静 夜 思

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ベンガル地方の格言:『宗教という鈴は風の中で鳴る』 ≪ 宗教は富の集中に便利な方法 政治権力の強化に欠かせない燃料 ≫

2022-08-08 08:57:39 | 時評
💛【毎日】私が思う日本:プロトム・アロ紙(バングラデシュ) モンズルル・ハック東京支局長 抜粋
* 地球上の自然を支配する「チカラ」ではない<あらゆる人為的超越者の存在も教えも受け入れない>私はいわゆる【宗教】と無縁だが、信じる人の自由は否定しない。
 その立場から『宗教と政治の関係』を私は常にみている。引用するハック氏がイスラム教徒であるか否かに関係なく、氏の言葉は傾聴に値するので、ご紹介したい。
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・宗教は昔から人々を秩序に従わせる強力なツールであっただけでなく、富を集中させる便利な方法でもあった。その証拠に寺院や教会、聖廟(せいびょう)といった神聖な
 場所にはきらびやかな世界が広がっている。富は政治権力を強化するのに欠かせない燃料でもある。だからこそ宗教施設は市民の運命を決める政治的な中心地となった。

・近代民主主義は宗教を否定しているわけではない。むしろ、宗教を受け入れ、互いに干渉しないことを目指している。そのためには宗教と政治の間に明確な区分が必要だ。
 民主主義を採用する今日の先進国の多くはこの原則を憲法で保障している。多くの途上国もそれを手本とし、同様の考え方を実践しようとしている。しかし、憲法の条文は
 解釈次第で宗教と政治的行為が混在する余地が残されている。宗教団体は社会組織を装って政治の中心に入り込み、社会の政治的潮流に影響力を容易に行使できる。
  ⇒ 旧統一教会のみならず、神道系の諸団体、創価学会などの活動も、この視点からみれば、どうなのか?

日本国憲法20条は宗教と国家機能の分離を明確に規定しており、曲解の余地はない。この条文は信教の自由を保障する一方、第3項で「国及びその機関は、宗教教育その他
 いかなる宗教的活動もしてはならない」とうたい、両者を隔てる壁を明記した。ただ、この原則がどう実践されるかはまた別の話である。

 信仰の自由はどんな社会であっても妨害してはならない概念だ。だが、その自由を宗教団体や政治家たちがどう用いているのかについては、精査する必要がある。
  ⇒「国及びその機関」に政党は含まれるのか? 国の直接的機関ではない「宗教的活動」を行う団体なら、政治資金援助や選挙応援を受けても良いのか?

★ バングラを含むベンガル地方には「宗教という鈴は風の中で鳴る」という古い格言がある。
   宗教とは人々の心の奥底にある大切なもので、干渉したり別の目的のために利用したりするのは、風で鳴る鈴を止めるようなものだ、という意味である。

☆ 重要なのは、その鈴が権力者や影響力を持つ者の庇護(ひご)を受けて、いっそう大きな音で鳴ることがないようにすることだ。
  安倍元首相の悲しい事件は、政治と宗教の癒着という厳しい現実を思い出させてくれた。     【訳・金子淳】
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