静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 言葉の解釈変更は恣意的にして良いのか? ≫   日本語の曖昧さを悪用し わざと曖昧に作られる法律文言

2020-05-19 19:19:44 | トーク・ネットTalk Net
検察庁法解釈変更 菅官房長官「周知必要なかった」
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20200519/k00/00m/010/103000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20200519
<菅氏は法解釈変更の周知の必要性について「国民生活への影響を踏まえ、必要に応じて周知が行われることがあるが、
一概には答えられない」と説明した上で、今回の検察庁法などの解釈変更については「周知の必要はなかった
」と述べた。>

皆さん、この説明を読み・・「え? 何を言ってるの、此の人は?」と驚いたのは私だけだろうか?  勝手に変更したうえ、周知の必要もないだって?

≪そもそも法律の文章/語句は誰が呼んでも理解が異ならないよう配慮を尽くし吟味した作文であらねばならない。是は、言語/政治体制/民族文化に関係なく共通した法治国家なら自明の理だ≫と私は信じてきたからだ。 
 ところが日本では、今回の公務員定年に関する検察官処遇に限らず、昔から同種の(読み替え)が平然と為政者により行われている。 それが官僚作文だ。
大きなテーマでは「憲法と集団的自衛権行使容認」に関する歴代政権の解釈変更がある。

では、どうして日本ではこのような<解釈変更>自体が大手を振ってまかり通るのか?  この疑問への答えは簡単。 インド・ヨーロッパ語族にくらべ厳密な論理構成には不向きな日本語の特性を悪用し、語義追求を最初からかわす意図で法令条文が作成されているからに他ならない! ← これを【融通無碍】と日本人は尊ぶ。
 例えば「~等」という時の「等」。これは後から想定してなかった事物が出現しても含めるか含めないかの裁量幅を担保する為だ。 公務員の方ならご存知の筈。


こういう曖昧さをフレキシブルに使うことに慣れているのは官僚だけではなくビジネスマンにも多い。ビジネスが日本国内だけで完結していた時代は是でも何とかなったが、外国人と契約交渉にさしかった途端、お人好しにも外国人にも通じる筈と使う【融通無碍】は、曖昧さを逆手に取られるネタを外国人に与えてしまい、
不利な結果をもたらす。 或は、定義を厳格に突き詰めなかった損を負わされる始末となる。 ← 日本に居る官僚には夢にも想像できまい。
 海外生産を親会社・取引先に求められ、仕方なくおっかなびっくりで出た中小企業は殆んどが此の失敗を侵し、痛い目に遭っている。 

私は現役のコンサルタント時代に嫌と言うほど此の日本語弊害を目撃してきた。 美しい日本語も、文藝以外の世界では、実に哀しく脆い言語なのである。

だが、日本語の曖昧さで被る商売上の損は、まだ国家の進路を官僚作文の悪用で誤る愚かさに比べたら遥かにマシなのだ。
国民は、毎日使う日本語が秘める曖昧さの弊害を意識し(文藝以外では)言葉の定義をしつこく追い求める習慣を身に着けよう!
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≪ 検察庁法案 今国会採決見送り ≫   民衆は浮かれるな!  SNS発信力をを過信するな!  もう一度考えよう:<司法権 vs 行政権>

2020-05-19 09:17:11 | 時評
【火論】「脱法政権」と民衆の怒り=大治朋子
https://mainichi.jp/articles/20200519/ddm/002/070/070000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=column&cx_mdate=20200519
 透明性の高い議論を 検察も信頼得る努力必要
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59247330Y0A510C2PP8000/?n_cid=NMAIL007_20200519_A
【1】 <この怒りの潮流を見て思い起こしたのは2011年に中東で起きた民主化要求運動「アラブの春」だ。独裁政権に声を上げられないまま抑圧され続けた
  民衆が、いわば最後のとりでとしてソーシャルメディアに結集し、その声が著名人や有力者、既存メディアに波及。巨大な火だるまとなってチュニジアや
  エジプトの独裁政権を破壊した。>    <実際、安倍政権の独裁的政治手法には、中東のそれに近いものさえ感じる。>
・ <しかしこれを一時的な現象にとどめたくない。怒りのうねりが政治を突き動かすという民主主義の当然の実践を、新たな生活様式、「ニューノーマル」
  (新常態)に育てたい。 そのためにも改正案は見送りにとどまらず、定年延長の特例規定を削除するなど、徹底した見直しが必要だ。>
 ← 大治氏

 今も昔も、多くの代議制(非専制)国家で民衆が政権の強圧的手法を思いとどまらせ、覆す有力な行動は街頭のデモ行進や大規模集会だが、近年は伝統的なアピール参加者がしぼむ替わり、ソーシャルメディアでの意見発信や批判が侮れなくなった。自民党が資金力を生かして若年層への働きかけをするのも、其の発信力が無視できなくなった証左。  
 が、在来手段に馴染まずSNS発信に親しむ世代は、今回の結果を以て己惚れてはならない。ヴァーチャル空間ではなく、現実の時空で直接語る&叫ぶ声のチカラで政治に参加する事こそが、本来の意味で≪民衆(=デモス)の声≫に基礎を置くデモクラシー(=民衆支配)の根本である。これはITが幾ら発達しようが同じだ。
人間がロボットに置き換わり、生身の生き物でなくなればデモ行進ではなく、ヴァーチャル空間での発信が政治参画の唯一の手段となろうが、そんな日は来ない。。


【2】 <検察庁は行政機関の一つでありつつ「準司法機関」とも呼ばれる。検察官は起訴権限を独占し、政治家の不正を捜査し逮捕・起訴できる。
  (然し今回の)特例規定は政権に都合のいい幹部をとどめ不都合な人は辞めさせる余地を生みかねないからだ。> ← 此の具体例を国民は既に知っている!
   ← 日銀総裁に黒田氏を起用し、”アベノミクス”路線に沿わせた。 内閣法制局長官に外務省官僚を据え「憲法上の集団自衛権解釈」変更を強行した。


・ <元検察幹部の間には、10年に発覚した大阪地検特捜部の検事による証拠改ざん事件*を取り上げ、「事件で検察の信用が失墜し、大型の汚職事件などの
  捜査には慎重だった」との声が根強い。独立性や中立性を主張するには、検察庁が国民の信頼を得られるだけの十分な役割を果たすことが欠かせない。
    *← 2009年の「凛野会」事件における村木厚子(当時:厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部企画課長)冤罪事件である。

* 広島高検では河井(前)法相夫妻の選挙違反買収容疑捜査が立件へ向け進行中だ。今回の法案化見送りで、検察が独立性&中立性を発揮し、信頼を強める
  為の基盤は整った。 
これを機に国民は、憲法の『三権分立原則』に照らし、行政が司法を支配するのをどこまで許すべきか? を考える時期である。
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