貞観政要(じょうがんせいよう)とは、唐の時代、第2代皇帝太宗(たいそう)の言葉や行動をまとめたものです。
優れた君主であった太宗が臣下とかわした問答が主な内容となっています。
太宗は臣下の意見や忠告をよく聞き入れ、質素倹約を実行し、国や国民のために尽力したので、貞観の時代の唐は社会が安定し、国が繁栄したということです。
現代においてもリーダーの座右の書とされる貞観政要の中から、現代語訳にしたものを二つご紹介します。
◎貞観の初め、太宗は蕭?に言った。
「私は若い頃から弓矢が好きで、自分でも奥義を極めたと思っていた。
最近、十数本の良い弓矢が手に入ったので弓職人に見せると、どれもいい弓ではないと言われた。
理由を尋ねたところ、職人は弓の材料である木の木目がみんな曲がっているという。
弓を張る力が強いだけでは矢をまっすぐに射ることは出来ないので、良い弓とは言えないと答えた。
私ははじめて悟った。私は弓矢を使って天下を平定したように、弓矢を使う機会が多かったにもかかわらず、何も理解していなかった。
まだ皇帝になって日が浅い私が、世の中を治める原理について知っていることは、当然弓矢に及ぶものではない。
これから宮廷の五品以上の官吏に告げて、一年中、交代で宿直させ、謁見するごとに近くに呼び寄せて席を用意し、宮廷外のことについて意見を聞き、百姓の暮らしや政治の善悪について知ることに努めよう。」
自分では極めたつもりでも、専門家には及ばなかったと悟った太宗。
そのことから、自分が取り組んで日が浅い政治については、宮廷の多くの官吏の意見を取り入れ、参考にする仕組みを作りました。
太宗の柔軟で謙虚な姿勢が読み取れます。
◎貞観十五年、太宗は家臣に尋ねた。
「天下を守ることは難しいだろうか?簡単だろうか?」
魏徴は答えた。
「とても難しいことです。」
太宗は言った。
「良い人材を用いて、意見をよく聞き入れればいいではないか。そんなに難しいこととは思えない。」
魏徴が言うには、
「古来からの帝王を見てみれば、国が困難な時には良い人材の意見を聞き入れますが、国が安定してくると心の油断が出てきます。
そうなると家臣たちも我が身が大事になってきて、帝王に間違いがあっても意見をしようとはしません。
こうなると国は傾き、ついには滅びます。
国が安定しているときこそ、より気持ちを引き締めて政治を行わなければいけません。なので私はとても難しいことだと答えたのです。」
国が大変な時には、人の意見を取り入れ国を良くしようと一生懸命です。
しかし長く国が安定してくるにつれて、家臣も気が緩み、更に現在の地位を保とうと保身に走るため、帝王にわざわざ進言して間違いを正そうとしなくなります。
物事が好調に進んでいる時こそ、気持ちを引き締めて絶えず用心を行わなければならないことを伝えています。
◎貞観政要の中で太宗は感情のおもむくままに行動しようとしたり、信条に反する行動を取ろうとして臣下にいさめられるシーンが度々出てきます。
皇帝と言えども完璧ではありません。
太宗は家臣からの意見に耳を傾け、良いと思えばどんどん取り入れていきました。
太宗だけではなく、家臣の言葉の中にも多くの名言があります。
貞観政要の中からいくつかご紹介しましょう。
◎誠を竭せば則ち胡越も一体と為り、物に傲れば則ち骨肉も行路と為る
誠意を尽くせば遠くの人も親密一体となり、傲慢になれば肉親でさえも赤の他人となる。
家臣の魏徴が太宗に投げかけた長い問答の中にある言葉です。
◎夫れ銅を以て鏡となせば、以て衣冠を正すべし。いにしえを以て鏡となせば、以て興替を知るべし。人を以て鏡となせば、以て得失を明らかにすべし
自分の外観を正すことができる。歴史を鏡とすれば、過去の出来事から学んで最善策を知ることができる。人を鏡とすれば、その言葉に耳を傾けることができる。
人を鏡とすれば~の人は魏徴のことを指します。
数多くの進言で太宗を導いた魏徴が亡くなった時に、鏡の一つをなくしてしまったと、その死を悲しんで言った言葉です。
◎禍福は門なし。ただ人招く所なり
身の安全を守るために非常に用心しているにも関わらず、人間の獲物となるのはエサを貪るからだ。
家臣のお前達も、高い地位や給料をもらってよい暮らしをしているからこそ忠誠を尽くし、清廉潔白であらねばならない。
災いも幸せも自分の心の状態が引き寄せるのだからと説いています。