たけじいの気まぐれブログ

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上田秀人著 「峠道・鷹の見た風景」

2024年04月05日 21時07分04秒 | 読書記

図書館から借りていた、上田秀人著 「峠道(とうげみち)・鷹の見た風景」(徳間書店)を、読み終えた。数年前まで、読書の習慣などまるで無かった爺さん、作家上田秀人についても、その作品についても、無知だったが、最近になって、相互フォロワー登録している方のブログで知り、読んでみたい気分になり、内容等、事前知識情報ゼロで、今回初めて、手を伸ばした作品だ。読み進める内に、財政破綻寸前、存亡すら怪しかった出羽米沢藩上杉家の藩主となり、後世、名君と謳われた鷹山(ようざん)の生涯を描いた作品であることが分かり、以前読んだことのある、藤沢周平著の「漆の実のみのる国」や「幻にあらず」等の舞台、登場人物、あらすじが、部分的に重複しており、より深読み出来たような気がしている。


読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳。
読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、
その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に、書き留め置くことにしている。


▢目次
第一章 養子
第二章 家督
第三章 抗争
第四章 邁進
第五章 退身

▢主な登場人物
鷹山(ようざん、日向高鍋藩主秋月佐渡守種実の次男松三郎→直丸→米沢藩第九代藩主上杉治憲(はるのり)→中殿
豊の方(琴姫)・顕孝、寛之助、

上杉大炊頭重定(おおいのかみいげさだ、米沢藩第八代藩主→大殿)、延千代、保之助、幸(よし
上杉治広(保之助→喜平次治広→米沢藩第十代藩主→屋形)、
上杉斉定(上杉勝熙(延千代)の嫡男宮松→上杉定祥→米沢藩第十一代藩主)、
妙(たえ、藩士武藤小平太の娘)、
細井平州(儒学者
森平右衛門利真(としざね)、竹俣美作当綱(たけまたみまさかまさつな
千坂高敦、色部政長、芋川縫殿、須田伊豆満主、藁科立沢、
莅戸九郎兵衛義政(のぞきへいくろうよそまさ
第十代将軍徳川家治、第十一代将軍徳川家斉、御三家尾張徳川宗睦(むねちか)、
田沼主殿意次、松平越中守定信、
三谷三九郎、小川屋平四郎、

▢あらすじ等
幼少期に、日向の小藩鍋島藩から、財政破綻寸前、危機存亡に瀕する出羽米沢藩上杉家の養子に迎えられ、財政再建に、生涯、心血を注ぎ、後世、名君と謳われた上杉治憲(うえすぎはるのり・号=鷹山(ようざん))を描いた作品である。
聡明な頭脳と正義感をたぎらせて藩主についた青年期、寵臣の裏切り、相次ぐ災厄、宿老や領民の激しい反発、世継ぎ問題、藩内抗争、晩年までの困難極まる藩政の道だった。藩の金策が行き詰まり、幕府から押し付けられた「お手伝い普請」を回避するためには、どうする?、慣例?、藩主交代が条件?、鷹山の治世は、20年足らずだったが、倒れかけた米沢藩を立て直す端緒を作り、人を育て、大きな功績を残したが、その初志を貫けた背景には愛する者の存在があったのだった。

「なせば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」
鷹山の精神は、その後の米沢藩主に受け継がれたばかりでなく、後世、連合艦隊司令長官山本五十六、アメリカのケネディ大統領にも影響を与えたのだという。
名君が、いかにして名君たりえたか。知られざるその素顔と生涯に迫る感動の本格的歴史時代小説である。
これまで読んできた時代小説には、戦国時代物も多いが、同じような題材であっても、作者によって、捉え方、描き方がさまざまに異なるからまた面白い。越後の雄、上杉謙信の流れを踏む、米沢藩上杉家を描いた作品も何冊か読んでいるような気がする。
豊臣時代、五大老の一人でも有った上杉家、上杉景勝。徳川家康に反発したがため、敗軍側となり、徳川時代、所領を、120万石から30万石(四分の一)に減らされ、出羽米沢に移封されてしまった。にもかかわらず、家臣を大切にする家風を守ったこともあって、藩の財政は窮乏を極めるが、倹約、節約、殖産・・・、長い年月を掛けて、困難を克服し、財政再建を果たしていく筋書きが主で、感動的でもある。


振り返り記事
藤沢周平著 「漆の実のみのる国」
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振り返り記事
藤沢周平著 「幻にあらず」
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