たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

追想アルバム「信州安曇野・わさび田・道祖神・早春賦」(再)

2023年10月22日 20時12分27秒 | 街歩記(小さな旅)

今から6年前、2017年5月17日のこと、
北陸の山村に有った実家取り壊し跡地様子見のため、長靴、作業着、軍手、ビニール袋、紐、スコップ、鋸、鉈、鎌、刈り込み鋏、脚立等々、乗用車に積み込んでのドライブ旅をしたが、そんなことで、北陸まで往復するだけでは、勿体無い話?、ということで、途中、長野県安曇野市に立ち寄り、「わさび田・道祖神を巡るコース」を、歩いたことが有った。
途中で、検問なんかが有ったら、怪しまれそうな積載物有りの旅で、なんとも落ち着かなかったが・・・・・、
毎度のこと、コンデジでやたら撮った拙劣写真は、「デジブック」にし、自分のための写真アルバムのつもりで、ブログにも書き込んでいたものだったが、「デジブック」が、その後、2020年3月31日をもって、全サービスが終了してしまい、写真を閲覧出来なくなっていた。写真は、外付けHDに眠っており、ようやくその気になり、再度写真を引っ張り出して、改めて、「ZUISO」にしてみた。


追想アルバム「信州安曇野・わさび田・道祖神・早春賦」(再)

道祖神

「早春賦」の歌碑、

大王わさび農場


ZUISO
「追想アルバム・信州安曇野・わさび田・道祖神・早春賦」
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好天に誘われて、3年振り、都心へGo!

2023年04月27日 20時41分12秒 | 街歩記(小さな旅)

元々、出不精の方ではあったが、新型コロナ感染拡大が始まった頃以後は、車でも、電車でも、まるで遠出をしなくなってしまい、もっぱら半径10キロ以内をうろうろして暮らしている老夫婦である。世の中、ようやく、コロナ禍の長いトンネルの出口が見え始め、観光地や街中にかっての人出が戻っている様子が伝わってきており、いつなんどきどうかなってもおかしくない後期高齢者とて、なんとか動ける内に、出来る範囲で、出掛けてみたいという気にもなってくる。

今日は、日本列島がすっぽり高気圧に覆われて、全国的に「晴」だったようだが、
当地も、湿度23%、文句無し、爽やかな五月晴れ?
こんな日に、家籠もりではもったいない?、どこかへ、出掛けたいね・・・、
では、どこへ?、
何年も前から1度は訪ねてみたいと思っていた、東京都文京区に有る「小石川植物園」に行ってみることになり、昼頃になって、やおら重い腰を上げた。
電車で、都心へ出掛けるのも、病院行きは別として、3年振りのこと、
久し振りの、「おのぼりさん気分」であった。

「小石川植物園」は、正式には、「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」といい、植物学の研究・教育を目的とする東京大学の附属施設であり、日本最古の近代植物園とされている。


東京大学大学院理学系研究科付属植物園
小石川植物園ホームページ
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略年表(いただいた案内書チラシに記載されていたもの)

1684年(貞享元年) ・徳川幕府・麻布南薬園を、小石川御殿内の北側に移転して、小石川薬園とした。
1772年(亨保7年) ・小石川薬園内に、養生所を創設した、
1877年(明治10年)・東京大学創設に伴い、東京大学の附属植物園となった。
1998年(平成10年)・東京大学大学院理学系研究科附属植物園と改称された。


 

 

すでに、春咲き植物の開花期が終わってしまっているせいか、
園内は、閑散としている風で、のんびりゆったり散策出来る。
          
                  サクラツツジ

 

チョウジソウ                サクラバラ

 

ナニワイバラ                  ハンカチノキ

 

 

ハコネウツギ               フタリシズカ

 

日本庭園                   タニウツギ

 

旧東京医学校本館(総合研究博物館小石川分館)

 

ガクウツギ     

 

総面積 約161,588㎡(約48,880坪)、変化に富んだ地形を利用した植物園で、巨木も有り、都心の真ん中とは思えない空間で、国の名勝および史跡にも指定されているようだ。
入園料500円は、少々高くもあるが、維持管理整備するための寄付という意味合いも有るのだろうか。
移動の歩きも含めて、今日は、スマホの歩数計で、約11,000歩。
電車で、舟を漕ぎながら帰ってきた。
これから先、無理をしない程度で、少ーしづつ、行動半径を広げていきたいものだとも思っているところだ。

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振り返り記事、「谷根千散策」

2023年01月18日 14時52分37秒 | 街歩記(小さな旅)

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、今からちょうど11年の今日、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」で初めてブログを開設してからまだ半年程しか立経ってなかった、2012年1月18日に書き込んでいた記事、「谷根千散策」にアクセスが有ったことに気が付き、十年一昔・・・、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


振り返り記事
2012年1月18日
「谷根千散策」

数年前の5月(⇨今から17年前、2006年5月5日)に、古き東京の情緒が漂う下町として有名な谷中根津千駄木の界隈を散策したことが有った。通称、「谷根千(やねせん)」と呼ばれて親しまれているエリアで、以前から1度は訪れてみたいと思っていたものだが、その年の5月の連休中の1日、思い立って出掛けたものだった。

JR日暮里駅から出発、ガイド書を片手に、JR日暮里駅に戻るコースでを辿った。

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御殿坂~

経王寺

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ぎんなん横丁~

朝倉彫塑館(あさくらちょうそかん)

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忠臣蔵ゆかりの観音寺、

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この付近、寺院が軒を連ねている。

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三崎坂(さんさきざか)

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不忍通り~

根津神社、つつじ祭り

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藍染通り~おかじ坂~

大名時計博物館

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谷中霊園

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天王寺

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ブログ初心者、1ヶ月に数回更新するのが、精一杯で、
やっと、ブログに、写真をアップ出来るようになった頃だったような気がする。
事前の知識情報も乏しく、記憶も曖昧になってしまっているが、
もう一度訪ねてみたいものだと思っているところだ。

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11年前の今日、2012年1月3日は、「谷中七福神めぐり」

2023年01月03日 06時39分26秒 | 街歩記(小さな旅)

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」で初めてブログを開設してまもなくの、11年前の今日2012年1月3日に、何を書き込んでいたのかなあー・・・・、自分のブログを覗いてみた。
「谷中七福神めぐり」のことを書き込んで有り・・・、
おお、懐かしい!、10年一昔、
つい最近のことだったような感じもするし、遠い昔のことだったような感じもする・・・・。
早速、コピペ、リメイクしてみることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


実は、4年前までの10数年間、毎年正月3ヶ日の内の1日は、周辺各地の「七福神めぐり」をすることにしていた老夫婦、ブログ・カテゴリー「新春七福神めぐり」に書き留め置いてきたが、コロナ感染拡大が始まってから中止、今年も自粛してしまった。願わくば、来年の正月からはまた、再開したいものだと思っているところだ。


振り返り記事
2012年1月3日
「谷中七福神めぐり」

数年前からのことですが、正月三が日の1日は、周辺各地の「七福神めぐり」をすることにしています。今年は、「谷中七福神めぐり」と決め、今日、行ってきました。谷中周辺は、以前にも、春先に、「谷根千散策」で歩いたことがありましたが、至るところ、古き東京の下町の風情が残っており、歩いていてホッとする街で、好きなエリアです。

「谷中七福神めぐり」は、およそ250年前、江戸時代中期に始まった江戸最古の七福神めぐりと言われています。また、各地の七福神のほとんどには、神社が含まれていますが、現在の「谷中七福神」は、寺院だけという組み合わせになっています。

JR上野駅正面改札口を、午前10時40分頃に出て、何十年振りになりますが、西郷隆盛銅像を見てから出発しました。不忍池弁財天で、まず御朱印台紙を買い、いただいた案内チラシを片手に、各寺院の御朱印をいただきながら(寄り道しながら、谷中の街並みをたのしみながら)、ゆっくり歩いて、午後1時頃、JR田端駅に到着しました。JR上野駅まで戻りましたが、時間に余裕が有ったため アメ横を歩き、JR御徒町から家路につきました。

(「谷中七福神めぐり」案内チラシ)

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JR上野駅
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「ああ上野駅」

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西郷隆盛銅像 
      

(1)不忍池弁天堂・弁財天
御利益=愛敬、天台宗、寛永寺境外祀堂、本尊=弁財天、
天海僧正が、比叡山延暦寺にならって、上野の山に東叡山寛永寺を創建、不忍池を琵琶湖に見たてて、竹生島の宝厳寺弁財天を模して造営したと言われています。

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(2)護国院・大黒天
御利益=富財、本尊=釈迦如来、
天台宗の寺院、寛永寺の子寺、正式名称は 東叡山護国院大黒天、別名=東叡山釈迦堂

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                                             (3)天王寺・毘沙門天
御利益=威光、天台宗の寺院、正式名称は 護国山尊重院天王寺、本尊=阿弥陀如来

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                                              (4)長安寺・寿老人
御利益=長寿、臨済宗妙心寺派の寺院、正式名称は、大道山長安寺、 

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谷中の街並み     谷中銀座

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                                              (5)修性院・布袋尊
御利益=大量、日蓮宗、正式名称は、運啓山修性寺、

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本堂

033 037_2                                                    (6)青雲寺・恵比寿天
御利益=正直、臨済宗妙心寺派の寺院、正式名称は、浄居山青雲寺、 

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本堂

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                                             (7)東覚寺・福禄寿
御利益=人望、真言宗豊山派の寺院、正式名称は、白龍山寿命院東覚寺、本尊=不動明王像、  

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JR田端駅 

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アメ横

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新春七福神巡り、今年も中止

2022年01月02日 20時20分29秒 | 街歩記(小さな旅)

十数年前からのこと、毎年、正月三が日の内の1日は、近隣各地の「七福神巡り」をすることにしてきた。当然「初詣」を兼ねてではあるが、主目的は、年末年始に鈍った身体に活を入れるべき「ウオーキング、街中散歩」だ。正月気分で、案内書を片手に、知らない街の路地から路地を巡ることの楽しさに魅せられたからだった。毎年、年末になると、今度は、どこの七福神を巡ろうか、下調べするのも楽しみだったが、新型コロナウイルス感染拡大、不要不急の外出自粛が呼び掛けられた昨年の正月は中止した。今年は、どうしようか?、直前まで迷っていたが、オミクロン株の市中感染が始まっており、第6波の懸念も有ることから、結局、今年も中止と決めた。ここ数年、同行しいる夫婦共通の友人Mさんとも、来年は、是非巡りたいものだねと言い合ったところだ。

12年前、2010年(平成22年)1月2日に、巡った深川七福神の色紙


振り返り記事
ブログ・カテゴリー「新春七福神巡り」
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こちら


 

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新春七福神巡り 振り返り その3

2021年01月05日 06時59分14秒 | 街歩記(小さな旅)

十数年前からのことであるが、毎年 正月三が日の内の1日は 近隣各地の七福神巡りをすることにしてきた。もちろん 初詣の意味も有るが、主目的は 年末年始に鈍った身体に活を入れるべきウオーキング・街中散歩。
昨年の正月までは 欠かさず続けてきたが 今年の正月は 新型コロナウイルス感染拡大第三波の襲来真っ只中にあり やむなく中止と決め込んだ。
正月もさして変らぬ老夫婦
この年末年始、どこにも出掛けず、何もしていないので ブログネタ 無い、無い・・・、
過去の「新春七福神巡り」ブログ記事をリメイク?(過去記事をコピペ、再編集)して
多少でも
正月気分に浸ろう等としているところだ。


その3 「日野七福神巡り」

13年前、2008年1月2日には 東京都日野市の7つの寺院に祀られている七福神を巡る「日野七福神巡り」をした。記憶も曖昧になっているが、確か、当時の日野市観光協会のホームページ上に有った「歩いてお参り日野七福神」を見てその気になったような気がしている。コピーしたガイドマップを手に、おすすめ巡拝コースを巡ったが、かなりの距離が有り 終盤へばってしまった記憶が有る。ほとんど写真しか残っていないが 写真から記憶を辿ってみた。

歩いて巡拝したコース
京王線百草駅→真照寺→石田寺→安養寺→高幡不動尊・金剛寺→延命寺→善生寺→宗印寺→京王線平山城址公園駅


午前10時頃 京王線百草園駅を出発、


(一)真照寺・恵比寿

真照寺は真言宗智山派寺院、元々は高幡山金剛寺の末寺だった。
山門(薬医門)は 元禄15年(1702年)に建立されたものを昭和48年(1973年)に解体修復したもの。

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気持ちの良い浅川土手を歩く


(二)石田寺・福禄寿

石田寺(せきでんじ)は 新義真言宗の寺院、元々は高幡山金剛寺の末寺。新選組副局長土方歳三の墓所が有り、年間を通して訪れる人が絶えない。特に若い女性が多いようだ。

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(三)安養寺・毘沙門天

安養寺は 真言宗智山派の寺院、元々は高幡山金剛寺の末寺だった。武蔵の国に勢力を持っていた武士団・武蔵七党の内のひとつ田村氏の居館跡だったとも伝えられており 寺院の正式名称は 田村山極楽院安養寺。明治6年、本堂を校舎にして下田小学校(現在の日野市立第四小学校)が開校したのだそうだ。

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富士山がばっちり!


(四)高幡不動尊・金剛寺・弁財天

高幡不動尊として知られている金剛寺は 真言宗智山派別格本山。寺号は 高幡山明王院金剛寺、京都智積院を総本山とする関東屈指の古刹。大宝年間(700年頃)以前に創設されて、あるいは奈良時代に行基菩薩が開基したとも伝えられている。本尊は 不動明王。京王線高幡不動駅から数分の立地、人気の寺院だけに 駅前から参道、境内、初詣の人出で身動き出来ない程の大混雑、押し合い、へし合い、御朱印を押してもらうのが精いっぱい。写真を撮る等 とても出来ず、抜け出した。


(五)延命寺・寿老尊

延命寺は 真言宗智山派の寺院、開基は不明だが、南北朝時代、新田義貞の鎌倉攻めの落武者内藤一族が戦死者や先祖を弔うため建立したとも伝えられている。本尊は 延命地蔵菩薩。

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(六)善生寺・大黒天

善生寺は 日野市で唯一、法華宗の寺院、裏山には 平成7年(1995年)に 善生寺開創350年と釈迦生誕2560年を記念して建立さらた大仏が有る。

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(七)宗印寺・布袋尊

宗印寺は 曹洞宗の寺院、由木金峰山永林寺の末寺。本尊は 聖観世菩薩。境内には 日野市平山の地が輩出した戦国武将平山季重の墓(東京都の旧跡)が有る。平山季重は東国武士として一の谷の合戦で名を馳せた。

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午後3時頃 京王線平山城址公園駅に到着。
帰途に付いた。


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新春七福神巡り 振り返り その2

2021年01月04日 06時04分13秒 | 街歩記(小さな旅)

十数年前からのことであるが、毎年 正月三が日の内の1日は 近隣各地の七福神巡りをすることにしてきた。もちろん 初詣の意味も有るが、主目的は 年末年始に鈍った身体に活を入れるべきウオーキング・街中散歩。
昨年の正月までは 欠かさず続けてきたが 今年の正月は 新型コロナウイルス感染拡大第三波の襲来真っ只中にあり やむなく中止と決め込んだ。
正月もさして変らぬ老夫婦
この年末年始、どこにも出掛けず、何もしていないので ブログネタ 無い、無い・・・、
過去の「新春七福神巡り」ブログ記事をリメイク?(過去記事をコピペ、再編集)して
多少でも
正月気分に浸ろう等としているところだ。


その2 「鎌倉江の島七福神巡り」

8年前、2013年1月3日には 神奈川県の古都鎌倉、景勝地江の島の8つの寺社に祀られている七福神を巡る「鎌倉江の島七福神巡り」をした。現地で入手した鎌倉江の島七福神会の案内書の巡拝モデルコースに従い、JR横須賀線北鎌倉駅を起点とし、小田急片瀬江の島駅を終点とした。かなり距離が有り、歩数計では 約21,300歩、ただ、あちこちに立ち寄ったり、休憩したり、買い物したりで 実質は 18,000歩だったのかも知れない。

コース・順路・歩程等                                               JR横須賀線・北鎌倉駅~(約5分)~浄智寺~(約20分)~鶴岡八幡宮・旗上弁財天~(約5分)~宝戒寺~(約5分)~妙隆寺~(約5分)~本覚寺~(約5分)~鎌倉駅前・小町通り~(約35分)~長谷寺~(約5分)~御霊神社~(約10分)~江ノ電・極楽寺駅~(江ノ電で 約20分)~江ノ電・江ノ島駅~(約25分)~江島神社・江島弁財天~(約15分)~小田急片瀬江ノ島駅

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午前9時45分 JR横須賀線北鎌倉駅を出発。
古都鎌倉にふさわしい?素朴な駅舎

 


(一)布袋尊 (浄智寺)
布袋尊は 中国に実在した禅僧 布袋和尚を神格化したものと言われ、弥勒菩薩の化身とも言われている。家庭円満の神様。

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等身大の石像、お腹をさするとご利益があるとされ 参拝者が皆さすっていくため お腹は黒くなっている。

浄智寺(じょうちじ)
鎌倉市山ノ内に有る、臨済宗円覚寺派の寺院で 山号は金宝山。鎌倉五山の第四位。本尊は三世仏如来。


(二)弁財天(鶴岡八幡宮)

弁財天は インドサラスバティという河の神様。芸の神様、財運を招く神様、大願成就の神様とも 言われている。
弁財天・旗上弁財天社は 鶴岡八幡宮内の源氏池の中島に祀られている。

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鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)
古都鎌倉の中心部に有る神社。康平6年(1063年)、源頼義が源氏の守り神として 由比郷鶴岡(現在の材木町)に京都の石清水八幡宮を勘請、後に源頼朝が現地に遷し「鶴岡若宮」と称し 武門の神、勝利の神として崇敬した神社。


(三)毘沙門天(宝戒寺)
毘沙門天は 宝戒寺本堂の左手に 祀られている。

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宝戒寺(ほうかいじ)
天台宗の寺院、山号は金龍山、本尊は地蔵菩薩、北条氏ゆかりの寺院。「萩の寺」とも呼ばれている。                                                       本堂内は 撮影禁止。


(四)寿老人(妙隆寺)
寿老人は 安全と健康を守る神様、長寿の神様、

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妙隆寺(みょうりゅうじ)
日蓮上人ゆかりの寺院、日蓮宗総寺院。本尊は日蓮上人。宝戒寺から 小町大路を南へ 徒歩5分程に有る。「鍋かむりの日親」のお寺として 知られている。                                    本堂左手に 石造の寿老人、本堂右手のお堂には 欅一本造りの寿老人(ガラス越しの拝観)が安置されている。

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(五)恵比寿(夷)天(本覚寺)

恵比寿(夷)天は 七福神の中で唯一 日本古来の神様。漁業や商売繁盛、家運隆盛、縁結び、五穀豊穣の神様。

本覚寺(ほんがくじ)
日蓮宗本山、山号は妙巌山、本尊は釈迦三尊像、身延山久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したため「東身延」とも呼ばれている。

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鎌倉駅、小町通り周辺を 少し探索、
大変な人波の中、かき分けるようにして・・・、

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JR鎌倉駅

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小町通り

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六地蔵
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(六)大黒天(長谷寺)
大黒天は 開運の神様、財富招来の神様。

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長谷寺(はせでら)
鎌倉の西方極楽浄土と謳われ、1年を通じ「花の寺」として親しまれている古刹。本尊は 十一面観音菩薩、高さ9・18mの日本最大級の木彫仏が本堂(観音堂)に安置されている。堂内は撮影禁止。坂東観音霊場第四番札所。鎌倉の海と町並みが見渡せる「見晴台」が有る。広大な境内には、石地蔵、大黒像等が 大小、大変な数の石像が有るが 観音ミュージアムに収蔵されている大黒天像は 室町時代応永19年(1921年)の作と言われている。   


(七)福禄寿(御霊神社)
福禄寿は 宝物殿に安置されている。長寿、家禄永遠、知恵の神様。

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御霊神社(ごりょうじんじゃ)
祭神は 鎌倉権五郎景政。鳥居のすぐ前を 江ノ電が通っており、撮り鉄には人気の撮影スポット。                                      


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極楽寺坂

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江ノ電・極楽寺駅

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先日発生した崩落箇所、                                        極楽寺駅から 江ノ島駅までは 江ノ電で移動。

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(八)弁財天(江島神社)
江島弁財天は 辺津宮横の八角堂の奉安殿に安置されている。近江の竹生島、安芸の宮島とともに 日本三大弁財天の一つで 技芸上達、幸福、財宝を招く神様。

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現地でいただいた特製色紙に最後の御朱印をいただき、「鎌倉江の島七福神巡り」を完了した。


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参拝者で 登りも下りも 大渋滞する中を 抜け出して ほぼ予定通り 午後2時30分 終点の 小田急・片瀬江ノ島駅に着き、帰途についた。

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小田急・片瀬江ノ島駅

 

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新春七福神巡り 振り返り その1

2021年01月02日 06時35分17秒 | 街歩記(小さな旅)

十数年前からのことであるが、毎年 正月三が日の内の1日は 近隣各地の七福神巡りをすることにしてきた。もちろん 初詣の意味も有るが、主目的は 年末年始に鈍った身体に活を入れるべきウオーキング・街中散歩。
昨年の正月までは 欠かさず続けてきたが 今年の正月は 新型コロナウイルス感染拡大第三波の襲来真っ只中にあり やむなく中止と決め込んだ。
正月もさして変らぬ老夫婦
動いていないのでブログネタ無し。
過去の「新春七福神巡り」ブログ記事をリメイク?(過去記事をコピペ、再編集)、
多少でも
正月気分に浸ろう等としているところだ。


その1 「深川七福神巡り」

11年前、2010年1月3日には 東京都内に数多有る七福神の中でも有名な「深川七福神巡り」をした。周辺に史跡旧跡が多い上、下町情緒が漂う街中を歩けることで 人気の高い七福神である。深川七福神会ホームページ等を参照、ガイドマップを片手に「♪ 知らない街を 歩いてみたい・・・♪」気分で巡ったものだ。
「深川七福神」は 東京都江東区に有る 三つの神社と四つの寺院に祀られており、どこから巡っても構わないが おすすめ順路に従って 都営新宿線森下駅を起点にし、都営東西線門前仲町駅を終点とした。
標準所要時間は 約2時間とされているが あちこちに立ち寄ったり、休憩したり のんびり歩き、3時間位で巡ったような気がする。


(一)寿老神                                            

福徳・・・延命長寿
寿老神は 寿老人とも書き、中国道教の神、老子の化身の神とも言われている。
深川神明宮に安置されている。

深川神明宮 東京都江東区森下1ー3ー17
深川において創立が最も古い神社。大阪摂津の深川八郎右衛門が この付近に深川村を開拓し その鎮守の宮として慶長元年(1596年)に、伊勢皇大神宮の御分霊を祀って創建したと言われている。徳川家康がこの村に来て、村名を尋ねた時、村の名前が無く、深川八郎右衛門の姓をとって「深川村にせよ」と命じたことから、深川の地名の元になり、以来 この周辺が発展した後、各町の町名には「深川」が冠せられるようになったのだそうだ。

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(二)布袋尊                                          

福徳=清廉度量
布袋尊は 中国五代の頃、浙江省奉化県に実在した契此という高僧だと言われている。
深川稲荷神社に安置されている。

深川稲荷神社 東京都江東区清澄2ー12ー12
寛永七年創立の神社。祭神は宇賀魂命、西大稲荷。神社の裏の小名木川は江戸時代初期から船の往来が激しく、一帯に船大工が住み、造船、船の修理をしていたことから、昭和7年までは 深川西大工町という町名だった。
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(三)毘沙門天                                             

福徳=勇気授福
毘沙門天は インド名でバイスラバンナ、元々ヒンズー教の財富の神だったクヴェーラ神が仏教に取り入れられ仏神となったもの。日本では 仏教守護の神から転じて国土守護の武神として 特に武将の間で信仰されるようになり、毘沙門天を守護神とした上杉謙信や 布貴山の毘沙門天に祈願して生れたという楠正成等が有名。
龍光院に安置されている。

龍光院 東京都江東区三好2ー7ー5
慶長16年(1611年)馬喰町に創立、大火の多かった江戸時代、数度の大火で焼失、移転を繰り返し、天和2年(1682年)に 現地に移ってきた浄土宗雲光院の塔頭寺院。

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(四)大黒天                                              

福徳=有福蓄財
大黒天信仰には 二つの流れがあり 一つは 大国主命(おおくにぬしのみこと)とする流れで 多くは神社に祀られており、もう一つは インドのマハカーラという仏神で 多くは寺院に祀られている。
円珠院に安置されているのは 仏神に大黒天。

円珠院 東京都江東区平野1ー13ー6
亨保15年(1730年)に、旗本永見甲斐守の娘、お寄の方が起立し、後に円珠院殿妙献日寄大姉の法名で この寺に葬られた。江戸時代から 「深川の大黒天」として有名だったという。

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(五)福禄寿                                             

福徳=人望福徳
福禄寿は 星宿の神、南十字星の化身とも言われ、長寿を司る人望福徳の神。一説に中国の宋の時代に実在した道士であるとも言われている。福(幸福)、禄(財)、寿(長命)、三つ之福徳を授ける神と言われてきた。
心行寺の六角堂に安置されている。

心行寺 東京都江東区深川2ー16ー7
元和2年(1616年)に 尾道上人により開山、京橋八丁堀寺町に創立され、寛永10年(1633年)に 現地に移ってきた 由緒有る名刹、浄土宗の寺院。


(六)弁財天                                        

福徳=芸道富有
弁財天は インド名はサラスバティという川の名前。意訳して大弁天、美音天と言われた川の神だったが この神は悪声を美声に変える音楽の神、芸術の神、弁智弁舌の神だった。日本では 弁才天より 弁財天として 財宝を施す神として信仰されるようになり 商売繁盛の富有の福徳を授け、芸道音楽の仏神として位置つけられた。江ノ島、竹生島、厳島等の弁財天が 昔から有名である。七福神では唯一女神。一般的には 青色の衣を着て 左手に琵琶を抱く坐像が多い。
冬木弁天堂に安置されている。

冬木弁天堂 東京都江東区冬木22-31
宝永2年(1705年)、木場の材木商冬木弥平次が 茅場町から深川の現地に屋敷を移転した際、邸内に大きな池があり、その畔に竹生島から移した弁財天を安置した。当時から 町名は冬木町と呼ばれ、冬木弁財天は 明治3年から一般参詣に開放されているのだそうだ。

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(七)恵比寿天                                          

福徳=愛敬富財
恵比寿天は イザナギノミコトの第3子にあたる蛭子尊であると言われており、全国の恵比寿信仰の中心は兵庫県西宮市の西宮神社なのだそうだ。
恵比寿天は 富岡八幡宮の西側にある恵比寿宮に祀られている。

富岡八幡宮 東京都江東区富岡1-20-3
寛永4年(1627年)に 当時永代島と呼ばれていた小島に創建された。周辺の砂州一帯が埋め立て 社地と居住地を開拓、総じて6万508坪の社有地を誇っていたという。以来、隅田川両岸一帯の氏子をはじめ広く世の崇高を集めて、江戸の最大の八幡さまとなり「深川の八幡様」として親しまれてきた。
さすがに人気の高い富岡八幡宮、初詣の長蛇の列に並ぶ時間的余裕は無く、最後の御朱印を受け、遠いところで拝礼し 帰途についた。


各寺社でご朱印を受ける特製色紙は 
三社四寺どこででも入手出来る。


上記記事は 「深川七福神巡り」した際にいただいた
深川七福神会の小冊子「深川七福神」等を 
参照・引用させていただいたものだ。


 

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10ケ月振り、昭和記念公園散策

2020年10月30日 15時45分25秒 | 街歩記(小さな旅)

新型コロナウイルス感染拡大が始まる前の今年1月に
セツブンソウ目当てで 訪れている国営昭和記念公園、
今日 天候イマイチだったが 
思い立って10ケ月振りに訪れ、散策してきた。


1月後半頃からずっと、不要不急の外出自粛要請を受け、
基本 家籠りの暮らしを続けてきた老夫婦、
そんな暮らしにすっかり慣れてしまい、
「どこにも出掛けられない症候群?」に 陥っている感も有る。
動いていない分、身体の機能の衰え、特に足腰がかなり弱くなっているような感じがしている。心身のストレス解消のためにも 工夫しながら、少しづつ行動しないと ますます老化を早めてしまう気がしてならない。

「どこへ行く?」
「手軽に行けるところで・・」
「三密にならないところを ゆっくり歩きたい・・・」
ということで
国営昭和記念公園へ 車でGo!
砂川口から入園し、「こもれびの里」、「みんなの原っぱ」、「原っぱ東花園」、「日本庭園」、「こもれびの丘」、「花の丘」等を 巡って歩き 先程帰ってきた。

国営昭和記念公園は 旧米軍立川基地(立川飛行場)跡の一部に建設され、1983年(昭和58年)10月に開園された日本を代表する国営公園。東京都立川市と昭島市に跨る165.3haの広大な園内には 広場ゾーン、水のゾーン、森のゾーン、等があり、大規模災害時の広域避難場所としての機能もある。

「砂川口」
65歳以上の入園料=210円、

「こもれびの里」

 

「みんなの原っぱ」

「原っぱ東花畑」のコスモスは まだまだ見頃

キアゲハ(黄揚羽)                 ?

 

ペンタス?

 

 

紅葉の見頃はもう少し先の「日本庭園」

 

「こもれびの丘」、人工の丘が快適な雑木林になっている

見頃は過ぎてしまった感じの 「花の丘北花畑」のコスモス、

スマホの歩数計で 約8,500歩、
本当に久し振りに出掛けた感じで 気晴らしにもなり、
足慣らしには 程よい散策だった。

 

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下河原緑道と郷土の森公園 その3

2020年02月22日 10時16分51秒 | 街歩記(小さな旅)

約13万㎡の広大な敷地の郷土の森公園は、自然、歴史、文化、プラネタリウム、江戸後期~昭和初期の復元建物、4つを集約した総合博物館として、全体が「府中市郷土の森博物館」と称され、芝生や 滝、池、小川等の水辺も有り、四季を通じて絶好の憩いの場にもなっているようだ。懐かしい風景が随所に見られ、その風情から郷愁に駆られる。

春の小川

水車小屋、
かって武蔵野で多く見られたという腰掛け式水車。

竹藪、
孟宗竹(もうそうたけ)

蝋梅(ろうばい)
クスノキ目、ロウバイ科、ロウバイ属、

ハケの農家、旧越智家住宅

旧三岡家長屋門と紅千鳥(べにちどり)

臥龍梅(がりゅうばい)
豊臣秀吉の朝鮮出兵に従った伊達政宗が、
朝鮮から持ち帰ってこよなく愛したと言われている梅。

白加賀(しろかが)、一重、野梅系、

白加賀枝垂(しろかがしだれ)、一重、野梅系、

明治21年完成の蔵造り商家、旧島田家住宅、

花香実(はなかみ)、八重、淡紅、野梅系、


最後に「博物館本館」の展示室を見学し 往路下河原緑道を歩き、分倍河原駅へ。
馴れておらず、鬱陶しいこと限りなしのマスクを掛けて・・・、
スマホの歩数計で 約15,000歩。

(おわり)

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