静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

【 弔辞を捧ぐ 】    早逝の学友を悼む・・・

2017-06-26 21:10:28 | トーク・ネットTalk Net
★ 九州旅日記を続けようと思っていた矢先、訃報が突如届いた! ここで私的な弔辞を掲げるのは本コラムの趣旨と相容れないが、読者の殆んどが近似世代だろう
  との勝手な推測に立ち、誰にでも起きる出来事だから、と敢えて私的顛末を取り上げる愚を侵させて戴く。  諸兄/諸姉のご寛恕を賜りたい。

* 姿を消した友を実名からKと呼ぶ。 Kとは中学が違うが高校2年で同じクラスになり、以後、社会人になったあとも仲良くつづいた。
  <好き嫌いに理由などない>の原則通り、趣味が同じでもないのに気が合った。 唯一の接点といえばKはギターを爪弾き、フォークソングを一緒にがなった
  こと。 尤も、これは60年代後半では当たり前の光景。 全国どこにでもありふれた、というべきか。

* Kは北海道大学に進んだ。私は気楽な仲間4名と当時全盛のユースホステルを跨る4週間の旅に出た。で、知床五湖の傍に泊まった日のこと。皆で近くの小川に
  猿股一丁で入り、冷たいせせらぎに歓喜の声を上げた。・・ところが、不覚にも私だけが風邪をひき、ぶっ倒れたのだ!  嗚呼、何としたことか・・・?

 仲間は予定コース通り行くも、私は高熱を発し札幌でK君の下宿に文字通り転がり込んだ。恐らく3~4日はKが授業にでたあと、ひたすら布団にくるまり時をやり過ごしたと思う。 北大の学食で粥をすすりながら、当時の「砂川闘争」について熱い議論を吹っ掛けあった。

◆ K君は何を思ったか北大を出たあと、司法試験を受けるといって某私大に学士編入し、試験に合格。これは正直いって驚きだった。然も、私を含む多くの大卒が実業界に出たほぼ同じ時期に、法曹界に生きる生活を選んだのだから、そこにどういう思いが在ったのか、今となっては確かめるすべも無い。
  K君、君はあの時の選択、そして今までそれが天職だったんだね?

☆ その後の互いの人生について語るのは月並みに過ぎ、誰も嬉しくない。これは誰であれ、同じこと。でも、会うたび嬉しさは互いの顔に満ちていた。
  だから、私はどういう経緯でK君が命を終えたのか知らぬまま、それは問わず、
  <ま、お互い様々なことが去来したんだよな> の一言で締めくくりたい。。。。。             【 合掌 】
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