private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over13.11

2019-06-30 06:55:13 | 連続小説

 その日は朝から一面の青空だった。雲ひとつない空は、壁に空色のペンキをぶちまけた具合に、なんの立体感も奥行きも感じさせず、そんな中にいると、この世界はプラネタリウムの隔壁の中に存在していると思えてくる。
 姑息なおれは、朝比奈に会うための口実として、誰かになにか訊かれたら、給料の支払い方法についてオーナーに聞くという名目でスタンドに来ていた。
 昨日は結局あのまま寝てしまい。その後の両親からの追及は、回避できたかったからよかったんだけど、今朝、母親に起こされた時は視線が厳しく、家の中にいづらくなって、出かけるところを見つかったら、朝比奈とのことをどうのこうのと言われそうなので、こっそり出てきた。
 3日ぶりのスタンドは、なんとなく古い写真のように見えた、、、 一方的な感じ方だけど、、、 その場所の中心人物がいなくなるって、そういうもんじゃないか。色あせてしまうっていうか、華がないというか、活気に満ちてないっていうか、、、 言い過ぎか、、、
 マサトの話では、永島さんがいなくなったスタンドは、オチアイさんの奮闘もむなしく、閉鎖の方向で進められているという。
 実際のところスタンドの運営、、、 つまり、経理とか総務的な裏方業務、、、 は、永島さんがこなしていたらしく、キョーコさんが足しげく通っていたのも、その手伝いをしてたからだ。
 永島さんがスタンド業務をしていなかったのもそのせいで、いくらオチアイさんがスタンドを駆け回って作業しようと、そこまでは手が回るはずもないし、キョーコさんみたいに右腕になる有能な相棒もいない、、、 いないはずだ、、、 知らんけど。
 オーナーが年配ということもあり、本来なら近いうちに永島さんにあとを継いでもらう腹積もりでいたのに、こんな事態になってしまい、もう一度自分がという気にも、新しい後継ぎを考える気にも起こらないんだとか。
 それはつまり、じゃあ次はオチアイさんに、ってことにはならず、たとえオチアイさんがそこまで望んでいなくとも、おだやかでない気持はあるだろうと、大きなお世話だろうけど、、、 おれなんかに気遣いされる方が、よっぽどおだやかでない、、、
 みんなへのあいさつもそこそこに、当初の目的を果たすべく事務所の二階にあがると、青い空とは対照的な暗い表情のオーナーが椅子にすわっていた。そしていったいおまえはどこの誰だという顔をこちらに向けた。
 きっとそうだとは思ってたんだけど、やっぱりおれはバイトとして認識されていなかった。面接もマサトと一緒に永島さんにあいさつしただけで、オーナーが経営業務を永島さんに任せっきりなら、おれなんて存在を知っているはずもない、、、 知らなくても働いた分のお代はいただきたい。
「ああ、キミが星野くんね。恭子ちゃんから聞いてるよ。きみも災難だったね。永島くんのことがなけりゃ、もっと働いてもらえたろうに」
 いえ、いえ、あなたほどではありませんよと思いつつ、おれの実情を知らないところを見ると、まともにキョーコさんが用意した書面に目を通しているわけではなさそうだ。
 それに、そういう意味で言ったわけじゃないんだろうけど、災難とかで片付けられちゃうと永島さんもうかばれない。おれは単なる身から出たサビってやつで。そこでどうでしょう、サビが出るまでの清算をしていただけますでしょうか。
「ふむ、えーと、一日8時間で18日間勤めているから7万2千円と残り端数だ。そう書いてあるけど、合ってるかな?」
 へえ、結構もらえるんだ、、、 クルマは買えんけど、、、 いや、期せずしてクルマも手に入れることになったし、こりゃ災難どころか、けっこうなもうけじゃないかと、クルマの名義変更、維持管理、諸々の税の支払いなどに、どれだけ国家権力の搾取にあうのかも知らず、高揚に身をまかせ気分はうなぎ登りだった。
 オーナーは、後ろにある金庫に手を伸ばし、カラカラと小気味よい音をたててダイアルをまわし、扉を開くとお金を数えはじめた。なんだか、ここまで無防備にやられると心地よいぐらいで、よっぽどおれは安全パイだと思われているのか。
 そりゃ、オーナー襲って有り金ぜんぶ引ったくろうなんて思ってないけど、いくらなんでも開けぴろげ過ぎないか。こりゃ永島さんは、やむにやまれず代行業務してたんじゃないかって、、、 うーん、いくら入ってるんだ、、、 ぜんぜん思ってないけど、たんなる好奇心ってヤツで。
 オーナーは振り向いて、こちらに封筒を差し出した。悪い顔をしていたかもしれないとすぐに作り笑顔をしてしまったけど、オーナーはひとのいい顔のまま、おれもさらなるつられ笑いでひきつってしまった。
「なんだ、初めてもらう給料だからって、そんなに緊張しなくてもいいぞ。自分で働いて稼いだお金だ。遠慮せず手に取ればいい。ここにハンコ… もってないか。サインしてくれるかな」
 あくまでも好意的に取ってくれるオーナーに感謝しつつも、そうか初めて手にする給料なのかと、本当に緊張してきてしまう。これがまかりなりにも生まれてはじめて自分で稼いだお金なんだ。
「キリのいいとこまで入れておいたから。ごくろうさん。両親になにか買ってあげるといい。せっかくの初給料だろ、ムダ遣いしないようにね」
 ああそうか、両親への分配は考えてなかった、、、 ひどいなおれ、、、 おれは震える手を悟られないように、平静を装って、、、 平静を装えないので、封筒をうまくつかめなかったおれを、オーナーは仏様の笑顔で送り出してくれた、、、 
 きっと小心者だって見透かされている、、、 もらった給料は小心者らしく、Dバックの奥のポケットの中に大切にしまっておいた。なんたって、こんな大金を持ち歩くのは初めてなんだから。マサトとか、、、 マサトとかに、たかられないように。
 階段をおりて事務所にもどると、オチアイさんが椅子に座って休憩していた。客が少ないのか暇そうだ。盛り上げようにも客が来なきゃどうにもならないし、やっぱり客もわかるのか、この店の行く末を考えれば、そいつは沈没する船からネズミが逃げ出し、倒壊する建物からゴキブリがいなくなると同じで、消え去ることになるこのスタンドに近寄らなくなってもおかしくはないんだから。
 スタンドの営業が夏休みいっぱいもつのかどうか、オチアイさんやマサトたちの知るところではなく、オーナーの判断次第で途中解雇の憂き目にあうのも、いちアルバイトの立場ならあたりまえだ。
 おれみたいに存在感の薄いバイトなら、それもしかたないけど、オチアイさんとかながく勤めているひとたちには、ハイサヨウナラではさびしすぎる、、、 辞めた身には、それも世間の風次第ってとこだ、、、
 みんなは、これまで以上に落ち着いた雰囲気を無理やりつくっていて、そこには永島さんがいなくても、普通にやっていける姿をオーナーに見せつけようとする意図があるようにも思え、それでオーナーの気持ちが変わるはずもないし、この現状を見れば、その先がないってのを逆に見せつけられる。
 おれのような新参者と、長年勤めていた者との相容れぬ大きな隔たりは、半月そこらで解消するもんじゃないのかと、すぐに結論をだしてしまうのは、おれの淡白な人生経験だけのせいじゃないと思いたい。
「どうしたんだ。オーナーとのハナシ長かったな。なんだ、支払、渋られたか?」
 そこで登場のマサトがあざとく訊いてくる。現金で給料もらったなんて言ったら、速攻、クルマのこと持ち出してきそうだから、辞めた時にあいさつができてなかったから、お世話になったお礼をねっと、口から出まかせ言いながら、腕はギュッとディバッグを握りしめていた、、、 小心者なので。
 まだ誰も、永島さんのクルマのことを言い出さない。まさかあのクルマの所有権がおれになっているとは思いもしないだろ、、、 キョーコさんの口約束に、どれぐらいの効力があるのか知らんけど、、、 だから、おれもガレージの方は目をやらず、必死に別の話題をとアタマをひねる。
 そんなこと、事前に考えておけばいいのに、ほんとに必要ならば神の啓示として舞い降りるって思っているから、舞い降りないときは、今回のように挙動不審だ。それに朝比奈が来るまで間をもたせなきゃいけない。
 こんなとき、スタンドがヒマなのが恨めしい。おれのイメージとしては、みんながバタバタと働いて、おれはひとりクーラーの効いた事務所の中で、朝比奈の登場を待つという絵図だったのに。
「あれからキョーコさんもめっきり顔出さなくなったしさあ」キョーコさんを出すのは、よせ、よせ。
「あたりまえだ、来る理由がないだろ。それに俺たちどのツラ下げて、恭子さんに接すりゃいいんだ。ムコウだって気い遣うだろうし… 」来ない、来ない。もう止めよう。
「それにしてもなんだな… 」やばい流れだ。
 それにしても、暑いっすね。いったいいつまでこの暑さが続くんだろう。子供の時はいくら暑くたって、目いっぱい遊んで、汗かいて、それで蚊取り線香のニオイの中で、いつの間にか眠りについていたのに。近頃じゃ、暑さに閉口しながら日中を過ごしている。
「もはや、クーラーの中で、ボーっとしてるヤツがナニ言ってんだ。おれなんか暑い中、働かなきゃ生活できないんだからよ。そんな甘っちょろいこと言ってられるのも今のうちだ」
 今日は、神は降りてこなかった。なんとか話しをよそに持って行こうとした夏の暑さの話題は、オチアイさんにとってヤブヘビだったみたいで、バイト辞めてもさして苦労もしておらず、日中にのうのうと事務所に涼んでいるヤツに言われたくないのはあたりまえか。