龍の声

龍の声は、天の声

「精一杯」

2015-10-31 11:11:44 | 日本

松本守正さんのブログ「精一杯」について記す。


悩まない。
くよくよしない。
あれこれ考え込まない。
過去を悔やむ過去苦労。
未来を心配する未来苦労。

そんな苦労とは決別しよう!
変えられるのは今だけだ!
一緒に今を精一杯、生きよう。










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2015-10-31 11:08:25 | 日本

菅家一比古さんから「言霊の華」第三五〇号が届いた。
以下、要約し記す。


以前、言霊の華で「純粋」と「純一」は違うと述べたことがある。
純粋な人は宗教や思想(イデオロギー)に熱を上げたりして、他の多種多様な価値を否定し独善に陥る傾向がある。

オウムの信者の若者たちも、二・二六事件の青年将校たちも、イスラム国の兵士たち、北朝鮮の金王朝に熱狂する国民も純粋な人々なのかもしれない。そして残虐な行為を正義の闘いだとばかりに正当化する。旧ナチスもそうだった。

「純粋さ」に叡智が欠けたら碌(ろく)なことはない。この叡智とは調和、愛、慈悲、赦し、寛容、知恵、癒し、浄化等々の働きのことである。
宇宙大中心からもたらされる。
これを「大御心」と言い、大御心に帰(還)ろうとする心のことを純一な心と言う。

例えば自分が絶対に正しいと信じ、他者を非難したり攻撃したりする心の状態の時、ふと立ち止まり、大御心を訪(尋)ねてみる。大御心(神・宇宙中心)は常に寛容で、愛と慈悲に満ち溢れている。

生活信条の中に「大御心を生きる」を大きな柱として生きること。私はいつも祈りの中で「どうぞ御心のままに」「御心に叶(適)いますように」と付け加えるようにしている。

そうすると感情修正が出来る。日々毎日、神・天皇さまの大御心に自らの心を照らし合わせる。失敗(怒り、裁き、批判、喧嘩、欲望)しても挫折してもいい。それでも常に大御心を訪(尋)ねる。そして近づく。

その心懸けを決して忘れてはいけない。それにより「純一な心」が養われ、中心(宇宙大中心・神・天皇)帰一の道をしっかりと歩むことができる。









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「明るさ」

2015-10-31 11:07:37 | 日本

松本守正さんのブログ「明るさ」について記す。



明るい心 明るい振る舞いは

明るい運命をぐんぐん引き寄せる!!

空元気でも やがてそれに見合った運命を引き寄せる!!

自分のため みんなのために 明るく振る舞おう!!











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「笑い」

2015-10-31 11:06:47 | 日本

「笑い」について記す。


おなかの底から笑っているのか?
おなかの底からの笑いは 不思議な効果をもたらす。

ストレス解消
人間関係改善
運気上昇

楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなるのだ!
苦しいときこそ 大きな声を出して笑ってみよう!








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「すぐ動く」

2015-10-31 11:05:46 | 日本

松本守正「すぐ動く」について記す。


悩むときこそ まず動こう!
自信が無いときこそ まずスタートだ!!
やる気が起きない時、
スランプに陥った時、
そんなときこそ 頭を空っぽにして まず動き始めること!!
くよくよ悩んでも始まらない!!
考えるより 行動しよう!!






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「憲法9条はすでに壊れている」

2015-10-30 06:20:20 | 日本

なぜ安保法制反対派は、憲法違反の自衛隊解体を叫ばないのか?「憲法9条はすでに壊れている」と題し、 筆坂秀世さんが掲載している。
以下、要約し記す。



安保法制が成立した。メディアでは、SEALDsなど安保法制反対派の国会前でのデモが大きく取り上げられた。しかし、その後の人の集まり具合などを見ていると、反対派の運動は衰えているようである。

10月8日には、文京区のシビック大ホールで「10・8戦争法廃止! 安倍内閣退陣!総がかり行動集会」が行われた。主催者側は1750人が集まったと発表しているが、会場は満席で1802席である。映像を見ると2階席は半分以上が空席になっており、1階席も空席がある。とても1750人も集まったとは思えない。

しかも、参加者には、実に高齢者が多い。メディアで取り上げられた若者は、どこにいってしまったのだろうか。


◎憲法9条は壊れていなかったのか・・・?

ところで、この運動のなかで、おかしなというか不思議なスローガンが散見された。その1つが、「憲法9条を壊すな」というスローガンである。
安保法制反対派の人々の多くは、自衛隊に嫌悪感を持っている。

共産党系の平和団体に日本平和委員会というのがある。そのホームページによれば、「日本平和委員会は、北海道から沖縄まで全国47都道府県で、草の根から平和を創るために活動しているNGO(非政府組織)です。地域や職場、学園にいる3人以上の会員で作る基礎組織が全国に約500あり、約1万8000人の会員がいます」ということである。また「国内では、憲法9条守れ、非核3原則の厳守、米軍基地撤去・日米軍事同盟解消、侵略戦争の反省と戦後補償の実現などが大切なテーマと考えて活動しています」ということである。代表理事には、私も知っている共産党員が入っている。

この団体の機関紙「平和新聞」には、集団的自衛権の関係で「憲法破壊許さない」などという見出しが躍っている。安保法制反対の国会デモの際にも、「9条を壊すな」というプラカードが目についた。シビックホールでの集会の主催の1つが、「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」である。
私が不思議に思うのは、これらの運動を行っている人々や団体は、「憲法9条は壊れていない」と認識していることである。壊れていないからこそ、「壊すな」と叫んでいるはずだ。

ならば聞いてみたいことがある。あなた方は、自衛隊をどう見ているのか、ということを。

憲法9条2項には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とある。だが自衛隊が存在している。この人々にとって、「自衛隊は憲法違反の軍隊」という位置づけであるはずだ。だからこそ平和委員会などは、各地で自衛隊の訓練に反対し、その存在そのものを忌避する態度をとっている。日本共産党も自衛隊は、「憲法違反の軍隊」だと位置付けている。

だとすれば、この人々にとって、憲法9条はすでに大きく毀損されているということではないか。もしそれでもプラカードを掲げたければ、「9条をこれ以上壊すな」というのが、この人々の立場と整合したスローガンなのである。


◎なぜ「憲法違反の自衛隊解体!」と叫ばないのか

それだけではない。PKO(国連平和維持活動)法が制定された際にも、日本共産党や当時の日本社会党は、憲法違反の自衛隊の海外派遣、海外出動だとして批判していた。ここでも憲法9条は、著しく毀損されたと評価するのが、これらの人々の立場であるはずだ。

おそらくこの矛盾に気が付くこともなく、「9条壊すな」というスローガンは分かりやすいので使っているのであろう。真剣さがないのである。結局、何かあれば「憲法違反だ」「9条を壊すな」とその都度、同じスローガンを叫んでいるだけなのだ。

真剣さがあれば、「憲法違反の自衛隊解体!」となぜ叫ばないのか。この人々は、自衛隊がなくなれば万々歳ではないのか。自衛隊がなくなれば、集団的自衛権の行使の心配も、海外派兵の心配も、一切なくなるではないか。
もちろん私は、これに猛反対する。圧倒的多数の国民もそうであろう。

自衛隊は、憲法違反の存在ではないからだ。日本は自衛権を持っている、と誰でも言う。では自衛をするためには、何が必要か。いうまでもなく軍事力である。侵略者を撃退できる実力組織と言い換えても良い。もしそれが許されないのだとしたら、自衛権を持っていると言っても、何の意味もなさない。自衛権の裏付けが自衛隊なのである。この自衛隊まで憲法違反だとして忌避するような運動は、国や国民の安全に背を向けるものであり、無責任の極みと批判されても仕方がない。


◎現実から遊離した「憲法9条にノーベル平和賞」の運動

「『憲法9条にノーベル平和賞を』実行委員会」という運動があるようだ。「世界各国に平和憲法を広めるために、日本国憲法、特に第9条、を保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください」という署名活動を行っているそうである。このホームページによると、69万3951筆の署名が集まっているそうである。正直な感想を言えば、たったそれだけか、さもありなんということである。

この運動に対して、昨年5月22日、民主党の小西洋之参議院議員、吉良佳子参議院議員などが、憲法9条にノーベル平和賞が授与されるよう求める文書を、駐日ノルウェー大使館を通じてノーベル賞委員会に提出したと発表している。この文書には、与野党7党と無所属議員の60人が賛同者に名を連ねているそうである。

民主党はともかく、共産党は自衛隊もPKO活動も憲法違反と主張してきた政党である。よもや新人議員だから知らなかったということではなかろう。平和と名がつけば、何でも利用して自分の名をあげようとでも思っているのだとしたら、浅はかと言うしかない。

現在の憲法が連語国最高司令官マッカーサーの意向によって作られたことは、周知の事実である。

憲法学者、西修氏の著書『日本国憲法の誕生』(河出書房新社)によれば、第9条の原点は、1946年2月3日の「マッカーサーノート」にある。当初、このノートには、「紛争解決のための手段としての戦争」だけではなく、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」、すなわち自衛戦争も放棄するよう求めるものであった。

これを書き改めたのが、草案作成の中心にいたチャールズ・ケーディス大佐である。「自己の安全を保持するための手段としてさえも」という部分を削除し、「武力による威嚇または武力の行使」が付け加えられたのだという。これはケーディスが、自衛戦争の放棄はあまりに非現実的であり、どの国にも“自己保存”(自衛)の権利はあると考えたからである。

日本共産党が当時反対したのは、「マッカーサーノート」にあった「自己の安全を保持するための手段としての戦争」も禁止されていると解釈したからである。これはやむを得ない解釈であった。いまでは、日本共産党は、わが国に自衛権はあるという解釈を受け入れ、このこと自体には反対していない。

ところが「憲法9条にノーベル平和賞を」という護憲運動は、この“自己保存”の権利をも否定するものだ。これに共産党の参議院議員が嬉々として賛同するというのは、この議員の勉強不足なのか、共産党の融通無碍のなせる技なのか。それとも両方なのかであろう。

どちらにしても、この9条を作ったのは、日本を丸腰にしようとしたアメリカ領軍であったことだけは明白である。であるならアメリカ占領軍、あるいはマッカーサーこそ、その受賞者にふさわしいということになる。

そもそも戦後の日本が平和だったのは、憲法9条のおかげではない。日米安保条約と米軍の存在があったからだ。もし無防備であったなら、尖閣や沖縄は中国に取られていたかもしれない。北海道だって旧ソ連が侵攻した可能性もある。そして日本は、内政に力を集中できたからこそ経済発展も可能になった。外に向かっては、厳然たるアメリカの力の行使があったのだ。9条があったから平和であったなどというのは、幻想に過ぎないことを知るべきだ。









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「重陽節会とは、」

2015-10-29 07:03:47 | 日本

重陽節会(ちょうようのせちえ)は、古代日本の宮廷において9月9日の重陽に行われた節会のことである。九日節会とも言う。

平安時代初期以後に恒例の節会として定着し、嵯峨天皇の時代には神泉苑にて文人に漢詩を作らせ、次の淳和天皇の時代(天長8年(831年))には場所を紫宸殿に移して開かれた。また、天皇が出御しない平座の場合には宜陽殿で行われ、平安時代後期以後はこちらが主流となった。

漢詩の作成を初め、宴の膳の振る舞いや国栖奏(国栖舞)などが行われた。

1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日みなそうで、中でも9はその最も大きな数字であるので、特に重陽(陽が重なる日)の節句として、江戸初期に定められた五節供の中でも最も重んじられた。その日には菊花の宴が催され、詩歌文章を作ったり、酒に菊花をひたした菊酒を飲んだり、江戸時代には菊の品評会や菊人形が作られたりして、ずいぶんと盛んになった。

節供の名には春の桃、初夏の菖蒲、そして秋の菊と季節を代表する花が配されている。


◎日本の重陽の節供の行事

他の節供がそうであるように重陽の節供も中国伝来の祭日。平安時代の初期に伝来し、始めは宮中行事として貴族の間だけで行われたもの。当時は中国から伝来したばかりの珍しい花だった菊を眺めながら「観菊の宴」を開き詩歌など読み、長寿を祈った。

時代が下がるに従って、当初は貴族社会のみの行事だったものが「貴族→武士→庶民」へと徐々に広がっていった。今では影の薄いこの節供ですが、江戸時代までは五節供の最後を締めくくる節供として最も盛んな節供だったとも言われる。なお、この日の宴会には菊の花を浸した「菊酒」を飲み交わした。

また、菊合わせという今風に言えば「菊コンクール」に相当する会も盛んに開かれた。現在でも日付とは切り離されましたが習俗としては残っている。

中国には無い日本独特の風習としては、重陽の節供の前日から菊の花に綿を巻き(着綿)、菊の香りと菊の花に着く露をその綿に移して、この菊の露入りの綿で身を清めるというものがある。何とも風流。庶民はこの日栗御飯などを炊いて祝った。

「重陽」とは9月9日にあたり、菊に長寿を祈る日である。陽(奇数)が重なる日そして、奇数の中でも一番大きな数字という意味で重陽といわれている。日本では奈良時代から宮中や寺院で菊を観賞する宴が行われている。


◎邪気を祓い長生き効果のある菊

古代中国では菊は「翁草〔おきなくさ〕」「千代見草〔ちよみくさ〕」「齢草〔よわいくさ〕」と言われ、邪気を祓い長生きする効能があると信じられていた。
その中国の影響を受けて日本では、8日の夜に菊に綿をかぶせ、9日に露で湿ったその綿で体を拭いて長寿を祈っていた。また、菊に関する歌合わせや菊を鑑賞する宴が催されていた。現在は寺社などで行事を行う程度で一般にこれといった行事はあまり行われていない。


◎秋の収穫祭が起源?

平安時代以前は、農山村や庶民の間で秋の田畑の収穫が行われる時期に「栗の節句」とも呼ばれて栗ご飯などで節句を祝った。(その後も農民の間では収穫祭の意味合いが強く受け継がれていった)
平安時代に入って中国思想の影響を受けると、菊の花を浸した「菊酒」を飲み交わし、茱萸(しゅゆ=ぐみの実のこと)を掛けて悪気を祓う菊花の宴が催されるようになった。また、菊に関する歌合せや、「菊合わせ」という現代で言う菊のコンクールが盛んに行われるようになった。
現在でも、9日に行われるとは限らないが、菊のコンクールや鑑賞を行う風俗は残っている。


◎重陽の意味

「重陽」の意味は何なのか?
「重陽」の二文字を、一文字ずつ分解してみると。

まず「重」は「かさなる」という意味を持っている。
重陽の節句は、旧暦9月9日だから、数字の「9」が、重なっている。

次に「陽」の持つ意味だが、これには、陰陽説が関係している。
万物を陰と陽、2つの気からなるとする陰陽説では、奇数は「陽の気」を持つとされている。名かでも「9」は、陽の極数(最大奇数)となっている。

次に、二つの意味を合わせてみると。
重陽は「陽の極数が2つ重なっている」という意味である。


◎「重陽登高」

「重陽登高」といわれるこの風習には、こんな物語が残っている。

その昔、中国の汝南に桓景(かんけい)という人がいた。

貧しいものの、幸せな暮らしをしていたのだが、ある日突然、汝河(じょが)あたりで疫病が流行り、桓景の両親をふくめ、多くの人が命を落とした。 ※汝河:汝南を流れる川

桓景は、昔、年寄り達から聞いた、汝河のあたりに住む疫病神の話を思い出すと、仙術を学び、病魔を退治しようという決意をする。そして、東南山に住む大仙人、費長房(ひちょうぼう)の話を聞くと、場所も解らぬまま、費長房を訪ねる旅に出た。

野を越え、山を越え・・・。やっと見つけた「費長房仙居」と書かれた門は、硬く閉ざされていた。桓景は、その場にひざまずくと、その姿勢を崩すことなく、時を過ごした。

門が開かれたのは、三日目のこと。
桓景の気持ちが解った費長房は、彼に一振りの青龍剣を与え、日々、朝から晩まで修行をさせた。

ある日、桓景が修行をしていると、費長房がやってきて、「今年の九月九日、汝河に病魔がまた現れる。おまえは故郷に戻り民を救いなさい。おまえに茱萸の葉と菊花酒を与える。民を高い所に避難させ何を逃れるように。」と、いった。

桓景は、家に戻ると、皆にその話をした。

そして、9月9日には、近所の山に登り、難を避けるために茱萸の葉を皆の体につけさせ、菊花酒を一口ずつ飲ませた。
桓景は?というと、青龍剣を身に着けて家に戻り病魔が来るのを待った。

すると病魔が、不気味な風とうなり声と共に、村に上がってきた。しかし、村は、もぬけの殻である。

皆が山のほうに集まっているのを見つけて、麓まではたどり着いたものの、菊花酒と茱萸の香りのせいで、山に登ることができない。

仕方なく村に戻ると、家の中に座っている一人の男を見つけた。
そう、桓景である。

病魔が、桓景に襲いかかろうとしたところを、桓景は、青龍剣で応戦。なかなか決着がつかず、病魔が逃げ去ろうとした時、桓景の投げた青龍剣が、病魔の腹に突き刺さり、病魔は倒れ伏した。

これ以降、汝河の両岸に住む民は、病魔に侵されることが無くなった。


◎菊の着綿

菊の着綿(きせわた)という、重陽の節句にまつわる風習がある。

まず、重陽の節句の前夜に、庭に咲く菊の花に綿を被せて、菊の夜露と香りを綿に移す。
そして、翌日(重陽の節句の日)に、その綿で体や顔を拭いた。
顔を拭くと老いが去り、体を拭くと長寿になると言われていた。

さて、江戸時代になり「五節句」が定められると
重陽の節句は、庶民の間にも浸透していきます。

もともと庶民の間には、農業の収穫期を迎えるこの時期に
収穫祭を行う風習がありました。

収穫祭事は、主に旧暦9月9日に行われていたこともあり、
重陽の節句は、しだいに収穫祭事に吸収されていった。
と、考えられています。












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「創価学会員の乱」

2015-10-28 07:28:32 | 日本

連立の離脱も選択肢の一つ。 婦人部ソッポで集票組織が崩壊について、小泉耕平さん等が記す。
以下、要約し記す。



「平和の党」でありながら、安倍自民党の安保法制を認めた公明党。その姿勢に学会員が怒りを露にしている。

学会員の怒りが特に激しいとされるのが、かつて池田名誉会長が選挙運動の先頭に立ち「常勝関西」と言われた関西地方だ。関西の創価学会関係者が語る。

「『平和の党』の最後の砦であるはずの安保法制に簡単に賛成され、会員の怒りが一気に高まった。集会で『もうやってられない』と声を荒らげて公然と批判する会員もいたし、安保法制反対のデモにも、それなりの人数が自然発生的に駆けつけて声を上げている。地域をたばねる幹部が見つけて後日連絡すると、『平和を呼びかけて何が悪いのか』と言い返され、反論できなかったそうです」

関西の会員が動揺している背景には、5月の大阪都構想の住民投票をめぐるゴタゴタもある。都構想に反対していた公明党が、住民投票の実施には一転して賛成に回り、学会は早々に自主投票を決めたのだ。


◎不可解な動きの裏を学会関係者がこう解説する。

「昨年12月の衆院選の際、維新の党から、橋下徹氏ら党幹部を立候補させ公明党大物が立候補する小選挙区にぶつけると宣言されました。ビビった公明幹部らは回避のため、菅義偉官房長官の仲介で維新と“密約”を結び、住民投票への協力を約束しました」

だが、こうした「密室談合」が公明党への反発につながったという。前出の関西の学会関係者が語る。

「住民投票では『自民党と維新を組ませて、公明党を平和の党に戻したい』と、あえて都構想賛成で活動した会員までいた。公明党が与党になって以来、弱い人同士が助け合っていくという学会の教えから、学歴のある強い者、上から目線の組織に変わりつつある。末端メンバーや地域の幹部の声は、なかなか上には届かなくなっている」

このジレンマから抜け出すため、学会員らが口にするのは、自民党との「連立解消」という選択肢だ。愛知県武豊町議の本村強氏(62)はこう語る。

「連立を離脱して自分たちの思いを貫くことも一つの選択肢です。『離脱せよ』との会員からの声も私のところにたくさん届いています。今の公明党は与党として自民党のブレーキ役を果たすと言っていますが、実態はアクセル役になってしまっている」

公称827万世帯の会員を抱え、圧倒的な集票力を誇る創価学会が離反するようなことがあれば、自民党の天下が揺らぐ一大事だ。果たしてそんな事態が訪れるのか。東洋大学の薬師寺克行教授(現代政治論)は「公明党が連立を離脱する選択肢はあり得ない」と言い、こう語る。

「日々の人々の生活を豊かにする『現世利益』的な目標を掲げて出発した公明党にとって、福祉や子育てなどの『小さな政策』を与党として実現するほうが、安保法制などの国家的な政策より優先される傾向がある。また仮に連立を離脱したら公明党は小選挙区での当選は難しくなり、実質、比例代表のみの政党となり勢力も小さくなってしまいます」

実際、公明党の一部が離脱し、新進党に合流していた96年の衆院選で非自民に投票した公明党支持層の多くが、99年の自自公連立後、2000年の衆院選では自民党候補者に投票した。与党という立場へのこだわりから、過去にも「変節」を許容してきた経緯がある。

ただ、このまま学会員の不満が高まっていくと、予期せぬ波乱が起きる可能性がある。壮年部に所属する西日本在住の学会幹部がこう語る。

「来夏の参院選には、私も、婦人部にいる母も協力しないつもりです。このまま公明党が自民党と一緒に安保法制に賛成をするなら、もう頑張る必要がない」

関東地方在住で婦人部に所属する学会員の女性も、このように語った。

「私たちは池田先生が作った政党だから間違いないと思って、電話掛けも、厚かましいお願いもしてきた。池田先生の教えに刃向かう自民党や今の公明党の議員を応援するために協力してきたわけではない。婦人部ではこのまま参院の公明党が採決で賛成するようなら、選挙の手伝いを考えようと話しています」







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「魚の油はなぜ体にいいのか?」

2015-10-27 06:40:06 | 日本

堀川晃菜さんの論文、最新研究で明らかになった「心臓保護」作用「魚の油はなぜ体にいいのか?」について、要約し記す。



そんな魚の健康イメージを支えているのはDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)といった「ω(オメガ)3脂肪酸」だろう。「頭に良い」とか「血液サラサラ」とか良いことばかり耳にするが、一体どこまで分かっているのだろうか?
「魚の油は本当に体にいいのか? そうならば、体内でどのように働いているのか」
 これを確かめるため、従来とは異なるアプローチで研究を進めるのは、理化学研究所統合生命医科学研究センターの有田誠氏だ。近年、有田氏らの研究によって「新たなEPAの姿」が見えてきた。心不全の発症を抑制するEPA代謝物の存在が明らかになったのだ。


◎イヌイットの食生活から注目され始めた「魚の油」

ω3脂肪酸が大きく注目されるきっかけとなったのは、1960年代にグリーンランドに住むデンマーク人とイヌイットの人々を比較した疫学調査だ。この調査では、イヌイットは心筋梗塞になるリスクが極めて低いことや、リウマチのように免疫細胞が自分の体を攻撃してしまう自己免疫疾患などにおいても、発症率が低いことが明らかになった。

血液を調べた結果、明らかになったのは、デンマーク人と比べ、イヌイットの血液では、DHAやEPAといったω3脂肪酸の割合が高いことだった。反対に、デンマーク人で多く、イヌイットでは少なかったのはアラキドン酸などの「ω6脂肪酸」だった。

ω3脂肪酸とω6脂肪酸は、いずれも栄養として摂取しなければならない「必須脂肪酸」だ。デンマーク人とイヌイットにおける両者のバランス差を生み出していたのは、食事だった。デンマーク人が牛肉を食べるのに対し、イヌイットの主食はアザラシ。そのアザラシの餌が魚、というわけだ。

「どうもこれが急性心筋梗塞のような突然死を防ぐ要因になっているのではないかと考えられたわけです。“良い油・悪い油”という考え方が生まれたのも、この頃からでしょう」と有田氏は話す。

1999年、2007年には、高濃度のω3脂肪酸を心筋梗塞の経験者や、高コレステロール血症の患者に投与すると、心臓の機能や血管の機能が改善したことが報告され、「イヌイットの人々が急性心不全になりにくいこと」が裏付けられる形となった。

ω6脂肪酸のアラキドン酸が代謝されると、炎症を促進する働きを持つ物質や、血液凝固作用のある物質が生成される。ω3脂肪酸のEPAはこれらが生成されるのを阻害することで、炎症を抑制し、血も固まりにくくすると考えられている。

「EPAにはこうした“間接的な”緩和作用があるというのが長年、中心にあった考え方です。これも重要な作用の1つであることに違いはありませんが、他にも、もっと直接的な働きがあるのではないかと思ったのです」


◎代謝のブラックボックスに迫る

「私たちが“何かを食べて体に効いている”というのは『食べたもの』と、その『結果』だけを見ていて、その過程はブラックボックスです。入口と出口しか見えないのです」と有田氏は言う。

では、ω3脂肪酸に機能性のある代謝物があるとしたら、どんな物質なのか。そして、その物質はどのように機能するのか。こうしたメカニズムを分子レベルで解明するには、従来の研究の問題点もいえる2つの壁があった。

1つめの課題は「外部からω3脂肪酸を投与する実験の精度や再現性の問題」。もう1つは「代謝の全体像を把握できていなかったこと」だ。そして有田氏にはこれらを克服する2つの“武器”があった。


◎ω3脂肪酸を体内で作れるマウス

まず、実験精度や再現性の問題だが、ω3脂肪酸の効果を検証するために、数多く行われてきた実験は「食べたらどうなるか」または「投与したらどうなるか」をみるものだった。

例えば、コーン油と魚の油、それぞれを含んだ餌をマウスに食べさせて比較する場合、「魚の油」といっても、世界中の研究室で同じものを使っているわけではない。ω3脂肪酸の純度が均一でなければ、不純物の影響も否めなくなる。第一、油は酸化しやすく、化学的に変質している可能性もある。

これではω3脂肪酸とω6脂肪酸のバランスを人為的にコントロールすることは難しく、「ω3脂肪酸の効果」を示すには、それ以外の影響因子となりうるものを排除する必要があった。

そこに登場したのが、ω3脂肪酸を合成できる線虫のfat-1遺伝子を組み込んだ「fat-1マウス」だ。

fat-1遺伝子は、二重結合を導入する酵素の遺伝子で、この酵素によって、例えばアラキドン酸(ω6脂肪酸)はEPA(ω3脂肪酸)に変換される。つまり餌を含め、全く同じ飼育条件で、異なるのは「ω3脂肪酸の比率だけ」という正確な対比が可能となったのだ。

通常は、外科手術でマウスの大動脈を狭めると、心臓に持続的な負荷(圧負荷)がかかる。これを上回る圧量をかけて全身に血液を送ろうと心筋を太くする(心肥大)が起こる。

さらにこの状態が続くと、炎症を伴う心筋組織の「線維化」が起こる。線維化は、内臓などを構成する繊維に富んだ組織が異常増殖することで、心臓で起こると伸縮機能の低下を招き、やがて心不全に至る。

ところが、fat-1マウスでは、適応反応である心肥大は起こっても、その後の心筋組織の炎症と線維化が強く抑制された。この結果から、心臓に負荷がかかった際に、ω3脂肪酸が心臓を保護することが示された。


◎全貌を明らかにするメタボローム解析

しかし、これだけでは、そのカギとなる物質の正体が明らかになっていない。ω3脂肪酸が寄与していることは確かだが、EPAなのかDHAなのか、それらの代謝物なのか。その機能を持つ物質は1つなのか、複数あるのかといった部分が分からない。ここで登場する2つめの武器が「メタボローム解析」だ。

メタボローム(metabolome)とは、代謝物(metabolite)と「すべての」という意味の(-ome)を合わせた言葉で、メタボローム解析は「代謝物の網羅的解析」を指す。分子のサイズを調べる質量分析や、物性を調べるクロマトグラフィーなどを組み合わせ、化合物を特定する。

代謝の過程は必ずしも直線的なA→B→Cという流れとは限らず、B→Cにも、B→Dにも枝分かれするようにして、同時並行で複雑な流れをしていることもある。そのため、1つの反応だけを追跡していると、それ以外の部分を見落してしまうおそれがある。全体像が見えなかったのだ。

「従来は、手掛かりのある部分のみにターゲットを絞って調べていて、それ以外は暗闇に隠れていた」と有田氏は言う。

追い風となったのは、90年代の後半から現在に至る飛躍的な質量分析技術の向上だ。生物試料も簡易に分析できるように応用が進んだのだ。有田氏は2006年からメタボローム解析技術の開発に着手し、これまで知られていなかった脂肪酸代謝物の存在を明らかにしてきた。現在ではω3脂肪酸から生成する代謝物を包括的に解析する世界最先端の分析システムを確立している。

「大切なのは、頭で考える前に手を動かし、自然に直接問いかけてみることです。あえて狙いを定めずに、先入観なしに測定結果を眺めてみることで、視野が広がり、全体像や相対的な関係が掴めるようになってきました」

先述のfat-1マウスと、メタボローム解析。この2つの武器を組み合わせることで、ω3脂肪酸が「どの臓器で、どのように代謝されて、どんな機能を示すのか」といったことが研究できるようになったのだ。


◎心臓の線維化を抑えるEPA代謝物の正体

fat-1マウスの細胞を採取し、メタボローム解析を行うことで浮上してきたのは、EPAの代謝物である「18-HEPE(ヒープ)」という物質だった。

この物質は、fat-1マウスの細胞には大量に含まれていたが、通常のマウスからはほとんど検出されなかったのだ。そして、活性を評価する実験を経て、最終的に18-HEPEが心臓の線維化を抑えることが示された。

こうしてEPAの新たな活性代謝物を明らかにした有田氏だが「1つのメカニズムを解明することはできましたが、これで全ての説明ができるとは思っていません。体内で生成するあまたのEPA代謝物のうちの1つの機能が明らかになった、という段階です」と話す。

現在、有田氏らはfat-1マウスとアルツハイマー病の疾患モデルマウスを組み合わせ、ω3脂肪酸と認知機能との関係についても研究を進めている。


◎自分ではω3脂肪酸を作らない哺乳類や魚類

最後に、素朴な疑問が湧いた。ヒトやマウスに限らず、実は魚も自分でω3脂肪酸を作れないのだ。そこまで大事な物質なら、なぜ自分でまかなえないのか?

一方で、ω3脂肪酸を合成できる生物もいる。線虫の他、海洋微生物のラビリンチュラ類や微細藻類、植物などが知られている。これらを餌にする魚の体内にはω3脂肪酸が多く含まれると考えられている。アザラシを食べるイヌイットの例を思い返せば、まさに食物連鎖の賜物と言えるだろう。ある意味、必須栄養素としてのビタミン類の役割と似ている。

では、魚類や哺乳類は、あえて自分ではω3脂肪酸を作らないのだろうか。
「ω3脂肪酸は炎症の抑制に働きますが、そもそも炎症は悪なのか? 炎症は感染症など外敵から生体を防御するための反応です。強い炎症反応が起こりにくいfat-1マウスは、もしかしたら感染リスクの高い野生で生き残るには不利なのかもしれません」

“いいことづくめ”のω3脂肪酸だが、適切な量やバランスを考慮しないと問題点が見えてくるかもしれない。だが、極端に心配する必要もなさそうだ。

「食事として摂取している限り、過剰ということにはならないでしょう。むしろ現在の日本人では不足気味ですからね」と有田氏は語った。









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「蘭亭序」

2015-10-26 06:17:24 | 日本

蘭亭序(らんていじょ)は、王羲之が書いた書道史上最も有名な書作品。


◎概要

353年(永和9年)3月3日に、名士41人を別荘に招いて、蘭亭に会して曲水の宴が開かれ、その時に作られた詩集の序文の草稿が蘭亭序である。王羲之はこれを書いたときに酔っていたと言われ、後に何度も清書をしようと試みたが、草稿以上の出来栄えにならなかったと言い伝えられている。いわゆる「率意」の書である。28行324字。
王羲之の書の真偽鑑定を行った唐の褚遂良は『晋右軍王羲之書目』において行書の第一番に「永和九年 二八行 蘭亭序」と掲載している。

自らが能書家としても知られる唐の太宗皇帝が王羲之の書を愛し、その殆ど全てを集めたが、蘭亭序だけは手に入らず、最後には家臣に命じて、王羲之の子孫にあたる僧の智永の弟子である弁才の手から騙し取らせ、自らの陵墓である昭陵に他の作品とともに副葬させた話は、唐の何延之の『蘭亭記』に載っている。

したがって、王羲之の真跡は現存せず、蘭亭序もその例にもれない。しかし、太宗の命により唐代の能筆が臨摸したと伝えられる墨跡や模刻が伝えられている。



◎王羲之『蘭亭序』の日本語訳


九年癸丑の歳、三月初め、会稽郡山陰県蘭亭に集ったのは禊(みそぎ)を行うためである。
賢者がことごとく集まり、老いも若きもみな集まった。
この地には高い山と険しい嶺、茂った林、長い竹がある。

また、清流や早瀬があり、左右に照り映えている。その水の流れを引いて、觴(さかずき)を流すための「曲水」を作り、人々はその傍らに順序よく並んで坐った。
琴や笛のような音楽はないが、觴がめぐってくる間に詩を詠ずるというこの催しは、心の奥深い思いを述べあうのに十分である。

この日、空は晴れわたり空気は澄み、春風がおだやかに吹いていた。
仰げば広大な宇宙が見え、見下ろせば万物の盛んなさまがうかがえる。
こうして、目を遊ばせ思いを十分に馳せ、見聞の娯しみを尽くすのは本当に楽しいことである。

そもそも人間が同じこの世で暮らしていく上で、
ある人は一室にこもり胸に抱く思いを友人と語り、
またある人は志の赴くままに、肉体の外に、自由に振舞う。

どれを取りどれを捨てるかもみな違い、静と動の違いはあるけれど、
その境遇を喜び、それぞれ合致すればよろこび合う。暫し自分の意のままになるとき、人は快く満ち足りた気持ちになり、老いていくのも気づかない。

その行き着くところに飽きてくると、感情は対象に従い移ろい、感慨もそれにつれて変わってしまう。
以前の喜びはほんのつかの間のうちに過去のものとなってしまうが、だからこそおもしろいと思わずにはいられない。
ましてや、人の命は物の変化に従い、ついには死が定められていることを思えばなおさらである。

昔の人も「死生はまことに人生の一大事」と言っているが、何とも痛ましいことではないか。
昔の人がいつも何に感激していたかを見ると、割り符を合わせたかのように私の思いと一致し、
その文を読むたび嘆き悼まずにはいられないが、我が心を諭すことはできない。

死と生を同一視するのは偽りであり、
長命も短命も同じなどというのはでたらめであることは知っているものの、
後世の人々が現在の我々を見るのは、ちょうど今の我々が昔の人々を見るのと同じことだろう。

悲しいではないか。それゆえ今日ここに集う人々の名を列記し、それぞれ述べたところを記録することにした。
時代は移り、事情は異なっても、人々が感慨を覚える理由は、結局は一つである。
後世の人々もまたこの文に共感するにちがいない。

                                

以上













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「先師の名言集④」

2015-10-25 07:07:25 | 日本

◎勝海舟の名言集


・いわゆる心を明鏡止水のごとく、研ぎ澄ましておきさえすれば、いついかなる事変が襲うてきても、それに対処する方法は、自然と胸に浮かんでくる。
いわゆる物来たりて順応するのだ。
おれは昔からこの流儀でもって、種々の難局を切り抜けてきたのだ。
それからまた、世に処するには、どんな難事に出逢っても、臆病ではいけない。
さあ、なにほどでも来い。
おれの身体が、ねじれるならば、ねじってみろという料簡で事をさばいてゆくときは
難時が到来すればするほど、おもしろ味がついてきて、物事は造作もなく落着してしまうものだ。

・上がった相場は、いつか下がる時があるし、下がった相場も、いつか上がる時があるもの。
その間十年、焦らず屈んでおれば、道は必ず開ける。

・事を成し遂げる者は、愚直でなければならぬ。
才走ってはうまくいかない。

・外交の極意は、誠心誠意にある。
ごまかしなどをやると、かえって、こちらの弱点を見抜かれるものだ。
功名をなそうという者には、とても功名はできない。
戦いに勝とうという者にも、とても勝ち戦はできない。
何ごとをするにも、無我の境に入らなければいけない。

・生業に貴賤はないけど、生き方には貴賤がある。
自分の価値は、自分で決めること。

・つらくて貧乏でも、自分で自分を殺すことだけは、しちゃいけないよ。
やるだけのことはやって、後のことは心の中で、そっと心配しておれば良いではないか。
どうせなるようにしかならないよ。

・その人がどれだけの人かは、人生に日が当たってない時に、どのように過ごしているかで図れる。
日が当たっている時は、何をやってもうまくいく。

・何でも大胆にかからねばならぬ。
難しかろうが、易しかろうが、そんな事は考えずに、いわゆる無我の境に入って断行するに限る。

・人はみな、さまざまに長ずるところ、信ずるところを行えばよい。
社会は大きいのだから、それでなんの不都合もない。
敵は多ければ多いほど、面白い。
功名をなそうという者には、とても功名はできない。
きっと戦いに勝とうという者にはなかなか勝ち戦はできない。
これらはつまり無理があるからいけないのだ。
せんじつめれば、余裕がないからのことよ。

「先師の名言集⑤」


◎小林一三の名言集

・下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。

・金がないから何もできなという人間は、金があっても何もできない人間である。

・出世の道は信用を得ることである。
第一の条件は正直でなければならぬ。あの人には気を許すことができないと言われるようでは信用は得られぬ。
第二の条件は礼儀を知っていることである。
粗暴な言辞、荒っぽい動作では、これまた信用は得られない。
第三の条件は物事を迅速、正確に処理する能力があるかどうかである。

・頼まれた仕事を催促されるようでは、やはり信用が得られない。成功の道は信用を得ることである。どんなに才能や手腕があっても、平凡なことを忠実に実行できないような若者は将来の見込みはない。

・今日の若い人々は学校を出て就職する時、名の通った大会社に入りたがるが大会社に入れば一生楽に暮らせるわけではない。どこでも激しい生存競争はあるし、偉そうに振舞えても単なる機構の一部の上で踊っているかかしに過ぎぬ。

・中小企業に進んで就職する方がよほど身のためになる。中小企業で仕事をするということは、その目的がサラリーマンになることではない。将来独立自営の主になるのが
目的なので、仕事はその見習いが主になる。したがってサラリーマン希望で入ったら大いに当てが外れるだろう。むしろ月給はいらない、手に職を与えてもらう、その道の専門家に生き方を教わる心構えで入らなければならない。サラリーマンに限らず、社会生活において成功するには、その道でエキスパートになる事だ。

・ある一つの事について、どうしてもその人でなければならないという人間になることだ。百歩先の見えるものは、狂人あつかいにされる。五十歩先の見えるものは、多くは犠牲者となる。十歩先の見えるものが、成功者である。現在が見えぬのは、落伍者である。

・自分の長所を磨くことを忘れて、無理からに常識にのみよる行動をとる若い平凡人が
多すぎて困る。己を捨てて人の夢に働くのが却って向上、昇進の近道である。はじめて会社に勤めると、誰しもいちばん最初に交際するのは感じのよい人です。しかし、私はこれには反対で、まず感じの悪い人に勇敢にぶつかっていくことです。こういう人は打ち解けると、感じのいい人よりむしろ親切で、本当の味方になってくれるものです。



<了>







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「先師の名言集③」

2015-10-24 07:04:22 | 日本

◎アンドリュー・カーネギーの名言集


・一番確実な方法は、エネルギーのすべてを、特定の分野に注ぎこむやり方だ。
生計を立てるのに、収入が必要だからというだけの理由で、好きでもない仕事をしながら、人生を漫然と過ごすなんて悲劇だね。
よりよい成果が得られるのは、自分が一番好きな仕事をしているときだろうね。
だから、人生の目標は、自分が好きなことを選ぶべきなんだ。

・自分の努力で得る富や物はすべて、求めるものについての、簡潔なイメージを持つことから始まる。

・人間、優れた仕事をするためには、自分一人でやるよりも、他人の助けを借りるほうが、良いものが出来ると悟ったとき、その人は偉大なる成長を遂げるのである。

・強烈な願望を抱いた心は、心の中から恐れや疑いや、自分で課した限界を取り除く。

・チャンスに出会わない人間は、一人もいない。
それをチャンスにできなかっただけである。
思考をコントロールできなければ、行いをコントロールすることは出来ない。

・失敗にしても、成功にしても、人間が何かを実現できるかどうかは、当人の習慣によって決まるんだよ。

・文章を書くときは、「頭脳」で書いても「心」で書いても、作家の心の状態が必ず、読者に伝わってしまうものだ。

・成功者は必ず、自分がやりたいことを仕事にしている。

・他人の利益を図らずして、自ら栄えることができない。

・諸君の精力と思考とを、自分の使命に集中させよ!
なすべきことを、とことんまでやりぬけ。
あらゆる改善をし、あらゆることに精通し、なすべき仕事を完璧にマスターせよ!
先延ばしにする癖のある人は、人生を漫然と過ごして失敗する。
人が最高の力を発揮するのは、自分がやりたいと思うことをするときなんだ。

・成功にトリックはない。
わたしは与えられた仕事に、全力をつくしただけだ。
成功への必須条件として、あらゆる長所の中で第一に要求されるのは、健全な人格である。

・自らを助けないものを救おうとしても無駄だ。

・ハシゴを自分で登る意思のないものを、他人が押し上げることなどできない。
世間でやり手と呼ばれるような機敏で活動的な成功者は、ほとんど何をするにも、明確な目標をもって動いている。
彼らは明確な動機と計画に従って行動し、目指すものを知り、そこに達するまであきらめないことを固く決意しているので、だいたいは目的を達成する。

・自分の意欲をかき立てることが、できない人たちは、ほかの才能がいかに感嘆すべきものであろうと、凡庸に甘んじるしかない。

・他人と最もうまく協力できる人が最大の成功を収めることになる。
私は特別な人間ではない。
しいて言えば普通の人より、ちょっと努力しただけだ。
成功の秘訣は、いかなる職業であっても、その第一人者たることを期することである。
覚えておきなさい。

・あらゆるビジネスを左右するのはそこで働く人間の心構えなのだよ。

・自分の時間は、睡眠に必要な時間を除いてすべて何らかの利益をもたらすような
ことに使うべきだ。

・普通の人間が持って生まれる財産と言えば、時間だけだ。

・ごく些細なことに、人間の運命をきめる最も重要なことが、かかっているかもしれないのである。

・私たちは誰でも習慣に支配されている。
習慣は思考や経験の繰り返しによって私たちの中に定着する。
したがって、思考をコントロールすることで、それに応じて、この世での運命を、コントロールすることが出来るのだ。

・「明確な目標」があれば変化を起こして、環境を自分を従わせることができるが、そうでなければ、周囲に流され環境に支配されてしまう。

・一番乗りは牡蠣を得るが、2番目の人は貝殻しか得られない。

・朝寝は時間の出費である。
これほど高価な出費は他にない。

・情熱は心の刺激剤だ。
それはネガティブな影響力を、心から追い払い、心の平和をもたらしてくれる。
それは思考においても、行動においても主体性をはぐぐむ。

・すべての成功、すべての巨富は、まずアイデアから始まる。
お金が人間を堕落させるのではない。

・儲ける為だけに儲け、貯める為だけに貯めようとすることが、人間を堕落させるのである。

・なにかを崇拝することは必要である。
ただし、富の崇拝は最悪だ。

・仕事に忙殺され、どうしたら短期間により多くの金を、稼げるかばかり考えていると、
救いようもなく堕落するだけではないか。

・清貧の家に育った子供は、裕福な家庭の子たちとくらべて、なにものにもかえることのできない、尊い宝を与えられている。

・成功へのサバイバル・レースで、マークすべき存在は、金持ちの子息たちではない。
むしろ、オフィスの拭き掃除という、下っぱの仕事からコツコツと努力し、キャリアを積んでいく人間こそ、“ダークホース”としてマークしたほうがいいだろう。

・勇気は、思い掛けない処に、思い掛けない程ある。

・誠実な一言は、心にも無き百万言の賛辞に勝る。大きな問題に直面したときは、その問題を一度に解決しようとはせずに問題を細分化し、そのひとつひとつを解決するようにしなさい。

・富は得ることのみに価値はない。
有意義に散する時に価値あり。

・人生をより良くするためには、心の状態を前向きの状態にする事が先決。
自分が豊かになれば、次に、社会を豊かにせよ。










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「先師の名言集②」

2015-10-23 07:40:00 | 日本

◎中村天風の名言集

まずは人間を創れ、魂を磨け、さすれば幸福は向こうからやってくる。
船に乗っても、もう波が出やしないか、嵐になりゃしないか、それとも、この船が沈没しやしないかと、船のことばかり考えていたら、船旅の愉快さは何もなかろうじゃないか。
人生もまたしかりだよ。

良い運命の主人公になりたかったら、心の中に感謝と歓喜の感情を持つことだ。
感謝と歓喜に満ちた言葉と好意は、人生の花園に善き幸福という実を結ぶ。
感謝するに値するものがないのではない。
感謝するに値するものを、気がつかないでいるのだ。

明日に死を迎えるとしても、今日から幸福になって遅くないのです。
たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。
たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。
喜びのないところには、本当の生きがいのある人生というものがない。

どんな場合にも「こまった」「弱った」「情けない」「腹がたつ」「助けてくれ」
なんていう消極的な言葉を、絶対に口にしないことです。

人間が生きていくのに一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しだ。
人生は生かされてるんじゃない。
生きる人生でなきゃいけない。

もし、知識を磨いて人間が幸せになれるなら、学問を一生懸命した人はみんな幸福になれそうなもんだ。
そして学問をしない人はみんな不幸になるはずだ。
しかし、そうなってはいないでしょう。

運命がつまらないの、人生がつまらないのって人は、その考え方がつまらない。
人の落ち度は、許すより忘れてしまえ。

力を入れることに重点を置かずに、力を働かすことに重点を置く。

怒る者よりも怒られる者のほうが気は楽だって。
反対に言えば、怒られる者よりも、怒る者のほうが苦しいんですよ。










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「先師の名言集①」

2015-10-22 07:58:03 | 日本

◎花燃ゆの名言集


(吉田寅次郎/吉田松陰)
・君は、何を志しますか?
人はなぜ学ぶのか。お役に就くためでも与えられた役割を果たすためでもない。
かりそめの安泰に満足し身の程をわきまえこの無知で世間知らずでなんの役にも立たない己のまま生きるなどごめんです。
なぜ学ぶのか。この世の中のために己がすべきことを知るために学ぶのです。


(小田村伊之助/楫取素彦)
・私はこの日本国を守りたい。
己を磨きこの国の役にたちたい。そのために学びたい。


(吉田寅次郎/吉田松陰)
逆境こそが人を育てる。人を大いなるものにする。


(杉文/楫取美和子)
・志は死なない。たとえ一生牢の中にあろうとも絶望はない。


(吉田寅次郎/吉田松陰)
・志があれば罪人でも生きるんが楽しい。
やる気が尽きることもない。
志を立てることは全ての源です。
志は誰も与えてくれません。
君自身が見つけそれを掲げるしかない。


(吉田寅次郎/吉田松陰)
・人、賢愚ありといえども各々一、ニの才能なきはなし


(吉田寅次郎/吉田松陰)
・昔の死んだ例を取って今の事変に当てはめる考えがまず浅い。
事を論ずるには自分の置かれている立場から論ずるべきだ。


(吉田寅次郎/吉田松陰)
自分の置かれた立場も考えず偉そうに天下の大計を論じ、口先ばかりでなにもしないようなやつを私はもっとも憎む。


(久坂玄瑞)
おまえの人生がつまらんのは、おまえがつまらんからじゃ!
古い考えに縛られてはならん。
思うようにあらがえ。


(吉田寅次郎/吉田松陰)
諸君。狂いたまえ!


(吉田寅次郎/吉田松陰)
僕がこの世の中で一番恐れとるものが何かわかるか?
何ごとも成さんことじゃ、そして成そうとせんことじゃ、志しの果てに迎える死以外で
死にとうない。


(吉田寅次郎/吉田松陰)
フグを食いたい。
ええ暮らしをしたい。
それがもし君の望みだとしてもそれはおそらく君がもっと大きな何かを成すための手段にすぎん。










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「白龍」

2015-10-21 07:46:47 | 日本

滝沢泰平さんのブログから「白龍」について抜粋した。
以下、要約し記す。



この世界に存在するものには、すべてに神が宿っていると考えるの古神道だが、その中でも自然界を司る神や眷属(神の使い)として存在するのが龍神である。

赤竜、黒龍、金龍・・・数えあげたらきりがないほど、数多くの龍神がいますが、主に“水”を司る神として有名なのが「白龍」である。

ジブリ映画「千と千尋の神隠し」に登場する“ハク”という名前の白龍のように、川を守る白龍もいれば、湖に住む白龍、滝に宿る白龍もいたりと、水のある場所には様々な白龍が存在している。

日本有数の湧水地として知られる八ヶ岳南麓は、日本名水百選のうち、3つの名水(三分一湧水・大滝湧水・女取湧水)があるだけでなく、他にも名前がついている湧水は50箇所以上もあり、名前のない湧水まで含めると数えきれないほど湧き水が豊富な地域である。

そんな白龍が多く棲む八ヶ岳南麓地域の中でも、名前の通り水が豊かな地域である「大泉町」の“やつはドームハウス”の敷地内において、突如湧き水が吹き出したのは2014年の8月のこと。長典男さんをはじめ、多くのシャーマン能力を持ち合わせた人々が集った一大ご神事を終えた直後のことである。

井戸工事で掘削中、地下40mまで一切水源に当たらなかったのだが、41mに入った途端に地下から水が大量に吹き出しはじめ、そのまま小川となって池まで出来上がってしまった。

毎分200リットルという膨大な水量がポンプなしで吹き上げてくることは、水が豊富な大泉町とはいえ稀なことであり、この地に眠っていた若き白龍が目覚めた瞬間でありった。

“水は生命体”と呼ばれるほど、当たり前に存在しながらも未知なる存在である水は、言葉(言霊や周波数)によって結晶が変化する不思議な生き物であり、良い言葉や周波数(音)をかけると美しい結晶を構成する。

「ありがとう」や「愛・感謝」の言葉、または愛の周波数と言われる「528Hz」などをかければ、キレイな六角形の結晶となり、反対に「バカ」などの汚い言葉や周波数の音をかけると結晶が崩れてグチャグチャの形となってしまう。

人体の70%以上は水であり、細胞の1つひとつに水が入っていることを考えると、普段からどういった想いの周波数で自分自身をいたわってあげれば良いのか・・・水の結晶が目に見える形であれば誰でも簡単には自分を否定できなくなると思う。

「自分はなんてバカでダメな人間なんだ」と自己否定で思えば、体内の水結晶は崩れて萎縮してしまい、一方で自己愛に満たされ、良くも悪くもすべての自分を受け入れて感謝すると、細胞の1つひとつが蘇り、体内の水が活性化して心身ともに元気になれる。

これは、同じように水の集合体でいる他人への言葉使いや意識の想いも同様であり、悪い言葉や念を飛ばせば相手の体内水は崩れ、祈りのような愛の周波数を飛ばせば相手の水も本人も癒される。

もちろん、人間だけでなく他の動物、植物も水の集合体であり、何より“水の惑星”である地球自体もまた、人間の想いの周波数に大きな影響を受ける存在である。

与えられた周波数によって状態を変幻自在に変える水は、情報や周波数を記憶する「記録媒体」でありながらも、一方で周囲の水や人間の脳波にも共鳴作用を起こす「発信装置」でもあり、良い周波数によって結晶が整えられた水は、崩れた結晶の水を補正する力がある。












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