private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over05.11

2018-12-30 10:20:08 | 連続小説

 母親の与太話にいつまでも付き合っていられない。牛乳を溢さないように慎重に廊下を歩いて、なんとか玄関まで到着した。小皿に入れた牛乳は思いのほかバランスが悪く、小皿の端から端まで波打をうち、溢れそうになるのを小皿を回して回避する。なんかこういうのクルマの運転テクニックを養うためにあったような、、、 歩きにも役立つのか、、、
 廊下に溢しでもしたらシミになるだの、拭いた雑巾に匂いが残るだのと、母親の文句のネタを増やすだけだ。おれは母親からよけいな小言をいただかないように、細心の注意を払った、、、 それがこの家で生きてくためのルールだ。
 そんな粗相でもしたあかつきには、その後、ことあるごとに、あのときオマエはこうだったってとこから始まって、やれ雑だからとか、大雑把だからとかやいのやいのと、耳にタコができるぐらいに何度も繰り返し語られるから、おれとしてもたまったもんじゃない。
 そいつがまた、まわりのウケがいいもんだから、親戚が集まる度に語られ失笑をもらい、あげくにおれが誕生日を迎える度に、果ては特別な晩御飯、そう、例えばすき焼きなんかを食べるとき、今日のように口が滑らかになった母親の口から飛び出してくる。
 牛乳パックごと持っていって、壁の前で小皿に注いでもよかったのかもしれないけど、そうすると残った牛乳を冷蔵庫に戻しにいくのもめんどうで、そのままにしておけばしておいたで、牛乳が傷むとか、全部飲んじゃってよとか、別の小言が出現する。
 どっちを取るのかって、そんなどうでもいい自分だけの究極の選択に一喜一憂するのもばかげた話しで、いちいち戻るより慎重に進む方を選んだだけなのに、その選択で得られた時間は有効なのか、それともムダに過ごしたのか、、、 そんなぐらいの差だ。
 たしか小学校の時には、誰かが溢した牛乳を拭いた雑巾がよく流されもせず、そのまま廊下に放置されてたりして、陽が当たらないから乾きもせず異臭を放っていたことを思い出した。昨日のマンホールの悪臭がよほど深層に残っているのか、クサいとか、汚いとか、気持ち悪いってキーワードが出ると、いろいろな過去の思い出が走馬灯のように、、、 走馬灯見たことないけど、、、 浮かび上がってくるのはナゼなんだろうか。
 まったく人間の記憶ってヤツは、妙なところでつながったりして、もっと効果的な、実践的な、有効的なことでも思い出せばいいのにと、、、 それならよっぽど事あるごとに思いだす母親の持ちネタの方が気がきいている。
 おれは壁の隙間で、とりあえず待ち構えてみた。母親からのミッションをコンプリートしないと、おれの夕食がこの小皿の牛乳になりかねない。だったら、はさまったのがやっぱりトラだったら肉にありつけて良かったのにと、母親の誇大妄想に賛同したくなる、、、 生まれてすぐなら入るかな、、、 ってどこで産むんだって、、、 生肉喰えんし。
 ひとりでノリツッコミをしていてもしかたがない。やるべきことは隙間に牛乳を置くだけだけだが、はたして冷たい牛乳の匂いがネコに届くのかと心配になり、なんとなく手で扇いでみたら『ミャア』と鳴いた。そうだ、牛乳だぞ。飲みに来い。「ホシノーっ」そう、欲しいだろ。へっ?
「なにしてんの?」
 なんだか今日聞いたばかりの可憐な声を再び耳にした。えっ、なんで? 顔をあげれば朝比奈が、ファッション雑誌のモデルよろしく、スクーターのハンドルの上で腕を重ね、そこにちょこんとアゴをのせ、両足を広げてスクーターを支えている。
 うーん良い、これは良い、いやほんとに写真とって雑誌に応募すれば、そのまま掲載されちゃうんじゃないの。もしかしたら表紙を飾っちゃうんじゃないの。というわけでしばらく堪能していたら、すかさず強烈な毒舌が飛んできた。
「おーい、聞いてんのかあ。ホシノー。腰だけじゃなくて、耳も老化したかあ」
おいおい、腰だけとか、老化とか言うな。イテッ、おひねりを投げてくるとは、そんな古風なとろこもあったのか、、、 あっ、ガムの包み紙か。
「なにニヤニヤしてんだ、ヘンタイだな」
 そこはあまり否定できない部分だし、たしかにこれ以上いじめられて喜んでいたら、ヘンタイ扱いされても仕方なくなるので、おれは大義を説明することにした。これわだね、、、 大義なのか、、、
「えっ、子ネコ? どこよ、ちょっとどいてみて」
 多少の着色はあったものの、ここまでの経緯をちょこっと都合よく説明してみたところ、なんだか手を貸してもらえそうで、おれの喋くりも捨てたもんじゃない。こうなればネコの手も借りたいところだ。って、これじゃへたな漫才のオチにもならない、、、いや結構うまいか。
「おいで。チッ、チッ。さっ、ミルクだよ」
 うーん、なんだかな。おれがネコなら速攻で朝比奈の胸めがけ、なんの躊躇なく跳び込んで行くんだけどな。『ミャア』
「ほら、出てきたよ。あっん」
 てめえ。絶対、オスだろ。ゆるせねえ、いくら子ネコとはいえ、朝比奈の、あの、ツンと上向き加減のカタチのいい、それでいて柔らかそうな、包み込まれたらもう二度と離れられないような、、、 
 まあ講釈はそれぐらいにしておいて、とにかく朝比奈のムネに飛び込んでいきやがって、、、 おれがしたかったのに、、、 しかし、いまの朝比奈の喘ぎ声、、、 喘ぎ声でいいよな、、、 これは、今日の夜はフルコースでデザート付じゃないか。そう思えばよくぞやったぞ、子ネコ。オマエはエライ。今日の夜のオカズが一品増えた。
「あん、ダメよ、そんなことしないで、ミルクの方をナメなさい」
 抱きかかえられた子ネコは、こんどは朝比奈のあごのあたりをペロペロとナメはじめた、、、コイツ、テクニシャンか。
「ほら、イカツい顔して無理強いしてたら、出てくるものも出てこなくなるでしょ」
 いやいや、だからおれだってね、出るところはだいぶん出ちゃって、、、 そうじゃなくて、朝比奈に手でされれば、出るものもいっぱい、、、 これも違う、、、 いや、つきつめれば同じか。
 ようやく牛乳を舐め始めた子ネコをひょいと持ち上げてみたら、やっぱりチビっこいながらもオトコのシンボルがついていた。悔しさもあるけど、同意もできる。オマエも男よのう。そりゃ仕方ないよね。牛乳を取り上げられた子ネコはミャア、ミャアと抗議の声をあげる、、、 性欲を満たした後は、食欲か、、、 おれも変わらんが。
「ホシノォ、何してんだ。ゴハンの最中だろ」
 それより朝比奈は、なんでこんなところにいるんだ。いくらなんでもタイミング良すぎだろ。おれはいまにもミルクの小皿にダイブしそうなぐらいの勢いの子ネコを解放してやった。
「ああ、そうだな。なんか、いつも使ってる道が今日は工事中で、一方通行に流されながら走ってたら、見かけたマヌケヅラが困り果ててるから、ちょっと見てた。まさかね、ここにホシノの家があるなんて。不思議だわ。キッカケがあると、ひょんなことで出遭うことが多くなったりする。もしくは、引き寄せたとかね… 」
 そうでしょう、そうでしょう。おれたちって、きっと、そういう巡り合わせになってるんだよ。やっぱ子ネコえらい、、、 帰ってくるまで忘れてたくせに、、、 もしかしてオマエ、恋のキューピットとかになってくれるとか? おれはわき目もふらず牛乳をナメている子ネコのアタマをなでてやる。
 『ミャア』と、子ネコは感謝の意をあらわしたのか。おれのオゴリだ好きなだけ呑んでいいぞ。よかったらオカワリだって持ってきてやる、、、 父親の稼ぎだけど。こんどはパックごと持ってこよう。
 両足を折り曲げてしゃがみこみ、膝の上に手を置いて、肩肘をつき頬づえをしている。そしてそのとなりでおれはミルクをナメる子ネコを見ていた。いいじゃないか、いいシーンだ。おれの青春のひとコマにこんな時間が存在するなんて、これまで想像すらできなかった、、、 長生きはするもんだ、、、 18だけど。
「やっぱり、子ネコといっても、野生の本能があるんだ。もしくは、子ネコだからこそなのかもしれないけど。自分の身を守るために、どこにいるべきか、何をすべきかが分かっているんだ」
 そうか、そうだったんだ。おれに野生の本能さえあれば、危険を予知できて無謀なバイトなんかしなかったのかもしれない。勝負事から遠ざかっていると、そうなんだよなあ、どうしても鈍くなる。
 朝比奈はだいたいからして強気なもの言いなのに、時折こうして末尾に憂いを含ませてくる。そいつがクセなのか、おれに何かを感じて欲しいのか、これほど会話を重ねたことがこれまでになかったからわかんない。
 いつだって人との関係性はそこからはじまるわけで、失敗しながらも経験則を重ねていく方法だってあるけれど、この時は、なぜかすぐにでもわかってあげないといけない気がした。それがおれの精いっぱいの野生の本能なんだろうか。