足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。
百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その5
大江山 いく野の道の 遠ければ
まだふみも見ず 天の橋立
出典
金葉集(巻九)
歌番号
60
作者
小式部内侍
歌意
母のいる丹後国は、大江山や生野を通って行く、
都から遠いところなので、あの天の橋立はまだ踏んで見たこともなく
もちろんまだ、母からの手紙も見ていません。
注釈
「大江山」=山城国と丹後国の国境の山(現在の京都府西北部の大枝山のこと)
「いく野」=現在の京都府福知山市にある生野(幾野)
「行く」と、掛詞になっている。
「まだふみもせず」の「ふみ」は、「文(ふみ)」と「踏み(ふみ)」の掛詞。
「踏み(ふみ)」は、「天の橋立」の縁語になっている。
「天の橋立」=丹後国(現在の京都府)宮津湾に有る名勝。
陸前(宮城県)の松島、安芸国(広島県)の宮島(厳島)と共に
「日本三景」の一つになっている。
金葉集の詞書には、
母親和泉式部が父親橘道貞と共に丹後国に下った留守中に
京で歌合が有り、藤原定頼(ふじわらのさだより)から
「歌はどうなさいましたか?、もう丹後の母のもとへ使いを出しましたか?」と
言われ、返答に作った歌であると、記されている。
それは、母親和泉式部の代作ではないかとの噂が立ったのに対し、
そうでは無いというところをはっきりさせるための
定頼と小式部の、絶妙な機知のやりとりだった。
小式部内侍(こしきぶのないし)
和泉式部(いずみしきぶ)と橘道貞(たちばなのみちさだ)の娘。
母親和泉式部と共に、一条天皇の中宮(ちゅうぐう)彰子(しょうし)に仕え、
母親が「式部」と呼ばれたことから、「小式部」と呼ばれた。
「内侍」は、「内侍司」の女官の総称。
才色兼備の才媛、歌才に長けていたが、
母親より早く、25歳位で没している。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌のいずれの区分にも属さないとされる歌も、
まだまだ沢山有るが、「小正月」も過ぎ、
すっかり、「新年気分」?「正月気分」?、「百人一首気分」?も無くなっており、
また、今年の年末まで、中断することにする。