龍の声

龍の声は、天の声

「宇宙の姿が変わる!私たちはすごい時代を生きている」

2017-03-30 10:44:00 | 日本

重力波にヒッグス粒子、少しずつ分かってきた宇宙の秘密
21世紀に、どんな事件があったか、宇宙の姿がどう変貌したか、最近の件からさかのぼって思い出してみましょう。


◎2015年、重力波発見

アインシュタインの一般相対論が予言する、時空のさざ波「重力波」は、検出が極度に困難なため、100年の間、検出は不可能でした。
しかし2015年9月14日9時50分45秒(世界標準時)、巨大で精密な重力波検出装置LIGO(ライゴ)が、人類史上初めて重力波を検出することに成功しました。太陽質量の36倍と29倍のブラックホールが13億年前に衝突・合体し、その際に放射された重力波が地球に到達し、LIGOをほんのわずかだけ振動させたのです。

これにより、重力波とブラックホール両方の存在が疑問の余地なく証明され、同時に重力波天文学が創始されました。
2017年現在、LIGOは2期目の観測を行なっています。今回は何が飛び出てくるのか、楽しみに待ちましょう。


◎2014年、よその恒星の惑星が1000個を超える。

太陽系には惑星が四捨五入して10個ほどありますが、よその恒星がはたして惑星を持つのかどうかは、数世紀にわたって知りようがありませんでした。なにしろ最も近い恒星でさえ、光の速さでも何年もかかる遠方にあります。そこのちっぽけな惑星を検出するには、すさまじく高度な望遠鏡技術が必要です。

しかし約500年のたゆまぬ技術開発のおかげで、1995年には太陽系以外の恒星の惑星(系外惑星)が初めて検出されました。太陽系以外にも惑星が存在したのです。

以来、系外惑星の数は年々増え、特に宇宙機「ケプラー」は、むちゃくちゃな勢いで新・系外惑星を検出していきました。2014年、人類の知る系外惑星の数は1000個を超えました。

この宇宙は惑星に満ちているのです。中には生命を宿すものもあるかもしれません。夜空を見上げる時、そのことを意識せずにはいられません。星の王子様風に表現すれば、21世紀の星空が美しいのは、どこかに生命を隠しているからなのです。


◎2012年、ヒッグス粒子発見

20世紀末から21世紀にかけて、素粒子物理学でも著しい発展がありました。
「トップクォーク」という重い素粒子が発見され、幽霊のような「ニュートリノ」が質量を持つことが確実になり、そして2012年には「ヒッグス粒子」がとうとう発見されました。

ヒッグス粒子は、50年前に理論的に予言されて以来、検出が待ち望まれてきた素粒子です。そのあいだ、建造される粒子加速器はどんどん大規模になり、世界最大の粒子加速器LHCは全周27kmという途方もない大きさになりました。ヒッグス粒子を合成するのにはこの大きさが必要だったのです。
これで、存在すると予想された素粒子はあらかた出揃いました。これまでに発見された17種の素粒子は「標準模型」と呼ばれる素粒子理論で説明されます。ここのところ見つかる素粒子は標準模型の予想におおむね従っているし、人類は宇宙のミクロな部分をほぼ理解し尽くしたのでしょうか。
けれども、宇宙を満たす「ダークマター」や、次に紹介する「ダークエネルギー」は、既知の理論と17種の素粒子では説明できません。標準模型は近いうちに拡張する必要があるようです。


◎2011年、宇宙の加速膨張の発見にノーベル賞

20世紀末から、どうも宇宙は加速膨張しているらしいという証拠が出てきました。

138億年前のビッグバン以来この宇宙は膨張し続けていて、そのため、遠方の銀河を観測すると私たちの天の川銀河から高速で遠ざかっているのが分かります。宇宙の膨張自体は90年ほど前に発見されていて、新発見ではありません。

20世紀末に始まったプロジェクトは、50億光年以上という、訳が分からないほど遠くの銀河を観測して、距離と速度を精密に測定するものです。そういうことを調べると、宇宙論にインパクトのある結果が出せるんじゃないかと思ってやったら、本当にインパクトがありました。宇宙は加速しながら膨張していたのです。ほとんどの研究者はこんなこと予想しませんでした。ひっくり返るほどの驚きです。
宇宙膨張は、一般相対性理論に従って起きます。一般相対論の方程式をあれこれいじくると、宇宙の膨張を表す解が得られるのです。そして加速膨張を表す解を得るためには、一般相対論の方程式中の「宇宙項」と呼ばれる定数項を0でない値に設定しないといけません。
宇宙項は、宇宙空間を満たす「ダークエネルギー」を表すと解釈されています。空っぽで真空の宇宙空間には、実は目にも見えないエネルギーが詰まっていたのです。

一体このダークエネルギーとは何物でしょうか。量子力学において「零点エネルギー」だとか「スカラー場」と呼ばれる代物が実在したのでしょうか。どう扱えばいいのか、研究者も戸惑っている段階です。この解決は21世紀の課題です。


◎2001年、ヒトの全DNAが読み取られる。

21世紀の初頭、ヒトの全DNA配列が発表されました。ヒトの全DNAを読み取る「ヒトゲノム計画」は、当初は不可能ともいわれましたが、約10年かけて完了しました。

ヒトのDNAは約32億塩基対、情報量にして1ギガバイト弱です。これは約2万~2万5000の遺伝子に相当すると思われますが、そのうち役割が判明し、きちんと解読されたといえるものはごくわずかです。ヒトゲノム計画のおかげで、どういうDNA配列が書いてあるかだけは分かったものの、ほとんどはいかなる機能を持ち何の役に立つのかは不明な状態です。

この理解は21世紀のサイエンスの主要なテーマであり、生物学、医学、薬学、工業など広い分野に革新をもたらすことは間違いありません。
ヒトゲノム計画の過程で開発された新技術は、その後ますます磨きがかかり、現在では、ゲノムDNAのサンプルを与えると、その全配列を最短で数時間で読み取るまでになっています。これは生物学の手法を変革しつつあります。生物界におけるヒトの位置付けもどんどん変わっています。
このように21世紀は、宇宙がどうなっているのか、それはどういうミクロな存在から構成されているのか、私たちヒトはどのような存在なのかといった、この世界を捉える観点が大きく変化している時代です。

地球創生以来46億年経ちますが、21世紀は地球史(宇宙史?)始まって以来の稀な瞬間です。そういう革命のさなかに居合わせ、その目撃者になれることは、46億分の100ほどの大変な幸運なのです。








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「お酢の歴史と効能」

2017-03-30 10:01:16 | 日本

調味料は人の味覚などに働きかけ、食べもの風味を引き立ててきた。中でも、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味とある基本味のうち、主に酸味の部分を担い続けてきた調味料といえば「お酢」だ。
小皿にお酢を垂らすのは餃子を食べるときぐらいで、同じ使い方であれば醤油よりも頻度は低い。だが、すし、酢あえ、酢漬けと、混ぜたりあえたりする料理で、酢は大切な役目を果たしてきた。「食べものを締めたい」あるいは「保たせたい」といった人びとの求めに長らく応えてきたのだ。
そんな調味料の名脇役ともいえる「お酢」をテーマにしたい。前篇では、日本におけるお酢の歴史を追い、調味料としての役割をいかに果たしてきたかを見ていく。


◎酒つくりの先にお酢がある。

お酢は「苦酒、加良佐介(からざけ)」とも呼ばれ、酒造りとの関わりがとても深い。大まかにいうと、酒の延長線上にお酢がある。穀物などを発酵させて酒を造り、そこに酢酸菌を含む「種酢」を加えてさらに発酵させるのだ。アルコールが分解されていくとともに酢酸が増えていき、さらに熟成させると風味の立つお酢になる。

世界では、酒の造られるところでお酢が造られてきた。日本には5世紀ごろ応神天皇の代に、大陸から酒の醸造法とともに伝わったとされている。平安時代の律令の施行細則『延喜式』には、米、醤(ひしお)の類である蘖(よねのもやし)、それに水を使って毎年6月に仕込むと記されている。
万葉集でも、歌人の長意吉麻呂(ながのおきまろ)により、お酢が詠まれている。
「醤酢(ひしおす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛願ふ われにな見せそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)」
野びるを刻んで醤やお酢で鯛を食べたかったのに、水葱の吸いものなんて出さないでくれよ、ということだ。当時も高級食材だった鯛に、味噌や醤油の源流にあたる醤、それにお酢が調味料として使われていたことがうかがえる。お酢は、宮廷用のみならず早くも奈良時代から市で売り買いされていたともいう。

室町時代にかけて日本におけるお酢造りの中心地は、和泉(現・大阪府堺市)の堺港だった。ここで造られた「和泉酢(いずみす)」は、米を原料として、糖化、酒の発酵、酢酸の発酵を同時に行って造る「米酢」の源流とされる。庶民の教科書『庭訓往来』にも各地の特産物として「和泉酢」の名が、「周防鯖」や「近江鮒」などと並び記されてい。


◎江戸の握りずしに貢献した尾張半田の粕酢

江戸時代に入ると、和泉酢の造り方を基本としながら、各地で工夫が加えられていき、お酢に多様性が見られていく。相模で造られ江戸城にも上納された「中原酢」、駿河は富士の麓の東泉院で造られた「善徳寺酢」、兵庫の豪商だった北風家による「北風酢」などだ。
尾張の半田(現・愛知県半田市)からは、今の私たちの食生活ともゆかりの深い「尾張半田の粕酢(かすず)」が造られていた。
当地の酒造家に養子入りした初代中野又左衛門は、1804(文化元)年、旅先の江戸で「早ずし」と呼ばれるすしに出合った。すしといえば、古くは塩漬け魚と飯を発酵させた「熟れずし」や、お酢を加えて発酵を早めた「半熟れ」があったが、当時の江戸で流行り始めていた「早ずし」は、ネタと酢飯で握る、いまの「握りずし」の原型にあたるものだ。

酒を造る傍らで、酒粕を原料とする粕酢も造っていた又左衛門は、この寿司には自分が造る粕酢の風味や旨みが合うと感じ、以来、粕酢造りを本格化させたという。

当時、江戸では寿司はファストフードだった。その後、「握りずし」が食べられるようになる。寿司が、魚や飯を発酵させたものから、酢を使ったものに移るのに伴い、又左衛門の粕酢は江戸の寿司屋で多く使われるようになった。「握りずしには尾州の粕酢に限る」とまで言われたほどという。
和泉酢を源流とする米酢、寿司の発展に貢献した粕酢、そして清酒と種酢と水で仕込んで造る酒酢(さかす)。日本の伝統的なお酢は、この3つに大別されている。


◎健康への注目は近現代以降

調味料の歴史を眺めると、醤油の工業的生産が始まったのは江戸時代以降だ。それまでお酢は、古代では醤、中世では味噌と並ぶ、日本人の大切な調味料であり続けた。そして、味覚の中の酸味の引き立て役を任されるとともに、味以外の機能面でも頼りにされてきたはずだ。
食べものの味を保つという機能がお酢を使う習慣を広めたのは、間違いないだろう。魚介類や野菜などを酢漬けや酢締めにしたのは、主に腐るのを防ぐためだ。

また、鯖、鯵、鰯などの強い生臭さを和らげる働きもある。これらの魚を煮るとき、最後にお酢を入れて生臭さを消す「酢煎(すいり)」という調理法が、室町時代にはすでにあった。室町中期にまとめられた料理書『四条流庖丁書』には、「鯉ニテモ鯛ニテモ差(サシ)ミノ如ニ作リテ……煮テ参ラセザマニ酢ヲ指シテ参スル也」とある。

一方で、もう1つの機能的側面、つまり、お酢が体の健康によいということについては、少なくとも江戸時代には、さほど説かれていなかったようだ。
たしかに、1697(元禄10)年刊の本草書『本朝食鑑』の「酢」の項目には「諸瘡腫、積塊を消し、痰水、血病を逐ひ」とあり、腫れものや腹内のできもの、また水毒や血毒などによる病気に効果的としている。だが、1712(正徳2)年に刊行された百科事典『和漢三才図会』の「酢」の項目では、「多く食えば筋骨を損す。亦、胃を損す」などと、摂りすぎの不益も説いている。

明治時代以降の新聞記事にも当たってみた。古いところでは1937(昭和12)年2月22日付の読売新聞で、細菌学者の前田稲四郎が「少量の酢は人によってよく食欲増進の役目を果たします」と述べている。また1963(昭和38)年の同紙では、酢が疲労回復によいことを、法医学者の秋谷七郎が説いているところとして紹介している。いわく、米に含まれる珪酸が引き起こす動脈硬化を防ぐのに、お酢を飲むとよいとしている。

江戸時代に「医者殺し」などと評された味噌などに比べると、お酢の健康効果への注目や関心は新しめのようだ。
だが、だからこそ、現代の科学によって、お酢の機能性が次々と明らかにされているのではないか。



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「自衛隊は今まで何をしてきたか」

2017-03-29 07:28:31 | 日本

田中伸昌さんが「自衛隊は今まで何をしてきたか」について掲載している。
以下、要約し記す。




■ 自衛隊創設の経緯

昭和20(1945)年8月14日、日本は「ポツダム宣言」を受諾し、これによりマッカーサー元帥を最高司令官とする連合国最高司令部(以下GHQ)による日本占領統治が始められた。

GHQにより進められた様々な占領政策のなか、マッカーサー元帥は「日本国憲法草案」の作成をGHQ民生局に命じ(昭和21年2月3日)、民生局は9日間で「日本国憲法草案」を作成、マッカーサー元帥の承認を得たのち昭和21年2月13日に日本政府に交付した。

政府はGHQ草案を基礎にした「日本国憲法改正草案」を作成して議会に提出し、所要の審議を経たのち可決成立させ、昭和22年5月3日に「日本国憲法」が施行された。

昭和25(1950)年6月に始まった朝鮮戦争に、日本に駐留する米軍および英連邦諸国軍の中からも朝鮮に派遣されたことから国内治安の維持が手薄となったため、GHQは警察予備隊の創設を日本政府に要求し、政府は昭和25年8月10日、警察予備隊を発足させた。

その後、昭和27(1952)年4月28日に「対日講和条約」並びに「日米安全保障条約」が発効したことにより、我が国は主権を回復した。その3か月後、警察予備隊と海上警備隊とを合体させて保安隊を発足させた。

その後、「日米相互防衛援助協定」を締結して批准(1954.5.1)し、「防衛庁設置法」並びに「自衛隊法」が成立し、昭和29(1954)年7月1日に施行されたことに伴い保安隊を改め陸・海・空自衛隊並びに防衛庁が発足するに至った。

憲法の制約の下でこのような経緯を経て創設された自衛隊は、警察力を補完する実力を持った行政組織の1つであって、武力行使を目的とする軍隊として創設されたものではない。言うまでもなく、憲法に国防や自衛隊についての規定は一切ない。

このような特殊な存在である自衛隊が、創設以来今日まで行ってきた行動を概観し、その実績をベースに、自衛隊とはいったい何なのか、そのうえで憲法および自衛隊を今後どうするのか、ということについて考える素材を提供する。


■ 朝鮮戦争と日本

昭和25年(1950年)6月25日、北朝鮮軍が北緯38度線を越えて韓国に侵攻したことによって朝鮮戦争が勃発した。

国連は北朝鮮を非難し軍事行動の停止と撤退を求める決議(1950.6.27)を行ったが、北朝鮮軍はソウルを占拠するなど南進をやめなかった。安保理決議に基づき、米国をはじめとする非共産圏国家は国連軍を編成して朝鮮に派遣し本格的な戦争となった。

やがて中国も志願兵から成る中国人民志願軍および中国人民解放軍をもって朝鮮戦争に参戦した。
戦闘は各地で激戦が続き一進一退を続けるなか、双方に数十万という多数の死傷者を出し、やっと1953年7月27日に北朝鮮及び中国両軍と国連軍との間で休戦協定が調印され、38度線付近を境界として分断されたまま休戦状態が続き現在に至っている。

1945年までは日本の支配下にあり、地理的に隣接する朝鮮半島で起こった熾烈を極めたこの朝鮮戦争において日本は極めて重要な役割を果たしており、日本の協力・支援がなければ国連軍はこの戦争を戦えなかったと思われる。

結果として休戦まで漕ぎ着けられたのは日本の協力・支援があったからと言っても過言ではない。朝鮮戦争に対する日本の関わりについて考えるに当たって、考察のベースとして次のことを確認しておく必要がある。

1つは、対日講和条約発効(1952.4.28)までの間、日本はGHQの占領統治下にあって国家主権はなかったということ。

2つ目は、戦争放棄及び戦力不保持並びに交戦権不保持を謳った憲法はすでに制定(1947.5.3)されていたということ。

3つ目は、対日講和条約発効(1952.4.28)により我が国は国家主権を回復するとともに同日付で日米安保条約も発効したということ。

4つ目は、自衛隊発足(1954.7.1)は朝鮮戦争休戦成立のおよそ1年後であるということ。

以上を踏まえて、朝鮮戦争への我が国の関わりについて、3つのカテゴリーに分けて述べる。


1.朝鮮戦争への直接参加


○掃海部隊による掃海作戦
国連軍の要求に基づきGHQの指令により、日本政府は25隻4個隊から成る特別掃海部隊を編成して、国連軍の作戦に関連する朝鮮近海の海域において掃海作戦を実施し制海権確保に貢献した。

1950年10月16日に部隊を編成し、同年12月15日に部隊を解隊するまでの間、仁川沖、元山沖、鎮南浦、郡山等において掃海作戦を実施した。

○海上輸送
戦車揚陸艦(LST)、貨物船、輸送船、タンカーなどによって、兵員、戦車、各種車両、航空機用燃料タンク、ドラム缶、兵器およびそれらの修理部品、その他軍需物資など戦争に必要なほぼあらゆる物資を日本の港湾(佐世保、神戸、横浜、下関、門司など)から朝鮮へ輸送した。

これら物資などの積載・積み下ろしや荷役、あるいは船員として、乗船または港湾において、極めて多数の日本人が働いた。


2.国連軍に対する作戦用基地の提供

○空軍基地
-沖縄(米国の信託統治下)および横田基地は爆撃機用の基地として
-板付、築城および芦屋基地は戦闘機用基地或いは輸送機用基地として

○海軍基地
-佐世保および横須賀は海軍の基地として

○陸軍基地
-神奈川県の座間のほか静岡県の基地を陸軍の基地として


以上の基地は作戦支援用の主要な基地として、航空機の発進・帰投、艦船の出航・帰還、これらの整備・修理や物品補給あるいは訓練などの役割を十分に果たした。

しかも共産軍側から日本本土に対する攻撃がなかったため、これらの基地はいわゆる聖域として存分に作戦支援機能を発揮し得た。

3.後方支援基盤としての機能発揮

GHQは占領当初、日本の脱工業化を図り日本を漁業・農業国へ落とすための政策を採って、重化学工業や軍需産業、造船および航空機産業の解体を行ったが、1947~48年に至って産業復興により日本の復興を図る方向へと政策転換した。

さらに1950年6月25日の朝鮮戦争勃発により、1952年3月以降、武器・弾薬などの生産活動および航空機の修理など産業に対する規制緩和、拡大を図る政策が推進されることとなった。この結果、次が可能となった。

○戦争遂行に必要な物資の生産
武器、弾薬、航空機・艦船・車両などの修理用部品、燃料タンクなどの金属製品、衣類といった繊維製品などの生産、提供。


○修理・輸送などの役務の提供
戦場で被弾した要修理兵器およびその他装備品の修理などによる役務の提供並びにこれらの輸送。

以上のように見てくると、朝鮮戦争へ我が国が果たした役割は、戦争の帰趨を左右する極めて重要なものであったことが分かる。

戦場となった朝鮮から海峡を隔てて近くに存在する日本は、敵からの攻撃を受ける心配がなく活動に専念できる安全地帯である。

作戦遂行基地として、あるいは整備・補給・輸送等を担う作戦支援の兵站基地として、また武器・弾薬・補用品・需品その他装備品などを生産する産業基盤として存分に機能を発揮した。


■ 朝鮮戦争がGHQおよび我が国に与えた影響

1.GHQ(米国)による占領政策に対して与えた影響

1947年3月にマッカーサー元帥は「日本の占領目的はすでに達成しており、今後は国際社会への復帰と産業振興へ向かうべきである」と述べている。

また米国政府も東西両陣営が対峙する冷戦構造の中で、日本を早期に復興させて自由主義陣営の中に位置づけ、国際社会へ復帰させる構想へと転換しつつあった。

そのような中での朝鮮戦争の勃発であったため、日本を「反共の砦」として明確に位置づけるため、脱工業化政策を止めて産業国家へと転換させる政策に拍車がかかるとともに非武装化政策から再軍備政策への転換の必要性を日本政府に働きかけるなど、朝鮮戦争はGHQによる占領政策の顕著な転換の契機となった。

2.日本に対して与えた影響

GHQは、在日米軍を朝鮮に派遣したことにより国内の治安維持が手薄になったことから、日本政府に対して警察予備隊の創設を要求し、日本政府はこの要求に基づき警察予備隊を発足させた(昭和25年8月10日)。

その後昭和27年4月26日に対日講和条約が発効し日本は主権を回復するが、憲法改正による再軍備の道は選択せず、同日に発効した日米安全保障条約により米軍の日本駐留を認め、防衛・安全保障を米軍に依存する体制を選択した。

もう1つの点は、朝鮮戦争によるいわゆる「朝鮮特需」により、国内の様々な産業が活況を呈していった。

なかでも戦闘用車両や航空機、艦船などの修理、さらには武器・弾薬の製造などを通じて、これら軍用装備品の修理技術及び品質管理のノウハウなどを日本の製造業が習得していった。

次いで、その後締結された「日米相互防衛援助協定」に基づく米国製装備品のライセンス生産を通じて、提供された図面に基づく製造ノウハウの獲得へと進化していき、我が国防衛産業基盤の確立へとつながっていった。











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「ソルガムとは、」

2017-03-28 08:44:05 | 日本

期待の野菜「ソルガム」とはについて学ぶ。



「ソルガムきび」は世界5大穀物の1つでもあり、米国ではとうもろこし、大豆、小麦に続く重要な農作物として注目されています。

「ソルガムきび」はイネ科の穀物で、日本では”たかきび”とも呼ばれています。その栄養素は、食物繊維、ミネラルを豊富に含み、最近では抗酸化作用を持つタンニンの存在についても研究され、ヘルシー雑穀として健康志向の食生活に期待の食材です。例えば、有色ソルガムきび品種は、抗酸化作用に富み、すべての品種においてグルテンを含まず、小麦粉アレルギー患者にとって魅力的な代替品となります。

また「ソルガムきび」は、少ない水で育ち、害虫や病気にも強いため、農薬の使用を減らせる環境に優しい作物でもあります。
モロコシ(蜀黍、唐黍、学名 Sorghum bicolor)は、イネ科の一年草のC4植物・穀物。熱帯アフリカ原産。ソルガムとも呼ぶ。また、中国での呼称であるコーリャン(高粱)ともかつては呼ばれた。穀物としての生産面積ではコムギ、イネ、トウモロコシ、オオムギに次いで世界第5位である。熱帯、亜熱帯の作物で乾燥に強く、イネ、コムギなどが育たない地域でも成長する。


◎特徴

草丈は、野生種でおおむね3メートルに達するが、栽培用品種では1.5メートル程度のものが多い。葉も長さ1メートル以上で幅10センチメートル程度になり、茎は太さ3センチメートル程度で芯の詰まったものとなっている。夏になると茎の先端に穂が出る。穂は節が10程あり(節は必ずしも明瞭ではないが、複数の穂枝が出ていることから逆に見分けられる)、各節より6本程度の枝が放射状に出ている。各枝は更に数十に枝分かれしており、最終的には一つの穂で3,000程の小さな穂を付ける。なお、実の千粒重は25グラム程度。その色は紫や赤に近い。


◎歴史と利用

紀元前3000年頃からスーダンやエチオピアで栽培されていたことが知られており、早い時期に北アフリカ、インドへ伝播し、後にはアフリカ、中央アメリカ、中国、東南アジアにも伝播して栽培種となった。日本には15世紀ごろ中国を経由して伝来し、五穀(キビ)の一種としてモロコシ、タカキビ(高黍)という名前での食用栽培のほか、サトウモロコシ、トウキビ(トウモロコシを意味することもある)、ロゾク(蘆粟)という名で、糖汁採取目的の栽培も行われてきた。

飼料用途も多いが、21世紀に入っても依然として食用として栽培されている国は多い。穀物として食べた時はソバに似た食感があり、北アフリカではクスクスや粥の、インドではチャパティなどのフラットブレッドの材料として使われる。ひき肉のような弾力とコクがあるので「たかきびハンバーグ」などとして主食の材料にも使われるほか、アメリカ合衆国南部では、濃褐色のシロップが作られ、ビスケットにつけて食べられる。漢名は「蜀黍」(しょくしゅ)だが、現代の中国名は「高粱」(こうりゃん、カオリャン)で、白酒(パイチュウ、中国酒の一種である蒸留酒)、茅台酒(マオタイチュウ)の原料に、南部アフリカではビールの醸造に使われる。 飼料用途としては、「マイロ」という名称で鳥用に使われることが多い。
満州国(1933年〜1945年まで存在した国家)では、国花に指定されていた。1933(大同2)年4月に決定されたとの記録がある。


◎生産量

2002年時点の世界生産量は5450万トン、アメリカ合衆国 (17.2%)、ナイジェリア (14.1%)、インド (13%) の順であるが、地域別に集計するとアフリカ州、アジア州、北アメリカ州の順となる(FAO Production Yearbook 2002)。


◎主食として用いる際の注意点

モロコシを主食として用いる場合、その蛋白質中のリシンの少なさとロイシンの過剰に注意する必要がある。特に後者は結果としてナイアシン(ビタミンB3)の欠乏症である、ペラグラを引き起こすことがある。


◎ホワイトソルガム

品種改良したホワイトソルガムがアメリカで開発され、日本でも流通している。実の色は白く、従来のモロコシが含んでいたタンニンの除去に成功しているとされる。また、小麦粉に含まれるグルテンを含まないので小麦アレルギーがある者でも問題なく食べられる、鉄分・カルシウム・マグネシウム・食物繊維・不飽和脂肪酸などを他の穀物よりも多く含む、などの利点がアピールされている。


◎ソルガムきびの栄養

ソルガムきびは、栄養的にはどういった食材なのでしょうか。
まず、ソルガムきびは、小麦アレルギーの人の代用食としても使われています。
ソルガムきびを粉末にしたソルガムパウダーは、小麦アレルギーのアレルゲンであるグルテンを含まないため、安心して食べられるのです。
また、ソルガムきびは穀物としては栄養価が高く、特に鉄分と食物繊維が白米の4倍以上も含まれています。
ですから、ベジタリアンや小麦アレルギーでなくても、好んでソルガムきびを食べる健康志向の人もたくさんいるようです。
そして、抗酸化成分であるポリフェノールも豊富なので、美容の観点からも大変注目を集めている穀物とも言えるでしょう。

参照:http://item.rakuten.co.jp/

ソルガムきびは、ベジタリアンのお肉代わりとしてとても優秀なので、お肉と同じような栄養価を期待してしまいがちですが、やはり穀物ですから、その主成分は糖質です。

その量、100g当たり70g以上が糖質で、お米や小麦と大差ありません。









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「三州倶楽部とは、」

2017-03-27 08:13:01 | 日本

三州倶楽部は、1918年(大正7年)に創設された三州(薩摩、大隅、日向)の出身者、及びその縁故者が集い、三州の伝統、文化、先人の偉大な事績、史実を調査・研究、広報すると共に、他の諸団体と連携して郷土、及び地域社会の発展に寄与すること、また併せて会員の交流、親睦、研鑚を図ることを事業とする社団法人です。


◎三州倶楽部の足跡

<桜島大爆発>

大正3年1月「桜島大爆発」を機に、東京在住の郷里出身の若者有志による義損金募集がそもそもの始まりです。募金活動の結果120余円が集まり、心をこめて郷里鹿児島へ送金致しました。そこには若者たちの郷里を想う努力があり、心暖まる贈り物となりました。


◎土曜の会

大正3年3月、毎月第1土曜日に島津奨学資金事務所(現, 公益財団法人鹿児島奨学会)に集まることを決め、初回は30余名の参加者でした。


◎鹿児島県立憲青年会

若い者同士がお互い “交わり”を深め、”輪を広げることは大変結構なことであるが”先輩方の時代を見る見識や、意見をもっと学ばなくてはいけない”という認識で皆一致していました。そこで発起人10余名でこの会が設立されました。この会合は先輩をお招きするのではなく、 若者達が率先して先輩のお宅を訪ね、さまざまな見識や意見を学び吸収するためのものでした。


◎三州倶楽部の誕生

お互いの交わりも深まり、先輩方との交流も次第にひろがるなかで、若者達は”会を組織化したいそして集会場所を持ちたい”という強い願いを持つようになったのです。このようにして若者達の篤き想いは熟し、桜島大爆発から4年後の大正7年2月に「三州倶楽部」が誕生し今日に至っております。 つまり三州倶楽部創立の基礎は若者達による「土曜の会」と「立憲青年会」がお互いに連携して作られたものです。初代会長は海軍大将樺山資紀でした。


◎沿革

1918年(大正7年) 
京橋三十間堀畔に設立。初代会長, 伯爵海軍大将 樺山資紀

1920年(大正9年)  
社団法人設立許可。初代総裁公爵島津忠重

1923年(大正12年) 
関東大震災における三州出身罹災者の救援活動

1937年(昭和12年) 
三州倶楽部が中心となり建立計画をした南洲翁銅像の除幕式

1957年(昭和32年) 
5月大圓寺にて戊辰戦争薩摩藩 並びに佐土原藩戦歿者慰霊法要を営む。
9月戊辰戦役薩藩戦沒者慰霊顕彰会を設置

1999年(平成11年) 
育英事業運営委員会発足。育英基金設立を決定し、募金活動を開始

2008年(平成20年)  
三州倶楽部創立90周年記念式典開催


◎初代会長  樺山資紀

天保8年(1837年)生、大正11年没
大正7年2月~大正9年2月会長
・警視総監・海軍大臣・軍令部長・ 台湾総督・内務大臣・文部大臣歴任・伯爵元帥・海軍大将

■初代総裁  島津忠重(島津家30代当主)
明治19年(1886年)  昭和43年没
大正9年2月~昭和43年4月総裁
・公爵正ニ位勲一等・海軍少将 全日本蘭協会会長、他各団体会長役員
・島津興業株式会社社長、会長歴任


◎倶楽部の事業

三州(旧薩摩、大隅、日向)の歴史、文化、伝統及び先人の事績、史実を調査、研究、伝承、広報し、他の諸団体と連携して三州と地域社会の発展に資し、人材を育成すること。並びに会員相互の交流・研鑽・親睦を図ることを事業目的としています。











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「宇宙はこうして終わる」

2017-03-26 08:53:41 | 日本

HONZ特選本『宇宙に「終わり」はあるのか?冬木糸さんが解説している。
以下、要約し記す。



現在は、宇宙のはじまりとされるビッグバンから数えると138億年後になるが、10の100乗年と比べるとまだまだ生まれたばかりといえる時期だろう。
我々人類や地球の生物のようなものがこの時期に生まれているのも決して偶然ではない。活発な元素や惑星の形成は主にビッグバンから100数十億年の間に起き、この時期を過ぎると恒星は次々と燃え尽き、天体は崩壊し生命が生まれるのはどんどん厳しくなっていくので、基本的にはこの時期にしか生まれ得ないのである。

“われわれ人類は、長期にわたって安定している宇宙に次々と登場する無数の知的生命の一つではなく、混沌から静寂へと向かう宇宙史の中で、凝集と拡散が拮抗し複雑な構造の形成が可能になった刹那に生まれた、儚い命にすぎない。”
◎夜空はなぜ暗いのか?

ビッグバンの「始まりの瞬間」、ビッグバンから10分までの短い間に何が起こったのか(素粒子の誕生、元素の合成などなど)を解説しと立ち上がりはスロースタートだがその後一気に100万年まで加速し、いろいろと面白いトピックが出揃ってくる。
たとえば夜はなぜ暗いのか? という問いに対しては「宇宙空間が膨張したから」という端的な答えが返ってくる。宇宙空間の膨張が続いてエネルギー密度が低下したため、宇宙からはどんどん昔のような輝きが失われていったため相対的に暗くなっていったのである。いっぽう、膨張し宇宙の温度が4000度から3000度付近にで下がることで電子と陽子は結合して水素原子に変化し、それまで電子によって散乱されていた光はまっすぐ進むようになる。

宇宙はより透明になり、我々のいま知っている状態へと一歩近づいた。この時の光は宇宙空間のあらゆる場所に存在する太古の光として今でも観測できるのだ。その後、恐らくはガス雲の内部で物質を集めながら成長した第一世代の星が生まれ、続いてその星内部の核融合や終わりにやってくる超新星爆発によって複雑な元素が生まれ、我々の"現在"、138億年へとつながっていく。


◎天体の形もなく飲み込むブラックホール

138億年以後には何が起こるのか? たとえば太陽程度の質量を持つ恒星はおおむね寿命が数百億年以下なので、100億年も経てば次々とその姿を消していく。新たな恒星が渦巻銀河や矮小銀河で誕生するが、生まれる数より減る方が多いので少子化現象的に総数としては減少する。

赤色矮星は中心部の温度が密度が低いため寿命が1兆年に達することもあるので寿命は他よりも相当長いが、その性質上陸地は存在しにくく光量が不足すると予測されるので、赤色矮星以外の恒星が消えゆくことで宇宙から生命も減っていくと考えるのが自然だろう。さらにその先(宇宙暦100兆年)まで時計の針を進めると、明るく輝く星はすべて消え、銀河は暗黒に包まれてしまう。

1該年も経つと銀河を構成する天体はほぼ蒸発する。残った天体は中心部へと凝縮し、そこに存在するブラックホールへと飲み込まれていく。いくつかの理論によれば1澗(かん:10の36乗)年も経つと今度は陽子の崩壊がはじまり、物質はどんどん失われていく。陽子って崩壊するんだなあと馬鹿みたいに驚きながら読んでいたが、1澗年とは途方もない数字で正直イメージが掴めない。

“こうして宇宙暦1正年(10の40乗年)頃には、陽子や中性子は宇宙空間から完全に姿を消し、電子、陽電子、ニュートリノ、光子が薄く漂うだけとなる。だが、まだ完全な終わりではない。所々に、巨大なブラックホールが残っている。”
最後に残ったブラックホールはどうなるのか?










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「循環思想の復活に希望がある!」

2017-03-25 09:49:16 | 日本

岡留恒健著 「人類の選択のとき」に以下の素晴らしいことばがあった。



都会を離れて野や山や水辺に遊び、花や樹々の緑や小川のせせらぎに出会うとホッとする。その秘密は、きれいな水や緑が命にとって善であり、「命に善いものは美しく見える」からだと、私は思っている。

田舎と都会の違いは、命の大元の水とみどりや生き物たちの数や種類、循環の量が田舎に圧倒的に多いことだ。循環するものは美しい。

春の花や芽吹きや小鳥の雛の誕生が可愛く愛おしく見えるのは、私たち死ぬ身に代わり、命が引き継がれていくことへの本能の喜びだった。

野にある花を、生きているそのままの姿で愛でる心が日本人にはある。

自然とは循環の姿、循環と言う無償の恩恵に命は生かされている。その恩恵を私たちは美しく感じるように進化してきた。他の命もその筈だ。
豊かな循環の中に居るだけで、心を癒され幸せな気持ちになれるのはそのためだろう。

命に善いものは美しく見える。

道徳の基本は、他の命の思い遣りにあると考える。
循環の中での命の連帯を学ぶことが、そのまま道徳教育であり、自然の恵みへ感謝の心や循環を大切にする心を育むだろう。人の心を大切に幸せを願うようになるだろう。お金に対してではなく大切な命への、有難う、御免なさい、お願いしますの心も、言葉も行動も、自然に身につくと思われる。生きる基準がお金ではなく、心に戻ってくれるだろう。














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「帰化した国会議員名」

2017-03-24 07:00:54 | 日本

民進党の馬淵澄夫選対委員長は8日、奈良市での会合で、二重国籍状態にある国会議員について「今国会内で十数人いるようだ」と述べた。ただし、個人名や所属政党、どのようにしてそれが分かったかなどには言及しなかった。
 
二重国籍問題をめぐっては、同党の蓮舫代表が9月の党代表選の最中まで台湾籍を持ち続けていたことが発覚。その後、自民党の小野田紀美参院議員に米国籍が残っていることも判明している。
 
帰化した国会議員!日本会議埼玉支部の吉田滋相談役が最近入手したデータは衝撃だ!帰化人国会議員一覧によると、民主党所属議員が最多だった。
nikochanbouzu  2011-12-29 21:08:33

 
◎民主党
小沢一郎の実父が済州島出身、実母は在日朝鮮人、菅直人の実母が済州島出身、土井たか子、本名・李高順、昭和33年10月26日帰化。千葉景子、近藤昭一、岩国哲人、土肥隆一、金田誠一、岡崎トミ子、築瀬進、山下八州夫、中川正春、横路孝弘、神本恵美子、鉢路吉雄、今野東、松野信夫、平岡秀夫、赤松広隆、小宮山洋子、鳩山由紀夫、実父、威一郎が結婚前に朝鮮人に生ませ子、妻の幸は在日朝鮮人、 横光克彦、松岡徹、水岡俊一、群和子、犬塚直史、佐藤泰介、谷博之、藤田幸久、増子輝彦、江田五月、高木義明、中嶋良充、円より子、中村哲治、藤谷光信、室井邦彦、横峯良郎[桜パパ]、 白真勲、奥村展三、小沢鋭仁、川端達夫、佐々木隆博、末松義規、西村智奈美、細川律夫、家西悟、小川敏夫、津田弥太郎、ツルネン・マルティ、那谷屋正義、内藤正光、福山哲郎、峰崎直樹、郡司彰、小川勝也諸氏ら山本56人。
 
◎社民党
福島瑞穂[本名・趙春花]辻元清美、保坂展人、照屋寛徳、日森文尋、近藤正道、又市征治。
 
◎公明党
上田勇、東順次、
 
◎自民党
山崎拓、河野洋平の息子、河野太郎、加藤紘一、衛藤征士郎、河村建夫、中川秀直、犬村秀章、太田誠一、二階俊博[和歌山]大野功統、馳浩。










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「ジョセフ・ナイ著『対日超党派報告書』アメリカによる日中戦争誘導の計画が漏洩か」

2017-03-23 07:05:17 | 日本

尖閣問題に続き、中国軍機の接近など、何かと日中間の諍いが絶えない今日この頃、多くの方々が摩擦をアメリカの裏工作だと訴えてきたが、ついにその証拠となる文章が漏洩した模様。
その文書とはジョゼフ・ナイが著したとされる『対日超党派報告書』である。
以下、要約し記す。



ジョセフナイ著『対日超党派報告書』。そして日本は捨てられる。
 
この米国政府の戦略文書は、かつてCIAを統括する米国大統領直属の国家安全保障会議NSCの議長で、同時に東アジア担当者であり(クリントン政権)、後に安全保障担当の国防次官補であったジョセフ・ナイが、米国上院下院の200名以上の国会議員を集め作成した、対日本への戦略会議の報告書である。
 
ナイは現在、米国の政治家養成スクール、高級官僚養成スクールであるハーバード大学ケネディ行政大学院の院長であり、そこから輩出された無数の政治家・行政マンの司令塔となっている人物である。この人物が「事実上」、米国の政策を起草している。
 
その内容は以下の通り。

 
1、東シナ海、日本海近辺には未開発の石油・天然ガスが眠っており、その総量は世界最大の産油国サウジアラビアを凌駕する分量である。米国は何としてもその東シナ海のエネルギー資源を入手しなければならない。
 
2、そのチャンスは台湾と中国が軍事衝突を起こした時である。当初、米軍は台湾側に立ち中国と戦闘を開始する。日米安保条約に基づき、日本の自衛隊もその戦闘に参加させる。中国軍は、米・日軍の補給基地である日本の米軍基地、自衛隊基地を「本土攻撃」するであろう。本土を攻撃された日本人は逆上し、本格的な日中戦争が開始される。
 
3、米軍は戦争が進行するに従い、徐々に戦争から手を引き、日本の自衛隊と中国軍との戦争が中心となるように誘導する。
 
4、日中戦争が激化したところで米国が和平交渉に介入し、東シナ海、日本海でのPKO(平和維持活動)を米軍が中心となって行う。
 
5、東シナ海と日本海での軍事的・政治的主導権を米国が入手する事で、この地域での資源開発に圧倒的に米国エネルギー産業が開発の優位権を入手する事が出来る。
 
6、この戦略の前提として、日本の自衛隊が自由に海外で「軍事活動」が出来るような状況を形成しておく事が必要である。
 
以上のように、米国は日本海の「パレスチナ化」計画を策定しており、米国は日本を使い捨てにする計画である。そして、この計画の下に自衛隊の海外活動が「自由化」され始めている。上記の米国エネルギー産業とは、もちろんロックフェラー=ロスチャイルドの事を指している。
 
このロックフェラー=ロスチャイルドの利権のために日本軍と中国軍に「殺し合いを行わせる」、これが米国政権中枢の戦略文書に明確に書かれている。
 













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「トランプの奥の院に入り込んだ誇り高き英雄」

2017-03-22 07:06:15 | 日本

高濱 賛さんが「トランプの奥の院に入り込んだ誇り高き英雄」について記す。
以下、要約し記す。


徳川幕府に例えれば、第45代米大統領「ドナルド・トランプ将軍」の政権は、四天王と外様大名トリオでスタートした。
四天王とは、スティーブ・バノン大統領上級顧問兼首席戦略官(63)、ケリーアン・コンウェイ大統領顧問(50)、スティーブ・フリン大統領国家安全保障担当補佐官(59)、娘婿のジャレド・クシュナー大統領上級顧問(36)の4人。大統領選以前からトランプの忠臣として仕えてきた。
外様大名とは、レックス・ティラーソン国務長官(64)、ジェームズ・マティス国防長官(66)、スティーブン・ムニューチン財務長官(54)の主要3閣僚。トランプ氏が大統領に選ばれたのちに「首実検」して選んだ超大物たちだ。

3人とも関ケ原の戦いで「トランプ徳川方」にはせ参じたわけではない。
閣僚で唯一の譜代大名と言えば、ジェフ・セッションズ司法長官(70)。選挙当初からトランプ大統領支持を打ち出していた。
マイク・ペンス副大統領(57)は共和党全国党大会で正式に「ラニングメート(副大統領候補)」に選ばれている。中間選挙では他の候補を支持していた。言ってみれば、譜代大名と外様大名の中間といったところだ。
ところが政権が動き出してひと月も経たないうちに四天王の一角が崩れた。

フリン補佐官がトランプ氏が大統領に正式に就任する数か月の前からセルゲイ・キスリャク駐米ロシア大使と連絡を取り、経済制裁解除について協議していたとの疑惑が急浮上。しかもこの件についてペンス副大統領に嘘の報告をしていたことも明らかになった。結局フリン補佐官は2月13日に辞任した。事実上の解任だった。

国家安全保障担当補佐官は、外交国防の要となる国家安全保障会議(NSC)の事務局長を兼務している。
NSC事務局は政策面と地域面とで部門に分かれ、総勢200人程度が専従スタッフを有している。関係各省庁から吸い上げた情報を精査分析し、安全保障に関する重要政策を決定する最高決定機関だ。

トランプ大統領は、そのNSCにバノン首席戦略官兼上級顧問を入れただけでなく、正副大統領と国務、国防両長官だけが出席して行われる幹部会議のメンバーにもバノン上級顧問を入れるという前代未聞の決定をしていた。2月初旬のことだった。
バノン上級顧問は、極右メディア「ブライトバート・ニュース」からホワイトハウス入りした「トランプの分身」とも言われる人物。トランプ政治哲学がNSCで100%生かされるように目を光らせる役割を託されたのだ。

バノン氏がNSC入りしたことでワシントンの外交国防関係筋の間では、同じ忠臣とはいえ、フリン補佐官との確執の可能性も噂されていた。その矢先にフリン補佐官がスキャンダルで失脚してしまったのだ。

トランプ大統領はその後NSCのトップ捜しに躍起となった。何人かの候補が噂されたが、いずれも帯に短し襷に長し。
結局、トランプ大統領が指名したのは、「21世紀でも傑出した軍人戦略家」(米軍関係者)と高い評価を得てきたヒューバート・レイモンド・マクマスター(通称H・R・マクマスター)米陸軍中将=55)*だった。

*大統領補佐官の就任には議会の承認は不要だが、マクマスター将軍は米軍三ツ星の現役将官のため、上院の承認が必要となる。従って正確には目下、大統領補佐官候補。

マクマスター将軍は大統領の「忠臣」ではない。だが大統領にとっては、国家安全保障担当補佐官ポストをいつまでも空白しておくわけにいかなかった。国防・外交の要を任せられる適任者を選ぶ緊急事態だ。外様であろうとなんであろうと、奥の院に引きずり込まねばならなかった。
マクマスター将軍とはどんな人物なのか。ウエストポイントの陸軍士官学校を卒業後、ノースカロライナ大学チャペルヒル校の大学院で文学修士号、軍事史で博士号を取得している。
その一方で戦場でも輝かしい軍歴を誇っている。1991年の湾岸戦争では機甲騎兵中隊を指揮、またイラク、アフガニスタンでも米軍駐留司令部の重職を全うしてきた。

今でも語り草になっているのは、1991年の湾岸戦争ではたった9台の戦車からなる部隊を率いてイラク軍の80台以上の戦車を撃破した戦歴だ。もっともイラク軍の戦車は旧式のソ連製「T62」や「T72」。それに対して米軍は最新鋭の「M1エイブラム戦車」。赤子の手を捻るようなものだった。
マクマスター将軍は、戦場での戦歴を引っ提げて2012年以降、将来の米軍を踏まえた長期的戦略と将校育成を目的とする高等起動作戦センターや陸軍能力統合センターの最高責任者として米軍内部では知らぬ人のいない存在だった。文武両道の将軍という意味では、マティス国防長官と相通ずるところがある。

トランプ大統領は最高の軍人2人を三顧の礼で「幕府」に招き入れたことになる。
マクマスター将軍が博士号取得のために書いた論文が、30年前に初版が出ているが、当時、爆発的に売れた本だ。
その後、現在に至るまで、国防総省背広組、制服組はもとより、国家安全保障問題の専門家たちの間で読み受け継がれている戦略論の「古典」である。同氏が国家安全保障担当補佐官になったことで今、再び脚光を浴びている。
内容はタイトルが示す通り、ベトナム戦争をめぐるリンドン・ジョンソン第36代大統領、ロバート・マクナマラ国防長官、統合参謀本部の責任を厳しく糾弾したものだ。

責任の所在を軍人戦略家として明らかにすることで戦争とは何か、3軍の最高司令官とその補佐役が戦争を遂行するうえでなにをすべきかを徹底分析している。

国防総省に保管されている膨大な統合参謀本部の議事録、メモ、報告書を検証したマクマスター将軍は以下のような事実関係を見つけ出す。

一、統合参謀本部は常に米軍がベトナム戦争に勝つには何が必要かを認識していた。
一、統合参謀本部の意見や主張は大統領、国防長官をはじめとする文民高官たちに無視され続けた。
一、統合参謀本部は戦略決定のプロセスですすんで共犯者になり、あるいは反論することなく沈黙を守り続けた。
一、こうした中で最大の悪者は統合参謀本部議長(1962年から64年)を経て駐ベトナム大使になったマックスウエル・テーラー将軍だった。

テーラー将軍は終始、ジョン・F・ケネディ第35代、ジョンソン第36代両大統領に統合参謀本部の意向を故意にまげて報告し、ミスリードした。また、両大統領の意向を統合参謀本部に正確に伝えるのを怠った。

なぜそんなことが起こってしまったのか。マクマスター将軍はこう指摘している。
「米国は戦争状態にあった。ジョンソン大統領はベトナムでは『中庸なコース』を取れという国内のプレッシャーにばかり気を取られていた。そのことがベトナムに派遣された米軍の軍事的目標が何であるかを明確に表現することを妨げる結果となった」

「米軍将兵は戦略も方向づけもないままにベトナム戦争に参戦していたのだった。なぜか。ジョンソン大統領は米議会と米世論を欺き続けた。大統領は自らの政権内部にあるわだかまりに目をつむり、統合参謀本部を悪者にすることで自らの政治的メンツを守ろうとした」
「ベトナム戦争の失態は、非個人的な力がもたらした悲劇ではない。それは関わり合いを持った個々の人間の失敗が生み出したものなのだ。言い換えると、それはジョンソン大統領と国防長官、そして彼らを取り巻く軍人、文民のアドバイザーたちの責任感の欠如にあるのだ」
「責任感の欠如は、どこから来るのか。彼らの傲慢さ、優柔不断さ、さらには私利私欲だ。それらが米国民に対して持たねばならない責任の放棄につながったのである」

長いこと国家安全保障問題を取材してきた米主要紙のベテラン記者の1人は筆者にこう述べている。

「マクマスターという男は、軍事戦略的に見て自分が正しいと思ったことは上司が何と言おうとも変えない。現場での戦闘に裏づけされた自信がある。彼がNCSに入ったことでベトナム戦争をめぐりジョンソン大統領らに突き付けられた矛先はトランプ大統領にも向けられている」
「差し当たって、懸念されるのは、トランプ大統領の腹心バノンとの確執だ」

「マクマスターはトランプ大統領の基本政策である米軍の強化、例えば陸軍の規模を増やすことや海軍の戦艦増強、陸軍の近代化などでは一致している。だがロシアのウクライナ侵攻やクリミア半島合併に猛反対している」

マクマスターという「アイコノクラスト=聖像破壊主義者*」(ブルームバーグのマーガレット・タレブ記者)を政権に招き入れたことがトランプ大統領にとって吉と出るか凶と出るか。「神のみぞ知る」といったところだ。

*Iconoclastとは聖像を破壊するもの。そこから既成体制をぶち壊して新しい息吹を入れる改革者といった意味。










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「教育勅語は軍国主義の思想か」

2017-03-21 07:38:47 | 日本

歴史を封印する戦後の国体の欺瞞、池田信夫さんが「教育勅語は軍国主義の思想か」と題して掲載している。
以下、要約し記す。



大阪の学校法人・森友学園が安倍首相の夫人・昭恵さんを名誉校長にし、幼稚園児に教育勅語を読ませていたことが国会で問題になり、稲田朋美防衛相の失言が出て騒ぎになっている。これは国会で証人喚問するような問題ではないが、ちょっと考えさせる


教育勅語は戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が禁止したので、「軍国主義を子供に教え込む危険思想」と思われている。世の中では教育勅語は、ヒトラーがドイツ人を戦争に駆り立てた『わが闘争』のような軍国主義だと思われているが、それは本当だろうか。
稲田氏が国会で「日本は道義国家を目指すべきだという教育勅語の精神は取り戻すべきだ」というトンチンカンな答弁をしたのは、国民道徳協会の「超訳」によるものだろうが、「道義国家」という言葉は原文にない。

原文は短い訓話だが、これを読んで意味の分かる人はほとんどいないだろう。当時の子供も最初の「皇祖皇宗」の部分しか分からなかったようだが、当時の文部省図書局による「全文通釈」の前半は次のようなものだ。

『朕がおもふに、我が御祖先の方々が国をお肇めになつたことは極めて広遠であり、徳をお立てになつたことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。[中略]

 
汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合ひ、朋友互に信義を以て交り、へりくだつて気随気儘の振舞をせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。』


この最後の部分が問題にされているが、原文は「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」。これは「戦争になったら天皇に命を捧げよ」という意味で、天皇主権だった明治国家としては当然だった。

同じような言葉は、イギリスやフランスの国歌にもある。これが軍国主義なら「武器を取れ 市民らよ 隊列を組め 進もう 進もう! 汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで!」と繰り返すフランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」は、もっとあからさまな軍国主義である。

教育勅語の中身は、多くの人が思っているほど危険なものではない。たった315字の訓話で、300万人以上の人々を戦死させることができるはずもない。これを軍国主義として全面否定するだけでは、日本が道を誤った原因は分からない。

教育勅語を1890年に起草したのは、当時の法制局長官、井上毅である。彼は明治憲法を起草した知識人だが、憲法と同じぐらい教育勅語には情熱を傾けた。それは彼が自由民権運動に危機感を抱き、日本国民を統合するには、天皇を中心とする国家意識を子供のときから教え込む必要があると考えたからだ。

彼が山県有朋首相に提出した勅語の7条件には「敬天尊神などの言葉を避けるべきだ」と書かれ、政治的に中立で陳腐化しないように工夫されている。たしかに「忠孝」を強調する家族国家は儒教的だが、「仁」や「礼」といった儒教独特の言葉はない。

「皇国史観だ」ともいわれるが、それらしい表現は冒頭の「皇祖皇宗」ぐらいで、天皇を神格化することは避け、「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」というように立憲主義を強調している。これは明治憲法から一貫した井上の思想である。

当時の日本が直面していた最大の脅威は、ヨーロッパ列強の侵略だったが、彼らの国力の最大の要因は、多くの国が「国教」で国家を精神的に統一したからだ、と井上は考えた。しかしキリスト教が2000年近い歴史の中で神学大系を完成させたのに対して、日本にはそういう宗教が何もない。

そこで井上は聖書の代わりに教育勅語をつくったが、これはあまりにも抽象的で簡単すぎたので、東大法学部では、上杉慎吉や穂積八束のように天皇親政を「国体」とする学説が主流になり、美濃部達吉のような立憲君主制は異端として追放された。そのとき立憲主義の教育勅語は利用されなかった。
このように戦前の歴史の中で教育勅語の果たした役割は大きくないが、それは戦後は軍国主義の代名詞としてタブーになってきた。日の丸や君が代は辛うじて復活したが、それもいまだに学校で論争になっている。

他方で森友学園の籠池泰典理事長のような「戦前派」もいる。今回の事件は、彼のような「保守反動」が安倍首相と結託して日本を「右傾化」させているという思い込みで朝日新聞が針小棒大に取り上げたものだが、肝心の首相の関与は何も出てこない。
昭恵さんが名誉校長をやっていたことは事実らしいが、それは首相の政治責任とは何の関係もない。反原発デモや沖縄の辺野古基地反対運動に参加していた彼女が右翼的な学校をほめたのは奇妙だが、彼女の世代(1962年生まれ)ではそういうイデオロギーに大した意味がないのだろう。

稲田氏(1959年生まれ)も、世間で思われているほど強硬な右派ではない。今回の「道義国家」でも分かるように、教育勅語もネットで現代語訳を読んだ程度だ。安倍首相の安保法制も外務省のボトムアップで決まったもので、思想的な背景はない。靖国参拝も、自民党の集票基盤である遺族会などの「戦前派」へのサービスだろう。

これに対して強硬な左派も多くない。民進党は総崩れだし、マスコミも影響力がすっかり落ちた。森友問題は久しぶりに事件として安倍政権を追及できる「代理戦争」と意気込んだのだろうが、大山鳴動してネズミは1匹しか出てこない。昭恵さんは責任の取りようもない。

教育勅語が日本を戦争に導いたわけではない。むしろそこに見られる無内容な「国体」が軍部や皇道派に利用され、「大東亜共栄圏」などの誇大妄想に発展したことが問題なのだ。今の右翼も左翼も歴史に目を閉ざして古いイデオロギー論争に明け暮れているが、朝鮮半島で戦争の起こるリスクは小さくない。ローカルな幼稚園の問題で国会審議を空費している場合ではない。












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「神の慮り」

2017-03-20 07:35:48 | 日本

ニューヨーク大学病院リハビリセンターのロビーに掲げられている、ある患者さんの詩

意訳 神渡良平氏


大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。

より偉大なことができるようにと健康をもとめたのに、より良きことができるようにと病弱を与えられた。

幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。

世の人々の賞讃を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。

人生を楽しもうとたくさんのものを求めたのに、むしろ人生を味わうようにとシンプルな生活を与えられた。

求めたものは何一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられていた。

私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されていたのだ。












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「チャレンジする組織のつくり方」

2017-03-19 10:18:50 | 日本

スタンフォード大学のキャロル・S・ドゥエック教授は、思春期の子どもたち数百人を集めて、子どもたちにとって難しい問題を10問やらせました。そして、子どもたちを正答率に差がない2つのグループに分けました。

次に、Aグループの子どもたちは「固定型マインドセット」に意識が向くようにほめ、もう一方のBグループの子どもたちは「成長型マインドセット」に意識が向くようにほめました。

「固定型マインドセット」に意識が向くようにほめるとは、たとえば、「8問正解だ。君はもともと頭がいい」「生まれつき才能がある」「君は優秀だ」というように、能力はもともと備わったもの、固定されているものであるかのようにほめるということです。

「成長型マインドセット」に意識が向くようにほめるとは、「8問正解だ。君はよく頑張ったんだね」と、努力によって人は変化することが当然であるかのようにほめるということです。

すると、その直後から2つのグループに違いが出てきました。
Aグループの子どもたちは、新しい問題にチャレンジすることを嫌がり始めたのです。「頭がいい」「優秀だ」とほめられた子どもたちは「自分の能力はこれ以上変化しない」ほうが都合がいいのです。新しい問題にチャレンジしたら今度は失敗するかもしれません。失敗したら「頭がいい」「優秀だ」とほめられたことを手放すことになりかねません。それを恐れてチャレンジそのものを避けるようになったのです。

一方、Bグループの子どもたちの9割は、自分から次々と新しい問題にチャレンジしはじめました。頑張ったこと、努力したことをほめられたことによって、もっと頑張ろうとしたのです。

この調査は、知能検査の問題を使って行われました。次々と難しい問題に挑戦させ続けた結果、Aグループの子どもたちは「自分は頭がよくない」「優秀ではなかった」と自信を失うようになり、知能検査の結果が元の点数より下がってしまいました。

Bグループの子どもたちは最後まで難しい問題にチャレンジすることを面白がり、結果として知能検査の結果が上がったことが確認されたのです。

私たちは誰もが「成長型マインドセット」を持って生まれてきたはずです。

しかし、Aグループの子どもたちは、「もともと優秀であること」や「生まれ持った才能」で評価されることが分かると、それを失うことを恐れ、新しいことにチャレンジしなくなりました。自分への評価を、そこで「固定」して欲しかったためです。
人は「何によって評価されるのか」に敏感です。

私たちは、今自分が居る環境が「何によって評価されるのか」を素早く察知することで、周囲から受け入れられやすい方法を選択しようとします。
もし、あなたの組織が「チャレンジする組織」ではないのなら、その原因は、社員の意識を「固定型マインドセット」に向かわせるようなコミュニケーション、つまり「頑張る」「努力する」「挑戦する」といった「行動」よりも、「頭の良さ」や「優秀さ」といった「状態」を評価するコミュニケーションが社内で行われている可能性があるのではないでしょうか。
「チャレンジする」とは「行動」です。

行動することをより評価するコミュニケーションを組織の中で増やしていくことが「成長型マインドセット」を組織内で増やすヒントではないでしょうか。

しかし、あなたの組織が「固定型マインドセット」であふれた組織であっても、決して心配することはありません。
マインドセットは「考え方」だからです。

あなたのマインドセットは、あなた自身で変えることができます。たとえ組織内で「成長型マインドセット」を持つ人があなた1人であっても、周囲をあなたのコミュニケーションで「成長型マインドセット」へと変化させていける可能性があるのです。あなたが上司なら、なおさら部下のマインドセットに大きな影響を与えることができるでしょう。

「チャレンジする組織」の第一歩は、あなたのチャレンジからなのかもしれません。









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「好印象のエッセンス」

2017-03-18 06:56:12 | 日本

松本守正さんのブログ「好印象のエッセンス」について記す。



人間関係は人が主役。
人は第一印象で80% 好きか嫌いかが決まるそうです。
ということで今日はちょっと素敵な自分になるエッセンスを教えてあげたいと思います。
 
☆好印象に思われる方法
☆服そう 髪型 髪の色。
☆時間に正確。
☆きちんと挨拶をする。
 
 
◇謙虚であると思われる方法
◇私が…俺が…という言葉を使わない。
◇「そうですか 私も以前そうだったんですよ」 又は「私もそう思っていました」

とその人の意見に同調する。
 
*熱心で前向きと思われる方法
●人の話をよく聞き、前向きな質問をする。
●姿勢が良い。
 
*自信に溢れて活気のある人と思われる方法
●相手の目を見て話をする。
●一緒にいて楽しい♪
 
わくわくしましょう!!











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「決断力」

2017-03-18 06:54:55 | 日本

松本守正さんのブログ「決断力」について記す。



決断力のない人の特徴

1.先のことをあれこれ思い悩むくせがある。

2.失敗した時のリスクばかりを考えて決断できない。

3.決断にはリスクがつきまとうことを認識できていない。

4.自分も他人も信用できない。

5.今ここを生きてない。

6.決断力をつける訓練をしていない。



そこで決断力をつける方法を3つ教えます。

1.積極的な思考が出来る。

2.いい意味で開き直りが出来る。

時には思いっきりも、割りきりも、ふっきりもいる。

3.常に誰と会って、どんな話をするか想像すること。













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