静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

【書評165-1】汽水       反 逆 す る 風 景       辺見 庸 著    講談社    1995年5月 第2刷

2022-12-03 08:48:58 | 書評
 本書は【書評164】で紹介した「もの食う人びと」(1994年刊行)の続編もしくは発展形か、とタイトルから単純に想像したが、全部がそうではなかった。
    I. 反逆する風景  II. 増殖する記憶  III. 汽水はなぜもの狂おしいのか  IV. 幻夜雑記  V. 観覧車のある風景

 目次は上のとおりだが「もの食う人びと」と深く重なるのは<I. 反逆する風景>だけであり、III. 以外は全て旅の回想や半ば自伝である。1995年というと著者は51歳。
自伝めいたものを書くに51はチト早い? ・・・いや、それほど過酷な体験をした証であろうか? などと己を振り返る。 
 今回は「もの食う人びと」で足を踏み入れた国々の記憶を更に昇華させたと理解できる<III. 汽水はなぜもの狂おしいのか>から印象に残る考察をとりあげる。
何故なら、III.で辺見氏が感じていた事が、あまりにも見事に約30年後の現在と繋がるからだ。

「汽水」とは、塩水と淡水が交わる水域に漂う不思議な「水」のことだが、著者は、ソ連崩壊直後に見られた米露間の異様な交流を挙げ、それを「汽水」に例える。
 ・米第六艦隊と旧ソ連の黒海艦隊の合同演習@地中海 ・CIAを退職した対テロ・コンサル会社経営の人物が、KGB防諜部門責任者を雇い、新ロシア連邦内にスパイ網を
 ・ベーカー国務長官が旧ソ連の核弾頭設計部署を訪れ就職先斡旋を講演 ・ホーチミン市でベトナム帰還元米兵と元ベトコン戦士が仲良くマラソン大会で走った

「汽水の流れは統合を目指す西欧と解体化し通ある東欧の間にも音もなく流れ、難民を呼び込み、またネオナチを誘い狂おしいまでに元気づけるかもしれない」
著者はなんと1995年、既にソ連崩壊後の世界の大混乱を予感していたのだ! 93年の日本帰国後、著者は共同通信社のデスクで毎夜入ってくる外電を読みながら、
じかに見てきたロシア社会の変貌・混乱、アメリカの振る舞いなどを横目に、自分では「妄想じみている」と感じつつも、虚実の反転を直観していた。


 ≪ いま世界の汽水に集うものたちは、不意の浸透圧変化に絶え得るのだろうか?耐えられず、いつかは海のものは海へ、川のモノは川へ還りはしないか? ≫
 ≪ 世界が虚構を奪っている。汽水に生じている現実のほうが(私のを含む)凡百のフィクションより、よほどフィクションめいて見えてくる≫


★ 辺見氏が「もの食う人びと」 「反逆する風景」を世に問うた頃、私はアメリカに住みながら、世界の変化が意味するものに何も気づかなかった。忸怩たる想いだ。

* 著者の予感は国境を跨ぐ突撃ジャーナリストとして氏が培ったセンスだ。当時も今も、このような感覚で情勢判断できる人物はメディアそして外交官・政治家に居るか??
 ソ連解体からロシアが今に至る道を辿ったプーチンの20年。其の変貌の萌芽を辺見氏は既に91年頃のモスクワ取材で見つけている。それは『ファシストのいる風景』
 と題された1節で、III. に含まれている。 これはまさしく炯眼と呼ぶに値するロシア社会洞察で、こんにちのロシア&ロシア人を理解するのに欠かせないと確信する。
   著者が「汽水」と形容した不可思議でネガティブな予感と分析は、遺憾だが当たってしまった。 そこを次回は見ておきたい。       < つづく >
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