龍の声

龍の声は、天の声

「宇宙にたった1つの神様の仕組み ①」

2013-04-30 09:00:05 | 日本

飯島秀行著「宇宙にたった1つの神様の仕組み」1800円には、とてつもない凄いことが書いてある。諸君も是非、購入され拝読されたし。

飯島さんのプロフィールには、必ず「1993年に、真理伝達者に出会ったことがきっかけ」という一文が出てくる。現代の科学者の中では、飯島さんと同じようなことを真似出来る人は皆無である。それほど偉人である、その飯島さんが「真理伝達者」として教えをいただき、尊敬されている人物がいる。それは一体誰だろうか?

以下、まとめたものを3回にわたり記す。



◎発酵とは宇宙の物質すべてのことを示している。何故なら、発酵とは生命である空を呼び込んで物質を作り出す仕組みだからである。発酵という言葉を聞くと、農業の堆肥のイメージが強いと思うが、堆肥作りだけが発酵ではない。物質を変化させたり、維持したりするのも全て発酵した結果である。
今、世間を騒がせている放射性セシウムも発酵させると簡単に変化する。放射性物質だけではなく重金属、ダイオキシンなども発酵させることで大きな変化が得られる。
発酵の条件としては、有機物と無機物が必要である。つまりプラス系とマイナス系が条件になる。プラス系とマイナス系の物質を混ぜ、その場に圧をかけると、宇宙力はそのギャップを中性に戻すために、空気をそのギャップを持っている物質に送り込む。生きている空が物質に融合しない限り、その物質は変化しない。一度の発酵で満足のいく結果が得られなければ、何度か発酵を繰り返しているうちに満足する結果が得られる。
人間の行動そのものも一種の発酵である。「このものを使ってこうしてみよう」と思う。このものとは物質にあたる。その物質にこうしてみようという圧がかかると人は動くものへと変化する。「こうしてみよう」と圧がかからなければ空を呼び込むことはできず、動くものにはならない。自身の意識した圧の分だけ空を呼び込み、意識した通りに動いているのに過ぎないのである。人間は自分自身で動いているのではなく、自分自身がかけたギャップという意識圧の分だけ生命である空を取り入れて動いているにすぎない。肉体自らは「無」であって、生命である空が肉体を通して動いているに過ぎないのである。自分の本質は自分自身の肉体ではなく、この肉体を動かしている生命そのものが真の自分なのだという、全我の自覚精神での意識圧をかければ、具現力、結果は大幅に変化する。個人の意識圧には、成功と失敗がついてくるが、全我の意識圧では絶対なる善しか現れてこない。意識の持ち方で、大きく変化するということである。


◎発酵の原理とは、結合と融合である。
Aと言う物質をかき混ぜると、ABと言う物質に結合する。ABと言う物質を枠に入れて、何らかの圧力をかけ続けると、Cと言う物質に変化する。融合である。これを発酵とも言いう。発酵とは宇宙法則そのものなのである。
ダイコンを糠床に入れて、上に蓋をして石を載せ、圧をかけ続けると、タクアンとして変化する。エネルギーがダイコンをタクアンに変化させたのである。空気というエネルギーは、常温常圧より高い方に変化する。ダイコンを漬けるのに、石炭や石油を使うか?エネルギー開発という言葉があるが、空気を開発出来るものなか?出来ないと思う。空気は開発するものではなく、呼び込むものである。エネルギーは開発するものではなく、空気を呼び込むものなのである。同じ意味である。
では、エネルギー不足という事があると思うか?空気は無限のエネルギーだ。幾ら使っても減る事のない生命なのである。エネルギー不足とは「思考力不足」、つまり意識が低いという事である。
このエネルギー(空気、もしくは電子)を呼び込むサイクルが「吸引サイクル」であり、反対にエネルギーを抜けるのが「放出サイクル」となる。

発酵は「吸引サイクル」であり、腐敗は「放出サイクル」で、物質を発酵させるためには「圧をかけて常温常圧より高くする」ことが重要となる。つまり、ある物質の温度や圧力を、その物質を取り巻く物質や空間よりも高めると、その物質にエネルギーが呼び込まれて良いものへと変化する。




「最大の努力をして小さな成果を得る」

2013-04-29 08:35:30 | 日本

菅家一比古さんから、言霊の華「最大の努力をして小さな成果を得る」送られてきた。
いつもながら素晴らしい。
以下、要約し記す。



成功とは取り組んでいる仕事や物事が、今もなお存続していることだと思う。

数百年も続く三井や住友を築いた創業者たちは、独自の教育を確立しイズムや商法を通して「徳積み経営」を行い、深くて広い豊かな福田(ふくでん)を後世に残し続けた。

それによって今日も社員やその家族、お客様や社会までその恩恵を蒙っている。人から人へ創業精神や魂は受け継がれ、見事に人材(財)が育って行(生)き続ける。

昔より人材(財)の三井、人材(財)の住友と言われている。徳積み、福田づくりは我利我欲、自己中心からは決して生まれない。「腹七分目の幸せ」観を確立し、求め過ぎないこと。残り三分を徳積みと福田という霊的預金に回すこと。あるいは他者に回すこと。

これを幸田露伴は「借福(せきふく)」と言った。こうなると福田や徳田は大きくなるばかりである。イエローハット創業者、鍵山秀三郎先生は「最大の努力をして、小さな成果を得よう」と仰った。なかなか言えることではない。しかしそのことが大きな財産となり、霊的預金となって宇宙銀行に累積されていき、それが信用となって、いくらでも無限を宇宙銀行から引き出せるようになるのである。

美し国が拡大発展し存続し続けるのも、日本が発展し存続し続けるのも、全く同じことだと言える。日本の場合、天皇陛下の宮中祭祀の連続性の恩恵によって実に赦(ゆる)され、生かされていることを肝に銘じるべきである。





「現行憲法の前文と国民の憲法要綱の前文との違い」

2013-04-28 07:49:48 | 日本

◎日本国憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(1946年11月3日公布)




◎国民の憲法要綱の前文

日本国は先人から受け継いだ悠久の歴史をもち、天皇を国のもといとする立憲国家である。
日本国民は建国以来、天皇を国民統合のよりどころとし、専断を排して衆議を重んじ、尊厳ある近代国家を形成した。山紫水明の美しい国土と自然に恵まれ、海洋国家として独自の日本文明を築いた。よもの海をはらからと願い、和をもって貴しとする精神と、国難に赴く雄々しさをはぐくんできた。

日本国民は多様な価値観を認め、進取の気性と異文化との協和によって固有の伝統文化を生み出してきた。先の大戦による荒廃から復興し、幾多の自然災害をしなやかな精神で超克した。国際社会の中に枢要な地位を占め、国際規範を尊重し、協調して重要な役割を果たす覚悟を有する。

日本国は自由主義、民主主義に立脚して、基本的人権を尊重し、議会制民主主義のうえに国民の福祉を増進し、活力ある公正な社会を実現する。国家の目標として独立自存の道義国家を目指す。人種平等を重んじ、民族の共存共栄をはかり、国際社会の安全と繁栄に積極的に貢献する。

われら日本国民は、恒久平和を希求しつつ、国の主権、独立、名誉を守ることを決意する。これら崇高な理想と誇りをもって、ここに憲法を制定する。



◎国民の憲法の前文説明と現行憲法の前文との違い


「国民の憲法」前文は、日本の伝統文化を基礎に「国のかたち」を簡潔に示すことを心がけた。国民主権や基本的人権を尊重し、議会制民主主義を堅持することはいうまでもない。

起草委員会はまず、現行憲法の前文が米国憲法やリンカーン米大統領演説など「外来歴史的文書のつぎはぎ」であることを問題視した。とくに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との一節は、自らの生存を他国にゆだねる悪文と判断した。そこには当時の占領軍が、二度と米国に刃向かわない国家にしようとした意思が刻まれていた。
               
そこで現行憲法前文を白紙に戻し、日本の国柄を意識しながら全面的に書き直した。初めに日本の伝統的な価値観と、新しい価値観との融合を討議した。独自の伝統文化としては、国の統一と永続性の象徴である天皇を「国の基(もとい)」と表現し、日本が立憲君主国家であることを定義した。

四方を海に囲まれた海洋国家としてのありようは、聖徳太子の十七条憲法や明治天皇の御製を織り込んで、和の精神と雄々しさを表した。とくに、戦後の復興や東日本大震災後に示した日本人の高い道徳性を踏まえ、道義立国という概念を提起している。

その結果、尊厳ある国家の目標として「独立自存の道義国家」を掲げ、国際協調によって積極的に平和に貢献することを誓っている。同時に国の主権、独立、名誉が損なわれる場合には、断固たる対処も辞さない覚悟を示した。

起草委員の問題意識には、国家論なき憲法はありえないとの思いがあった。従来の「憲法は国家権力を制約する」との一面的な憲法観を排除し、国民が参加して自由に議論すべきことを提起している。




「国民の憲法」

2013-04-27 08:48:14 | 日本

4月26日「国民の憲法」要綱発表シンポジュウムがイイノホールで超満員の中、開催された。わが輩も、このシンポに参加した。「時世の勢いもいよいよか~!との感を強く持った。自立ある国創り!国民の総力を結集し実現しよう。
以下、産経新聞の「国民の憲法の特徴」を記す。



産経新聞は創刊80周年と「正論」40周年の記念事業として進めてきた「国民の憲法」要綱をまとめ26日、発表した。わが国にふさわしい「新憲法」として国柄を明記、前文で国づくりの目標を「独立自存の道義国家」と掲げた。平和を維持する国防の軍保持や「国を守る義務」、緊急事態条項を新たに設けた。「国難」に対応できない現行憲法の致命的欠陥を踏まえ「国民の憲法」要綱は危機に対処でき「国家の羅針盤」となるよう目指した。

「国民の憲法」要綱は昨年3月からの起草委員会の27回に及ぶ議論を経てまとめた。国家や憲法とは何かなどから議論は始まり、現行憲法の不備を正しつつ堅持すべき事柄も精査した。

「国民の憲法」要綱は、前文のあと「天皇」「国の構成」「国防」と続き、12章117条で構成する。


「国民の憲法の特徴」

①日本は立憲君主国と国柄を明記
②前文で独立自存の道義国家を謳う
③天皇は元首で国の永続性の象徴
④皇位継承は男系子孫に限る
⑤領土、主権、国旗・国歌を規定
⑥国の安全、独立を守る軍を保持
⑦国家の緊急事態条項を新設
⑧家族の尊重規定を新設
⑨国民は国を守る義務を負う
⑩参議院を特色ある良識の府に
⑪地方自治体に国との協力を明記
⑫憲法裁判を迅速化させる


まず、わが国が天皇を戴(いただ)く立憲君主国という国柄を第1条で定めた。現在の「国民統合の象徴」に加えて天皇は「国の永続性の象徴」でもあるとした。たびたび議論があった天皇の法的地位も国の代表者である「元首」と明記。皇位も「皇統に属する男系の子孫」が継承するとした。

前文ではわが国の文化、文明の独自性や国際協調を通じて重要な役割を果たす覚悟などを盛り込んだ。連合国軍総司令部(GHQ)の「押しつけ」とされる現行憲法で、特に前文は「翻訳調の悪文」「非現実的な内容」「日本の国柄を反映していない」といった批判があった。憲法は国民に大局的指針を示す格調ある法典でもあるべきだとして、全面的に見直した。

「国民」「領土」「主権」や国旗・国歌について第二章「国の構成」で新たに規定した。国民主権を堅持し、国家に主権があることも明確にした。主権や独立などが脅かされた場合の国の責務も明らかにした。

現行憲法で「戦争の放棄」だった章は第三章「国防」と改めた。国際平和を希求し、紛争の平和的解決に努めつつも、独立や安全確保、国民の保護と国際平和に積極貢献できるよう軍保持を明記。国家の緊急事態条項では、不測の事態下での私権制限が可能とした。

国民の権利、義務の章では、家族の尊重規定や国を守る義務を新設。権利と義務の均衡を図りつつ環境権や人格権など新しい権利を積極的に取り入れた。

国会では参議院を「特色ある良識の府」にすべく諸改革を提言。内閣では首相の指導力を強化するよう条文を見直した。憲法判断が迅速化するよう最高裁判所への専門部署の設置を提言したほか、地方自治の章では、地域に主権があるかのような主張を否定した。

要綱の提言を通じ本紙は国民の憲法改正への論議が豊かで実りあるものとなるよう期待している。


◎起草委員会の顔ぶれ

 委員長 ・田久保忠衛(たくぼ・ただえ)杏林大学名誉教授
 委 員 ・佐瀬昌盛(させ・まさもり) 防衛大学校名誉教授
     ・西修(にし・おさむ)    駒沢大学名誉教授
     ・大原康男(おおはら・やすお)国学院大学大学院客員教授
     ・百地章(ももち・あきら)  日本大学教授





「人間成長の証 嫉妬が消える」

2013-04-26 09:17:51 | 日本

菅家一比古さんから、「言霊の華」が届いた。
素晴らしいので、紹介する。



人間の根幹が出来る幼少年期に、褒められ祝福されながら躾(しつけ)られてきた子と、そうでない子とでは、大人になってから大きな差が生じる。

コンプレックス等は他人や他家と比較したりされたり、価値判断したりされたり、恩着せがましく言われたりされたりと、原因は複雑に絡んでいる。

子どもたちは心に傷を受け、愛に飢え乾く。これが嫉妬心の火種となって心に棲みつき、時々頭をもたげる。嫉妬心の強い人は、どんなにか辛く苦しい人生を生きなければならないか。

実はこう言っている私もコンプレックスと嫉妬心の強い男だった。それが禊(みそぎ)や神事(お山登拜も含む)合宿セミナー等で、いつの間にやらこの緑色の目をした化け物(シェークスピアのことば)が消えてしまった。

忙しくて意識したりクヨクヨ逡巡(しゅんじゅん)している暇がないということもあるが、明らかに心に変化が起きたことは言うまでもない。

私は生涯に亘って至らなく未熟そのもの、永遠なる学習者であると考えている。謙虚に他者を認め、積極的に学ぼうと思っている。全てが生命(いのち)の片割れであり、身(霊・ミ)内であるから、他者をいっぱい祝福すれば自分を祝福することに繋がるのだということ。やはり霊魂(みたま)が啓(ひら)けば全宇宙、全生命と一体なのだと判ってくる。

しかしそうは言っても、緑の目をした化け物である「愛」の嫉妬は中々手強いものがある。私は今までそのようなとき、一心に天に祈りその後「全託」した。思い患うことを停止するのだ。手放すのだ。そうしたらあれほど苦しかった思いが嘘のように遠ざかって行ってしまう。




「石井常立翁とNPO法人ゆうわ会創出の流れ」

2013-04-25 07:34:05 | 日本

日本の歴史の中には、表には中々出てこなくとも、桁外れに、どでかい人物が沢山いる。その1人が「石井常立翁」である。明治、大正、昭和への激動期に大活躍された。剣の達人にして神職にある。

この石井常立翁は、わが国が大東亜戦争へ突入せんとする国家存亡の時の活躍がめざましい。すなわち日米開戦ともなれば、一極集中、総力を挙げて米国と戦わなければ勝算はない。そこで石井翁は、民間人ながら後顧の憂いを無くすべく、支那との和平交渉に体を張ってすすめた。そして見事に支那の蒋介石政権からの和平案を取り付けた。それを東條英機陸相に提出し、東條と大激論を闘わせた。だが戦機の勢い止まらず、その命懸けの努力も空しく水泡に帰す。結果わが国は、持てる力を分散して、背後に支那との戦いを進める中、正面には米国との太平洋戦争へと突入していった。その結果が、昭和20年8月15日を迎えることとなる。
石井翁の先見の明、実行力、大力量、いずれも桁外れの人物であったことが窺える。

そのような誠心を持って国事に奔走する石井翁の人物に関して、頭山満翁でさえ、一目も二目もおいていた。また当時の有力者らは、戦況いちじるしく悪化するドサクサの中で、私財を増やすために動いた児玉や笹川などとは、人物の桁が違うと石井翁を高く評した。

戦後は、焦土と化した日本の復興に向け身骨を注ぐ。伊豆山神社に奉職。(宗)神道日心協会第四代教主に就任。また石井翁を軸として祭政会を、検事総長を始めとし学者、学識経験者、検察や警察の有力OB等々で組織化されている中で、石井翁の最後の直弟子である渡辺信一を祭政会の理事長として任命された。後に渡辺はNPO法人 ゆうわ会「全国青少年健全育成協会」の名付け親として神谷検事総長より授かり設立、特に渡辺は武道を通し日本の近未来を担う青少年達に道徳的礼節の基に、力強く何事にも屈する事なく、人の為、社会の為、そして人に必要とされる精神的高揚として政治、行政、警察等々の下支えとなれる人格形成として様々な社会的貢献に尽力を尽くされ今日に至っている。

石井常立翁が、祖国日本を護る不屈の魂を如何にして磨かれたのか?それは、幻の書  石井常立著「『剣と笏』~祖国奉護に生きる明治人石井翁の歩み~展転社(定価1600円」」に書かれてある。是非、拝読いただきたい。


    
昭和20年終戦時 石井常立翁 43歳  




神道日心教会第四代教主 石井常立翁   




上段左端 渡辺信一会長 その隣石井常立翁


  
◎石井常立(いしいつねたち:本名、常吉)の履歴

・明治35年(1902年)1月27日、熱海市生まれ。
・大正7年、単身上京し鳶職に就く。
・同13年、土木建築請負業の石井組創立。
・昭和2年、建国会に入会。
永田東京市長、山川東大総長、荒木参謀総長、平沼騏一郎枢密顧問、頭山満等々の呼びかけによる。
・同6年、勤皇維新同盟結成。数々の労働争議を解決し全国に名を馳せる。
・満州では国策会社「義合祥」常務に就任。
石原莞爾中将、板垣征四郎大将、松井七夫中将、甘粕正彦、伊達順之助、等々、名だたる人脈を構築し縦横無尽の活躍。
・同12年、松井石根大将の内命で上海の軍用道路地図作成等に従事。
・同14年、中国との平和交渉を東條陸相に談判。
・同19年、神道教師の免許取得。
・同22年、土木建築の「義合祥」専務就任。横田・厚木基地等の改修復興工事を指揮。
・同47年、伊豆山神社に奉職。
・同50年、(宗)神道日心教会第四代教主に就任。
・「NPO法人ゆうわ会」を設立。
・白寿の中にこの世を逝る。



「木内鶴彦という人物とは、②」

2013-04-24 08:28:53 | 日本

木内鶴彦、22歳の時の臨死体験の話を以下に記す。


まず、死ぬ時は、心臓の鼓動が、ドックン、ドックン、ドックン、ドックンと脈打っていたのが、急に、ドッ…、トッというかんじで、ピタリと止まるのが、わかった。さらに、呼吸も、スー、ハー、スー、ハー、スー、ハー、スー、ハーと呼吸していたのが、急に、スー、スッ という感じで息が吸えなくなり、文字通り「息を引きとる」のが、わかった。そして、その瞬間は、まったく苦しくなかった。

肉体が、死んでいるのに霊体は、自分の死体を眺めることができた。
さらに、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚などの五感が、霊体でもハッキリあったことに、驚いた。さらに、遺族の身体の中に、入りこんだりすることもできた。
霊体では、「あそこに行きたい!」と思った瞬間に、その場所に、テレポートすることができた。

死後の世界では、真っ暗な洞窟や光の世界、三途の川、それから、すでに、亡くなっていた従兄弟や伯母さんにも会った。

霊体の時、時間と空間に、束縛されすに、自由にどこにでも行けたので、好奇心のおもむくままに、いろいろな時代や場所に行った。

その時代の人の肉体に、いわゆる憑依のようなかたちで、入りこみ、いろいろなことを、やったり、見たり、聞いたりした。いろいろな時代にテレポートして、その時代の人の肉体を借りて、有名な神社や遺跡に証拠として、自分にしかわからない文字などを残した。そして、臨死体験体験から戻ってきた時に、それを実際に確かめに行ったら、本当に、その証拠が残っていた。

たとえば、日本のある神社の柱や巻物に、自分の名前の「鶴」という文字を残してきたが、現世でその神社を訪ねて、神主さんに事情を話したら、「そうでしたか?これで、ようやく謎が解けました。私たちも、どうしてこの時代に、突然、鶴という漢字がでてきたのか、ずっと、不思議に思っていたのです。」と言われた。
他にも、自分の子供の頃に会いにいって、自分を助けたり、いろいろなこともやった。

宇宙の始まりや太陽系の始まりも見てきた。
宇宙というのは、「ひずみ」から始まった。当初、「膨大な意識」というものから、「ひずみ」が生まれ、そこから宇宙が始まった。有名な「ビッグバン」は、そのあとだった。
最初の元素が水素で、それからヘリウムやリチウムなど、いろいろな元素ができ、太陽系ができたり、地球ができたりした。その過程もぜんぶ見てきた。

地球での生命体の始まりは、まずは、「藻」のようなものから始まった。これが、ミトコンドリアの祖先のようなもので、その後、ミトコンドリアがたくさんの地球上の生命体に入りこみ、いろいろな体験を始めた。心というのは、脳にあるのではない。脳は、電算処理を行うコンピューターのような場所で、情報を解析したり分析するだけである。
実際に物事を考え、私たちが、「心」だと思っているのは、「ミトコンドリア」の意識である。また、進化というものは、ゆっくり起こるのではなく突然変異で、ある日、急に起こる。そして、その突然変異の進化は、やはり「ミトコンドリア」から始まる。

最初の地球には、月がなく、約1万五千年くらい前という比較的最近、巨大彗星として太陽系にやってきて、それから、いろいろな経緯で地球の衛星になった。その時の巨大彗星が、もっていた氷が溶けて、地球に水として降り注いだ現象が、聖書の中の「ノアの大洪水」である。その洪水で、大量の水により、地球の陸地の海岸線が、2000Mほど上がった。洪水以前の地球では、人々は現在よりも、2000 m低い場所で、おもに生活していた。だから寿命が、数百年もあった。現在の地球では、洪水以前の人々と比べると、2000 mも高い場所で生活している。寿命が短くなった根本の原因は、現代人の生活スタイルが、太古の昔に比べると一種の高山病のような状態だからである。

月が来る前の地球には、超古代文明があったが、おもに地下都市を建設して、人々は住んでいた。さらに、地上では、UFOのような乗り物に乗って、移動していた。地下都市を建設したのは、地上に都市を建設すると、植物たちを破壊するからやめようと判断したからである。

現在、私たちが、金星人だとか火星人だと呼んでいる太陽系内の宇宙人は、ノアの大洪水の時に、地球からUFOで避難した人たちもいた。もともとは地球人だった宇宙人も、たくさんいる。

地球の傍に月が来てから、人々の心に「不安」が生まれた。それまでの地球には、不安というものはなかった。不安の大きな要因に、月からの引力がある。

臨死体験で体外離脱して、気がついたが、いわゆる「生まれ変わり」といわれている現象は、スピリチュアルな世界で言われている現象とは、ちょっと違っていた。
いわゆる、新しい肉体に霊体が入り込む時は「個性」というような人格はなく、無色透明のような「まっさらな霊」のエネルギーで入り込むとのことだった。「個性」というのは、この「まっさらな霊」が、「遺伝子」と反応して生まれるというのを、知識ではなく、体験でわかった。個性というのは、主に、DNAのことである。また、今までに亡くなった全ての人が、自分の前世である。




「木内鶴彦という人物とは、①」

2013-04-23 08:08:40 | 日本

木内鶴彦(1954年生)は、長野県南佐久郡小海町出身の日本のコメットハンター(彗星捜索家)であるが、貴重な体験をしている人なので、以下、2回にわたり記す。



小学5年生の時に池谷・関彗星を見て以来、彗星に興味を持つ。学生時代には天文同好会に所属。卒業後も長野県臼田町にて天体観測を続ける。
臨死体験者としても有名。航空自衛隊にて運航管理者(ディスパッチャー)として勤務していた22歳のとき、当時としては大変珍しい上腸間膜動脈性十二指腸閉塞で一度死亡を確認されるも30分後蘇生した。死後蘇生したことが医師のカルテに記録されている例としては国内で唯一である。その経過は学会で報告され、本人側の記録も木内の著書として刊行されている。

回復後は、航空自衛隊を退官し、彗星捜索を再開する。コンピュータによる軌道計算と写真乾板による彗星探査が普通である中で、木内は電卓と大型双眼鏡での眼視によって、当時行方不明になっていたスウィフト・タットル彗星を再発見するほか彗星を3つ発見して、全世界から一躍注目をあびた。

臨死体験で見た「過去」においては、月は1万5000年程前に、地球に多量の水をもたらした彗星であり、その核が現在の月として地球の衛星となったのを見たとしており、地球の重力もそれ以前は増えた水の質量分弱かったと述べている。
また、太古の地球では水の性質が今と違っており、その太古の水の性質を再現する方法を考案したと述べ、その水を「太古の水」という名称で代理店を通じて販売している。この水はNMRで調べてみると、固有振動数が普通の水とはまるで違い、また原液を薄めて飲むと体にとても良く、末期癌などが完治した人もいると著書の中で述べているが、それを立証する実験結果や論文・研究データ、またそれに携わった研究者の実名等については一切言及されていない。

2008年7月、2003年に出願していた、太陽光を利用した炭素化炉システムの特許が日本をはじめ各国において認可された。2011年、年内完成を目指して実証試験炉を建設中である。炭素化炉は、巨大な反射鏡により太陽光を集光し、真空透明容器に入れられた廃棄物等に照射することで処理を行う。通常の物質は炭素・水素・ナフサなどに分解し、二酸化炭素や有害ガス等は発生しない。ダイオキシンや化学兵器、爆薬なども安全に処理することができ、理論上は核廃棄物も処理可能であるという。太陽光により処理するため、燃料費が不要であり、環境汚染の恐れがない、あらゆるものの処理が可能であることが最大の特徴である。また、生成される炭素・水素・ナフサは高純度であり、産業での利用が期待される。

2009年7月、皆既日食観測のため訪れた中国・杭州近くにて、胃からの大量出血による吐血と下血のために倒れた。その後、中国政府の援助もあり、約1カ月の入院ののち、日本への帰還を可能にした。その間、再びの臨死体験をした。 2010年になって、活動を再開している。





「太陽光で原発20基分の力」

2013-04-22 06:38:28 | 日本

新しい時代の夜明けに向かって、滝沢泰平さんが、「太陽光で原発20基分の力」について紹介している。
実に素晴らしいので要約して、以下に記す。



太陽光発電の常識を覆すような画期的な出来事が2012年の5月末にあった。それは、ドイツの太陽光発電所が世界一の発電量を生み出したことでる。その記録は、一時2200万kWにもなり、原発1基が約100万kWの発電量といわれているので、これは原発が約20基分というとんでもない量の発電量となる。

ただ、前述したように太陽光発電(家庭用)では原発1基に相当する電力量を出力するには、想像以上の大量の太陽光パネルが必要となり、それが20基分に相当するとなると、4,000万軒ほどの太陽光発電(家庭用)が必要となる。当然ながらドイツ国民全体でこういった発電実験をやったわけではなく、今回の驚異的な発電量を生み出した要因は、どうやら従来までの太陽光パネルとは違った技術を利用したからである。

まず「太陽光パネル」と耳にすると、恐らく多くの人々が想像するのは、一般的な家庭でも普及をしている形が平面型の四角い太陽光パネルだと思う。実は、このタイプの太陽光パネルは、太陽がパネルの真上に来た時にしか発電しないようであり、いくら一日中晴天の日であったとしても、斜めから入ってくる太陽光については発電しないので、実際に太陽光によって発電している時間は僅かしかない。
これは、2つの太陽光パネルを使った実験で証明されている。

1つには、一日中太陽の光が当る普通の太陽光パネルを並べ、もう1つの太陽光パネルには、そのパネルの周囲を囲むような筒を被せて太陽が真上に来た時にしか太陽の光が当らない状態を作り、双方の発電量を比較した。
その結果、両方の太陽光パネルの発電量は同じだった。

これが太陽光発電の電力量が少ない大きな要因でもあったが、一方で今回のドイツの太陽光発電で使われたのは、従来の太陽光パネルとは形が違い、太陽光を集める凹面型のレンズを使用したそうである。

凹面型のレンズといえば、それこそ虫眼鏡を使って黒い紙や、紙にマジックで黒く印をつけた場所に太陽の光を一点に集めて火を起こす実験などを子供の頃にやった方も多いと思うが、この凹面型のレンズによる太陽光発電とは、まさにあの原理と同じのようで、レンズによって効率よく太陽の光を集めて発電をさせることができる仕組みのようだ。

今回のドイツの太陽光発電が驚異的な発電量を生み出した秘訣は、この仕組みがあったからのようだが、実は、凹面型のレンズによる発電方法の大元となる技術を作ったのは日本人であり、さらに日本ではその技術はさらに進化した状態で研究が進められている。それは、太陽を追いかける凹面型のレンズ発電である。

太陽を追いかける技術は、すでに従来の四角い平面の太陽光パネルでも応用され始めているようだが、凹面型のレンズでも太陽を追いかけて太陽光を集めていくと、固定された凹面型のレンズ発電よりもさらに効率の良い発電ができる。

ドイツでは、固定されたタイプだったのにも関わらず原発20基分だったので、これが追いかけるタイプになると、その発電量は計り知れないものとなり、それこそ太陽光発電の存在価値が世界中で一変してしまう。


そして、これらの仕組みの大元を考案した日本人とは、世界的に有名な彗星探索家であり、3度の臨死体験をしている木内鶴彦氏という方である。




「発ガンを防ぐ、自然の免疫・排毒機能」

2013-04-21 08:43:31 | 日本

多くの人が、ガンは、皮膚や粘膜臓器などにできる悪性腫瘍Ⅰと理解している。
しかしながらこの説明だけでは、ガンは、健全な細胞を破壊して増殖し、生命に支障をきたす細胞の病気とは理解できても、なんでガン細胞ができるのか?そもそもガンとは何か?を全く説明されていない。
そこで今回は、ガン細胞の研究で明らかになってきた新たな知見をもとに、この問題に迫る。


人の体は、体内に侵入した有害物質から体を守る免疫力をもち、またその有害物質を体外に排出する力が備わっている。そして、皮膚、口や鼻の粘膜・粘液による防御、そして強い酸性の胃液による殺菌までも通り抜け、発ガンに関与するウィルス、細菌、毒素などの有害物質に対する免疫力・排毒力を主要に担っているのが、肝臓、腸、そして血液である。


①肝臓
肝臓は、体にとって"毒素"となるものを分解し、排泄する働きを受け持っている。
食事などによって体内に取り入れられた飲食物は胃や腸で分解されて体に吸収されるが、そのときには体に必要な栄養素だけではなく体にとって有害な物質も一緒に入ってきてしまう。
例えば食品添加物などがそれに当たる。肝臓はこれらの物質を処理して体に無害な形に変えたり体外に排出しやすい形に変換するという働きをする。
また、肝臓には、血液中を流れてくるウイルス、毒素、色素、腫瘍細胞、壊れた赤血球などを細胞内に取り込み消化しており、これも肝臓の解毒機能の一つと考えられている。
しかし、処理できない量の有害物質を摂取し、肝臓の機能が追いつかなくなるとガンは急速に悪化する。


②腸
腸は飲食物に含まれる栄養分を分解・吸収する一方で、ウイルスや細菌はその感染を防ぐため吸収せず便として体外に排出する働きを持っている。
その為に、血液中を流れるリンパ球といわれる免疫細胞の多くが腸に集まっており、それら免疫細胞が腸の粘膜やヒダに集まってバイエル版と言うリンパ組織を形成しており、人体の免疫システム全体の70%が腸に集中していると言われている。
しかし、過食になると、体内の消化酵素をたくさん使ってしまう。酵素は消化か免疫や代謝に使われるもので、消化でたくさんの酵素を使ってしまうと免疫や代謝に酵素がいかず、免疫機能が低下し、細菌やウィルスが排出されず増殖する。
また、動物性蛋白質(肉類、鶏卵、牛乳など)を大量に摂取し続けると、腸内で、アンモニア、硫化水素、インドール、メタンガス、ヒスタミン、ニトロソアミンなどの毒性物質(毒素)が生成され、肝臓に負担をかけ発ガンを促進したりすると言われている。


③血液
血液は、生命の維持に欠かせない栄養素や酸素を体中に運ぶ一方、ホルモンや老廃物の運搬、免疫作用や体温調節など、人体にとって重要な役割を果たしている。血液は、赤血球・白血球・血小板から成りたっているが、そのなかの白血球(リンパ球、単球、顆粒球)が、体に侵入してきたウィルスや細菌などからの免疫機能の統合役を担うとともに、血液を正常に保つ免疫機能をもっている。
それゆえ、血液の中にこの免疫機能を超えた毒素が侵入すると血液が腐り、身体の免疫力が落ちるとともに、身体に栄養を供給するどころか、体中に毒素を供給することになる。
また、人の血液の中には、(ソマチッドと命名された)DNAの基質であるタンパクの合成をする生体の免疫物質が存在するとも言われている。


このように、肝臓を始めとして、人には自然の免疫・排毒機能があり、これが悪性腫瘍と言われるガン細胞の発生を防いでいる。そのため、この自然の免疫・排毒機能が低下すると、発ガンを促進する。





「厳しい優しさが必要な三つの日本の大問題」

2013-04-20 07:44:52 | 日本

「三つの日本の大問題」について、岡本裕明さんは言う。
なるほどな~。
以下、要約し記す。



原発、沖縄の基地、コメといえば、日本社会が抱えている大きな問題であるが、この三つの共通点がぱっと思い浮かぶだろうか?

「補助金」である。

原発がある地域には電源三法交付金などを通じて極めて多額の補助金が国から支給されている。なぜか?迷惑料という発想ではないかと思う。もともと条件が限られた土地で地元の過疎化などが進むところにご迷惑をかけるが、その見返りとしてこれだけのモノを差し上げるのでよろしく、という一種の取引にみえる。

本来であれば「原発がなくなれば困る」と言う声が、原発があるその地域から聞こえてきそうなものなのだが、遠巻きに見ている人たちの原発反対の声にかき消されてしまっている。福島第一原発のあたりにいた人たちは、福島県の会津方面などにも移ったが、そこのパチンコ屋が大流行になったという話はあまり聞かれない。


沖縄の普天間移設に関して、政府は具体的日程を掲げることでそのプランを実行させる努力を見せている。辺野古の埋め立ての申請を国が沖縄県にすることで、仲井真知事は、その是非の判断を来年春ぐらいまでには行わなくてはいけない。正直、今回の判断は知事にとっても難しいところになると思う。

沖縄は振興措置法を通じて、あり得ない額の補助金や交付金が国より出ている。2013年のその予算は3001億円である。勿論、これは一年限りの話ではなく、毎年それなりの高水準の補助金が名目こそ違えども、他の都道府県にはないものが形を変えて拠出されている。

知事は「金は欲しいが、米軍施設は県外に」という論理的ではない発言を繰り返している。結局のところ、知事の本心には沖縄県民という内向きの顔と知事という外向きの顔が交錯しているようにも見える。


コメにまつわる補助金がなぜこれほどあるのか? 日本は歴史的にコメに対して特殊な感情をもち続けている。江戸時代、石高はコメに限った。つまり、保存がきかない野菜ではだめ。長男はコメを作り、次男以下は野菜などを作る。つまり、コメは当時の税金であり、マネーの一種であったわけである。

時代が変わりカロリー自給論が主流となった戦後も、まずはコメだった。日本人の食生活が大きく変わり、本来であればコメよりも小麦の消費がもっと増えたはずなのだが、コメを守ることにしがみついた。もっとも、日本で競争力のある小麦を作るのは品種改良でもしない限り難しいはずだが。


原発、沖縄、コメ、それぞれが抱えている問題は、高い水準の税金の投入で支えているという事実である。ではその補助金をなくすなり、減らすという発想は過去あったのだろうか? 多分、役所にも貰う側にもなかったと思う。

補助金を貰うのが当たり前だとすればこの体質は一生変わることは出来ない。一部の前向きの人がいたとしても、その声は「和」の精神の中で絶対に表に出ることはない。なぜなら、「お前は一人立ちできても、ほかの大多数は出来ない」という状況の中で「お前は見殺しにする気か」というストーリーになるのだろうと思う。

とてもゆがんだ構造を作ったのは誰だろうか?それは日本の脈々と続く特質なのだ。

それを打破するには「厳しい優しさ」が必要なのだと思う。それは時としてNOを言い、突き放すことでもある。和を大切にしながらも陰でぶつぶつ言うなら、正々堂々と議論することも大切である。

日本の構造的問題とはこういうところにある。日本は原発地域や沖縄やコメを作る農家を本気で救いたいのだろうか、見方によっては金を払って問題を先送りし、放置したいようにみえる?

今だからこそこの体質に気がつき、国民が前向きに考える時期にあるのではないのか?




「原発被災地を国有化し最終処分場を!」

2013-04-19 06:25:31 | 日本

4月5日の衆議院予算委員会で、「原発被災地を国有化し最終処分場を!」と爆弾提言した日本維新の会・中田宏代議士の質問はなかなか良かった。
以下、要約し記す。



先に、言いにくいことを申し上げる。私は、どこまで線を引くかはともかくとして、この場所はもはや戻るべきではない。そういうエリアとして国が決断をして、そして当該被災地の皆さんの生活支援をしていくべきだと思う。

確かに、作業は進めているものの、線量はなかなか下がらず、いったん下がったとしてもまたすぐ元に戻る。その理由のひとつに、住宅から20メートル以上、離れている森林について、除染を除外していることがある。これまでの累計で1兆2,875億円を投じながら除染は進んでいない。 

裏山に除染がなされていない森林があれば、なかなか人はそこに戻りたいとは思わない。風が吹けば葉っぱは飛んでくるわ、土は舞い上がってくるわ、雨が降れば土砂は流出してくるわというところに、お宅のエリアは大丈夫ですからといわれたところで、戻りたいとはなかなか思わないわけである。

例えば、2011年9月に緊急時避難準備地区を解除され、昨年2月に帰村宣言をした川内村である。1年経っても、帰村者は4割。その大半は50代以上の中高年層で、子供のいる家庭は、放射線量を怖れて、戻るに戻れない。 

除染にどれだけの意味があるのか。 
線量が上がればまた作業を繰り返す。それでも子供への影響を怖れて帰らない人が多い。それならば、国が土地を買い上げ、次の生活地での生活支援をした方がいいのではないか、という思いを持つ人は、実は少なくない。 

誰かが言わなけれないけないことを言うのが政治家の役割である。
だが一方で、そうした"本音"は「故郷へ帰りたい」という思いを持つ被災者がいるという現実の前でかき消されている。 

この地域に人が住めないということをもうハッキリさせて、私は、放射性廃棄物の最終処分の場所にする、これを政治はどこかで決断するべきだと思う。要は、原発被災地の土地を一定範囲、国が買い上げて、そこに最終処分場を建設すべきである。 
これもまた誰も言い出せないが、誰もが感じていることだ。 

福島県を最終処分場にしない、だから『仮置き場』の中間貯蔵施設を設置する。
この「中間」という名のごまかしも、多くの人が感じていよう。福島が「中間」として「最終」はどこになるのか。どの自治体が引き受けるというのか。 

福島県内の除染等によって生じる汚染土壌や汚染廃棄物の総量、これは1500万立法メートルから3100万立法メートルということで見積もっている。1500万立法メートルというのはどのくらいかと言うと、10トンのダンプカーでおよそ200万台に達するという凄まじい量になるわけである。

さらに、仮に東京都がお台場で最終処分場を引き受けたとして、1日200台で運んで27年、1万日かかると計算、運送道路沿いの住民、東京都住民の反対を考えた場合を併せ、汚染土移動の非現実的である。 




「文天祥とは、② 正気の歌」 

2013-04-18 08:16:34 | 日本

「正気の歌」南宋 文天祥作


天地正気有り
雑然として 流形を賦(う)く
下りては則ち河嶽となり
上りては則ち 日星となる
人においては 浩然と曰い
沛乎として 蒼冥に塞(み)つ
皇路 清夷なるに当たりては
和を含みて明廷に吐く
時窮すれば 節即ち見れ
一一 丹青に垂る

<中略>

この気の旁薄する所
凛烈として 万古に存す
その日月を貫くにあたっては
生死 いずくんぞ論ずるに足らん
地維は頼って以て立ち
天柱は頼って以て尊し
三綱 実に命に係り
道義 之が根と為る




(意訳)
天地には正しい気がある
それは雑然としていて 様々な形を与える
例えば地に下れば大河や山となって
天に上れば太陽や星となる
人に作用すればそれは「浩然」と呼ばれ
みるみるうちに広がって大空、宇宙に広がって行く
政治の大道が清く正しい時に当たっては
それは穏やかな姿で朝廷にあらわれ
時が行き詰まれば節目となって世にあらわれる
それは一つ一つ 歴史に残されることになる

<中略>

この気の満ち溢れる所は
凛烈と永遠に残る
それが日と月を貫く時
生死などどうして問題に値するだろう
大地を支える綱は正気のおかげで立ち
天の柱も正気のおかげでそびえたつ
君臣・父子・夫婦もまさに正気にその命がかかり
道義も正気がその根底と為る





「文天祥とは、①」

2013-04-17 07:36:43 | 日本

文天祥(ぶんてんしょう))は中国南宋末期(1280年頃)の軍人、政治家である。
滅亡へと向かう宋の臣下として戦い、宋が滅びた後は元に捕らえられ何度も元に仕えるようにと勧誘されたが、忠節を守るために断って刑死した。張世傑、陸秀夫と並ぶ南宋の三忠臣(亡宋の三傑)の一人である。
以下、2回にわたり学ぶ。



現在の江西省吉州廬陵の出身で1256年、20歳の時に科挙を状元(首席の事)で合格した。その際提出された論文の題は「法天息まず」という名論文であり、試験官の王応麟をして理宗に「人材を得たことを慶賀します」と言わしめた。

当時の状況は北の金は既にモンゴル帝国によって滅ぼされ、南宋は強力なモンゴル軍の侵攻に耐えていた。1259年にモンゴル軍が四川に侵攻してきた際に遷都が決定されたが、文天祥はこれに反対して任官まもなくして免官された。その後、復職するが当時の宰相・賈似道との折り合いが悪く辞職する。

一旦は下野した文天祥だがモンゴルの攻撃が激しくなると復職して元との戦いに転戦、1276年に右丞相兼枢密使となる。そして元との和約交渉の使者とされるが、元側の伯顔との談判の後で捕らえられる。

文天祥が捕らえられている間に首都・臨安(杭州)が陥落し、張世傑・陸秀夫などは幼帝を奉じて抵抗を続けていた。文天祥も元の軍中より脱出して各地でゲリラ活動を行い2年以上抵抗を続けたが1278年に遂に捕らえられ、大都(北京)へと連行される。
その後は死ぬまで獄中にあり、山に追い詰められた宋の残党軍への降伏文書を書くことを求められるが『過零丁洋』の詩を送って断った。この詩は「死なない人間はいない。忠誠を尽くして歴史を光照らしているのだ」と言うような内容である。宋が完全に滅んだ後もその才能を惜しんでクビライより何度も勧誘を受ける。この時に文天祥は有名な『正気の歌』(せいきのうた)を詠んだ。

何度も断られたクビライだが、文天祥を殺すことには踏み切れなかった。朝廷でも文天祥の人気は高く隠遁することを条件に釈放してはとの意見も出され、クビライもその気になりかけた。しかし文天祥が生きていることで各地の元に対する反乱が活発化していることが判り、やむなく文天祥の死刑を決めた。文天祥は捕らえられた直後から一貫して死を望んでおり1282年、南(南宋の方角)に向かって拝して刑を受けた。享年47。クビライは文天祥のことを「真の男子なり」と評したという。刑場跡には後に「文丞相祠」と言う祠が建てられた。

文天祥は忠臣の鑑として後世に称えられ、『正気の歌』は多くの人に読み継がれた。


日本でも江戸時代中期の浅見絅斎が「靖献遺言」に評伝を載せ幕末の志士たちに愛謡され、藤田東湖・吉田松陰、日露戦争時の広瀬武夫などはそれぞれ自作の『正気の歌』を作っている。




「佐藤一斎という人物とは、②」

2013-04-16 09:40:10 | 日本

◎『一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め』

ここで言う、一燈(いっとう)というのは、自分自身である。
暗夜というのは、先の見えない未来である。
一寸先は闇であろうとも、自らが、一燈として、輝くことで、その道は、いつまででも、明るい道になる。だからこそ、自らが、一燈となれるよう、自分を磨くことに努めよ。
人生を創り、人生を歩み、この道で頼りになるのは、自分自身という光である。暗夜を照らす、一燈になりたいものである。
人生に起こる、さまざまな出来事に、積極的に取り組み、どのような出来事でさえも、
自分自身を磨き、輝かせるための、砥石であると思う。自分自身を立命することから、すべては始まる。家族でさえも、仲間でさえも、地域でさえも、国でさえ、すべては、自分自身が創れていないようで、国を統率できない。
自分自身を高め、氣高い意識と、理想とともに、毎日の恵みを享受していきたい。



◎『少年のときはまさに老成の工夫を著すべし、老成のときはまさに少年の志気を存すべし』

若いときは大人であろうとし、大人になったら少年の心を忘れない。



◎『富人を羨むなかれ。彼がいまの富、いずくんぞ知らんその後の貧を招かざることを。貧人を侮るなかれ、彼がいまの貧、いずくんぞ知らんその後の富を胎せざることを』

金持ちを羨んではいけない。いまは金持ちかもしれないが、将来没落し貧しくなるかもしれない。貧しい人を侮ってはいけない。いまは貧乏かもしれないが、将来財産を築くかもしれないのだから。
いま金持ちか貧乏かで人を評価しない



◎『春風をもって人に接し、秋霜をもって自ら慎む』

春風のようにさわやかに温かく他人に接し、自分には秋の霜のように厳しく慎みの心を持つ。



◎『少にして学べば、壮にして成すあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず』

若いころから学べば、壮年になって大きなことをなし遂げることができる。壮年になってから学べば、年老いても衰えることなく活発に生きることができる。年老いてから学べば、死んだとしても不朽の評価が得られる。