龍の声

龍の声は、天の声

「志士   江戸漢詩選①」

2021-08-31 09:24:46 | 日本


◎藤田東湖

悠然として南山を見ん
・さあ、酒でも飲んで、悠々と南の山でも眺めていようではないか。


はじ看る 窓外寒梅の樹 
一点 香は回(めぐ)らず 天地の春
・窓の外、寒中に早くも咲いている梅を見ると、恥じ入る思いになる。ささやかな香りひとつ、それが天地を動かして春をよみがえらせているではないか。


只だ合(まさ)に長酔いして たく仙に伴うべし
・ただひたすら瓢箪の酒を飲んで、 たく仙人とよばれた酔漢李白の仲間でいよう。


蛟龍 雲雨を得ば
復た地中の物に非ず
・蛟龍が雲雨に乗じて天に上がれば、もはや小さな池の生き物ではない。













「貞観政要の言葉や行動のまとめ」

2021-08-30 08:12:54 | 日本

貞観政要(じょうがんせいよう)とは、唐の時代、第2代皇帝太宗(たいそう)の言葉や行動をまとめたものです。
優れた君主であった太宗が臣下とかわした問答が主な内容となっています。
太宗は臣下の意見や忠告をよく聞き入れ、質素倹約を実行し、国や国民のために尽力したので、貞観の時代の唐は社会が安定し、国が繁栄したということです。
現代においてもリーダーの座右の書とされる貞観政要の中から、現代語訳にしたものを二つご紹介します。


◎貞観の初め、太宗は蕭?に言った。

「私は若い頃から弓矢が好きで、自分でも奥義を極めたと思っていた。
最近、十数本の良い弓矢が手に入ったので弓職人に見せると、どれもいい弓ではないと言われた。
理由を尋ねたところ、職人は弓の材料である木の木目がみんな曲がっているという。
弓を張る力が強いだけでは矢をまっすぐに射ることは出来ないので、良い弓とは言えないと答えた。
私ははじめて悟った。私は弓矢を使って天下を平定したように、弓矢を使う機会が多かったにもかかわらず、何も理解していなかった。
まだ皇帝になって日が浅い私が、世の中を治める原理について知っていることは、当然弓矢に及ぶものではない。
これから宮廷の五品以上の官吏に告げて、一年中、交代で宿直させ、謁見するごとに近くに呼び寄せて席を用意し、宮廷外のことについて意見を聞き、百姓の暮らしや政治の善悪について知ることに努めよう。」
自分では極めたつもりでも、専門家には及ばなかったと悟った太宗。
そのことから、自分が取り組んで日が浅い政治については、宮廷の多くの官吏の意見を取り入れ、参考にする仕組みを作りました。
太宗の柔軟で謙虚な姿勢が読み取れます。


◎貞観十五年、太宗は家臣に尋ねた。

「天下を守ることは難しいだろうか?簡単だろうか?」
魏徴は答えた。
「とても難しいことです。」
太宗は言った。
「良い人材を用いて、意見をよく聞き入れればいいではないか。そんなに難しいこととは思えない。」
魏徴が言うには、
「古来からの帝王を見てみれば、国が困難な時には良い人材の意見を聞き入れますが、国が安定してくると心の油断が出てきます。
そうなると家臣たちも我が身が大事になってきて、帝王に間違いがあっても意見をしようとはしません。
こうなると国は傾き、ついには滅びます。
国が安定しているときこそ、より気持ちを引き締めて政治を行わなければいけません。なので私はとても難しいことだと答えたのです。」
国が大変な時には、人の意見を取り入れ国を良くしようと一生懸命です。
しかし長く国が安定してくるにつれて、家臣も気が緩み、更に現在の地位を保とうと保身に走るため、帝王にわざわざ進言して間違いを正そうとしなくなります。
物事が好調に進んでいる時こそ、気持ちを引き締めて絶えず用心を行わなければならないことを伝えています。


◎貞観政要の中で太宗は感情のおもむくままに行動しようとしたり、信条に反する行動を取ろうとして臣下にいさめられるシーンが度々出てきます。

皇帝と言えども完璧ではありません。
太宗は家臣からの意見に耳を傾け、良いと思えばどんどん取り入れていきました。
太宗だけではなく、家臣の言葉の中にも多くの名言があります。
貞観政要の中からいくつかご紹介しましょう。


◎誠を竭せば則ち胡越も一体と為り、物に傲れば則ち骨肉も行路と為る
誠意を尽くせば遠くの人も親密一体となり、傲慢になれば肉親でさえも赤の他人となる。
家臣の魏徴が太宗に投げかけた長い問答の中にある言葉です。


◎夫れ銅を以て鏡となせば、以て衣冠を正すべし。いにしえを以て鏡となせば、以て興替を知るべし。人を以て鏡となせば、以て得失を明らかにすべし
自分の外観を正すことができる。歴史を鏡とすれば、過去の出来事から学んで最善策を知ることができる。人を鏡とすれば、その言葉に耳を傾けることができる。
人を鏡とすれば~の人は魏徴のことを指します。
数多くの進言で太宗を導いた魏徴が亡くなった時に、鏡の一つをなくしてしまったと、その死を悲しんで言った言葉です。


◎禍福は門なし。ただ人招く所なり
身の安全を守るために非常に用心しているにも関わらず、人間の獲物となるのはエサを貪るからだ。
家臣のお前達も、高い地位や給料をもらってよい暮らしをしているからこそ忠誠を尽くし、清廉潔白であらねばならない。
災いも幸せも自分の心の状態が引き寄せるのだからと説いています。









「らくらくダイエット法、重曹の効用」

2021-08-29 09:35:23 | 日本

◎重曹水を飲むとどんな効果があるの?

重曹水によって満腹感が得られ、ダイエットに効果があると言われています


◎重曹水とは、お水に「重曹」を溶かしたもの

重曹は炭酸水素ナトリウムのことで、自然界に存在している物質です。お水の中に重曹を入れて溶かしたものが重曹水になります。
重曹水を飲むことによって、満腹感が得られると言われています。快便効果も期待できるため、ダイエットに向いている飲み物と言るでしょう。ただし、飲み過ぎるとお腹を下す可能性がありますので、飲み過ぎには注意が必要です。
重曹は食用だけでなく、掃除など幅広く使用されています。
食用と掃除用の重曹の違いはその純度です。掃除用の重曹に比べて、含まれている不純物の量が少ないのが食用です。
重曹水として使用する場合には、かならず食用を選びましょう。


◎重曹水の作り方とおすすめの飲み方

<作り方>
1.コップ1杯のお水に重曹を0.5g程度溶かします。
2.さらにアレンジとしてレモン汁やクエン酸を適量加えます。
3.飲みにくい場合には、はちみつを加えましょう。
重曹とレモン汁が化学反応を起こし、炭酸ガスが発生します。この際、お水は水道水以外を用いてください。
水道水には、消毒のため塩素が溶け込んでいます。その塩素の影響で、ビタミンCが破壊される恐れがあります。
そのためミネラルウォーターなど塩素が溶け込んでいないお水を用いてください。甘さが足りない場合には、はちみつを加えても構いません。
ただしダイエット面を考えると、加えすぎは避けた方が良いでしょう。徐々に加える量を減らすようにしてください。


◎重曹水は便秘解消やダイエット効果が期待できます

重曹水は、炭酸ガスを発生させます。そのためガスがお腹を膨らませ、食事量を減らす効果が期待できるでしょう。
さらに炭酸ガスには、脂肪と糖を水溶性食物繊維にくっつける働きがあります。その働きにより、脂肪の吸収を抑制することに繋がるでしょう。
これらの効果によりダイエットが成功しやすい状態に導いてくれるでしょう。

・便秘解消
重曹水から発生する炭酸ガスは腸を刺激して活動を促す働きがあるため、便秘の解消に繋がります。

・基礎代謝UP
重曹水を飲んで発生する炭酸ガスにより血液中の二酸化炭素が増加すると、酸素を運ぶために血流が良くなり、血行が促進されます。
血行促進によって基礎代謝がUPしカロリー消費量が増えることで、痩せやすい体に近づけるでしょう。

・疲労回復
重曹は「炭酸水素ナトリウム」なので、水に溶かすとナトリウムイオンと重炭酸イオンに変わる特徴からも、疲労回復のメリットが得られるとされています。
重炭酸イオンは、アルカリ性でマイナスの性質を持つイオンです。
疲労の原因となる体内の水素イオンと結合して汗や尿と一緒に排泄する働きで、疲労回復にも役立ちます。


◎重曹水の飲み過ぎには注意が必要です

重曹水は、比較的簡単に作れます。しかし効果を得たいからと言って、たくさん飲み過ぎるのは危険です。

・重曹水の注意点
重曹水は、一種の塩分です。そのため飲み過ぎれば、塩分の取りすぎになってしまう恐れがあります。
塩分の取りすぎは高血圧やむくみなどの症状を招くため注意が必要です。また重曹によって腸が活発に動きます。
その結果、お腹をゆるくさせてしまうでしょう。

・重曹水の飲み方
重曹は、基本的に1日3gまでにしてください。つまり重曹水は、6杯(1ℓ)以内にすることが大切です。
飲み方に注意は、食事前に重曹水を飲むと、食欲増進に繋がるからダメ。
食事中に飲むようにしてください。
また冷たい方が比較的飲みやすいです。ダイエット効果を上げるためにも、冷やし過ぎないように注意してください。

・重曹水ダイエットを行わない方がいい人
高血圧、心臓病、腎臓病、重度の消化管潰瘍


◎重曹をお風呂に入れて、ツルツルの美肌を目指しましょう

・入浴剤としての重曹の効果
重曹は飲料水だけでなく、入浴剤に使用することもできます。一般に販売されてる入浴剤には、重曹が含まれているものも多数存在します。
そのため入浴時に重曹を加えてみましょう。

・入浴剤としての重曹の効果
重曹は「弱アルカリ性」の性質があり、この弱アルカリ性という性質は、お肌の皮脂などのたんぱく質汚れを落としてくれる作用があります。
また重曹には、消臭剤としての効果もあると言われています。そのため重曹を入浴剤にしたお風呂に浸かることで、汗臭や体臭などの対策に繋がるでしょう。

他にも洗顔料に少量加えることで、ツルツルしたお肌に導くことができると言われています。

・重曹を使用する際の注意点
重曹を入浴剤や洗顔料として使用する場合には、まず少量からはじめるようにしましょう。体質によっては、お肌に合わない可能性があります。
慣れないうちから大量に使用すると、お肌にトラブルを招く恐れがあります。敏感肌の場合には、目立たない箇所でお試しするのも良いでしょう。
自分にあった方法で美容に用いてください。
また毎日のように浸かることで、お肌に必要な皮脂まで落としてしまう恐れがあります。そのため週に1.2回程度の入浴にしておきましょう。
さらに重曹を肌にこすりつけるのは絶対にしないでください。アレルギー反応が起きたり、トラブルを招くリスクが高くなります。


◎ダイエットの基本は運動と食事管理ということを忘れずに

重曹水は、魔法のダイエット薬ではありません。そのため急激に体重が落ちるものではないです。
そもそも体重を急激に落とすのは良くないと言われています。

・急激に体重を落とすデメリット
急激に体重を落とすと、体は飢餓状態に陥ります。そのため僅かな栄養も蓄えるようになってしまうと言われています。
つまり太りやすい状態になり、リバウンドのリスクを高めてしまうのです。

・無理のないダイエットをしましょう
リバウンドを起こさず体型をキープし続けるためには、ゆっくり体重を落とすようにしましょう。しっかり食事を管理し、体を動かしてください。
さらに、重曹水やお水などを飲みながら、健康的にダイエットを成功させましょう。
(まとめ)重曹水がダイエット効果をアップさせるって本当?

・重曹水によって満腹感が得られ、ダイエットに効果があると言われています
重曹は炭酸水素ナトリウムのことです。重曹をお水に溶かし、レモン汁やクエン酸、はちみつなどを加えると重曹水が作れます。
重曹水は重曹とレモン汁が化学反応を起こして炭酸ガスを発生するため、この炭酸ガスによりさまざまなメリットが得られるでしょう。
炭酸ガスがお腹を膨らませるため食事量を減らすことができ、腸が刺激されて便秘が解消するなど、美容と健康の改善に繋がります。
ただし重曹水は塩分を含んでいるため、飲み過ぎてしまうと高血圧やむくみの原因となるので注意が必要です。
食事前に重曹水を飲むことは、食欲の増進に繋がるので避けた方が良いです。また、重曹水はお風呂に入れて入浴剤として使うと美肌の効果があると言われています。
適度な運動や食事管理に重曹水をプラスした無理のないダイエットで、健康的に美しくなりましょう。









「英霊たちを犬死と言わせないために」

2021-08-28 09:30:54 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。


平家の滅亡はやがて琵琶法師によって美しくも哀しい調べとなり、「平家物語」として後世に語り継がれて行きました。爾来(じらい)、日本人の琴線に触れ続け、今日に至っております。何故、平家物語が日本人の共感を喚(よ)ぶのか。きっとそれは、「滅びゆくものの美」がそこにあるからなのだと思います。

平家一門は武家の棟梁から朝廷の要職を占めるに至り、その栄華は雅やかさ、きらびやかさを極めました。その短い栄華は、一門の滅亡と云う形で幕を閉じたのです。平氏と源氏の決定的な違いは、平家一門の結束力が強く、とても仲が良く、学問、芸術、文化を重んじ、且つ一族の諍(いさか)いがほとんど見られることが無かったことです。

一方の源氏と云えば、頼朝は弟たちを殺し、親戚、一族を殺し陥れる策謀、謀略の、とても「美」とは遠いものでした。源頼朝の後を継いだ北条氏もまた同じで、その後の足利幕府も政略、謀略の連続です。

雅性、文化性を重んじた西日本武士団、政治性、儒教性を重んじた関東武士団。結末は、徳川幕府が西日本武士団に因って滅亡します。源氏が滅亡しても徳川の時代が終焉しても、「平家物語」のような人々に共感をもたらすような文学は、遂に現れませんでした。

平家の最期は、終わりっぷりが見事だったのです。先の大戦で散華して逝った特攻隊をはじめとする御英霊たちも同じです。後世の人々に忘れることのできない出来事として、強烈な記憶と余韻を残したのです。

毎年8月15日が近づくと、必ず特別番組として、大戦のドラマ、映画、ドキュメンタリーがテレビ等で放映されますが、全て大東亜戦争原罪論に帰結してしまうのです。驚いたことは、NHKの朝の連続テレビ小説の再放送の「あぐり」です。丁度終戦の日に日程を合わせたかのように、これでもか、これでもかと厭らしいほど戦前、戦時中の極端な日本の姿を強調しているのです。

左翼NHKの意図が判ります。そしてこのような放送で必ず言われることは、「戦争のことを忘れてはならない、風化させてはならない」です。その意味は「日本が間違っていた、悪かった」「戦死した人は惨めで憐れだった」。しまいには、「犬死だった」とまで言います。

そのことを忘れてならないと言いたいのでしょう。大東亜戦争原罪論に縛られている内は、決して英霊たちは報われません。英霊たちはそのような悪や罪のために殉じて逝ったのでしょうか。国家存亡の時、国を守るため、愛する家族やふるさとを守るため、楯となって逝ったのです。

英霊たちを犬死させたか、させなかったかは、後世に続く我々の生き方で決まるのです。英霊たちが願っていた祖国日本の姿と人々の姿。国を愛し、平和を愛し、繁栄を想う、その心にどう向き合って報いて行くべきなのか。

先の大戦のことを決して忘れてはならないとは、このことを言うのです。英霊たちを不幸だと思うその心が不幸なことなのです。そう云う我々こそ犬死だと思ったほうがいいでしょう。

英霊たちは生命(いのち)の尊さ、国家の尊さ、人生の尊さを自ら示して下さったのです。英霊たちを犬死させるのもさせないのも、我々の現在(いま)の、これからの生き方が決定することを肝に銘じなければなりません。








「幸せ上手さんの習慣」

2021-08-27 07:43:16 | 日本

「幸せ上手さんの習慣⑧」

①私は一年かけて資金を集めようとがんばった。

242人にプレゼンテーションして、217人に断られたのだ。こんなに大勢の人から、あなたの アイデアは投資の価値がないと言われたら、どれほど気持ちが落ち込むか想像してもらいたい。それでも、私は自分の計画が行きつまるとは思わなかった。 ハワード・シュルツ、(スターバックスCEO)

他人の理解を得る時に大切なのは、自分がそれを 世界中で一番理解し信じていると言うことです。
決意は簡単に変えない 誰に受け入れずとも、自分が決意したことには 自信を持ちましょう。

なぜならあなたが深く考えじっくり詰めた決意だからです。
身を滅ぼすような無謀なことなのか熱意と情熱で成し遂げられる未来のあることなのかは、賢いあなたは、知っているはずです。

すべては自分を信じることから始まります。自分を信じる力が自分を動かし 周囲を動かします。


「幸せ上手さんの習慣⑨」

①どんな芸術家でも、最初は素人だった。 エマーソン(米国の思想家)

日本人は「素人=下手、未熟」と言うイメージ。アメリカ人「素人=未知のことに挑戦する」と言う意味。
スタート前から、ワクワクとポジティブで、いるものです。

誰でも最初は素人です、「素人」であることは何らマイナス要因ではない。
何事も「無」の状態からスタートすると伸びるのです。
素直な心で取り組むことができ、発想が斬新で、無限大に広がります。

常々にプロとしての自覚を持つ。
いつまでも、自分を素人扱いしないことです。始まりは、素人でも、明日は、もう素人では、ない。


「幸せ上手さんの習慣⑩」

①未来は今日始まる。
明日始まるのではない。    ヨハネ・パウロ2世

人は未来に生きることで、幸せになり過去に生きることで、過去に生きることで幸せから遠のいてしまいます。
 
自分は、未来に生きていることを自覚し、過去を切り離すことです。
それをしない限り、いつまでも、その地点から成長も進歩も出来ません。

時間は、お金以上に尊いもの!
未来を大切にした生き方を始めましょう。
それは今出来ること、今日出来ることを先伸ばしにしない。

未来に生きる考え方は、時間を大切にした意識に繋がります。
そして、自分の時間、相手の時間を尊重できる聡明な美しい人に成長していけます。


「幸せ上手さんの習慣⑪」

①深く落ち込んでしまった時はすべてに自信がなくなってしまう。
そんな時に、そばにいてくれて、大丈夫!と言ってくれる人が、いたらいい。
優しい灯りのような心で、肯定してくれる人がいたらいい。
その人の言葉で、また歩けそう!

②本当の優しさは、見返りを求めないもの。

口にせずとも行動する。
悪いことは、悪いといえる。
皆んなに対して優しい。
小さなことに対しても感謝してしてくれる。

◎富=幸せ、貧=不幸、お金やモノに恵まれているかいないか?

年収と言う視点でいくと世界的大富豪は、約1兆円。
マサイ族は、8万円
例えば10万円として、その差は1000万倍。
なのに、幸福感は、何故、変わらないのか?

夢をバカにする人間から離れなさい。
器の小さい人間ほど、ケチをつけたがる。
真に器量の大きな人間は、"できると思わせてくれるものだ"。   マーク・トウェイン

ぼくが5歳の時母はこう言っていた。

[幸せこそ人生に必要なこと]

学校に行くと将来の夢を尋ねられる。
ぼくは[HAPPY]と書いた。
みんなから質問の意味を理解しろ!と言われた。

だから彼らに教えてあげたんだ。
「君たちは、人生をわかっていない」 ジョン・レノン











「幸せ上手さんの習慣」

2021-08-26 07:48:34 | 日本

「幸せ上手さんの習慣⑥」

①自分に打ち勝つことが、最も 偉大な勝利である。  プラトン(哲学者)

人生においての勝負相手はどんな時も自分自身です。確かに勝つことよりも、自分に勝つことが、最も大切でありこれこそが勝利なのです。

あなたの人生に評価をくだすのは、他人ではなく、あなた自身でなければならないのです。あなたをほめ、励まし怠情な部分を叱るのはあなた自身なのです。

②強さとは、身体能力ではなく不屈の精神から生まれるものだ。ガンジー(インド政治指導者)

不屈の精神から生まれる強さとは、困難に直面してもあきらめることなくやり遂げる強さですが、この精神こそが一番重要なのです。

自分を支える強さになる図太い精神、あきらめない、めげない図太い精神です。精神的強さを磨くことにつながります。


「幸せ上手さんの習慣⑦」

①流した汗は嘘をつかない。

幸せを得るために 必要なのは自分を動かす 力。
自分で、汗をかかずして 自分の望む結果は絶対に得られません。
幸せは、流した汗の結晶なのです。


◎青春サムエル・ウルマンの詩

青春とは、臆病さを退ける勇気安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二十歳の生年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけで必要は老いない。
理想を失うとき、初めて 老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
青春は人生のある期間を 指すのではなく、心の様相のことを指すという。

この言葉は、ウルマン氏が他界する、6年前78歳の詩!
言葉のままに生きてきたからこそ、後世に残すことができた尊い言葉❗️
何度も勇気をもらい、原動力になり自分を動かせるのは自分です。











「中村天風語録」

2021-08-25 09:40:09 | 日本

「中村天風語録㉖」


◎観念要素の更改

人生は苦の娑婆(しゃば)だなんて言ってるのは悟りを開けない奴が言っている寝言ですよ。
生きる正しい方法を知って生きたら、人生ぐらい愉快な、人生ぐらい恵まれた、人生ぐらいありがたいものはないんですもの。
結局、心が人生を感じる感じ方で、そのまま極楽にもなり、地獄にもなるわけだ。
そこで、心に極楽を感じせしめて生きようとするには、心のなかを掃除しなければだめなんです。
クリーニングしなきゃだめなんですよ。
それが「観念要素の更改」というんです。


「中村天風語録㉗」

◎日常生活で注意すべきこと

特に注意すべき問題は、
いかに観念要素の更改を現実化すべく、会得した方法だけを熱心に実行していても、平素日常生活を行う際に、やたらと不平不満を口にしていると、捨てるそばからすぐ拾うと同様で、
文字通り九仞(きゅうじん)の功(こう)を
一簣(いっき)に虧(か)く
憾(うら)みを作為することになる。

注)九仞の功を一簣に虧く
…高いところまで築いた山を最後の一杯のかごが足りないために完成しないこと。
長い間の努力も、最後の少しの過失からだめになってしまうことのたとえ。


「中村天風語録㉘」

◎悪習を断ち切る

およそ不平不満を口にするほど恥ずかしいことはない。
それは、自分の心を統御できていないことを宣伝しているようなものである。
その実、不平不満を口にするからこそ、進歩向上があるのだと誤解している人がいるが、このような人は人生の荒海に翻弄されている哀れな漂流者である。
だから価値ある人生を送りたいと願うのなら、この悪い習慣をすぐさま断ち切って、荒波を乗り切るための積極心を作る努力を日々怠らないことである。


「中村天風語録㉙」

◎理屈じゃないんだ

人間の生命エネルギーの
中枢の母がつくる一番大根大もとは、科学的に考えてもいけない、哲学的に考えてもいけない。
あるものはあるのだから、あるものとしてあるとして考えられる考え方が一番いいんだ。
哲学者が考えればこうだ、あなた方ならこうだという考え方をするものだから、ごちゃごちゃになっちゃう。
「あるものはある」
これは科学でもなければ哲学でもない。
「あるものは、ある」
それを理屈なしに考えるのが、考え方としては本当の考え方じゃないか。


「中村天風語録㉚」

◎残心

「残心」という言葉は、真剣抜刀術の用語で、
簡約すれば「終始心構えに油断あるべからず」という、抜刀法術練行(れんぎょう)の際、最初から最後まで、一貫せる心構えを忘るるなかれとの
戒慎の言葉なので、昔の格言に「終りを慎むこと始めの如(ごと)くあるべし」というのと、その意味両々相融通しているのであります。











「コロナとインフルエンザの対応の違い」

2021-08-24 09:35:11 | 日本

Q ダイジェストにKojima Tadashiさんが、分かりやすく適切な回答をしている。
以下、参考に!


「コロナは、感染率は高いが致死率の低いインフルエンザ並みの風邪。むしろピーク時に週200万人以上が感染し、年間1万人以上が死亡したインフルのほうが危険な感染症」は正しい見解でしょうか?

最近、インフルエンザと新型コロナでつまり何が違うのか、実際のところ、医療システム全体や日本社会として何が起こっているのか、について考えが少しまとまってきました。
結論から言えば、
私個人としての視点から見れば、インフルエンザのほうが危険。なぜならインフルエンザにかかった場合、必要な治療をされずに放置される(その結果死亡する)可能性があるのに対して、新型コロナでは必要な治療を受けられる可能性が高い。
社会全体という視点から見れば、新型コロナのほうが危険。なぜなら、インフルエンザは医療システムへの負荷が軽いのに対して、新型コロナ患者はとくに高度な医療システムに与える負荷が大きいため医療崩壊を招く可能性がある。
ということなのですが、この結論に至るまでには長い長いストーリーがあります。
・まず、インフルエンザの例年の死者1万人にたいして、2020年の日本の新型コロナの死者は3500人ですから、結果的に見れば、日本においては、2020年の新型コロナよりも、例年のインフルエンザのほうが危険であった、と言えます。しかも、新型コロナの死者が極端に高齢者に偏っているのに対して、インフルエンザは若い人もたくさん死にますし、とくに乳幼児の死亡者数が高齢者を上回る場合もあったりして、もし死亡者の絶対数が同じだとすると、一般的な「怖さ」はインフルエンザのほうが新型コロナよりも大きそうです。

・もちろん、2020年の日本の新型コロナの死者が3500人ですんだのは、緊急事態宣言を含む大規模な社会的な抑制策がとられたからです。ただ、日本において、例年インフルエンザによる1万人の死者が社会的に許容されていたことを考えれば、結果論で言えば、2020年の日本の新型コロナの抑制策の厳しさは過剰であった(死者数1万人になる程度の厳しさで十分であった)とも言えます。

・2020年の日本全体の死亡者数は、前年に比べて1万人近く減りました。とくに、例年10万人程度いる肺炎(ただし新型コロナによる肺炎を除く)の死亡者が1万6千人も減少しました。
年間死亡数11年ぶり減 コロナ対策で感染症激減

・肺炎には主に誤嚥性肺炎と感染性肺炎がありますが、誤飲性肺炎の死亡者が急に減る理由はないでしょうから、1万6千人もの肺炎死亡者数減少は、主に、インフルエンザなどを含む感染性肺炎の死亡者の減少と考えられます。つまり、2020年には例年1万人いるインフルエンザの死亡者がほぼゼロになったわけです。

・とにかく、2020年はインフルエンザなどによる肺炎の死亡者が1万6千人減りました。。あれ?となると、、少しおかしなコトに気づきます。死亡者の多くは死亡する直前は重症者であったはずで、2020年の肺炎の死亡者数(≒肺炎の重症者数)が例年よりも1万6千人減ったんなら、重症の肺炎患者の治療にあたる高度な医療リソース(病床や人工呼吸器やECMOなどの高度な医療機器や、呼吸専門医などの人的リソース)が例年よりも1万6千人分浮いていたはずです。それを、そのまま新型コロナの治療に割り当てていれば、医療リソースの逼迫とか、ましてや医療崩壊なんか起こるはずがないのでは???あれれ??何が起こってるんだろう??

・まず、今回のコロナ禍で、高度な医療リソース(病床、人工呼吸器、ECMO、専門医など)の逼迫、ひいては、医療崩壊に近い状態が起こっているコト自体は事実でしょう。さすがに、本当は医者も病床も余ってるのに、政府も医師会もそれを隠して騒ぎ立てている、というのはないです。

・じゃあ、例年の1万人のインフルエンザの死者数(≒高度な治療を必要とする重症者数)で医療リソース逼迫が起きないのに、なぜ、新型コロナは3500人の死者数で医療逼迫がおきるのか?その違いは何でしょうか??

・この理由として、「インフルエンザは人工呼吸器やECMOといった高度な治療を必要とする重症状態になることは、ほとんどない」と言われることがあります(実際、他の方の回答の中にこういう趣旨のものがあります)。しかしながら、普通に考えて、例年のインフルエンザの死亡者1万人は、その「ほとんど起きないこと」が起きた人でしょう。結果的に死亡した人は、死亡する直前には重症者だったはずです。

・だんだん核心に近づいてきました。となると、残る可能性は、、。結論から言うと、インフルエンザの死者1万人でも医療リソースが逼迫しない理由は、「インフルエンザでは、たとえ重症になっても、人工呼吸器やECMOといった高度な医療を提供されないから」です。日本では、インフルエンザの場合、たとえ本来は高度な治療を必要とする重症になったとしても、高度医療は提供されない(そのまま放置されて死亡する)ために、インフルエンザでは(とくに高度な)医療リソースの逼迫が起きないんです。

・そんなハズはない、医療従事者は最善を尽くしている、と反論(反発)されるかもしれませんが、日本の医療システム全体というマクロな視点で見れば、そういうことです。

・なぜ、新型コロナでは重症者には高度な治療が提供される(その結果、医療リソースの逼迫が起きる)のに対して、インフルエンザでは重症者に必要な高度な医療が提供されないで放置される(その結果、医療リソースの逼迫は起きない)のでしょうか?

・その理由は、インフルエンザは町医者が診られるの対して、新型コロナは専門病院でしか診られないから、に尽きるでしょう。

・インフルエンザでは、まずかかりつけ医、そこで面倒が見られないほど重症化すると地域の病院に入院する、更に重症化すると専門病院に転院することになります。その過程で、結果的に手遅れになって(本来必要であった高度な医療を提供されることなく)死んでしまう人がかなりいるのでしょう。言い換えれば、インフルエンザでは、もし最初から専門病院に入院していれば死ななかったであろう人が、多数死亡しているということです。

・それに対して、新型コロナは、(少なくとも今現在は)町医者や地域の病院を飛び越して、いきなり専門病院に入院するという仕組みになっています。結果として、必要な人(重傷者)には確実に高度な医療が提供される一方で、高度な医療リソースがすぐに逼迫してしまう、というわけです。

・となると、今回のコロナ禍の収束の道筋(の一つ)が見えてきました。やるべきことは、新型コロナについても、従来のインフルエンザと同様に、(本来必要とする人に対しても)高度な医療を提供しない、とすることです。もちろん、あからさまに医療拒否するなんてことはできませんが、インフルエンザと同様に「医療システム全体」としてそういう(本来必要とする人にも高度な医療を提供しない)体制にするということです。具体的には、よく言われるように、「新型コロナを5類に指定替えして町医者で診るようにする」ということになるでしょう。その結果、ほぼ確実に、「お医者さんは全力を尽くしてくれたんだけど力及ばず亡くなってしまった」という新型コロナの死亡者が今より増えますが、それを社会全体として許容する、ということです。


◎あまりに過激に書き過ぎた、と思えてきたので補足。

まず、大前提として、私は、インフルエンザについて個々のお医者さんが最善を尽くしていないと貶めているつもりは全くなくて、「日本の医療システム全体として」そういう仕組みになっている、と主張しています。
「日本の医療システム全体として」インフルエンザではごく少数の患者にしか本当の最善(最先端)の治療を行わない仕組みになっている、かつ、それが一般社会にも当然のこととして受けいれられている、ということです。
それに対して、新型コロナは、無症状や軽症の段階から専門病院でしか診られない、という縛りをつけてしまったせいで、従来のインフルエンザなどではごく自然に働いていた、日本の医療システム全体として、高度な専門医療になればなるほど、受けられる患者の絶対数を絞っていく(患者を選択する)仕組みが働かなくなってしまっている、ということでしょう。

例えるなら、入試という仕組みを無くして、全ての人に最善の教育を与えようとしたら、東大がパンクした、みたいな話だと思っています。
もちろん、全ての学校の全ての先生が、自分の生徒に最高の教育を受けさせようと最善を尽くすわけですが、日本の教育システム全体として、「本当に最高の教育を受ける生徒の数」を絞る仕組みは厳然として存在するわけで。
医療システムというのは、あらためて考えてみれば不思議なシステムでして、当然ながら高度な医療になればなるほど医療リソースの絶対数(供給量)は減ります。しかしながら、人はいつか必ず死にますから、誰もが必ず(高度な医療を必要とする)重症者になる。つまり、医療リソース(医療の供給側)は高度になればなるほど数が減るのに、医療の需要そのものは高度な医療だからといって全く減らない。何もしなければ絶対に需給バランスがとれないわけで、どこかに必ず、高度な医療の需要を(本来必要とされる量よりも)抑えて供給とマッチさせる仕組みが備わっているはずです。

経済の教科書であれば、需要超過の場合は価格を上げて需要を減らしますが、日本の医療システムの場合は「価格」は変えられませんから、とにかく、価格(市場原理)ではない何らかの「謎の仕組み」が存在して需要を抑制していた(その結果、需給がマッチして医療逼迫が発生しなかった)、と考える以外にないです。

ところが、今回の新型コロナは、はからずも、その「(高度な医療に対する需要を本来の量よりも抑制して需給をマッチさせる)謎の仕組み」をバイパスしてしまった結果、需要の大幅な超過、すなわち、医療崩壊が起きたということでしょう。
「高度な医療に対する需要量を抑制する(市場原理ではない)謎の仕組み」が何なのかはよくわかりませんが、例えば、

・病状の悪化につれて、かかりつけ
医 → 地域の病院 → 専門病院 と転院するところで必然的に発生する遅延(結果的に手遅れになる)とか、手続き的あるいは心理的に障壁がある?

・あるいは、純粋に医学的に「転院」によって患者にかかる負担が、高度医療のメリットよりも大きいという判断?(この負担は、もし軽症のときから専門病院に入院していればなかったものです)

・もしかしたら、医者の側にも、転院なんかしないでもうちで十分診られるというプライドみたいなものがある?

・本当によくわかりませんが、それこそ、医療従事者の間に学閥みたいなものがあって、〇〇専門病院に転院できるのは、〇〇大卒のお医者さんの紹介状があるときだけ、みたいな暗黙の縛りがある?(つまり、最初のかかりつけ医の選択の時点で、重症化したときに高度治療を受けられるかどうかが決まっていた?)

・あるいは患者の側にも高度医療に対する忌避感(「チューブ人間」というか、そんなことまでして生かされたくない、みたいな)がかなり強い?
とかなんでしょうか。














R3.8.20  コロナ事件の真相

2021-08-23 09:02:05 | 日本

長いので、時間の有る時にゆっくり読んでください。


友人からです。



⭐️トヨタ、セブンイレブン、アサヒビール、全日空など名だたる大手企業の会長、社長、オーナー、文化人、有名アスリートが寄稿したり、対談したりして多くの著名人、経営者に愛される雑誌「致知」の紙面において

ノーベル賞を受賞された北里大学の大村智先生が発言して下さいました

「このウイルスが自然に出現したとは、なかなか考えにくいのです」

「人工ウイルスと思われるフシがいっぱいあります」

「実際、エイズウイルスの発見者であるリュックモンタニエ博士は『遺伝子配列の4カ所がエイズウイルスと同じと言うのは、どう考えても不自然だ』とハッキリ指摘しています」

「北里研究所でもこれまで様々なワクチン開発に取り組んできましたが、早いもので4~5年、普通は10年くらいかけて安全なものを開発するのです」

「だから1年以内に開発を急ぐと聞いた時に、思わずあり得ないと呟いてしまいました」(致知2020.12号)

また週刊新潮の紙面において、慈恵医大の大木隆生先生が発言してくれました

大木隆生先生は「神の手を持つ医師」と言われ、慈恵医大のコロナ対策院長特別補佐であり

安倍晋三首相に医療費予算配分を指南し

今月16日に首相官邸でガースーに呼ばれて意見交換を行った医師です

「新型コロナは、指定感染症の2類に指定され、毎回宇宙服のような出で立ちで患者を診察し、感染者が1人出る度に病棟閉鎖、関係職員自宅待機の繰り返しです」

「そもそも指定感染症2類とは、致死率10%のSARSや、致死率35%のMARSを念頭に置いた分類です」

「SARSは感染者が世界で8000人、日本はゼロでした」

「致死率が1%で、20万人以上が罹患しているコロナを2類で対応するのは無理があります」

「5類相当のインフルエンザは、熱が出たら家で休み、辛かったら病院に行き、接触しても濃厚接触者とはならない」

「なのに昨年の死因の31位がインフルエンザで、36位が新型コロナでした」

「新型コロナは4000人近い死者の平均年齢が80歳を超えています」(週刊新潮2021.1.21号)

そしてアベマニュースで愛知医科大学病院の後藤礼司先生が発言してくれました

「PCR陽性者は感染者ではありません」

「例えば心筋梗塞で死んでも過去にPCR陽性であったなら死因はコロナでカウントするように厚労省から通達があるのです」

「どうしてこのような明らかにおかしいことがまかり通っているのか、現場に混乱を招いています」

日本人はどこまでいっても勤勉で真面目で、目に見えないところにも手を抜かない気質があるので

いつか必ずこうして多くのお立場のある医療関係者や、専門家が声を上げて下さると信じていました

慈恵医大の大木隆生先生は、私のタイムラインの投稿を読んで下さったらしく

「ありがとう」とコメントを頂きました

過去の投稿に何度も書いてきましたが

PCR検査の発案者であるキャリーマリス博士自身が

「PCR検査はウイルス判定に適さない」と言っています

ct値を1兆倍まで拡大して0.3%の類似点でコロナ陽性判定として

PCR陽性判定は感染者ではないのに、全てのテレビ局が

毎日「感染拡大」と報じます

私達の体には免疫機能が備わっているので

ウイルスや菌を吸い込んだくらいで感染しません

体内にウイルスを吸い込んだとしても3日以内に96%以上は免疫力が勝つのです

だから昨年10月28日にPCR陽性判定が出た体操の内村航平選手は

4日後の11月1日に3つの病院で陰性判定となりました

これは当たり前で普通の事であり、皆さんも同じ結果となります

4日目に再度PCR検査して下さい

かなり高い確率で陰性になります

ところがエイズ患者は、そうなりません

エイズは免疫不全症候群

免疫が無くなる病気です

だからエイズは怖いのです

エイズ患者は、PCR陽性なら高い確率で感染者となります

免疫力がないからです

しかしエイズ患者ではない私達は、実は感染しません

感染してないから症状が出ないのに

無症状感染なる言葉をメディアが作りました

それなのに、PCR検査で陽性なら、たとえ死因が心筋梗塞でも

「コロナ死者とカウントするように」厚労省から通達が出ているのです

いったい何の為でしょうか?

アメリカもイギリスもフランスも同じです

何が原因で死んでも(PCR陽性なら)コロナ死者としてカウントされます

イギリスの保険相が「交通事故死をコロナとカウントしていた」と謝罪しましたが

アメリカのCDC(疾病対策管理センター)も昨年の5月29日と9月2日に

「コロナ死者としてカウントされている死者のうち、コロナが直接の原因の死者は6%である」と発表し

昨年9月24日号のForbesに掲載されました

そして日本は昨年2月1日に厚労省が、新型コロナを「指定感染症2類」に指定しました

感染パニック映画に出てくるような、瞬く間にバタバタと人が死んでいく恐ろしい感染症であると国が指定したのです

こうなると、普通の内科で診察出来きません

2種指定感染症指定医療機関という隔離された場所で

宇宙服のような出で立ちで診察しなければならず

強制隔離義務が法的にある為、面会謝絶で家族の代わりに買い出し、オムツの交換、洗体など全ての患者の世話を

指定医療機関で働く看護士がやらなくてはいけません

重量が数KGある宇宙服のような防護服を着ながらです

ところが実際は、例年のコロナウイルスは致死率が5%から7%であるのに

昨年12月25日に発表された最新の厚労省の統計によれば

新型コロナの感染者数は209980人

総感染者の致死率は1%

59歳以下は0.06%
60歳以上は5.7%

10代の重症者は1人だけで
死者は0です

そして死者の平均年齢は80歳を超えています

つまり要約すると

感染すると80歳の人が最後肺炎になって1%の確率で死ぬ病気です

ウイルス感染して肺炎で亡くなる方は毎年10万人居て

肺炎で亡くなる致死率は5%-7%

1日に換算すると毎日300人が亡くなるのに医療崩壊しません

なぜだか分かりますか?

指定感染症2類に指定していないからです

肺炎の死因No.1は肺炎球菌です

侵襲性肺炎球菌は致死率19%です

感染すると5人に1人が亡くなります

では侵襲性肺炎球菌は何類かと言うと

5類です

致死率19%で

感染したら5人に1人が亡くなる恐ろしい菌なのに

5類です

10万人以上の統計データは信用出来ます

20万人以上の感染者データに基づいて、致死率1%と発表されているウイルスが

ある日突然、致死率10%にはなりません

分母が大きくなれば致死率は逆に下がります

つまり20万人が200万人になれば、致死率は1%以下なのです

それなのに、ゾンビ映画や恐ろしい感染パニック映画のように、指定感染症2類に指定して

宇宙服のような格好をして家族の代わりに全ての世話を看護士がしなければならず

防護服なしで感染が発覚したなら

病棟閉鎖
関係職員は自宅待機など

実はウイルスが怖いのではなく

ややこしくしているのは法律であり

指定感染症2類を国が解除したら、致死率1%の例年の風邪であり

例年の肺炎の致死率が5%-7%であることを考えると

致死率1%のコロナは、例年の肺炎よりも死なないウイルスと言えます

嘘をつくのは人であり、数字は嘘をつきません

国が指定感染症2類を解除すれば「医療崩壊問題」は解決します

例えば、880万人都市の大阪で

重症者ベッドは238
使用人数は現在174人

「74.7%埋まりました」
「緊急アラート発令です」

と知事がパネルを掲げて

なぜか飲食店が時短営業となります

致死率1%で80歳しか死なないウイルスの為に

重さ5kg近くある宇宙服のような防護服を着せられて、超重労働を毎日して、家に帰ってきたらお母さんの仕事

ほとんど休みがない過密スケジュールで超過酷な重労働を強いられているのに

差別の対象となります

指定感染症医療機関で働く看護士の子供は

保育園受け容れ拒否

幼稚園、学校で子供がいじめられたり「来るな」と言われて

大勢の医師と看護士が辞めていきます

「医療崩壊」だ

「医療壊滅」だと

毎日、日本医師会の中川俊男会長があおりますが

自民党に対する政治献金は、トヨタレベルで8000万円

ところが日本医師会は団体個人合わせて6億7000万円

指定感染症2類を解除しない政府とズブズブの関係であるのが日本医師会です

飲食店で9人でご飯食べたから謝るは問題のすり替えです

そもそも毎年

日本全国の全ての病院が致死率5%以上のウイルスを診察している訳で

先生方は致死率19%の肺炎球菌と毎年戦ってくれている訳で

20万人以上の統計データで

致死率1%だと分かっているウイルスを

宇宙服みたいなの着なければダメ

接触した看護士は自宅待機

病棟封鎖

こんなの経営が成り立つ訳がない

むしろあえて医療崩壊を起こす為に2類指定したのかと思ってしまいます

毎年、致死率5%以上のウイルスと戦っても医療崩壊は起きてません

ゾンビ映画パニック映画みたいな指定感染症2類にしてしまったから

ベッド数が足りないよー
人が足りないよー
差別で看護士が辞めていくよー

と騒いでいるのです

多くの医師が提言しているように

直ちに2類指定を解除してインフルエンザと同じ5類にすれば解決なのです

実際に昨年の死因の31位がインフルエンザで、36位が新型コロナですからね

この物語には続きがあります

前回投稿したトランプバイデンの物語と繋がっています

冒頭で北里大学の大村智先生の発言をご紹介しましたが

今回のコロナ騒動は仕組まれたバイオテロなのです

実は世の中は、国際金融資本(ディープステート)と呼ばれる銀行屋(金融グループ)に支配されています

例えば、あなたが銀行のオーナーで「明治」に1000億円貸したなら

「森永」の応援はしないですよね?

では、「明治」にさらに5000億円応援して「森永」が弱体化したなら

「森永」を買収して「明治森永」となるわけです

吸収合併を繰り返して少数の金持ちだけが更に膨れ上がります

事実アメリカでは1470万世帯の方々が、今年6月までに家賃が払えず強制退去になると言うのに

アメリカのトップ614人のビリオネア達は、コロナが始まってからの8か月で

さらに資産を9310億ドル

つまり100兆円増やしました

多くの人々の生活を困窮疲弊させて、仕掛けている連中は誰も困っていません

名前を変えて、投資組合や投資銀行や投資ファンドの名前で資金投下して、さらに膨れ上がります

やがて利益を追求していくと戦争が儲かることに気付きます

戦争はお金がかかるし、企業ではなくて相手が国なので

大きなお金を貸すことが出来るし、武器も売れます

初めから商売なので戦ってる両方に武器を売るのです

パパブッシュのお父さんであるプレスコットブッシュは、ナチスドイツの資金調達を助けていました

アメリカの敵であるドイツを助けていたのです

アフガン侵攻もカーライルという軍事ファンドは

アフガニスタンにもアメリカ軍にも武器を売っていました

13歳のナイラちゃんに議会で嘘をつかせた「ナイラの涙」では

在米カタール大使の娘のナイラちゃんが

イラク兵に弟が殺され、保育器の赤ちゃんが惨殺されたと議会で号泣しましたが

後からアメリカに住む在米カタール大使の娘だとバレました

このナイラちゃんの証言(ナイラ証言)を全米700局のテレビ局がビデオ配信して

ブッシュ大統領は

このナイラ証言を10回以上自身の演説で起用し

米国内の世論を操作してイラクに戦争を仕掛けました

アメリカ最大の軍事ファンドカーライルの個人の筆頭株主はパパブッシュでした

味方にも敵にも武器を売る戦争屋です

嘘を付いて戦争を起こして、戦争の名の元に人殺しをするのですから

彼らは立派なテロリストと言えるでしょう

「大量破壊兵器があるはずだ」と言って、13歳のナイラちゃんに嘘泣きさせて戦争仕掛けて

結果「大量破壊兵器はなかった」のにイラクの石油はチェイニー米副大統領の会社が取り上げました

結局彼らは石油が欲しかっただけです

多くの無実の人を殺して取り上げました

彼らは、ドルをアメリカ政府に発行させません

FRBという自分達の銀行を作り、自由にドル紙幣を刷ります

そして過去にアメリカ政府にドル紙幣の発行権を取り戻そうとした6人の大統領が銃弾に倒れ

そのうち4人の大統領が絶命しました

もちろんその1人がJFK(ジョンFケネディ)です

第7代大統領アンドリュージャクソンは2回銃弾に倒れましたが一命を取り留めて

70年間ドル紙幣の発行権をアメリカ政府に戻すことに成功しました

アンドリュージャクソン大統領の墓石には

「私は中央銀行を倒した」と書かれています

そしてトランプ大統領のホワイトハウスの執務室に飾られていた肖像画がアンドリュージャクソンであり

トランプタワーの執務室に飾られている肖像画が、JFKなのです

ディープステートは巨大化し、多くの犯罪に手を染め誰も手が付けられなくなりました

2016年にトランプに負けたヒラリーはカタールへ1900億円を送金しています

例のEメール問題です

ヒラリークリントンのNo.2であるフーマアベディンの夫アンソニーウィナーが

小児性愛で逮捕された時に押収されたデスクトップから675000通のメールが見つかり

児童の虐待や殺害シーンの写真や動画でした

そして送信先が、ヒラリーであり、クリントン財団であり、フーマアベディンでした

このEメール問題が致命的となり

ヒラリーは選挙戦に負けましたが、なぜか自己資産1900億円をカタールに送金しました

選挙で負けただけなら全財産を他国に送金しますか?

クリントン財団が関わっていたこの恐ろしい児童誘拐、児童人身売買には

2017.4にプーチン大統領も言及し

「ワシントンD.C.のエリート小児性愛グループの沼地を枯渇させるまでこの措置を続ける」と発言し

ロシアアメリカ間の養子縁組を禁止しました

グーグルはディープステート企業であり

ヒラリー 送金 カタール

とグーグルで検索してもヒットしません

ダックダックゴーというアプリをインストールして検索してみて下さい

何を検索したのか誰にも知られずに、ディープステートが隠したい情報を得ることが出来ます

前回の投稿で書いたように、この巨大国際金融資本グループによって、ほぼ全てのメディアグループは支配されています

残念なことに日本のテレビ局はNHK含めて全局です

9.11の時に平日にも関わらずモルガンの社員4000人が休んでいたことを

夕方のニュースで報じようとしたNHKの解説員長谷川浩さんは

その日のうちに代々木のNHKの屋上から飛び降りました

もちろん自殺ではありません

そして冒頭から書いてきた通りです

いま日本のテレビ局は毎日何をしていますか?

ct値を1兆倍にして0.3%の類似点でコロナ陽性判定にして

4日以内に陰性になる人も

ただウイルスを吸い込んだだけで、感染していない人も

PCR陽性を感染者であると毎日あおり

致死率1%のウイルスの為に、感染パニック映画に出てくる宇宙服のような防護服を着せられ

来月からコロナ特措法を改正して

強制隔離、強制入院に従わなかった人は懲役一年を科すと言ってますね?

6月までに全国民分のワクチンを準備すると言ってますね?

今回のバイオテロの目的の一つにワクチン接種があります

ファイザーもモデルナももちろんディープステート企業です

ファイザーのCEOが「90%有効だ」と発表して、その裏で自分だけ保有株主の60%を売り抜けました

モデルナのCEOも「94.5%有効だ」と発表して

その裏で50万株売り抜けました

犯罪スレスレの所業です

日本全国で10代は誰も死んでません

重症者すら1人だけです

インフルエンザなら学生も感染し、高熱を出し、死者も出し学級閉鎖になりますよね?

ところがコロナは日本全国で重症者が1人だけです

死者の平均年齢は80歳です

要するに風邪をこじらせて肺炎で亡くなるおじいちゃんとおばあちゃんです

毎年の光景です

強制入院に逆らったら懲役1年

これでますます人々の協力を分断します

ワクチンはどのように仕掛けてくるのでしょうか?

政府はワクチン大臣に河野太郎さんを任命しました

石破茂さんをやっつけて、次は河野太郎降ろしです

閣僚の中で唯一原発に反対しているからです

ワクチンはこれから大多数の死者を出します

なのでその責任を河野太郎さんに押し付ける為に、河野太郎さんをワクチン大臣に任命しました

河野太郎さんの政治手腕はともかくとして、河野太郎さんは実直で真面目な人です

お父様である河野洋平さんが腎臓か肝臓を患った時に、確か自分の臓器を提供して、お父様の命を救っています

戦争が終わり巣鴨プリズンから釈放された4人の死刑囚は

司法取引でCIAのエージェントとなりました

その中の1人に、正力松太郎が居ます

日本テレビ(日テレ)の創設者であり読売新聞の社主であり

原子力委員会の初代委員長でした

CIAのエージェントとして読売新聞と日本テレビを使って原発推進キャンペーンを大々的に行い

47都道府県に52基の原発を設置します

これがある為に日本は絶対に逆らえません

映画「Fukushima50」見ましたか?

福島第二原発への海水注入を止めるように命令したのは官邸です

私は、その場に居た方ともお会いさせて頂きました

当時の菅直人総理に向かって東電福島営業所の吉田所長は

「何しに来た?貴様?」と言ったそうです

官邸の命令は「第二原発への海水注入を止めろ」でした

吉田所長がフル無視して、海水注入を続けてくれたのです

第二原発がメルトダウンして第五第六と続いて爆発したなら

その被害は半径650km

名古屋まで放射能で汚染されていました

吉田所長が日本を救ってくれたのです

原発が1基爆発すると、その被害は広島長崎の数百倍です

だからCIAは47都道府県に52基の原発を設置しました

そして河野太郎さんは原発に反対している唯一の閣僚です

だから信用出来るのです

しかしだからやられるのです

河野太郎さんをワクチン大臣に任命した時点で

これからワクチンで問題が勃発するのは、ほぼ間違いありません

多くの何も知らない罪なき日本国民が犠牲になるでしょう

そしてワクチン接種の次の目的は5G携帯を使わせることです

私自身はお世辞にも大した人間ではありませんが

私はこのLINEで地上波テレビ局含む3社の大手メディア企業の取締役とつながり

少なくみても50人以上のメディア関係者とつながり

YouTubeやインスタやFacebook、TwitterなどのSNSの総フォロワー数6000万人以上を持つ方々と

このLINEで直接繋がっています

日本に残された時間はおそらく今年いっぱい

私は何度もそう書いてきました

私自身も毎日15時間は全力でやるべきことをやっていますが、間に合うかどうかは分かりません

しかし、決して後悔したくないので毎日全力でやるべきことをやります

皆さんにご協力頂きたいことが多々あります

生き方、生き様の問題です

学生時代に、とても強そうな怖い不良のいじめっ子が居たとして

どう考えても悪いことをしてる

あなたは見て見ぬふりをしましたか?

それとも注意しましたか?

弱者が目の前で嫌がらせを受けていた

あなたは見て見ぬふりをしましたか?

勇気を出して救出を試みましたか?

手遅れになってから立ち上がっても遅いのです

生き方、生き様の問題です

初めから政治に関心がある人や、理解力のある人からしたら

私のこの長文は、何度も同じことを長々とと思うでしょうね

しかし、こと選挙に関しては20代と夜の街の住人を巻き込まないと悪を倒せません

だから出来るだけかみ砕いて読んで貰えるように意識して工夫して書いてきました

そして皆さんのおかげでタイムラインフォロワー数日本一になりました

LINEは8200万インストール

想いの共感共鳴でどこまで繋がっていくのだろう?

楽しみです

最後に、ブラジルで送別会を開いて日本のメディアに叩かれた本田圭佑さんの発言を載せておきます

本田圭佑さんは発言がブレませんね

好きです

20人くらいの仲間が開いてくれた送別会を日本のメディアに叩かれて

「揚げ足を取られたとしか思っていない」

「一切後悔なんてない」

「恥ずべきことは何もしてない」

「むしろここまで騒がれるなら、ダンスの練習をもっとして、あいつめっちゃムーンウォーク上手いやん?」

「と話題を変えられなかったことが僕の実力の無さです」

相手が大企業だろうが間違っていたら「おかしい」と言えなければいけないです

強そうないじめっ子にはみんなで立ち向かえばいいのです

何かを成し遂げる時のエネルギーは

努力、根性、無理、我慢、ストイックではありません

嬉しい楽しい感謝です

本田選手のユーモアに富んだ返し

最高です

先ほども述べました

私は50人以上のメディア関係者と

合計6000万フォロワーを誇るインフルエンサーの皆さんとLINEで直接繋がっています

この世界規模の茶番を見て下さい

どこへ逃げても同じです

愛する人を守りたければ立ち上がるしかない

私に良い考えがあります
連絡下さい

音は  こだま
光は  ひかり
想いは のぞみ

想いのエネルギーは何よりも強く何よりも速い

私達の住むこの目に見える世界の多くは

誰か1人の目に見えない想いから始まりました

全ての目に見える事象は、目に見えから始まります

必ずです

松浦洋江









「貞観政要の知恵⑤」

2021-08-22 08:23:36 | 日本

書経に『無益の遊観をなして、有益な徳義を害うことがなければ、治功が成就する。 奇巧の異物を貴んで用物の服食を卑しまなければ、民の財は富足する。犬馬は[有用の 物であるが]その地方の産するものでなければ飼わない。珍美な鳥や奇異な獣は[ただ 耳や目を楽しませる玩弄物に過ぎないから、むだな労費をして]国に畜養しない』とあ ります。陛下は、貞観の初年には、その行動のすべてが上古の聖天子なる堯舜を手本と してその道に従われ、黄金や宝玉を投げ捨て、古代の淳朴質素な生活に返りました。と ころが、近年以来は、珍しい品物を尊重なされ、手に入れ難い品物は、どんな遠方から でも至らぬことはなく、類のない精巧な道具の製作が、やむときがございません。かよ うに、お上が、はでな贅沢を好まれながら、下民の純朴な生活を希望しても、実現でき ることはございません。商工業ばかりが盛んになりながら、農民による作物の豊かな実 りを求めても、得られないことは明らかでございます。これが、しだいに有終の美を全 うすることができない点の第五でございます。

貞観の初年には、賢者を求めることが、まるで、のどがかわいた人が水をほしがるよ うに熱烈に捜し求められ、善人が推挙した人物は、信じて任用し、その長所を取り、常 に[賢者を求めることが]まだ十分ではあるまいかと恐れ気づかっておられました。と ころが、近年以来は、陛下の御心の好き嫌いによって人を用いられます。あるいは、多 くの善人たちが一致して推挙した人を用いても、一人がそしればその人を捨てて用いま- 16 - せん。あるいは、多年、任用して信頼しておりましたのに、ひとたび疑えば、それを遠 ざけてしまいます。そもそも、人には平素の行いがあり、事には成就した事跡があるも のでございます。ですから、人を悪く言う人が、必ずしも誉められている人よりも信用 できるというわけではございません。[それゆえ]積年の善行を、一朝にしてにわかに失 ってはなりません。その上に、君子の心は、仁義道徳を実行し、立派な徳を世に広めよ うとするものであります。が、小人の性質は、人の悪口を言うのを好み、自分個人の利 益だけを考えております。陛下は、詳しくその根源をお調べにならずして、軽々しく、 表面だけで人物の善悪を断定なされております。これでは、正しい道を守る者が日々に 遠ざかり、能力がないくせに地位だけを求めたがる者が、日々に進み出ることになりま す。ですから、人々はただ一時のがれをして失敗さえしなければよいと考え、自己の能 力を十分に尽くす者がございません。これが、しだいに有終の美を全うすることができ ない点の第六でございます。


陛下が初めて皇帝の位に登られたときには、高い位に居りながらも深く民間のことを よく御覧になり、事は清静を第一にし、心には嗜好の欲なく、狩猟の道具を取り除いて、 遊猟の源を断ち切りました。しかしながら、数年の後には、そうした御意志を固く守る ことができず、[昔の話にある]百日間も遊猟に出かけたまま帰らなかった天子ほどでは ございませんが、[昔の天子が]狩猟を行ったときの三駆の制度に過ぎるものがあり、と うとう、あまりに頻繁にお遊びに出かけるのを、人民から非難されたり、狩猟に用いる 鷹や猟犬の貢物は、遠く四方の異民族にまでも及びました。あるいは、狩猟による軍隊 の教習の場への道路が遠いため、朝は暗いうちに宮殿を出、夜になってお帰りになり、 獲物を追って馬を走らせることを楽しみとし、思いがけない災難が起こるかもしれない ということについては、さっぱり気にかけることをなさりません。変事というものは、 思いがけないときに起こるものでございます。[変事が起こってからでは]お救い申すこ とはできません。これが、しだいに有終の美を全うすることができない点の第七でござ います。

孔子の言葉に『君主が臣下を使うには礼を守り、臣下が君主に仕えるには、真心をも って仕える』とあります。そういたしますれば、君が臣を待遇なさるには、道義として 薄くあってはなりません。陛下が初めて天子の御位につかれた当時には、尊敬の念をも って臣下に対し、君の御恩は臣下に十分に及び、臣下の真情は陛下によく届きました。 それゆえ、臣下たちは、ことごとく、[この御主君のためには]自己のあらん限りの力を 尽くそうと思い、心の中に少しも隠すところがございませんでした。しかし、近年以来 には、[陛下の、臣下たちに対する態度が]軽忽粗略な点が多くなりました。ある場合に は、地方官が任務を受けて地方を治め、地方の事情について奏上のために入朝し、宮中 に参内し、任地の見たところを申し上げようといたしましても、申し上げたくともお顔 を拝見することもできず、お願いしようとしてもお取りあげになりません。そして突然 に、その短所について、小さな過失を詰責なされます。これでは、いかな賢くて弁舌に すぐれた才略のある臣下でも、その忠誠の真心を申し上げることができません。[そのよ うな状態でありながら]上下の心が一致し、君臣が共に安泰であろうことを願っても、 困難ではございますまいか。これが、しだいに有終の美を全うすることができない点の 第八でございます。

『傲慢の心は長じてはならず、欲望は無制限にしてはならず、楽しみは極めてはなら ず、志は満たしてはならない』[とは礼記にある語で]この四者は、古昔の帝王が、その 身に幸福をもたらした原因となったもので、広く事理に通達した賢者が、深く戒めとし たところのものであります。陛下は、貞観の初年には、一心に努力して怠らず、御自身- 18 - のお考えを曲げて人の意見に従い、いつも、足らないところがあるような謙遜深い態度 でいらっしゃいました。ところが、近年以来、少しばかり、いばってわがままにふるま い、功業の偉大なことを誇りに持って、前代の帝王を軽蔑するお気持ちがあり、すぐれ た知恵の賢明さを自負して、当代の賢者を軽蔑するお心がございます。これは、傲慢の 心が長じたものでございます。それゆえ、なさりたいとお考えになったことは、すべて 思い通りにやりとげてしまいます。たとい、一時的に感情を抑えて諫めに従うことがご ざいましても、結局は御心から忘れてしまうことができません。これは欲望の心が無制 限になったものでございます。陛下のお志は、楽しみ遊ぶことだけにあり、いくら遊ん でも、これで満足したということがございません。現状では、まだそれがすべて政事の 妨げとはなっておりませんけれども、まるっきり政治についての御関心が無くなられま した。これは楽しみが極度に達しようとしているものであります。国内はすみずみでも 安らかに治まり、四方の異民族も本心から服従しておりますが、それなのになお、遠い 辺境の地に兵馬を苦労させ、はるか遠いはての異民族の無礼の罪を責める討伐軍を派遣 しております。これは、御志が、どこまでいっても満足することが無いからでございます。[そういう無益な戦争を起こすについて]陛下のおそばに親しみなれている者は、仰 せにおもねり従って意見を申し上げようとはせず、疎遠の者は、陛下の御威光を恐れて、 進んでお諫めしようとはいたしません。こういう状態が積み重なってやみませんければ、 すぐれた陛下の御徳に傷がつくようになるであろうと思います。これが、しだいに有終 の美を全うすることができない点の第九でございます。

昔、堯舜や殷の湯王という聖天子時代にも、全く災害が無かったというわけではござ いません。しかしながら、それらが非常にすぐれた徳のある帝王であると称されたのは、 終始一貫して、無為無欲であり、災害に出遭えば、憂慮と勤労のあらん限りを尽くし、 時世が平安のときにも自己の欲望のままに驕逸するということがなかったからでありま す。貞観の初年には、毎年毎年、連続して霜害や旱害があり、都を中心とした地域の戸口は、皆[食物を求めて]関外の地に行き、老人や幼児を、背負ったり手を引いたりし て、来往した者が数千人にも達しました。しかし、一戸の逃亡者もなく、一人として、 その苦痛を恨んだ者はございませんでした。これは、陛下が人民たちを、あわれみ養わ れる御心をよく知っていたからであります。それゆえ、飢え死にするようなことがあっ ても二心をいだく者がなかったのでありました。ところが、近年以来になりましては、 人民は政府の労役のために疲れはて、都に近い関中の人民たちの、労役のための疲弊が 最も甚だしゅうございます。そして、工匠の者たちは、非番で休養すべき日にも留めて 働かせ、正規兵たちは、当番の日に、勤務外の仕事に、こき使われます。各地方の産物 を交易して政府がその歩合を取るために、村里までも物資の移動が絶えず、物資を順送 りに送る役夫は、道路に連続しております。何らかの弊害が起これば、僅かのきっかけ でも人民は騒動を起こし易い状態になっております。もし、洪水や旱害のために、穀物 の収穫がなくなったときには、恐らくは人民たちの心は、往年のように安寧でいるわけ にはいかないものと思われます。これが、しだいに有終の美を全うすることができない 点の第十であります。

私は『災禍も幸福も、来るのにきまった入口というのもはなく、みな自分自身が招く ものである』という語を聞いております。人に欠点がなければ、災禍はむやみに起こる ものではございません。慎んで考えまするに、陛下が天下を統御なされますことは、こ こ十三か年、その間に、陛下の徳化は国内に十分に行きわたり、御威光は遠く海外にま でも及び、毎年の穀物は豊作で、学問教育は盛んに興り、軒なみの人民は[すべて善良 で才徳にすぐれ]諸侯に封じてもさしつかえないほどの価値のある者ばかりであり、米 穀は豊富で、水や火と同様に惜しげもなく使うことができました。ところが、今年にな ってからは、天災が盛んに起こり、炎気は旱害となり、それが遠い郡国にまでも被害が 及び、悪者どもが悪事を働き、たちまち、天子のおひざもとに近い帝都にも凶悪な犯罪 者が出没するようになりました。そもそも、天は何も申すことをいたしません。ただ、 天変地異のような現象を垂れて、[天に代わって地上を治める天子に対して]戒めをお示 しになりますものでございます。ですから、[今の災害の現象は]陛下が天の戒めに対して驚懼し憂勤すべき時でございます。もし、天の戒告に対して恐懼し、善人を択び用い てその言に従い、[驕逸の御心を捨てて]周の文王が、小心翼々として、細かく気をくば って慎み深くしたことと同じくし、殷の湯王が、[大旱のときに、自身を犠牲として天に 祷り]自己の政治の罪を反省したことを学び、前代の帝王が治世を完成した原因となっ た方法は、すべて努力して実行し、現今の徳を敗った原因となったものは、よく思い考 えてその悪い点を改め、国民と共に、個人や社会のあり方を更新し、人の耳目を一新し たならば、天子の御位は無窮に伝えられ、天下万民の幸福はこれに過ぎるものはなくな ります。どうして禍害と破滅の心配がありましょうや。

そう考えますると、天下国家の治乱安危というものは、天子御一人にかかっているも のでございます。当今の太平の基礎は、すでに天よりも高く築かれております。[しかし なお、せっかく築いて来ました太平の基礎も、それを途中でやめてしまったならば、今 までの努力もすべて水の泡となり、いわゆる]九仞の功を一簣に欠くおそれがあります。 今は千年に一度だけ現れるという、この聖天子のいます立派な時期であり、このような 時は、二度とは得ることができません。賢明なる君主は、それを実行することができる 能力がございますのに実行なさらず、そのため、私ごとき卑しい臣下が、心が晴れずし て長嘆息いたす理由でございます。私は、まことに愚かで卑しく、物事の機会というも のに十分通達いたしてはおりません。しかし、ほぼ、私の目に触れました点の十条を取 りあげて、聖聴に上聞申し上げました。慎んでお願い申し上げますには、陛下が、私の 間違いだらけのでたらめな言を御採用になり、民間の意見も御参考にしてくださいます ことを。どうか、私のごとき愚者の考えの中にも千慮に一得があって、天子の御職責に 少しでも補いとなる点がございますように。[そのようになることができましたならば、 たとい陛下のお怒りに触れましても]死ぬ日が私の生まれた年であると考え、死刑に処 せられても満足でございます」と。

この上疏文が奏上されると、太宗は魏徴に語って言われた。「臣下たるものが君主に仕 えるには、君主の意旨に順うことは非常に易しいが、君主の感情に逆らって諫めること は、もっとも困難なことである。公は我の耳目や手足となって、いつも思慮深い意見を 献納してくれる。我は今、公から過失の点を聞いたので、必ず改めてみせよう。そして、 どうか有終の美を成しとげたいものである。もし、この言葉に違反したときは、どんな 顔をして公に会うことができようぞ。そればかりか、公の進言以外のどんな方法で天下 を治めることができようぞ。公の上疏を得てから、くり返し十分に研究し、その言葉は 強く、道理は正しいことを深く悟った。そこで、とうとう、それを屏風に仕立て、朝な 夕なに仰ぎ見ることにし、また、史官に命じて記録させた。どうか千年の後の者が、こ れによって、君臣の義を知ってほしいものである」と。そこで、[褒美として魏徴に]黄 金千斤と、宮中の厩の馬二頭とを賜った。

本章だけでも、『貞観政要』の中で魏徴が何を言ってきたかがわかる、 いわば、「総集編」ともいえる内容になっています。 ここで示された十箇条をまとめると、次のようになります。
一、無為無欲 → 物欲が強くなった
二、人民への慈しみ → 平気で労役を課す
三、人民の利益重視 → 自分の欲望に奉仕
四、君子の重視 → 君子敬遠、小人と親密
五、質素な生活 → 贅沢を追求
六、賢者の探求 → 好き嫌い、表面での人物判断
七、狩猟の抑制 → 狩猟を娯楽
八、礼を守った臣下の待遇 → 態度が粗略
九、謙虚な態度 → 尊大な態度
十、災害時にもった憂慮・勤労 → 人民への無配慮

これだけ長々とした厳しい諌言の総集編を渡された太宗が、素直に受 け入れた姿は、やはりさすがと言うべきでしょうか。
この章に続き、第六章で「守文(守成)」の大切さを確認し、さらに、 第七章(本書の最終章)で太宗が、常に諌言を歓迎する旨を述べ、魏徴が、 賢者である太宗は欲望をコントロールできる、したがって、唐朝も永代 安泰であろうと結んでいます。かくして、初心を忘れず常に反省し、他 人の言に素直に耳を傾けることが奥義、ということになりそうです。

が、しかし、実際は、そうもいかなかったようです。
太宗の治世が終わる貞観二十三年までも、まだまだ平坦な道程ではな く、むしろ果たして有終の美を飾れたか疑問の残るともいえる足跡が残 されています。貞観十九年、水陸十万を超える兵力をもって高句麗遠征 したがこれに失敗・撤退、貞観二十一年、二十二年にも兵を出し、「魏徴 がいたならこうはならなかった(「魏徴若し在らば、我をして此の行有 らしめじ」)と悔やむものの、後の祭り。その魏徴に関しても、貞観十 七年に彼が没した際は、太宗自ら碑文を書き碑を作らせたのに、その数 ヶ月後、謀叛に係わる疑いをもち、その碑を倒してしまい、二年後に反 省して、また碑を建て直させたことが史書にも残っています。

それにもかかわらず、『貞観政要』は生き残っています。中国でも、近 時、関連する書がいくつか出版されています。もともと、呉兢が、唐の 中宗に、そして玄宗に献上した書ですが、もし、古来の名言だけを取り 出すのであれば、出典の四書五経の抜粋で十分でしょうし、太宗自身の 思想であれば、『帝範』を読めばわかります。しかし、現実の中で、何度 も同じような諌言を受けつつ、政治を行った人間太宗の姿が生き生きと 描かれていることが、日本でも、かつて、北条政子が和訳させて愛読し たといわれ、徳川家康が出版させるに至った所以でもありましょう。 全四十編が、治世半ばでの反省の話で終わったところに、作者呉兢の 編集の妙も感じられる書物でもあります。





<了>











「貞観政要の知恵④」

2021-08-21 06:34:49 | 日本

◎ 「魏徴の諫言十箇条」(第四十編第五章)(『貞観政要』のクライマックス)

貞観十三年に、魏徴は、太宗が[創業当時の]倹約を全うすることができずして、近 年非常に贅沢でかって気ままを好むようになったのを憂慮し、上表文を奉ってお諫め申 し上げた、「私が、古来の帝王の天命を受けて国家を創建しましたのを観察いたしまする に、皆、その国家を万世に伝えたいと思い、子孫のために将来のはかりごとを残してお ります。それゆえ、朝廷に立って、天下に政治を行うに際し、その政治について語ると きには、必ず淳朴を第一にして華美なことを抑え、人物を論ずるときには、必ず忠良を 尊んでよこしまな者を卑しみ、制度を語るときには、奢侈を絶って倹約を尊び、物産を 語るときには穀帛等の人民の生活に無くてはならない物資を重んじて、珍奇な宝物の類 を卑しんでいました。然し、天命を受け[て王朝を創建し、天子となっ]た最初には、 皆、前記の方針に遵ってよく治まった世を作りあげていました。[ところが]少しく国家 が平安になりました後には、多くは、これに反して風俗を破壊してしまいます。

その理由は何故でございましょうか。それは、なんと、万乗の尊き天子の位に居り、 四海の富をわが物として保有し、言葉を出せば、自己に逆らう者はなく、行うところは、 人が必ず従い、公正な道が私情に溺れてしまい、礼節が欲望のために欠けてしまうから ではありますまいか。古語に『知ることがむずかしいのではなく、行うことが困難であ る。行うことがむずかしいのではなく、それを終えることが困難なのである』とありますが、この言葉は、ほんとうでございます。

謹んで考えまするに、陛下は、御年が、やっと二十歳になられたときに、天下の騒乱 を平定して、国内を統一し、はじめて帝王の業を開きました。貞観の初年には、御年が 壮年でございましたので、欲望を抑えて、自ら節倹を実行し、国の内外が極めて安寧に なり、ついに非常によく治まった世を出現いたしました。その功績を論じますれば、殷 の湯王も周の武王も比べものにならず、その徳を語りますれば、堯舜のごとき聖天子も 遠く距ったものではございません。私は抜擢を受けて陛下のおそば近くにお仕えしてか ら、十余年の間、いつも機密の御相談にあずかり、しばしば、賢明なるお考えを拝承い たしました。陛下は、常に仁義の道の実践を期待し、それを守って失うことなく、倹約のお志は終始変わることがございませんでした。『一言にして邦を興す』という論語の語 は、まさしく、こういうことをいうものでございます。そのときの陛下の、御立派なお 言葉は、ありありとわが耳にあり、決して忘れることはございません。しかしながら、 近年以来、少しく往時の御志とはそむき違い、かつての人情味に厚い政治が、しだいに 有終の美を全うすることができないように思われます。慎んで聞き及びました点を述べ ますと、次の通りでございます。

陛下は貞観の初年には、無為無欲で、平和でよく治まった徳化は、[国内ばかりか]遠 い未開の国にまでも及びました。ところが、これを今日について考えまするに、その風 がしだいに衰えております。お言葉だけを聞きますれば、遠く上古の聖人にも越えまさ る立派な御意見でございますが、実際のことについて論じますと、史上の平凡な君主に も越えません。どういう証拠でいうのかと申しますと、漢の文帝や晋の武帝は、どちら も、上古の聖人に比すべき天子ではありません。しかし、漢の文帝は、一日に千里を走 る名馬の献上を辞退し、晋の武帝は、献上された雉の頭の美しい毛で飾った裘(かわごろ も)を、殿前で焼いてしまいました。ところが、今、陛下は駿馬を万里の遠方に求め、珍 奇な宝物を国外からお買いになり、途中の道路の人々からは、[その行列を]何事だろう かと怪しまれ、異民族からも軽蔑されております。これが、その、しだいに有終の美を 全うすることができない点の第一であります。

昔、子貢が民を治める道を孔子に問いました。すると孔子が言うには『危険なことと いったら、腐った縄で六頭の馬をあつかうようなものである』と。子貢が言うに『どう して、そんなにも恐れるのでありますか』と。孔子が言うには『正しい道をもって民を 導かなければ、わが讎となるものである。だから、どうして恐れないでいられようや』 と。それゆえ、書経にも『民は国の根本であり、根本がしっかりしていれば国家は安寧 である。だから人の上として民に臨む君主は、どうして荒怠して敬しないでよかろうや』 とあります。陛下は、貞観の初年には、人民を見ることが、傷ついた人を見るように、 その勤労の様子をあわれんで御覧になり、人民をわが子と同様に可愛がり、いつも簡素 節約を旨とし、大がかりな建造物を構築することはございませんでした。ところが、近 年以来は、御心が贅沢でかって気ままになり、急に、従前のへりくだって倹約であった 御精神を忘れ、軽々しく人民を労役に御使用になり、そして『人民は労務がなければ、 おごって気ままな行動をする。労役すれば使い易い』とおっしゃっております。古来か ら、人民の逸楽によって国家が傾敗した例はございません。それなのに、どうして、あ らかじめ、人民が逸楽するであろうことを恐れるからといって、わざと労役に酷使しよ うとするものがございましょうや。[そういうお言葉は]恐らくは国家を興隆させる正し い言ではございますまい。どうして人民を安定させる遠大なはかりごとと言えましょう や。これが、しだいに有終の美を全うすることができない点の第二でございます。

陛下は、貞観の初年には、御自身を損じましてまでも人民の利益を図られました。と ころが今日になりましては、御自身の欲望に奉仕させるために人民を労苦させておりま す。へりくだって倹約であった行いが年ごとに改まり、たかぶり贅沢をする御心が日ご とに増しておられます。口先では人民のことを心配するというお言葉を、絶えずおっし ゃっておられますが、御自身を楽しませることが、実に熱心でございます。[宮殿や離宮 などを]造営なさりたいとお思いになることがありましたときには、臣下がそれを諫め るであろうことを考えて、先手を打ち、『もしこれを造らなければ、我が身に不都合であ る』とおっしゃいます。これでは、人臣の情として、どうして、それをも押して強く諫 めることができましょうや。これはただ、御心が諫者の口をふさぐところにあるので、 どうして、善いことを択んで行うものと言えましょうや。これが、しだいに有終の美を 全うすることができない点の第三でございます。

人が身を立てる上においての、成功と失敗とは、その影響感化を受ける点にあります。 蘭茝(らんし)のようなよいにおいの花のある室に入っても、鮑魚のような悪臭のある室 に入っても、久しくいれば、そのにおいがわからなくなります。[善人と交際するも悪人 と交際するのも同様で、その影響感化は甚大なものがございます]ですから、人は染習 する相手を注意しなければならないということは、よくよく考えねばならないことでご ざいます。陛下は、貞観の初年には、名誉と節義とを重んずることに励み、人にえこひ いきをせず、ただ善人とだけに親しみ、君子を親愛し、小人をうとんじ遠ざけておられ ました。ところが、今はそうではなく、小人をばかにして、君子は敬意を表して重んじ ておられます。しかし、君子を重んじているとはいうものの、それは敬して遠ざけてい るのであり、小人をばかにしているとはいうものの、それは、なれ親しんで近づけてお られます。親しみ近づけていれば、その悪い点が見えなくなり、敬して遠ざけていれば、 その善い点を知ることがございません。君子の美点を知ることがなければ、離間を図る ものがなくとも自然に疎遠となります。小人の欠点に気がつかなければ、時間がたつと 自然に親密になります。小人と親密になるのは、よく治まった世を完成する方法ではご ざいませず、君子を疎遠にするのは、どうして国家を興隆させる道でございましょうや。 これが、しだいに有終の美を全うすることができない点の第四でございます。











「貞観政要の知恵③」

2021-08-20 07:55:40 | 日本

◎「知っていてもできなければ・・・」(第五編第一章)

貞観の初年のことである。太宗が側に侍っていた王珪(おうけい)とくつろいで語って いた。そのとき、太宗の側に美人が侍っていた。この女性は、もと廬江王(ろこうおう) 瑗(えん)の愛姫であったが、瑗を討った後、この宮中に入れていたのである。太宗はそ の美人を指さして王珪に言った、
「廬江王は無道な者であった。この者の夫を殺害してこの者を奪い連れ去った。甚だ しい暴虐である。そんなことをする者の国だから滅びてしまったのである。」 それを聞いた王珪は、自席から退いて、次のように申し上げた。
「陛下は、廬江王が他人の妻を奪い取ったのを、是であるとお考えなのですか、非で あるとお考えなのですか。」
太宗は、「どうして、世に人を殺してその妻を奪い取るという、これ以上の非道な行為 があろうか。そんな当たり前のことを聞くのか。」

王珪が言った。

「私が知っております話で『管子』という書にこんなことが書いてあります。 『斉の桓公が、滅亡した郭国の跡に行き、そこの父老たちに「郭の国ははどうして滅 んでしまったのだろうか」と尋ねました。
すると父老が言うのには、「郭の君は、善を善とし、悪を悪としたからであります。」 それを聞いた桓公は驚き、「その言葉のとおりであったならば、賢君の治世である。滅 びるはずがないではないか。」
それに対して、父老が言った。「そうではありません。郭君は、善を善としたけれども、 その善を用いることができず、悪を悪としたけれども、その悪を除き去ることができなかったのです。それが滅亡した理由であります。」』

さて、今、この婦人が、なお陛下のお側に侍っています。私は、失礼ながら陛下の御 心が、その行為を是認しているのではなかろうかと思いました。陛下がもし、それを非 となされるならば、これこそ、悪を悪と知っても除き去らないというものであります。」
それを聞いて太宗は非常に喜び、至極もっともな言葉であると称賛し、急いで美人を その親族のもとへ帰させた。











「貞観政要の知恵②」

2021-08-19 06:49:03 | 日本

◎「創業と守成」(第一編第三章)

貞観十年のことである。太宗が側に侍った者たちに聞いた。
「帝王の事業の中で、国を創りあげることと国を維持すること、どちらがより難しい といえようか」 尚書左僕射(さぼくや)の房玄齢(ぼうげんれい)がお答えした。

「この国を創り上げるときを思いだしましても、天下が乱れ群雄割拠する中、それら の強敵を次々と打ち破っては降参させ、大変な苦労の末戦争に勝ち、やっと天下平定を なしとげました。この大変さを思えば、国を創りあげることの方が難しいと思います」 すると、魏徴が言った。

「帝王が起こるときというものは、必ず前代の極度に衰え乱れた世の後を受け、それ を平定して鎮めるということで、人民たちも新たな王を敬い従います。その意味で、そ の地位は天が授け人民が与えたもので、それほど困難なものとは思われません。
しかし、政権を獲得した後は、ついつい権力をかさに気ままなことをしがちになりま す。帝王のぜいたくのために人民たちを容赦なく労役に用いたりしてしまうものです。 国がまた衰えて破滅するのは、常にこういうことから起こります。
この点から言えば、いったん完成されたものもしっかり維持して行くことの方が難し いと思います。」

太宗がこれらを聞いて言った。
「たしかに房玄齢は、その昔、私に従って天下を平定するに当たって、艱難辛苦を経 験し、ほとんど絶体絶命の危機を幾度となくくぐり抜けてこの国創りに貢献した。創業- 8 - の難しさを実際に体験している者ならではの言葉である。
一方、魏徴のほうは、私と共に天下の安定に心をくだき、わしにわがままかってや、 おごり高ぶる心が少しでも起こって、国の滅亡につながってしまわないようにと日々心 配してくれている。維持することの困難さをよく知っている者ならではの言葉である。 さて、今や、創業の困難は、過去のものになったと言えよう。皆と力を合わせて、維 持していくこと難しさを心得ながらこれからの政治に当たって行かねばなるまい」。













「貞観政要の知恵①」

2021-08-18 08:04:50 | 日本

立命館大学公務研究科 研究科長教授 鵜養幸雄


この『貞観政要』は、唐の歴史家・呉兢(ごきょう)が著したもので、「貞観」は、唐の 太宗の時代(627 年~ 649 年)の年号で、太宗の没後 50 年ぐらいのころに、その政治に 関する言行、群臣との問答などを、10 巻 40 篇(287 章)にまとめたものです。 日本には、800 年ごろ、遣唐使によりもたらされたと考えられ、その後、例えば、北 条政子がこれを和訳させて愛読したといわれ、徳川家康が印刷・出版させたことなどが 有名です。

戦前には、官吏等の必読書であったとされますが、戦後 30 年近く陰に隠れた後、山本 七平氏らの「掘り起こし」によってようやく、ビジネス界を中心に復権してきた書物で す。統治・行政に関する話でありながら、公務員にはいま一つなじみの薄い本のようで あることは残念です。


◎「兼聴と偏信」(第一編第二章)

貞観二年のことである。皇帝太宗が側近の魏徴(ぎちょう)にこんなことをたずねた。 「いったい明君・暗君というのはどこが違うのだろうか」。

魏徴は次のように答えた。
「明君は、多くの人の意見を聞いた上で判断をします。 他方、暗君というものは、一方の人の言うことだけを信じるからであります。古典の 詩経にはこんな言葉があります。『昔の賢者が言うには、薪を採るような身分の低い者の 意見も聞くものだ。』 昔の明君、堯舜の時代の政治は、四方の門を開いて、四方の視聴を広めたというので あります。そのことによって、明君のご威光は国の隅々まで行き渡ったのです。そのた めに共工・鯀(こん)といった不忠者も、明君の判断を間違えさせることはありませんで した。言行不一致のいいかげんなやからも君を惑わすことができなかったのであります。」

魏徴は続けた。
「滅んでしまった秦の二世皇帝は、宮中の奥深くにいたまま、限られた相手の話だけを 聞き、特に側近だった趙高の言うことだけを信用して、政権がほとんど崩壊寸前だとい うときにも、その状況を知るよしもありませんでした。 また、古く梁の武帝は朱异(しゅい)の言うことだけを信用して、反乱軍の候景が兵を 挙げて宮城に向かっても、最後までそのことを知ることができませんでした。 先の隋の煬帝(ようだい)は側近の虞世基(ぐせいき)の言うことだけを信用して、反乱軍が城を攻め都市を略奪しても、これまた知ることができなかったのであります。です から、君主が多くの者の言うことに耳を傾け、広く下の者の言うことを取り上げれば、 臣下も天子の耳目を押さえておおうことはできずして、世の状況は必ず君主のところに 達するのです。」 皇帝太宗は魏徴の言ったことを、大変もっともなことだとほめた。


◎「君は舟、人は水」(第二編第七章)

貞観六年のことである。皇帝太宗が側に侍った者たちにこんなことを言った。 「古来の帝王をよく観察するに、盛いがあるときがあれば衰えるときもあるのは、ま るで一日のうちで朝があれば日暮れがあると同じようなものだ。ただ、衰えるというと きというのは、必ず臣下が君主の耳や目をおおってしまって正確な状況がわからなくな っていて、君主が善悪の判断がきちんとできないことから始まる。忠臣はだまって何も 言わず、その一方で、心の曲がった、おべっかのうまい者ばかりが、日増しに君主のそ ばにいるようになる。そのような状態になれば適切な判断がなされず、国が滅亡してし まうことになるのは当然である。

わしは、宮中の奥深くに居るようになってしまっているから、天下の出来事のすべて を知り尽くすことはできない。それゆえ、その任務をそちたちに分担して任せ、我が耳 や目の代わりとしているのである。

今、天下は無事で、世の中は安寧であるからといって、気にかけずに安易に思っては なるまい。古典の書経にも『君が徳をもって人民を愛すれば、民もまた君を敬愛する。 君が無道であれば民は離反するから、恐るべきものである』という語がある。 天子というものは、立派な道徳を持っていれば、国民は敬意をもって君主としてあお ぐ。ところが、道に外れれば、国民の心は離れ、君もその地位を失ってしまうようにな る。ほんとうに恐るべきものである」。

それを聞いて、魏徴がこう言った。
「昔から、国を失った君主というものは皆すべて、国が安らかになると、かつて危険 であったときのことを忘れてしまい、治まっていると思うと、かつての乱れていたとき のことを忘れてしまいます。それが国家を長く維持することのできない理由であります。 今、陛下は、天下のすべての富を持ち、国の内外が安泰であるという状況にあっても、しっかりと政治のあり方に注意し、常に深い淵に臨み薄い氷を踏むように、非常に用心 深くしておられますから、わが国家も末永く安泰でありましょう。

また、古典には、『君主は舟であり、人民は水である。水は舟を浮かべるものであるが、 一方また舟を転覆させるものでもある』とあります。陛下は、人民というものは恐るべ きものであるとお考えになっておられますが、まさに陛下のお考えのとおりであります」。















 「貞観政要とは、」

2021-08-17 07:17:52 | 日本

『貞観政要』(じょうがんせいよう)は、中国唐代に呉兢が編纂したとされる太宗の言行録である。題名の「貞観」は太宗の在位の年号で、「政要」は「政治の要諦」をいう。全10巻40篇からなる。
中宗の代に上呈したものと玄宗の代にそれを改編したものと2種類があり、第4巻の内容が異なる。伝本には元の戈直(かちょく)が欧陽脩や司馬光による評を付して整理したものが明代に発刊されて広まった「戈直本」と、唐代に日本に伝わったとされる旧本の2系がある。日本以外にも朝鮮・女真・西夏の周辺諸語に訳されるなど大きな影響を与えた。


◎大要と背景

本書は、唐の太宗の政治に関する言行を記録した書で、古来から帝王学の教科書とされてきた。主な内容は、太宗とそれを補佐した臣下たち(魏徴・房玄齢・杜如晦・王珪ら重臣45名)との政治問答を通して、貞観の治という非常に平和でよく治まった時代をもたらした治世の要諦が語られている。

太宗が傑出していたのは、自身が臣下を戒め、指導する英明な君主であったばかりでなく、臣下の直言を喜んで受け入れ、常に最善の君主であらねばならないと努力したところにある。中国には秦以来、皇帝に忠告し、政治の得失について意見を述べる諫官(かんかん)という職務があり、唐代の諫官は毎月200枚の用紙を支給され、それを用いて諫言した。歴代の王朝に諫官が置かれたが、太宗のように諌官の忠告を真面目に聞き入れていた皇帝は極めて稀で、皇帝の怒りに触れて左遷されたり、殺される諌官も多かったという。

太宗は臣下の忠告・諫言を得るため、進言しやすい状態を作っていた。例えば、自分の容姿はいかめしく、極めて厳粛であることを知っていた太宗は、進言する百官たちが圧倒されないように、必ず温顔で接して臣下の意見を聞いた(求諫篇)。また官吏たちを交替で宮中に宿直させ、いつも近くに座を与え、政治教化の利害得失について知ろうと努めた。そして臣下たちもこれに応えて太宗をよく諫め、太宗の欲情に関することを直言したり(納諫篇)、太宗の娘の嫁入り支度が贅沢であるということまでも諫めている(魏徴の諫言)。太宗は筋の通った進言・忠告を非常に喜び、至極もっともな言葉であると称賛し、普通の君主では到底改めにくいであろうところを改めた。

また太宗は質素倹約を奨励し、王公以下に身分不相応な出費を許さず、以来、国民の蓄財は豊かになった。公卿たちが太宗のために避暑の宮殿の新築を提案しても、太宗は費用がかかり過ぎると言って退けた。太宗を補佐した魏徴ら重臣たちは今の各省の大臣に相当するが、その家に奥座敷すら無いという質素な生活をしていた。私利私欲を図ろうと思えば、容易にできたであろう立場にいながらである。
このような国家のため、万民のために誠意を尽くしたその言行は、儒教の精神からくるといわれる。中国では儒教道徳に基準を置き、皇帝は天の意志を体して仁慈の心で万民を愛育しなければならないという理念があった。また臣下にも我が天子を理想的な天子にするのが責務であるという考えがあり、天子の政治に欠失がないように我が身を顧みず、場合によっては死を覚悟して諫めることがあった。
ゆえに本書は、かつては教養人の必読書であり、中国では後の歴代王朝の君主(唐の憲宗・文宗・宣宗、宋の仁宗、遼の興宗、金の世宗、元のクビライ、明の万暦帝、清の乾隆帝など)が愛読している。また日本にも平安時代に古写本が伝わり、北条氏・足利氏・徳川氏ら政治の重要な役にあった者に愛読されてきた。


◎編纂の動機

本書の編纂は呉兢によるので、時期は太宗の死後40から50年ぐらい、つまり武則天が退位して中宗が復位し、唐朝が再興した頃である。呉兢は以前から歴史の編纂に携わっており、太宗の治績に詳しいことから中宗の復位を喜んだ。そして貞観の盛政を政道の手本として欲しいとの願いから、『貞観政要』を編纂して中宗に上進した。その後、玄宗の世の宰相・韓休(かんきゅう、672年 - 739年)がかつて中宗に上進したその書を高く評価し、後世の手本となるように呉兢に命じて改編して上進させた。以後、『貞観政要』が世に広まったのである。
中宗に上進した初進本は中宗個人を対象としたもので、天子が心得るべき篇(輔弼(ほひつ)篇や直言諫諍(かんそう)篇、第4巻参照)があり、玄宗への再進本は後世の手本とするものなので、太子や諸王を戒める篇に改められている。


◎日本への影響

『貞観政要』は遅くても平安時代には日本に伝来しており、『日本国見在書目録』の中にも表れる。一条天皇の時代に惟宗允亮は『政事要略』の中で取り上げ、ほぼ同じ頃に大江匡衡は藤原行成から借り受けて書写し、寛弘3年(1006年)に一条天皇に対して進講している。また、安元3年(1177年)には藤原永範が高倉天皇に進講を行っている。鎌倉時代には北条政子が菅原為長に命じて和訳させ、日蓮もこれを書写した。江戸時代初期には徳川家康が藤原惺窩を召して講義させ、更に足利学校の閑室元佶に命じて活字版を発刊させてその普及に努めた。明治天皇も侍講の元田永孚の進講を受け、深い関心を寄せた。

なお、元号の弘長・宝暦の出典としても挙げられている。