龍の声

龍の声は、天の声

「日本を取り戻す!」

2012-11-30 07:58:28 | 日本

増田俊男さんがいいコメントを出している。
以下、紹介する。

⇒」
「日本を取り戻す!」は自民党安倍総裁が掲げたスローガンである。
デフレ脱却、2%の物価目標(インフレ・ターゲット)、3%以上のGDP(国内総生産)達成まで金融緩和を続行、そのため日銀との「政策協定」、場合によっては「日銀法改正」も辞さない構え。

また、専守防衛を基本とする憲法第9条改正を視野に入れ、今まで法制局が認めなかった「集団的自衛権行使」を可能にする。日中間の火種となっている尖閣諸島に公務員の常駐を検討する等、同島の国有化からさらに実効支配を加速する構え。

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については聖域なき関税障壁撤廃には反対、原発再稼働問題は3年先に先送り、衆院議員の定数削減は次期国会で結論。

これらが安倍自民党の公約の概要である。


「日本を取り戻す」が看板だから、目指しているのは「集団的自衛権行使」と「憲法第9条改正」ということになる。
集団的自衛権行使と第9条改正は、戦後から今日までアメリカに委ねてきた「国民の生命と財産」を自ら守るという国家最大の義務と使命を自国に「取り戻す」ことを意味する。
自国の政治・経済上の国益を中心にした外交を自主外交と言う。
今日まで日本はアメリカや世界の強国(軍事強国)の安全(軍事)戦略と経済戦略を受けて、正に「逃げ隠れ」してきた。
日本は国益ベース自主外交、自主経済戦略を持とうとしなかったし、持てなかった。

「日本維新の会」の代表になった前東京都知事石原氏は「暴言」が趣味のようだが、「日本が核を持てば日本の安全は保証される」と言ったが、暴言として片付けることのできないのが「現実」である。安倍政権になった場合、また日本維新の会が目標の100名の当選者を出したなら、安倍自民総裁と基本的には同じ思想の持ち主の石原氏の影響は大だろう。


さて今回の総選挙の争点だが、経済においては、民主、自民、日本維新の会共に金融緩和論者だから争いは無い。
安全保障問題では、集団自衛権行使、憲法第9条改正、自衛隊を国防軍へ、では自民と日本維新の会は一致、民主内部で賛否両論、公明は反対である。

従って争点は経済より安全保障問題になるはずだが、国民は総じて「憲法より米」に関心がある。アメリカの大統領選で選挙前に現職の強みで失業率を急落させNYダウを上げたオバマが勝った。

ニッケイ平均は安倍発言(無制限金融緩和発言:後修正)がきっかけとなり11月14日から上げ続け、先週木曜(11月14日)は遂に9月の高値9,200円台を突破して9,366円まで上昇した。
今回のニッケイ急騰は安倍発言だけでなく外資の戦略によるものだが、しかし国民の脳裏には「安倍発言で株価が上がった」の印象が焼きついた。
仮に投票日前に株価が下がればその責任は現政権(民主)に向けられる。
安倍自民総裁は現職首相ではないのに、現職オバマ大統領が舌を巻くほどの「選挙上手」である。


もう一つ,
私の持論である「日本を取り戻す」とは、中央集権が地方分権に代わっても五十歩百歩。たとえ道州制になっても「財政破綻」の元凶である福祉予算も孤独死も解決は出来ない。
昔の「皆のことはみんなで助け合う隣組制」による「共生」を「取り戻す」ことで解決出来る!





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「小党乱立は日本の文化」

2012-11-29 10:15:36 | 日本

某氏が「小党乱立は日本の文化」について書いていた。その分析が面白いので記す。


なぜ、日本では次々と新党が出来るのか?

私はほぼ単一民族で国民の社会的水準、富が世界水準から見ればはるかに均一的であるが故だと思っている。日本の場合、外国人は少ないし、資本家と労働階級といった差別はほとんど見受けられない。そこで日本人というドングリの背比べをする場合、みな同じような背丈だとドングリの形とか、色合いなど違うところに目が行くようになる。なぜならば日本人は人と比べることが実に大好きであるからだ。これが日本社会において派閥を作りやすいひとつの理由である。

派閥は手ごろなサイズに収まるようになっており、一定の大きさを超えると細胞分裂のごとく分派したり離党したりする。理由は日本人がまじめ(英語で言うシリアス)であり、フレキシビリティがなさ過ぎる(頑固といった方が良い)のである。よって、何かひとつの事象に対して同意できない場合、反対を唱えますが、議論し尽くすというより、「そんな君たちとは一緒にやっていられない」とプイと飛び出してしまうのだ。

これは政治家に限らず、ほとんどの日本社会に蔓延している。
日本の難しさというのはここにある。





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「大阪冬の陣と大阪夏の陣に学ぶ③」

2012-11-28 07:05:25 | 日本

ここで「大阪冬の陣と大阪夏の陣」にて、我らが歴史に学ぶべきことは、日本維新の会を軸とする第3極の行方である。

大阪維新の会の大阪都構想の戦いを「大阪冬の陣」、日本維新の会の戦いを「大阪夏の陣」と見るのか?
しかしこれは余りにも甘過ぎる見方ではないのか。


「大阪冬の陣」を、今の総選挙の日本維新の会の戦いと位置づければどうなのか?


石原代表と橋下代表代行の決定的な違いは、その政策と理念にある。
今回の選挙戦の大義は、「民主党や自民党という、時代にそぐわない既成政党を打破するために、第3極が小異を捨てて大同団結し、勢力拡大する」である。しかし、その日本維新の会の中身は、大阪維新の会VS太陽の党という2つの派閥的な運動形態となっている現実である。


よって、選挙戦が終われば自ずと政策論争へと進んでいく。
例えば、TPP参加の問題にしても、大阪維新の会(賛成)VS太陽の党(反対)である。原発問題も対立している。さらに憲法改正問題では、橋下と石原は理念の上において根本的に異なるため、大きな亀裂が生じることは火を見るよりも明らかである。


もしもこの戦いにて、橋下大阪市長が市長を辞め、国政に鞍替えをしなかったならば、戦いの後に一体何が起こってくるのか。彼の存在理由や役割は急速に薄れていくだろう。何故なら、大阪都構想とは地方(大阪)のこと。国政とは国のことだからである。そのため、党首、石原慎太郎衆議院議員を軸とした日本維新の会は離合集散の上、新しい政党へと脱皮してゆくからである。


石原慎太郎を徳川家康として見るならばよく理解ができる。


時代にそぐわない既成の政党を打破するために、第3極が小異を捨てて大同団結し、勢力拡大する大義とは、将に「大阪冬の陣」への引き金となった「梵鐘の国家安康・君臣豊楽の文字」そのものではないのか。そして、石原代表と橋下代表代行の決定的な違いである政策と理念こそが、和議の条件5カ条の誓紙のひるがえしである。



自立ある国創り!
新しい枠組みでの政権政党実現への道には、まだ近くに「大阪夏の陣」が控えていると言えよう。


さて、大阪冬の陣で勢いをあげ活躍し、大阪夏の陣で消えていった「真田幸村」の役割を演じることになる人物は一体誰なのか??

<了>




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「大阪冬の陣と大阪夏の陣に学ぶ②」

2012-11-27 07:42:33 | 日本

大阪冬の陣の和議の条件として、徳川家康、秀忠から豊臣氏に、次の5カ条の誓紙が出された。

1大坂城に篭城した浪人達の罪は問わない。
2秀頼の知行は、以前のとおりとする。
3淀君(秀頼の母)は、江戸に下る必要はない。
4秀頼が大坂を立ち退くというなら、どこへ行こうと望みしだいである。
5家康、秀忠は、秀頼に対して、いささかも不信行為はしない。

そして、和議の条件として、大坂城の外堀と内堀は埋め立てられ、二の丸と三の丸も破壊されて、大坂城は本丸だけの「はだか城」とされた。しかし、和議は、豊臣氏に味方した、立身出世や仕官を望む浪人達にとっては失業を意味した。このため、大坂城内では、しだいに再戦を望む声が高まって行き、埋め立てられた堀の復旧工事などが開始された。

これを知った家康は、先の誓紙をひるがえし、豊臣氏に対して、「城中の浪人をすべて追放するか、豊臣氏は大坂城を出て伊勢か大和へ移れ」との要求をつきつけた。
これが家康の戦略である。

ここに至って豊臣氏の怒りは爆発、ついに再戦が決せられた。夏の陣の勃発である。
しかし、本丸だけの「はだか城」では、冬の陣のときのように篭城戦法に頼るわけにはいかない。そこで、豊臣氏は、徳川氏に野戦を挑むこととした。


慶長20年(1615年)4月26日、裸城になった大阪城に対して、家康は諸大名に攻撃を
命令を出し、最終決戦「大阪夏の陣」が開戦となる。
徳川方約15万5千、豊臣方約5万といわれる。
夏の陣の主戦場は、河内であった。

5月7日、真田幸村、家康の本陣に突入して討ち死に。徳川方も本多忠朝、小笠原秀政ら討ち死に。

5月8日、大坂城落城。秀頼、淀君らは自害。豊臣氏、滅亡。一説によると、毛利勝永が秀頼の介錯をつとめ、その後に自害したという。

1600年 天下分け目の関ヶ原合戦
1614年 大阪冬の陣
1615年 大阪夏の陣

以降、徳川幕府、270年間の時代へとつながっていく。



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「大阪冬の陣と大阪夏の陣に学ぶ①」

2012-11-26 07:29:40 | 日本

「大阪冬の陣と大阪夏の陣」の歴史を紐解き、「日本維新の会」のこれからの行方を3回にわたり記す。


1600年関ヶ原の戦いで石田三成らの勢力が徳川家康を中心とする勢力に破れ、天下は豊臣家から徳川家に移る。1603年には家康が征夷大将軍に任じられ、名実ともに家康は日本の支配者となった。豊臣家は事実上、大阪を領地とする一大名の地位に落ちた。

1611年、17歳になった豊臣秀頼は京都の二条城に家康を訪問。両者の会談によって豊臣側は一大名としての地位を確認、いったん緊張は表面的には緩和された。しかし母親の淀君にはそれは我慢のならないことだった。そして家康側も、決戦は近いという感触を持つ。

この年、豊臣は秀吉の建てたお寺・方広寺に大仏殿を完成させるが、ここに梵鐘を作ることになる。この梵鐘には「国家安康・君臣豊楽」の文字が刻まれた。それを聞いた家康は、豊臣を攻める口実ができたと考えた。

「国家安康」は「家康」の文字を2つに切って徳川家を呪うものであり「君臣豊楽」で豊臣家が再び君主になろうという意図を秘めたものだ、という訳である。


慶長20年(1614年)10月23日に、徳川家康は、軍勢を率いて京都に入る。
そして「大阪冬の陣」がおきる。関が原の合戦後、ほぼ天下を手中にした家康はついに豊臣家の滅亡を図る手段に出た。
ほぼ全国の大名を動員し、11月に徳川方20万が大阪城を包囲した。一方、豊臣方は10万である。

ここで有名な真田幸村が登場し活躍する。真田幸村は「真田丸の戦法」をとった。
真田丸とは、大阪城の外に幸村が築いた出城である。直径およそ200mの半円形をなし、円の外側には空掘と土塀、そして三重の柵が設けられていた。物見台として井楼を設け、さらに7つの櫓が守りを固める。堀の内側は武者走りとよばれる幅2mの通路で2段に分けられ、上下の銃眼から外の敵を狙う。
難攻不落といわれた大阪城も南側だけは敵の侵入を防ぐ川も水堀もない弱点だった。そこに幸村は真田丸をつくり、純粋に真田の兵で固め、戦いの最前線に身をさらしたのである。真田丸は敵の動きをつかみやすい反面、突出していて攻めやすい場所でもあった。そこに敵を集中させて、集中して出てきたところを引きつけて叩くという戦法をとったのである。

だが、冬の陣は徳川軍の大砲が大阪城の天守閣に命中したことを契機に和睦にいたる。




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「金運アップのおまじない」

2012-11-25 07:52:44 | 日本

「ポロスの魔法」

東ヨーロッパに伝わる。ギャンブルの必勝を祈願するおまじないが「ポロスの魔法」
です。やり方は簡単。まず、入浴するなどして身を清めてから、東を1として東西南北の順番に、自分の年齢の数だけかけて行きます。次に、最後に到達した方向に向かって、左手に三つ枝の木を持ち、右手で「poios」と言う文字を空中に描きながら心中で「ポロス」念じます。ちなみに、もはや由来をきにする人もいないくらい浸透したおまじないらしいです。宝くじなどを買った時には、いちど試してみるといいかもしれません。



「トリンカ・ファイブ」

ヨーロッパの各地を流転するジプシー。常に旅をしている彼らにとって、どうしても緊急にお金が必要になる場面があります。そんな時、彼らが唱えるのが、この「トリンカ・ファイブ」という呪文です。ジプシーたちはの間では、この呪文を5回ほど心の中で唱えることで、その時に必要な分だけのお金が手に入ると言い伝えられています。ただし、手に入るのはあくまで本当に必要な分のお金だけ。欲をかくと呪文も効果を発揮しないようです。



「バースデーコイン」

ドイツでは、自分の生まれた年に作られた「バースデーコイン」を持ち歩くと幸運は訪れると言う言い伝えがあります。白い紙に包み、財布に入れておくと金運がアップするそうです。また、誕生年だけでなく過去の人生で最も幸せだった年、最大の幸福が訪れた年のコインでも効果はあるとされています。ただし、そのコインを使ってしまうとツキが離れていってしまうので、くれぐれも注意してください。日本で言うところの「ギザ10」のようなものでしょうか。





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「安倍総裁 自民党の政権公約」

2012-11-24 09:53:58 | 日本

産経新聞は、21日に発表された「安倍総裁 自民党の政権公約」について論じている。流石に、安倍である。われらは全力でこの公約実現にむけて支援していこう!

政権公約での「安倍カラー」のポイント

①教育委員会制度の改革
②教科書検定基準の改善と近隣諸国条項の見直し
③憲法改正で自衛隊を国防軍
④官邸に国家安全保障会議
⑤集団的自衛権の行使を可能に
⑥領海警備法の制定
⑦拉致問題解決に全力

集団的自衛権の行使について、公約の原案では「一部を行使可能にする」と書かれていたが「行使を可能」とするなど強めた。
安倍氏は「保有しているが行使できない」との政府の憲法解釈の変更を目指し、首相時代に集団的自衛権の行使を可能にするために有識者懇談会を立ち上げた。
懇談会は、以下の4類型について検討した。
(1)公海上での米艦の防護
(2)米国に向かう弾道ミサイルの迎撃
(3)国際的平和活動での武器使用
(4)国際的平和活動での「後方支援」における武器使用
ただ、報告を受け取る前に退陣に追い込まれただけに「一部」という言葉で曖昧にせず、4類型の検討をしっかりと進めようという決意を示した。

憲法改正では「国防軍の保持」や憲法改正の発議要件の緩和を明記した。「国旗は日章旗、国歌は君が代」とすることも付記するなど、党が4月にまとめた改正草案の核心部分を盛り込んだ。

安倍氏が首相時代に着手したサイバー・テロ対策や情報保全なども入れた。官邸の危機管理機能を強化する日本版「国家安全保障会議(NSC)」の創設は安倍氏の持論だ。

民主党が平成22年1月に打ち切った海上自衛隊によるインド洋での給油活動の再開も掲げた。

また、原案では扱いが小さかった「教育」を経済に次ぐ2番目の課題と位置づけるなど、持論とする教育再生に再挑戦する姿勢を打ち出した。
安倍氏は総裁選出直後に自身の直属組織として教育再生実行本部を設置、教育委員会制度の抜本的改革や教科書検定基準の見直しをとりまとめさせ、新公約に反映した。

ただ、全国で選挙協力を行う友党の公明党は集団的自衛権の行使や憲法改正について消極姿勢をとっている。安倍氏は「憲法改正には極めて高いハードルがある。賛同する人がどれだけ(衆院選で)当選するか」と述べるにとどめるなど、公明党に一定の配慮を見せた。

衆院選で自民党が目標の単独過半数の議席を得ても、来年夏の参院選までねじれ状態は続くことになる。
安倍氏周辺も「参院選まではまずは実績を積み、政権運営の足場を固める」と語っている。「安倍色」政策は掲げながらも、実現は選挙後の枠組みをにらみながらになりそうだ。




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「真理の吟唱 有限そのままに無限である」

2012-11-23 07:53:23 | 日本

神は無限であるが、人の形は有限である。
有限なる形のうちに、無限を表現することが、人間が地上に生まれ出でたる使命である。


画家は方尺の画布の上に無限をあらわす。無限そのままに無限になるときには、何ものも表現されないのである。無限がみずからを局限して有限ならしめることによって表現は行なわれる。

完全なる自由を享受して何らの抵抗もなき空中には絵を描くこともできないのである。画家が、自己の絵筆の自由なる運行に摩擦して抵抗し、絵筆の無限の自由を制限するところに、美しき絵が描かれるのである。


普賢菩薩は虚空に満ちて普遍なるその智体をみずから縮小して六牙の象に乗りたまえる普賢菩薩の現象身をあらわすのである。


現象の中に実相あり、これを覚らなければならないのである。
実相の顕現としての現象となるとき、そこに浄土現前し、地上に天国が建設せられるのである。


人身このまま有限にして内に無限を蔵す。蔵するに非ず、有限そのままに無限であるのである。
それゆえに、この身は実相の表現として、有限そのままに無限であるのである。




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「リクビダートルとは」

2012-11-22 07:52:07 | 日本

リクビダートルとは、1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所事故の処理作業に従事した人々。原語は清算人の意味で後始末を行う人を指し、しばしば清掃人、事故処理班、解体作業者、決死隊等と翻訳・説明される。

リクビダートルの総数は60~80万人、そのうち1986年と1987年に作業にあたった約20万人が大きな被曝を受けたとされている。事故処理作業時の平均年齢は約35歳。ウクライナ、ベラルーシ、ロシアそれぞれでリクビダートルの国家登録が行われているロシアに住むリクビダートルのうち65905人(平均被曝量120ミリシーベルト)を対象に1991年から1998年までを追跡した結果によると、その間の死亡は4995件(7.6%)であった。ベラルーシでのある調査によると、地元一般住民に比べて結腸癌や膀胱癌、甲状腺癌がはっきりと過剰に発生している。

リクビダートルは、ソビエト連邦政府から表彰され、危険な労働の代償として、住居・高額の年金・無料の医療などが生涯保障された。ソビエト連邦崩壊の後、これらの特権は分離独立したウクライナ・ロシア・ベラルーシの政府に引き継がれた。しかし、経済の低迷が続くなか、年金は大幅に目減りし、医療費は事実上自己負担を求められている。

ウクライナ放射線医科学研究所所長ブロディミール・ベベシコらは、ウクライナに住むリクビダートル20万人の健康状態を追跡調査。癌による死者の調査は、1992年から資金不足で打ち切られる2000年まで、9年間毎年行われ、リクビダートルの癌による死亡率は事故後年々上昇し、2000年には一般住民の3倍に達していたことがわかった。

国際原子力機関IAEAは世界各国から100人を超える科学者を招集し、チェルノブイリ原発事故の被害を客観的に評価する会議を開催、2005年9月、事故と健康被害との因果関係を限定的に見る報告書を発表した。「事故の死亡者が何万人、何十万人に上るという主張があるが、これは誇張である。多くは放射線の影響と言うより、貧困や医療の不備によるもので、酒の飲みすぎ、タバコの吸いすぎの方が問題である」、リクビダートルの死者について「被曝が原因で死亡した可能性があるのは50人」としている。この報告書に対して、各国の研究者から反論が相次いだ。

旧ソビエト連邦政府によってリクビダートルとその家族4万人のための集合住宅がキエフに設けられた。事故から10数年以上たって、この集合住宅では病気で死亡する人が急増。移住してきた4万人は、2万人にまで減っている。







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「天下一人を以て興る」

2012-11-21 07:49:06 | 日本
 
中野 正剛(なかの せいごう)とは、1886年(明治19年)2月12日生まれ。大正・昭和期のジャーナリストであり政治家である。

彼の生い立ちは、旧福岡藩士中野泰次郎とトラの長男として、福岡県福岡市西湊町の伯父中野和四郎宅で生まれる。幼名は甚太郎。中野家は代々福岡藩の御船方であり、父泰次郎の代に分家し福岡市西町で質屋を家業としていた。母・トラは福岡県糸島郡元岡村で醤油醸造業を営む黨又九郎の長女である。

福岡県中学修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)に進学し、在学中の1903年(明治36年)に自ら正剛と改名する。1905年(明治38年)、修猷館を卒業後、早稲田大学政治経済学科に進学し、家族と一緒に上京している。

修猷館で緒方竹虎と出会い、以後、早稲田大学・東京朝日新聞社でも行動を共にした。大学時代、下宿を一緒にしていた時期もあった。

学費や生活費を稼ぐために、三宅雪嶺の『日本及日本人』に寄稿した。そして、このことが縁となって、玄洋社を主宰する右翼の頭山満と知り合う。頭山満の玄洋社思想と、大連で活躍する金子雪斎のアジア思想は、中野を支えて行く事になる。

1920年(大正9年)の総選挙で当選する。以後、8回当選。

東條英機首相が独裁色を強めるとこれに激しく反発するようになる。1942年(昭和17年)に大政翼賛会を権力強化に反対するために脱会している。同年の翼賛選挙に際しても、自ら非推薦候補を選び、東条首相に反抗した。東方会は候補者46人中、中野のほか、本領信治郎(早大教授)、三田村武夫たち7人だけであった。それでも翼賛政治会に入ることを頑強に拒み、最終的には星野直樹の説得でようやく政治会に入ることを了承した。

そして、同年11月10日、早稲田大学大隈講堂において、「天下一人を以て興る」という演題で2時間半にわたり東條を弾劾する大演説を行った。

「天下一人を以て興る」と題した演説の締めくくり部分を紹介する。

混迷を極める政治、我が国を取り巻く環境、また国内における問題、これら全てにおいて何一つとして進展が見られない状況を鑑み、その中でも何かを興さなければならないと危機感を抱く憂国の志ある方々には心に留めて欲しいと願う。



「天下一人を以て興る」 

政治が面白くないから俺は黙っていようと言うのは、滔滔たる衆愚のことである。
諸君は大学生ではないか。
一念殉国の誠を尽くそうではないか。・・・
天下悉く眠って居るなら諸君起きようではないか。
この切迫せる世の中に、眠って居るのもうすら眠りであろう。
諸君が起ちて直ちに暁鐘を撞けば、皆醒めることは必定である。
天下は迷わんとする。
言論のみでは勢いを制することはできぬ。
誰か真剣に起ち上がると、天下はその一人に率いられる。
諸君皆起てば諸君は日本の生気を分担するのである。・・・
日本の巨舶は怒涛の中に漂っている。
便乗主義者を満載して居っては危険である。

諸君は自己に醒めよ。
天下一人を以て興れ。





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「幕末の風雲児・高杉晋作」

2012-11-20 08:07:43 | 日本

慶応三年(1867年)4月14日に長州藩士・高杉晋作は死去した。享年29歳。
その人生は「おもしろきこともない」どころか波瀾に満ちている。

18歳で吉田松陰門下となり、文久二年(1862年)藩命により幕府使節随行員として長崎から上海へ渡航。翌年6月には士農工商の身分制度に拠らない志願兵の「奇兵隊」を創設する。
その後脱藩して投獄されたり、攘夷の報復攻撃である四ヶ国連合艦隊の下関攻撃に際しては和議交渉の全権を託され、諸外国の彦島租借要求を拒絶したりと人生の変転が目まぐるしい。
元治元年(1864年)12月15日、長府の功山寺(現・下関市)で挙兵して長州藩を勤皇に統一。この行動が明治維新に向けての引き鉄となる。
慶応二年(1866年)6月の第二次長州征伐では、小倉口総督として逆に小倉藩領に攻め込む。そして幕府軍を破るも、病魔に倒れるのである。

彼の晩年の行動原理は、どのようにして形成されたのか?
それは、野山獄における獄中生活にある。新作は功山寺で決起する半年前の元治元年3月、野山獄に投ぜられていた。

彼が残した『獄中手記』について書かれた文章があったので記す。

元治元年(1864)3月29日、城下の野山獄に投じられた。
この日から筆を起こしたのが『獄中手記』であり、6月21日に自宅座敷牢に移ったところで筆をおく。周囲から誤解されて罪をえたと感じていた晋作は、せめて自分の子孫だけには、その志を知ってもらいたいと願い、手記を著す。妻の胎内には、この年10月に生まれることになる子供がいた。

投獄初日に晋作は「先生を慕うてようやく野山獄」と詠む。
吉田松陰の志を継ごうとする、素直な感慨だ。松陰もかって二度ばかり、野山獄に投じられたことがあった。
それから晋作は、読書と詩作に明け暮れた。読書は1日20から90葉(ページ)、詩歌は1~2作だった。

4月3日の条では「人世沈浮不敢休」云々といった漢詩の後に、「余かつて支那に遊ぶ。今を去るすでに三年、昨日の鳳翼今変じて籠中の鳥となる。諺に曰く、人間万事塞翁の馬、真なるかな」ともらす。
かつてはエリートとして上海を視察した自分が、いまは囚人となっている非運を嘆き、災い転じて福となって欲しいと願うのだ。

4月11日の条では、松陰に思いを馳せ、次の漢詩を作る。
偸生決死任時宜 不患世人論是非  甞在先師寄我語 回頭追思涙空垂
死と直面した晋作は、「回(松陰)先生、江戸獄にあり、予に書を寄せて曰く、死生は度外におくべし、高節天祥の如きといえども、生を偸むべくんば則ち生を偸む云々」といった、かつて松陰から教えられた死生観を思い出さずにはいられない。

5月20日の条には、杉伯教(松陰の家兄梅太郎、民治)の求めにより、松陰の文稿を閲校している様子が「隨って誌し、隨って録す。一日の間、謄写その半ばを居る」と記されている。

5月25日に晋作が獄中から杉にあてた手紙にも「先ず一応全集相整えべきと相考え候」とあり、かねてから気にかかっていた松陰全集の編纂に取り組んでいた様子がうかがえる。
生前、松陰は「著書を出版し、不朽にしてくれれば、万行の仏事に優る」(『杉民治伝』)と述べたという。だから晋作の仕事は一万回の法要を催すよりも重要な意味を持っていたのだ。

6月1日には「幽室記」と題した長い文章を書く。
生死を度外に置くという松陰の言を思い出したりしながら、「余、先師(松陰)に地下に誓い、翻然として心を改む。早起して室を拂い、虚心黙語、従容として以って命の終るを待つ」と、気を引き締める。獄中の晋作は精神的に不安定な時も多く、読書したり詩文を書くことで、なんとか心を落ち着かせていたのだ。

6月7日には「真の未定稿、他日の削刷を待つ」とし、七千字近い長文を書く。
ここでは来島の説得に失敗した末に、上方に向かった事情等が詳しく述べられており、反省はしつつも「然れども直言直行傍如無人、身命を軽んずるの気魄有ればこそ、国の為深謀遠慮の忠も尽くさるべし」と、みずからの信念を述べている。

やがて父、小忠太が周旋した甲斐あり、晋作は6月21日に獄を出て城下菊屋横丁の自宅の座敷牢に移る。「
家翁欣喜出迎我」、喜んで自分を迎えてくれる父の姿を見て、晋作は涙がとまらなかった。

日記は一応ここで終わり、8月3日に自宅で書いた短い跋文をもって『獄中手記』は終わる。




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「混合診療 日本が禁止する本当の理由」

2012-11-19 08:05:33 | 日本

『官僚国家vsがん患者 患者本位の医療制度を求めて』
(清郷伸人著、蕗書房、1429円・税別)

著者、清郷伸人氏のインタビュー記事があった。
以下、要約する。



清郷伸人さんは、腎臓にがんが見つかり、その後転移して、抗がん剤は効かないし手術は危険、治すのが非常に難しいと主治医に宣告された。しかし、転移の進んだ難しいがんから見事に立ち直る。いまでは闘病生活から離れて生き生きとした生活を送っている。

清郷さんに“奇跡”を起こしたのは混合診療と呼ばれるものだ。簡単に言えば、保険の利く治療は保険治療を行い、保険の適用外の高度治療は全額患者負担で行う診療方法である。

とても合理的な方法と思えるが、いまの日本では認められていない。保険診療と同じ医療機関で保険適用外の治療を受けると健康保険を取り消され、保険が利く治療が含まれていても全額自己負担になる。

その理由はこのあとのインタビュー記事で詳しく触れているので繰り返さないが、一言で言えば医師会と厚生労働省の既得権益を守りたいがためである。患者のためと言いながら、実は患者のことは後回しになってしまっている。

混合診療を入れたくない最大の理由は、保険と非保険治療を組み合わせて最も効果の高い治療方法を工夫した医師に患者が集まり、そうでない医師が困ってしまうということだろう。しかし、競争のない世界には成長もない。

もちろん日本の健康保険制度は素晴らしい。しかし、どんなに素晴らしい制度も必ず制度疲労を起こすことは歴史の教訓である。少子高齢化が進み、国民の医療費負担は日本が抱える最大のテーマと言っていい。

ここで、日本は世界最先端の医療システムを構築できるのか、あるいは旧来のシステムのまま疲弊していくかは、医療界のみならず日本全体の大問題でもある。




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大宇宙と小宇宙の大真理」

2012-11-18 07:06:27 | 日本

「大宇宙と小宇宙の大真理」これを神という。


マクロの大銀河。それよりも、さらに大きく、広く、深く、果てしない大宇宙。
だが、そこには秩序整然とした大宇宙の法則・大宇宙の大真理が流れている。

ミクロの世界。人間は小宇宙とも言われるが、分子、原子、電子、素粒子、原子核、・・・。
これまたミクロの世界が無限大に広がっている。
ここにもまた、秩序整然とした小宇宙の法則・小宇宙の大真理が流れている。
そして人間はその集合体により生かされている。意識はしていないが、自然なる力により生かされている。
人間は「大宇宙と小宇宙の大真理」の真っ只中で、五感・六感をとうして観、感じ、生きて、生かされている。それがわが輩自身であり、皆さん自身でもある。


さて、谷口雅春先生は、われをとうして顕われている、この「大宇宙と小宇宙の大真理」を詞に顕わしてみえる。以下紹介する。
心を静かにして読んでみよう。
そこからは、不可思議なる大真理が感じられる。



『宇宙荘厳の歌』  作詞:谷口雅春

     
荘厳きわまりなき自然 悠久きわまりなき宇宙
立ちて仰げばあおぞらに 銀河流れて星無限

神の叡智はきわみなし 神の力は限りなし
星と星との空間を 引く糸もなく引く不思議

不可思議不可知科学者も なにゆえ万有引力が
あるかを知らずただ神秘 万有むすぶは神の愛

ああ神の愛神の愛 宇宙にみちて万有を
むすびあわせて荘厳の 宇宙いまここ顕現す

もし愛なくば荘厳の 宇宙げんぜず美しき
人と人との睦まじき むすびの世界あらわれず

われら命の本源を 神にみいだし神の子の
愛のいのちを生きんかな 神のいのちを生きんかな



『使命行進曲』  作詞:谷口雅春


人間 何の目的ぞ 人生 何の意義ありや
その目的を知らずして 人と生まれて甲斐ありや
人と生まれて甲斐ありや

人は命を神にうけ 神の最高実現と
此の世に生まれ使命うく 使命果たさず甲斐ありや
使命果たさず甲斐ありや

愛行こそは我が使命 神は愛なりただ与う
神のみ跡をまなびつつ われ愛行にいそしまん
われ愛行にいそしまん

使命に生くる者のみが 知るよろこびを我れ生きて
生命きたえていざ起たん 魂浄めいざ行かん
魂浄めいざ行かん





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「今日本に恐ろしいことが起こっている!」

2012-11-17 08:00:46 | 日本

増田俊男さんは言う。


前原誠司経済相が前回(10月5日)の日銀金融政策決定会合に出席したのは小泉内閣時(2003年4月)竹中平蔵経済相が出席して以来9年半ぶりである。言うまでもなく日銀に対する政府の金融緩和圧力である。


金融緩和推進論の根拠は、金融緩和で銀行の企業や個人への貸出しを増やし消費を伸ばし、企業の設備投資を促進させ、景気を押し上げ、緩和による円安で輸出も伸ばそうと言う主張である。これこそが正にアメリカ仕込みのプロパガンダ(世論操作)である。日本の銀行も企業も、いわんや個人もカネ余り状態が20年間も続いていて資金需要は無いも同然である。白川総裁が言う通り「今まで日銀は金融緩和のフロントに立ってきた」が物価は落ち続け、企業は低成長で、所得も減り続けデフレのままである。問題は金融緩和ではなく財政健全化にある。今回(10月30日)の決定会合で資産買入基金(2010年10月設立)に11兆円を上乗せして緩和資金総額を91兆円にしたが緩和決定直後逆に円高に振れたのを見ても分かる通り金融緩和推進はFRBのためになっても日本の経済の為にはならない。FRBとはアメリカのニューヨーク連邦準備銀行を中心とした合計12地区の中央銀行、連銀群の総体であり、その主要株主はロスチャイルド銀行系、イスラエル系シフ銀行、ウォーバーグ銀行、クーン・ロープ銀行、ゴールドマン・サックス等総てユダヤ系資本集団で構成されアメリカ政府は1株も保有していない。ちなみに日銀(ジャスダック上場)は45%がFRBと同じ株主で55%は大蔵大臣名(日本政府)の所有になっている。


かつての竹中大臣や今日の前原大臣の主張を見ても分かる通り、FRBはすでに日本政府(55%株主)は洗脳済みだから、今盛んに政府と経済界、金融界から日銀に金融緩和圧力を掛けさせている。日銀は「銀行券ルール」なる「通貨発行残高以上に国債を保有しない」という自主規制ルールを守っている。内外の金融緩和圧力に屈して、言わば「逃げ道」として、売ることを前提にした債権買入基金を作り、売ることを前提にしない日銀と一線を画した形をとっている。もし米国債がFRBに買い占められているように日銀に国債が無制限に買われれば、丁度アメリカ経済がFRBに支配されているように、日本経済も日銀に支配され、結局FRBに支配されることになる。歴代の日本政府(財務・金融)がFRBの代理人同様になっている中で「日銀の中立」を唯一の盾に日本経済の独立のために戦ってきたのが「悪名高き」従来の日銀であった。


日本がFRB(ユダヤ資本)に占領されようとしている危機の崖っぷちにある日本を知らねばならない。




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「我が国の政治理念」

2012-11-16 08:07:37 | 日本

国士、西村真悟さんが「我が国の政治理念」について、論文をだした。
以下、要約する。



日本人は情の民族である。
では、我が国の政治に於ける情とは何か。 それは祖国への愛である。
祖国への憧憬であり、祖国の歴史と伝統との一体感である。


私はいま、中華人民共和国や朝鮮人民共和国やアメリカ合衆国と共通のことを論じているのではない。我が国に於ける理念を「マルクスレーニン主義、毛沢東思想、小平理論及び三つの代表の重要思想に導かれて」(中華人民共和国憲法前文)や「人民民主独裁を堅持し」(北朝鮮)や「自由と平等」(アメリカ)と同じように論じては誤りである。これらは、彼等の「歴史性のない」いわゆる理念である。


彼等の理念が、普遍的だと思ってはならない。
二十世紀の人類の蒙った惨害は、彼等の理念、例えばマルクスレーニン主義や毛沢東思想が普遍的と錯覚したことから始まった。そして、彼等の理念は今も彼等の国民に重大な悲劇をもたらしている。


またアメリカやフランスやヨーロッパ諸国の、「自由と平等」が普遍的だという論者もいるだろう。しかし、彼等にはそれを普遍的という資格はないのだ。何故なら、彼等はこの理念を掲げながら、インディアンを初めとする多くの先住民を動物のように殺戮して滅ぼし、二十世紀に我が国がそれを打ち破るまで、アジア・アフリカの住民に自由と平等を与えない植民地搾取を長年にわたって当然としてきたからである。


我らの理念は「歴史と密接不可分」であることを深く自覚せねばならない。歴史と密接不可分とは、日本の個性と不可分ということである。即ち、我が国の国體と不可分ということである。


従って、我々日本人は、堂々と「我が国の個性に基づく情と一体となった理念」を自覚し確認するべきである。
すなわち、我が国において「理念が一致する」とは、我が国への愛、我が国への憧憬、我が国の歴史と伝統との一体感、即ち万世一系の天皇を戴く我が国の国體に対する尊崇の念に於ける一致に他ならない。


政治家諸子よ、よくよく胆に銘ずべきである。





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