private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over04.21

2018-12-16 07:37:19 | 連続小説

 どれほどのあいだ朝比奈とのやり取りをあたまの中で反芻し、手に残る感触に思いを馳せていたのか、、、 手に残る感触は、夜まで要保存、、、 周りから見ればこの暑いさなか、単にボーっと突っ立っている間の抜けたヤツとしか見えなかったとしても、、、
 運がいいことに新しい客も、通りを歩くひともいなかったようで、、、 これも神のご加護なんだろうかって、この輝かしい青春のひとときを、こんな虚しい妄想についやしているおれってとふと思うけど、自分の時間はまだ永遠にあると思えるからやってられる。それが若さってヤツで、それが実はそうでもないって何時か知ることになる。
 そうは言っても若者の動機や、世の中の革新はいつだって、、、 その動機がいかに不純であっても、、、 いつだって異性への関心から始まる。
 そこにお決まりのようにマサトの声が侵略してきて、おれの幸せな時間は崩れ去っていった、、、 朝比奈との至福の時間の最中に現れなかっただけでも上出来だ、、、 妄想の世界にいたおれは二・三度は呼びかける声に気付かなかったみたいで、マサトの声がけたたましい。
「おい、イチエイ。イチエイってばよ。聞こえてないのか? 誰? 誰だったんだ、今の。知り合い? オンナ …だったよな?」
 マサトは彼女が朝比奈だとは気付いておらず、ならばおれも当然のようにして、そこは伏せて適当にごまかしてやる。朝比奈との思い出のひとときをマサトに介入されたくないし、知られるだけで美しい記憶が汚されるような、、、 ってのは、あまりにも言いすぎか、、、
「なんだよ、ニヤニヤしちゃって」
 事実を説明したからって、それでどうなるわけでもないんだけど、洗濯物干し終わったのか? とハナシをはぐらかす。おれだっていろいろとあるんだよ。なんでもオープンにするわけにはいかないことが、、、 とくにマサトには。
「あのさあ、おまえさあ、詰め込みすぎだって。あの量だったらさあ、二回に分けて洗わないと、汚れも落ちないし、排水にゴミが詰まるだろ」
 オマエ、ホントは家で洗濯当番してるんじゃないのかと、突っ込みたくなるぐらいの細かい指摘に、もっと言えば家政婦のバイトも兼業しているのかって、追い突っ込みもしてやりたいところを抑えて、 悪いなあ、おれって、お坊ちゃんだから箸の上げ下ろしぐらいしかしたことないから、そんなとこまでアタマ回らなくてさ。でもさ、どうせそのまま干してきたんだろって、軽くあしらってやった、、、 マサトだって、それぐらいの約束は守れるオトコだ。
「そりゃ、洗い直すのもなんだし」、、、 なんだよなあ。
「屋上、メチャメチャ暑かったし」、、、 すぐ乾くよな。
「見ろよ、この汗。びっしょり」、、、 おまえも屋上で干してきたらどうだ。
「あの洗濯機、古いんだよ。壊れたら、おまえが弁償しろよな」、、、 クルマの頭金が減るけど、いいのか。
「 …なんかさ、おまえ、すっごく、言葉滑らかだな。朝とぜんぜん違うけど、どうしちゃった? もしかして今のオンナ、そんなによかったのか。えっ、えっ、もしかしてお友達になれちゃったとか?」
 たしかにおれは、ニヤけた顔をしてマサトのハナシに応えていたんだと思う、、、 いつもはボーっとして聞き流していてるから、マサトも不信に思ったのだろう、、、 それがアホ面には変わりないとしても、、、
 おれはいま、きっと何を言われても怒らないぐらい、幸せにつつまれているから、そのオーラがありありと見て取れるはずだ。そしてマサトには、いいオンナだったなあ、オマエにも見せてやりたかったなあ、、、 見せんけど、、、 なんて、さらに追い打ちをかける。
「なんだよ、おれが汗だくになって洗濯物干してる時に、おまえはそんなカワイコちゃんとお近づきになってたのか。まったくやってらんないな」
 それはいつものおれのセリフ。このツラく、苦しかったバイトも今日この時のための苦行だったかと思えば、それも良しと思えてくるから人間ってやつは、、、 おれってやつは、、、 はなはだお気楽にできているようで、このスタンドの風景も昨日とまで、、、 さっきまで、、、 とは全然違って明るく、華々しく見えてくる、、、 おれの将来と同じように、、、 それは言い過ぎ。
 これも普段から、一生懸命に働いているご褒美で、マサトみたいに今日たまたまじゃあ、天使も、、、 朝比奈も、、、 微笑んでくれないんだよ、、、 おれもこんなにまじめに働いてるのはバイトのときだけなんだけど、、、
 どうしたって、人生には生きるための理由が必要なんだ。むかしから、オトコがオンナを自分のモノにするのは、自分の遺伝子を存続させるためで、それは同時にほかの男の遺伝子の存続を阻むもので、致し方のない人間の営みのひとつなんだな。いまじゃそれが平和な世の中になって、違った意味合いでの蹴落とし合いになっているとしても。
 朝比奈が強く振る舞っているのも同じ理由からなんだろうか。本人がどう思っていようとそのために目立つ存在になり、排除の対象となる。強き者が群衆をあやつるか、烏合の衆が強き者をくじくか、教室の中はひとつの小さな世界だ。
「なあに、オトコふたりで話し込んでるの? どうせイヤらしいハナシしてるんでしょ」
 なんてきわどいハナシを笑顔でしてくるこの女性が、どうやらウワサの女子大生のケイコさんらしい。まともに顔を見たのは今日が初めてで、いつもは後ろ姿だったり、もしくは遠まきにリカちゃん人形大ぐらいのサイズでしかお目にかかっておらず、再接近で目にした彼女は、大学生にしては童顔で化粧もしてなく、間違いなくマサト好みだ。
「あなたが、マサトくんのお友達の新人のバイトくんね。よろしくね。わたし午前中しかいないし、事務の作業だから会う機会なかったね。がんばってね」
 ケイコさんはそう言って去っていった。マサトはマサトくんで、おれはバイトくんで、おれの名前を覚えてもらえる日は来るんだろうかと、ちょっと拗ねてみようか思ったけど、まあここはマサトに譲っといてやろう。なんにしろ、ひとつのことがきっかけとなってものごとは好転する。そうするとすべてが好転していくような気になるから、、、 ほんと、お気楽、、、
「あーっ、ケイコさん! 待ってくださいよお。カバン持ちますよ」
 マサトは飼い主にかいがいしくまとわりつく犬のように、キャンキャンと吠えながらついていった、、、 頑張れマサト、自分の遺伝子の存続のために、、、 それが報われない恋だとしても、飼い犬として従順に遣えるといい、、、 イヌ? なんか胸に引っかかるな、イヌだっけ、、、 なんだっけ、、、
「おーい、ガソリン満タン。早くしてくれよ」
 いつのまにか新しい客が来ていた。かったるいと思っていた昨日までとは違い、みなぎるパワーがいまのおれにはある。いらっしゃいませーっと元気に声を出し。給油作業を始めるおれがいる、、、 お調子者と呼んでくれていいよ。今日も空が青いぜ、、、 あっ、曇ってきた、、、
 午後から大きく張り出した入道雲が夕方には真っ黒な空に変わっていき、そして夕立ち、、、 おれのうかれた気持ちを冷ますように、戒めるように、先にある現実を思い出させるように、、、 そりゃそうだ、朝比奈とお近づきになれたからって悶々とした気持ちがすべて消えたわけじゃない。
 ずっと気づかなかった想いが、それが陽の目を見ただけでこんなにも気持ちが開放的に、快楽的に、快感を伴って感情移入してきたって、それを上回る不安もすぐにやってくる、、、 幼いころからカラダにしみついた悲観的観測は、そう簡単には消えはしない。
 そうであっても想像できる範囲での失敗なんてものは得てして起きず、気にも留めないところにほころびがあったりする。好事魔多しとは良く言ったもので、浮かれているおれは特に心配してもしたりないぐらいだ。自然界はそうやって均衡を保っている。
 いいことがあれば、その分悪いことが起きて相殺されるんだって、子供のころから説いてくれた母親の言葉を思い出す、、、 そんなこと明るい未来だけを信じたい子供に刷り込むことないのにと、今になって母親を恨んでしまう。
 情緒不安定なのか、、、 でもまあ、そんなもんだろう。やたらにひとの精神状態をもてあそぶような情報が飛びかうけど、そんなものはすべて、自由社会を利用したがっているヤツらの言い分でしかないだから。
  帰りのマサトとの会話も積極的にかかわっていた。そして悔しがるマサトを見ておれは楽しんでいる。
「なんだ、今日はやけにつきあい良いじゃないか。やっぱり慣れだろ、慣れ」
 そうマサトもへらず口をたたいてくるから、おまえも洗たく干しに慣れろよと言い返してやる。マサトが洗たく干せばおれに幸運が舞い込んでくるからなんて、肝心なことさえ話さなければ、少しくらいサービスしてもいいだろう。
 駅で降りてから家への道も、距離が短く感じられるほど足取りも軽く、昨日までのよろけ具合がうそのようで、何んならスキップでもできそうだけど、さすがにそれは止めておいた。
 それなのに、家を目前としたところで何か引っかかりを感じた。
 なんだろう? 朝比奈に変なことは言わなかったし、、、 変な想像はいっぱいして、夜に活かすけど、、、 マサトには口をすべらすことも、それらしいことをほのめかしもしなかった、、、 舞い上がってたから絶対ではない。
 そんなことをあれこれ考えながらいつの間にか門をくぐると、母が玄関先にいた。困ったような、嬉しそうな、それでいて悲しそうな顔をこちらに向けた、、、 ぜったいロクなことが起きない、、、 恨んでゴメンナサイ、、、 あっ、もしかしてバイトのことバレた?