龍の声

龍の声は、天の声

「オルゴール療法とは、」

2011-12-30 22:42:37 | 日本
「オルゴール療法とは、」


なぜ、オルゴールを聴くだけで心身の調子がよくなったりするのか?
「オルゴールは脳に効く」の著者 佐伯所長は、以下の如く話している。


それは人の可聴域(20~2万ヘルツ)を超える、オルゴールが持つ独特な周波数にあります。オルゴールの音色は、3・75ヘルツの超低周波から10万ヘルツという高周波をカバーする特異な楽器です。オルゴールの音波は大脳の奥、すなわち「脳幹」にまで届いてしまうことが実験により明らかになっています。

モーツアルツ療法が広く知られていますが、モーツアルツの音楽は老若男女、民族を超えて誰にでも受け入れられている音楽です。音楽は人を癒し、気持ちよくさせてくれる。

しかし、オルゴール療法は、それだけではなく、低音から高音のバランス、響き、鋼の鋭い音、高音の透明度、低音の重厚さ<1/f(エフぶんのイチ)のゆらぎ>のテンポ、優れた編曲と調律によるバラエティー豊かな音曲、等々。オルゴール療法は、気持ちのよいという精神的作用だけでなく、脳の中枢にまで物理的に作用している。

オルゴール療法は、副作用ない療法、自然治癒力が上がる療法として長年の愛好家が多くいます。




来年は戦後最大の変化の年だ。
国内外ともに大荒れするだろう。
こころして、かかろう。

では、明るく元気な良い越年を!



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「龍馬考」

2011-12-29 23:28:41 | 日本
「龍馬考」

東京龍馬会会長の田村金壽さんは、龍馬像について素晴らしい紹介をされてみえる。
以下、要約し紹介する。
新年からは、国の内外ともに大荒れの一年になることが予測される。それだけに、新しい自立ある国創り!にむけ、行動するための参考にして欲しい。


司馬遼太郎は「竜馬がゆく」の中で、「天に意思があるとしか、この若者の場合は思えない。この国の歴史の混乱を収拾するために、この若者を地上に下ろし、その使命がおわった時惜しげもなく、天に召し返した。若者は、その歴史の扉を、その手で押して、そして未来へ押し上げた」と最後に書いた。
それほど幕末日本史に彼が果たした役割は大きかったと言えよう。
このような人物がどうして生まれたのか、私見として考えてみたい。
その1つは、時代の背景である。もう1つは、周囲の環境と天性の資質である。

一部をのぞき、研究者は幕末の時代を幕府の疲弊やペリーの来航などの政治的分野で分析することが多いが、私は同時に、幕府経済の破綻の時代でもあったと考える方である。もちろん政治と経済とは表裏一体のものであろうが、幕末の日本の経済は飢餓や一揆の続発に見られるように、大不況が幕藩体制を揺さぶっていた。
封建社会の経済は領主支配の経済であり、その基本は石高制であるが、幕末での商人等の参入による流通経済は、商業主義、資本主義経済へと変化しつつある時期であった。
この時代、武士階級の多くは商人からの借金生活をしていて、士農工商とは言っても武士の権威は減耗されていた。明治政府の中心となり幕末雄藩と言われていた薩長両藩などは、裏貿易や船舶の通行税などの政策により武力温存に成功していた。
このように幕府権力の衰微、大不況による経済の混乱、外圧などが明治維新の大変革を引き起こしたと考えるべきであろう。

このような時代背景の中に、坂本龍馬という希有で異能な人物が薩摩ではなく土佐藩の次男に生まれて大成したと、私は思っている。
短絡的に言わせてもらえれば、龍馬の本家は豪商才谷屋であり、彼はいわゆる町人郷士の出自であって、武士としては経済に詳しく情報の大切さを知り、また人に優しく自由奔放な性格は生来のものと思われる。
勉学については少年の頃に塾を中退して、その後は主に出会いの人々からの耳学問であって、いわゆる儒教の影響をあまり受けていないと思われる。

そのように考えると薩長の周旋やいろは丸事件の処理、海援隊規約など、経済に通じた武士が垣間見えてくる。また、「万国公法」を愛用し、「和英通韻伊呂波便覧」の復刻を考えた龍馬。米国社会制度への理解の早かった龍馬。船中八策、新政府綱領の着想。共和制思考。これらの点と線を結びながら龍馬像を見ると、天が日本の近代化のために地上へ下した人物ではないかと、考えるがどいうであろうか。

また勝海舟、松平春嶽、大久保一翁などの幕閣の要人から愛顧を受け、倒幕派の同志の小松帯刀、西郷隆盛、桂小五郎、高杉晋作、武市半平太、中岡慎太郎、他とも親交があり、海援隊士からも敬愛された人柄は天性の資質ではないか。

龍馬は、このように希有で異能の人物と考えてははじめて理解出来る幕末の志士であると、私は思っているが。



時代の要請が人を生み出す。
現代の坂本龍馬。

それは、わが輩かも知れない。また諸君のだれかかも知れない。
すべては後世の人のみぞ知るだろう。

精進!精進!精進あるのみ!



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「民主主義の終焉」

2011-12-29 13:00:37 | 日本
「民主主義の終焉」

増田俊男さんが書かれた「民主主義の終焉」についての文章がある。
とても興味深いので以下、要約する。


先進国の政治が経済に追い付けなくなり混乱が起きている。
また先進国の経済が市場に追い付けなくなり経済指針を見失っている。
欧州債務危機の火付け役となったギリシャではパパデモス氏を首班とする非政治家内閣が誕生、また財政破綻寸前のイタリアでも民間人モンティ氏が「政治家が一人もいない」国家救済内閣を組閣した。
主権者国民が選んだ政治家が国家運営の座から降りなくては国家の危機が救えなくなってきた。民主主義が機能しなくなってきた証拠である。パパデモス内閣とモンティ内閣が国家財政救済のための緊縮財政と増税を打ち出すと主権者国民は暴動を起こし首都を麻痺させ国家機能にストップを掛ける。国民主権、言論の自由、集会の自由が国家を崩壊に追いやろうとしている。
個人を政治・経済単位にした民主主義は自由と競争の原理で個人に夢と希望を与え国家を成長路線へと誘導してきた。人類にとって、それが政治であれ経済であれ、または自然科学であれ、成長と発展がすべてのゴールであった。
また人類はいかなる問題に直面しても成長の名の元に解決するかまたは成長を見越して先送りしてきた。日本はすでに20年前から、そして欧米先進国も今経済はもとよりあらゆる分野での成長が止まり、今や累積された先送り問題が先進国を窮地に陥れている。一方、新興国や途上国も成長のゴールを目前にし、やがて先進国が直面している歴史の転換期を迎える。成長無くして存在し得ない資本主義を支えてきた民主主義思想と哲学に代わる新たな時代を支える新たな思想と哲学が求められる。

アマガエルより早く雨を知り、ドジョウより早く洪水を知り、タカより早く台風を知ることの出来た人類の比類なき能力は成長、発展を続けてきた自然科学によって退化し、今や人間は虫より弱くなった。人はまた過剰通貨(バブルマネー)の借金を重ねて適わぬ夢を買いまくり挙句の果て借金苦で自殺に追い込まれようとしている。何ともみじめな世紀の終焉である。

そして今、人類は何を信じ、何に従って、何をしたらいいのか?成長、発展のための哲学、思想、宗教の総てを捨てて、人間復帰(ルネッサンス)を目指す時が来た!




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「坂本龍馬の誕生日と暗殺日」

2011-12-27 23:29:37 | 日本
「坂本龍馬の誕生日と暗殺日」


坂本龍馬の誕生日と暗殺日が11月15日で同じだと思っていた。しかし、東京龍馬会の富成博さんの調べによると、それは誤りだったとわかる。大事なことだから、その理由を説明する。

坂本龍馬が慶應3年11月15日、京都蛸薬師の近江屋で暗殺された。だがこの月日は旧暦(太陰暦)である。新暦(太陽暦・西暦)に換算すれば、1867年12月10日になる。この日は、京都では時雨模様と言うより、雪に近い冷雨だったと思われる。

次に、龍馬が生まれた日だが、天保6年11月15日と言われている。これをもって、生まれた日と暗殺された日とが、同じ11月15日だと言われる根拠だが、天保6年11月15日を西暦(太陽暦)に換算すれば、1836年1月3日となる。

だから、旧暦の生没月日が同じ日にちと言うだけのことだとわかる。
と言うことである。


ま、いづれにしても、坂本龍馬の偉大さはかわりゃせんぜよ。




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「連合艦隊解散の辞」

2011-12-26 18:45:26 | 日本
「連合艦隊解散の辞」

TV「坂の上の雲」が終わった。
その壮大なドラマの総締めくくりが、この「連合艦隊解散の辞」の中に現れている。
日本国の来年は、名実ともに戦後最大の激変の年となるだろう。お互いに、この「連合艦隊解散の辞」の趣旨を胆にしっかりと修めて日々精進しよう。
以下、現代訳文を掲載する。


「連合艦隊解散の辞」とは、日露戦争終結後の連合艦隊解散式において東郷平八郎長官が読み上げた訓示のことである。海軍・海軍軍人の心得を示し、名文の誉れが高い。

日露戦争は日本にとっての総力戦であり、各所で苦戦しつつもロシア軍に勝利を収めることができた。日本海軍は、ロシア海軍に対抗するために、開戦時に常備艦隊を再編成し、連合艦隊を編成した。連合艦隊は旅順や日本海海戦でロシア艦隊を撃破し、日本の勝利に貢献した。
終戦後、戦時編成の連合艦隊を解散し、平時編成に戻すこととなり、解散式が1905年12月21日に行われた。その解散式において連合艦隊司令長官・東郷により「連合艦隊解散の辞が読まれることとなった。訓示は東郷の筆であるが、文面の起草は参謀秋山真之と言われている。
訓示の骨子は、日露戦争と歴史を紐解きつつ国家における海軍の大事を説き、平時における海軍や海軍軍人のあり方について指し示し、有事に備える心構えの重要さを示している。
アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトはこの訓示に感銘を受け、その英訳文を軍の将兵に配布している。

原文は神奈川県横須賀市の記念艦三笠に所蔵されている。



「連合艦隊解散の辞」<現代訳>

連合艦隊解散の訓示 二十ヶ月にわたった戦いも、すでに過去のこととなり、我が連合艦隊は今その任務を果たしてここに解散することになった。しかし艦隊は解散しても、そのために我が海軍軍人の務めや責任が軽減するということは決してない。
この戦争で収めた成果を永遠に生かし、さらに一層国運をさかんにするには平時戦時の別なく、まずもって、外の守りに対し重要な役目を持つ海軍が、常に万全の海上戦力を保持し、ひとたび事あるときは、ただちに、その危急に対応できる構えが必要である。
ところで、戦力というものは、ただ艦船兵器等有形のものや数だけで定まるものではなく、これを活用する能力すなわち無形の実力にも左右される。百発百中の砲一門は百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当たらないような砲の百門と対抗することができるのであって、この理に気づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実すなわち訓練に主点を置かなければならない。
この度、我が海軍が勝利を得たのは、もちろん天皇陛下の霊徳によるとはいえ、一面また将兵の平素の練磨によるものであって、それがあのような戦果をもたらしたのである。もし過去の事例をもって、将来を推測するならば、たとえ戦いは終わったとはいえ、安閑としてはおれないような気がする。
考えるに、武人の一生は戦いの連続であって、その責任は平時であれ戦時であれ、その時々によって軽くなったり、重くなったりするものではない。ことが起これば戦力を発揮するし、事がないときは戦力の涵養につとめ、ひたすらにその本分を尽くすことにある。過去一年半、あの風波と戦い、寒暑に耐え、たびたび強敵と相対して生死の間をさまよったことなどは、容易な業ではなかったけれども、考えてみると、これもまた長期の一大演習であって、これに参加し多くの知識を啓発することができたのは、武人としてこの上もない幸せであったというべきであり、どうして戦争で苦労したなどといえようか。
もし武人が太平に安心して目の前の安楽を追うならば、兵備の外見がいかにりっぱであっても、それはあたかも砂上の楼閣のようなものでしかなく、ひとたび暴風にあえばたちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきである。
むかし神功皇后が三韓を征服されて後、韓国は四百余年間我が国の支配下にあったけれども、ひとたび海軍が衰えるとたちまちこれを失い、また近世に至っては、徳川幕府が太平になり、兵備をおこたると、数隻の米艦の扱いにも国中が苦しみ、またロシアの軍艦が千島樺太をねらってもこれに立ち向かうことができなかった。目を転じて西洋史をみると、十九世紀の初期、ナイル及びトラファルガー等に勝った英国海軍は、祖国をゆるぎない安泰なものとしたばかりでなく、それ以降、後進が相次いでよくその武力を維持し世運の進歩におくれなかったから、今日に至るまで永く国益を守り、国威を伸張することができたのである。
考えるに、このような古今東西のいましめは、政治のあり方にもよるけれども、そもそもは武人が平和なときにあっても、戦いを忘れないで備えを固くしているかどうかにかかり、それが自然にこのような結果を生んだのである。
われ等戦後の軍人は深くこれらの実例を省察し、これまでの練磨のうえに戦時の体験を加え、さらに将来の進歩を図って時勢の発展におくれないように努めなければならない。そして常に聖論を奉体して、ひたすら奮励し、万全の実力を充実して、時節の到来を待つならば、おそらく永遠に護国の大任を全うすることができるであろう。神は平素ひたすら鍛練に努め、戦う前に既に戦勝を約束された者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足し太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取り上げてしまうであろう。

昔のことわざにも教えている「勝って、兜の緒を締めよ」と。

明治三十八年十二月二十一日

連合艦隊司令長官 東郷平八郎





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「北朝鮮で権力闘争が幕開け②」

2011-12-25 19:19:59 | 日本
「北朝鮮で権力闘争が幕開け②」

こうして晩年の金正日に取り立ててもらった幹部がいる一方で、冷や飯を食わされた者も多数存在する。
彼らは新体制の政権運営がつまずいた場合、批判勢力に転じる可能性が高い。中でもその動向が注目されるのは、金格植・前総参謀長だ。現在71歳の彼は、現場の軍団長を長く務めた対外強硬派として知られ、2007年に総参謀長に上り詰めたものの、2009年に西海方面を担当する第4軍団長に左遷された。

北朝鮮軍内の反正恩派という話になると、しばしば長男・正男やその後ろ盾である中国と通じる改革開放派といったイメージで語られることが多い。もちろんそうした勢力も無視できないが、現在の軍指導部がこの数年で一気に世代交代したことを勘案すると、新体制指導部への批判勢力は、むしろ対外強硬派側から出てくるのではないかと思える。

また、こうして軍部内に軋轢が生じた場合には、最近は発言の機会が減っているものの、軍の実力派長老と言える呉克烈・国防委員会副委員長(前党作戦部長・大将)や、金永春・人民武力部長(国防委員会副委員長・元総参謀長・次帥)の動向も要注目だ。

他方、ロイヤルファミリーの金敬姫と張成沢は、当然ながら北朝鮮指導部では別格の地位にある。張成沢は長年にわたって実務トップの党行政部長を務め、党の実権の多くを握っている。今回の葬儀委員会の上位に名を連ねた党長老たちよりも、実際には張成沢の方が発言力はある。だが、その威光も、もとはと言えば金正日あってのものだ。“婿”にすぎない張成沢には軍や党の内部に反対勢力もあり、失政があれば批判の対象になり得る。金敬姫も兄によって強引に高い地位を得たが、実績は何もないただの女性にすぎない。本格的な権力闘争が平壌で始まれば、幹部たちの支持を集め続けられるかどうかは未知数だ。

おそらく金正日自身、自身の死後の世襲政権が安泰だとは信じていなかったはずだ。そこで彼が重視したのが、いわば“影の機関”の役割だった。
例えば、今年に入ってから、特殊部隊の精鋭から成る「暴風軍団」を金正恩の指揮下に置き、中朝国境地帯などで秘密警察的な監視業務にあたらせてきた。暴風軍団は金正恩の親衛隊的な存在でもあり、軍や治安機関よりも上位の権限を与えられていると見られる。また、金正日は秘密警察「国家安全保衛部」の権限を強化し、正恩の後ろ盾としてきた。今年春までに、正恩を同部の事実上の指導者とする措置も済ませている。今後しばらくは、国家安全保衛部が軍や党の幹部、および国民への監視を強化することになるだろう。同部のトップは禹東測・第1副部長だが、彼は金正日によって党中央軍事委員会委員・国防委員会委員・党政治局員候補・大将に任命されており、今や軍・党の両方で最高幹部レベルの地位に上り詰めている。彼自身が権力闘争の局面で、重要な役割を果たすことになるかもしれない。




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「北朝鮮で権力闘争が幕開け」

2011-12-24 08:48:46 | 日本
「北朝鮮で権力闘争が幕開け」

「北朝鮮で権力闘争が幕開け①」

黒川文太郎さんは、これからの北朝鮮のキーパーソンの顔ぶれについて分析している。
参考になるため、要約したものを2回にわたり掲載する。


12月17日に金正日総書記が死去し、三男・正恩が後継者として、この世界で最も独裁色の強い国家を統治していくことになった。
三男への世襲は、故・金正日自身が決定した既定路線だが、年長者を敬う儒教思想の影響力が強いこの国で、現在28歳の正恩はあまりに若い。そのため、父・正日は特に2010年9月以降、病身にムチ打って後継者の基盤作りに全力を挙げてきた。当面、北朝鮮指導部は、金正日が遺した体制で運営されていくことになる。その体制とは、基本的には金日成直系のロイヤルファミリー、すなわち金王朝のメンバーが中心となり、軍の最高幹部が支えていくという集団指導スタイルだ。ロイヤルファミリーでは、金正日の実妹の金敬姫・党軽工業部長(党政治局員・大将)とその夫の張成沢・党行政部長(国防委員会副委員長・党中央軍事委員会委員・党政治局員候補)がそれに相当する。
軍では李英鎬・総参謀長(党中央軍事委員会副委員長・党政治局常務委員・次帥)を筆頭に、金正覚・軍総政治局第1副局長(党中央軍事委員会委員・国防委員会委員・党政治局員候補・大将)、金明国・総参謀部作戦局長(党中央軍事委員会委員・大将)などが相当する。

中でも金敬姫、張成沢、李英鎬の3名が、金正恩の後見人の“トップ3”と言っていいだろう。

ただし、金正日という突出した権力者が不在となった今、その権力基盤は必ずしも安泰ではない。北朝鮮は構造的に国民経済が破綻しており、半ば慢性的な食糧危機状態にある。これまでは、そうした失政はすべて誰かのせいにされ、政権幹部が粛清されるなどして責任追及は終わっていた。もちろん金正日の過ちが糾弾されることなど、あり得なかった。だが、これからはそうはいかない。新体制下で急に経済が安定するなどということは考えられず、食糧危機などの経済破綻状態は今後も続くことが確実だが、その場合に新指導部はじわじわと責任追及の圧力を受けることになるだろう。金正恩本人に批判の矛先が向かわなくとも、その取り巻きは苦しい立場に立たされるはずだ。特に、新体制で最高位の責任者となった現在69歳の李英鎬・総参謀長は、70~80代の長老がひしめく朝鮮人民軍上層部において、金正日の指名によって並み居る先達をゴボウ抜きしてトップに据えられた人物であり、軍全体を完全に掌握しているとは言えない。
なお、金正日は晩年に、いわば世襲シフトの一環として、実質的な権力の仕組みを非公式に組み替えていて、公式な最高指導機関である「国防委員会」よりも、党の「中央軍事委員会」を重視してきた。正恩はその副委員長という肩書きで、後継者として名乗りを上げたという経緯がある。

その党中央軍事委員会は、李英鎬・総参謀長が同じく副委員長に就任しているほか、委員には主に軍の実務責任者クラスが配置された。彼らは金正日によって“金正恩派”となることを命じられたようなものだ。
同委員となった主な人物を列記すると、以下のような面々である。

崔富日・軍副総参謀長(軍指揮系統の事実上のナンバー2、大将)
金元弘・軍保衛司令部司令官(憲兵部門トップ、大将)
金英哲・軍偵察総局長(特殊工作部門のトップ、上将、韓国哨戒艦撃沈事件の指揮官と見られる)
鄭明道・海軍司令官(大将)
李炳鉄・空軍司令官(大将)
尹正麟・護衛司令官(大将)
チェ・ギョンソン 第11軍団長(特殊部隊指揮官、上将)
崔相旅・ミサイル指導局長(上将)
また、党中枢からも金慶玉・組織指導部第1副部長や崔竜海・党書記が委員に任じられている。



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「米国が北朝鮮新政権に抱く3つの懸念」

2011-12-23 06:12:54 | 日本
「米国が北朝鮮新政権に抱く3つの懸念」

古森義久さんが分析した「米国が北朝鮮新政権に抱く3つの懸念」について記す。

12月18日夜、「北朝鮮の独裁者 金正日労働党総書記の死去」のニュースが流れた。米国はこの北朝鮮のカルト的な最高指導者の死にどう対応するのだろう。
米国の政府や議会、そして研究機関の関係者たちの間では、今回の出来事は朝鮮半島の情勢はもちろん東アジア全体の地政構図を根幹から変えかねない重大異変として受け止められたと言える。

米国が北朝鮮新政権に抱く3つの懸念

第1点は,
後継の28歳の金正恩氏の下で、これまでの「金王朝」とも言える政権が従来の権力を保っていけるのかどうかである。
この疑問には当然 金正恩氏を倒して、他の指導者が頂点に躍り出てくる可能性の有無論も含まれている。

この点、戦略国際研究センター(CSIS)研究員のビクター・チャ氏は次のような懐疑を表明した。
「金正日氏は父親の金日成氏が1994年に死去するまでの年月、すでに後継となることが確実とされ、その間、14年も準備をすることができた。だが、正恩氏は後継と決まってからわずか3年ほどしか経っておらず、しかも国政の経験も実績もほとんどない。独自に抱える部下も少ないし、独自のイデオロギーも皆無だと言える。だから正恩氏にとっての権力の完全な掌握と保持は非常に難しい。それでも正日総書記の遺産で正恩氏を盛り立てていこうとする政権機能は作用するだろうが、個人の権力の基盤は脆弱だから、なにかちょっとした異変や過誤があると、重大な混乱も起きかねない」

第2は,
北朝鮮の核兵器の動向である。
米国歴代の政権、そして今のオバマ政権にとっても北朝鮮の動向で何が最大の懸念かと言えば、明らかに核兵器の開発、つまり北朝鮮の核武装である。指導者交代により核兵器開発はどうなるのだろうか。

この点について、米国議会調査局のラリー・ニクシュ氏は次のように語った。
「北朝鮮の核兵器開発は金正日書記の死で、これまでよりもむしろ速度を早める恐れがある。その理由として第1に、正恩氏が新リーダーとしての自分の強固さや自国の威信を誇示する必要を感じ、核兵器という父祖年来の積極戦略をぜひとも遂行したいと願うと見られることだ。第2には、新体制下では正恩氏の力不足からどうしても集団指導制の要素が強くなり、そこでは軍部の影響力が高まると見られることだ。軍部は当然、核武装推進の急先鋒だから、その力が強まれば、核開発にもより多くの国家資源が注がれることになる。米国や韓国、日本にとっての悪夢は、北朝鮮が中距離、長距離の弾道ミサイルに核弾頭を装備する日が到来することだ。その現実性がまた一段と高まってきたと言える」

第3点は、
金正恩氏が新最高リーダーとしてどのような対外政策をとるかである。
北朝鮮は最近、韓国の哨戒艇を撃沈し、韓国領の島に砲撃を加えるなど危険な軍事挑発を繰り返してきた。その一方で米国に対しては食糧援助と引き換えに核問題での6カ国協議に応じるような軟化の兆しをも見せてきたという。こうした北朝鮮の錯綜した対外政策は、今後、金正恩政権下ではどうなるのだろうか。米国側の関心は当然ながらきわめて強い。

その点について ヘリテージ財朝鮮問題の専門家ブルース・クリングナー氏は以下のような見解を発表した。
「金正恩氏は、当面は父や祖父が採った政策の基本を忠実に継承しようと努めざるを得ないだろう。その政策とは、異様なほどの独裁の下でのナショナリズムの高揚と軍事重視が主体となる。軍事面では核兵器保有が主要目的となる。一方、正恩氏はスイスで教育を受けたことや若いことから、なにか新しい改革や刷新の発想を持っているだろうという観測もある。しかし、最高指導者としての地歩を固めるには、軍部と労働党の首脳にまず依存しなければならない。軍や党の首脳は当然、現状維持の守旧派だ。正恩氏は守旧派の意向に沿うだけでなく、そこからの強い支持を得るために、米国や韓国のような『外部の脅威』に対して、これまでよりも強硬に立ち向かう行動を誇示するかもしれない。だが、いずれにしても当面は父親の喪に服し、政権移譲を円滑に終えるために、外交活動を事実上、凍結する公算が大きい」


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「これからの政治の動向」

2011-12-22 07:41:42 | 日本
「これからの政治の動向」

解散総選挙はいつ行われるのか、増税法案提出先送りで6月か? 法案成立後に話し合い解散か? それともトリプル選挙か? について田崎史郎さんがまとめた文章がある。
少しは参考になるので、以下、要約する。


来年度の予算編成を行うこの時期、与党議員はひっきりなしに訪れる陳情客の対応に追われ、忙しさの中に政権を担っている充足感に浸る。野党議員、とくに自民党議員は権力を操るためにその道を選んだ人がほとんどで、政権を失ってから3度目の年の暮れ、寒さが身に染みる。
「寂しいねぇ…」。自民党幹部は正直にこう語る。そして、来年の予算編成こそは自分の手で、と心に誓い爪を研ぐ。

政権の争奪戦である総選挙は来年、行われるのだろうか? 
衆院解散・総選挙をめぐる与野党攻防のヤマ場は来年3月、6月、9月とやってくる。3月は首相・野田佳彦が政権の命運をかける消費増税法案の国会提出ができるかどうかだ。野田は再三、年度内提出を明言している。「具体的に年内をメドに素案を出すこと、そして、与野党の協議を経て、大綱にまとめていって、法案化の準備をして、そして年度内に法律を出す。このスケジュール感はいささかの緩みもなくやらなければいけない」(12月16日の記者会見)
だが、民主党代表・小沢一郎らは消費増税に強く反対し、小沢に近い党筆頭副幹事長・鈴木克昌らが“執行部公認”で署名集めを進める。消費増税反対の動きは小沢グループ以外にも広がり、年内に素案をとりまとめるという野田の目標は早くも壁にぶち当たっている。
党執行部内でも年内の素案決定が小沢グループの「離党-新党結成」につながるのを警戒。政党交付金の支給対象となる政党結成期限の1月1日前に素案を決定することに消極論が強い。素案決定は来年1月以降にずれ込む公算が大きい。
それでも、消費増税法案の国会提出が来年3月末までにできれば、野田のメンツは立つ。しかし、できなければ「先送り政権」という非難を浴び、情勢次第では退陣を余儀なくされる。民主党政権4人目の首相となっては早期の解散・総選挙は避けられなくなるだろう。この場合、5、6月ごろに総選挙となる。

次に、通常国会会期末の6月になっても消費増税に関する与野党協議が進展せず、法案成立のメドが立たないケースだ。この時、消費増税法案の成立と引き替えに早期の衆院解散・総選挙を野田が確約する「話し合い解散」が浮上するだろう。重要法案を成立させる代わりに衆院解散を約束したのは1983年の中曽根内閣で例がある。
野田は「消費増税法案成立後に解散」と話し合い解散をにおわす変化球を投げ、自民党幹事長・石原伸晃も「法案を通して選挙ということもあるかもしれない」と言及している。ただ、野田と自民党総裁・谷垣禎一がそれぞれ、党内をまとめきれるかという難点がある。

民主党が議席を減らすのは必至だ。1日でも長く国会議員バッジを着けていたい民主党議員の心理を押さえ込んで決断できるのか。また、増税の火の粉を一緒に浴びることになる自民党の谷垣に消費増税を受け入れる指導力があるのか。「増税法案を成立させて総選挙となれば敗北必至だ。増税反対のみんなの党が大躍進することになるだろう」こう不安をあらわにする民主、自民両党内議員は多い。みんなの党にとって、民自両党が消費増税で協力することは「天の恵み」のようなものだ。そう考えると「話し合い解散」という文字は躍ってもなかなか難しいのではないか。
消費増税法案が不成立のまま推移した場合、政府・与党にとっての次の難題は今年と同じく、予算執行の裏付けとなる特例公債法案だ。今年、その成立は8月下旬にずれ込んだ。9月時点でも成立していなければ、予算の執行が難しくなるに違いない。
また、9月は民主党代表選と自民党総裁選が行われる。新党首の下で「来年10月から再来年1月の間」というのが最も考えられるケースだ。これがなければ、衆院議員の任期満了(2013年8月末)近くまでずれ込むことになるだろう。となると、公明党が最も嫌がる13年7月に予定される東京都議選、参院選と、総選挙の“トリプル選挙”となる。

総選挙が想定される年の政局は荒れる。総選挙をはさんで、その前後に民主、自民両党がそれぞれ割れるかもしれない。与野党が激突する結果、どんな結末を迎えるだろうか。




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「生活保護費増加の陰で貧困ビジネスの拡大」

2011-12-20 22:23:05 | 日本
「生活保護費増加の陰で貧困ビジネスの拡大」

WEDGEの9月号には「生活保護費増加の陰で貧困ビジネスの拡大」と言う、面白い記事が載っていた。
以下、紹介する。


生活保護の急増にともない拡大しているのが、受給者から利益を得る「貧困ビジネス」だ。なかでも「囲い屋」と呼ばれる業者は、生活困窮者を集めて保護を申請させ、保護費の大部分を様々な名目で搾取する手口で制度を悪用する。その実態を取材した。
「なぜこんなところに?」と首を傾げたくなる場所に目指す建物はあった。神奈川県内の住宅街のただ中。6年前までホテルだったという7階建てのこの建物こそ、役所の担当者から、「貧困ビジネスの舞台になっている」と耳打ちされたところだ。
近づいてみると、建物にはスーパーの買い物袋を提げた中高年の男性が何人も出入りしていた。声をかけても、「余計なことをしゃべると怒られるから…」と、逃げるように立ち去る。次々に声をかけても同じ反応だ。仕方なく近所に住む住民に聞いてみた。「この建物はホテルの倒産後、空になっていましたが、一昨年になってNPOの相談員を名乗る者が『低所得者向けに住居を提供する施設にします』と挨拶に来たのです」
それ以来、日が暮れる頃になると、NPOの関係者がどこからともなく車で男性たちを連れてきては、建物のなかに入れる姿が見られるようになったという。その数は日を追うごとに膨れ上がっていった。近所の住民は、昨年、この建物でぼやが起きたときのことを思い返す。

いったい建物に住む男性たちはどこから来たのか。
「ここで暮らすのは、横浜や川崎で路上生活をしていたところを声かけられた人たちばかりですよ。『生活保護取らせてやるからこないか』って。」
NPOは路上生活者を連れてきては、この建物に住まわせ、役所で生活保護を申請させていた。保護費の支給が認められると、当然だとばかりに保護費のなかから入居費用を徴収する。小誌が入手したその請求書によると、1か月の請求額は、家賃だけでも5万3700円。共益費や水道光熱費、弁当代などすべて合わせると、なんと11万200円。支給される保護費は13万円ほどだから、大部分がNPOに搾取される形だ。

毎月、生活保護費の支給日には、NPOの関係者らが役所の玄関で待ち構えている。入居者が保護費を持って逃げないように監視し、その場で徴収するのだという。
建物内の各部屋はベニヤ板で仕切られ、2人以上が寝泊りしている。ホテルだったので、各部屋に風呂があるのだが、大浴場以外は使用禁止。共益費を払っているにもかかわらず、掃除されずに荒れ放題になっている階もある。
「生活保護を受けても自分で自由に使えるお金はほとんどない。ただただ搾取されているだけです」
それでも、ここを出ると住所を失い、保護費を受け取ることができなくなり、もとの路上生活に戻るしかない。やむを得ずこのまま居続けるしかないのだという。
この建物が所在する役所の担当者に聞くと、ここに住所を持ち生活保護を受給しているのは90人。NPOが保護費のほとんどを徴収している事実は、把握しているが、役所としては、就労が困難などの条件を満たしていれば、保護申請を認めざるを得えないのだという。

生活保護受給者をねらった貧困ビジネスは、全国で急速に拡大中だ。このまま放置しておくわけにはいかない。
生活保護の受給率が全国トップの大阪市では、平松邦夫市長が貧困ビジネスを法律で規制できるよう国に求めている。今年2月には、大阪府が生活保護の受給者に住居や食事などのサービスを提供する業者に対し、その内容を届け出るよう義務づける条例を全国で初めて施行した。これにより、貧困ビジネスに対する行政の監視を強化するのが目的だ。
生活保護の受給者が多く、財政負担が重くのしかかる大阪では、とりわけ危機意識が強いのだろう。こうした動きがいち早く始まっているが、全国的にはまだまだ手つかずのままだ。法律による規制など国の対策もまだ取られていない。生活保護の受給者が全国で200万人を超え、保護費の膨張が深刻化するなかで、こうした不正をきっちり摘み取っていくことが欠かせないはずだ。早急な対策が求められる。



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「なるほど、面白い話だ」

2011-12-19 21:56:57 | 日本
「なるほど、面白い話だ」


統合医療の権威である門馬登喜男先生が言った。


「わさびと辛子の違い」

わさびと辛子の違いは、
わさびは辛いから目をつむる。そしてそこから日本独自の「わび、さび」の世界が現れる。
辛子も辛いが目を上に上げる。そして我慢、我慢の世界が現れる。



「病気の人の特徴」

病気の人の特徴は、
足の裏が汚い。
顔が汚い。
冷蔵庫の中のものが賞味期限切れで古く汚い。

健康になるには、
足は角質をとる。
顔は笑い顔に徹して磨きぬく。
冷蔵庫内は新鮮なもの。整理整頓。

これで健康:が回復できる。




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「伊勢神宮師走の大祓の儀式」

2011-12-18 20:46:44 | 日本
「伊勢神宮師走の大祓の儀式」

12月17日に、わが輩は伊勢神宮に参拝した。






偶然にも師走の大祓の儀式に遭遇した。
斎主池田あつこさま、鷹司大宮司、さらに大勢の神職が連なって進んできた。
感激の情景である。





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「霊夢・戦鬼」

2011-12-15 23:12:52 | 日本
「霊夢・戦鬼」

今朝の夢は面白い。
わが輩が変身した夢である。

今の混濁の世を立て直そうと、燃え上がる我が気が極に達した時、忽然と「戦鬼」の姿に変身した。

そうだな~。
今、テレビでやっている「妖怪人間ベム」みたいに変身した。
すごく興奮すると、牙が出てきて「戦鬼」の形相に変身だ。
ふっと、横を見ると「護鬼」もいる。
「護鬼」は誰が変身したかは不明だが。

その後、鏡に写った自分の姿を見て、これまたビックリ!

「こりゃ、いかん」

そこで思わず「九字」を切った。

臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前
阿~、吽!
喝~ツ!

すると元の姿に戻った。

不思議だ。

わかったことは、
凄く興奮すると「戦鬼に変身」する。
元に戻るには「九字を切る」と言うことである。

さて、今日も明るく朗らかに笑っていこうか。




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「日本の歴史を歩く④」

2011-12-15 05:24:47 | 日本
「日本の歴史を歩く④」

④日本人はかって美しかった.


日本が大東亜戦争中に東南アジア各国から受け入れた留学生約200人の一人で、マレーシアの上院議員であったラジャー・ダド・ノンチック氏が書いた次の詩がある。

心して、読んでいただきたい。



かって日本人は清らかで美しかった。
かって日本人は親切でこころ豊かだった。
アジアの国の誰にでも自分のことのように一生懸命つくしてくれた。
何千万もの人のなかには少しは変な人もいたし怒りんぼやわがままな人もいた。
自分の考えを押しつけて威張っている人だっていなかったわけじゃない。
でも、その頃の日本人は そんな少しの嫌なことや不愉快さを越えて、大らかで真面目で希望にみちて明るかった。

戦後の日本人は、自分たちのことを悪者だと思いこまされた。
学校でもジャーナリズムもそうだとしか教えなかった。
真面目に自分たちの祖父や先輩は悪いことばかりをした、残酷無情なひどい人たちだったと思っているようだ。

だからアジアの国に行ったら ひたすらペコペコ謝って、私たちはそんなことはいたしませんと言えばよいと思っている。
そのくせ経済力がついてきて技術が向上してくると、自分の国や自分までが偉いと思うようになってきて、うわべや口先では済まなかった、悪かったといいながら、ひとりよがりの自分本位の偉そうな態度をする。
そんな今の日本人が心配だ。

ほんとうにどうなってしまったのだろう。
日本人はそんなはずじゃなかったのに、
本当の日本人を知っている私たちには、今はいつも歯がゆくてくやしい思いがする。
  
自分のことや自分の会社の利益ばかり考えて、こせこせと身勝手な行動ばかりしている。
ヒョロヒョロの日本人は、これが本当の日本人なのだろうか。

自分たちだけで集まっては、自分たちだけの楽しみや贅沢にふけりながら、自分がお世話になって住んでいる、自分の会社が仕事をしている、その国と国民のことを蔑すんだ眼でみたりバカにしたりする。
こんな人たちと本当に仲良くしていけるのだろうか。

どうして、
どうして日本人はこんなになってしまったんだ。

1989年4月






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「日本の歴史を歩く③」

2011-12-14 06:59:49 | 日本
「日本の歴史を歩く③」

③両雄の凱旋

日露戦争で、ロシアのバルッチク艦隊を壊滅させた海軍大将 東郷平八郎元帥は、全艦隊を率いて横浜に向かう。
その途中の十月十七日、伊勢湾に停泊し、伊勢神宮に参拝する。海戦の勝利は天の御中主の神に始まる天皇の祖先の御神霊と天皇陛下の御稜威(みいつ)によるとしていた東郷は、皇祖天照大神に先ず拝礼をした。
皇居では明治天皇が「空前の偉業」と褒め称えられ、その労苦をあつく労われた。

二百三高地を奪取した陸軍大将乃木希典(まれすけ)は、年が明けた一月十四日、第三軍幹部と共に新橋駅に到着。
人々は「1人息子と泣いてはすまぬ。二人を亡くした方もある」と言って、一番多くの犠牲者を出した第三軍の親たちも万歳を叫び、乃木を称えた。

天皇陛下に戦いの詳細を上奏したあと乃木は陛下に申上げた。

「臣、希典不肖にして、陛下の忠良なる将校士卒を多く旅順で失い申す。この上はただ割腹して罪を陛下に謝し奉らん」

しばらく無言でおられた陛下は、乃木が御前を退出しようとした時、おもむろにおおせになられた。

「卿(けい)が割腹して朕に謝せんとの衷情は、朕よくこれを知る。しかれども今は卿の死すべき時にあらず。卿もし強いて死せんとするならば、朕世を去りたる後にせよ」

明治四十五年七月三十日、明治天皇が崩御され、九月十三日の御大葬の日まで、乃木は朝夕に参内して参拝する。
御大葬の始まりの号砲が打たれた午後八時すぎ、乃木は明治天皇のみあとを慕い、自宅にて古式に則り切腹し殉死した。このとき妻の静子も死をともにした。



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