静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 明治近代通史の観点から 府県区割りの再編を ≫  もう『管理コスト/一極集中弊害』からではなく 人口減少対応としての自治体広域再編へ 

2018-06-20 15:55:04 | 時評
(A) 日本を「四洲」に再編せよ 東京一極時代と決別へ:川勝平太<静岡県知事>      
              https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20180619/pol/00m/010/009000c
(B) 「廃県置州」で日本に活力を 佐々木信夫氏<中央大学名誉教授(行政学>https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31938220Z10C18A6KE8000/?n_cid=NMAIL007


 昨日(6/19)、奇しくも私は是枝監督の言葉に端を発し、根強い中央集権統治を志向する政治家の体質が50年前の五輪から今に至るまで少しも変わっていないことを指摘した。
今日紹介する2本の寄稿記事は、人口減少という日本の抱える最も大きな変化にどう対処するかという視点から、明治維新の「廃藩置県」このかた何も変えて来なかった行政単位再編の必要性を説くものである。 ← 言うまでもなく、自治体再編と中央集権機構の是正は表裏一体。だから歴代政府は触りたくなかったのだ。。

出生率低下だけでなく、実は東京一極集中の弊害こそが人口減少を加速・悪化させてきた。この現実は「地方再生」だとか「ムラ興し/町興し」のコツコツ努力の集積で解決できる限度を、もうとっくに超えているのではないか。 『アリ地獄の穴のような東京の存在』そのものを物理的に変えない限り、日本の未来はないという認識。これが二人に共通する指摘の基盤であり、従来の広域行政制度論や「道州制」議論のスケールを上回る大胆な行政区画刷新案だ。  是非、本文記事を読まれたい。

さて、そこで抵抗勢力は誰か? 言わずと知れた首都圏居住者及び霞ヶ関に関連する官民全ての人々だろう。「中央官庁として、或は本社として握っている権限は手放したくない」「予算も人員も地方に分散したら自分の支配力が減るから」といったエゴフィーリングが首都移転や自治体再編を阻む真の抵抗心理だが、実はそれよりも素朴で頑強に首都圏の役人/近郊住まいサラリーマンの抵抗を支えるのが 家族を含めた≪便利さへの固執≫感情だと私は睨んでいる。  こちらこそが本丸だろう。
即ち・・・文化的香りから離れたくない  交通至便だから  田舎と違って何でも直ぐ手に入る  たまには良いが毎日囲まれたいほどの自然派ではないから  都落ち感覚は嫌!・・・

 だが、もう人口減少対策から誰も逃げられない。これは誤魔化さない解決策を求める課題だ。何十年も先送りしてきたツケが目の前の、本日の現実なのだから、そんな個人レベルの感情などを「忖度」して居る余裕は誰にもない。 『東京は人を吸い込む蟻地獄である』  川勝知事、じつにうまい事を言うね。 
 手をこまねいてると、日本そのものが此の巨大な穴に呑み込まれるぞ!  ひょっとして、此の危機感ドライヴの方が、中央集権体質是正にも近道かもしれないな・・・・。
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≪ 是枝監督の「小さな物語」志向 ≫   中央集権で大きな政府でなければならないほど  もう日本は脆弱ではない  

2018-06-19 09:01:47 | 時評
▼ 【毎日】火論:「小さな物語」から=玉木研二 https://mainichi.jp/articles/20180619/ddm/003/070/101000c?fm=mnm
・ カンヌ映画祭で最高賞を得た「万引き家族」は、文部科学相の「祝意」の招きを是枝裕和(これえだひろかず)監督(56)が辞退し、歴史の反省に立って公権力と距離を置くと
  したことから賛否の論議が起こった。
・ 作品が文化庁の助成を受けながら、矛盾しているというのが批判である。だが文化芸術振興を趣旨とする助成と、監督の信条や意見とは別であり、林芳正文科相も「助成をしているから
  といって義務や制約がかかるものではない」と認めた。是枝監督は助成に謝意を示している。
  
 ⇒ <ここで是枝監督の言葉に思い当たる。映画監督にできるのは「国家」や「国益」とかいう「大きな物語」に対し、多様な「小さな物語」を発信し続けることだという>。
   これは映画監督に限らず、およそ芸術表現に携わる者すべてにとり大切な姿勢だろう。文筆を含め芸術表現は特定の対象の為に表すものではなく、人間全般の心に向けて発信する、
   それは古今東西変わるものではない。「特定の対象」には支持団体に限らず、国家という抽象概念も当然ながら入る。だから、是枝監督の姿勢を私は尊く思う。


<検閲が撤廃されたはずの戦後も、時折その気配がする。例えば、64年大会のドキュメンタリー映画「東京オリンピック」(市川崑(こん)監督)は、選手らの不安と葛藤の内面まで映し、レース沿道の表情などもとらえ、いわば人間と街の「小さな物語」の集積とも見えるが、五輪担当相の不興を買った。国家が成し遂げた大事業を記録した「大きな物語」を見たかったのだろう>。
・・・私はこのような裏話があったことを知らなかった。 御存じの方がどれほど居ただろう? 東京五輪は新幹線開業と共に≪敗戦の屈辱を雪ぐ≫意味合いで当時のリーダーが推進した。
   当時の五輪担当大臣(=河野一郎=河野太郎外相の祖父)には「小さな物語」など邪魔でしかなく、志気を貶めるとさえ映っていただろう。 このフィーリング・心情こそが
   日本会議に代表される思想=”国家第一主義”なのである。

 『選手らの不安と葛藤の内面まで映し、レース沿道の表情などもとらえ、いわば人間と街の「小さな物語」の集積とも見えるが、五輪担当相の不興を買った』
 この下り、「国家事業としての2020東京オリンピックの成功を!」スローガンと通じるものが色濃くある。  貴方は そう感じませんか?

 所与の条件として(自給自足は出来ず、自力では存立できない国)である運命を今後も背負う日本。”一等国/大国”の夢は周囲を犠牲にする上でしか果たせない、しかもそれは続かないことは明治以降の日本近代史で証明済だ。 <強国/大国ではなく、尊敬され外国から人がやってきて住みたくなる国>を目指す方がよほど身の丈に合っている。 そう思いませんか? 
 中央集権でなければ国がまとまらない、そんな段階はもう過ぎてしまったのに、未だに固執する人々が居る。それを無意識でも助長しているのが国民の「官尊民卑」風潮で、それは「男尊女卑」の持続と裏腹な関係にある。 <強国/大国ではなく、尊敬され外国から人がやってきて住みたくなる国>を目指す方がよほど身の丈に合っている。
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≪ 再び: ネット社会における『交信の礼儀』 ≫  (A) 不特定多数へのSNS発信 vs (B)個人に向けたメール発信への応答  若い人は勘違してない?

2018-06-18 20:46:02 | トーク・ネットTalk Net
▼ 以前も似たテーマで取り上げた記憶がある。 その動機は、親しくなった若い世代の人が頻繁にFacebook には近況をコマ目にアップする一方で、自分が曲がりなりにも所属を決めた
  サークルへの応答、そして其のサークルを紹介した当事者たる私からの問い合わせにも「即時」には応答しないことからだった。  
 無論、老いた自分とは違い現役で働いているのだから時間がままならない、それは承知だが、少なくとも受信していることは想像されるので、「何か異変でも起きたのか?または事故にでも遭ったのか?」などなど、即答しない心理が読めないので、煩わされるのだ。 だから、相手の誠意を疑うのでなければ、あとは安否を疑うしかなくなる。

☆ <自分の都合の良い時間に返信すればいい、或は、返答内容が固まるまでは答える必要はない>と考え電話/メール問わず即答しない人種は昔から居た。今に始まったのではない。
  だが、電子メールの存在しない郵便オンリーの時代なら上に述べた(思惑/てごこころ/様子見戦術/気まま)は郵便送達に要する時間の長さと不安定さに紛れて許された。
  誰も即答返信なしを今ほど不審には思わなかった。 

ここまできて、私はやっと、というべきか気づいた。 ラインとかフェイスブックといった交信アプリにどっぷり日常が浸かった世代にとり、自分が不特定多数に向かい発信するのは、
恐らく親しい知人からのコメントしか期待しないし、其の反応には時間制限など無論ない。だが、自分がいち個人として相手(個人ひとり、またはサークル複数人)に発信するメール電文は、「チャーオ!/ご機嫌伺い」「「楽しかったね/美味しかったねぇ~」の類の内容では必ずしもない。 にもかかわらず、不特定多数向けの発信についたクセそのままでやっている?

いやいや、此の解釈も甘い?  だとすれば、葉書や手紙ではない媒体での発信に対する 返信の不可解な遅延/ブランク。これを私はどう整理したらいいのだろう?   教えて!
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≪ 報道すべてにモノ申したい ≫  途中経過の実況中継は 劇場型報道/政治を助長するので要らない!  節目ごとのポイントで充分だ 

2018-06-18 19:55:23 | トーク・ネットTalk Net
 今日の大阪北部地震といい、今に始まったことではないが、ニュース報道のスタイルが「即時性」の美名のもと、視聴している側には全く時間の無駄でしかない<途中経過の刻時中継>が
 大手を振って報道各社を貫いている。NHKも例外ではない。いや寧ろ、全国ネットワークの優位とコマーシャル時間の無いメリットを生かし、NHKこそがまさに『刻時・実況中継』の
 先鋒を担っている。 それを公共放送の使命だとも確信しているに違いない。  本当にそうか???  事実/数字だけを淡々と流す、それが何故いけないのだい?

 台風/大豪雨、巨大地震の発生したあとの余震や二次災害に関する警告や情報提供を、全国の視聴者が同時に得るニーズはあるか?といえば無い。
 まさか≪全国の皆さんが共に悲哀を分かち合って・・・・≫というNHK的情動的・ナショナリスト情勢が此の底辺に流れちゃいまいか??
 一旦起きた自然災害の事実報道のあと、被害状況は刻刻変わる。 それをリアルタイムで逐次知るニーズが国民の一体何割にあるのか? 被災地に親族/知人などが居る場合、今は個人で安否確認も出来るので、いちいちニュース方で逐時フォローは不要。 実際、私も今日は関西に住む何人化の知り合いに安否確認を出したが、報道の逐時報道の恩恵は何もなかった。
 そう考えると、事実が固まったあとでまとめて報告した方が正確を期せる。 その方が誠実だ、そう貴方は思わないか?  余った時間を分析・解析に回せよ。

 此の<逐一実況中継>が真に存在意義を持つのは、スポーツ中継、式典中継ぐらいではないか?  加えるなら、国会審議の中継か。あれは失言や暴言、戯言・珍言、与党のまやかし答弁をナマで伝える効果においては、有権者への啓蒙的教育効果があろう。 だから、私は国会審議中継こそ止めて欲しくないどころか、会期中は終日でも放送して欲しい。
 
 そりゃ、可愛いキャスターやイケメンがヘルメットを被り被災地傍から慌てた口調で被災状況等を喋るのは聞いていて悪くない。が、ダラダラ24時間流す必要がどこまであるのか?  
 暇な無職高齢者しかTVなど視ちゃいない、という分析に立つマーケティング手法でもあるのは重々承知だ。  だが、それはメディアで糧を得ている諸君が尤も唾棄すべき筈の
「劇場型報道/劇場型政治」に直結し、助長している。    そこが何故 未だに解らないのだね、君たちは????
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≪ フィナンシャル・タイムズ論説に学ぶ ≫   曰く「どんなに拙い指導者でも 弾劾ではなく選挙で対決を」  日本の野党は頭を使え

2018-06-18 12:27:50 | 時評
★ [FT]弾劾より選挙で対決を https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31809910V10C18A6TCR000/?n_cid=NMAIL007

 これはアメリカの民主党がトランプ大統領の弾劾追及戦術ではなく、飽くまでも次の議会選挙や大統領選挙での勝利を目指し、結果として再選阻止を実現する方向に動いたことを
 好意的に評価する論説である。
  評価する背景として挙げるのは、弾劾が実際に行われた二つの事例<ニクソン、クリントン>において、結局のところ共和党と民主党の間に遺恨を残し、且つ民意を分断する苦い記憶を
 もつからだという。

 トランプの場合、ご承知のように熱狂的な支持層は今も衰えず、其の傾向はトランプの失政/公約不実行やスキャンダルが幾ら出ようとも変化せぬどころか、却って世論の分断を悪化させ
 かねないとの観測から、、たとえ弾劾手続や”ロシアゲート疑惑捜査”が合法的であっても、合法がゆえにトランプ支持層は増々敵意を強めることになり、それは国益に反することだと
 判断したのだろう、と言う。
 
日本には議会での弾劾制度はない。周知のように不信任案提出しかない。だが、あれは時間の無駄であるばかりか、野党にとって何もプラスはなく、負のイメージしか生まない。 
 やはり、<与党が提出した法案のここがよくないから反対するのだ、だからこういう与党には任せられない、次の選挙では絶対多数など有権者は与えないで欲しい>と根気強く訴えるしかない。 改憲論議だって、9条改正反対だけでなく、他に改正すべき論点はこちらだ、とぶっつけない限り有権者は振り向いてくれないぞ。


<「法に基づく秩序」とは16年の米大統領選の前に多くの国が重視していた価値観で、民主主義国家である以上に法制度を重視する米国にこそ最もよく当てはまるからだ。今のポピュリズム(大衆迎合主義)熱を冷ます方法はその逆(法律を使わずに実現させること)だ。選挙で選ばれたトランプ氏には、やはり選挙で立ち向かわなければならない>。

 日本も大衆迎合・劇場型政治になってから10年は経つ。独裁専制政治はゴメンだ。そう思い、健全な代議制民主主義を守る為には、やはり選挙しか手段はないのだ、ということを野党は言い続けなければならない。   ≪ 与党の政策の何が具体的にいけないからやめさせよう ≫という中身が国民には見えてこないから 野党は勝てないのだ。
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