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宇宙・生命・日本 1000年後のあなたに語りかけたい

巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

日常経験はDNAに記録されている!生物学の定説を覆すか? 

2013年06月16日 18時56分49秒 | 思考空間

 DNAで、生体の設計図を記録させている比率は全体の僅か2%程度。この2%以外の殆どのDNAはジャンク(ガラクタ)とされていた。これに対して、私は経験した情報などをジャンクと呼ばれていた部分に記録させているとする仮説を2011年の電気学会(全国大会)で発表した。

 何故電気学会なのかというと、指導を受けようと生物関連の大学研究者に私の新たな進化論(2003年発表)を説明したが、いずれの若手研究者も全面否定で議論さえできなかった。(余計なことだが、若い世代は保守的ですね)場違いの電気学会であっても、発表した内容は永久に残されるので、公的な証拠記録づくり。

 その後、この仮説を一部証明するような論文が発表され、2013年3月に名古屋大学で4回目の進化論発表となった。私の進化論は、生物が需要や環境などに合わせて戦略的に、あるいは創造的に進化したとするもので、そのコアなツールとして「循環論理の評価システム」を仮定している。結果として「獲得形質の遺伝」が起こるが、生物専門家はガンとして受け入れない。

 生物が戦略的に、あるいは創造的に進化したとする私の仮説は多分100年を経ないで証明されるだろう。何故なら、様々な実例が支えてくれる。例えば、代々農家だった人の指は力仕事に耐えるよう太く、爪は横広である(「戦争と平和」の一節でも出てくる)。生まれたばかりのウミガメは誰にも教わらないのに、海に向けて一直線にバタバタ走る。

 人類は生物を研究することにより、様々な技術を得、製品を開発してきたが人間の目はその中でも最高峰だろう。人類はカメラが発明される遥か前から、大自然の美しい風景を高精度で見ることが出来た。もし進化が突然変異だけで生じるなら、皮膚が変化して電磁波をとらえ、その器官が継続的に進化は出来なかった(発展を実現する一方向の進化)、レンズや網膜、映像認識システムなどの適正な材料選択も無かった。

 目に関しては、例えば、怪獣も、魚も、昆虫も、哺乳類も目は二つで、頭の近くについている。もし、従来説のように突然変異などで進化するのだとすると、他の感覚器官に変化したり、あるいは目が3個以上とか、位置も体の各部に配置されてもおかしくない。現状の個数、位置が最適と評価され続けたからこそ、条件が維持され、高度に進化してきたのだ。

 花と昆虫の世界は、相互の協力関係を進める形で進化し、双方が大繁栄を招いた。経験の記録と分析、発展を目指した創造性が駆動力となっている。

 ミトコンドリアのDNA分析で人類の始まりは8万年前だか アフリカに生まれた一人の女性であることが分かった。過酷な自然環境に耐えて子孫を増やし、一団が砂漠の地アラビアに渡り、そこから世界の大陸へと歩を進めた。

 それぞれの民族が自らの住む環境に適した体になっていることを知ることが出来る。灼熱の太陽にさらされたアフリカ人は黒く精悍で、北方民族は色が白い狩人であり、アジア人は中間色で日本人は穀物を黙々と耕すに適する。

 生物には等価的に循環論理の評価システムが有るとの仮説を立て、傷などの再生メカニズムを検証すれば評価システムが無いはずはないと思えるが、それが具体的に何なのかは特定できなかった。しかし、遺伝子とたんぱく質などとの相互システムでシミュレーションのような機能を持っていたのではないかと考えてはいた。

 細胞内にはDNAから作られるRNAが山のようにあり、確かにジャンクのように見えなくもないが、実は、この圧倒的多数のRNAが生体の日常的な記録を残し(頻度と重要性の高いものほど残りやすい)、過去の記録を利用してシミュレーションや評価を実施するとすれば、私の仮説はより現実的に理解できる。

 また、私は宇宙に関しても、ビッグバンを真っ向から否定し、「始まりも終わりも無く、非常に稀に巨大ブラックホールが衝突することにより、新たな天体や銀河系などを創出する宇宙モデル」を仮説として唱えている。

 自然界における最も大きな二つの謎、テーマに関して自分で確信を持てる仮説を打ち立てることが出来たことは大変幸せである。(どう考えても私の仮説の方が有力)

 予算も設備もスタッフも時間も持たない素人が有力な仮説を立てられるのは、あまりにも天才たちが硬直的で従来説にこだわり過ぎているせいだ。しかし、私は宝の山の中にいながら、宝を掴み切れない。


日本人は大変優秀で真面目だがいくつか欠けるものが有る 3+1

2013年06月12日 22時15分40秒 | 思考空間

 優秀で真面目とは日本人の代名詞で、世界広していえども、日本人ほど該当する民族はいない。その優秀で真面目な日本人(日本)がバブル崩壊以降、ずるずると相対的な地位を下げている。韓国や中国の躍進が目立つ。しかし、日本人が韓国人や中国人に劣っている訳ではない。

 アメリカ人と比べても平均的には日本人の方が優れているだろう。現実に、バブル絶頂期、日本は巨大なアメリカを経済で打ち負かしつつあった。為替の問題が無かったら、中国や韓国も日本には及ばない。

 大変優れている日本人だが、特に21世紀に入り負け続けたのは何かが足りなかったに違いない。何か?私は3つを挙げたい。一つめは「勇気」、次に「マクロ感」と「論理」かな。

 徳川時代、日本人は85%が農民だった。村のみんなが同じ時期に同じ方法で田圃を耕し、まわりを見ながら自分が全体の中心付近の立ち位置にいるのを確かめて安心した。自分だけが外れることを極端に恐れた。目立ちすぎると村八分にも遭った。

 一方で、優れた文化、技術は海外からもたらされた。日本人は優れた文化や技術を巧みに取り入れ、創意工夫して完成度を高めた。世界の技術は日本に到達した後、多くがその極致を迎えた。

 つまり、日本人は自ら大きな一歩を踏み出す必要が無く、与えられた環境や条件の中に自分を収め、波風も起こさず上手にふるまってゆく術を身につけた。創造するのではなく、海外の技術などを取り入れ、自らのものとし、究極の造形物とした。それらを日本文化のDNAに刻み込んでいった。

 だから、目標、方向性とそれを実現する方法が明確に与えられている場合には、日本人は比類の無い力を発揮できる。一致協力して、力を束ね高みへと押し上げたのだ。とりわけ、戦後の復興からの立ち上がり、バブルの頂点まではその特性が顕在化した。

 歯車が狂い始めたのは、日本が頂点に立ったことで目標や方向を喪失し(先生や教科書が無くなった)、かつアメリカが日本(アメリカにとってソビエト以上に脅威であった)を叩き始め、経済のシステムを大きく変更してからだ。

 日本が短期間に焼け野原から立ち上がり、先進国へ駆け上った仕掛けは「キャッチアップ」と言われる、コピーであり、ある時は盗みでもあった。(中国は日本を研究し更にバージョンアップさせた)

 日本は悪く言えば、イージーに発展した。そこには戦略も構造改革も反省や見直しも無かった。だから暴走し(ルールやモラルが乱れ、良き民主主義も根付かなかった)、歯止めが効かなくなり、破裂した後は回復力が無かった。

 官僚や大企業の横暴さが際立ち、官僚機構や大企業を頂点とした統制管理が強まり、経済規模は拡大したのにも拘わらずあらゆる組織で悪しき村社会を形成するに至ったのである。

 村社会化したあらゆる組織では、多くの本質的な問題を抱えながら現状の体制を維持することが暗黙の鉄則となり、改革はおろか事実を発言することも許されず、心ある人々は排除され続けた。特に若い世代にこの傾向が強いことは救われない。

 日本は一貫して相対的位置を下げており、ちょっとした手直し程度では助からない。そのことは国民も分かっている。然しながら、一般的に、まずは自らを安全な場所に位置を確保し、その上で正しい事を言う、あるいは改革を試みる者を叩いて自分をより安全な状態に保っているのである。

 私の歴史認識では、日本人の精神文化を大きく変えたのは江戸時代である。徳川家康と言う忍耐強い天才が自らの子孫の永続的な支配を願って敷いた統治・管理体制は、日本全体を強く徹底的に管理し、この統治を脅かすものを弾圧するものだった。

 歴史家は徳川支配の封建制度に対して、ヨーロッパに対しても同じ単語を使うが、日本とヨーロッパの封建制度は異質のものだった。日本では、上に対して従属することをモラルに訴えている。つまり精神的従属だが、ヨーロッパでは契約関係である。契約とはお互いに対等な関係を示す。

 契約社会では上に立つものに対して対等に発言し、間違いを指摘できる。ところが、精神的従属社会では無条件に上を立てなければならないし、逆らうことはできない。上に立つものが下に対して責任を問われる事は無い。

 為政者にとって、事実はしばしば不都合なものである。正しい事を発言する人間は排除しなければならない。精神的な従属と相まって、管理は国全体に浸透し、弾圧を恐れる臆病さが命を守り、平和な生活を約束する。

 一国を収める君主でさえ自由は少なかったようであり、地位の高い武士も理由のいかんにかかわらず命令有れば見事に切腹しなければならないという究極の不合理さと精神的圧迫を常に抱えていた。長い徳川支配は日本人から正しく発言し実行する勇気を奪ったのである。

 日本の家屋では生け花を飾り、自然を巧みに生活に取り入れているとされている。木造の家屋は湿度の高い条件にも合い、自然とも調和している。ところが、密度の高い住居で音を遮断しない障子やふすまが非自然の人工的環境を作り出している。人間は自然の中で育つことにより、自然の力を受け本能を呼び覚ますが、その機会が少ない。

 動物は視野が開けるとまず全体を見て、大まかな様子を掴む。第一は危険、次に食糧であろう。日本人は、自然の中で生きるマクロ感覚より、狭い社会で生きるミクロ感覚が身についているとみられる。例えば、日本人にはミクロを積み上げると全体になるとの感覚が有る。協力関係が強い日本では間違いではないが、全体の方向性を見誤りやすく、優先順位の概念が希薄になる。

 窮屈な生活環境では自然との対話、自分自身との対話が少ない。お互い同士の気づかいとかリズムが重要になるし、同じ考えを持たないと生活が成り立たないから、テーマを深く考え追求するチャンスが少ない。

 論理とは言葉で表される対象や状況に関して、個を厳密に定義し、個々の関係や仕組みを明確にすることだ。日本人には生活の力である常識を強く理解し取り入れてはいるが、未知の分野や見えない世界を深く探求し解明するのは苦手であろう。

 日本人に足りないものとして、勇気、マクロ感、論理をあげた。これらは全般的な傾向であるが、トップに立つ人間の反省の無さを加えたい。日本ではより上位の者に対する無条件の従属が常識になっている。優れた人物か、リーダーシップを備えているか有るかどうかは問われない。しかも、日本の最上位管理組織である官僚には責任が無い。このため、日本のトップやリーダーは反省しないのだ。

 先の大戦で、アメリカ軍は真珠湾攻撃後に自らの劣勢を率直に認め反省をしている。同じ状況がバブル絶頂期のアメリカ経済界でもあった。その後、日本を分析し、反転攻勢に出たのである。アメリカはかれこれ大きな過ちを犯している。日本とそん色ない。戦いや競争の中でアメリカに有って日本に無いのは反省ではないか。

 この無反省の傾向は、明治以降次第に鮮明になってきた。トップやリーダーに反省の無い事が事実を明らかにするチャンスを失わしめ、同じ過ちを繰り返し続けるほか、日本を誤った方向に導きやすく、発展を阻害している。

 現代の日本を無反省にしている原因の一つは官僚組織、あるいは官僚的組織だろう。官僚は東大法学部卒業者をトップクラスとして、知識詰め込んだ偏差値の上位者を採用している。彼らは教科書を暗記し、クイズ同様間違えない訓練をしている。

 従って、あらゆる場面で間違えたくないし、間違えたと認めたくない。まず間違えないために、従来の方法を踏襲し、せいぜい実績のある新しい方法を採用する程度だ。新しい課題は先送り、棚上げ、封印する。

 次に、過去の間違いを封じるため、総括も反省もやらない。先の大戦の総括が実施されていない事が歴史的な問題になっているが、政府が率先して実行することは無いだろう。都合の悪い書類も廃棄される。そもそも、都合の悪い議事録も残さないし、書類は悉く機密情報扱いになっている。

 最終的には教育や環境の問題である事に気付く。人間も、自然界の動物も間違いをしながら学習して、より安全で合理的な方法を知る。また、新たな課題への対処方法も身につけてゆくのだ。

 知識エリートは情報の詰まった箱の中から、適切な答えを引っ張り出して対処しようとする。ところが情報は単なる厚みの無い記号のようなもので、それ自体が解決力を持っているわけではない。指示を受けた担当者が底辺で具体的な作業し初めて解決する。

 失敗した経験は苦痛を伴い五感に響き、数々の反省を要求する。具体的、立体的な記憶となり、未来の同様な場面の対応を考えざるを得なくなるのだ。失敗を奨励するわけではない。成功を目指した経験のなかで失敗は確かな力強い解決への道を形成するのだ。

 失敗を悪とした教育は生命体が歩んだかつての進化のプロセスをも否定するものだ 。失敗から学ぶことなくして発展はあり得ない。

 優秀真面目な日本人にとって何が一番不足するかの筆頭に「勇気」を上げたのは、勇気が有れば、あらゆる困難を乗り越え、不都合な障壁を改革で打ち破れるが、この勇気が日本人には不足している。また、若い世代では顕著な傾向だ。

 日本人の社会的DNAには勇気が危険であることが刻印されている。勇気あるものが排除され続けてきた。屍累々と積みあがった上にカビの生えた情報を頭に詰め込んだエリートが君臨する。

 要は、マクロ視点を持って論理的に判断し、勇気を持って正しい事を言い、積極的・果敢に正しい事を実行する事であり、間違ったら率直に反省して方向修正することだ。

 


経済は武器を使わない戦争

2013年05月31日 17時37分19秒 | 思考空間

 ここ数年、アメリカと中国は緊張感を高めているが、アメリカと中国が戦う訳ではない。大陸間弾道弾などが高度に発達した現代では、核保有国同士の戦争が人類の破滅につながりかねない。

 実は冷戦時代に日本が経済でアメリカに挑戦し、勝利を収めつつあったことが、その後の戦略を劇的に変化させた。もし、日本のバブルがもっと進んでいれば、日本はアメリカを買取り、支配することもできた。アメリカはそれに気が付き、経済の仕組みをガラッと変えてしまった。その上で、アメリカは経済を国家戦略に組み入れ、中国はそれを真似している。

 1990年代に起こったことは、日本のバブル崩壊と長期凋落、日本ビジネスのアメリカを含む旧英連邦への移動、世界の工場の中国へのシフトであった。これは全てアメリカが仕組んだことだった。

 アメリカはTPPなどで中国包囲網を敷こうとしている。一方で中国は日本・中国・韓国のFTA協定を結ぼうとしている。日本がどちらを選ぶべきかは明快で、アメリカの戦略にあえて乗るしかない。

建設中!!


安倍首相に要望済み:日本の未来を壊し続ける大学教育の改革

2013年03月24日 10時55分33秒 | 思考空間

 東大法学部は全大学の中の最高峰だ。ところが、東大法学部で上位を占めた卒業生が官僚となり日本を実質支配し、動かし、管理してきたにも拘らず、主要先進国日本のみが沈み続けてきたことは現代の歴史の明確な事実だ。

 頭は良いし、回転が速く、正確。ところが、頭脳の主要な部分が壊れているか相当ずれている。常識的な業務で120点取るが、より重要な課題、新しいテーマ(教科書の無いエリア)を解決できない。歯が立たない。

 つまり、日本の最高の大学をトップで卒業しても、未来を切り開く創造力も解決力も展開力も無いことを示している。失われた10年だの15年だの、最近では失われた20年と言われている。これは、官僚が自分たちの責任をかわすために流行らせたずるい造語である。要は東大を含めた全大学の存在、あり方そのものが間違い。

 日本の教育の要は大学入試に集中している。大学に入学さえできれば、あとはきちんと授業を受け、教授の言うとおりに回答を書いていれば成績も良くなるし、ところてんで卒業もできる。そのため、子供のころから記憶ロボットよろしく、試験に合格するためだけの情報を記憶するテクニックを叩きこまれる。

 理解は必要無い。試験問題を理解し、解答できる最低限度の理解力が有ればよい。例えば、分数計算は初歩的な算数でありながら、医学部で分数の意味が分からない学生が多数存在するというとんでもないことが起こる。

 教育は多くの企業が参入する一大産業となっている。文部化科学省が塾の必要性を認めたことは、官僚の既得権を増大させる策であり、教育の敗北・荒廃である。文部科学省はせっせと企業ビジネスに適するような内容や入試方法に変更してゆく。

 若い世代を見ると、民主主義がなにかも理解できていない。社会人としての義務や責任なんてとてもとても。まずは自分を安全なところにおいて流れには逆らわず、いじめには加担する。村社会維持派である。これが教育の欠陥と言わず何なのか。

 例えば、カビの生えた知識を覚えるよりはあいさつの仕方を訓練し、あるいは家族の守り方、子供の育て方を教わった方がよほど本人にとっても社会にとっても役に立つ。

 安倍首相に要望したのは、大学の卒業条件の質と高さの見直し。国家ビジョンを作成し、日本のあるべき未来を明確にし、その実現のための教育目標を見直す。その条件を満たした大学生を卒業させるようにすべき。


北海道で娘をかばい凍死した父親 他人事には思えない

2013年03月04日 18時09分03秒 | 思考空間

 ニュースによると北海道では9人の方が今回の猛吹雪・積雪で亡くなったという。余程の雪だったのだろう。かつて、北海道の工場設備を受注して設置した経験もあり、当時、雪の積もり方も半端じゃない事を知り驚いた。発注企業は装置の設置を6月に指定した。6月以前では積雪で運搬が出来ないと言われた。確かに、4月ではまだ雪が積もっている。

 今回遭難した親子は、父親が片親で一人娘を育ててきたらしい。自分は犠牲になっても娘を守りたい気持ちは、同じ親として本当によくわかる。涙を禁じ得ない。幸い小さな娘さんは軽い凍傷で助かったらしいが、残念なのはお父さんがそのことを確認できなかったことだ。娘さんが助かった事が分かればさぞかし喜んだことだろう。

 ホワイトアウトは今回初めて聞いた単語で、雪が吹き付ける嵐にも北海道の人は慣れているのだろうが、それでも方向を失い遭難するのだから常識を超えた激しさだったのだろう。

 私のような南の人間が言うことでもないが、車で移動中周りが真っ白になって動けなくなった場合、携帯でSOSをだし、出来れば移動せずに車の中にとどまって頂きたい。排気管が詰まった場合は、一酸化炭素流入を避けるためエンジンを止めるのもやむを得ない。密閉空間にいれば、鉄板の中とは言え、数十時間はある程度の温度が保たれる。

 昔、原子力発電所で冬の海洋調査をしていた時、猛吹雪の中、船が座礁し、傾き始めた。風が強いので多くの人間が見守りながらも助けに行けない。すると、船から二人の人間が海に飛び込み、若い元気の良い男性が泳ぎ始めた。年配の男性は力なく、漂うだけ。若い男性は岸に着くと思われたが、途中で力尽きた。一方、年配の男性は漂いながら潮流で岸にたどり着いた。

 こここで得た教訓は冬の寒さがいかに体力を奪うかが思い知らされたことだ。冬の遭難時は、出来るだけ体力を温存しなければならない。じっとしているのは恐怖感が襲うものの、それが懸命。

 豪雪地域などでは今回の一連の凍死を繰り返さないため、思い切った対策を立ててはどうだろうか。例えば、全ての車に、①防寒具や小型発熱器の常備、②安価なナビ搭載、③携帯の予備バッテリー搭載、④四駆ディーゼル車への切り替え、⑤排気管の雪を除く小型スコップの搭載などである。

 ディーゼルへの切り替えはお勧めしたい。燃費がガソリン車より30%ぐらい向上することもあるが、今回問題になった一酸化炭素は格段に低下する(ゼロではないが極めて少ない)。つまり、エンジンを回して暖房する時間は30分長くなり、間違って排ガスが社内に漏れこんでも高濃度の一酸化炭素で満たされることはない。

 また、ディーゼル車は圧縮比が高いので高圧の排気を利用して雪を吹き飛ばす方法もあり得る(排気管とホースを接続する仕掛けを作ればベスト)。

 ディーゼル車はまたスパークプラグを使わないので、壊れにくく、信頼性が高い。国内ではガソリン車が高級との認識が強いが、ヨーロッパではすでにディーゼルが70%に達している。静粛で高性能なディーゼルが次々登場している。そろそろ、考え直してはいかがでしょうか?


日本人はいつから現在の日本人になったか 新たな歴史認識

2013年03月02日 22時29分47秒 | 思考空間

   ①現代の日本人の精神構造(メンタリティー)は主として江戸時代に形作られ、そのフレーム(大枠)が継続している。②歴史の教育において日本では現代史が脱落しており、日本人が日本、および自らを知る機会を失っている。③従って、歴史教育において江戸時代以降、とりわけ現代史を重要視すべきである・・・ことを記述する。

 若い歴史学者は是非研究して欲しいのだが、日本人はある時を境に大きく変化した。そのある時とは、徳川家康が大阪城を攻め落とし、天下をとった時を起点として日本人は変わり始めた。家康は徳川家の永続を図り、徳川家以外の大名以下武士、農民に至るまでの徹底した管理統制、資金・食糧・体力の消耗、能力や新たな力の抑制を徹底した。

 「侍は死ぬことと見つけたり」と自嘲気味に語られた。比較的恵まれていた大名や武士でさえ自由が無くがちがちに管理され、質素で厳しい生活を余儀なくされた。特に、徳川時代の上下関係は精神的な従属性を強いたことが特徴である。本来、精神面:心の中は自由であるはずだが、身も心も捧げることを良心に訴えたのだ。

 同じ封建制でも、日本とヨーロッパでは質が異なる。ヨーロッパでは上下が契約で結ばれ対等であったにもかかわらず、日本の封建制は身も心も全てを捧げ、従属するという、奴隷の変形のようなものだった。この、徳川の徹底した統率と管理が300年続いたおかげで、日本人は世界的にも極めてユニークなメンタリティーを持つに至った。

 ご存じのように日本は全方向を海で囲まれ、最も近い韓国との間も厳しい日本海の荒波がバリアとなって往来を妨げていた。このため、国内においては相対的な力関係が絶対的な支配体制となり易かった。徳川家康は日本全体の安泰を願ったのではなく、徳川家の永続のみが目的で、そのために下々の者だけでなく、大名にさえ多大な犠牲と忍耐、精神的従属性を強いた。

 余談だが、契約の概念はヨーロッパからきており、例え国王と騎士との間でも、全く対等である。国王でも契約に違反すると罰せられる。ところが、国内では何とか契約を結ぶ習慣は出来つつあるものの、政府(官僚)と国民は対等ではないし、発注側と受注側は対等ではない。例えば発注側の大企業が無茶をやっても受注側の中小企業は従わなければならない。問題点を指摘すれば締め出されてしまう。

 徳川時代以前では、日本人はもっとおおらかで、自然に笑っていた。我々は歌舞伎において徳川以前の日本人を知ることが出来る。古典的な歌舞伎では動作がゆったりとして、大げさで、時がゆるやかに流れる。文学などでもその差を知ることが出来るだろう。

 江戸時代を経て、日本人は周りを見ながら笑うべきかどうかを確認し、みんなが笑っているのを知った上で安心して笑うようになった。決して、自分だけ高らかに笑うなんてことはないのだ。つまり、笑いという自然の動作さえ、日本人は統制され管理されてきたのだ。

 家康のファンは多いし、徳川時代を評価する人が多い。江戸時代が長く平和な時代であったこともあるが、多分に現在の日本人の感覚と共通するところに起因すると思う。

 江戸時代の精神構造のフレーム=大枠が今に継続された大きな要因は、底辺からの市民レベルの革命や改革が無かったためである。明治維新や第二次世界大戦の敗戦は日本に大きな変革をもたらせたが、前者は武士階級、後者は進駐軍によってなされたものである。フランス革命やアメリカの独立戦争とは異なる。

 欧米や中国などでは現代史が重要視されていると聞く。日本の教育では、せいぜい明治時代ぐらいで終わってしまう。現代の日本や日本人と相関性の高いのは、最も近い歴史を分析する必要がある。然しながら、現代史が脱落しているため、何故今に至っているか理解できるはずがない。例えば、第二次世界大戦の記録や分析(「失敗の本質」、「日本人の意識構造」など)を読むと極限状態における赤裸々な日本人の思考、習性、挙動などを知ることが出来る。

 むしろ、アメリカや中国の方が日本の現代史を熱心に分析しており、肝心な(戦略的に重要な)日本や日本人の特性などについてはアメリカや中国の方が日本より詳しいという逆転現象が起きている。現状では日本は未来に向け負け続ける・

 聖徳太子や卑弥呼など昔の歴史を否定するわけではないが事実関係を検証しにくい古い歴史ほど、後世で都合よく作られていること(物語の類になっている場合も有る)を認識したうえで接する必要がある。古の歴史と現代史は別物であり、現代史の学習や研究を教育の場に作ることが日本発展の重要な要素である。


電力会社でのマイ技術開発史(世界初のマイコンの産業用制御を地方電力で導入)

2013年02月24日 11時37分36秒 | 思考空間

 私の開発のスタートは入社1年目、産業用としては世界で初めてのマイクロコンピュータを使った制御システムだった。1975年に入社し最初の配属先は火力発電所だった。大気汚染濃度を制御するため硫黄分の低い重油と高い重油をブレンドするブレンダーが他課(計装)で計画されていた。横河提案のアナログ方式で機器の組み合わせが複雑。失礼な話だが一目見てこれはダメだと思った。

 アナログ機器を複雑に組み合わせると精度や応答性に難点がある。私は新入社員にも拘らず、他課の業務に対して、実績のないマイコン(デジタル)方式を提案。

 以前、私がソフトに強いことを知った本店のある人から東芝のマイコン(マイクロコンピューター)のパンフレットを受け取っていた。私は即座に東芝に電話した。すると、東芝の部長(大橋さんだったか:実名を出して申し訳ない)が飛行機で合計2回来られた。新入社員の私に会うためだ。東芝によるとジェット機の制御には使われているが他には実績が無いとのこと。ジェット機の実績なら申し分ない。

 デジタル方式はプログラムで複雑で幅広い制御が簡単に実現できる。精度やレスポンスも良い。これだと思ったので、係長に申し出た。本店には重油燃料のブレンダーに関し、アナログ案と私の提案したデジタル案(マイコン)が出された。

 同じころ、発電所の公害などのデータ処理自動化が私の宿題になっていた。複数の担当が毎日シャープの単純な卓上計算機を利用しデータ処理、作表・管理していた。

 当初はミニコンピューターを発電所に設置する方式を考えた。色々検討したが、発電所でこの方面に強い人がおらず、提案すれば全部自分に来る可能性がある。これは大変。面倒見きれない。そこで、本店の計算機と発電所を結ぶ方式を検討し始めた。そこで、本店システム部に伺った。

 新入社員がデータ処理担当者を連れてシステム部に行くと、部屋にシステム部のトップクラスがずらりと並んだ。システム部は大変積極的だった。発電所で処理している業務説明やデータを求められ、私は十分理解していなかったので、橋渡しの役割となった。システム部は総合的なオンライン処理を計画した。

 本店大型コンピューターと発電所を通信で結び発電所に通信端末装置を設置する方式(オンライン処理)は国内では実績が無かったし、当時の原子力発電所にも無かったので国外でも無かっただろう。

 この通信端末装置の案と先のマイコンブレンダーの二つの案を新入社員が出すことになった。係長が手筈した。本店の副長から呼び出しがかかった。1日かかって説明し、議論したが、聞く耳を持たず、かみ合わず、けちょんけちょんだった。帰りの汽車の中で火力部の担当者から「無理だね」と言われ落胆した。

 係長に報告した。却下されず、購買部門に出された。係長は火力部長と個人的に親しかったので、検討をお願いしますと、こそっと言って頂いたようだ。

 何と、大逆転で、二つとも承認された。マイコンブレンダーは東芝が実績作りのために価格を下げたので(元々構成が単純)、実績が無かったにもかかわらず購買部門で購入を決めたのだ。当然東芝は全力で説明に努めたに違いない。一般の人には分からないが電力会社では実績のある物しか買わない。重要装置に関しては異例のことだった。

 その頃、火力部の副長が「副社長から事故を予想できないかと宿題を貰った」と係長を介して伝えてきた。私は早速、火力発電所の事故予想に取り掛かった。私は二つの方向からアプローチを始めた。一つは故障を含めた事故に関わるデータを集め、メーカーと連携して分析し傾向を掴むことだった。残り一つは、回転機の周波数を常時監視し、異常を検知する方法だった。故障データは修理伝票を集めるところから始まる。

 残念ながら、私が2年目に運転当直に異動となり、とん挫した。新入社員として私の果たした成果は大きかった。その後、マイコンブレンダーは他の発電所にも導入されコスト低減と信頼性向上を果たしたし、間違いなく全国の発電所に導入された。同じく通信端末装置は原子力にも導入された。全国の電力会社でもそうなっただろう。現在は、本店と通信を結ぶデータ処理用のオンラインが完璧に整備されているだろうが、そのスタートは1976年私のいた火力発電所だった。

 運転当直は深夜業務がある。私は夜8時頃は床につき、朝早く起きるリズム。深夜業務があるのなら絶対に電力会社を志望しなかった。元々、電力会社は学生時代から全く対象外(電力会社向けの単位は選択しなかった)だったが、父が入退院を繰り返し、母から1年もたないと手紙が来たため、最後の親孝行と思い、故郷でもない電力会社を受け合格してしまったのだ。

 火力発電所にはクラゲが大量に来襲し、発電の支障となっていた。発電機のタービンを回した蒸気をコンデンサーで冷却し水に戻すが、その冷却のため海水を使う。トラベルスクリーンが詰まるとコンデンサーに海水が行かなくなる。実際、クラゲで発電停止になる事故が起きた。

 発電所の人間は全員駆り出され、トラベルスクリーン(大きな格子状の回転網が取水入口で回転し大きなゴミをとる)の洗浄ピットのクラゲを器具ですくって地面にあげていた。毎日人海戦術で大変だった。私は自費でクラゲの本を買い、対策を考えた。トラベルスクリーンから出る水を「すのこ」のような分離機を通し、クラゲと水を分ける簡単な方式を当直長に提案した。

 早速試され、威力を発揮した。クラゲだけが分離されピットに入り、水中ポンプでクラゲを吸い込み廃棄する。水を分離しないとピットが溢れる。このポンプの考えは別の人が提案した。クラゲは殆ど水なのでポンプで吸えるのだ。これで人海戦術は解消された。

 私は会社アパートの最上階で、当時はクーラーが普及しておらず、屋根が焼けることもあり昼が寝られなかった。体調を崩し顔にはしわが出来た。転勤を希望した。ある人から父を介して、転勤を希望する者は転勤させないと伝えられた。そこで、当直にいたいと希望調書に書いたところ、第5志望の研究所に転勤となった。

 前もって、運転課長から生き物は好きかと聞かれていた。好きですと答えていた。何と発電所(特に原子力)温排水を研究するところだった。水理実験室建設が大きな目標だったので私は明けても暮れても設置するミニコンピュータ検討のため、メーカーを呼んでいた。メーカーが列をなしてやってきた。

 ある日、次長から呼ばれアワビの養殖(発電所の温排水有効利用)のことを聞かれた。私は全く答えられなかった。すると次長から、君の仕事はアワビとウナギの養殖だよと言われた。私の専門は半導体とかコンピュータソフトだったので、まるで専門外のところへ来たのだ。

 アワビ養殖向けに、データーロガーを製造した。データーロガーは発電所の中央制御室に数台設置されており、そのような記録装置を目指した。教科書知識と現物では異なり、温度計測一つとっても大変だった。熱電対センサーだけでは温度が計測できない。白金温度計でセンサーコード取付け端子の温度を測り、センサー部との温度差を足し算し解決。次に発電所内の稚貝養殖のためノイズが強く用紙に余計な印刷がなされる。フィルターを入れたりタイマーを入れたり、細かいところで苦労。

 発電所に設置に行き、ドアを開けた途端、現場の係長から2時間あまり一方的に怒鳴られた。入り口で立ったまま聞くしかなかった。研究所の上司には言えないことを新米の私にぶちまけたのだ。特攻隊上がり とかで行く度に怒鳴られ憂鬱だった。

 ウナギ養殖も助けてやってくれと言われても、何もわからない。発電所の養殖場に行くと関連会社の担当者から白い目で見られ、相手にしてもらえない。上司が予算取りしていた水質監視装置を養殖用に見直し設置し、課題となっていたシラス飼育槽の温度安定化に取り組んだ。蒸気を入れて加温しているが±1℃ぐらいの変動となっているので、シラス(稚魚)の歩留まりが悪いと告げられた。

 まず蒸気の量の確保のために上司と共に古巣の発電所に行くと所長の協力が得られない。火力部もOKを出さない。上司と共にピンポン玉のように発電所と火力部を往復し、何とか了解を得た。私は高度な制御方式を考えていたが、業者(社長)が制御方式では解決しないのではないかと言った。これがヒントになって、大きめの混合槽を設置することにした。記録を見ると全く温度変動の無い制御ができた。ところが、稚魚の歩留まりは改善しなかった。

 後に養殖は、抗生物質を大量に使用して歩留まりを上げているらしいと分かった。養殖のデータから各成長ステップや出荷の数量を予想するシミュレーションソフトを開発し、発表した。研究所所長から技術より、金銭的な支援をして欲しいとの課題が伝えられた。考えた末に、関係会社に水質監視装置のメンテナンスを十分実施してもらう事で、特命理由書を書いて通した。

 私は怖いもの知らずで、関連会社を通じたウナギかば焼きの販売を推進し、社内に売りまくった。ある日、発電所から電話が入り、ウナギをさばいてもらっていた発電所食堂のコックが包丁を足に落として怪我したから中止と伝えられた。

 養殖場の関係者との人間関係も極めて良好になった。ところが研究所新体制の副所長の社長直訴でウナギ養殖はアワビと共に中止となった。

ここまでは初歩の段階 続く!!


北方領土は2島返還 残り2島協議継続で良い

2013年02月22日 11時22分35秒 | 思考空間

 ロシア国民は一度獲得した領土を容易には手放さない。日本との経済協力に意欲を持つプーチンが大統領に復帰したことは北方領土返還を目指す上で、絶交のチャンスともいえる。最後のチャンスかもしれない。

 建前として4島返還の旗印を掲げ続けるのは良いが、あまり全島にこだわると何も帰ってこない。感情で突き進むナショナリズムは捨てなければならない。イルクーツク声明で2島返還をうたっており、今回森元首相とプーチン大統領の間でそのことを確認できた事は大きい。 

 安倍首相が次回訪問した際、確実に2島以上の返還について締結することが重要。3島返還の話も出ているが、ここは欲張らない。私は2島返還、残り2島はビザで日本人往来可能などの条件を獲得し継続協議で十分だと考える。

 歯舞色丹には長期間ロシア人が住んでいる。彼らの生活や安全を守らなければならないし、経済発展を進めなければならない。残りの2島はロシア人をして「成程、日本に返還したほうが良いのだな」と思わせるような経済実績、友好関係を実現させた上での事だろう。

 過去の記憶から日ソ不可侵条約の一方的な破棄と侵略などがあり、国内ではロシアに対する不信感が強い。双方が不信感を持っている状況では何事も進まない。実際的な交流を高めて、相乗効果を生む経済協力や文化創造ができないか。

 私は何よりも中国との関係が一触即発の状態に悪化し、韓国とも良好とは言えない中で、ロシアとの協力関係が前進することは、極めて戦略的な意味が大きいと思う。ミクロでカッカせず、マクロを見るべきだ。


世代が若返って良くなるわけではない

2013年02月08日 12時20分18秒 | 思考空間

 大リーグでイチロー、黒田、ダルビッシュなど、海外のサッカー界では香川、本田、長友をはじめ大勢の選手が活躍している。戦後の焼け跡で生まれた我々の世代ではありえなかったことで晴れがましいが、果たして若い世代に移って日本が発展できるのだろうか?私は懐疑的である。

 例えば、若い世代中心だった民主党。若いだけビジュアル的に美しいものの、自民党の悪いところを引き継ぎ、更に悪化させた。期待と失望の落差がこれほど大きな政党はなかっただろう。二度と民主党には投票したくない。

 実は平成18年以降、広島の民主党を支援し現職の衆議院議員やその後当選した候補(前回落選)にも会った。喋ることは当選のテクニックばかり、議員になって何をするかが全く無かった。民主党議員は選挙以外 全てにど素人で救い難い。日本を浮揚するどころかさらに転落させた。懸念を抱いていたがその懸念は当たってしまった。

 今年度、こころ自治会(若い人が多い)の副会長になった。仕事が忙しいので副会長を選び、会長に立候補する気などさらさら無い。会長希望者を募る中、誰も手を上げず、やっと銀行員と称する若手が申し出、自動的に会長になった。

 自治会の役員会に毎月出席して、驚いた。予算計画が全く出されない。重要なテーマが何も議論されない。最も多く出てきた話は誰かのスケートボードが紛失したので広報に掲載するかどうかなど。役員はなぜか60名以上で、喋るのは大半が顧問と会長、忙しい時間帯(私は土日も仕事している)でこんな話を聞かされたのではたまらない。

 様々な改革を提案(例えば予算をはじめ重要テーマの議論と決済、 透明性・情報開示・説明責任の実現など)したが、あんたの言うことがなぜ必要なのかわからないとの意見ばかりだった。「支出計画など出す必要ない、総会で承認を得たから良い」との言い分はすごい。総会資料は税理士に見せたが分からないというシロモノで、総会では説明もなく拍手を求めてしゃんしゃん。

 私が違和感を覚えたのは数百万円(やがて10百万円に達しようとしている)という多額の繰越金*があるのに総会でも何の説明もなかったこと。普通は総会できちんと説明して承認を求めるべきである。自治会の重要事項について誰が、いつ、何のため、どのように決定したか、副会長でさえ分からない。*顧問に会った時、質問で初めて第二集会場の建設費積立目的であることが分かった。本来会費を安くし、集会場への積み立ては議題を知らせた総会で承認をとるべきでしょう。

 少しでも改善しようと、やるだけやったが、非難ごうごうだったので手を引くことにした。もう一人の私が居合せたら、論理的に正しいことは断固支持する、少なくとも正しい議論の場を確保し、提案を検証するがそんな動きは全くない。時間の無駄だ。おかげでビジネスに専念できた。

 私は終戦間際の御前会議のことを紹介したい。アメリカが沖縄戦を勝利し、誰が考えても日本の負け。しかし一億玉砕を宣言し戦争を継続したため、原爆投下など、数十万人の貴重な命が失われた。まずは自分を安全な場所に置き、流れに逆らわないのも結構だが、日本人が滅亡しかけた。こころ自治会での羊集団役員会と御前会議は状況が異なるだけで同じ空気だ。

 振り返るに、大学紛争の中心メンバーは我々の世代(焼け跡で成長したフェニックス世代:FG:FhoenixGeneration)。おかしいことはおかしいとはっきり言うし、上司の命令でも簡単にはイエスと言わないので、評判が悪かった。ところが、FGが日本の高度成長の原動力となった。

 その後、大学紛争はピタッとなくなった。冷戦時代、学生運動が日米政府から不都合で抑え込まれたのと、世の中が恵まれて不満も減ったのだろう。このころのガキはマナーが悪かったね。新幹線で毎度必ずガキが通路を走り回り、わめき、うるさいこと。母親が叱らない。ま、このころのガキが日本の働き盛り。

 激しい学生運動はなくなり(良い事だが)、同時に覇気もなくなったね。男はなよなよして頼りない。逆に女性はお姫様になってこちらは元気になった。一体、イチローの活躍と我々が目にする若者とのギャップは何だろうか?言えることは職人的な分野で一部の若者が一流となったが、その他では力が相当落ちたということだろう。

 日本ではハード的なものが評価される構図は変わらない。職人気質もまさしくハード志向。今ではトヨタまでがおらが作る車が素晴らしい。素晴らしい車は売れると考えている。欧米や、最近では韓国も顧客のニーズに重点を置いており、売れるものを作る。日本とは逆。昔はトヨタも満足を売ると言っていた。企業哲学を喪失している。

 「今頃の若い者は」と我々もよく言われた。ただ、現在の若い者は明らかに大きな変化を感じる。私のボスだったS教授は学生の質が1ランク下がったと嘆いていたが、2ランクは下がっている。それだけじゃない。まともな議論ができない。現在の日本は問題だらけだが、彼らは問題のある状況をそのまま受け入れ、守ろうとする。見かけに反して保守的で頑固だ。

 日本人全体が劣化しているのを感じる。一言でいえば、日本人には論理が無い。とりわけ事務屋はご都合主義(場当たり、その場しのぎ)で無茶苦茶。だから正しく判断できない。その事務屋が、官僚でもわかるように、日本を支配している。権力者にとって都合のよい国民であり、従って国全体が発展しない。

 FGは野原を走り回り、喧嘩し、泥まみれになり鍛えられた。競争でもまれ少々ではへこたれない。みんなものすごく貧乏だったが夢はあったね。ハングリーで目が輝いていた。課題解決力を持っていた。

 日本人劣化の原因は、やはり、カビが生えたような役に立たない知識を詰め込んだのが良しとする記憶一辺倒の教育を徹底したことだろうね。数学でさえ暗記しないと高得点は得られない。発展途上国や変化のない時代なら知識も役に立つが、日本のように急激に環境や条件が変わり、世界のトップクラスに立ち、創造力や解決力を求められる中では役に立たない。

 教育は金儲けの巨大産業。どこの町にも立派な塾がある。(文部科学省が塾の必要性を認めた事は無能を認め敗北宣言したに等しい)スマホで情報が瞬時に入手できる時代に下らん知識を詰め込んでどうするん?まず人間として社会性を強調性を身につけるべきであり、教育で大切なことは、論理性であり、判断力ですよ。

 東大法学部官僚は今の旧式教育を死守しないと自分たちの地位が崩れる。ノスタルジアもある。そこで、社会の要求する条件とは合わない教育が未来永劫に維持され、日本は陥落の速度を速める。


体罰について考える

2013年01月24日 19時15分08秒 | 思考空間

 現役の教師と仰る方から体罰は必要ではないかとの趣旨で意見が来ていました。家庭学習をしてくれない生徒に対して、口頭で注意するだけでは効果がないとのこと。文面に悩みが滲んでいます。

 校長や教頭から成績に関して目標設定があり、尻を叩かれているんですかね。あるいは何とかクラスの成績を向上させたいとの真面目な思いでしょうか。

 結論として申し上げれば、教育に体罰は必要ないでしょう。確かに、体罰で強制的に勉強した生徒がいて、後に感謝されることがあるかもしれません。今時はそういう例が一般的とは思えません。

 私が出向して製造業を立ち上げていた時のこと、部下の課長から「新入社員が今まで親にも怒られたことがないのに何であんなのに叱られなければならんのかと言っています」との報告がありました。今はそんな時代です。

 もし、教師と生徒の間で信頼関係(特に生徒側が体罰を受けることを当然のことと受け入れている)が無ければ、体罰は生徒に大きな精神的ダメージを与えます。生徒に腹が立つのはごもっともだが、そんな時は、何故生徒が家庭学習をしないのか根本的なことを考えるべきでしょう。

 生徒によって理由は様々だが、面白いと思ったり魅力を感じれば、言わなくても自主的に勉強してくれる。有効な手は、特に出来の悪い生徒数人に来て貰い、叱らず意見をじっくり聞いてみることじゃないかな。

 教師が生徒に一方的に教えるんだとの考えは捨てたほうがよい。例え出来の悪い生徒であれ、接していると、人間という生き物やその精神状態など教師が教わることは多い。授業とは教師も謙虚に勉強する場所でもあるのだ。

 生徒を理解してやり、課題をゆっくりひも解いて、少しづつ解決して行く。教師と生徒が会話するだけでも生徒にとって大きなプラスになる。牛を水飲み場に連れて行く事はできるが、水を飲むかどうかは牛の意思。北風と太陽の話もある。

 焦らない。手っ取り早く、家庭学習させようとすると、論理が飛躍して体罰になる。

 先生方も昔と今では様変わりしている。先生が成績で選ばれるようになったため、勉強漬けで純粋培養されたようなタイプが多くなった。世の中を広く捉えることができないし、喧嘩したり野原を駆け回ったりした経験がない。そこで、たくさんのポケットの中から解決策を見つけることができない。知識や経験のないことに対応できない。自分の範疇にない相手を理解できない。

 若い先生方に参考になるかもしれない話を一つ。数十年ぶりに広島に帰り、同窓会に出席したところ、親しい友人でもあったが全学トップで入学したA氏は消息不明、悪ガキだったB氏は何と広島でも有名な貸衣装店を立ち上げ羽振りが良かった。社長が偉いかどうかは別にして、人間の価値は決して成績だけで決まるわけではない。

 この私も高校授業では後方に席を取り、漢文なんかは教科書を立てて寝ていた。気が付くと授業が終わり、ほとんどの者が出て行くところ。物理の授業では仲間とともに立たされた。しかし、ある時、これではいかんと猛勉強を始めた。大学院は多分トップで合格した。

追記:先生方に厳しいことを書いたかもしれない。弁護するなら、先生方は大変な時代になったと思う。一つは全体に学歴水準が上がり教師の相対的な地位が低下、昔の教師に対するような尊敬が失われている。

 もっと大変なのは、中央(文部科学省)にがちがちに管理されていることだろう。大学の教授も多く見てきたが、とにかく報告書作成や会議で忙しすぎる。また確かに化け物のような親(モンスターペアレント)が増えている状況もある。(文部科学省とはトラブル解決で連絡をとったことがあり、どうしようもない組織であることはよくわかる)

 確かに先生は大変なのだけど、友人の校長(以前)もこぼしていましたが、どこかで時間をとってお茶でも飲みながら問題児たちと話をするのも良いですよ。同じ高さで同じ平面で接することが大切。人間同士だから通じるところはある。父兄会でも率直な悩みを語ったらよい。心が通わないと何をやってもダメだろうね。

 私は高3の時、講堂で校長の話を聞きながら小さな紙をちぎって帽子の上にのせていたら、ある教師が大騒ぎし、まるで犯罪者のように皆が見ている前に引っ張り出された。わけが分からない。悔しくて担任の部屋で不覚にも涙を流してしまった。その時、担任がなだめるようにコーヒーを入れてくれたことを想い出す。