龍の声

龍の声は、天の声

「京丹波の新米百姓の記録 ①」

2013-09-01 11:02:55 | 日本

以前、「龍の声」でも紹介したが、わが輩の友で、京都府京丹波町に新米の百姓、森下克人兄(49歳)がいる。素人百姓だが早3年の月日が過ぎようとしている。多分、難儀をしていることだろうと思い、激励がてら表敬訪問をした。ところが、なかなかどうして、いや立派な凄い百姓に進化していた。
そして、某雑誌社に取材を受けた、これまでの困難な日々を乗り越えてきた記事を見せてくれた。実に見事なものである。
敬意をはらい、また今後の農業者志望の方への参考として、以下、4回にわたり要約し記す。



森下さんは、愛知県大府市で長年サラリーマンとして働いていた不動産業を辞め、「農家になりたい!!」と家族5人で京都の和知という縁もゆかりもない土地に移住してしまった なんとも豪快な人 である。

森下克人さんは、新規就農者にしてはちょっと珍しい40代。京丹波町の和知地域という場所で農家を始めて今年で3年である。農家の大先輩である農民連京都産直センター副代表の越川尚男さん(65才)との出会いや、様々な人との縁のおかげでなんとか先が見えるようになったものの、ここまで来るには無謀というか大胆というか、なんともハラハラもののドラマのような道のりを歩んできた人である。

森下さんは、「農業をやろう!! 移住するぞ!!」と決めたものの当てがある訳でなく、農家の知り合いもなく、まずは場所探しからスタート。テレビでよくやっている 「農家に転身し、のんびりとした田舎暮らし」 という夢のような美しいイメージを頭に描き、「どこかによさそうな農地と家はないもんか」とネットで調べてみたところ、高知、愛媛 和歌山あたりに「移住して農業しませんか? 2年間の研修つき」というのを見つけた。「お、けっこうあるじゃん」と気をよくしたものの、よく考えてみると、移住するまでには引っ越し準備やら農業の手続きやらと日参せねばならない。なんたって3人の子持ち、一番下の子はまだ幼稚園の年中さん、そんな遠くまで再々通えない。「う~ん…もっと近場でないもんか?」と探していると、「実践農場」というキーワードで京都府にヒットした。他の県の場合、「2年間研修させてあげます。そのあとは自分で農地を探してね」 というやりかたが一般的だが、京都は「最初に農地を探しますよ、そして2年研修してね、農地も用意しますよ」というものである。「お、いいじゃん!」と思った森下さんはさっそく問合せの電話をし、相談の予約をした。予約をしたあとに奥さんに「京都に行こう!!」と報告。普通の奥さんなら「何を突然!」と怒るのだが、そこは豪快な森下さんの妻、人物が違う。という訳で、年中さんの幼稚園児を連れ、3人で京都へ移住した。

さて、意気揚々と相談しに来た森下さんに対して京都府の担当者は、「本当に来たんですか!? 困るんですよねぇ家族連れは…」と明らかに迷惑顔である。どうやら、家族連れの移住となると、紹介する行政側も「失敗して家族路頭に迷いでもしたら大変」 と責任を感じるらしい。「田舎暮らしのイメージで来られても成功しませんよ、やめたほうがいい」とか、「だいたい相談に来られるのは身軽な独身者なんですよ。家族連れは家族全員の生活がかかってきますから失敗します」と話進ない。ホームページで書いてることと言うことが違うじゃないか、ホイホイ紹介してくれるのかと思ってたのに「やめとけ、失敗する」のダメ出し三昧の熾烈な攻撃であった。それでも「移住して農業をしたいんだ!どこか場所を紹介して」と強い意志で迫ると、「う~ん、京都も広いですし…」とのらりくらり。 結局 森下さんの「できるとしたらどこですか!?」 との粘りに
「京丹波町以北なら土地も安いし…そのあたりでどうですか」ということになった。 京丹波がどこにあるのかさっぱりわからない森下さん、「丹波? わからんけど名前の響きもイメージもいい感じ」 となんとも軽い乗りで、「ではそこで物件紹介して」という運びになった。「母屋がひとつ、離れがひとつ、田んぼが少しに農機具つき」という物件を3件紹介してもらい、見に行くことになったのが平成22年の9月、初めて京丹波の和知の駅に降り立った。

「いや~ぁ 田舎だねぇ~ …」見渡す限り四方が山。
紹介された役場へ直行して「物件見にきました」と伝えると、ここでも「絶対無理です!」攻撃が始まった。「サイトの中ではいかにもできそうに非常にいい感じに書いてるでしょうが、実際の成功例は少ないんです。キビシイものだとわかっておいてほしい。
農業を専業にするのは無理です。3年間収益は出ない。その間 家族が食べていけて、農機具を買って、と考えると手持ち資金が1200万は必要ですよ。そのくらいの資金がないと、その後仕事として回っていくまでの余裕が作れませんよ」とまたもや熾烈なダメダメやめとけ攻撃を受けた。「なんだよ、テレビの話と違うじゃないか」と思ったけど、もう仕事もやめてきてるし、移住の覚悟も意志も後には引けない。「とにかく物件を見せて下さい」と例の3件に連れていってもらった。

2件はどちらもボロボロ、イメージと違う…。ところが3件目が森下さんのイメージにぴったりであった。 茅葺きに鉄板を被せた昔ながらの古民家の母屋。離れはというと、一軒家並の広さ。120坪の畑がついて合計240坪。 後でわかったことだけれど、昔に旅館をしてた家だったらしく、伊能忠敬の一派が地図作りのために文化11年に泊まったんだとか。そこから計算しても築200年以上のしろもの。宿代が払えず襖絵を描いて宿代代わりにしたという、その襖絵までまだ残っている。
不動産業界にいた森下さんには宝のような家である。「ここだ!!」と決断し、「いくらですか?」と聞くと、売り主さんは「650万や。トラクターもコンバインも米の冷蔵庫も米の乾燥機もつけとく」 との話である。ほしいけど高い!!「500万しか払えない」と言うと、「それでよいわ」 ということで、晴れて平成22年の12月末に売買が成立した。