愛車ランクルにカロッツエリアの最新ナビを入れたら、HDDプレイヤーが付いていたので、毎週レンタルショップへ行っては新しいアルバムを録音するようにしている。10年を超え、20万kmになろうとするディーゼルランクル100も新車の時に比べれば僅かにノイズが大きくなったかと思えるのだが、ナビは目的案内だけでなく、素敵な音楽空間(ノイズを消去)を与えてくれた。
マドンナ、グエン・ステファニー、マライヤ・キャリーなど女性系が音楽としても美しいので耳触りが良い。マドンナはいつも何かに挑戦しており、期待感が大きいし、仕上がりも良い。グエン・ステファニーは何と言ってもスウィートエスケープ。楽しく飽きさせない。マライアキャリーは並外れた高音の響きを混ぜて聴かせる。ロック系は好きだが、中には、ただうるさいだけのものもあり、男系は当たりはずれがある。総じて最近の音楽は計算されており、複雑で完成度が高い。
それに比べて、ポピュラーミュージッと言われた60年代の音楽は素朴で、荒削りだったかもしれないが、リアルで、特徴が明確。何か訴えるものがあり、兎に角、世界各地から雑草のように次々登場し、輝いていた。
私が最初に、関心を持つようになったのは、「愛しのラナ」。いきなり低音のトゥルットゥルというリズミカル口ずさみから始まる。元々は「ラナ」という、かなり流行った曲を焼き直したものらしいが、中学生3年だった私には、驚きと新鮮な感覚を与えた。久々に広島に帰り、高校入学と共に、ビートルズの「抱きしめたい」が待っていた。
ビートルズはツイストアンドシャウトなど立て続けに発表し、いずれもヒットチャートトップに躍り出た。何しろ、1,2位をビートルズが占めている間に、50位とか100位とかにビートルズの次の曲が入り、それがだんだん上がってまたトップになるという具合だった。印象深いのは、ミッシェル、ミスターポーストマン、ヘルプ、イエローサブマリン、ヘイジュード、レットイットビーなどなど。私は、マイナーなところでロールオーバー・ベートーベンが好きだ。
ビートルズも良かったが、男子高校生は何と言ってもヴェンチャーズにしびれた。パイプライン、ダイヤモンドヘッド、10番街の殺人、キャラバン、ウオークドントラン、京都の恋。特に、テケテケテケと弦を切れ良く弾くサウンドは当時の流行になった。今でも、ヴェンチャーズは毎年、この広島にもやってくる。
早くから音楽に染まっていた音楽ファンはプレスリーの信者だったりした。プレスリーの場合は、ビジュアルな楽しみ方が大きな要素でもあり、ラジオだけで聴く私にはちょっと世界が異なっていた。ハートブレイクホテルなどが代表的。ゴールドディスクだけでみると当時、プレスリーのほうがビートルズを上回っていた。
ヒットチャートの常連として、ビートルズの対抗馬は、ビーチボーイズ、モンキーズ(少し後)だった。ビーチボーイズはちょっと大人の感じで、裏声に特徴があり、サーフィンUSA,グッドバイブレーション、リトルホンダなどが印象的。モンキーズはより若い世代だったが、テレビを中心にモンキーズのテーマなどを歌った。その他に、例えばカーペンターズの枯れた歌声はしゃれて心地よい響きだった。スプートニクスはクリアエレキサウンドで人気があった。
当時はラジオで複数の発表番組があり、結構、何位に入ったというのが話題になった。私は、夕方の東芝だったかの前田武彦と木元教子(のりこ)の番組を聞いていた。前田武彦が軽妙な語りで、当時若かった木元教子をからかったりしながら曲を紹介する。60年代に世界中からきらめく星屑が降り注ぐように様々な方向の音楽が出現した。
ボーカルではコニーフランシスのような若芽でさわやかなのもあれば、シュプリームスのような洗練された輝き系、アートブレーキーのようなだみ声系など。ブラザースフォアは美しいハーモニーで大人の雰囲気。七つの水仙、北京の55日など。ナッキングコールのモナリサはこの頃の女性でもうっとりするだろう。フランクシナトラも活躍していた。
和製ポップスはあまり聞かなかったが、坂本九の「上を向いて歩こう」はすき焼きソングとして世界的に流行ったし、堺まさあきの夕日が泣いているも印象深い。
私の好きだった曲は、先に出た愛しのラナ(ヴェルベッツ)から、ミスターロンリー(レターメン?)、愛なき世界(サンデイ&ゴードン)、ジャワの夜はふけて(アル・ハート)、ブロークンハート(コニーフランシス)、シュガータウン(ナンシー・シナトラ)、ミスターポストマン、ロールオーバーベートーベン(以上ベートーベン)、10番街の殺人、パイプライン(以上ヴェンチャーズ)、一人ぼっちのシンフォニー(シュプリームス)、ゴールドフィンガー(シャーリーバッシー)あたりかな。60年代は夢があり若者の音楽が最高に輝いていた時代だった。