岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

新型コロナを機会に考える・生きるということ

2020年04月10日 10時03分37秒 | 紀行文・エッセイ
新型コロナウイルスの感染拡大を契機に考える。

 今まで、60年間生きて来た。世にいう還暦だ。ちょうどその時に100年に一度のパンデミックに遭遇するとは思ってもみなかった。1720年のペスト。1820年のコレラ。1920年のスペイン風邪。2020年の新型コロナ。歴史的瞬間に僕は立たされているという感覚が強い。

 そこで考えるのは60年の、わが過ぎ越しだ。

 10代までは瞬くうちに過ぎた。20代から40代までは損得なしに働いた。不動産を購入しての仕事だったが、破産した所有者の債務に合わせて買い取った。かなり高い買い物だったというのは後に知った。

 そして50代は闘病生活。胃癌、急性胆管炎、胆石症、鬱病、細菌に感染した肺炎。動脈瘤破裂。腸閉塞もやって、三度ばかり命拾いをした。もともと未熟児で生まれたから、よくここまで生きられたと思う。


 そして今がある。失敗の連続だったとも言えるし、もっとうまく世渡りをすることもできたかなとも時々思う。そこはおかしいほど両親に似ている。

 新型コロナウイルスの感染拡大で死の恐怖におののいているひとも少なくない。だが死は怖くない。60年でやれることはやった。やりつくしたとは、とても言えない。やり残したことの方が多い。だが自分のその時に出来ることを精一杯やってきた。だから悔いはない。

 ただ死を望んではいない。どこまで生きられるかわからぬが、生きられたら、それだけやれることが増える。これは楽しい。

 あちこちで良く言うのだが「今が楽しくて仕方がない。」父も母も祖父母もできなかったことを今、しようとしている。これが楽しいのだ。生き延びれればそれを続けていきたい。

 あとはありきたりだが。死ぬときに苦痛を感じるのは避けたい、というか嫌だ。新型コロナウイルスで死亡するときは激痛が走ると聞いた。何としても、このパンデミックを生き延びたい。

 だから決して悟りを開いたわけではない。蛇足ながらそのことを付け加えて置く。こういう気持ちになれたのは、昨年の秋に、離れて暮らす子どもの養育費を10年超過払いし終わったからかも知れない。大きな肩の荷を一つ下した。



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ファシズムの予感(緊急事態... | トップ | 新自由主義の帰結:医療崩壊... »
最新の画像もっと見る

紀行文・エッセイ」カテゴリの最新記事