声を観察して救済される仏」という意味に合うからである。
次に「菩薩」とは、サンスクリット語のボーディサットヴァ(bodhi-sattva)を音写したものである。これに「菩提薩埵(ぼだいさった)」という中国の漢字を当て、その中の字を抜いて「菩薩」というようになった。
「菩提薩埵」というのは、まだ悟りに達していないが悟りに向かって努力している人々、これが「菩提薩埵」という意味になってきた。
仏さまには「阿弥陀如来」等の「如来」とこの「菩薩」があるが、この違いは、「如来」は一番高い位の仏様。一方、その「如来」と、我われ衆生である人間の間に立って、いったん如来になった方が衆生を救うために、わざわざ一段身を落として、我われに近づいてきて取次ぎをしてくれるのが「菩薩」。

「観自在菩薩」 「阿弥陀如来」

『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

(出典: 一部 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) 



般若心経 (Han-nya singyou)


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4 コメント

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観世音菩薩 (地理佐渡..)
2008-03-16 06:53:43
おはようございます。

毎度、わかりやすい解説で勉強になります。
あたかも「仏教学」というような感じで、
その世界に入っているような..。

一方、言葉としては知っていながら、いかに
仏教のことを知らないかがわかります。
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Re:観世音菩薩 (日本男道記)
2008-03-16 12:09:15
おはようございます。

コメントありがとうございます。

私なりに、出来るだけ分かり易く、また断片的な知識の整理が出来ればと思い、書いています。

これからもよろしくお願いします。
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ぜんぜん知らなかったけど・・・ (ラム)
2008-03-17 00:44:50
お経あげる機会が、多分人より少し多いと思いはしますが、ウチの宗派は般若経じゃないけど、
この『観自在』は、音(言葉)で耳なれてます。
・・・が、意味なんてぜんぜんデス

さてさて、すっかり春っぽいですね。
その後いかがですか?
どうぞ、ご油断なきよう
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Re:ぜんぜん (日本男道記)
2008-03-17 17:07:48
こんにちは!
ホンマに暖かくなりましたね。
「般若心経」恥ずかしいですが、シリーズ化しています。
体の方はご指摘のとおり、油断大敵ですね。禁煙は続けています。
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