龍の声

龍の声は、天の声

震災地の「土壌海洋汚染・健康対策についての提案」

2011-04-30 23:17:42 | 日本
東北関東大震災・震災40日後の被災地の状況②で掲載した「土壌海洋汚染・健康対策」について、

A.津波被害をうけた地域は、土壌が塩害汚染されているため、農作物の生産に困難を極める。
B.放射能による農産物、土壌汚染や魚介類、等々の海洋汚染への対策が重要である。
C.射能影響地区住民の健康管理のためには、体内の免疫力を高めるための漢方薬品、健康食品、等々の投与も大切である。

以下、その対処策をしるす。


先ず、A.B.への対策方法である。

㈱地球環境秀明(ひでみつ)では、排他的な関係にある「嫌気性微生物」と「好気性微生物」を人工的に共存させることに成功した。このEMBC複合酵素菌の活用により、今まで不可能とされてきた環境汚染や土壌海洋汚染の浄化、汚泥浄化消滅、悪臭の完全消滅、等々、多種多様の分野で活用が可能となった。



【1】EMBC複合酵素液エナジー水の作り方(1トンの場合)

埼玉県日高市 (養豚業)柳田ファーム視察報告
・1トンの槽から毎日約300ℓの液肥が出来る。これを約3000倍に薄めて使う。またこれを糞尿に混ぜれば匂いも消え、良質な堆肥となる。

柳田ファーム(養豚業)風景

↓第1次EMBC複合発酵槽

↓第2次EMBC複合発酵槽

↓水道の蛇口からネナジー水が出ている。

↓糞尿にエナジー水をかけて作った堆肥


①EMBC複合酵素菌1000ℓ用の菌+適度な量の糞尿豚(人、鶏糞、等々も可)+水を混ぜてバッキする。
②夜間に4時間ほど運転を止めておくと、複合酵素菌(EMBC)が沈殿する。
③槽の上層部1/3位の液を抜く。これが堆肥用エナジー水である。
③これを2槽、3槽と繰り返し行っていけば、光合成がおこり完璧なエネナジー水ができる。
④さらに、0.5μ程度の浸透膜をとおせば大腸菌もまったくなくなり、飲料用としても使用できる。
⑤状況に応じて、年間数回の微量のEMBC複合酵素菌を追加することもある。
⑥設備は比較的安価でできる。
・複合酵素菌(EMBC)価格1ℓ 120円(1トン12万円)
・ポンプ設備
・1トン用の槽
・配管設備
・電気代、水道代、他




【2】環境浄化報告書

三重県鈴鹿市 (有)まつお   奈良漬け工場
・悪臭がまったく消えた。
・汚泥が順次消えて(消滅)いる。
・放流水の塩分濃度が、7% → 0%になった。
・PHが4 → 7になった。

<環境浄化の経緯>

①当社は創業以来、漬物製造専門会社として、奈良漬けをはじめ数々の漬物商品を製造してきたが、漬物製造過程で発生する所謂「廃液」処理に関して、長年頭を悩ませ苦労を重ねてきた。2000トンの活性汚泥槽を有するも悪臭が消えず、廃液の塩分濃度は7%・PH4もあり、社内敷地内はもとより近隣近郊地区の住民や放流水が流れる河川流域に多大な迷惑をかけてきた。また活性汚泥槽内の残留汚泥も多く溜まり、その処理費用も高く経営全体を圧迫してきた。

②平成20年夏、環境汚染の改善を図るために「EMBC複合発酵活性槽(エナジー水製造プラント)」5トン用を導入した。そしてこのプラントより生産出来る「エナジー水」(1日1~4トン・無臭・塩分0%・PH7)を、従来から使用している2000トンの活性汚泥槽の上部より全体にいきわたるように噴霧を行った。その結果、悪臭を見事に消すことに成功した。だが、2000トンの大きな槽にて24時間撹拌をおこなっているため、時間とともに水中からの悪臭が再び発生しだした。エナジー水を噴霧→消臭→悪臭発生→噴霧→消臭→悪臭発生と繰り返され、抜本的な環境浄化の対策が出来ないでいた。

③試行錯誤を重ねるなかで、昨年8月より、エナジー水を工場内の洗浄排水ラインに24時間連続して投入するようにした。その為、毎日、工場内より排水される原水約10トンは、洗浄排水+エナジー水の混合となって、原水槽を経て、2000トンの活性汚泥槽の中に流れていくこととなった。そして、活性汚泥槽からの放流水約10トンの内、1トンのみを再びEMBC複合発酵活性槽(エナジー水製造プラント)の中に戻して循環させ、残りの9トンのみを放流することにした。所謂、エナジー水の循環型プラントである。

④循環型プラントにして数日が経過した。ある日、突然2000トンの活性汚泥槽に異変が起きた。槽内の水質に大きな変化が出はじめたのである。水質は活性化され、今までの悪臭は一切消え、塩分濃度は何と、0%・PHは7に変化した。さらに、槽内に溜まっていた大量の汚泥が順次消えて(消滅)いる。

⑤この循環型プラントは、現在もさらに良い進化をつづけている。例えば、エナジー水の色が従来は黄金色であったが、現在は全く透明に変化しており、この現象は水の中内の粒子の大きさが極めて微小に変わったためである。またこのエナジー水は太陽光の下、何日置いていても水中より藻が発生することはない。

⑥現在このエナジー水を各種環境浄化等にむけて活用中である。


【3】各種環境浄化等にむけて活用中
・農業地の土壌改良(連作障害の防止)、農産物や植物への葉面散布、等に活用
・各種消臭液として活用(活性汚泥槽、室内車内消臭、等々)
・各種糞尿処理による無臭堆肥生産、等に活用
・各種畜産水産魚介類の餌や飲料水に混ぜて活用
・各種環境浄化対応(工場の汚水、家庭や会社、コンビニの汚水、河川、等々)
・生物全般の活性液として活用
・等々、多数有り




次に、C.への対策方法である。 


現代の日本人は様々な汚染物質の中で生活し人間が本来持っている免疫力が相当落ちてきている。
この免疫能力を高めて身体を元気にするのが「βグルカン」である。

免疫力を高める!
そう、丁度、健康でよい作物を作るには、土の上に出ている部分にいくら農薬や栄養を与えてもよいものは出来ない。それは「土壌8割」と言って、土壌に栄養を与え、土壌を浄化し、土壌自身が本来潜在的に持っている力を十分に発揮させることがポイントである。当然、無農薬や減農薬栽培が可能となる。
人間においても同じである。人間が本来持っている「力」を十分発揮させるためには、自己に内在する免疫力を高めること。そのことにより、あらゆる病原菌汚染から身を守り、自身の精神の健康までもが健全になる。これが最も重要である。

この免疫能力を高めて身体を元気にするのが「βグルカン」である。これをもっとも多く含有しているのが、鹿児島県で栽培加工された純国産天然素材で作られた「かごしま薩摩霊芝」である。何と!霊芝100g中、52gものβグルカンを含んでいる。通常の霊芝の場合は、12.6gであり、有名なアガリスクでさえも、その含有量は、11.8gである。

だか、βグルカンは大変高価であり、なかなか庶民の手には入りにくい。通常、1g1万円で売買されている。

しかし、この「かごしま薩摩霊芝」の農場経営者は、考え方が他とは異なる。
言わく、「戦後の日本人は、占領軍の弱体化政策の一環として、農薬漬けにされたものを食べさせられてきた。だから、頭も身体も考え方までもが、健全でなく、弱々しく、ヘンテコリンになってしまった。その結果、今日のわけのわからぬ日本が出来てしまったのである。
この日本の再生には、先ず、日本人が潜在的に持っている「大和魂」と言う免疫力を高めることである。日本人みんなが、内在する免疫力を高める方法を私財を打ち込み長年研究してきた。そして出来たのが、βグルカンが極めて豊富な[かごしま薩摩霊芝]である。これを全国民が服用することこそ、日本再生の礎となる。弊社は、これを原価で出すことを誇りとするものである。」と言って、何と!通常の1/10の価格(8g8800円)で販売している。(粉末用・カプセル用有り)

流石、何とも凄い薩摩隼人もいたものである。

[かごしま薩摩霊芝]


【用法】
コップ1杯の水に、霊芝を小さじ1杯を溶かして、毎朝または就寝前に1日1回飲む。何回飲んでもよい。

【効用】
免疫力増強(各種がん.脳卒中.花粉症.アトピー.ぜん息.リュウマチ.他)。
神経質(不眠症.ノイローゼ.神経痛.心身症.のぼせ.健忘症.肩コリ.他)。
呼吸器系(肺炎.気管支炎.他)。循環器系(心筋梗塞.心不全.脳卒中.動脈硬化.高低血圧.冷え症.他)。
消化器系(胃腸虚弱.胃潰瘍.十二指腸潰瘍.他)。
泌尿器系(腎炎.膀胱炎.頻尿.他)。
生殖器系(更年期障害.精力減退.生理異常.他)。
他多々。

希望者は、
電話(099)259-3333 (株)鹿児島県さつま芋王国  浜田武久氏
尚、ブログ「龍の声」の紹介と言えば便宜を図ってくれます。



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管首相 3・11大地震後の一連の総括②

2011-04-29 23:06:09 | 日本
管首相 3・11大地震後の一連の総括②

④震災関連の立法

震災関連の立法が全く行われない。今回の震災は国難というべき事態だから、平時の法体系では対応しきれないのは明らかである。それにも関わらず立法が行われないのは、政治が機能していない証拠である。与党が、まとめたうえで野党の協力も得て法案を成立させるという「立法能力」が全くない異常事態である。
議員内閣制における首相は行政の長であると同時に、与党の党首として法案の作成だけなく成立にも責任を負っている。しかし管首相は、参院で過半数割れしていて野党の協力が得られない限り、法案を成立できない。
今や与野党議員の中から「危機だから首相を早く代えなくてはならない。」と言う声が日増しに大きくなってきた。


⑤首相ポストへの執着

管氏は、首相ポストへの執着においては微動だにしない。市民運動家から衆参合わせ計3度の落選を経てようやく衆院選に当選、最高権力者の地位に上り詰めた菅の権力への執着は、2世議員、いや自民党のどの首相よりも強いのかもしれない。
こうした首相を辞めさせるのは、日本の政治制度上、実に難しい。参院での問責決議案は法的根拠がなく、唯一、憲法69条でこう規定されているだけだ。
「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」
つまり、内閣不信任案が可決された場合、首相は衆院解散か総辞職かの選択を迫られる。被災地の現状や、09年総選挙に関する最高裁大法廷の違憲判決(3月24日)を考えれば解散は事実上できず、総辞職となるだろう。民主党と国民新党、民主党系無所属の合計議席は313議席。これから過半数の240(欠員1なので総議席は479)を引くと、73人。73人以上が造反すれば不信任案が可決されることになる。


⑥日本は必ず復興できる!

重要なのは「日本は必ず復興できる」という安定した政治体制を築くことである。それによって先行きへの不安が解消されれば、国民の消費や企業の生産を向上させることも可能であり、それを受けて国際社会の日本経済にたいする評価が下がることも避けられる。                               

<了>

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管首相 3・11大地震後の一連の総括①

2011-04-28 20:32:43 | 日本
管首相 3・11大地震後の一連の総括①

管首相に関する、3・11大地震後の一連のニュースと評価をまとめてみあえ。

①在日外国人献金問題

菅直人首相の資金管理団体が、在日韓国人の男性から献金を受けていた問題が発覚したのは3月11日朝。同様の問題で前原誠司氏が外相を辞任したばかりとあって、永田町は騒然となった。この日は、午後2時過ぎ、東京都の石原慎太郎知事が都議会本会議で4選出馬を表明。そして同2時46分、大震災が列島を襲った。首相の献金問題は、震災発生を機にほとんど消えてしまった。
首相は献金問題の発覚時、献金の受領を認め「外国籍とは承知していなかった。外国人と確認されれば全額返却したい」と釈明していたが、3月14日に献金計104万円を返却していたことが4月8日、判明した。首相が代理人の弁護士を通じて明らかにしたもので、東日本大震災の発生1カ月を間近に控え、どさくさに紛れての対応だった。
返せば済む問題でないことは言うまでもない。


②復旧と復興とは違う

管首相は4月1日、またもや奇妙な記者会見をした。「いよいよ復興にむけた準備に入らなければならない」として、復興構想会議を4月11日までに立ち上げるという。そして「与野党を超えて協力を推し進める体制をつくる」と強調した。これは、今まだ火事が鎮火していないのに、その家の主が、新しい家の設計図づくりに頭を向けているに等しい。その結果、首相への不信感が増幅されてしまった。復興構想は、首相が内々に政府部内で構想策定の検討作業の開始を指示すればよいのである。大火事の真っ只中で、復旧の真っ只中で、指揮を執っているはずの首相が、まだそれを言い出すときではなかった。


③阪神大震災との違い、

非常時の組織は、責任分担を明確にし、指揮系統を強める。そのためには出来る限り簡素であるべきである。ところが管首相は、それとは全く逆の動き、沢山の窓口をどんどん作ってしまった。
1995年の阪神淡路大震災の際に、自社さ連立政権の社会党である村山富一首相は、自民党の小里貞利氏に地震対策担当相として「人事と予算」を含めて全権を一任した。これは本来は、物凄いことである。しかし、村山首相は彼と張り合うことはなく、激励と慰労に努めた。管首相も当然当時のことを知っているはずである。しかしどうしても前に出たいのが管首相である。己を殺し、相手を生かす!これが出来ない宰相である。


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原発が何故、人災か?

2011-04-27 20:31:01 | 日本
原発が何故、人災か?

元衆議院議員の田中秀征氏は次の如く、喝破する。

今回の震災は、過去の大地震や大津波と比べて大きな違いは「原発」があったか否かにつきる。
原発とは、他の災害と異なり起きたとたんに国際問題、世界問題になる。
政府にはこの認識がなかった。

原発には金がかかる。原発事故は起きないし、あってはならない。だからそれ以上の論議がされていなかった。
そして日本は世界一安全な国であると宣言していた。
そのため、今回のように事故が起きた場合の非常用対応が出来ていなかった。

では、原発が人災である根本的理由とは一体何なのか?
それは、「日本の統治構造の欠陥」につきる。すなわち、チエック機能が働かないことである。
監視や規制する側が、される側から恩を受けているため厳しいチエックができない構造になってしまっていることに問題がある。

例えば、監視監督側の警察が、ヤクザにご馳走になっているとどうなるか?
監視監督側のネコが、ネズミに世話になっているとどうなるか?
経産省の人間が、天下り先、人事交流の場等々、東電にお世話になっている。
だからチエック機能が働かない。

政治も含め、ほとんど全ての日本の行政機関がおなじ構造になってしまっている。
この点が最大の理由である。

自主申告、自主規制、企業の社会的責任、等々には期待できない。
まったく違う所から監視監督して、これをコントロールする。
規制は外から行うことである。

日本社会の生まれ変わりとは、この装置をきちんんとすることから始まる.

自立ある国創りの根底には、秩序が整然とおこなわれるような「チエック・アンド・バランス」機能の回復が重要である.


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東北関東大震災・震災40日後の被災地の状況②

2011-04-26 20:27:22 | 日本
東北関東大震災・震災40日後の被災地の状況②

・自然の力の前には人間はまったく無力だ。
・すべて人間の心の健康回復を軸とした政策や対策対応が重要である。
・政治の強いリーダーシップが最重要。すべての対応が遅すぎる。

①行政に望みたいこと。
A.支援物資運搬の「緊急支援認定登録制度」を導入して、これを受けた車両には、高速料金の大幅な割り引きを適用すること。またガソリンの優先給油を行なうこと。これによって遠隔地からの支援が大きく前進できるのではないか。

②義援金について。
A.被災者への義捐金支援も大切だが、被災地の支援活動にかかわっている地元ボランティアの人や団体の方への対策も重要である。彼らは、皆さん手弁当である。全国からの義援金が渡ることはなく、多くが無償の善意で片付けられてしまう。だが、地元に一番詳しい方々こそ、義捐金等々の対策を至急講じてあげることにより、より一層早く復旧復興ができる。
B.億単位で資金寄付ができる個人団体は、そのお金で自ら基金を作り、無償の善意活動を行なっている個人団体への活動に資金を供与するというのも一つの方法である。

③復旧作業
A.被災地では救援活動とは別に、膨大な瓦礫を取り除く作業が必要である。自衛隊などの装備は重厚で大きな瓦礫を除去したり、道路を確保したりするのには力を発揮するが、広大な地域への対応には、もう少し小型の重機、トラックを数多く配置しなければ、なかなか片付かない。 小型の重機、トラックを動員するには全国から集めなければならないが、これこそ無償の善意では出来ず、有償ミッションの形態が必要となる。西日本、日本海側の有志に対して、基金から、資金援助を行い大きな力を動員してもらうことも考えるべきである。
B.作業員への配慮も重要である。作業員(人夫)は相当忍耐強いか、この地に思い入れがあるか、志が高いか、そうでないと数日で参ってしまうだろう。
C.瓦礫跡から、目にみえない粉塵、アスベスト、等々が舞い上がっているため、これへの対応が必要である。
D.これからの梅雨や夏にかけて季節には、伝染病が蔓延する恐れがある。衛生面での対応も重要だ。
E.被災地の住民の働く場所がない。被災地復興事業の中にて、生活手段を考えあげることも必要となる。

④物資支援
A.各被災地の状況を見る限りでは支援物資はほぼ充足している様子である。問題は、物資の集積所から小規模の避難所、個人ベースの避難所への配送がまだまだ出来ていないことである。
B.物資支援の継続は、1年ぐらいは続くと予想されており、今後も引き続き支援が必要となる。
C.デタルト食品が多く来ているが、いつもこれでは味気なく身体に悪い。簡単なものでもいいから、なるべく火のとおす食材や炊飯食材の食事が必要だ。
D.これらの依頼に応えるためにも、継続してボランティア活動を行なわなければならない。しかし長期にわたると個々における資金がつづかない。この点も考慮すべきである。

⑤土壌海洋汚染対策
A.津波被害をうけた地域は、土壌が塩害汚染されているため、農作物の生産に困難を極める。B.放射能による農産物、土壌汚染や魚介類、等々の海洋汚染への対策が重要である。
C.射能影響地区住民の健康管理のためには、体内の免疫力を高めるための漢方薬品、健康食品、等々の投与も大切である。


⑥今回現地に入り学んだこと
A.建物等々、物の損壊への対応も重要だが、もっとも重要なことは「人間」への対応と対策である。人あっての復興である。物の損壊への対応は遅いか早いか、いつの日にかできる。しかし人間は違う。人間は生きているからだ。
B.一瞬にして受けた精神的なショックや諸々の不安、そして今ある現実の生活の不安な日々。一日も早く回復すべきことは、被災者自身の健康な心を取り戻すことである。
C.行政の対応やボランティアの方々、支援物資、義援金、等々のすべては、人間の心の健康回復を軸とした政策や対策対応でなければならない。


以上


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東北関東大震災・震災40日後の被災地の状況①

2011-04-25 21:06:50 | 日本
東北関東大震災・震災40日後の被災地の状況①

H23.4.21~23日の間、
宮城県石巻市・宮城県南三陸町・宮城県気仙沼市・福島県郡山市避難所を視察

宮城県石巻市(石巻港)
・第一印象 中東諸国の爆撃された市街地のイメージだ。
震災後、すでに40日経過、道路は随分かたづいていたが、早朝で小雨の中にもかかわらず悪臭が鼻を突いた。


今まで見たことがない超大型クレーン車(171t用)を見てド肝を抜かれた。
これくらいのクレーン車が必要とは!ことの重大性を感じた。普通は大型でも43t位である。


宮城県南三陸町
・第一印象 海に面した町1つが完全に消滅していた。
土地がフラット(平坦)のため大津波に全てが飲み込まれて消えた。


宮城県気仙沼市
・比較的アップダウンが多い土地のため、大津波を受けた被害地とまったく影響を受けていない地域とが対照的だった。


福島県郡山市避難所
・福島県の第1原発と第2原発の間に位置する町「富岡町」の住人約1000人が避難している。室内は煩雑としていて深刻な雰囲気が漂っている。とても写真を撮る気持ちにはなれなかった。避難民は、床の上にダンボウール箱を各自の仕切りに使い、畳1~2畳分のスペースの中で個々の生活をしている。毛布は数枚あり暖房もきいてるが、そこにはまったくプライべートの空間や時間がない。TVなんかに出てくる映像は、大きな体育館内が多いが、実際にはその体育館や施設の通路まで一杯である。いくら避難所とは言え、これではとても長期間の滞在は困難である。精神の異常をきたすであろう。また、空間があまりに密集しているため、匂いや騒音、さらにノロウイールス等々の室内感染が心配される。いつ戻れるか見込みがない!と言う思いが心を暗くしている。
全国の自治体から支援に駆けつけている人たちも、それ以上に狭い床に雑魚寝ねする状態であり、頭が下がる思いである。



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【常温固体核融合】 荒田方式によるエネルギー革命への道

2011-04-25 00:25:52 | 日本
【常温固体核融合】 荒田方式によるエネルギー革命への道

日本は今、東北関東大震災の影響により、福島県の原発被害がレベル7という大変な事態に遭遇している。
そこで某学者から大変なエネルギーがあることを教えてもらった。
それは、「固体核融合」である。

以下、詳細について説明する。
開発者は、荒田吉明氏(大阪大学名誉教授・文化勲章受章者、日本学士院会員、等々) 
先生は、日本の熱核融合開発の先駆者でありながら、現在は熱を外部から加えない「固体核融合」こそ、人類の進むべき石油・天然ガスに代わる代替エネルギーへの道であると確信され研究を続けられてきた。そしてついに、戦争・紛争の種になる石油依存から脱却し、安全で、低コストのエネルギー「固体核融合」を発明され、2008年5月に大阪大学にて公開実験をされた。(研究論文 「固体核融合」実用炉の達成 HP参照)

しかし、その後、第三極からの圧力がかかり、あらゆる部門から黙殺され、未だに日の目をみることが出来ない。この人類にとって貴重な技術を、この際に、我々日本人の手で是非とも世に出していきたい。


【固体核融合とは、】

真空状態の反応炉の内部にパラジウム合金のナノ・パウダーを投入しておき、重水素ガスを導入。
重水素ガスはたちまち金属ナノパウダーに吸収され、即座に重水素同士の「固体核融合反応」が発生してヘリウムと熱エネルギーに変換される。

①ヘリウムは核融合反応の結果としてしか発生しない物質であり、ヘリウムの産出は、即座に核融合の成功を意味する。(D+D=He+熱エネルギー)ヘリウムの発生は、同時に熱エネルギーの産出を意味する。 
外から熱を加えない状態で、熱エネルギーを取り出せる。
発電に使える。

②原料の重水素は海水の中に一定比率で含まれており、ほぼ無尽蔵であり、人類が滅亡するまでに使いきれるものではない。
 重水素の海水からの分離は容易で、分離コストやエネルギー消費は僅少である。

③核融合に伴う放射線の発生が一切ない。
つまり、危険回避のための遮蔽などの安全対策が不要。 
また反応が緩慢であるため「核爆発」の恐れがまったくない。 
つまり現状の原発のような事故発生の可能性がゼロである。

④危険性がないため、消費地近くで発電ができる。
遠隔地に発電所を設置し長い送電線で送電する必要がない。


研究論文 「固体核融合」実用炉の達成   
荒 田 吉 明 ・張 月 嫦   
http://www10.ocn.ne.jp/~solid_fu/solid_nuclear_fusion_reactor.pdf

以上、
研究してみてください。

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原発がなければ停電するか?

2011-04-22 17:06:40 | 日本
原発がなければ停電するか?

「二酸化炭素温暖化説の崩壊」 広瀬 隆 著
この本には、非常に興味がひかれることが書かれている。
是非、ご一読たまわりたい。
以下、要約する。

2008年10月の時点で、日本全土の発電能力で圧倒的に多いのが、火力発電13,978万kWである。そして原子力発電4,958万kW、水力発電4,595万kWとなっている。

電力消費の最大値は、一年で最も暑い真夏の午後2~3時頃に記録される消費量である。それでも火力発電と水力発電で十分有り余っている。2001年の消費量が史上最大のピークで、以降10年以上もこれを超えていない。この結果、原子力発電がなくても本来停電するということはない。

ところが現実には、火力発電と水力発電は立派な発電所を持ちながらも大部分が休んでいる。何故なのか?その論拠は二酸化炭素温暖化説によってである。地球の温暖化は人為的な二酸化炭素排出が原因とされ、ノーベル平和賞を受賞したIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が主導して、世界中でCO2の排出規制が叫ばれてきたからである。

そして電気の1/3が二酸化炭素を排出しない原子力発電だと宣伝され、原発がないと停電するかのような脅かしが電力会社によって語られ、マスコミがそれを引用してきた。

しかし2009年に、その論拠となった基礎データーが、捏造されていたことが露見した。このことは欧米ではクライメートゲート事件として大問題となっているが、なぜか日本ではほとんど報道されていない。

すなわち二酸化炭素温暖化説はすでに崩壊しているのである。

では、なぜこれほど無駄な火力発電や水力発電を持たなければならないのか?
それは、原子力発電はいつ止まるか分からない、当てにならない発電所だからである。そのための予備に、大量の火力発電と水力発電を持っていなければならないからだ。
以下、過去の事例をしめす。

2003年4月15日午前零時、首都圏に送電する福島・柏崎刈羽の原発17基がすべて停止するという事態に追い込まれた。ここで真夏の電力危機が喧伝されたが、その後、まったく停電は起こらなかった。

さらに2007年7月16日に新潟県中越沖地震が起こると、わずかマグニチュード6・7という中地震でぶざまにも内部が大崩壊し、土台が揺らいで巨大な変圧器が火災を起こすと、大事故寸前まで突っ走り、「世界最大の原子力発電所」柏崎刈羽原発7基の原発すべてがスットプしてしまった。しかしその後、東京電力はまったく停電を起こしていない。

中部電力の浜岡原発は、最新鋭の5号機が2008年度まで、4年平均のフル稼動率がわずか61%のところへ、2009年8月11日に、マグニチュード6・5のごく小さな駿河湾地震が起こると、お盆の帰省時に東名高速道路の崩壊とともに、原子炉が想定を超える大揺れに見舞われ、真っ青になって停止したまま動かなくなった。名古屋を中心とする中部経済圏では停電が心配されていたが、その後、まったく停電を起こしていない。

休んでいる火力発電や水力発電を動かせば、原子力発電の発電分を楽々まかなえる。
日本全土が送電線の電力網で結ばれている現在、落雷のような突発事故がない限り、停電など起こるはずがないのである。




※NEWS ポストセブン 4月19日(火)7時7分配信にも同様のことが書かれてある。

「原子力なくても火力と水力でまかなえると提言」  京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏

いまや日本の全発電量の26%を占めるまでになった原子力発電だが、福島原発事故を機に、原発はないほうがいいのでは?との声も上がる。だが、いまさら生活は変えられるのか。
京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏は、「原子力がなくても、現在の火力と水力だけで充分にまかなえます。日本では、使われていない火力の発電所が相当数あるんです。そういった発電所を稼働させれば、原発を全部止めて、廃炉にしても問題ない。」と言いう。




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今朝、フッと思ったこと

2011-04-21 22:02:28 | 日本
今朝、フッと思ったこと。


時間を守らない人は、約束もルーズで守らない。
何回電話をかけても電話にでない人は、都合の良いときだけお願いの電話がかかってくる。
この様な人たちは、肝心な時には役に立たない。

相手にとって、良いと思われるアドバイスをしてあげる。
それをもとに相手が判断し実行する。
その結果の良し悪しも、本人がつくり出したもの。
それを背負って、明るく生きていく、それが人生かも。

だから自分自身においても、出来る限り明るく良い心の状態をつくる様に、
日々実践していく生活が自己実現への道だと心得る。

自分の廻りの人がより素晴らしくなるよう、
これからも良いと思うアドバイスをしていこう。




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管総理よ、直ちに去れ!

2011-04-21 10:35:27 | 日本
管総理よ、直ちに去れ!

岩見隆夫氏の今朝のサンデー時評(H23.4.21)には面白いことが書いてある。
以下、ご参考に。

「余震疲れ、情報疲れ、風評疲れ、テレビ疲れと、やたら疲れが重なるなかで、被害者の方々以外にも体調不良の人たちが増えているという。こんな時こそ、トップリーダーは安心感を与えてくれる、頼りがいのある人物でなければならない。ホットする、何となく安心できる雰囲気をかもし出す人柄というものが大事だ。
だが、管総理は情けないことにまったくの逆のイメージになってしまった。
指揮官は奥に構えて全体状況を的確につかみ取らなければならない。局部的に見たからといって、わかるものじゃない。危機管理の初歩的なことがわかっていないから、始末が悪い。

管総理の言葉は、被害者の皆さんの胸には何も響いてこない。
この危機存亡の時、言葉に迫力と深みがなさすぎるのだ。どんな決意で何をしようとしているのか、最高指揮官として言葉を厳選し、熱意を込めて語り、聞く人の心をとらえなければならないのに、それがまるで抜け落ちている。いまの日本は平時でなく戦時、それも甚だしく苦戦を強いられているが、管さんは平凡すぎて戦時むきではない。闘将の資質に欠ける。このままでは二度目の敗戦になりかねない。」



同感である。
私も言いたい。  「管総理よ、直ちに去れー!」


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自衛隊さん、ありがとう!

2011-04-20 19:16:47 | 日本
自衛隊さん、ありがとう!

震災被害地の皆さんのご苦労をこころからお見舞いします。
そして、その復旧現場で使命感を持ち果敢に活動を展開している自衛隊・消防隊・海上保安庁、等々の皆さん、本当にご苦労様です。ありがとうございます!

今日の添付したある新聞記事。
それには驚くべき写真が掲載されています。

何と!今、どえりゃー有名な「AKB48」のみんなから、自衛隊の皆さんに感謝のメッセージと集合写真が送られてきました。
今回の震災と大津波、被災地の現場を目の当たりにした若者たち、その代表として、こんなにべっぴんの若い女の子たちが動いた。
やはり日本は大した国だ。
ありがたい!嬉しいなー!

では、その新聞とは?

「防衛ホーム新聞」です。
40年間にわたり、陸海空自衛隊やその外郭支援団体(防衛協会・自衛隊協力会・自衛隊父兄会、等々)にむけて、毎月2回、各20万部発行されている新聞です。

新聞社の会長さんも驚きです!
「かってこんなことは在りえないことでしたよ!」

自衛隊の皆さんにも感謝するが、AKB48の皆さんにも心から感謝しよう。
ありがとう!


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大連立をむかえるにあたっての研究「翼賛政治会とは②」

2011-04-19 23:30:03 | 日本
大連立をむかえるにあたっての研究「翼賛政治会とは②」


翼政会は挙国的政治力の結集、翼賛議会の樹立、大政翼賛会との緊密な連携が綱領に掲げられ、政府提出法案に無修正で速やかに可決させることで戦争遂行に協力することが帝国議会議員の義務とされた。翼政会は最高機関として29名からなる総務会が置かれて藤山愛一郎ら非議員が多数を占めた。一方、帝国議会における議事運営のために衆貴両院から各7名ずつの常任総務会が設置されて、衆議院側からは前田米蔵・大麻唯男・永井柳太郎・山崎達之輔ら、貴族院側からは後藤文夫・伍堂卓雄・石渡荘太郎・岡部長景らが選出された。

さて、「翼賛議会の確立」という綱領にも掲げられた目標達成のために、常任総務会のメンバーには強力な権限が与えられて非推薦候補出身議員ら政府に批判的な議員に対しては、翼政会でも議会内でも発言権を剥奪していった。一方政府や軍部は相手が翼賛議会であるといってもこれを無視して対立状況を惹き起こすことは「挙国一致」の体裁を守るために避けなければならず、常任総務会のメンバーを入閣させたり、国内政策の決定過程において翼政会の意向を配慮するなどの「協力」を求めざるを得ず、翼政会には「包括政党(catch-all party)」的な要素も含まれていた。

ところが、程なく衆議院では旧政党(立憲政友会・立憲民政党)単位での派閥的な動きが見られるようになり、翼賛議会で初当選を果たした新人議員の中でも翼賛体制の申し子的存在であった大日本翼賛壮年団出身者と翼賛体制に懐疑的な既存右翼出身者(赤尾敏・笹川良一ら)が路線対立を行うようになった。また、地方組織を持たない翼政会では次の選挙活動が出来ないとして大政翼賛会との合併を求める動きが出てくるものの、東條首相の反対で押さえ込まれてしまった。そして1943年6月には、鳩山一郎・中野正剛ら6名の衆議院議員が翼政会から離脱してしまったのである。

それでも東條内閣が継続している間は翼賛議会とこれを支える翼賛政治会は取りあえずは磐石な体制を継続していたが、1944年7月に東條英機に代わって小磯国昭朝鮮総督が後任の内閣総理大臣となり、代わりの朝鮮総督に阿部総裁が任命されると、8月には後任として小林躋造元連合艦隊司令長官が就任して以後、翼政会内部で綻びが生じ始めた。小林の統率力に疑問が持たれる中で12月に小磯内閣の国務大臣に任命された小林は小磯首相から本土決戦に備えて大政翼賛会や翼政会の改組を指示される。小磯と小林は大政翼賛会・大日本翼賛壮年団・翼政会を解散させる代わりに大政翼賛会の地方部門と翼政会を統合して、全国民を統合する新党を結成する方針を打ち出した。この方針は直ちに1945年1月20日の翼政会代議士会で了承され、2月12日には小林総裁より新党結成方針が正式に出されたものの、少数派として決定から排除される形となった大政翼賛会幹部と大日本翼賛壮年団出身議員が反発、続いて小林総裁に不満を抱いていた反主流派の岸信介が松岡洋右を新しい総裁に擁立する構想を計画していたことが明らかとなった。このために翼政会内部は大混乱に陥り、小林に反発する反主流派や大日本翼賛壮年団出身議員が次々と離脱を表明した。これに対して小林は3月1日に国務大臣を辞任して新党結成と反対派説得に尽力するが、3月8日の新党の設立準備委員会結成の時点で既に小林構想は破綻状態にあった。大日本翼賛壮年団出身議員は3月10日に翼壮議員同志会を、岸信介ら旧翼賛政治会反主流派も3月11日に護国同志会を結成して翼政会及び新党との訣別を宣言した。この状況を見て貴族院側も新党参加を見送ることを決定、3月30日に翼政会は解散して代わりに南次郎を総裁とする大日本政治会を結成するものの、「一国一党」の翼賛議会体制は事実上崩壊状態に陥ったまま、日本の敗戦を迎えることとなった。


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大連立をむかえるにあたっての研究「翼賛政治会とは①」

2011-04-18 22:33:43 | 日本
大連立をむかえるにあたっての研究「翼賛政治会とは①」

翼賛政治会とは、

翼賛政治会(よくさんせいじかい)は、昭和時代に存在した衆議院・貴族院合同の院内会派・政治団体(1942年5月20日-1945年3月30日)。略称は翼政会。日本の歴史上、唯一の「一国一党」体制を樹立した団体である。

1942年4月30日の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)においては、大政翼賛会及びその傘下の大日本翼賛壮年団推薦を受けた候補者が過半数を遥かに上回る議席数を獲得したものの、東條内閣に批判的な非推薦候補も少なからず当選した。これを憂慮した内閣総理大臣東條英機は、5月7日に政界・財界・言論界の代表70名を招いて翼賛政治結集準備会を結成させ、座長に住友財閥出身の小倉正恒元大蔵大臣を起用した。その後、現職閣僚5名と追加代表2名を加えた77名を発起人として有志による結成の体裁を保ちつつ、5月14日に会名・綱領・規則を発表して新組織への参加要請状を各界要人に発送した。だが、実態としては衆議院における大政翼賛会の別働隊で今回の選挙における推薦候補者の出身母体でもあった翼賛議員同盟は一旦解散して新組織の中核を担い、内務省も速やかに政事結社として認可する方針を打ち出していた。その一方で、選挙以前に存在していた翼賛議員同盟以外の小会派(同交会など、非推薦候補者の出身母体でもあった)については、政事結社としての継続を認めずに解散が命じられることになった。このため、今回の選挙で選ばれた衆議院議員は新組織に所属しない限り、政治活動が不可能となることになった。

かくして、5月20日に翼賛政治会が結成され、初代総裁には翼賛選挙における推薦候補の選定機関であった翼賛政治体制協議会会長の阿部信行元内閣総理大臣がそのまま横滑りし、衆議院においては全466名中刑事訴追者2名と解散に抵抗した東方会の6名を除く458名が参加、既存の院内会派との事実上の掛け持ちが許されなおかつ任意参加とされた貴族院においても411名中326名の参加があった。なお、東方会も3日後に解散させられて全員が翼賛政治会に強制加入させられることになった。貴族院の院内会派は成立時以来の建前上、会派がまとまって政治活動はしないこととなっていたため、ここにおいて一応は「一国一党」体制が成立したことになった。

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大連立をむかえるにあたっての研究、 「大政翼賛会②」

2011-04-17 23:49:19 | 日本
大連立をむかえるにあたっての研究、「大政翼賛会②」

近衛も第3次近衛内閣成立後にこの期待に応えるべく新体制の担い手となる一国一党組織の構想に着手する。なお、その際、近衛のブレーンであった後藤隆之助が主宰し、近衛も参加していた政策研究団体昭和研究会が東亜協同体論や新体制運動促進などをうたっていた。
構想の結果として大政翼賛会が発足し国民動員体制の中核組織となる。総裁は内閣総理大臣。中央本部事務局の下に下部組織として道府県支部、大都市支部、市区町村支部、町内会、部落会などが設置される。

1940年、すでに結社を禁止されていた勤労国民党や右翼政党の東方会を除くすべての政党が自発的に解散し大政翼賛会に合流していた。昭和研究会も大政翼賛会に発展的に解消するという名目によって1940年11月に解散した。もっとも、議院内の会派は旧来のまま存続し、また大政翼賛会自体は公事結社であるため政治活動はおこなえず、関連団体である翼賛議員同盟などが政治活動をおこなった。これは、「バスに乗り遅れるな」という言い回しで知られるが、解散した各政党や内務省等も大政翼賛会内における主導権を握るため協力的な姿勢をとったものの、団体内は一枚岩ではなく、一国一党論者の目指したものとは大きく異なっていた。

このように、大政翼賛会を中心に太平洋戦争下での軍部の方針を追認しささえる体制を翼賛体制という。
1942年4月30日に実施された第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会(翼協)が結成され、466人(定員と同数)の候補者を推薦し、全議席の81.8%にあたる381人が当選した。
1942年6月23日には大日本産業報国会・農業報国連盟・商業報国会・日本海運報国団・大日本婦人会・大日本青少年団の6団体を傘下に統合した。
その後、1945年3月に組織の一部が翼賛政治会を改組した大日本政治会と統合され、6月に本土決戦に備えた国民義勇隊結成により解散となった。しかしこれは政府首脳と軍部による強引な統廃合であったため、これに反発した翼賛政治会の一部が護国同志会などを結成。軍部と結んだ大日本政治会に対抗するなど混乱を来たし、収拾がつかないまま日本は終戦をむかえることとなった。


名古屋・なばなの里



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大連立をむかえるにあたっての研究、 「大政翼賛会①」

2011-04-17 08:37:38 | 日本
大連立をむかえるにあたっての研究、「大政翼賛会①」

水面下では、第3次大連立の動きが活発化してきた。それは民主党の管総理の退陣が大きな条件になっている。さらにそれに連動した形で自民党谷垣総裁の退陣もささやかれている。だが残念なことには両党内に震災復興内閣の首相として、この国を引っ張っていける強力な後継者がいない。ひょろひょろ揃いの大連立である。そこでにわかに登場してきそうなのが、某党の某党首である。彼は官僚出身だけに、その使い方を心得ており、経験が豊富で豪腕、さらに両党間のバランスがとれる立場にいる。しかしそれはあくまでも震災復興内閣であり、期限付きの暫定内閣としてである。

果たして、如何なる結果になることか?いずれにしても管総理の早期の交代はあるが、衆議院解散総選挙は少なくても年内は出来ないはずである。その結果起こる現象が政界の再編である。これはほぼ間違いないだろう。

そこで、今回は大連立をむかえるにあたっての研究をしたい。それは、戦前に「大政翼賛会」或いは「翼賛政治会」というのがあった。大連立・挙国一致内閣である。これは未曾有の国難といわれた大東亜戦争に突入していくにあたりつくられたものである。これを研究することにより、学ぶべき点が多々あるだろう。


大政翼賛会とは、①

大政翼賛会(たいせいよくさんかい)は、1940年(昭和15年)10月12日から1945年(昭和20年)6月13日まで存在していた公事結社。国粋主義的勢力から社会主義的勢力までをも取り込んだ左右合同の組織である。
内閣総理大臣をつとめた近衛文麿公爵を中心として、国家体制の刷新を求める革新派を総結集させて新党を結成する構想は比較的早い段階から検討されていた。1938年の国家総動員法が衆議院内の既成政党の反対で廃案寸前に追い込まれた際には有馬頼寧農林大臣(伯爵)・大谷尊由拓務大臣らが近衛を党首とした新党をつくって解散総選挙をおこなうことを検討したが、「近衛新党」に党を切り崩されることを恐れた政友会・民政党が一転して同法に賛成して法案が成立したために新党の必要性が薄くなったことにより一旦この計画は白紙に戻ることになった。
近衛の総理辞任後、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まり、国際情勢の緊迫化にともなって日本も強力な指導体制を形成する必要があるとする新体制運動が盛り上がり、その盟主として名門の出であり人気も名声も高い近衛に対する期待の声が高まった。既成政党側でも近衛に対抗するよりもみずから新体制に率先して参加することで有利な立場を占めるべきだという意見が高まった。民政党総裁町田忠治と政友会正統派の鳩山一郎が秘かに協議して両党が合同する「反近衛新党」構想を画策したものの、民政党では永井柳太郎が解党論を唱え、政友会正統派の総裁久原房之助も米内内閣倒閣に参加して近衛首相再登板を公言したために合同構想は失敗に終わり、民政党・政友会両派(正統派・革新派)ともに一気に解党へと向かうことになった。

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