(© 文春オンライン 大江千里さん)

① ""大江千里が語った「日本でのキャリアを捨て、ジャズミュージシャンを目指した本当の理由」""
速水 健朗,おぐらりゅうじ,大江 千里 2018/09/16 11:00
① ニューアルバム『Boys & Girls』で、かつてのヒット曲『格好悪いふられ方』などをピアノ・ソロでセルフカバーした大江千里さん(58)。47歳でジャズを本格的に学び始め、いかにポップスのリズムが身に染み付いているかを痛感し、四苦八苦したという。大江さんが、ジャズミュージシャンへと転身した10年の日々から学んだこととは?( #1 から続く)
② もしニューヨークへ戻ることがあれば、その時は永住
☆ 速水 ニューヨークにいると、日本とは違う音楽的な影響は受けますか?
☆彡 大江 ニューヨークは音楽に限らず、生活をエンターテインメントとしてどう切り取るかっていうのが根付いてるんです。まだアメリカへ行ったばかりの頃、向こうで知り合った友達に連れて行かれて驚いたのは、クラブなんですが体育館みたいなところにアフロアメリカンの人たちが500人ぐらいいて、音楽がガンガンにかかってる。それも今まで僕が聞いたことないようなアップビートとグルーブで。そこで音楽を楽しんだり友達になったり、恋人を探したりする人までいる。純粋な欲望が音楽と絡まっているんです。それに人種ごとにクラブや曜日が分かれてて、意外にもあまり互いに交わらない。合衆国なのにって、かなりびっくりしました。
★ おぐら 街中でブロックパーティーがあったりとか、生活とカルチャーの結びつきが強いですよね。
☆彡 大江 ブロックパーティーなんて、街中が風船でいっぱいで、いきなり車道や駐車場でバーベキューもはじめちゃうし、ラブもはじめちゃう。それを警察が止めるっていうね。だから僕は、日本で何年間も一生懸命組み立ててきた世界観がガラガラと崩れ落ちるのを、その時はっきりと認識したんです。ここには根源的なものが普通に存在するって。そのことを本能では理解してるんだけど、ここに巻き込まれちゃうと、僕が日本で培ってきたものがどんどん崩壊するという危機感もありました。ここにいたい気持ちと、いちゃいけない気持ちがせめぎ合うような。
☆ 速水 それでしばらくは日本と行ったり来たりをするようになると。
☆彡 大江 当時あくまで自分のリアリティは日本にあるわけで。これ以上ニューヨークにいちゃいけない、日本で腰を据えて、自分の勝負する場所に向けてしっかり曲を書かなきゃって。それでアパートも引き払って、タクシーで空港に向かったんです。そして最後に、クイーンズに渡る橋の真ん中で後ろを振り返ったら、いつも通りのニューヨークのマンハッタンですよ。エンパイアとかクライスラーとか。僕なんかが一人いなくなっても痛くもかゆくもないような、いつもと変わらぬ街がそこにあった。本心ではニューヨークにすごく魅せられていたので「もう二度とこの街には戻らない」「僕は日本でやるんだ」と心で敢えて唱えました。でももし万が一将来戻るようなことがあれば、その時は永住だなって思ったの。
③ この中に一人だけジャズを知らない人がいる
★ おぐら 著書 『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』 (KADOKAWA)によると、ジャズの学校に入学を申し込む時の自己推薦文に〈僕がそちらの学校で学ばせていただく機会を得た暁には〉〈ナンシー・ウィルソンさんが、再びポップチャートでベスト10に入るようなジャズの新たなスタンダードを書くことができると思います。僕にはその力があります〉と書いたって。
☆彡 大江 書きましたね。当時の素直な気持ちです。ただ、それで入ったはいいけども、実際は全然ダメでした。
★ おぐら 入学してみて、自分がジャズを知らなかったことを、初めて知ったと。
☆彡 大江 はい。何も知らないし、何もできなかった。同級生たちとちょっとしたセッションをやるだけで、僕がピアノを弾くと「すみません。この中に一人だけジャズを知らない人がいるせいで、気持ち悪くて弾けないんですけど」って。それで、パッと弾くのをやめて「僕です」って。
☆ 速水 それは日本人だから? それとも、ポップスが染み付いているから?
☆彡 大江 ポップスですね。要はリズムです。音譜の切り取り方、そしてコード感、フレーズ、あらゆる点がジャズではなかった。
★ おぐら その圧倒的に打ちのめされる経験は、やっぱりショックでしたか? それとも、ワクワクというか、気持ちよかった?
☆彡 大江 いや、もうパラドックスでいうと、気持ちいいですよ。だって居場所がまったくないわけですから。
④ 「君は歌手でしょ。譜面は必要ない」
☆ 速水 そこからどうやって克服していくんですか?
☆彡 大江 学校がつけてくれるプライベートティーチャーに教えてもらったり、あとは色んなジャンルの家庭教師に習いに行って、違った角度からひたすら聞いて覚えるしかない。とにかく教わりました。耳コピしたものを譜面に書いて持っていくと「君は歌手でしょ。歌がドミナント(得意)な訳だから歌って覚えればいい。譜面は必要ない」とかね。
☆ 速水 素人目には、ジャズってフィーリングが大切なのかと思いきや、完全に理論なんですね。
☆彡 大江 ある意味、ものすごい理論です。もともと僕は文系だけど、ジャズには算数とか数学的な公式が詰まってる。もちろん、日本人というのもありました。こちらは母親が「お酒はぬるめの~燗がいい~♪」なんて歌いながら煮物や酢の物を作っているのを見て育っているわけで。揺れもノリも、何もかもが違っていた。そのうえ英語もできないんだから。
★ おぐら 学校内でのセッションが盛んで、腕のいい生徒になると、いろんな生徒たちから「セッションしてくれ」って声がかかるのに、千里さんにはまったく声がかからなかったとか。
☆彡 大江 うん、最初のほうはまったく。1年経ったぐらいでようやく「千里に入ってほしい」と言われるようになって、「ほんとに? やった!」っていう。
☆ 速水 日本では横浜スタジアムでコンサートをやっていたのに、落差がすごいですよ。
★ おぐら 日本で有名なポップシンガーだっていうのは、生徒たちにまったく知られていなかったんですか?
☆彡 大江 誰も興味ないし、自分から言うこともないし。ただ、何かのきっかけで僕のことを調べた同級生がいて、廊下で「Are you famous in Japan?」って聞かれたことはありました。「3万人の前でコンサートやったのか」って。それで「No,no,no,no. Not that much.」って言うんだけど、「You are famous! You should hire me.」つまり「俺のことを雇え」って。
☆ 速水 スタジアムコンサートをやるくらいだから、お金持ってるに違いないと。
大江 ただ、一度そういうことがあっても、2~3日すればまた元に戻って、相変わらず誰からも声がかからない日々が続くわけですよ(笑)。
★ おぐら リズムのほかに、ポップスのシンガーソングライターの経験がかえって障害になるようなことはありましたか?
☆彡 大江 ある先生に言われたのは、ピアノを弾いている最中に「私が移動すると、あなたは移動した方向に顔を向ける」「日本でどれだけテレビカメラに追われていたのか知らないけど、そういうサービスはいりません」って。
☆ 速水 いい話ですね(笑)。スターならではの悩みですよ。
☆彡 大江 演奏していると、自然と見られていることを意識しちゃう(笑)。
★ おぐら あの、こんなこと言うのはあれですけど、よくそこから無事に卒業まで……。
☆彡 大江 ほんとにね(笑)。でもまだまだ学んでいる途中ですよ。
⑤ 20歳のタイ人とルームシェア
☆彡 大江 ニュースクールでは、人種や国籍はもちろん、キャリアや年齢もまったく関係なかった。僕が落ち込んでいると、同期で入った若い女の子が「千里は大丈夫」って励ましてくれたり、そういうことが普通にありました。
☆ 速水 その女の子は何歳くらい?
☆彡 大江 20歳です。そして僕が50歳。見た目だけはベテランでしたよ(笑)。
★ おぐら 20歳のタイ人とルームシェアしていたこともあったと。
☆彡 大江 しばらくしてましたね。その彼はドラマーで、すごく上手でした。一緒にしゃぶしゃぶを食べに行った時に、店の人が「今日は母国からお父さんがいらしてるんですね」って言うわけ。
☆ 速水 普通そう思いますね。
☆彡 大江 そうしたら店を出た後、彼が「千里はお父さんじゃない。僕の友達だ」って言うんですよ。「君は父ほど歳とってないよ」って。だから僕は「大丈夫だよ」「そんなことで傷ついたりしないから」って。
★ おぐら 日本で積み上げた輝かしいキャリアを置き去りにして、まったく評価されない環境に飛び込んで、47歳でゼロから新しいことを始められたのは、何が大きかったですか? もちろん、ジャズへの欲求は前提にあるとして。
☆彡 大江 ジャズ愛です。それと今考えると決心を告げた時、まわりが誰も止めなかったのが大きかったかもしれないです。当時のマネージャーに伝えた時も、その前から行っちゃうんじゃないかっていう予兆はあったにせよ、迷いなく「わかりました。すぐに事務所を辞める手続きしてきます」って言うし、ジャズの先生に相談しても「それいいじゃん。ボランティアで付き合ってあげるから、フレーズ覚えて入試の応募しなよ」ってやたら前向きだし、友人に話しても「シャンパンでお祝いしよう!」って。渡辺美里さんに初めて言った時も「千ちゃん、いってらっしゃい」と明るく言ってくれました。
☆ 速水 すでに決まっていたコンサートまで中止にして。
☆彡 大江 でも自分としては、そこまでキャリアを捨てるみたいな感覚はなかったんですよね。
★ おぐら もし止める人が大勢いたら、結論は変わってたかもしれない?
☆彡 大江 その可能性もなくはないです。ただ結果的に、止めない人を自分が選んでいたのかなとも思います。あとはもう、自分で費用も負担するわけだし、どうしてもやりたい気持ちは抑えられないし、卒業後どうなるかも今や考えない、とりあえずジャズプレイヤーとして形になるまで絶対にやめないって、熱くなってましたね。
☆ 速水 あの時、クイーンズボロブリッジで後ろを振り返って「次に来る時は永住だな」と思った通りになった。
☆彡 大江 まさに、そうなりましたね。
⑥ 自分で作ったポップスの魅力を再発見
★ おぐら そして2018年ついに、ニューアルバム『Boys & Girls』で、かつてのヒット曲をピアノ・ソロでセルフカバーしました。
☆彡 大江 デビュー35周年の記念盤です。
☆ 速水 留学中にご自身の曲を聴いたりすることはあったんですか?
☆彡 大江 ほんとたまにですね。このアルバムを作るにあたって、ずっと仕舞ってあったのを久しぶりに引っ張り出したような感覚でした。普段ジャズを聴いてるヘッドホンで、部屋を暗くして聴いてみたら、まぁずいぶんとたくさんの発見があって。自分で書いたから当然わかってはいるんだけど、改めて「こういう譜割りになってたんだ」とか「このブリッジは覚えてる以上に大きい意味があったんだな」とか。そして何より、大村憲司さん、清水信之さん、大村雅朗さんのアレンジが本当に凝っている。親のありがたさというか、こんなに年月が経って、心から思い知らされましたね。
☆ 速水 当時よりさらに理解が深まったような。
☆彡 大江 あの頃は若すぎて傲慢で、やってもらって当たり前ぐらいに思ってたのかな。アレンジャーが僕のことをわかってくれていたので、それに甘えて自分中心に考えていました。それをピアノ・ソロで演奏するにあたって、今度は自分が大村憲司になって曲を俯瞰で捉えるんだって。どうにか新しい作品に仕上げなくちゃいけない苦悶の中で、当時のあまりにアイデアに満ちた衣を羽織って、次々に楽曲が飛び出てくるさまを見てね、これはもう絶対に原曲の良さを変えちゃいけないってまず思いました。でも僕はいま、ジャズのフィールドに立っているわけでしょう? そんな自分が大江千里のポップをモチーフに、あのクリスマスの日にウィンドウに飾られていたツリーを作り始めたような、ここでやっと、ひとつの答えへのヒントが見えて来たような気がしたんです。
☆ 速水 自分で作ったポップスの魅力を再発見できたことは、セルフカバーとはいえ、ちゃんと前に進んでいる証拠ですよね。
★ おぐら 10代から築き上げてきたポップスの才能と、50歳を過ぎて身につけたジャズの技術が、ようやく実を結んで作品になった。
☆彡 大江 僕はインストの曲を書く時も、いまだに日本語の詞と一緒に書くんです。詞があるから、情景があるから、メロディを引っ張り出すことができる。僕が音楽を作っている時に一番エネルギーが出るのは、やっぱり詞なんだなって。リリックがないと、メロディは生まれない。そのことに改めて気づきましたね。
写真=佐藤亘/文藝春秋
(速水 健朗,おぐらりゅうじ,大江 千里)
※ 実に面白いインタビューです。生の現場のjazz論を聞いているようです。
「47歳でジャズを本格的に学び始め、」とは、ワインやウィスキーで言う
熟成期間の長いこと!
確かに、それだけjazzには魅力がありますが、47歳での決心と言うのも凄いです。