たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ブルームーン(Blue Moon)

2020年10月31日 19時53分37秒 | 暮らしの記録

10月31日 23時50分頃 10月2回目の満月になる。
満月は 通常は 1ケ月に1度しか観測されないところ、
2~3年に1度は 1ケ月に2度 観測されることが有り
その2度目の満月は、
「ブルームーン(Blue Moon)」
呼ばれているのだそうだ。
10月2日が満月だったので 
今日の満月は そのレアな 「ブルームーン」。

当地 今日は 1日中 快晴、
そんな情報に誘われて、20時頃 ベランダから見上げると
冴え渡った秋の夜空に 煌々とした満月。

秋には 月が似合う。

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母の句

2020年10月31日 15時36分17秒 | 川柳・俳句・詩

(ネットから拝借無料画像)

3年前、2017年11月に 母親は 94歳で永眠した。
母親は 父親死後も 長年 北陸の山村で一人で暮していたが、 
病気や認知症状の度合い等から 一人暮らしが困難となり
13年前の12月、一旦 神奈川県在住の妹宅に同居し、その後施設に入所、入退院を繰り返しながら 10年間を生き抜いた。
その間は それまで 出来なかった母親との触れ合いを心がけ
出来得る限り頻繁に 妹宅や施設、病院に通ったように思っている。

丁度そんな頃に それまでまるで興味関心も無かった川柳に出会い、
単なる五七五言葉並べ遊びではあったが 
母親への思いをも 句にしていた。
逝ってしまった後にも、何句か 作っていて
メモが残っている。
拙句、駄句ばかりだが、3年目になる今、
せっかく作った五七五、改めてブログに書き留め置くことにする。

「母の句」

うるさいと嫌った母の手を握り
子供の頃(反抗期)、勝ち気でうるさい母親と激しく対立していたが・・、

北風に最後の一葉耐えて揺れ
晩秋、庭の柿の木の葉がパラパラ散って、最後の1枚が母親に重なって

九十路(ここのそじ)超え尚子等(こら)に風邪引くな
車椅子の母親が、別れ際に発する言葉は いつも「風邪引くな」だった。

三代を生き抜いた手の力知る
毎度別れ際に握手していたが、大正昭和平成を生き抜いた手は、最後まで力強かった。

母を連れ帰る故郷の雪の墓
骨壷を抱いて、すでに帰る家も無い北陸の郷里へ 新幹線で帰郷した時の句。

全うし穏やかなりし母の顔

母が逝く最後の一葉落ちるよに

天高く母を乗せて千の風
少女時代の東京の空へ?、住み馴れた北陸山村の空へ?

煙となり母青空に召され逝く
藤沢市の火葬場で 快晴の空を仰ぎながら・・・。

安らかに眠り給うや秋の日に

三代を揺れて灯した炎消え

 

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畠山健二著 「本所おけら長屋(十四)」

2020年10月31日 10時57分06秒 | 読書記

図書館に予約(リクエスト)してから数ケ月、先日やっと順番が回って来て借りてきた 畠山健二著「本所おけら長屋(十四)」(PHP文芸文庫)を 読み終えた。


お江戸本所亀沢町にある貧乏長屋「おけら長屋」の住人、万造、松吉の「万松コンビ」を筆頭に 左官の八五郎、お里夫婦、粋な後家女お染、浪人の島田鉄斎、大家の徳兵衛、等々、個性豊かな面々が 貧しいくせにお節介で人情厚く、次々巻き起こる問題、事件、騒動を笑いと涙で体当たりし、まるく収めていくという 人気の「本所おけら長屋シリーズ」の第14弾目の作品だ。まるで江戸落語を聞いているようなテンポ良い会話、小気味良い文体、随所で笑いが堪えられなくなったり、思わず泣かされてしまう、人の優しさが心に沁みる時代小説、一気に読める作品だと思う。
(注)真夜中に読まない方がいいかも知れない。一人で ゲラゲラ笑い出したり、鼻をすすったりする爺さんは なんだか不気味、気が触れたか?と 勘違いされる恐れ有り。


畠山健二著 「本所おけら長屋(十四)」

本書には 「その壱 まつあね」、「その弐 かたまゆ」、「その参 きれかけ」、「その四 おみくじ」の 連作短篇4篇が収録されている。

「その壱 まつあね」
前作の「その四 ゆうぐれ」では 下総国印旛の松吉の実家の騒動を おけら長屋の住人達に酒場三祐のお栄等も加わって、笑いと涙で丸く収めたが、結果 松吉の義姉お律は 江戸に出てきておけら長屋の住人となっている。当篇では そのお律に絡んだ出来事、騒動に、万造、松吉等 おけら長屋の面々が出番となる物語。
お律が手伝うようになった聖庵堂に大柄な男新吉が運び込まれてきた。お律は 証文も無しで、その男に20両の大金を貸してしまうが・・・・、
品川宿の口入れ屋日吉屋のお陸、下働きの猪之吉、柴崎屋義左衛門、番頭仙太郎、破落戸音蔵、

「その弐 かたまゆ」
おけら長屋の住人、大工の八五郎の女房お里の奉公先成田屋の女中頭お多喜は、亭主竹五郎の酷い酒癖の悪さで困っている。一方で 阿波国徳島藩の藩士で島田鉄斎を師と仰ぐ若芽錦之助が訪ねてきた。剣の腕抜群の好男子だが、酒癖の悪さで切腹は免れたものの、お役目辞退、謹慎、廃嫡になった経験有り、断酒中。その若芽錦之助、貧乏旗本の三男坊黒田三十郎と称して、お忍びで おけら長屋の連中と関わり合う津軽藩の分家黒田藩藩主津軽甲斐守高宗万造松吉を交えて 大変なことになり・・、若芽錦之助、甲斐守高宗のキャラクターに 抱腹絶倒・・・、「わはははは、腹が痛え、助けてくれ~、死ぬ~」
黒田藩江戸家老工藤惣二郎、用人見習い田村真之介、徳島藩藩主須賀田阿波守政勝、

「その参 きれかけ」
おけら長屋の裏手の金閣長屋の住人、曲物師権三郎と女房お清の娘お菜美は 2年前に飛び出していたが 大きなお腹を抱えて戻ってきた。おけら長屋の井戸端は その話でもちきり。お節介焼きのおけら長屋の面々、放っておくことが出来ず、相手を探し出し、丸く収める方向へ 手を出し、口を出す。お菜美は涙を払った。
お染万造松吉が お菜美と佐久助の馴れ初めを聞き出し お糸も世話を焼く。
「ありがとう、お糸ちゃん。鼻緒は切れなかったよ」「今度は お糸ちゃんの番だね」

下駄屋三増屋安兵衛、お満、

「その四 おみくじ」
大工の八五郎と女房お里の娘お糸の出産に絡んだてんやわんやの騒動と顛末。出産間近になり、ひとつ家族のようなおけら長屋の住人達はこぞって、浮足立ち、浮かれ過ぎている。八五郎は孫の名前を考え、女達は 御包みの準備に大わらわ、魚屋の辰次、呉服屋の手代久蔵、八百屋の金太、の三人は 犬山神社のお守りに添えて 「おみくじ」を贈ったが大問題に・・・。
(商売)北東に落とし穴あり、(願望)今は叶わず、(待ち人)来たらず、(出産)難あり、身内の食あたりに気をつけよ・・・、手違いで「大凶」のおみくじだった。大事な時期にお糸が落ち込み、どうしたらよいものか思案するおけら長屋の面々。お染が お糸を救う手段に指し向けたのは 久蔵の女房お梅
大雨の中、聖庵堂に参集した面々に お満は 逆子で母子の生死が掛かる最悪の事態であることを説明するが 直後突然近くに落雷が有り・・・。久蔵は 「そう言えば・・」と口走ると懐からくしゃくしゃになった大凶のおみくじを取り出した。「さ、最後に書いてありますよ。”光させば好転す” って」
八五郎が突然叫ぶ。お糸の亭主文七、「雷蔵・・・いい名前じゃねえですか」

(つづく)


(参照)→ PHP研究所(PHP文庫)「本所おけら長屋シリーズ」


 

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10ケ月振り、昭和記念公園散策

2020年10月30日 15時45分25秒 | 街歩記(小さな旅)

新型コロナウイルス感染拡大が始まる前の今年1月に
セツブンソウ目当てで 訪れている国営昭和記念公園、
今日 天候イマイチだったが 
思い立って10ケ月振りに訪れ、散策してきた。


1月後半頃からずっと、不要不急の外出自粛要請を受け、
基本 家籠りの暮らしを続けてきた老夫婦、
そんな暮らしにすっかり慣れてしまい、
「どこにも出掛けられない症候群?」に 陥っている感も有る。
動いていない分、身体の機能の衰え、特に足腰がかなり弱くなっているような感じがしている。心身のストレス解消のためにも 工夫しながら、少しづつ行動しないと ますます老化を早めてしまう気がしてならない。

「どこへ行く?」
「手軽に行けるところで・・」
「三密にならないところを ゆっくり歩きたい・・・」
ということで
国営昭和記念公園へ 車でGo!
砂川口から入園し、「こもれびの里」、「みんなの原っぱ」、「原っぱ東花園」、「日本庭園」、「こもれびの丘」、「花の丘」等を 巡って歩き 先程帰ってきた。

国営昭和記念公園は 旧米軍立川基地(立川飛行場)跡の一部に建設され、1983年(昭和58年)10月に開園された日本を代表する国営公園。東京都立川市と昭島市に跨る165.3haの広大な園内には 広場ゾーン、水のゾーン、森のゾーン、等があり、大規模災害時の広域避難場所としての機能もある。

「砂川口」
65歳以上の入園料=210円、

「こもれびの里」

 

「みんなの原っぱ」

「原っぱ東花畑」のコスモスは まだまだ見頃

キアゲハ(黄揚羽)                 ?

 

ペンタス?

 

 

紅葉の見頃はもう少し先の「日本庭園」

 

「こもれびの丘」、人工の丘が快適な雑木林になっている

見頃は過ぎてしまった感じの 「花の丘北花畑」のコスモス、

スマホの歩数計で 約8,500歩、
本当に久し振りに出掛けた感じで 気晴らしにもなり、
足慣らしには 程よい散策だった。

 

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キウイとピラカンサ

2020年10月29日 21時18分37秒 | 暮らしの記録

猫の額程の狭っこい庭のフェンス際で
大きくなり過ぎて困っているキウイの木が有る。
やむを得ず 毎年 大胆にバッサ、バッサ剪定しているが
無茶苦茶な剪定のせいだろうか、
実が生る年と 全く実が生らない年がある。
今年は 多分 20~30個は 生っており、
今のところ 野鳥等にも横取りされていない。
葉が枯れて パラパラ舞い落ちる頃に 収穫することにしているが
そろそろ 収穫適期が来ているようだ。

ピラカンサも 大きくなり過ぎて 伐採してしまうつもりでいる木であるが、
春には 白い花、秋には 赤い実、
なかなか 踏ん切りがつかないでいる。

放ったらしの庭で 年がら年中咲いているのは
アブチロン(チロリアンランプ)

駐車場の隣りのお宅の庭の木、マユミ(真弓)の実

加齢と共に、どんどん大きくなる庭木の世話等も、大変になってきている。

 

 

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「秋桜(コスモス)」(再)

2020年10月29日 17時38分55秒 | 川柳・俳句・詩

この時期になると 今から43年前 1977年(昭和52年)10月にリリースされた 作詞・作曲 さだまさし 唄 山口百恵・さだまさしの 「秋桜(コスモス)」が なんとなく思い浮かんできてしまう。今では 「日本の歌100選」にも 選ばれているのだそうだ。
晴れ渡った秋の庭先、嫁ぐ日を目前にした娘さんと母親の情景が 詠み込まれた詩と 穏やかなメロディーに 思わず ポロっと涙を流してしまう人も多いのでは無いかと思う。

「秋桜(コスモス)」 作詞・作曲 さだまさし、

(1)
薄紅の秋桜が秋の日の
何気ない陽溜まりに揺れている
この頃涙もろくなった母が
庭先で一つ咳をする
縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話繰り返す
独り言みたいに 小さな声で
こんな小春日和の穏やかな日は
貴方の優しさがしみてくる
明日嫁ぐ私に 苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った

(2)
あれこれと思い出をたどったら
いつの日も一人ではなかったと
今更ながらわがままな私に
唇噛んでいます
明日への荷造りに手を借りて
しばらくは楽しげにいたけれど
突然涙こぼし 元気でと
何度も何度も繰り返す母
ありがとうの言葉をかみしめながら
生きてみます 私なりに
こんな小春日和の穏やかな日には
もう少し貴方の子供で
いさせて下さい

ハーモニカ演奏の「秋桜(コスモス)」 (YouTubeから共有)
(注)「この動画はYouTubeでご覧下さい」をクリックすると視聴出来る。


2019年6月29日の記事「秋桜(コスモス)」 → こちら


 

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病院のち畑

2020年10月29日 15時14分27秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地 午後になってやや雲が掛かりだしたが、
朝方からお昼頃までは 雲一つ見えない大快晴だった。

大岳、三頭山、雲取山 等 奥多摩方面の山並み

今日は 妻の通院予約日、
朝一番 送迎した後は、畑へ Go!

(1)ピーマン、シシトウの片付け
   10月末になってもまだ生っているピーマン、シシトウ、
   もう いいでしょ!、
   片付けないと 次の仕事が出来ないため、引っこ抜く。
   ピーマン、シシトウ、白ナスの跡地を耕し、苦土石灰散布、
   キヌサヤ、スナックエンドウの苗 植え付け下準備、

(2)唐ノ芋 試し掘り
   茎葉が倒れ始め、そろそろ 収穫適期を迎えている里芋、唐ノ芋、
   1株だけ 試しに掘ってみた。

当初 生育悪く 今年はダメかも?と思っていた里芋、唐ノ芋。
予想外に、芋の子の数が多く 粒も揃っており、びっくり。
この分だと、まずまずの出来かも知れない。
本収穫は 11月に入ってからの予定。

(3)大根初収穫(1本だけ)
   まだ ちょっと早い感有りだが 食材調達係?の都合で・・、

(4)葉大根初収穫

(5)ピーマン、シシトウ 最後の収穫

 


9月27日に仮種蒔きした サラダ菜、サニーレタス
つい先日まで、全然発芽せず、半ば諦めていたが 
今頃になって 発芽し始めてきた。
ホームセンターで買った種、
代金が無駄にならず ホッ!、
もう少し生育したところで 移植定植することに・・・、

 

ネギ

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10月最後のレッスン

2020年10月28日 20時26分03秒 | スイミング

毎度のこと、大病院は 予約時間等 有っても無いの如し、
検査、診察、待ち時間、1時間以上は 当たり前、
今日は T大学病院の経過観察検査診察日だったが
往復時間を入れると 3時間以上、
大病院行きは 半日仕事?である。

今日もまた、
あっという間に1日が終わってしまった気がしてならない。
10月も 残り3日、
そろそろ「年末」の声が聞こえてくる時期か・・・。
あーあ・・。

通っているスイミングクラブは 明日から3日間休館になり、
今日は 10月最後の成人クラスレッスン日。
今日 休むと(サボると)、
またまた 2週間のブランクになってしまうし・・・。
体調イマイチだったが 
今日は どうしても・・・、
気合を入れ、19時~20時の成人クラスレッスンに出席、
先程 帰ってきたところだ。
今日は N指導員によるバタフライ中心レッスン、
毎度のこと、基本、基本の繰り返しだが
特に キックと姿勢、うねりを注意された。
レッスンの最後には クロール 50m✕6本も入り、
バテバテ、右腿が攣る寸前に・・、
レッスン終了後は 居残りせず、サッサと引き上げてきた。
無理するべからず、過ぎたるは及ばざるが如し、
自分に言い聞かせながら・・・。

「バタフライ・姿勢」 (YouTubeから共有)

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藤沢周平著 「よろずや平四郎活人剣(上巻)・盗む子供」

2020年10月28日 08時01分33秒 | 読書記

図書館から借りていた 藤沢周平著 「よろずや平四郎活人剣(上巻)・盗む子供」(文藝春秋)を 読み終えた。「オール読物」1980年(昭和55年)10月号から1982年(昭和57年)11月号に連載された連作短篇構成の長編時代小説で 1983年(昭和58年)に発刊された(上巻)(中巻)(下巻)の内の(上巻)である。

藤沢周平著 「よろずや平四郎活人剣(上巻)・盗む子供」

本書には 表題の「盗む子供」の他、「辻斬り」、「浮気妻」、「逃げる浪人」、「亡霊」、「女難」、「子攫い」、「娘ごころ」の 連作短篇8篇が収録されている。

(上巻)の主な登場人物

神名平四郎(主人公)・・幕府目付神名監物の腹違いの末弟(亡父が 台所下働きの下女に産ませた子)、24歳、神名家ではずっと冷遇されていた、冷や飯食い(次男以降の男子)、雲弘流矢部道場では次席に位置する高弟、実家を飛び出し、道場で知り合った明石半太夫、北見十蔵と道場を立ち上げようとするが 明石半太夫の裏切りで計画が頓挫、長屋に住み付き、生計のため、思い付きで 「よろずもめごと仲裁つかまつり候」の看板を掲げるところから 物語が始まる。一方で 兄の目付神名監物からは 危険を伴う探索や護衛等を命じられ、そのほとんどがただ働きで、不満を抱きながら逆らえず従う。

神名監物・・平四郎の腹違いの兄、幕府目付、同じ目付で後に南町奉行になる鳥居耀蔵とは対立する一派に属している。しばしば、平四郎に危険が伴う探索や護衛等を命じる。

里尾・・神名監物の妻(平四郎の義姉)、42歳、早く実母を亡くした平四郎にとって、幼い頃は母親代わり、厄介者扱いされがちな平四郎に対して 昔も今も温かく接してくれる唯一の理解者。

明石半太夫・・平四郎が共に道場を開設しようとした矢部道場の仲間の一人、肥後出身、39歳、平四郎と北見十蔵が出資した金を持って夜逃げ、後に南本所に住んでいることを突き止められたが、平四郎、北見十蔵に対して、のらりくらり、金を返そうとしない。一方で 時には平四郎と共に 剣をとって戦う仲間、

北見十蔵・・平四郎が共に道場を開設しようとした矢部道場仲間の一人、元仙台藩藩士、30歳、寺小屋の師匠、達筆、平四郎には人が良すぎるように見えるが 時には 平四郎と共に 剣をとって戦う仲間。

鳥居耀蔵・・実在の人物、老中首座水野忠邦の懐刀、天保の改革の実行に力を尽くした人物、目付神名監物(平四郎の腹違いの兄)と同じ目付だったが 対立した一派。南町奉行矢部定鎌を讒言により失脚させ その後任に座る。

島田耕作・・高野長英の弟子、「変社遭厄小記」を預かった人物、目付鳥居耀蔵と彼に対抗する目付神名監物が 田島の身柄確保を目指し暗闘、平四郎も度々駆り出される。

矢部三左衛門・・雲弘流剣術道場矢部道場の主、

伊部金之助・・平四郎の矢部道場の仲間、平四郎が元許嫁の早苗に関する情報探索を依頼、酒好き、ひどい泣き上戸、コミカルなキャラクター。


第12代将軍徳川家慶の下、天保12年(1841年)頃から天保14年頃、老中水野忠邦が天保の改革を行い、失脚するまでの期間、水野派と反水野派の政争が有った時代を背景にしている。水野忠邦に重用された、蘭学嫌いの目付(後に南町奉行となった)鳥居耀蔵が 渡辺華山、高野長英等の蘭学を弾圧した蛮社の獄に関わる物語も登場している。剣の達人でありながら 長屋に住み よろずもめごと仲裁の手数料で生計を立てる主人公神名平四郎のユニークなキャラクター、ユーモアをも秘め、双方に傷が残らないように収めるよろずもめごと仲裁、ラブストーリー有り、凄まじい斬り合い場面も有り、庶民の暮らしと武家の諸問題、並列で描いた痛快娯楽時代劇だと思う。

(つづく)

 

 

 

 

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更け行く秋の夜

2020年10月26日 22時04分28秒 | 暮らしの記録

夕方からやや雲が掛かってきて 
今夜は 月を見ること出来そうに無いと
思っていたが
22時頃になって 時々 雲間から月が顔を出しているのに気が付いた。
ここのところずっと 夜空を仰ぐこともしていなかったこともあり、
久し振りに カシャ、カシャ、

(月齢 9.3)

秋の夜長、更け行く秋の夜である。

 

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