2023.04.29. 毎日【土記】昭和ぎらい=伊藤智永 (専門編集委員)
・会話の中に「昭和っぽいね」という言い方が出てくると、相づちを打つ人たちも含めて、否定的な語感が強くなった。以前はレトロな趣味にほほえむニュアンスだったのが、
うっとうしいものを迷惑がる感じ。うなずき合う目配せに、冷笑すら浮かんでいる。気づいたのは、元号が令和に改まった頃からだったか。
以来「昭和っぽい」と言った人、同調する人にその場で各人の昭和イメージを尋ねることにしている。
・冷笑の多くは30~40代。平成の世に10年以上の社会経験を積んだ世代だ。昭和世代を「いい気なもんだよ」と突き放している。複数の言い分をまとめれば、こうなる。
高度経済成長で頑張ったんだろうけど、結局はバブルでダメにした人たち。何かにつけ夢を持て、努力だ、権力に物申せって言う。高度成長だって実は外国の戦争や貧困の
おかげでもあったのに、自分たちは歴史上もまれな幸運に恵まれたという自覚が薄い。
<昭和は長すぎた。初めの20年は戦争と原爆。次の20年は復興と成長。残りの20年は欲望と狂乱。騒々しかった冒険劇の幕が下りると同時に、すべては崩壊した。
平成は無責任な宴の後始末を押しつけられた上に、説教と自慢を聞かされる。原発も少子高齢化も地方消滅も巨額財政赤字も全部、昭和の負債処理じゃないか>。
★ 2000年代初め、昭和30、40年代が「日本が一番元気で人々も温かかった時代」としてブームになった。きっかけは東京タワー建設時の東京を舞台にした映画
「ALWAYS 三丁目の夕日」(05年)のヒット。安倍晋三元首相が大好きで、第1次政権(06~07年)を前に出した著書「美しい国へ」で絶賛。
第2次政権でも「取り戻すべき日本」の理想だった。 ← だから昭和回帰にすがりつく世代は投票所へ足を運ぶが・・平成世代に”取り戻したい日本”は無い
メディア文化を研究する日高勝之立命館大学教授の著書「昭和ノスタルジアとは何か」(14年)によると、無邪気に礼賛したのは東京育ちの言論人たちで、映画や
NHKテレビ番組「プロジェクトX」などには、日本型システムへの批判性が読み取れるという。だとしても「戦後の昭和」で思い浮かぶのは、今やバブル経済だ。
その後、新自由主義という自己責任論で就職氷河の谷に投げ込まれた平成世代にすれば、昭和趣味は総じて根拠なき自己肯定感に浸っている、としか見えない。
◎ 昭和は戦争とバブルで二度まで自壊した。国を作り直せなければ、ここにはいられない。なのに昭和がいつまでも立ち塞がる。
それも昭和っぽい。今日は昭和を顧み、国を思う日。
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私が20代だった頃、居酒屋で20歳くらい上の先輩が『馬鹿な世代が阿呆な戦争を仕掛けたせいで、俺たちは戦中戦後どれだけひもじく情けない青春時代を送ったか・・』と
杯を投げんばかりに怒っていた顔が浮かぶ。それを聞く自分は外地と言う名の植民地から引き揚げた両親に生まれ、戦中戦後を10代で送り生き残った人や予科練帰りが教師と成った学校で過ごし、長じては両親たちの次世代を会社の先輩に仰いだ。そんな私に(昭和ぎらい)は無かった。いや、最初の20年を除き、昭和の真っただ中を生きたので、あとから振り返り嫌う対象とはならかっただけだ。
「好き嫌い」ではなく、私には昭和が「取り戻したい国の姿」ではない、これだけはハッキリ言える。伊藤氏のいうように【国を作り直せなければ、ここにはいられない】。
言うまでも無く、作り直すのであり、復古再生させるのでは断じてない筈だ。時計の針を戻しても何も生れはしない。
★ 国を作り直すのは(昭和ぎらい)の世代であり、退場する我々ではない。 間違えるな! 昭和は規範とすべきロールモデルではない!
・会話の中に「昭和っぽいね」という言い方が出てくると、相づちを打つ人たちも含めて、否定的な語感が強くなった。以前はレトロな趣味にほほえむニュアンスだったのが、
うっとうしいものを迷惑がる感じ。うなずき合う目配せに、冷笑すら浮かんでいる。気づいたのは、元号が令和に改まった頃からだったか。
以来「昭和っぽい」と言った人、同調する人にその場で各人の昭和イメージを尋ねることにしている。
・冷笑の多くは30~40代。平成の世に10年以上の社会経験を積んだ世代だ。昭和世代を「いい気なもんだよ」と突き放している。複数の言い分をまとめれば、こうなる。
高度経済成長で頑張ったんだろうけど、結局はバブルでダメにした人たち。何かにつけ夢を持て、努力だ、権力に物申せって言う。高度成長だって実は外国の戦争や貧困の
おかげでもあったのに、自分たちは歴史上もまれな幸運に恵まれたという自覚が薄い。
<昭和は長すぎた。初めの20年は戦争と原爆。次の20年は復興と成長。残りの20年は欲望と狂乱。騒々しかった冒険劇の幕が下りると同時に、すべては崩壊した。
平成は無責任な宴の後始末を押しつけられた上に、説教と自慢を聞かされる。原発も少子高齢化も地方消滅も巨額財政赤字も全部、昭和の負債処理じゃないか>。
★ 2000年代初め、昭和30、40年代が「日本が一番元気で人々も温かかった時代」としてブームになった。きっかけは東京タワー建設時の東京を舞台にした映画
「ALWAYS 三丁目の夕日」(05年)のヒット。安倍晋三元首相が大好きで、第1次政権(06~07年)を前に出した著書「美しい国へ」で絶賛。
第2次政権でも「取り戻すべき日本」の理想だった。 ← だから昭和回帰にすがりつく世代は投票所へ足を運ぶが・・平成世代に”取り戻したい日本”は無い
メディア文化を研究する日高勝之立命館大学教授の著書「昭和ノスタルジアとは何か」(14年)によると、無邪気に礼賛したのは東京育ちの言論人たちで、映画や
NHKテレビ番組「プロジェクトX」などには、日本型システムへの批判性が読み取れるという。だとしても「戦後の昭和」で思い浮かぶのは、今やバブル経済だ。
その後、新自由主義という自己責任論で就職氷河の谷に投げ込まれた平成世代にすれば、昭和趣味は総じて根拠なき自己肯定感に浸っている、としか見えない。
◎ 昭和は戦争とバブルで二度まで自壊した。国を作り直せなければ、ここにはいられない。なのに昭和がいつまでも立ち塞がる。
それも昭和っぽい。今日は昭和を顧み、国を思う日。
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私が20代だった頃、居酒屋で20歳くらい上の先輩が『馬鹿な世代が阿呆な戦争を仕掛けたせいで、俺たちは戦中戦後どれだけひもじく情けない青春時代を送ったか・・』と
杯を投げんばかりに怒っていた顔が浮かぶ。それを聞く自分は外地と言う名の植民地から引き揚げた両親に生まれ、戦中戦後を10代で送り生き残った人や予科練帰りが教師と成った学校で過ごし、長じては両親たちの次世代を会社の先輩に仰いだ。そんな私に(昭和ぎらい)は無かった。いや、最初の20年を除き、昭和の真っただ中を生きたので、あとから振り返り嫌う対象とはならかっただけだ。
「好き嫌い」ではなく、私には昭和が「取り戻したい国の姿」ではない、これだけはハッキリ言える。伊藤氏のいうように【国を作り直せなければ、ここにはいられない】。
言うまでも無く、作り直すのであり、復古再生させるのでは断じてない筈だ。時計の針を戻しても何も生れはしない。
★ 国を作り直すのは(昭和ぎらい)の世代であり、退場する我々ではない。 間違えるな! 昭和は規範とすべきロールモデルではない!
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