静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 海賊版業者にも『言論の自由はある』だって? ≫  笑わせるな  ヘイトスピーチ擁護論と同じだね

2018-06-22 20:33:21 | トーク・ネットTalk Net
▼ 海賊版サイト遮断に期待と懸念 法整備の議論始動 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32099920S8A620C1000000/?n_cid=NMAIL007
・ <コンテンツ海外流通促進機構の推計によると、3サイトによる著作権者側の被害額は2017年9月から18年2月までで4000億円以上。漫画本や電子書籍の売り上げも鈍化している
  出版業界は、政府の対応を歓迎するコメントを発表した。>
・ <これに対し、法学者やネット接続業者(プロバイダー)の業界団体などは「憲法違反だ」と強く反発した。サイト名を挙げて遮断を求めることが「検閲」に当たるうえ、 
 「表現の自由」を侵害していると主張。利用者が問題のサイトに接続したかどうかを逐一監視することは「通信の秘密」に抵触すると訴えた。>

 著作権概念を巡っては先般から、舞台や録音・録画でもない、素人音楽教室での使用にさえ著作権料ロイヤルティー支払いを求める訴訟が出ており、物議を醸している。
 然し、海賊版と呼ばれる違法な複製・コピーは此の話題とは次元の違う明らかな「盗み」でしかない。  プロヴァイダー業界団体は「盗み」と解りながら擁護するのか?
 
 物品強行犯ではない分類での「盗み」とは、創作した人/団体が投じた知的ノウハウ・時間とコストに正当な対価を払うことなく、無断で利用した利益を得ることを指す行為だ。
 これに関わる行為を取り締まるのに、どこをどうひねくり回せば、<検閲>とか<表現の自由>といった概念が対峙し得るのだ? 

 海賊版を作り流す行為は「盗作」を作るのと、知的努力の片鱗すら無い点において決定的に違う「盗み」でしかない。盗みの犯人の名を公表し、二度と流させないようにブロック
 するのは刑事犯罪では当然だが、なぜ<検閲>とか<表現の自由>に抵触すると弁護士は屁理屈をこね、依頼人から金儲けをするのだい?  正気か、業界団体お抱え弁護士は? 
 そこまでして儲けたいか?

 ヘイトスピーチを巡る奇妙な弁護/憲法違反論とよく似てるね?  差別を助長する「悪」であるヘイトスピーチ行為に「自由の尊重」を適用する必要は全くない。
 <殺さず/盗まず/差別せず>・・この最低限の人権を破る「悪」は、<~の自由>といった言い訳が介入を許されぬ「絶対悪」なのだ。
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≪ 大阪・高槻ブロック塀倒壊後の事実開示に想う ≫  市長/市教委/校長など 包み隠さず経緯を話す  何故、国政レベルで同じ率直さがでないのか?

2018-06-22 19:57:07 | 時評
 去る月曜日(6/18)発生した地震で高槻市立寿栄小学校のプール傍のブロック塀が倒れ、偶然そこを通りかかった女児が亡くなった。 まさに人生誰にも等しく潜む<運・不運>を絵に描いたような出来事で、言葉がない。 言い古された表現だが”人生一寸先は闇”を浪花節のセリフではなく、具体的に人々に突きつけたわけだ。然も、それが僅か10年しか此の世に生きて来なかった人間にも起る、・・・ここが辛すぎる。

 さて、私が一連の報道を通覧して、一種爽やかな驚きを以て感じ始めたことがある。それは、安全検査の杜撰さが次第に白日の下に明らかにされる流れが、余りにも早く鮮やかで、高槻市関連の人々に誰も隠したり誤魔化したりする気配が見られないことだ。  開示しているのは、全て市長以下・関係者全員に不利益なことばかりなのに、である。
 建築基準に違反する工事が行われたこと、それを発見すべき検査がいい加減だったこと、安全への疑念提起がなされた後の市役所のチェック能力が無かったこと、これら全てが実に正直に・赤裸々にメディアの前に出てくる。 ここまでの素直さは、どうだ! 

此の姿は、国会で連日有権者が見せられてきた「嘘つき野郎どもの猿芝居」「モラル・良心の崩壊」と対比する時、落差が余りにも大きく悲しい。<ミス・チョンボは誰にでもある。
だが、それを隠さず、握りつぶさず、上位職の誰かを守る為にシラを切り通すなどしない、正直に事実を開示する>この姿勢を貫く良心/倫理を中央の政治家と公務員が持っているか、
否かなのだ。

 高槻市と同じような爽やかさは「加計学園獣医学部新設を巡る忖度疑惑」において、愛媛県知事が見せている真っ当な姿勢にも通じる。愛媛県知事の政党的立場がどうであれ、彼はごく当たり前の常識と良識、そして人の上に立つリーダーの良心を捨てては居ない。 ”日本社会は良識を失ってきた”とは先日紹介した片山虎之助氏の言だが、私は地方に垣間見える良心/良識の発露に救われる思いがしてきた。 
 ”甘いよ”と言う声は耳元で聞こえなくもない。 だが、≪テレビを消したくなるような政治≫にうんざりし、あきらめの境地に陥り始めた有権者の一人として、せめて地方の良識が、
  国会議員を送り出す地方選挙区でじわじわと浸透して欲しいと願うばかりだ。 

 老いた我々は嘆いている内に世を去る。 だが、若い人々は此の醜悪な 良心崩壊の世の中が変わらず続くなら、あと何十年も 日本に誇りをもって生きられるのだろうか?
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