――あの店員、遅いよな、、
――もっとパッパっとできんのか、、
――あのバアさん買いすぎだって、、
――こんなに並んじゃって、マジ腹立つ、、
そんな怒りの声が、列のあちらこちらから聞こえてるくる。列の中程に並ぶユウヘイも、気が長い質ではない。そんな声がなければ、自分も憤っていただろう。外野の声がかろうじてユウヘイの冷静さを保たせていた。
缶ビールをひとつ買いたかっただけだ。ものの数秒で支払いを終えて、家に帰るつもりだった。
8時から観たいボクシング中継があり、普段通りに帰れば間に合う時間だった。コンビニでビールを買う時間を含んでも余裕はあった。そうであるのに、こんな足止めをくらうとは思ってもみなかった。
ユウヘイがボクシングに興味を持ったのは、子どものときに見たいくつかの格闘アニメの影響だった。自分もあんなふうになりたかった。でもなれなかった。自分は観る側の人間であると知った。
次第に生身の闘いを観るようになり、テレビで放送されるようなビッグマッチは必ず観たし、気になる試合でチケットが取れれば生で試合を観に行くこともあった。
周りにはそんな共通の価値観を持つものはおらず、メディアを賑わすほどのビッグマッチでなければ、誰かとそれについて話しをすることはなかった。今日はそのビッグマッチと言っていい試合だった。それであるのに、、
年配の女性は食料品を大量に買い込んでおり、さらに外国人のレジに何やら質問をしている。どうやらレジ横のコロッケが欲しいようだが上手く伝わっていない。
レジの女性は嫌な顔ひとつせず、あたかもそれが当然のこととして、唐揚げか、春巻きか、順番に確認してお年寄りに寄り添っている。そしてこの列をなす状態であっても、動じることなく落ち着いた対応を続けている。
余程の強靭なメンタルの持ち主か、状況を把握できないほどアタマが回らないのか、どちらにせよユウヘイにとって好ましくはない。
当の本人の後ろに並ぶフードを被った女性は、買う予定らしき冊子を開いて集中している。買うつもりでも買う前の本を読むのは、立ち読みになるのだろうかと、余計な心配をしている場合でなく、助け舟を出す様子もない姿に腹立たしさを覚えてしまう。
端で見ていれば子どもでもわかるようなジェスチャーで、やり取りを繰り返しているのに、一向に埒があかない。ユウヘイがレジまで行って教えてやりたいぐらいだが、列を外れて行くのには勇気がいる。
戻ってきて同じ場所に戻れる保証もない。いやそんなことより周り目がある中で、うまく事態を収める自信が全くない。こういう時にしゃしゃり出て、これまでうまくできたためしがない。それがユウヘイを萎縮させていき、ストレスを増大していく。
誰もが誰かが何かを言い出すのを期待して、匿名で悪舌をつくことはできても自分からは行動するつもりはなく、見て見ぬふりをしているようで、自分もそのひとりであることに落ち着いている。
もうひとりの店員も外国人で、奥で商品の補充をしている。この状況をわかって補充を続けているのか、気付かないフリをしているのか、それとも補充をすることが最優先事項なのか。黙々と続けている。
それを見てユウヘイは、彼にとってレジが滞って客が並ぼうが、それによって店の評判が悪くなろうが、それで客数が減ろうがどうでもいいようにみえた。彼が真面目に働く姿も歪んで見えるほどユウヘイは苛立たしさが募っていた。
このコンビニはモールへ続く通りの角地にあり、モールの東側の玄関のような存在だ。10時には通りへの進入路が閉鎖されてしまう。建物自体はモールの中にあるが出入り口は、外の大通りに面しているので営業には支障はない。
モールの組合には入っていても、さすがに10時に閉店ではコンビニとしてやっていけない。そんな例外は他にも何軒かある。いずれも立地条件がうまい具合にかなっている場所だった。そうでない店は受け入れるか、店仕舞いするしかなかった。
一つ前の会社帰り風の女性が、聞えよがしに言った「あの人、レジやればいいのに、、 」。
聞こえても彼らには通じないと、わかったうえで言っているようだった。いわば確信犯で、自分は意見を言えるという周りへのアピールをしている。
街のコンビニで高いサービスを求めることがそもそも間違いで、この程度で甘んじる代わりに、価格が抑えられていたり、人手が確保されることを望んだ結果だ。あえて言葉が通じにくいか、通じないと思わせる異国人を雇うメリットはそこにあるのかもしれない。
どうやら賛同する者の声が同調を呼ぶことを期待している節もある。何にしろ自分からは動くつもりがない。誰も自分が当事者にはなりたくない。正論を主張することも、匿名の範囲で留めて置きたい。矢面に立って責任は取りたくない。いわゆる選挙の時に誰がなっても一緒だからと、選挙に行かない理由を声高々に言う人たちと同類だ。
さらにユウヘイの後ろに並ぶ高校生らしき二人連れの会話が耳障りでしかない。
「オレ、ちょっと、文句言ってこようか?」。そうするともう一方は「ガイジン働からかねえな」と、ななめに返答する。
普段から、そんなお互いの役割が決まっているようで、一方はやりもしないことを口に出して虚勢を張り、一方はその言葉を直接的にではなく肯定する。それがエンドレスに続いていく。
「なあ、おれ言ったろか?」「うん、アイツ、なんでレジしないか、ワケわからん」「あのバアさん蹴ったろか」「ボケ老人、多いよな」そんな、聞いていて噛み合わない、彼らには噛み合った会話が続いている。
ユウヘイは自分の心がささくれ立っているのがわかる。すべての状況に対して否定的な感情しかわかない。違う状況で聞けば、すべてたわいもない会話なはずだ。
後ろの若者達の会話に嫌気がさしつつも、ユウヘイも次第に焦ってきた。理解していても落ち着かない。それが自分の弱さであり、そうして自分の性格が一層イヤになっていく。
ライブ放映されるのボクシング中継は8時からのスタートだ。この日のために有料のコンテンツに入会して、満を持して臨んでいた。選手入場やらなんだかで、15分は余裕を見ても残された時間は多くない。
試合前の両者の状態や駆け引きも重要な観戦ポイントだ。そこから得られる情報も多く、ビール片手に気持ちを昂ぶらせていく予定だった。
老婆がようやく買い物を終えたと思ったら、財布の中からクーポン券をいくつか取り出して使えるモノがあるか訊きはじめた。店員も良くわかないようで、一枚一枚手にとっては確認している。まだ時間がかかることが確定した。
ビールの冷たさが指先からジンジンと伝わってくる。手で握っているとカラダが冷え込んで、それに伴ってビールの冷たさが緩んでいくのでこうして持っていた。
こんなことなら昨日のうちに買っておけばよかったっと悔やまれる。そうであればこんなところでムダに時間を浪費せず、行列にイライラすることもなかった。
失敗したときに限って過去の同じような体験を思い出す。運が良かった時もあったのに、自分は判断力の乏しい駄目な人間だと、そんな後悔したことばかりがアタマに浮かんでいく。
そのあいだにも店のトビラが空いて新しいお客も来るが、この列を見て引き返していく。余程の急用がなければここで買わなければならない理由はない。自分が入ってきた時にこの状態であれば入らなかった。その時に戻りたい。
自分はココに並んで時間を使ってしまった為に、その損失を取り返さねばならないし、その時間が有益なものであったと認知できる理由が必要だ。今この列を離れれば、その時間が不易だったと認めることになる。
トータルで考えればそうしたほうが正しいかもしれないのに、自分が離れてからスムーズに列が動きはじめたらと考えると決断できなかった。もうすぐ事態が改善されると信じている。まんまと負のループに取り込まれてしまっている。
ふたつ前に並んでいた男がしびれを切らしたようにチッと舌打ちをして、手に持っていた2本のプロテインバーを近くの棚に突っ込んで離脱していった。
スイーツが並べられた商品棚に置かれたそれは、場違いであり握られた跡が残っている。あれではもう売り物にならずに廃棄処分されるだろう。監視カメラに映っていたら、賠償請求されるのだろうかと、ユウヘイは缶ビールを左手に持ち代える。
あのプロテインバーと違って、散々手にしたこの缶ビールをもとに戻しても、次に買う人が気づくことはないだろう。それは同様に自分が手にしている缶ビールの履歴も不明といえる。すべては性善説のうえでなりたっている。なにも不具合が起きなければそれで世の中は回っていくだけだ。
もしかしたら生活に困っている住まいを持たないような人が手にしたものの、お金が足りなくて仕方なく買うのを諦めたかもしれない。トイレで用を足したあと手も洗わないような人が、どのビールがいいか何本か手にとって見比べて、落選したモノかもしれない。
もっと言えば、、 とあり得ない想像に走り出し、顔を歪ませるユウヘイはもう一度指先でつかむようにして、接触面を最小にしていた。こんなことをして何の意味があるのかと自分を笑う。
握り潰されて廃棄処分されれば次の人に渡ることはなく、そう思えばプロテインバーの男は正解なのかと変な納得の仕方をしてしまう。
ユウヘイはビールをそこらにおいて離脱した自分をイメージした。ここまでで並んでいた時間を無駄にしたくない思いと、この先無駄に消費される時間が天秤にかけられる。プラス、ビールで一杯やりながらボクシングを観る楽しみも捨てられない。同じことを繰り返している。
クーポン券やらポイントカードの件が一段落したと思えば、次は支払いで新たな問題が起きたようだ。膨れ上がった財布から、小銭をバラバラと出して数えはじめた。
また時間がかかることが決定した。ユウヘイの意識が自分の制御から外れた。
「おい、バアさんいい加減にしろよ。こんなに並んでんのがわかんねえのか!」