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巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

出向して製造部門を新規に立ち上げた時のスタッフから4人の部長以上が出た事は大変嬉しい

2016年12月01日 14時31分32秒 | 社会・経済
 たまたま、かつてのスタッフに電話した。彼は既に部長になっていて、部下が70人ぐらいいるらしい。その他にも、当時のスタッフから2人、合計3人の現役部長を輩出した。僕が指名した後任者は副工場長になりその後定年退職。

 電力会社へ復帰する前の部の人数は僕を含めて20人、そのうち、1人は女性のパート。従って、18人から4人の部長以上が実現した事になる。当時は大きな事業部門の陰に隠れて片隅にひっそりいたぐらいだった。今では、3人の部長体制下にある人数などで、大事業部の大半を占めるらしい。

 電力会社では自民党衆議院議員のバックなど政治力が大きく昇進に影響するが、子会社とはいえ製造業なので、ほぼ実力の世界(下らん人事やっていたら経営が破たんする)。

 凄いね 何でかね?と聞いたら、製造部門・工事部門は殆どが親会社の仕事の中(努力しないでも仕事が有るし、利益も出せる)、新規事業は一般の市場の仕事で荒波にもまれ、鍛えられ、力がついたのではないかと言う。

 僕は当然嬉しかったし、誇らしかったが、ほっと安心した点もあった。僕が手掛けてきた事業が痕跡も無く、全部無くなっていたとしてもおかしくはなかった。

《話は飛ぶが、電力時代、特に営業部ではガンガン実績を作ったものの、上司だった藤〇正△との対立が深まり、藤〇正△は常務まで上がったので、徹底的に干され、実績は悉く潰された。

 僕が電力に復帰した時、藤〇正△は営業部長だった。ふと見ると、E子会社のK社長と一緒に僕が出向前に戦略的な協力関係(電力需要開拓)を築いていたユニマック社を如何に叩くかの相談をしていた。

 その後、電力子会社がユニマックから営業部長や、若手バリバリの営業マン(アメフレックから引き抜いたA社長の自慢だった:子会社にとって宝の持ち腐れ)を引き抜くなどで最終的にユニマックは消滅。A社長は自殺を図ったと聞いた。生死が確認できていない。

 ユニマックの前身は高知冷機センター。電力会社では同社の協力を得た開発で、支店から二人の社長表彰者を出していた(わかめ乾燥、青のり乾燥)。僕はその会社を支援し、各営業所の電力の需要開発を強力に進めていたのだった。藤〇正△にとって、僕とユニマックの存在は非常に不都合だった》

 一般市場で新たに製造業を立ち上げる事は容易ではない。僕は機械も営業も専門外、その上、一番きつかったのは、量産品はやるなと厳命された事だった。受注も容易ではなかったが、毎回開発し、製造し、設置し、メンテナンスし、お金を頂く・・その実質的な全責任を僕が負っていた。

 「死によったよ」と電話でつい漏らすと元スタッフの部長も「私もですよ」と言う。「えー?僕だけじゃなかったのか?」。立場が変わればそれぞれ思いは異なる。「迷惑かけたな」と伝えたが、確かに一般市場で鍛えられたから力がついたのは間違いない。

 僕は日本中を営業で飛び回る中で、事務所にいる時は、スタッフを叱りまくった。憎かったわけではなく、僕が全責任を追い、トラブル時には顧客から怒鳴られていた。夜も夢の中で仕事していた。大洪水の様なストレスに晒されていた。その三分の一ぐらいは分かって欲しかった。

 毎回開発でも、年間平均5.5億円ぐらいの受注(直接間接を合わせて)が有り、全体としては赤字だったものの成功していた。量産品を許可して頂いていたら、最初はトラブルを出しながらも何とか成功させていただろう(そこが資金を持つ企業の強みだ)。

 量産品禁止は社長の経営判断だから従うしかなかったが、量産品をやっていたら展開が変わっていた。皆さんが目にするような商品を市場に出せていただろうし、メーカーの体制が強化され、ビジネス全体にもう少し余裕が持てたと考える。

 かつてのスタッフが本気で喜んでくれるような(僕に言いたいことは山ほどあるだろう)ビジネスにはできなかった事を振り返るしかないのは残念である。
 

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