静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

食彩のパイオニア # 01

2014-06-27 12:12:45 | 旅行
 “食彩のパイオニア(開拓者)”とは、或る食文化内に定着した食材の範囲内で味や調理の工夫を追究するよりは、味の幅と調理法のヴァリエーション探しを異文化の食材まで拡げ、(食彩=食のいろどり)を追い求める人を指す私の造語である。
 例えば、魚介類をナマ食する習慣がない文化に生きてきた人が刺身や握り鮨を食べてみる経験。その人は食彩の辺境を拡げたことになるが、仮にその人気が高まり、同じ文化圏で食べる人口が増え、習慣として定着するならば、もはや刺し身や握り鮨は「奇食・珍食」でなくなる。他方、同じ文化圏でローストビーフは好きでも魚のナマ食に馴染めない人にとって刺身は永遠に珍食・奇食のままであり、食彩も辺境も存在しない。

さて、食のいろどりの探求が何よりもフトコロ具合と深く結びついていることは周知のとおりだ。王侯貴族だけが幅広く食の贅を尽くすことのできた各国の食文化発展史を見れば容易に肯ける。それはフランスや中国ばかりでなく、日本も同じである。 
日本では上流階級が食した物を「上手(じょうて)」と呼び、それに対し庶民が慢性的食糧不足または戦争或いは飢饉等の非常時に際し、食べられるものなら何でも口にした対象も含め「下手(げて)」と称した。「ゲテモノ」とはここからきた言葉であり、「ゲテモノ食い」と嫌悪軽蔑する心理は、非常時の忌まわしい記憶と、何時の世も消えることのない階級意識が相俟つ偏見のなすものである。

人が何を食べ、何を食べないのか。その選択に潜む謎を、人類の産業発展史から宗教戒律形成への織り込みをも視野に含む、社会学的研究で取り組んだ文化人類学者マーヴィン・ハリスに「食と文化の謎」(板橋作美(訳)岩波現代文庫)がある。関心の有る方にはお薦めしたい。《著者は基督教文化圏に身を置くゆえ轟々たる異端批判を浴びたが、唯物論的視点の誇張を除けば、宗教的バイアスのない者には至極まとも且つ真面目な著述だと私には思える》。

次に、食の伝播は地理的距離ではなく、寧ろ文化の洗練度及び国力の強弱と結びつくものであるだけに、その時々で異文化間の優劣意識が食彩探求を左右する事実も否めない。階級的優越意識に加え政治的な力関係も異なる食文化に対する偏見を助け、食彩の豊かさを求める動きを妨げてきたのは万国共通である。それは皮肉にも、経済のグローバル化と科学文明の恩恵浸透がここまで進んだのに、この偏見ゆえ、決して食文化の伝統が今も地球から消滅しないことの証左でもある。              《 つづく 》    
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いま靖国から # 17&18  < 英雄か、逃亡兵か/朝鮮戦争の特攻 >

2014-06-27 10:11:50 | トーク・ネットTalk Net
 #17 は#16 と同じく特攻兵慰霊に潜む誤魔化しの悲惨な事例である。ダブルので昨日は投稿しなかった。

 #18 は、話題転じて戦後の大韓民国誕生時の空軍創設に、生き残った旧日本軍の飛行兵たちが中核的幹部となった事実をめぐる特攻評価の変遷である。それをまとめたのは<韓国「ハンギョレ新聞」の吉倫亨(ギルユンヒョン)記者(37>。彼は、<日韓併合100年(2010年)特集で朝鮮人のBC級戦犯、サハリン残留民、特攻隊員を取り上げた。特攻の悲劇はとりわけ心に重く後を引き、韓国人遺族や生き残り兵たちの戦後を取材して一昨年「私は朝鮮人カミカゼだ」という本にまとめた(未訳)>。

 <本を書いたのは、朝鮮人特攻兵を「個人の出世のため民族を裏切った親日派」と決めつける韓国社会の矛盾を指摘したかったからだ>。<死者は「進んで天皇陛下万歳を叫んだ裏切り者」、生存者は「建国の英雄」。独立回復と朝鮮戦争が、軍の「親日派」を免罪した>。
 <日本の特攻評価とて大差ない。戦時中の「軍神」が、敗戦で「特攻崩れ」に暗転し、高度経済成長の後は「愛する国と人々に命をささげた至純の若者」へ少なくとも二転している>伊藤記者。

 この矛盾極まりないことが皮肉にも両国で起きている。これこそが<靖国精神の根幹である「愛国」や「祖国のための死」という価値観は、国際情勢や時の思潮、世相の移ろいで、はかなく揺れる。民族やナショナリズムという軸は、思いの外もろい>何よりの証左だ。伊藤記者の視点に同意する。どうか、最近の安倍政権による武力行使ゴリ押しの背景に潜む愛国心強調のもろさに若い読者は想いを致して欲しい。

 #18 の最後のパラグラフは深刻だ。<新しい発見もあった。朝鮮戦争で特攻が行われていたというのだ。空軍機が戦闘中「被弾した。今から敵に体当たりする。後は頼む」と無線で言い残し、脱出手段があるのにあえて使わず、自爆死した公式記録が10件も見つかった。半数は旧日本軍出身、残りは未経験者だ。吉記者は「パイロットは貴重だったから生還した方が役立つのに、特攻こそ愛国、という思考が受け継がれていたのでは」とみる>。
 天皇はいない。作戦も命令もない。日本人でもない。それでも戦士たちは、特攻をした。これは何なのだろう? 戦う動物としての本能? どう解釈すればよいのか?
 
 私がひとつハッキリさせたいのは「だから祖国の為に突撃するのは人間に普遍の美だ」などと誰にも言わせてはいけない、ということだ。
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