①現代の日本人の精神構造(メンタリティー)は主として江戸時代に形作られ、そのフレーム(大枠)が継続している。②歴史の教育において日本では現代史が脱落しており、日本人が日本、および自らを知る機会を失っている。③従って、歴史教育において江戸時代以降、とりわけ現代史を重要視すべきである・・・ことを記述する。
若い歴史学者は是非研究して欲しいのだが、日本人はある時を境に大きく変化した。そのある時とは、徳川家康が大阪城を攻め落とし、天下をとった時を起点として日本人は変わり始めた。家康は徳川家の永続を図り、徳川家以外の大名以下武士、農民に至るまでの徹底した管理統制、資金・食糧・体力の消耗、能力や新たな力の抑制を徹底した。
「侍は死ぬことと見つけたり」と自嘲気味に語られた。比較的恵まれていた大名や武士でさえ自由が無くがちがちに管理され、質素で厳しい生活を余儀なくされた。特に、徳川時代の上下関係は精神的な従属性を強いたことが特徴である。本来、精神面:心の中は自由であるはずだが、身も心も捧げることを良心に訴えたのだ。
同じ封建制でも、日本とヨーロッパでは質が異なる。ヨーロッパでは上下が契約で結ばれ対等であったにもかかわらず、日本の封建制は身も心も全てを捧げ、従属するという、奴隷の変形のようなものだった。この、徳川の徹底した統率と管理が300年続いたおかげで、日本人は世界的にも極めてユニークなメンタリティーを持つに至った。
ご存じのように日本は全方向を海で囲まれ、最も近い韓国との間も厳しい日本海の荒波がバリアとなって往来を妨げていた。このため、国内においては相対的な力関係が絶対的な支配体制となり易かった。徳川家康は日本全体の安泰を願ったのではなく、徳川家の永続のみが目的で、そのために下々の者だけでなく、大名にさえ多大な犠牲と忍耐、精神的従属性を強いた。
余談だが、契約の概念はヨーロッパからきており、例え国王と騎士との間でも、全く対等である。国王でも契約に違反すると罰せられる。ところが、国内では何とか契約を結ぶ習慣は出来つつあるものの、政府(官僚)と国民は対等ではないし、発注側と受注側は対等ではない。例えば発注側の大企業が無茶をやっても受注側の中小企業は従わなければならない。問題点を指摘すれば締め出されてしまう。
徳川時代以前では、日本人はもっとおおらかで、自然に笑っていた。我々は歌舞伎において徳川以前の日本人を知ることが出来る。古典的な歌舞伎では動作がゆったりとして、大げさで、時がゆるやかに流れる。文学などでもその差を知ることが出来るだろう。
江戸時代を経て、日本人は周りを見ながら笑うべきかどうかを確認し、みんなが笑っているのを知った上で安心して笑うようになった。決して、自分だけ高らかに笑うなんてことはないのだ。つまり、笑いという自然の動作さえ、日本人は統制され管理されてきたのだ。
家康のファンは多いし、徳川時代を評価する人が多い。江戸時代が長く平和な時代であったこともあるが、多分に現在の日本人の感覚と共通するところに起因すると思う。
江戸時代の精神構造のフレーム=大枠が今に継続された大きな要因は、底辺からの市民レベルの革命や改革が無かったためである。明治維新や第二次世界大戦の敗戦は日本に大きな変革をもたらせたが、前者は武士階級、後者は進駐軍によってなされたものである。フランス革命やアメリカの独立戦争とは異なる。
欧米や中国などでは現代史が重要視されていると聞く。日本の教育では、せいぜい明治時代ぐらいで終わってしまう。現代の日本や日本人と相関性の高いのは、最も近い歴史を分析する必要がある。然しながら、現代史が脱落しているため、何故今に至っているか理解できるはずがない。例えば、第二次世界大戦の記録や分析(「失敗の本質」、「日本人の意識構造」など)を読むと極限状態における赤裸々な日本人の思考、習性、挙動などを知ることが出来る。
むしろ、アメリカや中国の方が日本の現代史を熱心に分析しており、肝心な(戦略的に重要な)日本や日本人の特性などについてはアメリカや中国の方が日本より詳しいという逆転現象が起きている。現状では日本は未来に向け負け続ける・
聖徳太子や卑弥呼など昔の歴史を否定するわけではないが事実関係を検証しにくい古い歴史ほど、後世で都合よく作られていること(物語の類になっている場合も有る)を認識したうえで接する必要がある。古の歴史と現代史は別物であり、現代史の学習や研究を教育の場に作ることが日本発展の重要な要素である。