電気学会で進化論を発表するのも いかがなものかと、自分でも思う。進化研究者が私の仮説に拒否反応を示すので専門の学会で発表できないのだ。ところが、前回発表した仮説を証明するような論文が発表されたのだ。そこで名古屋大学で4回目の電気学会発表となった。
今回は特にDNAのうち、従来はジャンク(ガラクタ)と言われていた90%以上を占める領域に、経験や新たに得た形状性質などの情報を記憶させているとした仮説を証明する事例の論文が出されたことを報告した。DNAのうち、生命体の設計図として役立っているのは2%程度とされていた。
私の考えでは、例えば皆さんが日々体験する出来事がRNAに記録され、特に繰り返しの頻度が多いほど、重要性が高いほど残り易く、最終的にDNAに転写される。つまり、ジャンクと言われていた部分に生命進化の戦略などこれまで明かされていなかった秘密が隠されている。この内容は世界中のどの文献にも書かれていない。私の全国大会論文とこのブログを除いて。
様々な情報を記録させ所持しているから、課題を解決させる新たな方法を見つけ出すことが出来る。例えば、亀が卵の殻を破って飛び出すや、海に向かって走り出すのも、過去の記憶情報で、殻の破り方、海の方向の見つけ方、走り方を知っているので可能となっている。つまり本能と呼ばれるものはRNAに記録されている。
皆さんが教科書で習った進化論には堂々とダーウィンの自然淘汰説が出てくる。進化は偶然に起こり、強い種が残り淘汰されるとの考え。その後の、ウイルス説、中立説、共生説などもダーウィン説の流れの中に位置づけられているようだ。
ところが、ダーウィン進化説の基本である突然変異が新たな種類の生物を作るという保証は何もないのである。DNAは設計図、もしくはプログラムとデータのようなものである。その一部が変更されて、別の種類のまともな生命体が誕生するなどと考えるのは、余程楽観的でおめでたい人だ。
例えば車の設計図がランダムに変更された場合、それがボンネットの色なら良いが、エンジンだったり、マイコン(小型計算機)だったりしたら決定的なトラブルとなり、動かなくなる。
これに対して生命体には評価システムが存在し、生命維持を評価しているするのが私の基本仮説。生命システムの変化がより強い生命維持になるのかどうかを評価している。評価システムの存在が物質から生命(原始細胞)、原始細胞から人間へ進化させた。
評価システムは2回目の発表で、細胞が損傷した時、損傷の状況を検知すること、DNAの設計図と比較して修復することから、論理的帰着として存在するとした。具体的な形や場所などを特定できないが、生体システムの中に同等の機能が存在するとした。
何故、生物の専門家が私の考えを拒否するか?それは、ダーウィンがラマルクの獲得形質の遺伝を完全否定した信じられているからだ。ちょうど、アインシュタインがエーテル説を完全否定し勝利したとされているのと似ている。科学の大きな2つの謎は共に、主流の仮説がまるで定説のように扱われているからだ。何故か議論さえ許されない。排他的だ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます