▼ 【火論】山手線の人々=玉木研二 https://mainichi.jp/articles/20180724/ddm/003/070/112000c?fm=mnm
・ <先週100歳で亡くなった脚本家・橋本忍さんは山手線で人間観察をした。「七人の侍」で共同執筆した黒澤明監督の綿密な人物像ノートに仰天したのがきっかけ。自分流のやり方を
考えた。>
・ <まず反対側座席や周辺のつり革の人々を見る。「カメラを据えられる顔」と「据えても意味のない顔」がある。そして、カメラの枠の中で精彩を発揮する顔は徹底的に観察し、
体つきも覚える。その人の置かれた状況、喜怒哀楽を想定し、降りた駅では改札口までついて行って後ろ姿が消えるまで見送り、心の奥でシャッターを切る……。
累計60~70人になった。この人々の像は「貯蔵」され、脚本に生きるのである。>
・ <人物描写のこまやかさは作品に共通している。例えば、1958年10月31日、ラジオ東京テレビ(現TBS)がBC級戦犯の悲劇を90分余のドラマにして放映した
「私は貝になりたい」。橋本さんが脚本を手がけ、翌年は自ら監督した映画も公開された。>
⇒ 私は未だ少年だったが、皇太子(=現平成天皇)成婚を前に買ったばかりのテレビで観た此のドラマは鮮烈に覚えている。近所には満州に抑留された人、女性であることを隠そうと
丸刈りで朝鮮半島から逃げ帰った婦人たち、B級もしくはC級戦犯にされ帰国の送れた人達が居たし、繁華街には、傷痍軍人と呼ばれる元兵士の松葉杖姿は消えていなかった。
それらの記憶が薄っすらながらも確かに残っていたあの頃、フランキー堺の名演は心を打った。「社長漫遊記」でのコメディアンやジャズ・ドラマーだけがフランキー堺ではない。
あれは涙無しに視ることのできない不朽の名作であり、子供心にも、国の命令で戦地に送られた挙句、理不尽な罪に問われる「不条理」の不気味さは「個人とクニの関係性」という
得体の知れないモノを私に焼き付けた。個人の生活が国家主義の犠牲になった時代を知らない戦後生まれだが、この衝撃は私の抱く<国家観><個人と集団観><民主政治意識>に
根本的な影響を与え、今までの人生を律してきた。 同世代あるいは少し年長世代の方々も似たような受止めをされたのではないだろうか?
しかるに、である。其の世代が退く今、後から生まれ育った現役世代の動かす現在、”個人がクニに呑み込まれる不条理”は消えたと言えるか?
集団協調主義が学校教育の場で相も変わらず教えられ、個人よりも国家が大事だ、といわんばかりの風潮がじわじわ醸成されているではないか!
不条理に抗わず、国民が「私は貝になりたい」と声を挙げずにいてくれるクニ、そんな方向へ向かいつつあるのではなかろうか? 若しそうなら、敗戦で日本人は何を学んだのか?
・ <先週100歳で亡くなった脚本家・橋本忍さんは山手線で人間観察をした。「七人の侍」で共同執筆した黒澤明監督の綿密な人物像ノートに仰天したのがきっかけ。自分流のやり方を
考えた。>
・ <まず反対側座席や周辺のつり革の人々を見る。「カメラを据えられる顔」と「据えても意味のない顔」がある。そして、カメラの枠の中で精彩を発揮する顔は徹底的に観察し、
体つきも覚える。その人の置かれた状況、喜怒哀楽を想定し、降りた駅では改札口までついて行って後ろ姿が消えるまで見送り、心の奥でシャッターを切る……。
累計60~70人になった。この人々の像は「貯蔵」され、脚本に生きるのである。>
・ <人物描写のこまやかさは作品に共通している。例えば、1958年10月31日、ラジオ東京テレビ(現TBS)がBC級戦犯の悲劇を90分余のドラマにして放映した
「私は貝になりたい」。橋本さんが脚本を手がけ、翌年は自ら監督した映画も公開された。>
⇒ 私は未だ少年だったが、皇太子(=現平成天皇)成婚を前に買ったばかりのテレビで観た此のドラマは鮮烈に覚えている。近所には満州に抑留された人、女性であることを隠そうと
丸刈りで朝鮮半島から逃げ帰った婦人たち、B級もしくはC級戦犯にされ帰国の送れた人達が居たし、繁華街には、傷痍軍人と呼ばれる元兵士の松葉杖姿は消えていなかった。
それらの記憶が薄っすらながらも確かに残っていたあの頃、フランキー堺の名演は心を打った。「社長漫遊記」でのコメディアンやジャズ・ドラマーだけがフランキー堺ではない。
あれは涙無しに視ることのできない不朽の名作であり、子供心にも、国の命令で戦地に送られた挙句、理不尽な罪に問われる「不条理」の不気味さは「個人とクニの関係性」という
得体の知れないモノを私に焼き付けた。個人の生活が国家主義の犠牲になった時代を知らない戦後生まれだが、この衝撃は私の抱く<国家観><個人と集団観><民主政治意識>に
根本的な影響を与え、今までの人生を律してきた。 同世代あるいは少し年長世代の方々も似たような受止めをされたのではないだろうか?
しかるに、である。其の世代が退く今、後から生まれ育った現役世代の動かす現在、”個人がクニに呑み込まれる不条理”は消えたと言えるか?
集団協調主義が学校教育の場で相も変わらず教えられ、個人よりも国家が大事だ、といわんばかりの風潮がじわじわ醸成されているではないか!
不条理に抗わず、国民が「私は貝になりたい」と声を挙げずにいてくれるクニ、そんな方向へ向かいつつあるのではなかろうか? 若しそうなら、敗戦で日本人は何を学んだのか?