💛:「今」を「大切」に生きる=志賀内泰弘 ≪毎日:抜粋転載≫
しがない・やすひろ
1959年、名古屋市生まれ。地元の金融機関で働いた後、作家に転身。人情話シリーズ「京都祇園もも吉庵のあまから帖」(PHP文庫)や「人生にエールを。はげまし、はげまされ」(リベラル社)など著書多数。
<「ある時」から口癖のようになったセリフがある。それは、「明日、死んじゃうかもしれないから」というものだ。これを耳にしたほとんどの人に、眉をひそめられる。
その「ある時から」とは、35歳の時にかかった大病のことだ。難病指定の潰瘍性大腸炎。医師からは「50歳まで生きられないかも」と言われた(現在61歳です)。
生死をさまよったことで、人生観が変わってしまった。「死」というものが間近に感じられた。すると逆に、「生きる」ことを強く意識するようになった。以来、私は
「明日、死んじゃうかもしれないから」と口にしては、周りの人からあきれられるようになった。>
← 死がチラつく大病をしない限り、35歳で此の境地には辿り着かない。他方で≪人生100年時代!≫に踊らされ、70/80を過ぎても此の境地と無縁な人が殆ど。・・それが現代我々の浅ましさだ。
* <ところが、である。ある出来事を境にして「明日、死んじゃうかもしれないから・・そうだよなぁ」と言う人が多くなった。そう、東日本大震災だ。何の罪もない多くの「命」が一瞬にして
奪われた。きっと、「死」は案外近くにあるのかもしれないと意識したのに違いない。しかし、時はそんな心も風化させる。年月を経て、再び「嫌なこと言うなよ」と嫌な顔をされるようになった。
* そこへ、新型コロナウイルスの流行だ。急に、身近な人たちの反応が変わって来た。「本当に明日死んじゃうかもしれないもんなあ」と言う人も。>
◆ 病気をすると幸せになれる……というのが私の持論だ。なぜなら、やりたいことを先延ばしせず、「今」という時間を大切に「生きる」ようになるからだ。
そう思うと、このコロナ禍からも気づき、学べることがある。
← これは日本の≪人生100年時代!≫の白々しい掛け声を嗤う言葉だ。浄土に逃げる大乗仏教の反省に立つ禅宗が、昔から説くところ。老いも若きも等しく、学びたい。
しがない・やすひろ
1959年、名古屋市生まれ。地元の金融機関で働いた後、作家に転身。人情話シリーズ「京都祇園もも吉庵のあまから帖」(PHP文庫)や「人生にエールを。はげまし、はげまされ」(リベラル社)など著書多数。
<「ある時」から口癖のようになったセリフがある。それは、「明日、死んじゃうかもしれないから」というものだ。これを耳にしたほとんどの人に、眉をひそめられる。
その「ある時から」とは、35歳の時にかかった大病のことだ。難病指定の潰瘍性大腸炎。医師からは「50歳まで生きられないかも」と言われた(現在61歳です)。
生死をさまよったことで、人生観が変わってしまった。「死」というものが間近に感じられた。すると逆に、「生きる」ことを強く意識するようになった。以来、私は
「明日、死んじゃうかもしれないから」と口にしては、周りの人からあきれられるようになった。>
← 死がチラつく大病をしない限り、35歳で此の境地には辿り着かない。他方で≪人生100年時代!≫に踊らされ、70/80を過ぎても此の境地と無縁な人が殆ど。・・それが現代我々の浅ましさだ。
* <ところが、である。ある出来事を境にして「明日、死んじゃうかもしれないから・・そうだよなぁ」と言う人が多くなった。そう、東日本大震災だ。何の罪もない多くの「命」が一瞬にして
奪われた。きっと、「死」は案外近くにあるのかもしれないと意識したのに違いない。しかし、時はそんな心も風化させる。年月を経て、再び「嫌なこと言うなよ」と嫌な顔をされるようになった。
* そこへ、新型コロナウイルスの流行だ。急に、身近な人たちの反応が変わって来た。「本当に明日死んじゃうかもしれないもんなあ」と言う人も。>
◆ 病気をすると幸せになれる……というのが私の持論だ。なぜなら、やりたいことを先延ばしせず、「今」という時間を大切に「生きる」ようになるからだ。
そう思うと、このコロナ禍からも気づき、学べることがある。
← これは日本の≪人生100年時代!≫の白々しい掛け声を嗤う言葉だ。浄土に逃げる大乗仏教の反省に立つ禅宗が、昔から説くところ。老いも若きも等しく、学びたい。
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