龍の声

龍の声は、天の声

「サイコパスか、人格障害か、深層心理を心理学者が読み解く」

2017-06-30 07:00:03 | 日本

碓井真史さん(新潟青陵大学大学院教授)が「サイコパスか、人格障害か、深層心理を心理学者が読み解く」について掲載している。
以下、要約し記す。
自分に当てはめて考えるとよく理解できる。


⇒ 
大きなことを成し遂げる人々の中には、極めて善良で思いやりがあり、自己犠牲的で社会貢献に励む人たちがいる。その一方、一見非常に魅力的で個性的なのだが、その性格特徴が個性を超えて歪みとなってしまっている人々もいる。
 
経営者には「サイコパス」が多いと言う人もいる。サイコパスの人々は、普通の人が感じるような良心の呵責(かしゃく)を持たない。ルールを破ることにも意を介さない。彼らは、まるでゲームを楽しむように支配し、大きくし、力を得ることに邁進する。
 
彼らは、目的のためには手段を選ばない。嘘をつく時にも自責の念がないために、堂々と大胆に大きな嘘がつける。まるで真実のように具体的で詳細な嘘もつける。そのため、普通の人が見ればとても偽りには思えない。彼らは、他人の苦しみや悲しみへの共感も少ない。必要があれば、簡単にリストラも行うし、他人を利用することもいとわない。
 
彼らは、単なる悪人ではない。乱暴でがさつな人でもない。犯罪者のサイコパスでさえ、日常的には魅力的で有能に見える人々もいる。ましてや、社会的に成功している人々は、ジェントルマンであり、実力者であり、尊敬もされるだろう。ただし社長がサイコパスであれば、部下たちは苦しむことになるだろう。会社は成長し、社長の社会的評価が高まる中で、部下や下請けは泣くことになるだろう。
 
彼らは、人生や社会をまるでゲーム感覚で生きているようなものだ。だからこそ、ビジネスで大成功を収めることもできるし、またゲーム感覚で他の人を壊してしまうこともできると言えるだろう。
 
経営者の中には、「自己愛性パーソナリティ障害」が多いと言う人もいる。自己愛性パーソナリティ障害者は、自分を特別な存在だとみなしている。もちろん、人はひとりひとり特別な存在だ。自分を愛することも必要だ。だが健康的な人は、自分も他の人々も同様に特別な存在だと感じている。自己愛性パーソナリティ障害者は、自分だけが特別な存在だと感じている。
 
彼らは、ありのままの自分を愛することができず、偉大な自分にふさわしい成功を求めている。常に周囲からの賞賛と特別扱いを求めている。彼らは、一通りの成功を収めた時にも、さらに限りない成功を求めて進んでいく。
 
彼らは、実際に自分が偉大で才能豊かで十分な業績を持っていると感じている。そのように思ってもらえるように、表現に誇張が見られる時もある。多少の大げさな表現の場合もあれば、虚偽の経歴を示すこともある。

彼らは、周囲からの過剰な賛美を求める。社長になれば、通常の社長以上の王様のような扱いを部下に求めることもある。彼らは特権意識を持ち、部下も社会全体も自分に特別な計らいをしてくれて当然と感じている。そのような態度に乗せられてしまえば、実際に特別扱いをされることもあるだろう。相手が王様のような態度を取ってくれば、こちらは家来のような態度をとってしまうこともある。そんなことが、他社の窓口や役所の担当者にも起きてしまうかもしれない。彼らは尊大で傲慢な態度をとるが、周囲が怖れて従ってしまうこともあるのだ。
 
彼らは、しばしば有名な人と懇意であると強調する。実際はパーティーで一度会っただけなのに、親友だと表現することもある。彼らは、目的のために人を利用する。部下も知人も利用するし、有名人を利用することもある。彼らは、人に嫉妬する。また、自分が嫉妬されていると思い込む。
 
あるいは、特異な性格の持ち主なのだが、良いパートナーに恵まれている人もいる。家族や仕事上のパートナーが、彼らの能力と特徴を生かしつつ、同時に不法行為やあまりに不人情なことはさせずに、社会と折り合いをつけつつ成功を重ねることもある。そもそもパーソナリティ障害の傾向があっても、上手くいっている限りにおいては、問題が大きくならずに済むことも多い。
 
しかし、身近な人々が彼らの特異な性格を助長してしまうこともある。また私生活や仕事上でトラブルが発生すると、これまでのやり方が通用しなくなり、一気に破綻することもある。
 
人の能力も性格も、偉業を成し遂げるか破綻するかは、紙一重だ。大馬力の大型自動車を安全に運転するのには、大胆さと繊細さと善良さが必要だろう。










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「なぜ韓国は謝罪を求めるのか

2017-06-29 06:51:34 | 日本

Yoiceに呉 善花(おう そんふぁ)さんが「なぜ韓国は謝罪を求めるのか」について掲載している。以下、要約し記す。



韓国の文在寅大統領は6月20日、米紙ワシントン・ポスト(電子版)とのインタビューで、慰安婦問題をめぐる2015年の日韓合意に関し「問題解決には、日本が法的責任を取り、公式に謝罪することが必須だ」と述べた。韓国の「本性」がついに現れてきたといえる。日本はいかに対応すべきなのか。


◎どうなる?日韓慰安婦合意

文大統領は就任後、安倍首相との初の電話会談で、慰安婦についての日韓合意を「国民は受け入れていない」と語りました。一国の大統領ですら大局を判断せず、大衆の主張に流されてしまう。これが「国民情緒」に沿った政治的判断を行なう韓国という国なのです。国民の情緒に合えば、法律や合意も平気で無効化してしまう韓国政治の特徴は、朴槿惠大統領弾劾の際にも明らかになりました。
今後も文在寅大統領は「国民が反対しているから、慰安婦合意を履行できない」と主張することが容易に想像できます。
そうはいっても、韓国は経済不況の問題を抱えており、対日関係を無視できない。就任早々、強硬姿勢に出ることは控えるはずです。現に文大統領は就任後すぐ、「共に民主党」の文喜相議員らを特使として日本に派遣しました。そして安倍首相との会談では、「シャトル外交」の再開を求める文大統領からの親書を渡しました。シャトル外交は小泉・盧武鉉時代から始まったもので、李明博政権まで続きましたが、朴槿惠政権で途絶えたものです。
朴槿惠大統領は歴代韓国政権のなかでは例外的に、発足当初から「反日」を打ち出しました。ほかの大統領はすべて、最初は日本への宥和的姿勢を見せながら、国内で政権に対する反発が高まると「反日」カードを切る、というパターンでした。
おそらく文政権のスタッフは、朴槿惠政権をじっくりと観察して、対日政策を練ってきたのでしょう。日本に対し、最初は穏やかな姿勢で臨んだほうが得策だと考えたのだと思います。

 
◎では、日本はどういう対応を取ればよいのでしょうか。

韓国最大の国内問題は経済です。長引く経済不況のどん底にある韓国は、どんな手を使っても日本からの援助・協力を引き出そうとするでしょう。具体的には、日韓スワップ協議の再開と軍事協力を求めてくるはずです。
しかし、そこで甘い顔を見せてはなりません。日本政府はこれまで韓国が緩やかに出てくると、譲歩に応じてしまう過ちを何度も繰り返してきました。
従北化する現在の韓国の本質は「反日」です。日本に緩やかな態度を示すのは最初だけであり、決して本心ではありません。
韓国に対する協力の前提条件としては最低限、「慰安婦問題に関する日韓合意の履行」を求めるべきです。日韓合意の履行があって初めて、援助・協力に向けた協議を行なうというかたちでなければなりません。

文大統領が選挙期間中に打ち出した経済政策は、雇用の創出や財閥解体など実現性に乏しいものばかりです。いずれ国民からの反発を招くのは必至で、支持率低下のタイミングで一気に「反日」の姿勢に転じる可能性が高いと思います。













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「戦後という時代の正体」

2017-06-28 06:57:18 | 日本

西村真悟さんが「戦後という時代の正体」について掲載している。
以下、要約し記す。



大正時代に生まれた者は、昭和二十年八月十五日の時点で、年齢十九歳から三十三歳である。
つまり、大東亜戦争は、大正生まれの男子が兵士として戦った戦争であった。
大正生まれの男は、一三四八万人で、そのうち、二〇〇万人が戦死している。
大東亜戦争の全戦死者は二三〇万人で、そのうち、大正生まれの戦死者が二〇〇万人。
大正生まれの男の七人に一人は戦死している。
大東亜戦争を戦場で戦って小学校の同窓生の一クラス5~7人の割で戦死していった大正生まれの生き残った男は、何故、戦後に実体験を語らず沈黙し、中共や朝鮮からの自虐史観のプロパガンダが言論界を風靡したのか。
その理由が、「そうだったのか」と分かる文に出会った。
大正六年に生まれ、徴兵されて終戦まで約七年間、北支から南支を転戦した作家の伊藤桂一さんは、上海郊外で終戦を知り、冬に日本に帰還したときのことを、著書である「兵隊達の陸軍史」で次のように書いている。

 私たちの、敗戦の悲痛感がはじまるのは、日本のどこかの港に上陸してからである。
そこにはかつて私たちを見送ってくれた人々の影も歓呼もいたわりもなく、いたずらに蕭々として冬の海風が吹き荒れていただけである。
そうしてアメリカ軍に駆使されている日本人の港湾係が同胞達の持ち帰ったわずかな荷物を、邪険にこじあけてはほうり出している姿があったことである。
兵隊への扱いにしても、余分な人間が何しに帰ってきた、という眼でしか遇されなかったし、この敗兵に対する日本人同胞の蔑視は、その後どの土地に行っても、変わることはなかった。
世界の戦史を通じて、これほど惨めな帰還をした軍隊は、たぶん大東亜戦争における日本軍をおいて他にはなかったはずである。
ほろんだのは、日本軍でも日本国でもなくて、日本人の民族感情であったことを、復員兵達は身にしみて実感したわけである。

「戦後からの脱却」とは、この奪われた「日本人の民族感情、民族精神」を取り戻すことである。
即ち、戦没者の失われた命は、生き残った帰還兵の失われた青春は、日本を守るために落とした命、日本を守るために落とした青春、であったことを忘れて、真の慰霊はないのだ。

我が国の従来の慰霊、我が国の従来の学校における歴史教育 六月二十三日の沖縄の慰霊式に欠落しているものは、この国家と不可分の民族精神、民族感情である。
「戦後からの脱却」とはこの精神を取り戻すことだ。












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「老いも若きもイライラしている現代社会の対応策」

2017-06-27 06:52:02 | 日本

大嶋信頼さん(心理カウンセラー)が「老いも若きもイライラしている現代社会の対応策」について掲載している。
以下、要約し記す。



原因はいろいろありますが、とくに大きな原因の一つになっているのは、「インターネット」です。ニュースサイトや掲示板、SNSなどを見ると、政治経済からスポーツ、芸能人の不倫に至るまで、さまざまな問題について「良い・悪い」「正しい・間違っている」を裁いている人を大勢見かけます。まさしく「一億総評論家時代」といえますが、これは人間の心に負担をかけます。そうやって、人を裁くことをしていると、自分の心の中に怒りが溜まっていくからです。

さらに問題なのは、この怒りは伝染すること。怒りとは電気のようなものであり、一人の人から怒りが放電されると、周囲の人が無意識に怒りで帯電してしまいます。すると、元々怒っていない人にまで放電した人の怒りやイライラが伝染し、周囲の人までそんな気持ちになってくるのです。
科学的には、この現象は脳の神経細胞である「ミラーニューロン」が引き起こしています。その特徴は「他人の動作を見ているとき、脳の中で自動的にその人のマネをする」こと。緊張している人の近くにいると緊張が移ることがありますが、同様に、怒っている人の近くにいると、怒りが移ってしまうのです。

さらに厄介なことに、放電した人は、放電したからといって怒りを発散できないこと。周囲の人に放電し続けて、悪影響を与え続けます。すると、周囲にイライラした人が増えるという悪循環に陥ります。
 
以上の現象は、仕事にも悪影響を及ぼします。たとえば、多くの職場では上司が怒りを放電していると思いますが、その怒りが伝染すると、部下もイライラし、集中力を失ってしまいます。すると、仕事でミスすることが増えてきます。すると上司はさらにイライラし、部下はさらにミスをするという泥沼状態にハマってしまうわけです。

部下の立場の人がこのような状況から脱するためには、上司の怒りからうまく身を守る必要があります。その方法の一つが、「チューニング」。「呼吸」を合わせることで、相手の怒りを抑える方法です。

人は呼吸をする時に肩が動くので、その肩の動きを相手と合わせます。たとえば、息を吸う時には肩が上がるので、同じタイミングで肩を上げるのです。すると、鏡の細胞であるミラーニューロンが活性化することにより、最初は相手の怒りが伝染するのですが、そのうち波長が合ってくることで、怒りの波長が打ち消され怒っていた相手が自分に対して怒りを向けなくなるのです。

もう一つ、お勧めの方法は、相手に対して「◯◯さんってすごい」と心のなかで何度も唱えることです。怒られているときにはとてもそんなことは思えないでしょうが、何も考えないで「◯◯さんってすごい!」と唱えます。すると、これもミラーニューロンの働きで、あなたが「相手をすごいと思っている。尊敬している」という気持ちが相手に伝染し、相手の中にある、あなたに対する怒りが消えていくのです。
 
このとき、何がすごいかを具体的に考えてしまうと、「本当にそうか?」と疑念が生まれてしまうので逆効果。「○○さんってすごい」と言うだけでOKです。同じ要領で、周囲のすべての人に、「○○さんってすごい!」と唱えていれば、常に怒りから身を守れるようになります。



(1)《怒り》部下にイラッときたときは「本音モード」で叱る

上司のイライラが周囲に伝染してしまうとはいえ、部下が何度も同じミスを繰り返したり、支離滅裂な言い訳をしてきたりすれば、上司も人間ですからムカッとくることはあるでしょう。しかし、そんなとき、「こういう言い方をしたら傷つくのではないか」「メンタルダウンでもされたら困る」などと考え、はっきりと物が言えないという人は多いようです。

たしかに、我を忘れて怒りをそのまま相手にぶつけるのは良くないことですが、問題点をはっきり伝えず遠回しに優しく注意するというのも、良い結果につながりません。結局真意が伝わらないので、部下の行動改善につながらず、ますますストレスが溜まります。そうやってストレスを溜め続ければ、いつか爆発するでしょう。

このようにはっきりと言えない人にお勧めするのは、叱ることが必要なときに、「本音モード!」と心の中で言うことです。すると、それだけでも気持ちが切り替わり、「この前と同じミスを繰り返しているぞ」「君の言いたいことが私にはよくわからないんだ」などと、はっきりと物が言えるようになります。「ストレートに言っても大丈夫だろうか?」と思うかもしれませんが、優しい言葉ばかりを投げかけるより、感じたままを伝えたほうが、相手も納得してくれるものです。
 

(2)《不満》嫌いな相手でも心の中で「すごい!」と言ってみる

理不尽なことで怒鳴られたり、朝令暮改を繰り返されて振り回されたり、クドクドと説教されたりして、上司や取引先に不満を抱えたとき。言い返す手もありますが、リスクが高いのも確かです。そんなときには、「すごい!」が有効です。その上司のことを「◯◯さんってすごい!」と心の中で唱えましょう。心の中で言うだけですから、「○○さんって、すげえ!」でも構いません。

何度も唱えていると、本気で「すごい」と思っていなくても、なんとなく「相手はすごい」ように思えてきます。すると、相手に対する自分の怒りは静まっていくのと同時に、「すごい」と思う気持ちが相手に伝染します。それによって、相手にも自分のことを尊重する気持ちが芽生え、不満の元になっていたふるまいをやめることがあるのです。

もう一つ、不満の元になったふるまいをやめてもらう手として、「逆暗示を入れる」という方法もあります。
たとえば、クドクドと説教する上司には、「◯◯さんは、話が端的でわかりやすいです」などと逆のことを言うのです。すると、上司の頭の中に「自分は話が端的でわかりやすい」という暗示が入り、説教が長い上司でも、本当に端的に話してくれるようになります。
 


(3)《わずらわしさ》「相手の気持ちはわからない」でイライラを防げる

会議の席で空気を読まない発言を繰り返す人や、プライベートなことに平気で踏み込んでくるおせっかいな人…。自分には理解できないようなことをするわずらわしい人が、あなたの周りにもいませんか。

しかし、この人に対して、「なんでこの人はこんなことをするのか?」と考えてはいけません。相手の考えや気持ちを汲み取ったところで、それを変えることはできないので、余計にイライラするからです。さらに、相手の発言やふるまいに対して、「私が普段からヘラヘラしているから、平気な顔して仕事を押し付けてくるのか」などと自分に原因を求め始めたりすると、最悪。イライラはさらに加速します。

こんな状態に陥らないためには、相手のことを考えそうになった瞬間に、「相手の気持ちはわからない。自分の気持ちもわからない」とつぶやくことをお勧めします。すると、「相手の気持ちなんてどうでもいいか」という気分になって、深く考えなくなるので、イライラするのを防げます。「自分の気持ちもわからない」というのは、「自分の気持ちですらわからないのだから、他人の気持ちなんてわからない」と思えるようにするためです。










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「改憲!歴史的一歩踏み出す決意」

2017-06-26 07:16:00 | 日本

◎6/25(日) 神戸「正論」懇話会設立講演会で表明

安倍晋三首相(自民党総裁)は24日、神戸市の神戸ポートピアホテルで開かれた神戸「正論」懇話会の設立記念特別講演会で、憲法改正について「来るべき(秋の)臨時国会が終わる前に衆参の憲法審査会に自民党の(改憲)案を提出したい」と述べ、来年の通常国会で衆参両院で3分の2超の賛同を得て憲法改正の発議を目指す意向を表明した。自民党執行部は来年の通常国会冒頭から審議を始め、会期内に衆参で3分の2超の賛同を得て、発議する方針を固めている。

首相は「国の未来、理想を語るのが憲法だ。憲法施行70年の節目となる本年中にわが党が先頭に立って歴史的な一歩を踏み出す決意だ」と述べ、党憲法改正推進本部の議論を加速させる考えを示した。「東京五輪が開かれる2020(平成32)年を新しい日本が動き出す年、すなわち新しい憲法が施行される年にしたい」とも述べた。

首相がここまで強い決意を示したのは、加計(かけ)学園問題や若手議員の不祥事などで、内閣支持率が急落する中、憲法改正という自民党の党是を掲げることで、保守勢力の奮起を促し、結集を呼びかけたいとの思いがある。合わせて東京都議選で、小池百合子都知事が率いる「都民ファーストの会」に対して、反転攻勢を仕掛ける狙いがある。

憲法9条に関しては「自衛隊員に『憲法違反かもしれないが、何かあれば命をはってくれ』というのはあまりに無責任だ。責任政党のリーダーとしてこの状況を放置するわけにはいかない」と強調。「自衛隊は合憲か違憲か、という議論は終わりにしなければならない。9条1項、2項は残しながら自衛隊の意義と役割を憲法に書き込む改正案を検討する」と明言した。

高等教育を含む教育の無償化については「憲法改正で避けて通ることができない極めて重要なテーマだ」と強調。貧しい世帯ほど高校・大学への進学率が低い実態を指摘した上で「貧困の連鎖を断ち切る。高等教育もすべての子供たちに真に開かれたものでなければならない」と述べた。

一方、景気回復については「アベノミクスは道半ばであり、これからも安倍内閣は経済最優先だ」と述べ、労働生産性の向上を進める考えを表明した。「その最大の切り札は働き方改革だ」と述べ、同一労働同一賃金を実現し、罰則付きの残業時間規制など関連法案を秋の臨時国会に提出する考えを示した。

また、7月7、8両日の20カ国・地域(G20)首脳会議に関して、「保護主義と闘う明確な意志を確認したい」と説明。欧州連合(EU)との首脳会談では「日本と欧州の経済連携協定(EPA)の大枠合意を目指したい。21世紀の経済秩序のモデルだ」と述べた。

国家戦略特区などの規制緩和に関しては「時代のニーズに応える規制改革は行政をゆがめるのではなく、ゆがんだ行政を正すものだ。岩盤規制改革を進めることは首相としての私の意志だ」と述べた。










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「改憲発議 来年6月目標」

2017-06-25 07:52:54 | 日本

6月23日 自民党の保岡興治憲法改正推進本部長は、読売新聞のインタビューに応じ、憲法改正の国会発議について、来年の通常国会会期末となる6月頃を目指す考えを示した。

発議には衆参両院で3分の2以上の賛成が必要で、より多くの党の同意を得てできるだけ早く手続きを進めたい構えだ。安倍首相(自民党総裁)が目標に掲げた「2020年施行」に向け、来年中に国民投票を行うことを選択肢として想定している。

自民党は首相の提案を踏まえ、憲法9条1、2項を維持した上で自衛隊の根拠規定を追加する案など4項目を検討しており、年内に改正案を作成する。保岡氏は党の改正案について「来年の通常国会に提示し、早ければ6月頃の発議を目指したい」と述べた。発議する改正項目については、他党の意見も踏まえて3~5項目に絞り込む考えを示した。

・2017年秋      自民党憲法改正推進本部が憲法改正の「たたき台」を作成。
              (年内 改正案作成) 
・2018年1以降   通常国会 憲法改正原案を国会提出。衆参両院の憲法審査会で議論。

・  〃  6月      衆参各院の3分の2以上の賛成で憲法改正の「国会発議」

< 60~180日後>

・2018年6~12月頃  「国民投票」 

・2018年12月以降   公布、施行









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「波動の法則―宇宙からのメッセージ 」

2017-06-24 08:09:16 | 日本

足立育郎さんの「波動の法則―宇宙からのメッセージ 」について記す。
以下、要約し記す。




カテゴリ:
中性子は意識(調和)で受振装置であり、陽子は意識(愛)で発振装置であるとされています。また電子は中性子及び電子が回転運動をしたときにクォークが回転して生じる、エネルギーでも物質でもない存在とされています。

人間の意識には3種類あると解説されています。人間の肉体を安全に維持、管理、運営することが目的の「顕在意識」、過去の情報を統御して体内のすべての細胞の新陳代謝をコントロールしている「潜在意識」、それと「本質的な意識」です。

「本質的な意識」は原子核の集合体で、電子を伴わず、物体化してなく、意識と意志で構成されています。自然の法則の中で、宇宙の総ての存在物にはこの原子核の集合体、「本質的な意識」が存在しており、それらが皆学習して成長していきます。

今の地球では顕在意識によって本質が歪められてしまっています。来るべき地球全体の時空間移動の際に人間が同時に再生されるように、地球という原子核の集合体の振動数と同調できるかが問われています。そしてそのために、顕在意識を自然の法則にかなった調和のとれた状態にすること、常に「本質」と同調して周波数を上げる事が求められています。

 自然の法則にかなった調和のとれた方向にし、「意識」の変換をするためには、日常生活において「直観」を重視し、「直観」を得たら即実行することが望まれます。「直観」が希望的観測の「顕在意識」つまり、自我や欲望でないことを確認しておく必要があります。

直観が働いているときは、必ず顕在意識の調和が取れて、「本質的な意識」である原子核の集合体と同調していき、徐々に高い周波数で安定していきます。

常に「直観」を実行し、「決心」して行動することが大切です。またできる限り自分自身が総てに対して謙虚になることが必要であるとしています。
 
宇宙の法則に従い、自己の意識を宇宙意識(普遍意識)に高めていくことが、多くの指導書の共通の教えだと思われます。








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「幸若舞と敦盛」

2017-06-23 05:21:28 | 日本

◎幸若舞(こうわかまい)

日本の中世芸能の一つ。曲舞の一流派名であったが,のちにこの舞全体をさすようになった。舞々 (まいまい) ,舞 (まい) ともいう。桃井幸若丸が始めたというのでこの名称がある。室町時代前期に興り,江戸時代初期まで行なわれた。叙事的な歌謡に合わせての簡単な舞で,約 50曲が知られている。判官物と曾我物が圧倒的に多く,判官物では『常盤問答』などで常盤御前を取り上げている。平家の公達を数多く題材にした能に対し,源氏の素朴な勇壮さを扱った点に,幸若舞の特色がみられる。ほかに,『入鹿 (いるか) 』『大織冠』『百合若大臣』など,特有の題材もある。戦国時代の武将に愛好され,特に織田信長が好んだことで有名。幸若丸の子孫は越前国 (福井県) に住み,信長,豊臣秀吉,徳川将軍家の庇護を受けたが,明治維新とともに正統は絶えた。現在わずかに福岡県みやま市の大江天満宮に民俗芸能としてその遺風が伝承され,国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。謡曲,浄瑠璃などにも大きな影響を与えた。


◎人間五十年

「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか」 
これは、幸若舞「敦盛」の一節、信長が桶狭間の合戦に赴くに際して、謡いかつ舞ったとされるものである。信長は、この一節に人間の転機というものを感じ取り、勇み立って出陣したといわれる。

信長は幸若舞を好み、敦盛のこの一節を口癖のように歌っていたことが、信長公記にも記されている。後年(天正十年)、安土において家康をもてなすための宴を開いた際には、梅若太夫の能と競演させ、幸若八郎九郎のできばえに軍配を上げている。こんなことから、幸若舞は、秀吉、家康にも贔屓にされ、徳川時代の初期には、武士の式楽として、能以上に重んぜられた。しかし、士分に取り立てられた幸若家が、武士であることにこだわるあまり、芸能者としての自分の出自を恥じたため、芸能としての幸若舞は衰退した。


◎敦盛と青葉の笛

『青葉の笛』

作詞:大和田建樹  作曲:田村虎蔵 (明治39年・1906)


一の谷の軍(いくさ)破れ
討たれし平家の公達(きんだち)あわれ
暁(あかつき)寒き 須磨(すま)の嵐に
聞こえしはこれか 青葉の笛


『平家物語』のうち、一ノ谷の戦いを歌にしたもので、無官大夫平敦盛」「という副題がついている。
一ノ谷で、源氏の武将・熊谷次郎直実(なおざね)は、海に逃れようとしていた若武者を呼び返し、組み敷きした。顔を見ると、自分の息子と同年配の少年(14歳)だったので、見逃そうとしたが、味方が近づいてきたので、やむなく首をはねた。それが平敦盛だった。あとになって、熊谷直実はこのできごとに世の無常を感じて出家したと伝えられる。

 












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「唯一神道名法要集」

2017-06-22 07:20:07 | 日本

「唯一神道名法要集」(ゆいいつしんとうみょうほうようしゅう)について学ぶ。


吉田神道の兼倶は主著「唯一神道名法要集」で聖徳太子の秘伝と称し、根本枝葉花実説を述べている。
「根本が日本精神であり、その枝葉が中国儒教として伸び、ついに花実としてインド仏教が実った」という話である。(西漸)。そして次に、「実の種は大地に落ちて、芽吹き枝葉を伸ばし、再び日本に還ってくる。これが仏教東漸だ」と説く。「仏や菩薩は実は日本の神に基づいていた」というものである。


◎神道大意より

…吉田兼俱(かねとも)(1435‐1511)の著。唯一宗源神道(吉田神道)の大成者兼俱はその神学確立のために,祖先の名に託し《唯一神道名法要集》(托卜部兼延),《唯一神道大意》(托卜部兼直)などを記しているが,それらとともに彼の神学・思想をみる上の重要書。本書は尊経閣文庫本の奥書より知られるように,1486年(文明18)前将軍足利義政に進めるために記したものである。…


◎本地垂迹より

…やがて室町期,吉田兼俱が出て仏法は万法の花実,儒教は万法の枝葉,神道は万法の根本とする三教枝葉花実説をとなえ,陰陽道や道家思想をもって神祇の分類と体系化をはかった。それが《唯一神道名法要集》なる著作に結集され,ここに神本神迹説ともいうべき立場が成立し,本地垂迹説の時代は終わった。また民間では《神道集》や御伽草子本地物にみられるごとく,死後神にまつられた人間こそ人生における苦難の体験者として神にまさる尊さが仰がれ,人本神迹の思想が広がり,吉田神道の出現と相まってこれが近世の儒家神道成立への道を開いたのである。…


◎吉田神道より

…平安時代以来神祇の方面では,神祇官の長官である伯を世襲する白川家の権威が高かったが,伝統的な権威が崩れた室町時代に出た兼俱は,卜部氏が蓄積してきた神祇の専門知識を集約して,独自の説を掲げ,白川家に代わる権威を築こうとした。兼俱の教説は,主著《唯一神道名法要集》に要約されているが,そこでは従来の神道を,本迹(ほんじやく)縁起神道(社例伝記神道ともいい,古来の神社神道をさす)と両部習合神道(仏教と習合した神道)の二つに分け,その二つに対して天児屋命の後胤である卜部氏のみが伝えてきた唯一至高の神道が,元本宗源神道であると説く。この神道は,天地の根元,万物の霊性の顕現であり,無始無終,常住恒存の存在である大元尊神(古典の国常立神)に発するが,顕露教と隠幽教の2面をもつ。…

















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「三菱養和会教条」

2017-06-21 09:28:36 | 日本

一、日々は是れ好日なり人生は到る処修養の道場なりと知るべし


二、書を読むはり愉楽の為めのみに非ず知見を広めまた清明の心を保つに資すベし


三、囲碁作詩歌など趣味にびてのをぶるもよし


四、武道競技にいそしみて身心を練るは最もよし之によりて協同事に当るの慣習を得るは更に望まし


五、理想を同じうせば我も人も表裏の一体なり養和の精神に生きて共に奉公の大義に進むべし










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「正直な子と嘘をつく子 日本と中国の教育の違いから」

2017-06-20 07:17:56 | 日本

王ジョンさんが「正直な子と嘘をつく子 日本と中国の教育の違いから」んjについいぇ掲載している。
以下、要約して記す。



ベストセラー作家で外交・国際関係学の研究者、ジャーナリスト、中国のテレビ司会者と、マルチな才能で活躍する王ジョンさん。2004年にバラク・オバマ氏に初めてインタビューに成功した中国メディアの記者でもある。最近、王ジョンさんが自身のブログで、中国共産党政権が導く反道義的な教育がどのように子供に影響を与えたかについて、解き明かすエントリを公開した。下記はその抄訳。


◎戸籍のない8歳婚外子「将来、闇世界入りして復讐」

「戦争で自国のために戦う意思があるかどうか」。数年前に行われた調査だ。日本人は11%、中国人は71%がそれぞれ「ある」と回答した。これは、中国人が日本人よりも愛国心が強いということか。それとも、中国人は日本人よりも上辺だけの答えを提出し、正直さに欠けるということを示しているか。
調査結果の数字が、実際の若者たちの意識とは異なるのではないか、と疑わせる調査結果は他にもある。

2010年4月8日、日本青少年研究所は、中国、日本、韓国、米国からの高校生を対象に「授業中に居眠りをしたことがあるか」との調査を行った。その結果、日本の高校生の45%が「ある」と回答し、4カ国で最も高かった。中国の高校生は4.7%に過ぎなかった。

この結果によると、「中国の高校生はとても勉強熱心だ」との結論を引き出すのは容易だ。しかし、この結論は中国人が知っている事実からは程遠い。高校卒業した人ならすぐわかることだが、授業中に居眠りしている生徒が2,3人というような状況のほうが珍しい。

この非常に低いと思われる回答の「不誠実さ」には2つの理由が考えられる。1つは精神的な側面。調査に参加した生徒の大半は、授業はちゃんと受けなければならない、という強迫観念がある。そのため、嘘をついた。

中国の生徒たちは「正しい」回答を求められ、期待という言葉とともに親や教師に強い圧力を受ける。「先生の話を聞く」は正しい答えであり、「居眠り」は誤った回答だ。

子は親の鏡 親自身が反省すべき12の振る舞いとは?

中国の子供たちは、模範的な回答をする子供が好まれる傾向が高い。しかし、どうして日本の子供たちは正直に答えたのか? 家族の環境や教育方法に反映される社会的文化的価値が背景にある。

南方週報は『嘘の作文』と題した記事で、中国のある小学校の生徒たちが最初に作文を習うとき、嘘を書くよう教えられると明かした。記事によると、担当教師Yを絶対的権威として持ち上げるように、生徒の作文の題材は「私の心の教師」で、その担当教師Yの言動は「孔子よりも素晴らしい」などと称賛する言葉を並べるよう、Yは生徒に指示していた。

記事によると、その教師の同僚は「Yはそんなに大した人物ではない」とこき下ろした。生徒たちが書くことを強いられた作文の嘘は毎年、スケールが大きくなり、教師Yが退職する年まで、嘘は塗り重ねられていったという。


◎対照的な日本の教育と社会

日本の両親は、子供たちの誠実さを育むことを重視している。3〜4歳の子供が誤って自宅の花瓶を壊した場合、罰するのではなく「割ってしまった」と真実を告白することを最良の行為とする。これで、お菓子などの褒美を与える場合もある。もし子供が他人のせいにすれば、ひどく叱られる。「嘘をついた」ことで、お小遣いを減らされるなどの罰則があるかもしれない。

日本人の子供が「将来はパン屋になりたい」と言ったら、大人は彼らの声を聞いて頷く。中国の子供たちは、大人が子供の意見を批判することが多いため、しばしば壮大な願望を持つ。そう回答しないといけない風潮なのだ。時間の経過とともに、子供たちは「模範的な」回答を出すことは処世術となると、心に深く根づいてくる。

分析:中国の教育制度、日本より150年遅れ?

2011年4月、宮城県石巻市の学校で小学生一人に授業が施される(YASUYOSHI CHIBA/AFP/Getty Images)
2010年と2014年冬季オリンピックで金メダリストを獲得した、スピードスケートの中国代表・周洋選手は、メダル獲得のコメントで、他の中国選手のように、国に感謝を述べるといった模範的な回答をせず、両親を称えた。

多くの中国人は彼女のコメントに感動したが、中国体育当局の圧力で、周洋選手は後でコメント内容を変更するよう強いられた。
真実を伝えることは不運をもたらし、嘘を吐くことが生き残る術と考えられている。中国の現在の社会環境はとても悪い。
日本では、誠実さを重要視する教育が、人生のなかで一貫して行われる。家で、両親は子供たちに嘘をつかない。学校では、子供たちも正直さを学ぶ。仕事では、誠実さはほぼ普遍的なビジネスの哲学と見なされている。

かつて私は中日の教育交流セミナーに参加した。司会者が、日中の専門家に自国の教育制度の欠点を列挙するよう頼んだ。中国代表は、どのようなものを持ち出すかについて話し合った。キャンパスでの暴力や、教師の尊敬の欠如など…しかし、国際交流の場で中国の面子を保たなければならないため、アイデアは拒否された。正直に意見を言うことが許されないのだ。

嘘は数千回繰り返されても、真実にならない。嘘は、最小限にしたほうがいい。












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「歴史的文献としての「日本国憲法と九条」

2017-06-19 06:20:39 | 日本

西村真悟さんが歴史的文献としての「日本国憲法と九条」について掲載している。
以下、要約し記す。



「戦後という時期」は、現在に至るも、戦場でアメリカ軍が日本兵を射殺し、火焔放射器で焼き殺し、日本の婦人がサイパンの崖から身を投げる影像が、毎年、八月十五日が近づけば、我が国のTVで放映されるが、あの影像は、アメリカ軍が、日本軍が弾も武器も食料も無くなって戦うことができなくなってから、本国における戦意昂揚と予算獲得の為に撮影したプロパガンダ影像であり、日本軍との戦闘の実相を映したものではない。

第一に、アメリカ軍が日本軍との戦闘の最前線に使った黒人兵は一人も映っていないではないか。
日本軍兵士の回想に、最初に来る敵は全て黒人なので、「俺はアフリカと戦争をしているのかと思った」とあるのを読んだことがある。

さて、我らは、マッカーサーのGHQに「太平洋戦争」という呼称を強要されてそのまま使っているので、太平洋の島々の負けた戦いしか知らず、「大東亜」つまりアジアの大地での実態は視ていない。
日華事変の直後に召集され七年近く北支と南支で戦い、昭和二十年の終戦後に伍長で帰還した作家伊藤桂一氏の戦場の回想である「草の海 戦旅断想」に、終戦後の八月十七日のことを書いた次のような記述がある。
 
槍兵団の一部が、駐屯地から北上を続けていたとき、新四軍(共産軍)に包囲されて
「武器を捨てれば貴隊を保護してやる」という勧告を受けた。
その勧告に対して部隊長は「道をあけろ、あけねば武力で通る」と応じて、交戦して撃退し、敵の小銃七十挺を鹵獲して、悠々とある町に着いた。
すると、いく分当惑して寄ってきた中国人が言った。
 
あんたらは、もう戦争にまけているのだ・・・
いつまでも勝っている気分でいられちゃ困ります。

また、他の箇所で、伊藤氏は、戦争が終わったという知らせが来た時、捕虜のイギリス軍将校が負けたと泣いたので、日本軍将校が彼を慰めた。
すると、負けたのは日本だとの知らせが入り、今度は、しょげた日本軍将校を、泣いていたイギリス軍将校が慰めた、という情景も書いている。

以上は、伊藤桂一氏の体験した情景であるが、中国戦線、インドシナそしてインドネシアにおいては、八月十五日にも日本軍は最強の軍隊として存在していた。
この地域を支配したい蒋介石軍と共産党軍、この地域に帰りたいイギリス、フランス、オランダにとってこの最強の健全無傷な日本軍が武装を解除するか否かが最大の関心事であった。

従って、この日本の帝国陸海軍を武装解除させることが、昭和二十年九月二日に調印された「降伏文書」の主目的となっており、さらに、五か月後の昭和二十一年二月四日~十二日に起草された「日本国憲法」の主題、主目的となったのである。
従って、この「憲法」を書いた者たちは、特に「第二章」という「九条」だけの一章を設けて
戦争の放棄と、陸海空軍の不保持と交戦権の否定を特筆しているのだ。

つまり、「降伏文書」と「日本国憲法」は、一体の文書であり、あのマッカーサーは、「降伏文書」で日本に約束させた陸海軍の武装解除をさらに追撃して「日本国憲法」で徹底し、かつ固定化しようとしたのだ。
それが、「前文」と「九条」であり、さらに、日本人を家族と社会と国家から遊離させる「人権規定」である。
天皇と国家と社会と家族との強い絆が、日本人の強さの源だからである。

以上の通り、「日本国憲法」と、その象徴である「九条」は、マッカーサーが骨身に染みた
「日本軍の強さ」、「天皇を戴く日本の強さ」を解体する目的で書かれた復讐文書であり、
同時に、祖国のために日本軍兵士が如何に勇戦奮闘したのかを示す文書である。

アメリカ軍だけは、確かに太平洋で勝った。
そして、まだまだ余力があり、もし本土決戦になれば、太平洋の島々のようにアメリカ軍の前で日本軍が簡単に崩壊すると我々は教えられている。
それ故、我が国の本土決戦は、軍国主義の発狂、きちがい沙汰、だというように思い込まされた。
果たして、そうであろうか。
確かに、我が日本は息絶え絶えであった。
しかし、こちらが苦しいときは、敵も苦しいのだ。
アメリカ軍も、決死の日本軍との、今まで以上の本土での決戦に耐えられたであろうか。
以下は、「大東亜戦争と本土決戦の真実」(家村和幸著、並木書房)より、フィリピン戦線で勝ったアメリカ軍師団長は、降伏した第十九師団長長尾中将に次のように語っている。

戦場で相見えた仲でなければ相手の偉大さは分かりません。
あなた方日本軍の精強さに私たちは感嘆しています。
日系市民志願兵で編成された第四四二部隊が樹てた偉大な業績は米軍内で驚異の的になっています。
私たちは、この戦場でその実際を身をもって痛感しました。

大本営は、昭和二十年三月、要衝のラバウルを守りとおしている第八方面軍参謀の原四郎中佐を、ラバウルから東京の大本営作戦課に呼び戻して本土決戦担当の参謀とし、次いで激戦中の沖縄から決死の覚悟で小舟で脱出して沖縄戦の地上戦闘の教訓を伝えた神少佐と森脇大尉の報告を元に本土決戦姿勢を決定して、六月、参謀次長名をもって「本土決戦根本義の徹底に関する件」を各部隊に通達し、奇しくもドイツのロンメル元帥が、ノルマンディー上陸作戦の直前に言った通りの決戦を水際で実施しようとしていた。
ロンメル元帥は、ノルマンディーの海岸でこれを実施できなかったが、大本営は、千葉県外房の海岸でこれを実施しようとしていたのだ。

勝負は、この海岸で決まる。
敵を撃退するチャンスは一度しかない。
それは敵が海のなかにいるときだ。
上陸作戦の最初の二十四時間が決定的なものとなる。
この如何によってドイツ軍の運命は決し、連合軍にとっても、我々にとっても、「いちばん長い」になるだろう。

六月十三日は、「沖縄県民斯く戦えり 県民に対し後世特別の御高配を 賜らんことを」との訣別電報を海軍次官宛てに打電して、沖縄の小禄の海軍壕の地下の司令官室で自決した大田 實海軍中将の命日である。
私は、千葉県茂原の大田中将の森と田園に囲まれた生家の横に建てられた大田中将の慰霊碑の前で、命日に行われる顕彰慰霊祭に参列した。
この慰霊祭は、茂原や市原など近隣の有志が執り行って今年で三回目を迎える。
慰霊を終えて、地元の同志の案内で、茂原市内に残る本土決戦用の飛行機格納壕と滑走路跡を見て回った。
そして、翌日、外房の風が激しく鳴り波が押し寄せる九十九里浜に立った。
アメリカ軍の上陸適地は、この浜しかない。
相模ではない。ここがノルマンディーとなる。
そして、ラバウルを守り抜いた第八方面軍司令官今村 均大将が部下に語った、敵が上陸したならば、目をつぶって海岸に突進して、敵の喉元に喰いつく、という壮絶な決意を思った。
三年後の東京オリンピックのサーフィン会場は、七十二年前の敵上陸適地、即ち敵迎撃適地、であった。

「憲法九条」は、まさに、日本人、日本軍、の強さと敵の恐怖を示す歴史的文書である。












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記「人生の手引き書」

2017-06-18 07:02:22 | 日本

「人生の手引き書」渡部昇一著の要点をまとめてみた。



・86歳の私は、今でも苦難の多い人生を歩むとき、師となる先人たちの知恵はとても大事なものだと思っている。

・松尾芭蕉の句「山路来て、何やらゆかし すみれ草」のすみれ草は、普段は目にもとめない草だが、それについみとれてしまう。こいうい「小恍惚」とも言うべきことが起こるときこそ、本当に、自己が伸びている時である。小恍惚を人生のいたるところで見出すことができる人は、幸いな人であり、生きがいのある人生を送っていると言える。
小さな恍惚を「授けられる」という心境に浸ってみてもいいのではないのか。今日、自分があることのありがたみがわかるはずである。

・確かに、努力は大事だ。しかし、断じて努力=価値ではない。

・「あやかりたい」と思えれば、とたんに前向きな姿勢になる。その時点で、相手に幸運と自分の不運を恨んではいない。そぢて、「いずれ自分にも、彼のような幸運がめぐってくればいいな」というふうに、幸運を受け入れる準備が整った状態になるのだ。

・ある教授に「優秀な人ほど、劣等感を持つものです」と言われて救われた。まさにその通りである。自分もなれる可能性があり、それを自覚しているからこそ、劣等感を抱くのだ。劣等感は、成長していく出発点なのである。

・お金持ちに限らず、本当に自信のある人ほど謙虚で、自信のない人ほどエゴが強いということは、人間に普遍的なことのように思う。

・お人好しと意気地なしとは違う。「あの人は仕事ができる切れ者だ。しかし、人はいい」などと言われるのが、一番理想的なのである。

・西洋の近代文明を自家薬籠中の物(いつでも自分の思う通り利用できる人や物のたえ、また、自在に使いこなせるくらいに身に付いた知識や技術のたとう)にせんとした有色人種国は、日本だけである。島が動くかのごとき巨大な黒船に彼らは仰天したが、すぐに恐怖心より好奇心が優ってしまった。総じて見れば、日本人は変化を受け入れるのが非常にうまい。急激な変化!日本人が時代の変化に臆せず、優れたものは積極的に取り入れようという画期的なことをしてのけた。

・実際、お金は力なのである。使いようによっては、生活の充実度を格段に上げてくれる、非常にポジテブともなる。

・結果として、名前が残らなくてもいい。人生の一番のポイントは、自分の人生に対して志を抱くということそれ自体にあるのだ。

・「果報は寝て待て」運と言うものは人力ではどうにもならないから、焦らずにじっと待て、という意味だ。やはり「運」にたいしては「待つ」ことしかできないのだ。問題は、「待つ」ときの姿勢なのだ。文字通り寝て待つようでは、永遠に掴むことなどできない。この待ちの姿勢如何で、運がめぐってくるかこないかが大きく分かれるのだ。チャンスを待つ姿勢である。軽率な行動が、運を遠ざけていることもある。生乾きのうちに中途半端な行動せず、もう少し待つ。そういう人のところには「待ったかいがあった!」と言えるような運が転がり込んでくるものである。
長い人生、じっと待つべきときはあるのものだが、待つあいだに決して腐らず、自分を磨き続けてこそ、運を掴むことができるのだ。

・運を呼びこむためには、「自分はツイている」という思い込みも重量である。
「俺は運のいい男だから必ず何とかなる」
運を信じて、体中から運気ともいうべきものを発散させていたからこそ、この遭遇と、それに続く幸運があった。「自分は絶対に大丈夫だ!」と根拠のない自信を抱いている人は、結構いる。これは、ある種の自己暗示であり、この自己暗示が、本当に幸運を導いてくれることも、たまさかではない。

・かくありたい自分の姿を、できるだけ細かくイメージすること。
そういう時間を、毎日わずかでも持つように努めれば、それを実現するためのアジデアがふと湧いたり、思いがけないチャンスに恵まれたりする。

・情報革命の時代である。情報それ自体は知力の開発にはすぐにつながらない。読書、反省、実験、観察、体験など、昔ながらの方法が知力を高める。この知力によってのみ情報の活かし方が決まるのである。自分自身の知力を鍛えることが肝心である。













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「内在の神への道」

2017-06-17 07:30:17 | 日本

「内在の神への道」伊勢白山道著


「生かして頂いて、ありがとうございます。」(随時、三回唱える)


人がこの世に生まれるには、現実界に生まれるべき因縁が巡り来た時に、自己の魂と産土神(うぶすなのかみ)の取次ぎによる内在の神(ないざいのかみ)との融合の後、肉体を借りる国と家系を捜します。

この「自己の魂」と「内在神」が合体してできた「人」は過去の因縁に応じた「家」に生まれ出ます。

まず、この肉体を持つ「場」を借りた家系へのリスペクト、感謝が必要です。たとえ、どんな家系であろうと人類発生以来、血が切れなかった悠久の時間を耐えて来たのです。その御蔭で肉体を持つ場を提供されたのですから。同じ家系で修行された先輩の先祖への感謝がなければ、それは自己否定の因が生じます。運勢は弱くなるのです。人は、この世に生まれ出たからには、生涯、先祖への感謝、供養を忘れてはいけません。これをなして初めて、人生のスタートラインに立てます。



・内在の神・・・・・・・大宇宙生命

・自己の魂・・・・・・魂  

・国と家系・・・・・・日本国&三輪族先祖
           <心・想念>

・人 ・・・・・・・・肉体


内在の神(大宇宙生命) + 自己の魂(魂) ⇒日本国&三輪族先祖 =人(肉体)












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「末那識と阿頼耶識」

2017-06-16 07:08:21 | 日本

・第五識    (眼識・耳識・鼻識・舌識・身識 =五感のこと)
・第六識    (意識)
・第七識    (末那識 まなしき)
・第八識    (阿頼耶識 あらやしき)


◎末那識を説く理由

我執の意識として殊更に末那識の如きものを説くのは、仏教という立場に立つからである。

一般的な立場からいえば、第六意識までで心理学的には説明がつくし、もし記憶の相続という問題の解決には六識では十分に説明がつかないなら、せいぜいその根本的なものとして根本識を考えれば説明はつく。さらに今日のように潜在意識というような考え方でもよいであろう。

ところが、仏教は人間界の苦悩を自我を執じ、他を差別する分別にあるとみる。自他の区別があることが苦の原因ではない。自他の区別に執着して、区別されたものを差別視するところに苦の原因があるというべきである。

無常であること自体は世間の実相である。したがって、世の中の無常であることが苦の原因であるといってみたところで、それを苦にしなければ別にどうでもない。一切は無常であって別に問題はない。ただ人間は常に変化してゆく存在に対して、なんらかの固定観念をつくりあげ、その固定観念にとらわれるから無常を苦にせざるを得ないのである。

金持ちだ貧乏だといっても、金そのものが悪いのでもなんでもない。貧乏が苦しいというのは、その金にとらわれるからである。金持ちが貧乏したとき、もと貧乏であったこと、本来無一物であることが十分に了解されていれば、たいして貧乏は苦にならないはずである。しかし、失ったものに対して、それを所有していた時の執着でとらまえるから、貧乏が苦しいのである。

 苦こそは人間のとらわれから起こるというのが仏教の立場である。
無我である現実の中で、自らに実我のとらわれをもつから、そこに孤独の苦が起こるのであり、本来無我と了達するならば、そこには苦悩はなく、すべてが自由自在である筈である。

しかし、人間は自らを実我と考えなければ――たとえ、とらわれであるとしっていても――生きてゆけない。人間存在そのものは苦であると説かれるのは、このためである。仏教は、このような我執を退治して、真実の自由を生きることを目標とするのである。したがって、仏教にとって、なぜ、このような我執があるのか。また、我執はどのような構造の中にあるのかを明らかにすることは大切な問題である。

いま、この我執の構造を明らかにして、末那識が説かれ、我執は、意識が根本識たる阿頼耶識によって、しかも、この阿頼耶識の見分を実我であると誤認するところから起こるといい、その誤りを犯すものが末那識であると説明する。このように末那識は阿頼耶識に依止し、しかも阿頼耶識の見分を所縁とするものであるから、その働きは非常に微細である。

阿頼耶識は法界共通の意識・記憶とでも言えばいいと思う。 この阿頼耶識の元品の無明と言うたった一つの迷いと言うか動揺から法界の一切の存在が始まっている。 そしてその迷いが煩悩(業)を生み、その煩悩が体となって我々のように個我が出来る。 阿頼耶識全体からみれば海全体に対する水滴のような物である。 そして個々の末那識は阿頼耶識を常に観ているが、阿頼耶識内の自分の境界の「部分」の煩悩を「恒久的に存在する自分の正体=霊魂」だと誤解する。 これが自我のメカニズムである。

そして末那識(七識)以下に意識(六識)、前五識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)がある。

ちなみに阿頼耶識(八識)は表裏一体で煩悩で汚染されている側(=染分・元品の無明)と無垢で清浄な側があり、清浄な側(=浄分・元品の法性)は阿摩羅識(九識)ともいう。

又、末那識は二乗界、阿頼耶識は菩薩界とされている。 大乗仏教以外の宗教で説く、瞑想による覚りというのは普通この末那識レベルの事である。 これを指して大乗仏教では二乗界は成仏できないという。 まだ無我のレベルではないからである。 阿頼耶識レベルになると法界の一切衆生全てで共有なので小乗(二乗)の行ではなく菩薩行が必要だと言うわけである。

阿頼耶識の無数の煩悩が消えると元品の無明と言う一番最初の迷いだけが残る。 少しだけ全宇宙のプラス・マイナスのエネルギーが相殺して0になるがどうしても余韻だけが揺らぎとして残りその揺らぎから宇宙の素が出来たと言うビッグバン理論の一種に似ている。 阿頼耶識の無明と言う小さな動揺から万物が始まったのである。























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