長男が生まれて三か月のとき、田中邦衛さんが大好きな敏美さんが、絶対に見たいからと言ったドラマが「北の国から」でした。晩10時から始まるこのドラマを、長男を寝かしつけながら、オッパイをあげながら、欠かさず見て、引き込まれたのは私の方でした。
妻に裏切られ、子どもの純と蛍と共に故郷富良野に舞い戻ってきた五郎(田中邦衛さん)。
かつて住んでいた家は廃屋同然。電気も水道もない。その家を親子3人で建て直していく。初め、そのやり方に批判的だった純も、壊れた壁を直し、沢から水を引き、日雇い仕事に出ていく五郎を少しずつ理解していく。
蛍は五郎が母と別れた原因を知っていて、五郎に常に寄り添うのだが、母を慕う気持ちを抑えている健気さが、可哀想でたまらなかった。
「北の国から」は半年で終わりましたが、その後もスペシャル版が放送されて、純も蛍も成長していきました。
その4年後、次男が生まれたとき、新聞に「丸太小屋を建てませんか」というタイトルの記事が出ました。そこには、モデルハウスを万博の自然文化園内で組み立てます、とも紹介されていました。
自宅からすぐの万博公園だったので、興味半分で見に行くと、丸太が数段積まれた小屋作りの途中作業状態があり、のみでコツコツと太鼓びきの丸太を削っている人がいました。
その人から、「和歌山県九度山中小沢」に山の田んぼ跡があり、そこの土地を分譲して、ログハウス村をつくる計画がある」ことを聞きました。
のみの作業を見てると、私にもできそうな気がしました(実際にはそう簡単にはいかない😂)。
「北の国から」の世界が現実になるような気がして、もうやりたい衝動を抑えることができなくなりました。
その後、現地に行くと、かなりの山奥でしたが、突然、田んぼ跡が現れ、その一番上に一軒だけログハウスが建ってました。
ログハウス村の分譲計画は、田んぼ跡と山が合わせて約5000坪あり、田んぼ跡を35区画に分け、同じく山の土地も35区分し、セットにして分譲するというものでした。つまり小屋は田んぼ跡にしか建てられないのですが、敷地は山も含めてあるので、そこに建てるには山の土地も買うことになるというものでした。
その後、購入希望者が集まっての説明会があり、田んぼ跡の35区画は抽選でした。
購入金額は坪1万円。かなりぶっちゃけな計算ですね。結局、私は12坪の田んぼ跡と100坪を購入することとなり、112万円で田んぼ跡と山のオーナーになりました。
いよいよ小屋作り。使うのは太鼓びき丸太。杉の間伐材の丸太の上面と下面をカットして平らにして、厚さを揃えたものです。丸太の長さの規格は、3m、4m、6mの3種類です。小屋の多くは縦が4m、横が6mの丸太で作られていて、私の小屋もその大きさです。
時間がある休日に通いましたが、結局、屋根がかかるまで足掛け8年近くかかりました。バイクで吹田から通い続けました。
基礎工事から丸太の削り方、積み方を教わりながら、一人でやりました。
小屋を建てた仲間たちで自治会をつくり、共同の炊事場とトイレも作りました。村への道路の整備など、村の維持はこの自治会で行っています。
目指したのは「北の国から」の黒板五郎さんでした。この目標があったから頑張れました。
今は30年も経った小屋のメンテナンスが中心です。屋根の葺き替えを考えていますが、いつになるやら。もう屋根に上れなくなる年齢が来ているかも知れません😅
でも、仲間がいます。
笑え合える、一緒に頑張った仲間がいます。仲間と山小屋が私の財産です。