private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over12.11

2019-06-02 11:39:36 | 連続小説

 こうしておれの夏休みは、これまでの学生時代に過ごしてきた日々と変わらなくなり、元に戻ってしまった。これでようやく勉強に取り組むことができる。となればよかったんだけど、いろんなものが抜け落ちて、なにもする気になれなかった、、、 ただの言い訳、、、 教科書やノートを開いても、なにもあたまに入ってこなかった、、、 あたまに入らないのはこれまでと同じだし、そもそもノートには、なにも書かれてないんだから、入れるものがない、、、 それがおれのこれまでの学校生活の成果だ。
 いまのところスタンドはオチアイさんが仕切って何とか回っているらしい。永島さんがいなくなり、おれが家の都合で、、、 親に止められて、、、 辞めることになり、少なからず影響はあるはずだけど、、、 ないと、それはそれで悲しい、、、 それが、あまり実務をしていなかった永島さんと、新人のおれがだったとしても。
 そうやって今後もスタンドは存在していく。その分マサトは、倍の仕事量になったとぼやいていた。疲れたならはやく家に帰って寝ればいいのに、マサトは毎日ウチに寄ってぼやいていく。
 多分どんな仕事だって、何が起きようとも、誰かがなんとかして、昨日と同じ状況を作り出しているんだ。それができなきゃそもそも昨日までが成り立っていないんだから。
 おれも昨日までその一員だった。知らないうちに、そういう社会の枠組みにはめ込まれていた。実際に就職してしまえばまた、その中に取り込まれてしまい、そんな感情も起きないまま流されてしまうんだ。
 だからよけいに、そこから一歩はみ出すと、こうして気が抜けたみたいになってしまう。バリバリと働いていた人が定年と同時に腑抜けになってしまうように、、、 それほど大した働きはしてない、、、
 そしておれは、玄関で子ネコと一緒に過ごすことが多くなった。
 二階の自分の部屋は暑いし、居間で母親と四六時中顔を合わせているのもせつなく、母親は何も言わないけど、それがまた居心地の悪さを増してしまう。ここは家の中では比較的涼しくて、ひとりで物思いに耽られる、、、 子ネコはいる、、、 ちょうどいい場所だった。
 たまに母親が玄関に現われたり、不意の訪問者が来たりすれば、おれはわざとらしく伸びをして、いまから外に出るところだったという演技をする、、、 一日に20回ほど、、、 いまから外に出るって演技をさせたら、世界で一番うまいんじゃないか、、、 それだけの役はない。
 長いあいだ一緒にいれば、新たな発見もある。なんだかこの子ネコはあまり活動的ではない。なんて言いかたは変なのか。おれが持つネコのイメージって、陽だまりで丸まっている姿なんだから。それにしても動かなさ過ぎで、いつもダンボールの我が家の中で、やっぱり丸くなっている、、、 普通か。
 いやいや、とはいえ子ネコなんだから、好奇心旺盛で、いろいろかまってみたくなったり、何かを追っかけたりするはず、、、 偏見か。
 あたりまえだけど、人がそうであるように、みんながみんな、スポーツが好きだというわけじゃないし、クルマに興味あるわけでもない、、、 いまはいいか、それは、、、
 なんだっけ、そうそう、すべての子ネコが好奇心旺盛じゃなきゃいけないわけじゃないって、考えをあらためていたところだ。だからって、これまでこの子ネコが、スウィートホームから外に出たところを見たことがないことを考えれば、そうであっても心配な気持ちは消え去らない。
 それで気になるのは、どこかカラダに不自由があるんじゃないかなんて思ってみたり、壁の隙間にいたのも、それが理由なのかもしれないと勘繰ってしまう。勘繰るだけでそう言い切れないのは、おれは子ネコと意思を疎通させることができないからだ、、、 疎通ができても、その真意まで知ることはない、、、 誰であっても。
 コーセキだか、タンセキとかの小説みたいにネコにも思考があり、いろいろと思うところがあるのかもしれないけど、このネコはしゃべってくれるわけもなく、時おり含んだような鳴き声をするだけだ。
「ミャーア」そうそう、そんな感じ。これがまた間が良くて、合いの手のように鳴かれると、コイツおれのいっていることわかってんじゃないのか? なんて訝しがってしまい、ネコと通じ合っている錯覚をおこしたりする。
 残念ながら、おれはその小説を読んだことがなく、、、 そもそも小説なんてものを、まともに読んだことがない、、、 なんとなく人づてに聞いた話では、ネコが人に話しかけているわけじゃなく、擬人化してるというか、一人称で語り部になっていたような。だから、それもこれもみんな、人間の勝手な空想を押し付けていて、やってることはおれとなんら変わんないじゃいじゃないかって、、、 なんだっけ、そうあの子ネコのことだ。
 親からはぐれたのか、それとも見捨てられたのか、近頃じゃ人間以外の動物だって、人並みに育児放棄をするのか、もしくは最初から育児なんて概念はなくって、乳が張ればミルクを飲ませ、肌寒けりゃ一緒に寝る。ただそれだけの利己的な行為が、育児に見えるだけだったりするのが案外ホントのことろかも知れんけど。
 そう思うと、人間ってヤツはここまで手厚く親に育てられ、それがあたりまえのようになっている。おれなんかもいまだに育児の範疇だ。それだけ、弱い物体で、これからもどんどん退化していくんじゃないだろうか。
 生きるべきものはどうしたって生き延び、そうでなければ、死に絶えるのが自然の摂理なんだ。だから、あの壁の隙間にはさまっていたのも、そこが一番安全だからって本能的に感じていた。いまじゃこの段ボールが一番安全で、なにもしなくても食べ物が舞い降りてくるから出る必要がない、、、 生きるべき術がわかっている、、、 正しい判断じゃないか。
 他に理由を探すとすれば、先天的にからだに悪いところがあるんじゃないか。例えば目が悪いとか、多少感覚にズレがあるとか、足腰が悪いとか、、、 おれか、、、
 おれがそう思うには一応は根拠があり、子ネコが目で何かを追っているとき、多少のズレを伴っていたり、音や肌に感じる振動で何かを感じてはいるらしいが、追っていく目がどうもワンテンポ遅れているからだ。おれが玄関を通る時も、何やらあとから気づいたように、一度玄関を見てから、慌てて振り向いたりする。
 だからこそ、この場が安全だということは認識してるのは間違いないはずだ。まわりに妙な空気の流れが無い限り、心地良さそうにゴロゴロとしている。こういう言い方って誤解をまねきやすいけど、なにかが欠けていたり、足りなかったりすると、それを補う別の能力が鋭敏化したりする。トータルで持ち得る能力だと考えられるか、欠陥だけをあげつらうか。多くのモノが欠けおちているおれが鋭敏化しているところはどこなのか、、、 ないか、、、
 それにしてもコイツ、ゴロゴロしすぎだ。少しは運動でもしないと、めでたく成人病の仲間入りになるぞ、、、 成人ではないが、、、
 体重を気にしている母親と一緒にジョギングでもはじめればいいのに、、、 犬じゃないか、、、 ネコと一緒にジョギングをしている母親を想像してみたら、これがまた、たいそうシュールな映像だった。
 引きこもったネコをどう扱っていいのかわからない、、、 ネコも扱ってもらいたくないだろうけど、、、 かといって、それ以外のネコの扱いが慣れているわけではない。オンナの扱いも同じ、大人の女性はさらに困難。クルマはまだガレージのなかで、あたまのなかが堂々巡り。アホづえをついて、今日何回目かのため息をつく。
「ミャーア」こんな具合に、おれがコイツに話し掛けたりしてると、時折りわかったような鳴き声をだす。本当にその割にはタイミングが良すぎてハッとさせられる。その時の顔つきがなんとも幸せそうで、それを見るたびに、こんなくだらないことに悩んでいる自分が、小さい人間なんだと知らしめてくれているようで、何らかの問題をかかえ活発でないネコだって、こんなに嬉しそうに笑ってられるのに、おれはなにやってんだか、、、 とか。
「ちょっと、一曳」
 めずらしく母親に正式名称で呼ばれた。母親の接近も気づかないぐらい浸っていたみたいで、名演技を披露するタイミングを逸していた、、、 だれも見たいと思わない。
 おれの名前であるイチエイは、漢字で書くとああなる。そして『一筋の光明に曳かれいく者』なんて大仰な意味らしい。おれが誰かを導いていくのか、導かれるのか、、、 たぶん後者だ、、、 誰かに引っ張ってもらった方が楽だし、面倒がないから、それのほうがいい。従順なので誰かに付いていくのは得意だ。特に目上の人には好かれるタイプだと思っている、、、 キョーコさんとか。
「あんたさ、そういうものの考えは良くないんじゃないの。自分より劣る者と比べて、それで自信つけようとしてどーすんのよ。情けないわねえ。いっぱしの身体だと思って満足してるようだけど、たいして活かしもしないで。ひととおり揃ってるだけで感度が鈍ってるから、身の危険も察知できなかったんでしょ。したたかに生きてるこのネコの方が、よっぽど大したものよ」
 おれの愚痴とも、決意表明ともつかぬつぶやきを通りかかった母親が目ざとく、、、 耳ざとくか?、、、 聞いていたらしく、口をはさんできた。母親が説教を始める時は、いつも呼び捨てしてくるから、ある程度は身構えていた。
 ちょっと、待ってくれ、そういうつもりで言ったわけじゃない。ただ、自分の不甲斐なさを嘆いていただけで、それを口が悪いというのか、遠慮がないというのか、配慮がないというか、一応でも不慮の事故でケガして、部活を辞めることになった傷心の高校生が、さまざまな困難を乗り越えようとしているのに、そんな、あたまごなしに言わなくてもいいような、、、 
「なあに、ごちゃごちゃ言ってんの。ひとに言われたまんまやってただけで、自分でなあーにも考えてなかったくせに。自分の思いがすべて周りに伝わるって思ってるところがすでに思いあがりだわ。国のためには多少の人民が犠牲になってもしかたないと、それが大義名分としてまかり通ってしまうのがこの世の中よ。力の大小が発言の意味合いを変えてしまうってことを覚えておいた方がいいんじゃないの。それにね、いつだってお上が決めたルールなんて、そこからの視点で見て勝手に押し付けてるだけで、当事者からそうして欲しいって言ったんなら別だけどね」
 と、あくまで強気の姿勢を崩さず、自分の聖域に、、、 つまり台所に、、、 行ってしまった。
 なんだか、大きなはなしにすり替えられてしまった。つまりはネコから見ればおれはおカミで、その視線ですべてを考えてしまっていて、だからどの場面においてもヒエラルキーが成り立つということは理解できた。さすが戦争経験者は腹が据わっているというか、体制に対しての信用度がゼロなのは、おれ達の世代の比ではないようだ。
 どうしたって、アイツよりはマシだとか、自分のほうがツイていたとか、ついつい考えがちだ。そこに悪意がなかろうと、その範囲内でしかものごとを見れなくなっていく。そうやって自分より弱いモノを探して、そのなかで優位性を保とうとするのはもっとも弱い者がすることだ。
 まさに母親の言うように鈍りきった感性のせいか。たしかに誰かと比較して自分を力づけようとするのは、自分と比較して誰かを貶めるのと同じだ。
「ミャア」 、、、だな。