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「さんま、その食と漁①」

2013-09-29 07:28:48 | 日本

漆原次郎さんの「さんま、その食と漁」について、まとめた論文があった。
さんまの季節に相応しいので要約し、2回にわたり記す。
おいしい「さんま」を選ぶポイントは、背が太い、光沢がある、眼がきれい、鰓(えら)があざやか、くちばしが黄色といった点である。「さんま」の塩焼きで、うまい日本酒を飲んでくれ。



「さんま」の季節がやって来た。多くの食材の季節感が失われたなか、「さんま」はいまも旬を味わえる海の幸だ。
8~9月頃、千島列島沖の北太平洋を南下し始め、11月に銚子沖へやって来る。日本海側を南下してくるものもいる。秋が深まるにつれさんまの体に脂が乗る。焼けば煙を立ててこんがりと香ばしい。その後、11月下旬頃からの産卵期を迎えると脂は急に落ちる。脂の乗った新鮮な「さんま」は、秋のこの季節しかないのだ。

「さんま」をテーマに、日本人の食としての接し方と、漁の仕方を、過去から現代にかけて追っていく。

「さんま」という言葉には、由来、当て字、方言からして様々な側面がある。呼び方の由来では、細長い魚の意味の「狭真魚(さまな)」から来たという説、「たくさん」を意味する「さん」と「うまい」を意味する「ま」で「さんま」となったという説などがある。当て字にも「秋刀魚」のほか、かつては「秋光魚」「秋水魚」「青串魚」、さらに「小隼」「三馬」「三摩」などが使われていた。和歌山から四国や広島にかけて、さんまは「祭魚(さいら)」と呼ばれてきた。大漁祈願に備えた魚の呼び名だ。和歌山ではほかに「さより」とも呼ばれ、また、長崎では「さざ」、また新潟では「ばんじょ」と呼ばれてきた。

また、「高級魚ではないがうまい」という構図は、江戸時代の落語「目黒のさんま」にも使われている。
目黒へ鷹狩りに出かけた殿様が、農家で焼きたてのさんまを食べ、そのうまさを忘れられなくなる。後日、殿様がさんまを食べたいと言い出すと、家来の手で日本橋の魚河岸のさんまを高級に料理した椀ものがさし出される。だが、殿様の口に合わない。殿様は知ったかぶりに言ったのだった。「さんまは目黒に限る」と。現実世界でも、高貴な人びとにとって、さんまは“知られざるうまい魚”だったのかもしれない。

1892(明治25)年7月8日付の読売新聞に「前田利嗣 秋水魚(さんま)を知らず」という見出しの記事がある。華族の前田利嗣(1858~1900)の少年時代の逸話だ。利嗣は、通学先で用意された食事が口に合わずにいたところ、ある日さんまの塩焼きが出され、うまいと骨以外のすべて食べた。そして家に帰り「きょう学校で珍しい魚を食べた。味が濃くて香ばしくて、うちの晩餐よりはるかに勝っていた。『サンマン』というらしい」と家の人に話したという。

身分がどうであれ、うまいと思えば、それをまた食べたくなる。人びとの食欲を捉えて、さんまは日本人が好む魚の代表的存在になっていったのだ。

さんま漁の変遷もおもしろい。
1544(天文13)年の東伊豆で「サイラ網」による漁法がすでに始まっていたという。サイラ網は、魚の群れを包囲するように使う「巻網」の一種だ。また遅くとも17世紀、紀伊半島の熊野でさんま漁が行われていたという。熊野で獲れるさんまは時期的に脂が抜けたもの。当地には背開きのさんまを塩と酢で漬けた「さんま寿司」や、1本ずつを干していく「さんまの丸干し」などの独特の食文化がいまもある。さんま漁は全体的に紀州から房総へ、つまり西から東へと伝わっていったとされている。

漁法については、江戸時代までサイラ網などの巻網が普及していたが、なかには地方独特の珍しいものもあった。例えば、日本海の佐渡沖では江戸時代から「手づかみ漁」が行われてきた。春、海藻を吊るした米俵や簀子(すのこ)などを海に浮かべ、産卵にやってきたさんまを手づかみで獲るというものだ。

明治時代以降になると、網を直線状などに張って魚が進むのを遮るようにして魚を獲る「刺網漁」が全国に普及していった。とはいえ、全国の年間漁獲量は明治時代には1万トンを超えることはなく、20万~30万トンの現在にくらべて小規模なもの。大衆魚といっても漁獲量には限りがあった。

だが、昭和に入り戦争前後の時代、さんま漁に画期的な技術革新が起きる。「棒受網(ぼううけあみ)」という網を使った、さんまの大量捕獲法が生まれたのである。

この漁法は、さんまが光のある方に進もうとする「正の走光性」を利用したものだ。船に「集魚灯」と呼ばれる光を放つ器具をいくつも備えつけておく。そして夜間、漁場となる海域において、探照灯などでさんまの群れを探して近づき、両舷の集魚灯を点けてさんまを船のまわりに集める。次に左舷の灯を消して、右舷のみで海を照らす。これで、さんまは右舷側に集まってくる。その間に船の左舷から、竹竿(現在は強化プラスチック製パイプ)に付けた棒受網を張り出す。風などによって船体が網から離れたら、左舷の灯を点灯し、右舷では船尾から順次消灯する。さんまは、この灯光照射域の移動に伴い、船の船首側や下を回って左舷側に集まる。そこで、左舷側に張り出していた棒受網の網裾を巻き上げてさんまを網の上に集約して捕獲するのだ。