龍の声

龍の声は、天の声

「私が弱い時にこそ、私は強い」

2021-04-29 08:35:06 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。


一昨日の夜、美し国の経営者連盟の月例会があり、参議院議員の山田宏先生がゲスト講師で来られました。松下幸之助翁が師としてどのように山田先生を育てられたか、それに対し山田宏がどう反応したか。松下イズムの凄味を味わった一時でした。

幸之助翁は、よく人から成功の秘訣を問われました。その時言っていたのは、「素直な心」であること、そして「運が良かった」だけと答えたのです。どんな苦境にあっても自分は運がいいと信じ切り、思い続けることだと。

不況の嵐が襲っても幸之助翁はそれをチャンスだと捉え、不況の度に業績を伸ばして行ったことは有名です。経営者連盟のこの日、博多からわざわざお仏壇のはせがわで有名な長谷川会長(経営者連盟会長)が駆け付けて下さり、山田宏、長谷川両先生を囲み、大いに盛り上がった会になった次第です。

長谷川会長のお言葉に、幸之助イズムと共通するものがありました。それは下降する時、即ち落ち込んで行った時、平常時、安定期の数倍以上のエネルギーが発生し、再生、再創造が行われるとのことでした。

確かに水の場合がそうであり、下って行く時の水の勢いは滝やダムのように大きなエネルギーが発生します。湖やダム湖の場合、エネルギーは発生しません。それが一度(ひとたび)流れ落ち始めた時、エネルギーは生まれるのです。

不況、不景氣の時こそイノベーションは進み、新しいパラダイムが創造されます。明治維新、徳川幕府が急激に落ち込み始めた時、新時代が幕を開けたのでした。

「失う時は、得る時」。失うことを恐れていては、新しいものを得ることができません。しっかり失うこと。捨てること。既存の価値観に縛られていては、時代から棄てられ、置いて行かれるのみです。宇宙はビッグバン以来、変化成長の連続で、時代の波、変化にいち早く対応した生物こそが生き延びて来たのです。

現在(いま)コロナ禍の中、大きな変化が訪れ、世の中は混沌としておりますが、幸之助翁が生きていたとしたら何と言ったのでしょう。きっと「チャンス」と言ったに違いありません。天変地異もウイルスも天国の使者か、あるいは地獄からの使者なのかは、私たち人間の心が決めるのです。

この世は全て、唯心所現(ゆいしんしょげん)に因り創り出されます。一見、不幸な現象が訪れたとしても、いくらでも心次第で幸福に転化でき、寧ろ、試練や逆境は天国からの、即ち神からのメッセージでありプレゼントだと捉えられます。

聖書のコリント人への手紙後書12章9節に「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」そして12章10節には「私が弱い時にこそ、私は強い」とあります。これはローマ人への手紙で有名な聖パウロがサタンに打ちのめされそうになった時、神に三度真剣に祈り、主なる神から頂いたメッセージでありました。

それを受けてパウロが悟った境地、「私が弱い時こそ、私は強い」だったのです。私はこのくだりが大好きです。苦境に立たされた時、人は真剣に自分と向き合い、祈り、考え、行動する筈です。

そしてそれによって変化成長が訪れます。人間が素直と謙虚になった時、宇宙の心と合一し、宇宙の力が私に注がれるのです。幸之助翁も長谷川会長のお言葉も、きっとそのことを言い表わしているに違いないと受け留めたのでした。










「対中包囲網の鍵握るベトナムが日本に送るラブコール」

2021-04-29 08:35:06 | 日本

川島博之さん(ベトナム・ビングループ、主席経済顧問)が掲載している。
以下、要約し記す。


◎日本の国益にも合致するベトナムとの関係強化

中国の地図を逆さまにしてみよう(下の図)。これを見ると中国の“腹”の部分に東南アジア大陸部が隣接していることがよく分かる。中国は古来よりこの地域を“南蛮”と呼んで見下してきた。
中国の歴代の王朝は何度も東南アジアへの侵略を試みたが、ラオス、ミャンマーとの国境は山岳地帯にあり大軍を動かすことができない。それゆえに中国はベトナムの海岸沿いからのルートで侵略を試みた。しかし、その度にベトナムの激しい抵抗によって退けられている。それだけではない。900年ほど前には、ベトナムの英雄である李常傑が大軍を率いて広東省に攻め込んだこともある。中国にとってベトナムはなんとも厄介な相手なのだ。


◎中国の生命線は貿易

米中対立が激化する中で、バイデン政権は中国封じ込めに力を入れ始めた。それは米国が日米豪印の連携を強化する「クワッド」を提唱したことからも明らかである。

14億人もの人口を抱え、貿易を通して世界と密接に関係している中国は米国にとっても難敵である。中国の2019年の輸出額は2.5兆億ドル。それは日本の3倍にもなる。輸出額が多いことは中国の強みと言えるが、その一方で弱みと見ることもできる。すなわち、中国経済が交易によって支えられていることを意味するからだ。貿易が縮小すると中国経済は崩壊する恐れすらある。
貿易が生命線である中国は、ヨーロッパ、中近東、アフリカと交易する上で重要なルートである南シナ海の制海権確保に躍起になってきた。そのために南砂諸島、西沙諸島の島々を占領し埋め立てて軍事基地を建設している。
ここで逆さにした中国の地図をもう一度見てみよう。南シナ海の制海権を確保する上でベトナムが重要な地位を占めていることが分かろう。中国がいくら南砂諸島や西沙諸島に軍事基地を造っても、離島の基地は補給の点において脆弱である。長期戦になった時に、ベトナムの海岸線に造られた基地から反撃されれば、中国が南シナ海の制海権を維持することは難しい。


◎東南アジア諸国が見守る米中対立の行方

中国経済の弱点は貿易にあると述べたが、軍事力による封鎖は最後の手段であり、米国はよりソフトな方法で中国を追い込もうとしている。それが日豪印と協力した中国包囲網である。

その包囲網をより実効性を持ったものにする上で、東南アジアは重要な位置を占めている。
現在、東南アジア全体のGDPは日本の6割程度にまで成長し、ロシアの1.8倍にもなっている。そんな東南アジアの経済は中国と密接な関係を有している。しかし、中国と密接な関係になっていることを、東南アジア諸国が諸手をあげて歓迎しているわけではない。なぜなら、南シナ海の問題からも分かるように、中国が東南アジアの国々を“南蛮”と見下して、なにごとにつけても強引に自国の国益だけを追求するからだ。中国は東南アジア諸国を属国のように扱いたいと考えている。そんな中国に対して東南アジア諸国が不満を持つことは当然と言えよう。
東南アジア諸国は米中対立の行方を固唾を呑んで見守っている。内心は対立によって中国の力が弱まることを願っているが、自分から中国包囲網への参加を申し出ることはない。中国から目をつけられることが恐ろしいからだ。

そのような気持ちは、中国と国境を接するベトナムとミャンマーにおいて特に顕著である。
ミャンマーは軍事政権のクーデターに揺れている。一方、ベトナムではこの4月に安定的に政権首脳が交代した。次の5年間は新しいメンバーが政権を担当する。ベトナムは社会主義国であるが、その内情は中国や北朝鮮とは異なる。権力がトップに集中することなく、分掌されている。ベトナムでは共産党書記長、国家主席、首相、国会議長の4つのポストが重要とされる。今回の改選では書記長以外のポストが入れ替わったが、国家主席にはこれまで首相を務めていたグエン・スアン・フック氏が、また首相にはファン・ミン・チン氏が就任した。
この人事はなかなか意味深長である。書記長は中国寄りと言われるが、国家主席になったフック氏は天皇即位の式典に参加しただけでなく、その在任期間中に何度も訪日した親日家である。また首相に就任したチン氏は日越友好議員連盟の会長を務めている。この人事には、中国との関係を荒立てることなく、日本との関係を強化したいとの思いが滲み出ている。それは日本にとって歓迎すべきものである。


◎日本とベトナムの関係を強化するには

各国が団結して中国包囲網を作り上げる上でベトナムは地政学上の重要な位置を占めている。だが米国はベトナム戦争の後遺症もあって、ベトナムとの関係の強化を持ちかけづらい。そんな米国は心の中では、中国包囲網を築くために日本がベトナムとの関係を強化することを望んでいると思われる。

タイやミャンマーとは異なり、ベトナムの政治は安定している。新型コロナウイルスをうまく抑え込んだこともあり、2020年もプラス成長を維持した。経済は伸び盛りにあり、日本の企業にとっても魅力ある進出先になっている。ベトナムは、中国の輸出産業が集中する広東省のすぐ近くにあり、かつ人口も約1億人と広東省と同程度である。中国からの工場の移転を考える際の最有力国と言ってよいだろう。
日本とベトナムの関係を強化する上で、いくつかの方法が考えられる。自衛艦はこれまでもベトナムを訪問しているが、南シナ海の要衝であるカムラン湾により頻繁に寄港することになれば、それは南シナ海を手中に収めたい中国にとって大きな脅威になる。また、中国は自国の輸出減少に直結するために、ベトナムが輸出大国になることを強く恐れている。それゆえに、日本がベトナムとの経済関係を強化することは、日本企業の繁栄と共に、中国包囲網を作る上でも効果的な戦略になっている。

今回の人事からも分かるように、ベトナムは中国を刺激しない形で日本との関係強化を望んでいる。ベトナムとの関係強化は政治、経済、軍事の3つの面で日本の国益に合致している。













「『無償の愛を知れば、人生は変わる」

2021-04-29 08:35:06 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。



お釈迦様は前世で、飢えた虎にその身を投げ与えた「捨身」と言う行為の縁に拠って、仏陀として生まれたと言われております。コーサラ国の王子として生まれた仏陀でありましたが、母摩耶夫人は仏陀を出産して一週間後に亡くなります。そして摩耶夫人の妹、即ち叔母によって育てられます。

王国の期待を一身に背負わされたシッダールタ(出家前の名前)は、二つの専用宮殿、贅沢な衣服、世話係、多くの召使い、家庭教師等を与えられ、何一つ不自由の無い贅沢な宮廷生活を送っていました。それにも関わらず、一向に心が晴れない日々が過ぎて行くのです。

突然塞ぎ込んだり、悩み苦しんだりと、決して心は幸せなんかではありませんでした。何不自由の無い環境を与えられていながら、どうして心が満たされないのか。ある日のこと、シッダールタは城から抜け出し城外を歩きます。

道端には死人や病人が捨てられ、乞食が多勢溢れているのを見てしまいます。耐えられなくなり、戦(おのの)きながら大急ぎで宮殿に逃げ帰って来ます。それからというもの、益々シッダールタの苦悩は深くなるばかりでした。

見かねた父国王は、まだ十六才の息子の王子に嫁を娶(めと)らせます。そして男の子ラフラをもうけました。しかしそれでもシッダールタの苦悩は晴れず、とうとう王宮栄華を捨て、妻子までも捨て、出家してしまいます。

何故そこまで苦悩が深かったのか。仏陀の心の中に一貫して流れていたものとは一体何か。きっとそれは、「母の命と引き替えに私が生まれた」と言う想いだったに違いありません。「母の命の犠牲の上に私が存在している」と言う想いが続いていたのです。

母の無償の愛の犠牲に因り、私は存在している。私は仏陀のこの部分を語る時、必ず芥川龍之介の「杜子春(とししゅん)」を思い出します。父母に早くから死なれ一人ぼっちだった杜子春は、ある日洛陽の城門に一人淋しく寄りかかっていました。

そこに仙人が馬車で通りかかり声をかけます。天涯孤独だった杜子春に「日が沈みかかる頃、お前の影が大きくなったその頭の部分を掘ってみよ。」と。 言われた通り、頭の部分を掘り起したところ、金銀財宝がザクザクと出てくるではありませんか。

杜子春は、いきなり都で一番の大金持ちになります。しかしその栄華も三年程で財産が尽き、人々は杜子春から遠ざかり、また一人ぽっちの孤独な杜子春に戻ってしまいます。そしてポツンと城門に寄りかかっているところにまた仙人が通りかかり、今度は胸の辺りを掘ってみよと言います。

またまた杜子春は洛陽一の大金持ちとなりますが、それも三年程で終わり、再び洛陽の城門に一人淋しくしているところに仙人がまた通りかかります。今度は「腹の部分を」と言いかけた時、杜子春は「もう結構です。お金も財宝も要りませんから、仙人のあなたの弟子にさせて下さい」と頼みます。

弟子の修行の第一番目に無言の行をするのです。「どんなことがあっても喋ってはならない」。杜子春に苛酷な試練が襲いかかって来ますが、杜子春はそれを守り抜きます。

最後に顔は母の顔、体は馬の体になっている母が、杜子春の前に引き出され鞭でビユンビュン打たれ、息絶え絶えになりながら言いました。「杜子春喋らなくていいのよ。母はあなたの幸せのことだけいつも想っていますからね。」

杜子春は思わず駆け寄り、顔を手で抱き上げ泣きながら「お母さん!」と叫んでしまいます。その瞬間、再び杜子春は洛陽の城門に立っていました。そこに仙人が現われ、「杜子春、仙人になる道の厳しさが判っただろう」と言います。

しかし杜子春は応えました。「ハイ、でも私はもう何も要りません。今でも母が私のことを想い、見守ってくれていることを知ったからです」と。仏陀も杜子春も、無償の愛によって生かされていることを知ったのです。

75年前、若者たちをはじめとする英霊たちは、後世の人々に無償の愛を示されました。今でも生きて私たちの幸せ、日本の平和を見守り続けておられます。御英霊たちの命の引き替えで、私たち日本人が存在できているのだと言うことを決して忘れてはならないのです。そうすれば、もっとましな日本になるでしょう。













「今こそ、明治維新、則ち、神武創業の原点に還らねばならない」

2021-04-28 17:16:09 | 日本

西村真悟さんが掲載している。
以下、要約し記す。


私が学んだ昭和三十年代の中学生向けの日本史の教科書は、GHQの占領政策に迎合するかのように、弥生時代に、大陸や半島の「先進的な渡来人」が「日本列島の原住民」に水田耕作を伝え「日本史」が始まるような書き方だった。
しかし、今や、多くの考古学徒の努力によって、日本列島には数万年に及ぶ豊で秩序が保たれた旧石器時代と縄文時代があったことが明らかになり、三千二百年前の水田耕作の跡が見つかっている。
世界最古の磨製石器(三万~四万年前)、世界最古の土器(一万六千五百年前)、そして世界最古の漆製品(九千年前)は、総て日本から出土している。
このことは、日本列島が、当時の世界のなかでも、豊かな技術の最先端地帯だったことを示している。
この旧石器から縄文に続く数万年の歩みのなかから日本独特の共同体と部族長(酋長)が産み出されてきて「天皇」となり日本の誕生即ち神武創業が成され、それから天皇は、万世一系百二十六代の現在に至るのが「日本(ニッポン)」である。

以上を確認して、次に、この数万年のなかから成就した日本の誕生から二千五百二十八年後の明治維新から始まる明治天皇を戴く御代を語りたい。
この御代を語ることは、現在の我々にとって非常に重要なことである。
何故なら、我らは今、明治に回帰しなければ、国難を克服できず亡国に至るからである。

一四九二年のコロンブスのアメリカ大陸到着そして一四九八年のポルトガルのバスコ・ダ・ガマのインド到着から約三六〇年後には、南北アメリカ大陸、アフリカ大陸そしてアジアは、ヨーロッパ諸国の支配下に入り、十六世紀に切支丹伴天連を追放した極東の日本を囲む四方の海には彼らの軍艦が遊弋していた。

しかし、天皇を戴く多神教の神々の国である日本は、敢然と明治維新を遂げて近代国家建設に乗り出し、明治天皇を戴いて、明治三七・八年(一九〇四・五年)、欧米の植民地下にあるアジアとアフリカの諸民族の眼前で、帝政ロシアとの日露戦争を闘い、有色人種が白色人種に勝利することを示した。
この時、キリスト教がローマ帝国の国教になってから開始された独善的一神教世界の拡大、そして欧米の白人が有色人種を支配することを当然とする世界史の転換が始まった。
これを人類の精神史の観点から観るならば、日本は、人類の多神教世界の復活を開始したのだ。

同時に、この多神教世界が、一神教誕生前の人類の精神世界であったことを思えば、日露戦争における日本の勝利、そして続く人種差別撤廃と植民地解放を掲げた「大東亜戦争の勝利」は、普遍的なもの、根源的なものの勝利であった。
よって、これから何年か経過した後には、一九〇五年(明治三十八年)を以て、数百年の一神教世界による他民族を殺戮し植民地支配することが正義になるという狂った一時期が終焉期を迎え、普遍的で根源的なものの復活、真の意味の人類のルネッサンスが始まる、それを開始したのはユーラシアの東の果てにあって、キリスト教に征服されなかった唯一の文明国である日本だった、と回顧されるであろう。
では、何故、日本はキリスト教に征服されなかったのか。
それは、日本が天皇を戴く国であったからだ。

そこで次に、この人類史の転換を開始した明治天皇を戴く明治の御代について記すことにする。
まず、慶応三年十二月九日の王政復古の大号令は、「諸事神武創業之始に原(もとづ)き」と宣言されている。
これは万世一系の天皇を戴く日本は、神武創業の時に回帰しなければならないという宣言である。
つまり、現在の表現で言えば、「真(まこと)の憲法を回復する」ということだ。

その神武創業之志は、「八紘為宇」。
即ち「天の下は一つの家族の一つの家」。
その上で、翌年の明治元年三月十四日に発せられた「五箇条の御誓文」は、
真の憲法のもとでの新しい時代の革新的志(こころざし)を鮮明にしたものだ。
つまり、我が国における革新とは、復古なのだ。
さらに同日発せられた「國威宣布の宸翰」こそ、若き十六歳の明治天皇のみずみずしい思いを率直に国民に述べられたもので、最も注目すべきものだ。
その冒頭は、「朕幼弱を以て、猝(にわか)に大統を紹き、爾来何を以て萬國に對立し、列祖に事へ奉らむやと、朝夕恐懼に堪さるなり。」と始まる。

このように、率直に自らの若年故の不安を赤裸々に国民に訴える若き十六歳の天皇の下で明治の御代は始まった。
そして、明治天皇は次のように言い切られる。
「今般朝政一新の時に膺(あた)り、天下億兆、一人も其處を得さる時は、皆朕が罪なれは、今日の事、朕、自(みずから)身骨を労し心志を苦め、艱難の先に立、古列祖の盡させ給ひし蹤を履み、治蹟を勤めてこそ、始て天職を奉して、億兆の君たる所に背かさるへし。」

「宸翰」とは天皇の国民に対する手紙である。
現在では「おことば」だ。
この手紙を拝読した明治の国民は如何なる思いに打たれたか。
まず、明治天皇は、国民を御自分の家族だと思って率直に語られていると思ったに違いない。
その上で、一人の国民の苦境をも「朕の罪」と言い切られる天皇に対し、親に抱きかかえられているようなありがたい親愛の情に打たれたであろう。
そして、我々は、もうお一人、明治天皇と同じ、年齢故の不安を、率直に国民を家族だと思って語られた天皇がおられたことに思いを致さねばならない。
その天皇は、平成二十八年八月八日、老齢故の不安を、率直に国民に語られた現上皇陛下ではないか。
明治も現在も神武創業の時から、天皇と国民は一つの家族なのだ。
さらに明治天皇は「古列祖」を思われて宸翰を書かれている。
その天皇のお一人は、第十六代の仁徳天皇ではなかろうか。
仁徳天皇御陵の側で育ち今も住んでいて、天皇の次の詔書を拝読して私はそう思う。

日本書紀に、民の竈から昇る煙を眺めて喜ばれた仁徳天皇は、ボロボロの服を着て、三年間補修されなかったために、雨が漏れて風が吹き抜ける皇居に住まれていたが、「朕既に、富めり豈愁(うれひ)あらむや」と言われ、続けられた。

「それ天の君を立つることは、是れ百姓(おおみたから)の為なり。
然らば則ち君は百姓を以て本と為す。

是を以て古の聖(ひじりの)王(きみ)は、一人(ひとりのひと)も飢え寒(こごゆ)れば顧みて身を責む。
今百姓貧しきは則ち朕が貧しきなり。百姓富めるは則ち朕が富めるなり。
未だ百姓冨みて君の貧しきこと有らず。」

さらに、二ヶ月後、明治天皇の叡慮を示す大切な文書が発せられた。
それは、慶応四年五月十日付けの戦死者の慰霊に関する太政官布告「御沙汰書」だ。
その冒頭次の通り。

「大政一新の折柄、賞罰を正し、節義を表し、天下の人心を興起遊ばされ度、既に豊太閤・楠中将の精忠英邁、御追賞仰せ出され候。・・・」。
即ち、明治天皇は徳川時代に「敵」とされていた豊臣秀吉と楠木正成の、精忠英邁を真っ先に褒め称えられたのだ。
まことに豊臣秀吉は、慧眼を以てキリスト教の危険性を見抜き、天正十五年(一五八七年)、筑前箱崎において、「切支丹伴天連追放令」を発して日本の國體を護った尊皇の志の厚い戦国時代の英傑であった。
彼のこの追放令の冒頭は、北畠親房の「神皇正統記」の冒頭「大日本(おおやまと)は神国也」と同じだ。
即ち追放令冒頭は「日本は神国たる處、切支丹国より邪法を授け候儀、まことに以てけしからん」神国とは天皇を戴く国のことだ。
しかも秀吉が越前で見たものは、来日した切支丹伴天連と奴隷商人と武器商人が一体となって、切支丹大名の領地の神社仏閣を破壊し、その領地の少女を奴隷としてインドや欧州に運んでいる凶状だった。
世は戦国時代、武器商人と奴隷商人は、領地の五十人の少女を受け取って一樽の火薬を切支丹大名に渡していたという。
このようにして、この戦国時代に奴隷として海外に運ばれた日本人少女は
五十万人だという。
このような切支丹伴天連を日本から追放できた理由は、秀吉の「切支丹伴天連追放令」の冒頭で明らかなように「日本は神国」つまり「天皇の国」であるからだ。

また明治天皇が、秀吉と同時に楠木正成を追賞されたことは、招魂社(靖國神社)よりも一年早く、正成自決の地に湊川神社が創建されることにつながり、我が国の運命に深く関わっていく。
湊川で「七生報国」を誓って自決した忠臣楠木正成を思うことが日本軍の強さの源泉となったからだ。
日露戦争で広瀬武夫中佐が、「七生報国」と書いて死地となる旅順港に向かったように、日清日露戦役から日華事変を経て大東亜戦争に至るまで、延べ数百万の日本軍兵士達に、楠木正成を思わない者は一人もいなかったであろう。

そこで、現在の我々が、徳川時代に敵であった者の名誉を、まず回復された明治天皇の叡慮に習い、まず為すべきことは何か。
それは、既に百五十年の昔となった明治維新や西南の役で朝敵とされて現在も靖國神社に祀られることのない幕臣旗本、会津、薩摩などの人々も、「日本人の士魂」を守った勇士としてその名誉を回復することである。

さらに、「五箇条の御誓文」は、昭和天皇が昭和二十一年一月一日に発せられた「年頭、國運振興の詔書」の冒頭において、戦後の国家目標、国民の指針として再び発せられたことを忘れてはならない。

最後に、仰ぎ見る偉大な、そして、高貴な、明治天皇と昭和天皇の御叡慮を受けた我々の使命を記す。

我々は、
第一に、昭和二十二年五月三日に施行された「日本国憲法」を廃棄する。
第二に、これから「諸事神武創業之始めに原(もとづ)く」(王政復古の大号令)。
これが結論だ。

「神武創業之始めに原く」とは即ち、既に述べたように、日本の眞の憲法に基づくということであり、次の諸事項を法源とする「不文の憲法」に回帰するということだ。
その法源は、

第一に「天照大御神の天壌無窮の神勅」を初めとする記紀に記された神勅や詔勅、
第二に「聖徳太子の十七条憲法」、
第三に歴代の重要な詔勅、
第四に大日本帝国憲法と旧皇室典範及び國體を顕す諸法令、
第五に現行の国会法や内閣法や裁判所法など重要な諸法令、
である(以上、小森義峯教授の論考「日英両国における不文憲法の重要性」)。

次に、「不文の憲法」に戻る実践的必要性は何か。
これも単純なことだ。

巨大な敵を打倒しなければならないからだ。
日本(ニッポン)の存続を確保しなければならないからだ。
明治の御代は、世界最大の陸軍国ロシアと闘い打倒しなければ日本の存立はなかった。
そして、この令和の御代は、「無神の一神教である共産主義」と「中華思想」が混合したグロテスクな独裁国家中共を崩壊させねば、東アジアの諸国民と日本の未来はない。

この課題に直面しながら、マッカーサー司令部が日本を二度と脅威にならない弱小国に固定するために書いた「日本国憲法と題された無効な文書」に縛られていては亡国に至る。

内閣と国会の諸君は、「無効なものは改正できない」のが、未だ分からんのか。
この無効なものを廃棄し、前記「真の憲法・不文の憲法」に回帰すれば、自衛隊は一瞬にして「軍隊」ではないか。
明治天皇と、明治天皇の「五箇条の御誓文」を掲げられた昭和天皇の御叡慮は、我々に眞の日本に回帰せよと命じられている。
今こそ、我々の使命は、その天皇の御意向に応え、真の日本に回帰し、日本を守り抜くことだと自覚して、その実践に進まねばならない。










「日本が人類史の転換を主導している。 それは、 神武天皇が掲げられた八紘為宇」

2021-04-27 07:37:05 | 日本

西村真悟さんが掲載している。
以下、要約し記す。


昨年十一月から本年一月二十日までのアメリカ大統領選挙における大統領当選者確定までに見えた得体の知れない巨大な闇(ディープ・ステート)の不正と、支那の武漢を発源地とする未だ発生と変異のメカニズムが不明のウイルスの世界的蔓延のなかで、令和三年の春爛漫を迎えている。
厄介なのは、この二つの国、アメリカと支那(中共)だと思いながら。
同時に、人類の文明史の観点からして、我が日本の存在は、二十世紀に入ってから、日本人が自覚しようがしまいが、重要な画期的な働きを開始しているのだと実感する。
では、何が「画期」なのか。
それは、明治維新以降の日本の存在と行動が、西暦三九二年に一神教のキリスト教がローマ帝国の国教となって以来の文明の転換の起点であるからだ。

これに対し、アメリカと中共の存在は、その一神教文明の延長線上の行き詰まりというべきだろう。

「大航海時代」とは、まことにおぞましい時代である。
コロンブスがアメリカ大陸に到達した一四九二年には南米大陸に最大推計一億一千万人のインディオがいたが、百年後のインカ帝国滅亡時には一千万人に激減していたし、北米大陸には二百万から五百万人いたと推計されるインディアンは十九世紀には三十五万人に激減していた。
また、アフリカ大陸から南北アメリカ大陸に奴隷として運ばれた黒人は、十六世紀に九十万人、十七世紀に三百万人、十八世紀に七百万人そして十九世紀になっても四百万人である(平間洋一著「日露戦争が変えた世界史」)。
また、我が国にフランシスコ・ザビエルが始めて来航した十六世紀中盤から島原の乱までの約八十年間に、我が国からおよそ五十万人の少女達が奴隷としてインドやヨーロッパに連れ去られたことを忘れてはならない。
我が国が戦国期にあることにつけ込んで、スペインやポルトガルの宣教師と奴隷商人と武器商人が、主に九州のキリシタン大名に一樽の火薬を渡して五十名の少女と交換したのだ。

我が国の少女は、聡明で従順なのでヨーロッパにおいて高値で売れる奴隷であったという。
この戦国期が、我が国にキリスト教が入り込む危機であった。
しかし、豊臣秀吉の慧眼と我が国の軍事力がその危機を跳ね返した。
天正十五年(一五八七年)、北九州のキリシタン大名の領地でキリシタン宣教師によって神社仏閣が破壊されているのを見た秀吉は、キリスト教が我が日本の國體に相反すると見抜き「切支丹伴天連追放令」を発した。
その冒頭は「日本は神国たるべきところ、キリシタンの教えを授け候儀、まことに以てけしからん」とあり、これは二百六十年前の南朝の北畠親房の書いた「神皇正統記」の冒頭「大日本は神国也」と同じである。
神国とは「天照大御神の天壌無窮の神勅による天皇を戴く国であり海や山々や川や木々や岩という総てのものに神々が宿る八百万の神々の国」ということだ。

この日本と一神教に統一された西洋とを対比して見事に両者の差違を指摘したフランスの社会人類学者のクロード・レブィ=ストロース(1908~2009)は、日本に対して次の通り言う。
「かくかくの影響を(外部から)受ける前から、あなた方は一個の文明を持っておられた。即ち、縄文文明を。
それを他の何に比較しようとしても出来るものではない。
ここから私はこう言いたい。

日本的特殊性なるものがあり、それは根源からしてあったのだ。
そして、それが外部からの諸要素を精錬して、つねに独創的な何物かを創りあげてきたのだ、と。
われわれ西洋人にとっては、神話と歴史の間に、ポッカリと深淵が開いている。
日本の最大の魅力の一つは、これとは反対に、そこでは誰もが歴史とも神話とも密接な絆を結んでいられるという点にあるのだ。」そこで日本人である私は言う。

クロード・レビィ=ストロースが言う「根源からあった日本的特殊性」とは「根源からあった日本的普遍性」なのだと。
何故なら、数十万年に及ぶ人類史においては、「歴史とも神話とも密接な絆を結んでいる」のが普遍的で、西暦三九二年のローマ帝国のキリスト教国教化以来、「神話と歴史の間にポッカリと深淵が開いている」のが「一神教的特殊性」であるからだ。
そして、この特殊な一神教世界に、十九世紀になって「神の無い一神教」である共産主義が生まれ、かつてのキリスト教と同様の諸国家・民族を否定したインターナショナリズムという革命と称する殺戮運動を起こした。
しかしソビエト崩壊によってインターナショナリズムが終焉を迎えると、今度はカネを得るために国境を否定して拡大するグローバリゼーションの世界となった。

従って、インターナショナリズムとグローバリゼーションは同根である。
そして現在の中共は、グローバリゼーションで世界のカネを吸い上げながら、インターナショナリズムと中華主義によって拡張しようとするグロテスクな混合物だ。

そして、アメリカは、かつてマニフェスト・デスティニー(神の明白な意思)を掲げてインディアンを掃討し、今は昨年の大統領選挙で明らかなようにディープ・ステートが動かす一神教帝国である。
従って、現在、この二国は一つのビン(一神教)に入った二匹のサソリのようになっている。
しかし、我が国は一神教に征服されない唯一の国として明治維新によって近代化を遂げ、二十世紀初頭に自存自衛の為に帝政ロシアと戦い、その三十五年後にマニフェスト・デスティニーに取り憑かれて、日本をインディアンの如く抹殺しようとして、前任者のフーバー大統領から「戦争を欲する狂人」と言われたF・D・ルーズベルト大統領のアメリカと戦うことになった。
この時、我が国が掲げた戦争目的は、自存自衛とともにキリスト教国による人種差別撤廃とアジアの植民地解放である。
これが大東亜戦争だ。

そして、我が国は、戦闘では負けたが、戦争では勝った。
即ち、アジア、アフリカの植民地は独立し、人種差別は無くなってアメリカに黒人の大統領が誕生した。
だが、戦後七十六年を閲した今も、我が国は、「日本国憲法」という一神教特有の偽善の枠組みのなかで、この大東亜戦争の大義を見つめていない。
そこで、今、為すべきことを提起する。
それは、戦後の出発点において、昭和天皇が発せられた「大東亜戦争終結の詔書」と「年頭、國運振興の詔書」を確認することだ。
GHQの検閲下であるから明確なお言葉はない。
しかし、昭和天皇の大御心は明白である。
それは、茲に國體が護持され、我が国民が、誓って國體の精華を発揚すれば、世界人類の為に、神武天皇御創業の精神である地球を一つの家族とする「八紘為宇」を実現できる、というまことに尊いものである。
















「日米台三国同盟体制を実現せよ」

2021-04-26 05:38:09 | 日本

西村真悟さんが掲載している。
いか、要約し記す。


四月十六日のホワイトハウスにおける日米首脳会談で、菅義偉総理とバイデン大統領は、「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに両岸問題の平和的解決を促す」との文言を共同声明に盛り込むことに合意した。
「台湾」が日米共同声明に盛り込まれるのは、昭和四十四年の佐藤栄作総理とニクソン大統領の会談以来初めてである。
従って、この度の日米共同声明は、画期的だと言える、が、他面、我が国は、昭和四十七年九月の日中国交正常化から約五十年間、中共に気兼ねして「台湾」を見て見ぬ振りをしていたことも事実だ。
しかし、我が国にとって、台湾の重要性は、この五十年間、不変であった。
従って、香港や南シナ海において、力による覇権拡大の動きを露骨に始めた中共の台頭という現実に直面して、日米は「台湾」に言及しなければならなくなったということだ。

とはいえ、この度、日米共同声明に「台湾」を明記した以上、我が国は、改めて、台湾とは何か、を確認しなければならないと思う。
そうしなければ、我が国の国防が成り立たない。
即ち、今まで日本政府が、「日本の国防」を真剣に考え取り組んでいなかったから、台湾を無視することが出来たということだ。

まず、我が国と台湾の地理的関係を見れば、日本とアメリカは、台湾に対して等距離にあるとは到底思えない。
アメリカは、台湾の問題を、「自由と民主主義を守る」という視点から眺めることが出来るかも知れないが、我が国にとって台湾は、まさに自国の「国防の問題」つまり「我が国の存立を確保する自衛権の問題」である。

七十六年前の大東亜戦争末期において、我が国の大本営は、アメリカ軍は、沖縄本島よりも、先ず台湾に侵攻してくると予測して沖縄から精鋭部隊を台湾に移して台湾の軍事力を増強した。
何故なら、アメリカ軍が台湾を奪うことは、全日本の屈服に直結すると判断したからだ。
この大本営の判断は適切である。
そして、現在においても、中共が台湾を奪えば、日本は存立の危機に直面する。
即ち、台湾を中共から防衛することは、七十六年前と同様に、我が国自身の「自衛権行使」の領域にある。

海洋国家である戦後の我が国の自衛権に関する議論のレベルはどうか。
馬鹿馬鹿しい話であるが、我が国は、「専守防衛」という「思考停止」だ。
つまり、海の向こうの情勢には関与せず、敵が我が国の海岸から上陸してきた時に自衛権が発動されるということで思考を停止してきた。
しかし、日米共同宣言に「台湾」を明記した以上、はっきり認識しなければならないことは、海洋国家である我が国の防衛ライン(自衛権発動ライン)も、我が国の海岸ではなく、海の上でもなく、大陸の敵基地の背後だということである。
従って、「専守防衛」など、誰が言いだしたのか知らんが、こんな言葉は死語にして、捨て去らねばならない。

その大陸にいる中共の習近平の「中華民族は世界の諸民族の上に聳え立つ」という妄想を思えば(思わなくても)、明確に、台湾を守ることは我が国を守ることである。
従って、台湾の第4世代戦闘機群が中共のものになって我が国攻撃に使用されることがないように、我が国がイニシアティブを取って、我が国とアメリカと台湾の三国が、日米台同盟関係に入ることは、東アジアの海洋に自由と民主主義の強固なトライアングルを構築する非常に有効な価値ある国策であり、この道は、中国共産党独裁体制の崩壊をもたらす文明の転機となってウイグルやチベットやモンゴルそして満州という「諸民族の保全」と「海洋の自由」に通じていく遠大な東アジア安定への方策だ。
















「ヤギ(山羊)④」

2021-04-25 07:08:58 | 日本

◎ヤギによる環境破壊

ヤギは厳しい環境にもよく耐え、繁殖力も強いので特に厳しい環境下では貴重な家畜である。しかし、乾燥地帯や冬場で、餌となる植物の葉や芽の部分を食べ尽くしてしまうと、ヒツジ等とは異なり、残った樹皮や樹根も食べてしまうため、植物が再生することができず、森林破壊等の原因となることがある。


◎ノヤギによる影響

ここで言うノヤギ(野ヤギ)は、家畜ヤギが野生化した個体である。家畜化の歴史の項で述べたように、船乗りたちは昔から必要時の肉資源として、孤島などにヤギを放して利用してきた。このほか過疎化等によって無人化した孤島に、家畜のヤギが取り残されて野生化することもある。
近年、このようなヤギ(ノヤギ)の増殖による生態系の破壊が問題となっている。ことにかつて船乗りたちがヤギを置き去りにした大洋の離島においては、離島産の固有植物がヤギにより著しく食害され絶滅を危惧されるまでに至っているため、ヤギは世界の侵略的外来種ワースト100の1種に選定されている。

日本では、南西諸島、小笠原諸島の無人島の聟島列島や、伊豆諸島の無人島である八丈小島、尖閣諸島などでノヤギの数が増え、植生破壊や農業被害及び土壌流失による周辺漁場への悪影響等の問題が起こっており、外来種による生態系破壊の中でも最も深刻なケースの一つとなっている。小笠原諸島では、当初は動物愛護の観点から捕殺ではなく、ヤギを生け捕りにして、ヤギを食べる習慣のある沖縄へ送っていたが、長旅のストレスにより多くのヤギが死亡したため、生け捕り後安楽殺(薬殺)という手段に変更した[17]。八丈町は捕獲したヤギを八丈島に保護・収容して里親を募集したこともある。尖閣諸島の魚釣島では、日本の右翼団体によって1978年に与那国島からヤギ(ザーネン種)(雄雌各1頭)が持ち込まれ、300頭を超えるまでに爆発的に増加した。各地のヤギ対策は現在も続いている(聟島列島では完全に根絶した)。
◎家畜のヤギによる影響
中国、モンゴル等、東アジアの乾燥地帯では、ヒツジよりも利益率の高いカシミア種のヤギの飼育数が増え、砂漠化が進む一因ともなっている。また、中近東などでの砂漠の拡大にも、ヤギが影響していると考えられている。


◎文化の中のヤギ

ヤギは古くから家畜化されていたため、文化の中に様々な形で登場する。


◎神話・伝承の中のヤギ

・やぎ座
・ぎょしゃ座:星図絵には子ヤギを抱いた「御者」の姿が描かれ、α星カペラの 名もヤギに由来する。
・アマルテイア:クレタ島で赤ん坊のゼウスを育てた牝ヤギ。
・パン(ギリシャ神話):ヤギの下半身とツノをもつ半獣神。色と酒を好む。サテュロスとも近縁。
・ディオニューソス:黒いヤギの皮を着ているとされ象徴の一つである。またディオニューソスに捧げる悲劇をトラゴーイディアー(山羊の歌)と呼ぶ。
・バフォメット:一般的にヤギの頭と下半身、両性具有のヒトの体、カラスまたはコウモリの翼をもつ姿で描かれる悪魔。
・スケープゴート:「贖罪の山羊」の意から。


◎犠牲(生贄)のヤギ

ヤギは古くから犠牲にささげる獣(生贄)として使われることが多い。古代のユダヤ教では年に1度、2匹の牡ヤギを選び、くじを引いて1匹を生贄とし、もう1匹を「アザゼルのヤギ」(贖罪山羊)と呼んで荒野に放った(旧約聖書 レビ記16章)。贖罪山羊は礼拝者の全ての罪を背負わされ、生きたまま捨てられる点で生け贄と異なる。特定の人間に問題の責任を負わせ犠牲とすることをスケープゴート(scapegoat 生け贄のヤギ)と言うのは、これにちなんだ表現である。
現代的表現の例としては、アメリカのヤングアダルト小説の旗手であるブロック・コール『ヤギ・ゲーム』が挙げられる。


◎悪魔の象徴としてのヤギ

新約聖書(マタイによる福音書)では、(特に「羊=良きものの象徴」との対比で)ヤギを「悪しきものの象徴」として扱うくだりがある。ヨーロッパやアメリカなどのキリスト教文化において、ヤギには悪魔の象徴としてのイメージが強いが、これは、ギリシャ神話のパンやエジプト神話のアモンのような山羊神、あるいは、祭司が角のついた仮面をかぶって獣の扮装をして踊り、豊穣な獲物を願うような素朴なシャーマン信仰における森林神等、キリスト教の公教化とともに駆逐された先行宗教の、邪神化された“異教”神たちのイメージから来たものであろう。ここからやがて、バフォメットのようなヤギ頭の悪魔が考え出され、悪魔崇拝者が好んでヤギの仮面をかぶったりする。また、中世では、悪魔の化身としてのヤギに乗って空を飛ぶ魔女の版画などもある。
古くはイソップ寓話にも見るように、オオカミなどに食べられる被捕食者としての弱々しいイメージをもつが、その一方で、中国では、角の形から、ねじくれた性格の象徴にもなっている。


◎迷信
中部アフリカに位置するルワンダでは、女性はヤギの肉を食べてはならないとされている。口   にするとヒゲを生やしてしまうと考えられているためである。同地域では、女性は幼い頃からヤギの肉を避けるべきであるとされている。




<了>











「ヤギ(山羊)③」

2021-04-24 08:26:38 | 日本

◎利用

<ヤギ肉>
ヤギ肉は、牧畜を行う地域ではおおむねポピュラーな食肉で、羊肉と区別されずラム・マトンとして利用されることも多い。東南アジアでは煮込み(山羊汁)が普通で、ローストなどは一部特殊種類の山羊だけに見られる調理法である。南アジアではカレーに使われる。ベトナムでは薄切りにして炒め物にしたり、焼肉にしたり、鍋料理にされる。中華人民共和国では、雲南省、広西チワン族自治区などで一般的で、毛が黒い「黒山羊」を鍋料理やスープにすることが多い。台湾では元代から飼育の記録があり、屋台や専門店で出されている薬膳羊肉という煮込み料理に黒山羊などの肉を使う店もある。地中海沿岸でも骨を煮てスープを取ることが行われる。ヤギ肉には独特の臭気があり、南アジアのエスニック料理ではにおい消しのため香辛料が発達した。

日本においては、南西諸島以外ではあまり馴染みがないが、沖縄県ではヤギは沖縄本島等でヒージャー、宮古島でピンザ、多良間島でピンダと呼ばれ、郷土料理である沖縄料理に一般的に用いられ、汁物(山羊汁)や刺身(山羊刺し)として食べられる。特に睾丸の刺身は珍重される。沖縄と同様に鹿児島県の奄美料理(奄美地方の奄美大島、徳之島、喜界島など。)やトカラ列島などでも年越しや祝いの席の御馳走として振る舞われる。喜界島には、ヤギ汁や刺身の他にヤギ肉を血液、野菜とともに炒める「からじゅうり(唐料理)」という炒め物がある。
沖縄のヤギ汁は馴れない者は受けつけないほどの強烈な臭みがあり、臭み消しに大量のヨモギ(ふーちばー)等を入れるが、徳之島や喜界島の島ヤギは臭みが少なく、臭み消しを大量に使う必要がないといわれる。なお、奄美大島の北部や徳之島では現在ヤギと呼び、喜界島ではヤジーと呼ぶが、江戸時代にはヒンジャ、ヒンザなどと呼ばれており、奄美大島南部の瀬戸内町を中心にまだこの呼び方が残っている。


<ヤギ乳と乳加工品>
10ヶ月の授乳期間中の最盛期(たいていは四期間中の第三期)で、平均2.7〜3.6 kg(約2.8〜3.8リットル)、泌乳初期は多く生産され、終り頃になると少なくなる。乳脂肪は平均 3.5% である。
バターやチーズ、ヨーグルトなどにも加工されるが、ヤギ乳は牛乳アレルギーのある人の代替飲料として好んで用いられていた。また、牛乳よりも乳糖が少なく、消化性に優れ、芳醇な風味もあるため、アレルギーのいかんにかかわらず好む人は多い。同様に乳糖を分解しづらい多くの犬、猫、その他ペット用に、ヤギミルクが販売されている。
牧民はヤギの乳を様々に加工して用いる。ヤギ乳のチーズはシェーヴルチーズと呼び、白色で軽い食感をもち、軽い酸味と特有の香りをもつものが多い。フランスのクロタン(Crotin de Chavignol)、ピコドン(Picodon de l'Ardeche)などが有名。
風味を生かしたアイスクリームなども製造されている。また、アトピー性皮膚炎にも有効といわれている。アメリカ合衆国では、メイヤンバーグ社がヤギのミルクや粉ミルクを広く流通させており、米国内の大手のスーパーでは大抵手に入る(粉ミルクは日本の輸入雑貨店でも売られている)。
太平洋戦争中は、牛に比べて大きさが手頃なことから、日本でも多くの民家でヤギの飼育が行われ、食肉やミルクの供給源となった。しかし、敗戦後はGHQの指導によりヤギ乳に代わって牛乳が普及したために、日本国内における現在の生のヤギ乳の生産高は少ない。

(栄養についての注意)
米国小児科学会は、ヤギ由来の乳児用ミルクを止めさせている。2010年4月のレポート「乳幼児用の新鮮なヤギ乳:神話と現実」の勧告を要約すると、「文化的な信念やネットの誤った情報で、多くの乳児に良いと考えられているが、殺菌消毒されていない生のヤギミルクは、生命を脅かすアレルギー反応、溶血性尿毒症症候群、感染症などを引き起こす可能性がある。」と報告している。未治療のヤギ・ブルセラ症は2%の死亡率をもたらすとされる。またアメリカ合衆国農務省によると、含まれる鉄分、ビタミンC、ビタミンD、チアミン、ナイアシン、ビタミンB6、およびパントテン酸が乳幼児の栄養ニーズの量と合致せず、腎臓に害を与え、代謝障害や重度の貧血と高ナトリウム血症を引き起こす可能性があるため推奨していない。英国保健省、カナダ保健省[13]も、生のヤギ乳を乳幼児へ与える事への危惧を勧告している。


<ヤギの毛>
繊維として防寒着や敷物、タペストリーに用いられる。上述のアンゴラ(モヘア)やカシミア(カシミアウール)は特に有名。
ヤギの毛は筆の素材としても用いられる。非常に柔らかく含みがよいので、直に人の顔に当てる化粧筆の素材として好まれる。書道筆や画筆とする場合も、細かい線描よりにじみやぼかしを活かす用途に適する。


<医薬領域での利用>
ヤギ、特にシバヤギは、実験動物として利用されている。ヤギは他の実験動物よりも体が大きく、血清が大量にとれるため、ポリクローナル抗体(主に二次抗体)作製のためにもしばしば用いられる。また、遺伝子組み換え技術により、乳汁中に有用タンパク質を分泌するヤギが作成されている。性成熟が早く、泌乳量が多いことなどの点で、ヤギは他の動物に比べ優れている。


<除草>
羊や牛に比べて好き嫌いが少なく固い植物でもよく食べるので、除草に利用される。 他にも除草剤や草刈り機を使わないので環境に優しく、斜面の様な地形では人間以上のパフォーマンスを発揮できるという利点があげられる。 耕作放棄地に放牧することで雑草を除草し、イノシシの隠れ場所を減らすことで結果的にイノシシの農作物に対する食害を減らす試験も行われている。副次的な効果として、日本ではヤギの飼育自体が珍しく近隣住民などが平和に草を食む様子を見物に集まる事で、地域住民のコミュニュケーション活性化につながるとの報告もあがっている。2010年代頃から企業によるヤギのレンタルサービスが増えるに連れ、採用される例が徐々に増加している。
しかし、生物である以上好き嫌いもあり、葉は食べても固い茎や根などは残す、草刈り機に比べてムラが出るといった事を考慮する必要がある。 除草の際には監視や囲いなどでヤギを管理しないと脱走や花壇の花など意図しない植物を食害してしまったり、糞害等の問題が発生した事例も存在する。


<その他>
セーム革として拭き物や布として用いられる。












「ヤギ(山羊)②」

2021-04-23 07:47:06 | 日本

◎品種

<ザーネン種>
スイス西部のザーネン谷原産の乳用種。毛色は白で、乳房が発達している。日本のヤギのほとんどはこの種もしくはその雑種である。(日本ザーネン)雌雄共に角がないものも見られ無角が遺伝子的に優性でこの無角遺伝子と間性は深い関わりがうかがえる。搾乳目的の無角山羊を飼う場合は注意が必要である。逆にペット山羊としては間性山羊は必ず無角であり、発情期の悲鳴が無い事から注目される。

<トッケンブルグ種>
スイス原産の乳用種。毛色は褐色。目の上から鼻にかけて2本の白線があり、これはオリジナル3種の幼獣には全て見られる。雌はそのまま成長し、雄の白線は消失する。相当変異する遺伝的特徴と思われる。この特徴は狭義のスイスマークとして知られ、アルパイン種、ヌビアン種、ピグミー種などの有色山羊にまま見られる。

<アルパイン種>
スイス・フランスのアルプス地方原産、ヨーロッパ、北アメリカなど世界各地で飼養されている。ブリティッシュおよびフレンチ・アルパインが代表的だが、近年アメリカン・アルパインが作出された。同種の乳器改良により、乳牛用搾乳機の利用が可能になっている。

<ヌビアン種>
アフリカ東部ヌビア地方原産、アフリカ、ヨーロッパなどで飼養されている。ヌビアンにはアングロ・ヌビアンとスーダン・ヌビアンがいるが、通常ヌビアンというのは前者のことを指す。毛色は黒、褐あるいは黄褐を基調としてそれぞれの斑紋など多様である。無角で長い垂れ耳の山羊の代表種、乳量が600-800 kgと言う文献もあり周年繁殖種としては出色で詳しい情報が待たれる。

<マンバー種>
中東の砂漠地帯で遊牧民などに飼われる。毛色は黒。毛をテントやロープの材料として用いるほか、乳を食用とする。

<カシミア種>
中国の新疆ウイグル自治区や内モンゴル自治区、モンゴル国で飼育されている。産毛はカシミアウールとしてニット製品に用いられている。

<アンゴラ種>
トルコ、アナトリア半島のアンカラ(古称アンゴラ)地方原産。毛はモヘア織りの原料となる。

<ジャムナバリ種>
インド、東南アジアで飼育される。白地に褐色や黒の斑点をもつ。耳が垂れ、盛り上がった鼻筋が特徴。食肉用や乳用にされる。


◎小型の品種

<シバヤギ>
体重 20–30kgの小型のヤギ。長崎県西岸や五島列島で昔から飼育されていたものから、明治以降に品種改良を進めて作り出された。周年繁殖、すなわち季節を問わず1年中繁殖が可能。雌雄ともに角があり、オスの方が角が太くより後方に伸びる。近年、飼育頭数が減っており、現在は東京大学農学部付属牧場、農研機構、長野牧場などで小さな集団が維持されているのみである。また、日本テレビの『ザ!鉄腕!DASH!!』の「DASH村」(福島県双葉郡浪江町、現在は東日本大震災による福島第一原子力発電所放射能事故より他県に避難中)で飼育されている八木橋一家(現在はその子や孫のみ)もこのシバヤギである。トカラ列島の鹿児島県十島村で飼育されていたトカラヤギは、シバヤギよりさらに小さく、成雌で20 kg以下である。

<ピグミーゴート>
北アフリカ西部原産小型のヤギ。最初にヨーロッパに持ち込まれ、次いでアメリカに渡りミルクの搾れるペット山羊として人気があり、この地でピグミーゴートと呼ばれだしたと考えられる。愛好会による品評会が盛んなためか、インナーブリードによると思われる特異な個体(反転スイスマーク個体、体の前と後ろで色が異なる個体)が散見され、同時に交雑が進んでいる。

元来ピグミーゴートはオリジナルのベゾアールに一番近い形体が残っていたと思われ、純粋に近い両親からは全て同じ柄(体色に濃淡の変化はあるが全身にスイスマーク)の子供が生まれ、メスはそのまま成獣となりオスは一年から二年で全く別の体色の成獣となる。
一部によくシバヤギやトカラヤギと体重、体高を比較されるが、普通は一回り大きい。しかしヤギの体重はほとんど一生増え続け、適度な飼料と微量要素を与えるとシバヤギで100 kgを越えた例、ヤクヤギ(トカラヤギが移入)で90 kgを越えた例も見られ、比較にあまり意味はない。











「ヤギ(山羊)①」

2021-04-22 07:29:20 | 日本

ヤギ(山羊、野羊)は、ウシ科ヤギ属(Capra)の動物の総称である。


◎特徴

全体的に高くて狭い場所、特に山岳地帯の岩場等を好む種が多く、人間がロッククライミングをしないと登れないような急な崖においても、ヤギは登ることができる。古くから人類に親しまれている家畜ではあるが、人馴れしていない個体は見知らぬ者を見ると攻撃してくることがあり、その際の突進の力は強力なものであるため、不用意に近づくと怪我をするので要注意である。


◎紙食について

一般的にヤギは紙を食べるというイメージが強いが、ヤギが食べても問題のない紙はコウゾやミツマタを原料にした伝統和紙である。現代の日本文化にこのような和紙が登場することは全くなく、工場で大量生産されている洋紙はヤギの胃では消化できず、さらに製造工程において有害な薬品が添加され、食べると腸閉塞を起こして死に至るため、決して与えてはならない。


◎家畜としてのヤギ

ヤギは家畜として大昔から飼育され、用途により乳用種、毛用種、肉用種、乳肉兼用種などに分化し、その品種は数百種類に及ぶ。ヤギは粗食によく耐え、険しい地形も苦としない。そのような強靭な性質から、山岳部や乾燥地帯で生活する人々にとって貴重な家畜となっている。ユーラシア内陸部の遊牧民にとっては、ヒツジ、ウシ、ウマ、ラクダとともに5種の家畜(五畜)のひとつであり、特にヒツジと比べると乾燥に強いため、西アジアの乾燥地帯では重要な家畜であり、その毛がテントの布地などに使われる。ヤギの乳質はウシに近く、乳量はヒツジよりも多い。明治以降、日本でも数多くのヤギが飼われ、「貧農の乳牛」とも呼ばれたが、高度経済成長期を境として減少傾向にある。しかし、近年ではヤギの愛らしさ、粗放的飼育に耐えうる点等が再評価されつつある。これを受けて、ヤギ愛好者・生産者・研究者が一堂に会する「全国山羊サミット」が年に1回、日本国内で毎年開催場所を変えて開催されており、年々盛況になっている。


◎家畜化の歴史

ヤギは新石器時代の紀元前7千年ごろの西アジアの遺跡から遺骨が出土しており、家畜利用が始まったのはその頃と考えられている。従って、ヤギの家畜化はイヌに次いで古いと考えられる。しかしながら、野生種と家畜種の区別が難しく、その起源については確定的ではない。またパサン(ベゾアール)が家畜化されたと考えられているが、ヤギ属他種との種間雑種に由来する説もある。
従って、初めて搾乳が行われた動物はヤギと考えられ、チーズやバターなどの乳製品も、ヤギの乳から発明された。乳用のほか、肉用としても利用され、皮や毛も利用される。群れを作って移動するヤギは、遊牧民の生活にも都合が良く、肉や毛皮、乳を得ることを目的として、家畜化された結果、分布域を広げていったと考えられる。一方、農耕文明においては飼育されていたものの遊牧民ほどは重宝しなくなった。ヤギは農耕そのものには役に立たず、ヒツジの方が肉や毛皮が良質であり、また、新たに家畜化されたウシの方が乳が多く農作業に適していたからである。ただし、現在でも多くの品種のヤギが飼育されている。

宗教上ウシやブタを利用しない文化においても、重要な家畜とされる。子ヤギ(キッド)の革は脂肪分が少なく、現代でも靴や手袋を作るのに用いられるが、西洋では12世紀以降、4-6週の子ヤギの革が、羊皮紙の原料としてヒツジ革と競合した。
日本の在来種については、15世紀頃に東南アジアから持ち込まれた小型山羊が起源とされる。また、ヤギは粗食に耐えることから、18 - 19世紀の遠洋航海者が重宝して船に乗せ、ニュージーランドやオーストラリア、ハワイなどに持ち込んだ経緯がある。ペリー艦隊も小笠原諸島などにヤギを持ち込んでいる。日本ザーネン種については明治以降に欧米より輸入された。1775-1776年に蘭館医師として日本に滞在したスウェーデン人カール・ツンベルク(トゥーンベリ)は、「彼らはヒツジもヤギも持っていない」と記している。ただし琉球王国や九州では、既に家畜化されていたようである。また、後述のシバヤギは、キリシタンと呼ばれた集落で飼われ、隠れキリシタンの貴重な食料源となっていたとされる。
ヤギの家畜化の歴史は、ヒツジの家畜化の歴史と同じくらいに古く、(2007年時点における)ほとんどの考古学者が、前9千年紀半ば(PPNB前期(英語版))に南東アナトリアのタウルス山脈南麓で、ヤギの家畜化が始まったと考えている。ヤギの家畜化の動機は、食用肉、乳、毛や毛皮、燃料のための獣糞の取得にあったと考えられ、その他に、実証は難しいが犠牲祭祀目的も有力である。

なお、ヤギ家畜化の中心地については、タウルス山脈南麓説のほかには、中心地が複数にあったとする説もあり、具体的には家畜ヤギの祖先種である野生のヤギ(Capra aegagrus)の生息域であるザグロス山脈西部が挙げられている。しかしながら、在地の Capra aegagrus が分布しているコーカサスですら、タウルス山脈南麓かザグロス山脈西部で家畜化された家畜ヤギが前8千年紀に人為的に移入されたことが、分子生物学的手法に基づく研究により示されている。また、20世紀後半時点では、考古時代のイラン高原におけるヤギ飼育については組織的な研究がなされていない現状がある。

西アジア各地の遺跡から出土した、古代の人類がゴミとして捨てたヤギの骨の調査に基づくと、ヤギ肉の消費量は、PPNB後期初頭(前7,500~前7,300年頃)までは、家畜ヤギより野生ヤギの方が多かった。それでもヤギの家畜化は進展し、PPNB後期末(前7,000年頃)になると、本来は野生ヤギのいなかった地域にまで、東西は地中海沿岸からザグロス山脈まで、南北はタウルス山脈からネゲヴ地方まで広がる西アジアに広がった。

イラン高原では、前7,000年頃にヤギを組織的に繁殖させていた痕跡を示す遺跡が非常に多く見つかっている。ユーラシア大陸の東半分への、イラン高原からの家畜ヤギの拡散ルートは、シルクロード経由で北アジア、モンゴル高原へいたるルートと、ハイバル峠経由でインド亜大陸へいたるルートの2ルートがあったとする説が一般的である。西アジアを除くアジア各地の在来種(近代以後に移入された品種ではない種)は、遺伝距離(英語版)に基づいてモンゴルのグループ、その他の東アジアのクラスタ、南・東南アジアのグループの3系統に分けることができ、遺伝的多様性も内陸部から沿岸・島嶼部へ行くにしたがって失われていく傾向が見られ、通説は分子生物学的観点とも矛盾しない。












「スギナ野草④」

2021-04-21 07:43:04 | 日本

◎すぎなの葉焼酎漬けの作りかた

すぎなはトクサ科の多年草です。3~16%の多量のケイ酸を含みます。
ケイ酸には、体内の石を溶かす働きがあると言われています。 利尿、解熱、また咳を抑えるなどの優れた薬効が昔から伝えられています。
また、すぎなには葉緑素(クロロフィル)が豊富です。 葉緑素(クロロフィル)には血液浄化作用があり、慢性病全般に効果が期待できます。
お茶として飲むのはもちろん、煎じればすぎなの葉エキスに。
ホワイトリカーや焼酎につければ、すぎなの葉の薬草酒に。
さらに入浴剤として、さまざまな生活シーンでお楽しみいただけます。


【すぎなの葉焼酎漬けの材料】 ・すぎなの葉:150g程度 ・お酒:1.8L…玄米焼酎やホワイトリカーを使用します。度数が35度以上の物を使用してください。 ・瓶容器(4L以上の容器がおすすめ)…梅酒などに使う広い口のビンが便利です。

【ステップ1 すぎなの葉を容器に入れる】 
すぎなの葉を容器に入れていきます。 今回は乾燥したすぎなの葉を使用しました。 生の葉を使う場合は、よく洗い、少し乾燥させてから使用しましょう。

【ステップ2 容器にお酒を入れる】 
容器にお酒を入れていきます。 すぎなの葉のエキスがしっかり抽出されるように、35度以上のお酒を使用してください。

【ステップ3 すぎなの葉を定期的に混ぜる】 
すぎなの葉焼酎漬の瓶を週に2-3回程度振って混ぜてください。 すぎなの葉のエキスがより抽出されやすくなります。

【ステップ4 2-4ヶ月程度保管する】 
瓶を密封して冷暗所に保管しておきます。
2~4ヶ月たつと、茶色の液体ができます。 これがすぎなの葉のエキスで、すぎなの葉の成分がたっぷり溶け込んでいます。
通常は1ヶ月程でOKですが、濃厚なエキスが欲しい場合はより長い期間置いてみてください。 熟成させた方がエキスも良く出ますので、それだけ効果が高くなると言われています。

【ステップ5 すぎなの葉を取り出す。】 
すぎなの葉焼酎漬けを2-4ヶ月程度保管した後は、すぎなの葉を取り出しましょう。
すぎなの葉焼酎漬けの完成です。 出来上がったすぎなの葉焼酎漬けは、 常温で保存しても数年持つと言われています。
漬け終えた葉は、エキス分が出た残りですが、 入浴剤として使用できます。ぜひ有効にご活用ください。
是非ご自宅で手軽にすぎなの葉焼酎漬けづくりを楽しんでみてください。





<了>












「スギナ野草③」

2021-04-20 21:34:57 | 日本

◎スギナの主な効用

●利尿作用
スギナには利尿作用があり、むくみの解消に役立ちます。
豊富に含まれるカリウムが体内のナトリウムを排出し、水分代謝が活性化されるためむくみにも効果的です。
また、腎臓のはたらきを高めてくれると言われています。

●デトックス作用
葉緑素の成分が血液を作りきれいにしてくれるため、血液循環がよくなり身体にたまった有害物質を外に排出してくれます。
これにより、身体がスッキリ軽くなったり、お肌の調子もよくなったり、といったデトックス効果が期待できます。
身体の機能を整えてくれるので、ダイエットのサポートとして取り入れるのも良いです。

●血液の浄化作用
水溶性ケイ素が、血液をきれいにし血中の酸素を補給してくれるため、細胞の活性化に役立ちます。
ガン予防やコレステロールの低下にも効果があるとされています。

●自律神経の整調作用
ナトリウムとカリウムが豊富に含まれており、自律神経の乱れを整えてくれる働きがあるとされます。
そのほかにも、糖尿病の予防、解熱、結石、アトピー性皮膚炎の改善などに効果があるとされています。


◎女性に嬉しいスギナの効用

スギナに豊富に含まれるケイ素が、女性に嬉しい美容やアンチエイジング効果に役立つ力を持っています。
●アンチエイジング
歯のエナメル質や爪の強度を保ち、髪の毛根まで栄養を届けてくれるためツヤのある髪にする効果があります。
コラーゲンの密度を高め、筋肉の老化を防いでくれる働きもあるとされます。

●ダイエット・むくみの改善
利尿作用によって体に溜まった毒素を排出するデトックス効果があるため余分な水分を排出してむくみの改善にもつながります。
血行が良くなることで、エネルギーの代謝をしやすくなる効果も期待できます。

●肌のハリ・潤いに
コラーゲンなどの密度をアップさせることで肌のハリを保ち、老化によるシワ、たるみの予防に役立つと考えられています。

●スキンケア、ヘアケアなどに
肌を引き締め、保湿・新陳代謝アップなどが期待できます。
また入浴剤代わりに利用すると肌に良いだけではなく、温浴効果も高まります。
◎スギナの副作用や注意点
スギナはカリウムが多く含まれているので、カリウム制限のある方は飲用を避けてください。 また、スギナは微量のニコチンも含んでいます。 スギナ茶として摂取する分には問題ははいのですが、妊娠中の方、小さなお子様、ニコチン過敏症の方、心臓・腎臓系の疾患を持っている方は飲むのは控えてください。


◎スギナの活用法

・スギナ風呂
お風呂に入れることにより、スギナの効果を外側から摂り入れることができます。
・スギナ風呂の作り方

【スギナの乾燥葉を使用する場合】
市販のお茶パックに、スギナの乾燥葉をひとつかみ入れます。
そのパックをそのまま湯船に入れるだけでスギナ風呂になります。

【スギナ抽出エキスを使う場合】
濃いめのスギナ茶を作る要領で、乾燥葉を長めに沸騰させ煮出します。
それをお好みの量で湯船に入れまぜれば完成です。
スギナ風呂の効果

●血行促進、リラックス
保湿効果、血行促進効果が高く、リラックス作用もあるため、副交感神経を活発化させ、自律神経のバランスを整えてくれるでしょう。

●美容効果
新陳代謝が高まることにより、肌のくすみや黒ずみの解消を助け、シミの予防、皮膚トラブルへの効果も期待できます。
殺菌・抗菌・消炎作用があるため、ニキビやあせもなどに効果があると言われています。
新陳代謝を活発にする作用があり、脂肪の分解や燃焼が促進されることからも、ダイエットに役立つことが分かります。

















「スギナ野草②」

2021-04-19 08:29:41 | 日本

①スギナ茶ってどうやってできているの?
(1)スギナを採り、3回程度水洗いして水気を切ります。採取する際には、農薬などがかかっていないか注意しましょう。
(2)洗ったスギナを日干しで乾燥させます。指で潰すとパラパラと崩れるくらいまで乾燥させましょう。
(3)乾燥させたスギナを、はさみで細かくカットしていきます。
(4)フライパンで焦げないように軽く炒って茶葉の完成です。完成した茶葉は、急須で飲んだり、煮出しで飲んだりします。


②スギナ茶にも種類がある? 特徴の違いとは
スギナ茶自体はどれも同じものから作られていますが、飲み方は茶葉から煮出す「煮出し」タイプと、手間なく飲める「ティーバック」タイプがあります。煮出しタイプの方が味に深みがみられますが、ティーバックタイプよりも少々手間がかかります。


③要チェック!スギナ茶に含まれる代表的な栄養素とは

(1)サポニン
サポニンは植物の根や茎、葉などに含まれている成分で、苦味やエグみの元となります。コレステロールを下げ、過酸化脂質の生成を抑制する働きを持っています。

(2)ケイ素
ケイ素は主に、野菜などの根菜類や穀物などに多く含まれている成分です。ケイ素は体内では、毛や皮膚、骨、関節、血管、歯、爪などに含まれており、生命維持には不可欠なものです。コラーゲンやエラスチン、コンドロイチンやヒアルロン酸などを構成しており、結合組織を丈夫にする働きを持っています。

(3)カルシウム
カルシウムは骨や歯の材料となるだけでなく、すべての生命活動において必須のミネラルです。カルシウムは通常骨に貯蔵されており、もし長期間ミネラルを摂取しなかった場合には、骨を溶かしてでもその濃度を保とうとします。カルシウムは骨格を形成したり、筋肉の収縮、血液凝固、細胞の機能調節などの働きをしています。

(4)マグネシウム
マグネシウムはナッツや落花生、海藻類や緑黄色野菜などに多く含まれます。マグネシウムにはタンパク質の合成を行ったリ、エネルギー代謝や筋肉の収縮、体温調整、血糖値の調整などの働きがあります。

(5)ナトリウム
ナトリウムは、生命活動に必須のミネラルの一種です。体内で細胞の機能を維持したり、神経機能を正常に保つ働きなどがあります。また、筋肉の収縮や弛緩の働きも保ちます。

(6)葉緑素
クロロフィルとも言われており、植物や藻類などに含まれる緑色の天然色素をいいます。植物の光合成を助ける他、体内に入るとコレステロールやダイオキシンなどの余分なものを排出してくれる働きを持ちます。


④スギナ茶に期待できる5大効能とは

(1)むくみの解消
スギナ茶に含まれる葉緑素の働きが利尿作用を起こし、体をスッキリさせてむくみを解消してくれます。水分代謝が活発になるため、腎臓病や肝臓病、心臓病からくるむくみにも効果的とされています。

(2)自律神経を整えてくれる
スギナ茶に含まれるナトリウムやカルシウムの働きによって、自律神経の乱れを整えてくれる効果があります。特に春先には強烈な眠気が襲ってきたり、自律神経が乱れやすいとされていますが、そういった場合にも効果的です。

(3)爪・歯・毛髪の育成をサポートし、ダメージを改善
スギナ茶には豊富なカルシウムが含まれており、またカルシウムを含んだ食材と一緒に摂取した際には、吸収をサポートしてくれる働きを持ちます。そのため、丈夫な爪や歯を作ってくれたり、毛髪の育成をサポートするだけでなく、ダメージも軽減してくれる効果があるとされています。

(4)ダイエット効果
スギナ茶に含まれるケイ素には、デトックス効果があります。体内に蓄積された有害物質を外へ出してくれるため、体がスッキリしてダイエットに効果的とされています。

(5)膀胱炎や尿道炎の改善
膀胱炎や尿道炎では、たくさん水分を摂って体内から毒素を出す必要があります。スギナ茶に含まれる葉緑素の利尿作用によってたくさん水分を出すことで、膀胱炎や尿道炎の改善効果が期待されています。


⑤オススメの食べ合わせって?一緒に摂取したい2つの食材

(1)チョコレート
スギナ茶はお茶の中でも苦味が強く、味の好みが分かれます。そのため、もしスギナ茶を美味しく飲めないという場合には、味の強いチョコレートと一緒に摂取するのがおすすめです。チョコレートの強い甘みがお茶の苦さを緩和してくれます。

(2)油もの
天ぷらなどの油っこい食べ物と一緒に摂取すると、口の中がスッキリとして相性が良いです。揚げ物以外にも、中華系や丼などの味の濃いものと一緒に摂取するのがおすすめです。


⑥どんな摂取が効果的?効果的な飲み方とは?
スギナ茶は一日一杯を目安に飲むと健康に効果的です。ただし、草の香りが強いため、苦手に感じる場合には、緑茶や番茶とブレンドして飲むことをおすすめします。


⑦知っておこう!スギナ茶の摂取での注意点とは?
スギナ茶はチアミナーゼを含んでいるため、長期間の大量摂取はチアミン欠乏症を引き起こす恐れがあります。また、植物毒であるアルカロイドも含まれており、大量摂取をすると気持ちが悪くなる可能性もあります。適量摂取であれば問題はありません。















「スギナ野草①」

2021-04-18 10:01:53 | 日本

スギナ(杉菜)日本に生育するトクサ類では最も小柄である。春先に出る胞子茎をツクシ(土筆、筆頭菜)とよぶ。


◎名称

和名スギナの由来は、地上部がスギ(杉)を連想させ、春のツクシが食用されることから、「杉の菜」の意から名づけられたものである。
ツクシ(土筆、筆頭菜 )は、スギナにくっついて出てくることから「付く子」、袴の部分で継いでいるように見えることから「継く子」となった説が有力である。「つくしんぼ、つくしんぼう」とも呼ばれる。 土筆は、土から出てきた胞子茎が伸びきる前は先端まで「袴」に覆われており、その形状が「筆」に似ていることから、「土筆」という字が当てられたと考えられている。
学名のEquisetumは、属の学名 Equisetum の equusは「馬」、setaは動植物の「剛毛」の意味である。スギナの中国植物名(漢名)は、門荊(もんけい)という。


◎特徴

日本では全国の北海道・本州・四国・九州に分布する。市街地周辺から農耕地帯に広く分布し、山地、原野、野原、荒れ地、畑、土手、道ばたなど日当たりの良い酸性のやせた土地を好み、大小の集団をつくって群生する。
多年生の草本。浅い地下に地下茎を長く伸ばして、節から地下茎を出してよく繁茂する。生育には湿気の多い土壌が適しているが、畑地にも生え、難防除雑草である。
地下茎から地上へ出る胞子茎と栄養茎に分かれ、栄養茎をスギナ、春(3 - 4月)に出現する胞子茎をツクシ(土筆)と呼び、ツクシの方は食用もされる。ツクシは淡褐色の円柱形で中空、ハカマといわれる葉の変形物がつき、てっぺんに胞子穂がついている。
早春、南向きの土手などに、他の植物に先駆けてツクシが地上から生えて、繁殖のため胞子を放出したあとは、胞子茎は枯れてしまう。その後同じ場所に栄養茎(スギナ)が生える。栄養茎は高さは30センチメートル前後になり、緑色で光合成を行い、節に鞘状の変形葉がついて、枝が輪生する。
地下茎は地中で長く伸び、畑を耕して切断されても再生することができるので、人間の手による除去は困難である。春、根が深いことから『地獄草』の別名を持つ。


◎ツクシ

春に、地下茎からツクシという胞子茎(または胞子穂、胞子体)を出し、胞子を放出する。薄茶色の円柱形で中空、「袴(はかま/ハカマ)」と呼ばれる茶色で輪状の葉の変形物が鞘状になって、茎を取り巻いている。頂には六角形の胞子が密生する茎の部分を覆っている皮のことで、ツクシの場合は土中から生えるときに穂先などを保護する役割を持っており、成長後も残っている。ツクシの丈は10 - 15センチメートル (cm) 程度である。
ツクシの成長後に、それとは全く外見の異なる栄養茎を伸ばす。栄養茎は茎と葉からなり、光合成を行う。鮮やかな緑色で丈は10 - 40 cm程度。主軸の節ごとに関節のある緑色の棒状の葉を輪生させる。上の節ほどその葉が短いのが、全体を見るとスギ(杉)の樹形に似て見える。
ツクシの穂は、やがて緑色を帯びたほこりの様な胞子を排出すると枯れてしまう。顕微鏡下で見ると、胞子は球形で、2本の紐(4本に見えるが実際は2本)が1カ所から四方に伸びている。これを弾糸という。この弾糸は湿ると胞子に巻き付き、乾燥すると伸びる。この動きによって胞子の散布に預かる。顕微鏡下で観察しながら、そっと息を吹きかけると、瞬時にその形が変化するのをみることが出来る。
また「ツクシ」は、俳句において春の季語である。


◎日本における利用

童謡『つくし』で歌われるように地域に親しまれ、ツクシの姿のかわいらしさが愛でられることが多い。春の風物詩として春の野を描く際には必ずと言って良いほど描かれる。また子供は喜んでツクシを摘む。他に、ツクシやスギナの関節から茎を引き抜き、改めてそれを挿しておいて「どこで接ーいだ?」といって切れたところを当てさせる遊びがある。
実用的には、ツクシ(胞子茎)と若いスギナ(栄養茎)は食用にでき、また栄養茎は利尿作用の効用がある生薬にもなる。スギナの地上部には、アルカロイドのエキセチンとニコチン、サポニンの1種であるエキセトニン、フラボノイドのイソクエルシトリン、グルテオリン、エキセトロンのほか、脂肪、フィトステリン、ビタミンC、珪酸などを含んでいる。サポニンには去痰作用と鎮咳作用が知られている。またフラボノイドには、利尿作用があると考えられている。


◎食材

ツクシ(土筆)は春の山菜として親しまれ、胞子を出す前の若い10 cm程度のものが採取される。胞子穂(頭)と袴(鞘状の葉)を取り除いて、茎だけを茹でて水にさらして灰汁を抜き、汁の実、酢の物、お浸し、煮物などにして調理される。味は、一般においしいと表現されるが、苦味がある。スギナは葉のような枝が伸びる前の若いものを土から掘り出して、一度茹でてから細かく切り、佃煮に調理される。
しかし、チアミナーゼ、アルカロイド、無機ケイ素などを含むため、多量の摂取は推奨されない。また、心臓、腎臓の疾病を有する人、ニコチンに対する過敏症を有する人の摂取は禁忌とされる。さらに、チアミナーゼによるビタミンB1欠乏症を起こす恐れがあるとされている。


◎飲用

若い栄養茎を乾燥・焙煎したものを茶として用いる(茶外茶の一つ)。スギナ茶には、体調を整える効果があるといわれている。


◎生薬

5月から8月ころに、地上の栄養茎(スギナ)の全草を刈り取り、水洗いをして天日乾燥させたものは生薬になり、問荊(もんけい)と称されている。薬効は利尿作用、去痰作用があり、肝炎、膀胱炎、浮腫(むくみ)、膝かぶれ、咳によいと言われている。
民間療法では、痰が絡んだり、膀胱炎で尿の出が悪くむくみが出る時などに、問荊1日量3 - 15グラムを水400 - 600 ccでとろ火にて半量になるまで煎じ、食間3回に分けて服用する用法が知られている。この煎じ汁をうがい薬代わりに使っても、去痰、鎮咳の働きがあるといわれる。
あせもや膝かぶれには、濃縮した煎じ汁か、生葉をすりつぶしたものを冷湿布するとよいとされ、収斂作用が役立つと考えられている。若葉やツクシを食用した場合でも、去痰の効果があると言われている。患部の熱をとる薬草で、痰が切れにくい咳や、強い利尿作用から、尿が出にくいときがよいとされるが、妊婦や冷え症の人への服用は禁忌とされる。

ヨーロッパでは、民間療法で湿疹などで活用されている。スギナの乾燥葉を浴湯料として、風呂に入れて入浴すると、アトピー性皮膚炎、漆かぶれなどを和らげる効果があるといわれている。
生薬としてのスギナの効用は、古くから伝承されていたが、花粉症対策としての効能があるとの発表があり、注目が集まっている。ただし、この効能は公的に認められているわけではなく、ヒトでの信頼の置ける有効性および安全性を示すデータはない。
5~7月に全草を採取し、水洗いしてから天日で乾燥させます。これを生薬のモンケイ(問荊)といいます。腎臓炎、利尿、肋膜炎、去痰、膀胱炎、回虫駆除などに、モンケイの煎じ液を服用します。また、皮膚疾患や漆かぶれには外用として用いられます。ドイツではスギナに全身の代謝促進作用のあることが知られています。特に結合組織強化剤としてリウマチ疾患、脚の浮腫、凍傷、骨折後の後遺症、痙攣性子宮周囲病などにはスギナエキスの座浴が良いとされています。これは研磨剤の用途の説明と同様に高濃度のケイ酸によるとされています。
 
このようにスギナは食用や薬用資源として重宝される一方で、繁殖旺盛で手がつけられない頑固な雑草として嫌われる場合があります。実際に本学の薬草園でも例外ではありません。ツクシの芽吹きを合図に、スギナとの格闘が始まります。
















「ヨモギについて③ 自家製:乾燥ヨモギの作り方」

2021-04-17 08:33:38 | 日本

◎材料

ヨモギの葉
お好みの量(今回は300g)


◎作り方

1ヨモギは若葉を摘む。(明るい色で、触って柔らかいところを選ぶ)

2摘んできたヨモギの葉は、茎などを丁寧に取り除く。

3ヨモギの葉を、やさしく水洗いする。(砂やほこりが出なくなるまで、何度か水を変える)

4サラダスピナーを使ってしっかり水切りする。(無い場合はキッチンペーパーや布巾で水分を拭いてください)

5蒸し器にたっぷりのお湯を沸かし、強火で5分間蒸す。(蒸気が直接触れないようクッキングシートを敷いてます)

6蒸しあがったら、蒸し器から取り出し湿気がこもらないよう広げて冷ます。(私はもろぶたにキッチンペーパーを敷いて広げました)

7冷めたら乾燥させる。方法は3つ。
ご自身のやりやすい方法で作ってくださいね。

8方法① 乾燥用のかご(100均で購入)もしくは洗濯ネットに入れて風通しの良いところに干す。2~3日でパリパリになります。

9洗濯ネットを使用の場合、風通しがいいように大きめも物がおススメです。

10方法② オーブンに入れ、100度30分で乾燥させる。(今回は1番低温で乾燥も、発酵温度で長時間でもいいかもです)

11その後はそのままオーブンで冷ます。できれば、1~2日オーブンに入れたままするとパリパリになります。

12方法③ ドライフルーツメーカーで温風を当てて乾燥させる。(私のは古い機種なので、強さは中より弱めで丸1日かけました)

13上から反時計回りに、方法①→方法②→方法③です。

14どの方法でも、遜色なく出来上がったのですが、あえて言うと方法②のオーブン使用が色が1番きれいな気がします。


◎コツ・ポイント

あとで砕いたりすり潰したりするので、
①茎や固めの葉は取り除いてください。
②手で握りつぶせるくらいパリパリに乾燥させてください。



<了>