private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over05.21

2019-01-06 07:25:32 | 連続小説

 朝比奈が牛乳を舐め続ける子ネコのあたまを、毛並みに沿って優しい手つきでなでている姿を見ると、やっぱり女の子なんだなって、少しほっとした気持ちになる。しゃがんだ姿勢でひざに手を添え、あごをのっけて。デニムのスカートからおしげもなくはみだしたフトモモが目にまぶしかったけど、おれはもう夜のおかずに追加しようとか思わなくなっていた、、、 しみじみと語ることでもないな。
 とはいえ目にまぶしいのは間違いないので、おれは朝比奈の横に周り、壁にもたれかかって腰をおろし、強制的に視野の外に追いやるしかなかった。朝比奈の横顔はなにか言いたげで、おれは口を開くのを待っていたけど、その時間がイヤではなく、ずっとこのままだっていいって思えていたのは、言葉を交わさなくたって気持が同期してる気がしたから、こうなればおれにできることなどおのずと限られてくる。
 朝比奈の淡いピンクの唇が動いた。あの日、教室から外を眺めていたときに、小刻みに唇を動かしていたのを思い出した。
「さびしそうって思われるの、イヤだから。なるべく、ねっ。なるべく、そう思われないようにふるまってた。一度でも、気をゆるしたら、もう、はどめが効かなくなる気がして… わたしだって、そう。思われてるほど強くもないから」
 胸が絞めつけられた。予測通り、想像以上。これでは今日のフルコースはオアズケ決定。いくら変態なおれだって、それぐらいの良識はもちあわせている、、、 時として、本能は良識を凌駕するが、、、 凌駕しちゃダメだろ。
 そうなんだ。誰だって、いつも、いつだって強くはいられない。人格をつくるのは自分自身なんだけど、どうみられるかは他人次第なんだ。そこでいちど根付いた役割ってのは書き換えるのは困難で、変にあらがうほどに滑稽に思われたりもする。いつのまにか押しつけられた配役。おれだって、これまでそうやってひとを選別してきた。強く、ひとりで生きていけるはずの朝比奈は、おれやまわりが勝手に作りだした配役であって、本人の思うところではないんだ。
 おれたちは、わからないことの答えを探し続けるために生きている。
「やっぱり、ホシノって、変わった個性をもってる。うーん、変わっているのがいけないわけじゃない。わたし個人の意見として」
 毛並みが違うって、この前は言われた。
「みんな変わってて当然なのに、変な仲間意識がそれを抑え込んでる。わたしね、『あの人いいひとね』とか、『あの人ってこうだから』って、誰かを選別して同属意識を共有したりできない。特に女子ってそういうのが強くって、流された方が楽なんだけど、一度ね。一度でもそうすると、細胞にまで沁み込んじゃいそうで。だから」
 どうしても引けない一線が、いまの朝比奈の居所を決めてしまったということだ。意地になっているとか、言葉で言うのは簡単だけど、そこにいたるまでの経験は他人がどうこういうことじゃない。おれには励ます言葉も、解決できる提案も、気持ちに寄り添うこともできない。吐き出したい言葉があれば耳を傾けるぐらいだ。自分ではわからない聞き上手なおれ。それがまわりの決めたおれの配役、、、 らしい。
「ホシノって、つけこんで来ないし、いいトコ見せようとしない。それでいてナヨっちいわけでもなさそう。オトコってのがギラギラしてない。ココロん中ではなに考えてるかわかんないけどな」
 ほめられているのか、けなされているのか。嫌がられてはいないので、良しとしておこう、、、 ココロの中だけは、お願いだからそっとしておいてもらいたい。
 それにしても、こうして先手を打たれると、こちらの行動も制限される。朝比奈にとって組み上げられたホシノの理想像が、その期待からはずれれば3秒で嫌われることになる、、、 イタリア人なみのエモーション、、、
「イッちゃーん! まだ、捕まえられないのーっ。どんくさいわねえ、夕食、たべちゃうわよーっ」
 期待に応えられないおれは、生粋の日本人に3秒でコケにされる。
 ここで母親が登場するのは十分考慮しておくべきで、それを怠っていたおれはいったいこの状況をどうやって説明すべきか、ひたすらあせるばかりだというのに、朝比奈はすかさず立ち上がって、軽くおじぎをした。深すぎて大げさにならないように、浅く軽くならないように、見ている者が心地よく感じる絶妙の角度だ、、、 企業研修の教師かってぐらい、、、 企業研修、行ったことないけど。
 母親は突然、よそいきの言葉遣いで「あーら、どなた。イッちゃんのお友達?」。ふつう、そうなるな。彼女にはまだ到達しない。
「こんばんは。わたし、朝比奈といいます。ホシノ。 …君とは、同じクラスメートで、いつもお世話になってます」
 はっ、こちらこそ。今後ともお世話になりたいです、、、 いろんな意味で。
「まあ、素敵な方ねえ。イッちゃんもスミに置けないわね」
 ぜひ、スミに置いといてください、、、 箸でつつかないように。
「どうせ、お世話になっているのはイッちゃんなんでしょ」
 いやあー、今晩、お世話になろうとしたけど、断念しました、、、 諸事情がありまして。
「このコ、いつもボーっとして何考えてるんだかわからないから」
 おい、おい、親なんだからもう少し子供を立てるとかしてみないか、、、 しないか。
「友達だってマサト君ぐらいしかいないし。それが、まあ、こんな素敵な女性とお付きあいしてるなんてねえ。ああーよかった、これで老後も安心だわ」
 あーっ、もうやめて、ホント、恥ずかしいから、、、 付き合ってる以外は全部事実だけど。
 おれは牛乳が入っていた小皿を母親に押しつけて、もういいから、おかわり持ってきてと頼んで母親の背中を押していく。ずいぶんハラをすかせてるのか、子ネコはまだ飲み足りなさそうで、しきりに口の周りを舌で撫でまわしている。
 一方母親は、まだ話し足りなく、消化不良の不満たらたらで、このままいくと、一緒に夕ご飯食べてく? とか言いそうな勢いだ。そんなことになったら、学校ではどうとか、勉強はどうとか、やれ受験とか、就職とか、そうすると図書館にもいかずに、バイトしていることがあからさまになりそうで、それじゃあ、母親にも、朝比奈にも説明がつかない、、、 どころか、お先真っ暗。
 朝比奈は、口に手を当てて笑いを押し殺している。母親はあいかわらずウケがいい。
「アナタ、イッちゃんて呼ばれてるの」
 ええ、まあ、イチエイっていいまして、、、 その由来は荷が重すぎるので言いなくないです。
「へえ、イチエイっていうの。初めて知った。おかあさん、ホシノのおかあさんっぽくはないな」
 そう言われればおれの母親って、おれの友達に対してこんなに気さくだったっけ。なんかもっとつっけんとんな、マサトにはいつもそうだからなのか。
「わたし、そろそろ帰るね。そのほうがホシノも都合がよさそうだし。おかあさんにはよろしく伝えといて」
 そりゃ、これ以上母親の暴走につき合わせるのは酷だけど、おれとしてはもうしばらくこうしていたい気も、、、 あっ、蚊にさされてる。
 スクーターにまたがり、ヘルメットをかぶる姿を子ネコもおれと一緒に見上げている。
「ネコちゃん、またね。ホシノに世話してもらうんだぞ。ホシノもしっかり面倒みるんだぞ」
 このネコ飼うのか。おれは子ネコの首根っこをつまんで抱きかかえた。これまで我が家で養った生き物は、縁日で釣った金魚か、口のうまい店員に騙されて買ったカラーヒヨコぐらいしかいない、、、 いずれも、半年も持たずに天に召された、、、 そういえばヒヨコはネコに食われたな。
 スクーターが小さ目の排気音を引きずりながら夜道に消えていった。うーん、微妙だ。垣間見た朝比奈の真意は、なにか具体的な解決を欲しているんだ。おれがなにかしてあげれればいいんだけど、子ネコの世話さえまっとうできる気がしない。それに、またねってことは、スタンドや家に寄ってくれたりするのだろうか。それまでおれはホシノでいられ、今後の期待を持たせるほどのオトコでいられるのか。
 ちょっぴり熱い思いが胸に湧いてくるというか、なにやらこう暖かなぬくもりが心に染み込んでくるような、、、 んっ、ホントに胸のあたりが温かくなってきた。ジワーと染み込んできて、、、 あれっ? これって、もしかして?
「あら、彼女、帰っちゃったの? ザーンネン。夕食、一緒にどうかって誘おうって思ったのに」
 そうなると思ったから帰ったんだよ。それよりこれ見てなんか言うことないのか。おれはTシャツの世界地図を開帳した。
「はーい、ネコちゃん。おまたせ、オカワリよ」
 シモの処理も終えて、おなかに余裕ができたのか、子ネコは再び、むしゃぶりつくようにして牛乳をむさぼった、、、 トコロテンか。


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