たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ザ・ブロードサイド・フォーの「若者たち」

2019年01月31日 20時31分19秒 | 懐かしいあの曲

1966年(昭和41年)に フジテレビで放送されたテレビドラマ「若者たち」、
残念ながら 当時 観ていたものかどうかの記憶が無い。
ただ その主題曲 ザ・ブロードサイド・フォーの 「若者たち」は メロディーも 歌詞も 大好きで 
若い頃 ギター伴奏で 良く歌っていたように思う。
ザ・ブロードサイド・フォーは 映画監督黒澤明の息子黒澤久雄が結成した カレッジ・フォークの草分け的グループで、
当時 注目されていたように思う。
テレビ放送と同年に発売されたシングル・レコード「若者たち・空にまた陽が昇るとき」は 30万枚を売り上げる大ヒットをしたようだ。
「若者たち」は 後年 三部作で映画化されたが その映画でも 同曲が主題曲として使用されている。
映画の方は かなり後年になってから 確かテレビの映画放送かなにかで観たような記憶有り、
出演者 田中邦衛、橋本功、佐藤オリエ、山本圭、松山省二、立石鉄男等の 強烈な印象が未だに残っている。

ザ・ブロードサイド・フォーの「若者たち」 → 「YouTubeでご覧下さい」をクリックすると視聴出来ます。

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雪が降る前に

2019年01月31日 17時12分31秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

南岸低気圧の影響で 関東南部にも 今夜 降雪予報が出ている。
積もっても 数センチという予報だが 積雪の後では しばらく 畑仕事もやりづらいこともあり、
雪が降る前に・・・、
ということで 
午後になってから やおら 重い腰を上げ 畑へ出動。

(1)残っていた白菜を全部収穫、
  出来損ないの小さな白菜十数個を ずっと放置していたが
  この際 全部収穫し 今冬の白菜を お終いにした。

(2)ホウレンソウ収穫、
  相変わらず生育が悪く バラツキの有るホウレンソウだが、
  家で食する分には 間に合う。

 (3)大根、下仁田ネギ 収穫
   大根は まだ 10本程残っているが そのまま土寄せして置く。
   2月中くらいは 大丈夫かな?
   下仁田ネギも まだ 残っており ボチボチ収穫予定、

夕方、いかにも雪に変わりそうな雲行きになってきた。
明日は 当地 今冬初 雪景色になるんだろうか。

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1月最終回のレッスン

2019年01月30日 21時41分31秒 | スイミング

当地 今日は 最低気温 -3℃前後、最高気温 10℃前後だったようだが
風が強かった分 体感的には もっと厳しい寒さに感じられた。
天気予報では 南岸低気圧の影響で 明日の夜あたり 降雪になっている。
もし 積雪となれば 当地 今冬 初雪となるのだが。

今日は 出掛ける用事もなくて 1日中 家の中で 
ガサゴソ 雑物整理等。
いかん!、いかん!
冷え込み厳しい夕方になってから
気合を入れ
やおら重い腰を上げ、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスン水曜日に出席、
先程 帰ってきたところだ。
今日は 1月最終回のレッスン、
N指導員による バタフライ中心レッスンだった。
毎度のこと 基本、基本の繰り返しだが 
今日は 特に 第2キックの足の位置、
リカバリー時の顎を引くタイミングの早過ぎ等を
注意された。

レッスン終了後は 居残り、フリーコースで
疲れを知らない?60代、70代の女性陣の後ろにくっついて
5秒間隔スタート、
クロール 50m×10本、4種目 25m×4本、
泳ぎ切って 引き上げてきた。

夜のスイミングレッスン、しかも厳寒の候、
にも 拘わらず
今日も 出席者の8割は 60代、70代の女性、
風邪も インフルエンザも
寄せ付けない?
元気、元気、どこもかしこも女性が元気、
そんな女性達に引っ張られながら・・・。

年中 プールで 
否応無く
鼻孔、喉、を
洗浄?、しているせいなのか
確かに 風邪、インフルエンザ等に
罹りにくくなっている実感はある。

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ふっと思い出した故郷の言葉 No.45 「よばれる」

2019年01月30日 08時07分26秒 | 懐かしい故郷の方言

昭和30年代、高校卒業まで暮していた北陸の山村、
故郷を離れて かれこれ60年余り、当時 話したり、聞いたりしていた言葉(方言)も 
ほとんど忘れ掛けていますが 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことが有ります。
記憶曖昧、多少 ニュアンスが違っていたり 記憶違いだったりすることも有りですが
また すっかり思い出せなくなってしまわない内に 書き留め置くことにしています。

No.45 「よばれる」
「他所の家でご馳走になる、飲食をいただく」という意味合いで 使われていたように思います。
多分 元々は 「呼ばれる」=「招待される」という意味合いの言葉だったのではないかと思われますが、
日常の些細な食事やお茶飲み程度でも 大げさに「よばれる」を使っていた大人達の姿を見ていました。

例えば

「いっぱい よばれてしもて ごっつおうさんでした」
(たくさん (飲食を)いただき ご馳走さまでした)

「せっかく よういしてくんなったので えんりょのう よばれまいか」
(せっかく 用意して下さった(料理)、遠慮せずに ご馳走になりましょう)

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おいらく新年会

2019年01月29日 21時05分51秒 | 暮らしの記録

2019年も、もう1ケ月を経過しようとしていますが、
先日 旧い友人I氏からお誘いが有り、
今日は I氏の友人H氏と共に 遅ればせながら、
新年会をしてきました。
I氏は 1月で80歳に・・・・・、
平均年齢77歳、おいらく新年会です。
最寄の駅で待ち合わせでしたが、
今晩の冷え込み尋常で無く、風も吹き荒れており
街中の居酒屋へ繰り出すのはやめにして、
駅ビル内の海鮮料理店へ入り 2時間余り、
今年1年のお互いの健康を祈念、
山歩き、旅行、フルート、油絵、水彩画、スイミング・・・・
それぞれの大小抱負を披露、
飲んで、語って 気分良く散会、
先程 戻ってきたところです。

お互いに こんな歳になっても 飲んで 語ることが出来ることは、
幸せなことであり、有難いことだと 言い合っているのですが・・・・・・、
無理せず マイペース、出来る限り続いて欲しいものです。

 

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藤沢周平著 「刺客・用心棒日月抄」

2019年01月28日 15時28分11秒 | 読書記

図書館から借りていた 藤沢周平著 「刺客・用心棒日月抄」 (新潮社)を 読み終えた。
先日 読んだ 「孤剣・用心棒日月抄」の続編、「用心棒日月抄シリーズ」第3作目の作品である。

「刺客・用心棒日月抄(しきゃく・ようじんぼうじつげつしょう)」

(目次)
「陰の頭領」、「再会」、「番場町別宅」、「襲撃」、「梅雨の音」、「隠れ蓑」、「薄暮の決闘」、「黒幕の死」

前作で 主人公青江又八郎は 連判状を取り戻して東北の架空の小藩に帰藩し 藩の政争に区切りがついたかに見えたのも束の間、深夜 数年前に藩政から退いていた元家老の谷口権七郎から 又八郎は呼び出され 藩主の伯父志摩守寿庵保方が お家乗っ取りの策謀を企て、佐知が組している江戸の嗅足組を壊滅させるべく 5人の刺客を送り出したことを知らされる。
又八郎は その刺客を消して、嗅足組を擁護する密命を受ける。実は 谷口権七郎こそ 藩の陰の組織 嗅足組の陰の頭領であり、佐知の父親であることを知る。
又八郎は 刺客を消すための刺客として またもや脱藩し 江戸に向かい、裏店に住まいし、暮らしの糧を得るため 口入れ屋の相模屋吉蔵が斡旋する用心棒等をしながら 5人の刺客との壮絶な闘いを繰り返す。かろうじて 死地をくぐり抜け 又八郎は 帰藩するが 役割は まだ終わりではなかった。
谷口権七郎、間宮作左衛門と謀り 志摩守寿庵保方を上意討ち後 藩政が落ち着き、筆頭家老になった間宮作左衛門から 20石の加増を受けたところで 物語が終わっている。

「あとがき」で 作者は 「用心棒日月抄シリーズ」は 元々、忠臣蔵を横から眺めるという体裁の最初の1冊 「用心棒日月抄」で終わるはずの小説だったと 述べている。
それが 小説の中の登場人物との付き合いが深まり 特に 主人公 青江又八郎をこれ以上浪人にさせておくにしのびない等という思いから 「孤剣」、「刺客」と 書き続けることになり さらに 後日談があるかも知れない等と 結んでいる。

次作、用心棒日月抄シリーズ第4作目、「凶刃・用心棒日月抄」が 最終作品、その後日談になるのだろう。
第3作目 「刺客・用心棒日月抄」から16年後、40才を超えた青江又八郎が またまた密命を受けて江戸に向かい 藩の重大な秘密についての争いに巻き込まれていき 長年交情の佐知との関係に決着をつける作品になっているという。

(「凶刃・用心棒日月抄」に つづく)

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冷寒 日の出前

2019年01月28日 06時50分29秒 | 暮らしの記録

今朝も 冷え込み厳しく 6時頃の外の気温は -3℃前後でした。
天気予報では 日中 11℃前後まで 上がるようですが 
今日も カラカラに乾いた 寒い1日になりそうです。

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「小さな日記」

2019年01月27日 21時35分38秒 | 懐かしいあの曲

1960年代(昭和30年代後半頃)から 一時 日本でも カレッジ・フォークと呼ばれる フォーク・ソング ブームが有った。
当時 青春時代を過ごしていた者にとっては 忘れることの出来ない和製フォーク・ソングも 数多有るのではないかと思われる。
そんな懐かしい和製フォーク・ソングを ふっと思い出し時に、また ブログカテゴリー「懐かしいあの曲」に 書き留め置こう等と思っている。

1968年(昭和43年)に発表された フォー・セインツ「小さな日記」は メロディー、歌詞共 大好きで、
若い頃、ギター伴奏で 良く歌ったような気がする。
ネットで調べると フォー・セインツは 成蹊高等学校の文化祭で結成されたグループ、カレッジ・フォーク・グループの草分け的存在であり、
ラジオ番組「フォーク・ビレッジ」で 実力派として注目され デビュー・シングル 「小さな日記」が いきなり 20万枚の大ヒットしたと
されている。

フォー・セインツの「小さな日記」
YouTubeから共有させていただく、

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「招かざる客」・・ではありますが、

2019年01月27日 14時04分50秒 | 暮らしの記録

当地 今日は 最低気温 -3℃前後、最高気温 8℃前後、快晴です。
相変わらず 厳寒、湿度が低い日が続いており インフルエンザ罹患には要注意ですが
今日は 風がほとんど無くて 陽だまりに居ると ポカポカ、気持ちの良い天気です。
午前中 久し振りにボケーっと 出窓から 目の前の庭の「メジロご夫婦様熱烈歓迎特設餌台?」を 眺めましたが、
毎年この時期にやってくるメジロの番、今日も現れず、「招かざる客」 ヒヨドリの独壇場になっています。
「待てど暮せど・・・」
今年は もう やって来ないのかも知れません。 
仕方無し、
「招かざる客」・・ではありますが・・・、

「こんにちは」、
「何か 用?」

「ドヒャー、窓ガラスを ドン、ドン 叩くのやめてよー」

ベニカナメの枝葉に退避、

 「脅かしっこ無しだよ」

 「もう 大丈夫かな」

「ちょっと 一休み」
満足、満足・・、あーあ、と

広げると 結構 立派な羽なんだねー、

「ご馳走様、また 来るねー」

今冬、ミカンが高くて 買い控え、
そろそろ 餌の提供が出来なくなってきているんですが・・・。

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「一丁目一番地」

2019年01月26日 06時18分08秒 | 懐かしいあの曲

ジャンルを問わず ふっと思い出した音楽を また思い出せなくなる前に ブログカテゴリー 「懐かしいあの曲」に 書き留め置こう等としているが 時々 そんな懐古ブログ記事にアクセスが有ったりすると もしかしたら 同年代の方が 同じような思いで 懐かしく、覗き見てくれたのかなあ等と うれしくなったりもしている。
最近の音楽は 聴いても覚えられず、ほとんどは 子供の頃、若い頃、歌ったり、聴いたりしていた音楽ばかり、
もう数十年前、昭和20年代~40年代頃の音楽が主だ。
完全に忘れてしまっているような曲でも、ふっと思い出す瞬間が有り、YouTube等で探して聴いてみると
「ああ!この曲だ!」・・・懐かしさが込み上げてきてしまうことがある。

昭和20年代~30年代(小学生、中学生の頃)は、ラジオしか無かった時代だったが 東西南 山に囲まれた北陸の山村は 極めて電波の届きが悪く、NHKラジオ第1、1局だけが 雑音混じりで かろうじて聴ける状態だった。
それでも 昼食時、夕食時等 家族揃って 茶箪笥の上に鎮座する中古ラジオから 「のど自慢」、「三つの歌」、「お父さんはお人好し」、「とんち教室」、等々の番組を楽しみに 耳を傾けていたものだ。
つい最近のことは 直ぐ忘れてしまうのに 子供の頃 焼き付いた記憶は 炙り出されるものである。
夕方 5時台だったか6時台だったかに放送されていた 「一丁目一番地」という 連続ラジオドラマ番組が有った。
当時 住所が まだ 大字、字まで表示していた土地柄、「一丁目一番地」という響きから、大都会の住宅地の暮らしの情景を 憧れを持って想像していたような気がする。
その主題歌、メロディー 歌詞共 未だに覚えているから不思議だ。
ふっと思い出したので YouTubeを探したら見つかり 早速 懐かしく聴いているところだ。
昭和32年4月から昭和40年4月まで 2,025回に渡って 放送された番組のようだ。

「一丁目一番地」
YouTubeから共有させていただく。

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