たけじいの気まぐれブログ

スローライフ人の日記風雑記録&フォト

あの日あの頃・・子守、妹の死

2012年05月31日 19時41分52秒 | あの日あの頃(the good old days)

昭和29年3月2日午後8時4分 M男の妹T子が 3才5ケ月で 命を落とした。当時 毎年のように 全国的に猛威をふるっていた 流行性感冒(りゅうこうせいかんぼう)に もともと ひ弱だった妹も感染し 負けてしまったのだ。それはまた 今日のような 医療体制が整っていなかった 農村部での 不運、不幸でもあった。流行性感冒とは 今日で言う インフルエンザ、当時は 「流感」「流感」と 呼んでいた。主に 抵抗力の弱い 乳幼児が犠牲になったようだ。今の時代であれば 助かっていたかも知れない妹、時代が悪かったとしか 言いようがない。

当時 農村部では 子供が 3人、4人いるという家が 普通で 大人達が 朝から晩まで 野良で働いている間 上の子が 下の子の子守をするのが 当たり前だった。長男であるM男も 学校から帰ると 必ず 幼いT子の子守をさせられ M男自身も ひ弱な体の持ち主ながら おんぶ紐が 肩に食い込むのも忘れて T子をおんぶしたまま 近所の友達と 駈けずり廻っていた。今日では考えられない 危ないことをしていたものである。背中で T子が 泣き出したりすると 「泣くな」「泣くな」と 激しくゆすってみたり 子供ゆえ 酷なこともしていた。

そんな妹T子が 息を引き取る瞬間を M男は 鮮明に覚えている。春まだ遠い北陸の3月、雪が降る中 父親が 町の医者を呼びに行った。馳せ参じてくれた近所の人や何人かの親戚と 「医者は まだか」「医者は まだか」と 気をもんでいたが 医者が 着いた時は もはや 虫の息。特別な救命医療を施すこともなく 妹は息を引き取った。その場に居合わせた全員が 幼い女の子の死に 号泣した。

当時は まだ 村落には 「焼き場」が有って 妹の小さな棺が 焼かれる光景も 目に焼き付いている。M男 11才の年の出来事だった。

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あの日あの頃・・初めての映画館

2012年05月31日 13時36分30秒 | あの日あの頃(the good old days)

確か M男が小学校の高学年になっていた頃のことだと思う。ある日 父親に連れられて 隣の小さな町に出掛けた。M男が 父親と一緒に 町に出掛ける等 後にも先にも皆無で その日 何で一緒に出掛けのかは 今では分からない。

当時 父親は 農業の傍ら その町の印刷店に 勤めていた。先祖代々専業農家がほとんどの村落の中にあって 兼業農家だった。それは M男の家が 第二次大戦で 家族全員、父親の郷里に疎開し そのまま定住したという事情によるものだ。それ故 M男の家では 「ウチは ビンボウだから」が 家族の口癖となっていた。また 閉鎖的だった村落では いつまでも 「疎開者(そかいもの)」という目で見られ 情けを掛けてくれる半面 部外者扱いもされていたようだ。

その日 父親と向かった先は 父親の勤務先の印刷店店主の弟が営んでいた時計店。井の中の蛙、引っ込み思案だったM男は 慣れない商店の店先で おどおどして 父親の話が終わるのを待っていた。時計店の店主は 妙に愛想良く M男は ほめられたり おだてられたりされ いたたまれず 一刻も早く立ち去りたい心境だった。もしかしたら 父親が 柱時計かなにかを買って その おべっかだったのかも知れない。

すぐ 家に帰れると思っていたところ 「トウチャン、店に戻って 仕事してくるソイ、仕事終わるまで ここで 待ってろ」のひと言。M男の家と その町とは 4~5キロ程度の距離であったが 当時の子供にとっては はるかに遠いところ。バス等の交通手段が一般的ではなく その日も 父親の ゴッツイ自転車の後ろに乗って 町まで来ていたM男は、父親のいう通りにするしかなく、うなづいた。

時計店の店主が すかさず 「アンチャ、映画の券有るソイ、行ってきないや」と言う。そう言われても 一人で映画館等に入ったこともなく しり込みするM男に 「そしゃ、いっしょに行ってやるそい きないや」と 時計店の店主に促されて しぶしぶ 歩いて2~3分の映画館へ。

当時 日本全国津津浦浦 ちょっとした町には 1館や2館 小さな映画館が有った時代だ。時計店の店主は 窓口を覗き込み 同じ商店会同士からか親しげに 子供1人で入場させる旨告げ 店に帰ってしまった。勝手分からず おろおろするM男は 従業員に誘導され、座席に座ったが なんとも落ちつかない。多分 それ程大きな映画館ではなかったはずだが 映画館初めてのM男にとっては 大きな劇場に入った感じがしたのだろう。

上映途中から入って 映画の内容、話の筋等 理解出来るはずも無かったが 美空ひばり主演で ところどころで 彼女の歌が流れる映画だった。その映画が りんご園の少女」だったことが分かったのは ずいぶん後年になってからだ。もう 1本 上映されたはずだか全く記憶が無い。

ただ 映画よりも強く記憶に残ったのは 映画の合間の歌謡ショーだった。もしかしたら 商店会の売り出しセールの呼び物として 呼んでいたのかも知れない。時計店の店主が言った 映画の券とは 招待券(タダ券)だったのだろう。歌手は 「瀬川 伸」(セガワ シン)真っ白なマドロス姿、股旅姿、すらっとした長身が カッコ良かった。ただ 名前だけは 記憶したものの その時は どんな歌手なのかも 全く知らなかった。

当時 せいぜい 雑音がひどいラジオで 有名歌手の歌が流れているのを耳にするくらいで 本物の歌手を 目の前で見るのが 初めてのM男には かなり インパクトが強かった。その「瀬川 伸」、数十年後 遅咲きの 娘 瀬川瑛子が売れ始めた頃になって 「エッ そういう歌手だったのか」と 改めて意識した覚えがある。

M男は 少年時代 体が弱く しょっちゅう 熱を出して 学校を休んだりしていた。その日の映画館でも 暗闇、大音響、緊張で 頭が痛くなってしまい 途中から見始めた映画を 最後まで見ようともせず 青い顔して 時計店に戻ってしまった。

「どうしたんね?」「うん 頭 痛あなったもんで・・・」「そいやんかね、なんか飲むかね?」。店主は 店の奥の廊下に置かれていた 氷で冷やす冷蔵庫から サイダーを出してきてくれた。M男の家には もちろん 冷蔵庫もなく サイダーを 普段飲むようなことも無かったので 冷たいサイダーが うれしかった。

ちなみに その頃 M男の住んでいた村落では 年に1回~2回、小さな小学校の体育館で 夜 映画会の催しがあった。それは 農業という仕事柄 町の映画館等に行けず 娯楽の少ない村落の大人、子供に 映画を楽しんでもらおうとする 今でいう ボランティアによる企画だったのかも知れない。暗くなりかけた頃 多くの家から 家族そろって ゴザ持参で 寄り集まったものだ。どこからか 古いフィルムを借りてきて 地元の大工が作ったと思われる卓球台の上に据え付けた映写機で 上映していた。時々 フィルムが切れたり 機械が止まったりしたが その都度 直るまで がやがや待った記憶がある。ただ ほとんどが 大人向けの映画で 子供には あまり面白い映画は 無かったような気がする。三益愛子の 母物シリーズが 大人には 喜ばれていたようだ。当時 映画は そんな機会にしか 見られない 暮らしだったのだ。

 

 

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あの日あの頃・・まえがき

2012年05月31日 11時02分23秒 | あの日あの頃(the good old days)

終戦後の昭和20年代、30年代、一般庶民は まだまだ 貧しい暮らしをしていた。特に 地方の農村部等は 都市部と比べて はるかに貧しく 大きな格差が有った時代だった。

M男は そんな時代に 日本海の夕日が見える 北陸の農村で 少年期を過ごした。

古希を迎えたM男は そんな少年期の 薄れ行く記憶を 手繰り寄せたい等と 考え始めている。加齢と共に なにもかも あやふやな記憶となってしまい 果たして 事実はどうだったのかは 確かめようもなく 自信がない。人は おおかた 昔のことは 美化したり 脚色したりして 「あの頃は 良かった」等と 締めくくる傾向がある。M男の場合も同様、虚実入り混じった 「あの日あの頃」となるに 違いないと思うが 断片的な記憶も 「チリも積もれば山」、思い出せるだけ思い出して 自分史の 1ページ、1コマに 出来れば それでいい と考えている。

気まぐれに、ぼちぼちと

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アマリリス

2012年05月30日 17時46分15秒 | 花鳥

冬の間 屋内に退避させていて 4月の中頃に 庭に出した アマリリスでしたが しばらくは 花を咲かせる風には 見えませんでした。それが 5月の中頃になって 蕾が出来て 今頃 やっと 開花しました。

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ブログ人 1周年

2012年05月29日 12時29分30秒 | 川柳・俳句・詩

昨年 突然 思い立って始めた ブログ。今日で 丁度 1年になりました。なんとも 気まぐれな ごちゃまぜブログですが ボケが迫りくる老人の 「備忘録ブログ」と 思し召して ドウカひとつ ご勘弁をお願いします。川柳、お題は 「たけじいのブログ」。

「退化する 脳に鞭打ち 記事アップ」

「拘り(こだわり)無し たけじい まんまの 雑ブログ」

「呆けぬ内 記憶の限りを 書くブログ」

「あと幾年? 最終章を ブログと共(友)」

「見直せば 拙劣ブログ まッ いいか」

「低語彙力 アシスト 座右に 電子辞書」

「日の目見た ブログで 初期の 電子辞書」

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今日の畑

2012年05月27日 14時41分13秒 | 野菜作り・畑日誌

今日は 1日中 良く晴れて 風も爽快、屋外の方が 気持ち良い天候でした。昼食後 ぶらっと 畑の様子を見てきました。

現在の畑の様子

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トマト、まだ数個ですが かなり 大きくなっています。

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キュウリは いまのところ 勢いが良いようです。

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ナスも 盛んに花をつけています。

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ジャガイモの花。

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2~3日で 次々と 赤くなるイチゴ、

今日の収穫

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イチゴ、あと1~2回は 収穫出来そうです。

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グリーンピース今季初収穫です。見事です。

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キヌサヤ

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スナックエンドウ

 

 

 

 

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どっこい、盛り返した イチゴ

2012年05月26日 07時39分47秒 | 野菜作り・畑日誌

先日の収穫でも 相変わらず 小粒、不揃い。今年のイチゴは こんなもので 終わってしまうのかなと 半ばあきらめていましたが 意外や意外、昨日は びっくりする程の収穫。量も どっさり、比較的 粒もそろって 大粒がたくさん。期待していなかった分 妻は 嬉々として 採ってきたようです。なお まだ 数回は 採れそうな感じだということで やっと ピークがやってきたようです。早速 今年一番の出来のイチゴを賞味した後 残りは 妻が ジャム作り。例年通り 今年も 自家製イチゴジャムが出来上がりました。かくして 今日の朝食から しばらくの間は 自家製イチゴジャムを 楽しむことになりそうです。一喜一憂している 「土日休日限定野菜作り人」の日々では あります。

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出来上がったイチゴジャム

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イチゴの収穫、はや ピーク?

2012年05月23日 07時38分52秒 | 野菜作り・畑日誌

昨日は かなり沢山のイチゴが採れました。しかし やはり ほとんどが 小粒、不揃い。遅かった春、いまだに寒い今年の天候の影響なんでしょうか。イチゴの採れる期間は 極めて短く せいぜい2週間くらいですので 今回あたりが 収穫のピークになるのかなと思われます。イチゴに限らず せっかく植え付けた野菜類、今年は 雹や竜巻、暴風等で 壊滅的な被害を受けたという 家庭菜園主も多いと思います。当地は いまのところ そこまでの被害はありませんが 異常気象は 野菜の生育に いいはずがありません。5月も下旬というのに 昨日等 一時 ストーブを点けたくらいです。今日はまた 夏日に近い暑さになるとか。相変わらず 極端な日替わり天気が続いています。

 

 

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ナス、キュウリ、トマト 支柱立て

2012年05月20日 15時05分13秒 | 野菜作り・畑日誌

このところずっと続いている日替わり天気。昨日の快晴とは 打って変わって どんより。今にも降りだしそうな空模様。なんとか 降らない内にと 午前中 ナス、キュウリ、トマトの支柱立て 地這キュウリの種まきをしました

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ナスは いまのところ 若干 元気がありません。

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キュウリは 花をつけ始めています。巻ひげがつかまり つるが這い上がれるように ネットも掛けました。

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トマトも 花をつけ始めました。

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立川防災館 震度7体験

2012年05月19日 22時30分42秒 | ぶらり街巡り・爺散歩

今日 地元観光協会ボランティア案内人主催の 「立川広域防災基地・立川防災館周辺まち歩き」に 参加してきました。東海、東南海地震発生の可能性や被害シミュレーション等 毎日のように マスコミで報ぜられていますが 首都直下型地震、立川活断層地震の発生についても いずれ来る等と 言われている昨今、地震は 他人事にあらず 備えや対策を考えておかないといけないと思っていたところでしたので 良い機会となりました。

広大な立川広域防災基地。日頃 南北道路を 車で通過しているだけで 防災関連の 国、都、市の機関、施設を 実際に 見て廻る等の機会は 全く有りませんでしたが 今回 ボランティア案内人の説明を聞きながら巡り 地震や災害に対して 「いろいろと 備えているんだな」ということを 実感しました。

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今回のイベント、午前9時から午後2時まで 立川広域防災基地周辺を巡るまち歩きですが メインは 立川防災館での 「震度7体験」、「煙体験」、「応急救護体験」、「アルファ米試食」全員が 震度7を体験し 煙体験をし 胸骨圧迫とAED使用体験を しました。

防災グッズ等にも関心が深まり 改めて備えようと 思っているところです。

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