龍の声

龍の声は、天の声

「孫子の兵法④」

2014-07-31 21:28:03 | 日本

【九地篇】

◎九種類の土地の状態

用兵の原則として、次の九種類の地形が考えられる。
一 散地…自国の領土内
ニ 軽地…敵国内に少し踏み込んだ場所
三 争地…敵味方双方にとってそこを占領すれば有利で、争われる場所
四 交地…敵味方双方が進攻できる場所
五 ク地…多くの勢力に隣接した交通の要衝
六 重地…敵領土深く入り込んだ場所
七 ヒ地…山林や沼沢地など、進軍が困難な場所
八 囲地…入りやすく退きがたい、狭くうねうねした場所。
九 死地…死ぬ気で戦わないと全滅する場所

それぞれの戦い方は…
自国の領土内「散地」では、戦ってはならない。
敵国内に少し踏み込んだ「軽地」では、止まってはならない。
敵味方双方にとってそこを占領すれば有利で、争われる場所「争地」では、攻撃してはならない。
敵方双方が進攻できる場所「交地」では、道を絶たれないようにする。
多くの勢力に隣接した交通の要衝「ク地」では、外交で有利にもっていく。
敵領土深く入り込んだ場所「重地」では、略奪する。
山林や沼沢地など、進軍が困難な場所「ヒ地」は、ぐずぐずしないですみやかに通過する。
入りやすく退きがたい、狭くうねうねした場所「囲地」では計略によって戦う。
死ぬ気で戦わないと全滅する場所「死地」では、もう覚悟を決めて戦え。



◎敵を分断する

昔の戦上手は、敵軍に前後の連絡を途絶えさせ、大部隊と小部隊が協力しあわないようにさせ、 身分の高い者と低い者が救いあわないようにさせた。
上下が助け合わないようにさせ、兵士達が分散して集中しないようにし、集中しても整わないようにさせた。
利益があれば動き、利益がなければけして動かなかった。



◎先ずその愛する所を奪えば聴かん

あえて聞こう。敵が秩序だった状態で、今まさに攻めこもうとしている。これをどうやって迎え撃つか?
まず敵が大切にしているものを奪うのだ。そうすれば、こっちの自由に操れる。
軍隊を動かすには迅速が一番である。
敵がまだ準備を整えていないところへ、思いもよらないやり方で攻め込み、敵が油断している地点を攻めるのである。



◎死地に追い込め

およそ敵国に侵攻する時のやり方としては、敵国深く入り込めばこっちは攻撃しまくる他無いので、侵入された側はとうてい勝てない。
食糧や水の豊かな土地から略奪すれば、軍隊が餓え渇くことは無い。
兵士たちに休息を与え、疲れさせないようにし、士気を高め戦力を集中し、軍隊をうまく運用してはかりごとを行い、しかも敵がこちらの動きを察することができないようにしておいて、それから逃げられない場所に戦力を投入すれば、兵士たちは死んでも敗走しない。死に物狂いで戦うのである。
兵士はもう逃げられない、トコトンな状況になれば、かえって恐れなくなる。けして逃げられないとなると覚悟がすわる。敵国深く入り込めば団結する。もう戦うしか無いとなれば、戦う。
軍隊がこういう状況になれば、司令官がガミガミ言ったり規則で縛る必要は無い。自然と秩序が生まれ、みずから戦い、兵士同士に連帯感が生まれ、規律が守られる。
あやしげなマジナイの類を禁じ、兵士たちの疑いを無くせば、死に到るまで気持ちが他に移ることは無い。
兵士たちに財産を持たせないのは、別に財産を持つことを否定しているのではない。死の際まで追い込むのは、長生きを否定するのではない。
召集令状を受けた時、兵士達は涙に暮れて親類縁者との別れを惜しんだはずある。これは、この世の財産や命にまだ未練が残っているからだ。だから、これを断ち切る。
絶対に逃げられないという状況に追い込めば、人は専諸・曹カイのごとき勇敢な働きをするものである。



◎呉越同舟

配下の兵士たちをうまく統率する者というのは、たとえば卒然のようなものである。 卒然とは、常山にいるという伝説上の蛇のことだ。
その首を攻撃すると尾が迫ってくる。尾を攻撃すれば頭がくる。胴体をせめれば頭と尾が同時にかかってくる。
あえて聞こう。軍隊を卒然のような状態にできるか?できる!呉の人と越の人は互いに憎しみあっているが、同じ舟に乗って風が吹いてきたとすれば、まるで左右の手のように助け合うであろう。
だから馬や戦車を用意したからといって、それだけでは何の頼みにもならない。
兵士たちが皆等しく一定の勇敢さを持つまでに持っていくのは、そのやり方次第である。
強い者も弱い者も、みな等しく一定の働きをさせるのは、地形的条件が大切である。
よく兵士たちを統率し、手をつなぎあっているように一つにするには、そうせざるを得ない状況にまで追い込むことである。



◎司令官のあるべき姿

司令官は、静かでつつしみ深く、公正でなければならない。兵士たちに戦略・戦術を知らせてはならない。戦略や戦術、また部隊配置や迂回経路に変更を加えた時も、兵士たちには知られないようにする。
いざ兵士たちを率いる時は、まるで高い場所に登らせてから梯子を取り去るようにする。敵国深く侵攻して、いざ決戦となると、羊の群れを追い立てるようにする。
兵士たちは羊の群れのように追い立てられるのであり、進むべき方向をわきまえているわけではない。
兵士たちを集めて最も危険な場所に投入するのが、司令官の仕事だ。
地形的条件、押すか退くかという判断、人間心理については、よく考察すべきである。



◎それぞれの場所で、司令官が兵士たちに対して取るべき態度

およそ敵国を攻撃するやり方は、敵国深く侵攻すれば結束が固くなるが、まだ浅いうちだと脱落する者が多くなる。
本国を去って国境を越え、敵国に侵攻したところが絶地である。四方に道が通じる中心地がク地である。敵国深く入り込んだ所が重地である。
ちょっと入っただけの所が軽地である。背後が固く、前が狭いのが囲地である。どこにも逃げられない所が死地である。
それぞれの場所で、司令官が兵士たちに対して取るべき態度は、
散地…つまり自国内では、気持ちが離れやすく脱落者が多いので、司令官はよく統率し 、兵士たちの気持ちを一つにするように努める。
軽地…少し敵国に入り込んだ場所では、部隊間の連絡を密にする。
争地…敵味方双方にとってそこを占領すれば有利で争われる場所では、遅れている部隊を急がせる。
交地…敵味方双方が進攻できる場所では、守備を固める。
ク地…多くの勢力に隣接した交通の要衝では、結束を固める。
重地…敵領土深く入り込んだ場所では食糧の調達に注意する。
ヒ地…山林や沼沢地など、進軍が困難な場所では、さっさと通り過ぎるようにする。
囲地…入りやすく退きがたい、狭くうねうねした場所では、敵が作った逃げ道をふさぎ、味方を死地に追い込む。
死地…死ぬ気で戦わないと全滅する場所では、敵を倒す以外生きる道が無いことを示す。
兵士の心理として、囲まれれば抵抗し、戦わざるをえない状況では戦い、あまりにもまずい状況だと敵の言いなりになる。



◎死地に陥れて然る後に生く

外国の諸侯のはかりごとを知らないでは、同盟を結ぶことはできない。山林やけわしい土地、沼沢地などの地形を知らなければ進軍することはできない。地元の案内人を雇わなければ、地の利を引き出すことはできない。
これら三つのうち一つでも知らないなら、覇王の軍とは言えない。
覇王の軍とはどういうものか。もし覇王の軍が敵国を撃てば、その大国の部隊は散り散りになって結集できない。覇王の軍の勢いが敵国に加われば、その敵国は助けを求めて諸外国と同盟を結ぶことができなくなる。
このように、外交に努めるのでもなく、権力を積み上げるのでもなく、ただ自分のやりたいように勢力を伸ばして、結果として敵国に圧力が加わる。
自然に城は落ち、国は敗れる。こういうのを覇王の軍というのだ。
規格外の賞を施し、規格外の法令を掲げれば、大部隊を統率するのも一人の人を扱うようにうまくいく。
軍隊を統率するにはただ命令だけを与え、その理由を説明してはならない。有利なことだけを知らせて、不利なことを知らせてはならない。
ギリギリの極限状態に追い込んでこそ兵士は死のもの狂いで戦い、結果として生き延びるものである。
困難な状況に陥ってこそ、はじめて勝敗を自分のものにできるのだ。



◎始めは処女の如く、後には脱兎の如し

軍隊を動かす時は、十分に敵の意図を把握していることが大切である。敵の意図に沿って直進し、千里先で敵将を討ち取る。巧妙な戦い方とはこういうものだ。
いよいよ開戦となれば、敵国との関門を封鎖し、通行のための割符を折り捨て、使者の行き来ができなくする。
朝廷では全力を尽くして戦争に関する事を進める。敵が動揺していれば必ずそれにつけこんで攻め入り、まず敵が大切にしている所を密かに攻撃目標に定め、黙って敵の動きに従っているように見せて、ここぞという場面で一気に攻撃に転じる。
はじめは処女のようにしなやかに。そうして敵が門戸を開いたところで、後には駆け出す兎のように、鋭く攻撃する。こうすれば敵はとても防ぎきれるものではない。









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「孫子の兵法③」

2014-07-31 21:26:40 | 日本

【行軍篇】

◎軍の配置と敵情の観察について

およそ軍の配置と敵情の観察について。
山を越えるには谷沿いに進む。敵よりも少しでも高い位置を占めるようにし、けして自軍より高い位置にいる敵に攻め上ってはならない。これが山岳地帯で戦う時の注意である。
川を渡って戦う時は、必ず川から遠ざかる。敵が川を渡って攻撃してきた時は、これを川中で迎え撃ってはならない。半ば敵が渡りきったところで攻撃するのが有利である。
川のそばで敵を迎え撃ってはならない。少しでも上流に立てる位置を見つけ、けして下流から上流の敵に攻め上ってはならない。これが川で戦闘する時の注意である。
沼沢地を渡る時は、すみやかに渡りきって、ぐすぐずしてはいけない。やむをえず沼沢地の中で戦う時は、水草のそばで、森林を背にして戦う。これが沼沢地で戦う時の注意である。
平地では足場のよい所を占拠し、高台を背後と右にして、低い場所を前に高い場所を背にせよ。これが平地で戦う時の注意である。
これら山岳地帯、川、沼沢地、平地…四つの地形からあますところなく利益を引き出したからこそ、黄帝は四方の敵に打ち勝ったのである。



◎軍隊を布陣するのは高所がよい

およそ軍隊を布陣するのは高所がよい。低所は避けるべきである。日向がよい。日陰は避けるべきである。また兵士の健康のため、水や食糧の豊かな肥沃な場所に布陣すべきだ。
こういうふうに布陣すれば必ず勝つ。軍隊の中に様々な疫病が流行ることも無い。
丘陵や堤防では必ず日当たりのよい場所に布陣し、丘や堤防が右側に来るようにする。
これが軍隊の益になることであり、地形から有利な条件を引き出すことだ。



◎川の水が泡立っているなら

上流に雨が降って川の水が泡立っているなら、もし渡ろうと するなら、まずそれが収まるのを待て。



◎避けるべき地形

およそ左右を絶壁に挟まれた谷間、四面が切り立っている自然の井戸、三面を囲まれた自然の牢獄、草木が生い茂って動けない自然の捕り網、自然の落とし穴、狭いほら穴状になった自然のスキマ、こんな地形があれば、すみやかに立ち去って近づくな。
自軍はそういう地形から遠ざかり、敵には近づけさせるのだ。自軍はそういう地形を正面に置き、敵は背後に置くようにしむけるのだ。


◎伏兵が潜んでいる地形

軍隊の近くに険しい土地、池やくぼ地、水草の茂ったところ、草木のしげったところがあれば、必ず注意深く捜索せよ。
こういう場所は伏兵が潜んでいる可能性が高い。



◎敵情の観察(一)

近くにいる敵が動じていないのは、地形の険しさを頼みとしているからである。遠くにいる敵がわざわざ攻めてくるのは、こちらが進軍することを望んでいるからである。
平地に布陣しているのは、エサをちらつかせて誘い出そうとしているのである。木々がざわめくのは、敵が攻めてきたしるしである。
草がたくさん覆いかぶせてあるのは、伏兵の存在を疑わせるための目くらましだ。鳥が飛び立つのは伏兵がいるのだ。獣が驚くのは、敵の奇襲があるのだ。
ほこりが高く上がってその前方がとがっているのは、戦車隊が攻めてくるのだ。ほこりが低く垂れて広がっているのは、歩兵部隊だ。
散らばって細長いのは薪を集めているのだ。ほこりが少なくあちこち往来しているのは、軍営を作ろうとしているのだ。



◎敵情の観察(ニ)

敵の使いがへりくだっていて敵軍が守備を固めているようなら、それは守ると見せて実は攻撃の準備をしているのである。
敵の使いが強硬な態度で、敵軍が先駆けているなら、それは攻撃すると見せかけて退却の準備をしているのである。
隊列から軽戦車が抜けて側面についているのは、陣容を整えているのである。
それほど行き詰ってもいないのに講和を求めてくるのは、なんらかのはかりごとがあるのだ。
走り回って兵士を整列させているのは決戦の準備である。
進んだり退いたりを繰り返すのは、こちらを誘い出そうとしているのである。



◎敵情の観察(三)

兵士が杖によりかかっているのは、全軍が餓えているしるしである。水を見つけるとすぐにすくって飲むのは、喉が渇いているしるしである。
利益があるのに進まないのは、疲れているのだ。上空に鳥が集まっているなら、その陣はもぬけの殻だ。
夜中に声を上げているのは、恐れているのだ。兵士たちに規律が無く乱れているのは、司令官に重みが無いのだ。
旗が落ち着かないのは、軍が乱れているのだ。役人が怒っているのは、軍が疲れているのだ。
馬に兵糧米を食べさせ、兵士達が軍馬をばらしてその肉を食べ、食糧のための器や鍋を打ち壊し幕舎に戻ろうとしないのは、もう切羽詰まっているのだ。
司令官があまりねんごろに兵士たちを諭しているなら、兵士たちの気持ちが離れているのだ。無闇に賞を与えるのは、苦しい状況だからだ。無闇に罰するのは、疲れているのだ。
最初兵士たちを乱暴に扱っておいて、後に離反を恐れて下手に出るなどというのは、考え不足の極みだ。
わざわざ貢物を持ってきて休戦を申し出るのは、軍をしばらく休めたいのだ。
敵軍が怒りくるって襲ってきたのに、いつまでたっても戦闘を始めない場合は、注意深く状況を観察すべきだ。



◎数が多ければいいというものではない

軍隊は人数が多ければいいというものではない。猛進せずに、戦力を集中して敵情をよく観察しそれにあわせて行動すれば、勝てる。
配慮もなくいたずらに敵を侮る者は、必ず捕虜にされてしまうだろう。
兵士たちがまだ司令官に懐いていないのに懲罰を行えば、兵士たちは心を閉ざしてしまう。 心を閉ざしてしまうと兵士たちを十分に働かせることはできなくなる。
逆に兵士たちがもう司令官に懐いているのに懲罰を行わないと、規律が乱れ、これも十分に働かせることができなくなる。
アメとムチの使い分けが大事である。これができてこそ、必勝の軍になるのだ。
司令官自身が普段から法令をきっちり守っていれば、いざという時兵士たちに命令しても服従してくれる。だが普段法令をないがしろにしているなら、いざという時命令しても兵士たちは従わない。
普段から法令を大切にする司令官は、兵士たちと心が一つなのだ。








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「孫子の兵法②」

2014-07-31 07:12:18 | 日本

【勢篇】

◎編成・意思疎通・正法と奇法・虚実の運用

大人数の軍隊を統率しても少人数を統率しているように整然といくのは、編成がしっかりしているからだ。
大人数の軍隊を戦わせても少人数を戦わせているようにいくのは、旗やノボリや鐘太鼓のような意思疎通のための設備がしっかりしているからだ。
大軍の兵士がことごとく敵と戦って勝つには、定石どおりの方法と型破りなやり方、双方をうまく行う必要がある。
戦いとなれば石を卵にぶつけるように、たやすく敵を撃破できるのは、敵のスキに乗じて、圧倒的な戦力で攻め込む、虚実の運用によるのだ。



◎正法と奇法

およそ戦いというものは、正攻法ではじめ、型破りな奇法で最終的な勝利をおさめる。うまく奇法を繰り出せるものは、天と地のように極まり無く、黄河や長江の水のように尽きることが無い。
終わってはまた始まることは、四季の移り変わりのようで、死んでまた生まれ変わるのは太陽と月のようだ。音階は五種類に過ぎないが、その五音階の交じり合った変化は、とても聴き尽くせない。
色は五色に過ぎないが、その五色が交じり合って生じる変化は、とても見尽くせない。味も五種類だが、それが交じり合った変化は、とても味わいつくせない。
同じように戦闘の勢いというものも、正法と奇法の組み合わせに過ぎないのだが、その組み合わせによる変化はとても極めつくせない。
正法と奇法がぐるぐる回ってお互いに生じあうことは、まるで丸い輪に端が無いようなものだ。誰がこれを極められようか。



◎勢いと節目

水が激しく流れて、ついに石を押し流すほどになるのが勢いだ。鷲や鷹などの猛禽が急降下してきて、一撃で獲物の骨を砕くのが節(節目)だ。
戦の巧みな者は、その勢いは激しく、そして極限までたかぶった力を一気に解放させる、その節目は一瞬のことである。
弓の弦をぐーっと引き絞って、極限まで引いたところでパッと離して矢を放つ。「勢い」と「節目」とは、そういうものだ。



◎部隊の編成(数)戦闘の勢い(勢)軍の態勢(形)

混乱は秩序から生まれる。臆病は勇敢から生まれる。弱さは強さから生まれる。秩序と混乱を決するのは、部隊の編成(数)による。
勇敢か臆病かを決するのは、戦闘の勢い(勢)である。強さ弱さを決するのは、軍の態勢(形)である。
つまり部隊の編成(数)戦闘の勢い(勢)軍の態勢(形)これらによって、秩序と勇敢と強さが得られる。



◎利益で敵を釣る

敵を自在に操る者は、わかりやすい形を見せれば敵は必ずおびき出されてくるし、エサを与えれば敵は必ず食いついてくる。利益で敵を釣り、騙して待ち伏せをするのである。



◎兵士の個人的気質に頼らず、戦場の勢いによって勝利を得る

戦いの巧みな者は、戦いの勢いによって勝利を得ようとする。兵士の個人的気質には頼らない。だからよく人を選んで、この勢いに乗せるのだ。
そういう人が兵士を戦わせると、まるで木や石が転がっていくように勢いがある。
木や石の性質は、平坦な場所では止まっているが傾斜のある場所だと転がりだす。形が四角ければ止まり、丸ければ転がっていく。
よく兵士を戦わせる者の勢いは、丸い石を千仞の山の上から転がすようなものだ。勢いとはこういうことだ。




【軍争篇】

◎迂直の計

およそ用兵の原則として、司令官が君主から命令を受け、軍を組織し人員を集め、敵と相対して、最終的に戦闘が終わるまでの間で、一番難しいのは実際の戦闘に入ってからである。そこでどうやって勝利を収めるか、という問題である。
実際の戦闘で難しいのは、遠回りがかえって近道になり、弱点が逆に長所になる。そういうやり方である。
遠回りをして敵をエサでおびき出し、人に遅れて出発しながらも最終的には人に先んじて到着する。こういうのが「迂直の計」…遠回りをかえって近道にしてしまうことを知る者のやり方である。
こういうやり方は当れば大きいが、同時に危険もはらんでいる。
全軍で一つの手柄を競い目指せば、動きがスムーズにいかず、結果として敵に出し抜かれることになる。
全軍の利益を考えないで各部隊がそれぞれ行動すれば、足の鈍い輸送部隊は後方に置き去りにされる。
軍に輸送部隊が無ければ敗北する。食糧が無ければ敗北する。財貨が無ければ敗北する。
だから、鎧を脱いで走り、日夜強行軍し、倍の道のりを走り、百里先の功を競うような時は、三将軍すべてが捕虜になる大敗北となる。
元気な一群は突出し、疲れた一群は置き去りにされ、割合としては十人に一人も行き着けばいいほうだろう。
五十里先の目標物を争う時は、上司令官が打たれ、割合としては五割が目的地に行き着くだろう。三十里先なら三分の二だ。
このように、実際の戦闘で勝利をおさめるのは生易しいことではない。



◎諸侯がどんな絵図を描いているか

外国の諸侯がどんな絵図を描いているか、それを知らないでは前もって同盟を結ぶことはできない。
山林や険しい地や沼地など地形の状態を知らないでは軍隊を進められない。道案内を頼まないでは地の利を得ることができない。


◎疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如し 風林火山

軍隊は敵の裏をかくことが基本である。利益のある無しに従って行動し、分散したり集合したりしながら柔軟に陣形を変える。
その速きことは風のごとく、静かなることは林のごとく、侵略することは火のごとく、 知りがたいことは陰のごとく、動かざることは山のごとく、動くことは雷が鳴るようなものだ。
敵の領土から略奪する時にはわが方の人員をてきぱきと分業させ、占領地を拡大する時には、中央の機能をそれぞれの拠点に分散させ、よくはかりにかけて計算してから動くのだ。
迂直の計…遠きを近きにする考え方を敵より先に知る者は勝つ。これが実際の戦闘行為における原則である。



◎鐘や太鼓、旗や幟

古い兵法書によると、口で言っても聞こえないから鐘や太鼓を使い、さし示すとも見えないから旗や幟を使うのであると。
だから昼の戦には旗や幟を多く使い、夜戦には鐘や太鼓を多く使うのである。鐘や太鼓や旗や幟は、人の目や耳を統一するためのものなのだ。
軍隊がすでにまとまっているなら、勇敢な者も一人だけ突出することは無いし、臆病な者も一人だけさがることはない。
ぐちゃぐちゃに乱れた状況でも自軍は乱れないのである。混沌のように前後不覚な状況でも自軍は規律ある動きが出来、敗れることが無いのである。
これが大部隊を運用する方法である。
敵の軍隊の気力を奪い、敵の司令官の気力を奪うことが大事だ。
朝は気持ちがハツラツとしているが、昼になるとだれてくる。暮れになるともう虫の息だ。だから敵の気持ちが萎えている昼過ぎや暮れ方を狙うのだ。これが敵の気力を操る者のやり方だ。
秩序だった状態で乱れた敵を攻め、落ち着いた状態で混乱した敵を攻める。これが敵の心をうまくあやつる者のやり方だ。
戦場の近くで戦場の遠くから来る敵を待ち伏せ、元気ある状態で疲れ果てた敵を攻撃し、満腹な時に餓えた敵を攻撃する。これが敵の力を操る者のやり方だ。
敵が秩序だっており、陣容も堂々としていれば、そんな相手をわざわざ攻撃することは無い。これこそ敵の変化に従って柔軟な戦いができる者のやり方だ。









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「孫子の兵法①」

2014-07-30 09:27:24 | 日本

「孫子の兵法」について学ぶ。
「孫子の兵法」は、始計篇・謀攻篇・勢篇・軍争篇・行軍篇・九地篇・用間篇・作戦篇・形篇・虚実篇・九変篇・地形篇・火攻篇がある。
以下、現代語訳をもとに、8回に渡り学ぶ。



【始計篇】

◎兵は国の大事

軍事は国家にとって重大事である。人の生き死にがかかっており、国家の存亡が決まる。だからよくよく考えないといけない。
五つの基本事項でこれを計測し、七つの基準で敵味方、双方を比べて、実情を調べるのだ。五つの基本事項とは、一に道、ニに天、三に地、四に将、五に法。

・「道」とは、
民衆に、君主と同じ目的を抱かせるような政治のありかたである。普段からそういう政治を行えばこそ、いざ戦争という時、民衆は君主と共に死し、共に生きることに疑いを抱かない。
・「天」とは、
気候上や時間的な条件のこと。陰陽や暑さ寒さ、時節のこと。
・「地」とは、
地形的な条件。彼我の距離、地面の状態、広い狭いか、高い低いということ。
・「将」とは、
司令官の人物のこと。知恵があること、部下の信頼を得ること、部下を思いやる心、勇気、規律を守らせる厳しさ。
・「法」とは、
法規が守られていること。軍隊の区分を定めた軍法、軍隊を統括する管理職の権限を定めた軍法、君主と司令官との間で交わされた軍法など。

これら5つのことは司令官なら誰でも知っているが、それを深く理解している者は勝ち、理解してない者は勝てない。
だから、敵味方の状態を七つの基準で比較して、正しい情報を求めるのである。
すなわち、どちらの君主が民衆の支持を得ているか?どちらの司令官が有能か?気候や地形の条件はどちらに味方しているか?法令はどちらがシッカリ行われているか。兵士たちはどちらが強いか、兵卒はどちらが熟練しているか?賞罰はどちらが公正に行われているか。
私はこれらの条件で戦う前から勝ち負けを予測するのである。



◎司令官の登用と解任

司令官がこうした五つの基本事項・七つ基準に基づく判断に従う時は、そういう人物を用いれば必ず勝つので、司令官として留めておく。従わない時は、そういう人物を用いれば必ず負けるので、クビにしてしまう。
こうした判断が、確かに有用なものだとして聞き入れられれば、それで出陣前の段取りはついたわけだ。
あとは敵方の状況を見て、わが方にとって有利な点はどこか?それを見て出陣後の行動を臨機応変に決めていく。



◎兵は詭道なり

軍事の基本は敵を欺くことだ。だから能力があっても無いふりをし、勇気があっても無いふりをし、近くても遠いように見せ、敵にとって利益があるように見せて誘いこむ。
敵が混乱しているならその地を奪い取り、敵の数が十分に多いなら守りに徹し、敵が強いなら戦闘を避け、敵が怒っているなら挑発してひっかきまわす。
謙虚なら奢りたかぶらせ、余裕があるようなら疲れさせ、連帯が厚いなら分断する。
敵の守りが薄い所を攻め、敵が予想だにしなかった所に突出する。
これが用兵家のいう「勢」である。敵情によって作戦を変えるのだ。だから出陣前には伝えることができないものだ。


◎戦う前に勝敗は予測できる

そもそもまだ戦う前から廟堂の中で予測して勝つ者は、先に述べた五事七計で考えて、勝つ見込みが高いからである。
戦う前に廟堂の中で予測して勝たない者は、勝つ見込みが少ないからである。
見込みが多い者は勝ち、少ない者は負ける。まして見込みが全く無いとなっては、お話にならない。私がこうした計測に従って戦いの行方を見れば、もう勝ち負けは見えている。




【謀攻篇】

◎百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり

そもそも用兵の原則は、敵国を傷つけずに降伏させることが最上であって、戦って打ち破るのはそれよりは劣る。
軍団を降伏させるのが最上であって、軍団を打ち破るのはそれより劣る。
旅団を降伏させるのが最上であって、旅団を打ち破るのはそれより劣る。
大隊を降伏させるのが最上であって、大隊を打ち破るのはそれより劣る。
小隊を降伏させるのが最上であって、小隊を打ち破るのはそれより劣る。
だから、百回戦って百回勝つのが最善なことではない。
戦わずして勝つのが、最善なのだ。



◎城攻めは最後の手段

一番いい軍事力の使い方は、敵の計画を未然に食い止めることである。その次は外交によって敵を孤立させることである。次は実際に軍隊を動かして攻めることである。
最も悪いのは城攻めをすることだ。城攻めは他にどうしようもない時、やむを得ず行うことだ。
城攻めをするとなると大型の盾や装甲車を整備し、城攻めの道具を備えるのに三ヶ月もかかろう。城に攻め込むための土塁を築くのにさらに三ヶ月かかる。
こんなことをしている間に司令官が血気を抑えきれなくなってつっこんでいけば、兵士の三分の一を失って、しかも城は落ちないということになる。こういうことこそ、城攻めのまずいところだ。
だから戦上手な者は敵兵を屈服させはするが、それは戦闘によって撃破するのではない。敵城を落とすがそれは城攻めをしてではない。敵国を破るが、長い時間はかけない。
必ず敵の国土や物資を無傷で手に入れるやり方で天下の勝利を争うのである。だから軍も疲弊せず、利益を完全なものにできるのだ。
これこそが、はかりごとによって敵を攻める原則である。



◎彼我の戦力差によって対処法は違う

用兵の原則は、味方が敵に十倍するなら包囲し、五倍なら攻撃し、倍なら分断し、対等なら戦い、少なければ退却し、力が及ばなければ隠れる。
小勢なのに無闇に威勢がいいのは、敵の大勢に捕らえられるだけである。



◎現場に口出しするな

一体、司令官とは国家の補佐役である。補佐役が君主と親しいなら国は必ず強くなり、補佐役と君主との間に溝があるなら国は必ず弱くなる。
だから、君主が軍事について心配しなければいけない点は三つある。
第一に、軍隊が進んではいけない局面をわきまえずに「進め」と命令したり、 軍隊が退いてはいけない局面をわきまえずに「退け」と命令すること、こういうのは君主が軍隊の行動を縛り、足を引っ張っている例である。
第二に、軍隊の事情も知らずに現場の司令官と同じように軍隊の業務を行おうとすること。こんなことをすれば兵士たちは混乱する。
第三に、いざ戦いが始まってからどう動くか、その動き方も知らないのに現場の司令官と同じように命令すること。こんなことをすれば兵士たちは疑いを抱くようになる。
軍隊が混乱し疑いを抱いているなら、そこに付込んで外国の諸侯が攻めこんでくる。こういうことが、軍を乱し勝利を捨て去ることなのだ。



◎勝利を知る五つの要点

勝利を知るのに五つの要点がある。
第一。戦うべき局面と戦うべきでない局面をわきまえている者は勝つ。
第二。大勢と小勢それぞれの運用方法をわきまえている者は勝つ。
第三。上下の意思統一ができている者は勝つ。
第四。こちらは注意深く準備した上で、準備の足りない敵を待ち受ける者は勝つ。
第五。司令官が有能で、君主が余計な干渉をしなければ勝つ。

この五つの要点が、勝利を知る道である。
だから言うのだ。敵を知り味方を知ればたとえ百回戦おうと恐れることは無い、と。
敵を知らず味方のことだけ知っているなら、勝ったり負けたり、その時次第ということになる。
敵を知らず味方のことも知らないなら、戦うたびに必ず危険なことになる。










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「兵は詭道なり」

2014-07-29 07:59:09 | 日本

「へいはきどうなり」有名な言葉であるが、知る人ぞ少ない。

これは、「戦いは、所詮騙し合いで、いろいろの謀りごとを凝らして、敵の目を欺き、状況いかんでは当初の作戦を変えることによって勝利を収めることができるものだ。」という意味です。

出典は「晋書・宣帝記」
魏国の景初元年という年に、遼東の太守である公孫淵が、魏王朝に反旗を翻した。魏の明帝は、名将司馬懿に命じて討伐の軍を出した。

司馬懿は、数万の騎馬を従えて出陣し、数カ月を費やして遼東に到着した。折あしく雨期となり、戦線は膠着状態となった。帝下は焦って行動しようとしましたが司馬懿はしごくのんびりとして動こうとしない。
たまりかねて、幕僚の一人が「先年、孟達を攻めたときは、全軍昼夜兼行で強行戦をし、『まるで神わざのようだ』といわれた位だが。しかし、今度は、何カ月もかけてやっと遼東に到着し、のんびりと構えている。どうしてか。」と尋ねた。すると司馬懿は「孫子」の教えである「兵は詭道なり」をあげて、状況に応じて作戦を変え、おたがい騙し合いの挙にでることの重要性を説いたという。ちなみにこの言葉は「孫子」の始計篇に出ている。

三国志に出てくる有名な戦略家である諸葛孔明の「空城の計」を紹介する。
司馬懿に攻められて、僅かな兵を率いて撤退した孔明は、作戦の行き違いもあって、まさに「風前の灯」のような状態になってしまった。
しかし、司馬懿が遠方から城の様子を見ると、城門は大きく開かれ、道には障害物一つなく、さらに城壁の上では孔明が、香を焚いて琴を弾いている姿が見えた。城門近くまで進んできた魏の騎馬隊は、この異様な光景に驚き、司令部の指示を仰いだ。司馬懿は、罠がしかけてあると読み、敢えて攻撃をしなかったので、孔明は夜半に難なく撤退してしまったという。このケースでは、考えすぎの司馬懿が孔明の「詭道」によって完全に欺かれたわけである。

これは「陽動作戟」ともいわれ、現代の政治の世界では日常みられる戦術の一つかもしれない。ポーカー・フェイスで敵を欺く手段をいろいろ弄することは、かけひさの行われる実力社会の常道といえる。

しかし、ビジネスマンの社会では「兵は詭道なり」の論法でいけるかどうかは、意見の分かれるところ。
それは、ビジネスを行ううえでは、「信用」と長い交際を前提とする「友好関係」が重要とされるからである。一度だけの勝負で、競争相手を倒す必要があるような事業ではないかぎり、先方の目を欺くような方法は避けたほうが賢明である。






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「多すぎる地方議員という無駄」

2014-07-28 07:08:28 | 日本

都道府県議会議員2735人・市区町村議会議員定数3万1741人
ジャーナリストの 山田厚俊さんが「多すぎる地方議員という無駄」についての論文を掲載された。なかなか面白いので要約し記す。



すっかり色褪せてしまった感のある「地方分権」。しかし、「地方分権」の行き着く先は地方公務員と地方議員のリストラである。

霞が関改革によって小さな政府を実現するとともに、あぶれた国家公務員を地方に再配置する。地方の行政をチェックする機能として地方議員は必要だが、スケールメリットに合った定数に削減していく。基本フレームは、この考え方が共通している。

現在も都道府県議会議員定数は2735人、市区町村議会議員定数3万1741人と、途方も無く多い議員がバッヂを付け、税金を遣っている。

それぞれが地域のために一生懸命やってくれれば文句はないが、あまりにも多すぎる。

たとえば、全国に20ある政令市からも相変わらず道府県議会議員が選出されている。政令市は、都道府県を飛び越えて国と直接交渉できる権限を持っている。乱暴な言い方をすれば、都道府県から独立して独自行政が出来るのだ。ということは、都道府県の議員は要らないと言っていい。

それでも、それを選出しているということは、政令市の市民はムダな二重の税金を負担していることに他ならない。

そうでない市区町村でも都市部は議員が異様に多く、歳費(議員の給与)も多い。平成の大合併でも、議員定数が全然減らない都市がいくつもあった。そういったことにもっと目を向け、地域の発展に尽力する議員を選出する、そんな知恵が市民に求められるだろう。

政治をバカにし、無関心を装うことは容易い。しかし、市民一人ひとりが意識を変え、選挙によって変えていくしか方法がない。民主主義とは、そういうものなのだと思う。







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「最強のチーム力 -我ら、足らないからこそ強い」

2014-07-28 07:07:39 | 日本

菅家一比古さんから、「言霊の華」だ届いた。
以下、要約し記す。



極(ごく)たまに、他人(ひと)から「部下に恵まれていない」と言われる時がある。そう言われたらこう返す。「部下こそ社長に恵まれていない」と。そしてこうも言う。「私は充分部下に恵まれている」と。

他人(ひと)から「部下に恵まれていない」と言わせているのはリーダーの不徳のいたすところの何モノでもない。部下に申し訳ない。部下が可哀相である。リーダーにとって顔から火が出る程恥ずかしい言葉なのである。

確かに世の中に優れた人財がいるに違いない。しかし、そのような人財であっても「天の時、地の利、人の和」の三拍子が揃わなければ決して実力や能力を発揮できない。トップリーダーはこの三拍子をもたらす中心者である。いかに社員が伸びやかにしなやかに活躍できる「場」づくりをしてやれるか。そのためリーダーたるもの、祈り続け、禊(みそぎ)をし続けるのである。

この頃社員に言い続けていることがある。「我らの会社にスターは要らない。ヒーローは要らない。カリスマは要らない。皆一人ひとりこそスターであり、ヒーローなのだ。」人間、私をはじめ皆、一長一短がある。当然のことである。その一短の方に目を奪われ心を惑わされてはならない。お互い足りない所を支え合うことこそがチーム力である。

我ら、足らないからこそ強い!未熟だからこそ強い!これこそ日の本の民である。「日本最強のチーム力を発揮しようではないか」と、言い続けている。







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「ユカギルマンモス」

2014-07-27 07:01:36 | 日本
                               
先日、ロシア北東部のサハ共和国で発掘された「ユカギルマンモス」の牙で作った「小型のユカギルマンモス像」を頂いた。これは超貴重な宝物である。
以下、マンモスについて調べてみた。


マンモスは、哺乳網長鼻目ゾウ科マンモス属に属する種の総称である。
現生のゾウの類縁だが、直接の祖先ではない。約400万年前から1万年前頃(絶滅時期は諸説ある)までの期間に生息していた。巨大な牙が特徴で、種類によっては牙の長さが5.2メートルに達することもある。日本では、シベリアと北米に生息し太く長い体毛で全身を覆われた中型のケナガマンモス M. primigenius が有名だが、実際にはマンモスは大小数種類あり、シベリア以外のユーラシア大陸はもとより、アフリカ大陸・アメリカ大陸に広く生息していた。特に南北アメリカ大陸に生息していたコロンビアマンモスは、大型・短毛で、かつ最後まで生存していたマンモスとして有名である。現在は全種が絶滅している。

今日までに先史時代の人類とマンモスとの関わりを示す様々な遺跡が見つかっている。フランスのルフィニャック洞窟やペシュ・メルル洞窟には旧石器時代に描かれたとされるマンモスの洞窟壁画が残されている。同じく旧石器時代のドイツのゲナスドルフ遺跡からはマンモスを描いた石板が発見されている。ウクライナやポーランドではマンモスの骨で作られた住居跡が発掘されている。アメリカ合衆国のアリゾナ州からは、マンモスの化石の骨の間から、石でできた槍の穂先が見つかっている。この化石は約1万2千年前のものと考えられ、当時マンモスが狩猟の対象となっていた証拠とみなされている。

1989年のワシントン条約によって象牙(現生ゾウの象牙)の輸出入が禁止されたため、代替として永久凍土から掘り出されたマンモスの象牙が印鑑などに用いられている。しかし、マンモスの象牙と偽って、禁止されている現生ゾウの象牙が密輸される事例が増えてきている。双方の象牙を区別する簡便な方法がなく、問題になっている。

さて、2010年、ロシア北東部のサハ共和国で発掘されたマンモスは、サハ共和国のユカギル村で発見されたことから、ロシアの古生物学者によって「ユカギルマンモス」と名づけられた。ここは、世界で一番寒いところである。10年前に一番低い気温が記録された。その時は−70度だった。だが普通の冬は約−50度である。その時外に出たら、髪が白くなったり、顔が赤くなったりする。そして、手袋をしなかったら手は氷のようになって動かなくなる。また手が切れて、なくなってしまうかもしれない。普通−50度以上だったら学校は休み。だが夏の時はとても暖かく、気温は約+40度である。

この「ユカギルマンモス」は、その保存状態の良さで世界中の人々に知られるようになった。研究者の評価によると、推定年齢は10歳。死因は肉食動物からの攻撃。「ユカギルマンモス」の傷の特徴から、原始人がマンモスを肉食動物から”横取り”したと、考古学者は結論づけた。

そして、2005年に日本の愛知県で開催された愛・地球博で、この「ユカギルマンモス」の一部(牙、頭部、左前肢等)を博覧会場で展示するプロジェクトが行われた。ロシアから日本へは船で輸送され、摂氏マイナス10度に保たれた、一般公開用の特別なガラスケースに収められた。
その後もこの「ユカギルマンモス」は、万博閉幕後もフジテレビ本社、愛知県体育館、豊橋市自然史博物館、日本科学未来館、大阪WTCコスモタワーの5カ所で行われた各種イベントで、再度その姿を見ることができた。








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奇跡がおこる超小食

2014-07-27 07:00:28 | 日本

ポリープが出来たら断食をする。すると、ポリープは消える!


新潟大学大学院教授の安保徹さんの論文「奇跡が起こる超少食」が実にいい。
以下、要約し記す。


◎無駄なものから食べてエネルギーに変える

先日、認知症の研究会に行ってきた。記憶を司る部位の「海馬」についての研究報告があったのだが、アミロイド蛋白が脳に溜まると、グリア細胞(脳のマクロファージはグリア細胞)が集まってきて、その蛋白をなんとか食べようとする。

しかし、食べきれずに脳に沈着すると、認知症に繋がる。いわゆる、アルツハイマー型の認知症である。そうやって、食べきれずにアミロイド蛋白が沈着してしまった認知症の人たちというのは、考える能力が低下しているにも拘らず、食べる能力だけは残っている。晩ごはんを食べたのに、30分後には「晩ごはん、まだ?」と催促する。そして、食べるとアミロイド蛋白を処理しきれない。そんな悪循環に陥るのである。

逆に、飢餓状態になった時はどうなるかというと、例えば、漂流して食べるものがない場合など、マクロファージは自分の体の構成成分を食べて栄養に変える。漂流して10日とか20日とか食べられなかった人は、筋肉や骨が細くなったりする。ところが、そのステップで何が起こるかというと、栄養が枯渇した際に最初に食べるのは、まず老廃物を食べる。ポリープを食べる、シミを食べる、癌細胞を食べる。そういう無駄なものから食べて処理し、エネルギーに変える。そうして、マクロファージの働きで、ポリープが消える、癌が治る、ということが起こる。しかし、そういう無駄なものを処理してもなおかつ飢餓状態が続くと、今度は筋肉を食べたり、骨を食べたりする。

骨を食べるので有名なのが、破骨細胞だが、破骨細胞はマクロファージが多核になった細胞である。マクロファージはまさに食べる力である。このように、私たちの体では、進化したリンパ球の顆粒球までいかないレベルの、もっと原始的な防御とか、栄養処理とか、老廃物の処理は、白血球の基本であるマクロファージがやっているということがわかる。


◎超少食者の腸の中では草食動物と同じ作用が働いている?

それともう一つ、特に人間に関してだが、7mにも及ぶ腸についての話である。腸はすごく再生が速いのだが、再生して最後は脱落していく。だから、便の中には腸の脱落細胞が大量にある。したがって、あまりご飯を食べなくても便が出るという状況はあるところまでは続く。

ところが、北海道大学医学部の解剖学教室の岩永敏彦先生が、「草食動物は殆ど、脱落する腸が腸管上皮にいるマクロファージに食べられて再利用されている」という英語の論文を出した。おそらく、私たちが飢餓状態になると、無駄に体の老廃物を捨てるということを止めてしまう。
無駄に出すことをやめて、マクロファージが再利用し、一つの無駄もなく再利用して、あとは消化管に棲みついた腸内細菌を栄養にして、不足分を賄って生き続けるのではないかと思っている。
超少食の実践者の方たちの体でも、このような作用が働いているのではないのか。


◎患者を励ますことが一番大事

病気には、その人の生き方も大きくかかわっていると思う。超少食を実践されている人たちで、再生不良性貧血になった人や胃潰瘍ができたという人の話を聞くと、まじめですごく頑張る人、あるいは、神経質で一生懸命悩むタイプのように思われる。おそらく独特の体の負担がある。そういう負担があるとマクロファージがうまく働けない。マクロファージに最もダメージをかけるのは、絶望を与えることである。

一方で、病気を治すには、患者を励ますことが一番大事である。私は患者さんを励ましているのだが、潰瘍ができたという人には、「すぐ治るよ」と言っている。再生不良性貧血の人には、「すごい無理をしたでしょう」「はい、無理しました」というやり取りをしている。

「楽にするように」と励ませばいいのである。悩みでしょんぼりしていた人を励ます。医療ではこういうことが大切なのだと思っている。










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「中国が南シナ海に巨大“軍艦島”を続々建設」

2014-07-26 06:18:55 | 日本

小峯隆生さんの論文「中国が南シナ海に巨大“軍艦島”を続々建設」。
このままでは、日本の生命線シーレーンが断たれる危機的な状況を迎えてしまう。
以下、要約し記す。


南シナ海に点在する島々の領有権をめぐり、ベトナム、フィリピン、マレーシアといった沿岸諸国と長年対立している中国。今年5月以降は特にベトナムと一触即発の緊張状態が続いているが、実はその裏で前代未聞の“軍事拠点建設計画”が次々と進行していた。

6月7日、香港の英字紙『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』は、中国が南シナ海・南沙諸島の暗礁(満潮時は水没し、干潮時は水面から顔を出す岩礁)であるファイアリー・クロス礁を埋め立て、軍事拠点として大規模な「人工島」を建設する計画を立てていると報じた。

軍関連企業である「中国船舶重工業集団公司」が所轄の海南省や共産党本部などに建設許可申請を提出したという事実から、米軍筋もすでに中国政府の“ゴーサイン”が出たと判断しているという。

こうした人工建造物で“既成事実”を積み上げていくやり方は、中国にとっては定番の得意技だ。軍事ジャーナリストの古是三春(ふるぜみつはる)氏はこう語る。

「南シナ海の北部、ベトナムと領有権をめぐって争っている西沙諸島ではすでに、多くの岩礁が船着き場やヘリパッド付き哨所(しょうしょ)に“改造”されています。なかでも有名なのが、岩礁を埋め立てて建造された半人工島の永興島(英語名・ウッディー島)です」

この島にはSu-27戦闘機が発着可能な2000m級滑走路、5000tの船舶が停泊可能な港湾施設があり、さらに銀行や図書館を含む市街地まで建設。中国本土から定期船が運航し、観光客も誘致しているそうだ。

「中国政府は西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島を海南省に属する『三沙市』として、永興島に市の地方政府を設置。2012年時点で島の人口は444人と発表されています」(古是氏)

では、今後新たに南沙諸島のファイアリー・クロス礁を埋め立てて造られる人工島は、どんな施設になるのだろうか?「中国国営第九造船開発研究所のレポートと関係者の話によれば、総工費は50億ドルで、広さ5平方キロメートルの予定地をすでに埋め立て造成中。10万tクラスの空母(2020年までに完成予定)が寄港可能な港湾施設と、少なくとも2000m級以上の滑走路が2023年に完成予定です」(古是氏)

ここまでくると、もはや単なる軍事拠点ではない。南シナ海のど真ん中、東にフィリピン、南から西にマレーシアやインドネシア、北西にベトナムという、中国にとって最高の場所に、巨大な“不沈空母”が誕生すると考えるべきだろう。

しかも、南沙諸島における中国の軍事拠点建設はこれだけにとどまらない。

そのひとつが、ファイアリー・クロス礁から東に約150kmの地点にあるジョンソン南礁だ。ここでも現在、大規模な埋め立て工事が急ピッチで進んでおり、滑走路建設も時間の問題だという。

また、そこからさらに東へ約150kmの地点には、中国が1990年代末に鉄筋コンクリート製の施設を建設して実効支配しているミスチーフ礁がある。

西から順に空母(ファイアリー・クロス礁)、ヘリ空母(ジョンソン南礁)、軽空母(ミスチーフ礁)と、絶妙の距離間隔で東西に並んだ3島からなる“不沈空母艦隊”がフィリピンやマレーシアにニラミをきかせ、ベトナムには西沙諸島・永興島に配備された戦力が対応。9年後にファイアリー・クロス礁の滑走路が完成すると、南シナ海周辺の軍事バランスは劇的に変化することになる。

もちろんこれは、マラッカ海峡から南シナ海を通るルートを主要なシーレーンにしている日本にとっても決して人ごとではない。例えば現在、日本が輸入する原油の約8割、天然ガスの約6割は、このルートを通っている。

それだけに、ルートが遮断された場合、日本と東南アジアや中東を行き来する船舶はフィリピン海を経由する太平洋ルートへ迂回して航行することになり、通常より約3日間のロスになってしまう。さらにそこで紛争でも起こったら……。

日本経済への影響も計り知れない中、わずか9年後、南シナ海が中国に完全制圧されてしまうのか?









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「世界の政治・経済はどうなる」

2014-07-25 07:25:36 | 日本

増田俊男さんの論文「世界の政治・経済はどうなる」を要約し記す。


はじめに:為政者に突き付けられた両刃の刃

為政者は常に「両刃の刃」の恐怖に晒されている。一方の刃は世論であり、他方は肉体的脅迫である。一国を支配するのは大統領でも議会でもない。彼らは単なるロボットでありピエロである。では誰が一国の、あるいは世界の支配者なのか。それはマスコミを動かし、支配者に逆らう為政者を脅迫し、場合によっては命を狙う者である。日本では小泉内閣時大臣にまでなった有名なアメリカの刺客が今でも表舞台で活躍している。アメリカの支配者は、世論とマネー(ドル)と軍事力の自由裁量権を握っている。CNNを代表格として世界に情報発信し、世界通貨であるドルと世界最大の軍事力の自由裁量権を持つ者こそが世界の支配者である。

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によると2013年の全世界の軍事費は177兆3千億円で内一位のアメリカの軍事費は約64兆円、二位は中国で約13兆円(現在は19兆円)、三位はロシアで8兆円、日本は九位で約5兆円。

軍事力は軍事費に比例するので世界の総軍事費の40%以上を占めるアメリカの軍事費は今なお抜群、対米中国の軍事費は3.4分の一となっている。

アメリカの軍事費は前年比7.8%減少したのに対して中国は7.4%増加している。
知っておくべきことは、必ずしも軍事費=軍事力ではないと言うこと。

例えば自衛隊員一人に掛かる費用は中国人民軍20名に匹敵する。
だから軍事費だけで軍事力を計ることは出来ないのである。逆に言えば中国の軍事費がアメリカの3.4分の一でも中国の年間軍事力はアメリカの比ではないと言うことである。だから中国は世界から中国の軍拡に対する警戒を避けるためミサイル開発費を文化科学省の予算にするなど軍事費を過小に見せる努力をしている。中国空軍の実際の戦力は航空自衛隊、韓国空軍、在日、在韓米軍機の総力よりはるかに上回っているのが現実である。中国の軍事費がアメリカの3.4分の一かどうかではなく年間の軍事力の増大に注目しなくてはならない。今までアメリカは一貫して世界の軍事覇権を追求してきたがオバマ政権になって二正面戦略(中東とアジアの覇権維持)から一正面戦略(アジア中心)に切り替わった。ところがオバマ政権は中国が主張するG2(アメリカと中国の二大国でアジアの秩序を仕切る)を受け入れた為アジアに於ける中国の軍事覇権は一層強化されることになった。

近年(2008年以来)アメリカは金融緩和の名の下にドルを400兆円相当も乱発しドルの購買力を落とした挙句、軍事予算を向う10年で50兆円相当削減するなど戦後一貫して求めてきた通貨強化、軍事力強化の基本政策と裏腹な政策を推し進めている。中東からの米軍撤退の結果イラクは内戦状態になり、イランのイラク介入の野心を許すなどアメリカの中東への影響力は低下の一途である。

米軍の中東撤退はアメリカの戦力をアジアに集中する一正面戦略の為であったが、前記の通りオバマ政権は中国のアジア覇権戦略としてのG2を容認した。
アメリカは世界の警察としての地位を捨て、今や台頭する中国の軍事覇権を食い止めるどころか迎合する方向へ向かっているように見える。世界の通貨ドルによる世界市場支配と世界最大の軍事力による世界軍事覇権を誇ってきたパックス・アメリカーナはこのまま衰退するのだろうか。








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「今こそ、町内会を再生せよ!」

2014-07-24 07:22:48 | 日本

家族だけでは乗り切れない「大介護時代」

藤和彦さんの論文 「今こそ、町内会を再生せよ!」は、少子高齢化時代に突き進んでいる我が国への貴重な提言である。
以下、要約し記す。



「親が亡くなり、兄弟姉妹はおらず、子供も孫もいないファミリーレス(家族なし)の人があふれる本格的な『ファミレス』社会がやってくる」

7月15日厚生労働省が公表した2013年の国民生活基礎調査によれば、老老介護(介護が必要な65歳以上の高齢者がいる世帯のうち介護する人も65歳以上)の世帯が初めて5割を超えた(51.2%)。
 高齢者のいる世帯と言えば、少し前までは3世代だったが、今や1位はおふたりさま老夫婦、2位におひとりさま、3位に未婚の子供と住む高齢者世帯だ(高齢者の核家族率は2000年の61.3%から2013年には76.5%)。
 「介護は『嫁』の仕事」と思っているうちに、家族介護者(家族を介護する人)の男性比率は3割を超えた。また、介護は跡取り夫婦の役目とも思われたが、少子化で全員が「跡取り」になってしまったため、誰もが上の世代の家族の介護に直面する。

大介護時代は、すべての人が自分の人生のどこかにケアを組み込んでいく時代である。

そもそも現代の「血縁核家族」という形態は人類の歴史から見て極めて特殊である。

近代社会の成立以前、家族単位での「私秘性」はなく、今日的な意味での「家族」と「コミュニティ」の厳然たる差異はなかった。
日本においても、家族がコミュニティから独立した形で私領域の全域を囲い込み、家事専業者が無償労働を一手に引き受けるという構図が一般化したのは、実は1960年代である。1920年代の米国家族社会学が提唱した「近代家族」像が、戦後日本に輸入され、高度成長期の産業構造の変化とともに普及したのだ。それがあたかも普遍的なものであるかのように私たちの家族観に深く浸透している。
 
ここで気になるのは日本の保守派の役割である。戦前の保守派は共同体的なつながりを重視していたのに、昨今の保守派はこの問題に対して無関心との印象が強い。戦後の代表的な保守派の論客である福田恆存は「保守はあくまで個人の態度である」と主張したが、保守と名乗るからには何かを守る必要がある。

これに対し、西欧の保守主義は「制度的保守主義」と呼ばれ、既に失われてしまった過去の伝統を美化した形で復興するのではなく、現在の社会を支えている様々な慣習を再発見し、時代に合わせた形で再生するという姿勢を重視する。憲法などの問題も重要だが、本当に大事なのは社会を成り立たしめている様々な伝統と慣習の総体だ、との認識があるからだ。

このような観点から「町内会」という制度に注目してみたい。

町内会は、大正末期から昭和初期にかけての近代資本主義の勃興の中で誕生した。都市化時代の幕開けに伴って新規来住者が増加し、従来の地主層中心の排他的組織では対応できなくなった。そこで、その土地に定住する人々を分け隔てなく等しく「住民」として組織する、新しいタイプの地域住民組織として結成されたのである。

町内会の中では、特権的な地位に胡座(あぐら)をかいていた地主たちに代わり、開かれた公的な場でリーダーシップを発揮する人物に人望が集まるようになった。これにより町内会は、地域社会が抱える全ての生活課題を処理するという包括機能性を持つ住民組織に成長したのである(数千人単位の町内会も存在していた)。

その後、町内会は戦時体制下の組織に組み込まれたために、戦後GHQから日本独自の「封建遺制」と規定され、ファシズムに協力したという理由から1947年に解散を命じられた。だが1951年のサンフランシスコ講和条約締結でGHQ禁止令が無効になると、町内会は続々と復活を遂げた。

まだ日本は貧しく、お金も力もない複数の家族が擬似的な大家族をつくるという「弱者連合」で厳しい時代を乗り切るしかなかったからであろう。1950年代までの日本は、行政も財政基盤が弱かったため、治安も消防も地域衛生も住民自治に頼るしかなかった。1960年代の半ば頃まで、父親たちは冬の夜になると「火の用心」のために町内を歩いていた。

その後、高度成長期に入ると、それぞれの家の庭に塀が立ち、縁側からお互いの家に出入りするようなことができなくなり、町内がばらばらになってしまった。しかし「親睦」と「行政補完」という機能に縮小したとはいえ、現代でも町内会は存在し続けている(2008年4月時点の全国の町内会の総数は約29万4000。戦後直後に比べて2割増である)。

高齢化率が上昇すると、お互いに支え合っていかないと生きていけない住民が急増する。今後、町内会は、弱者が自尊感情を持って生きられるよう配慮するとともに、社会に対する住民の姿勢を「他人事」から「自分事」へ変えることが不可欠である。

行政も「自ら提案を行う」という形から、「住民が自ら考えるための情報を用意し、その議論に耳を傾ける」という形、「行政対住民」ではなく「住民対住民」の議論で地域の課題が解決される形に転換していくべきではないだろうか。

厚生労働省は、中学校区(全国の中学校数は約1万)ごとに地域包括支援センターを置いて全国のケア体制を整備する方針だ。だが、茨城県日立市が23の小学校区を単位に住民組織を設定しているように、町内会は小学校区を単位とした方がよいのではないだろうか(全国の小学校数は約2万で、1小学校区当たりの住民数は約6000人である)。

団塊世代の高齢化によって、高齢者が地域活動に関わるようになってきているが、日本人は鎌倉時代の「一所懸命」のように、組織の中で決められた役割を与えられると自らが有する能力以上の実力を発揮する。彼らが「カイシャ人間」から「チョウナイカイ人間」に変身を遂げ、スローだが心の豊かさを重視する文化を新しく生み出していってほしいものである。

今年の夏も東日本大震災の被災地で復興の願いを込めた夏祭りが開催されるが、沿岸部では今、失われたコミュニティを災害公営住宅で復興する取り組みがスタートしている。







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「ファーブル昆虫記」

2014-07-23 07:17:24 | 日本

「ファーブル昆虫記」を読み、ファーブルから教えを受けた。


ジャン・アンリ・ファーブル<1823-1915>の代表作「昆虫記」は、世界各国で翻訳されており、日本でも『ファーブル昆虫記』として親しまれている。

「昆虫記」(全10巻、1879-1910)で取り上げている虫は、ちょっと普通には目立たない、どうかすると退屈な虫が多くて、美しい蝶やカブトムシのような誰で知っている虫は出てこない。スカラベなどのタマオシコガネ、オトシブミ、ベッコウバチ、ゾウムシ、ハンミョウなどで、クモやサソリまで出てくる。しかし、これらの虫の生態は非常に変っていて、それをファーブルが独自の観察方法でなぞを解いていくところは、推理小説を読むようでたいへん面白いものである。

ファーブルは「種の起源」のダーウィン(1809-1882)と同時代の人だが、進化論とは別の立場を取っていた。生き物の行動を良く見ていれば、そこに偶然なんて存在しない、まして、その積み重ねで今ある生物に進化したなどありえない、と考えていた。また、ファーブルは、虫が状況を判断するなど思考によって行動しているとは考えなかった。何かによって最初から決められている手順を、ただ順序どおりに実行しているだけだということを、観察と実験で証明してみせた。

しかし、ファーブルとダーウィンの間には交流があり、ダーウィンは低姿勢でファーブルに接していたことが「昆虫記」からうかがえる。けだし、当時、ファーブルを最も評価していた生物学者はダーウィンではなかったかと思える。
 
「昆虫記」には虫そのものの話ばかりでなく、自然や生き物と向き合う姿勢、研究の方法などについてのファーブル自身の主張も語られている。全体にギリシャローマの神話、古典、聖書からフランスの民話に至るまでの引用が沢山あり、情景描写などは詩のような書き方をしてある。また、「昆虫記」はファーブルの自伝的な側面もあるが、ところどころ権威に反発するような記述もあって、ファーブルは、同業の仲間などからは決してよくは思われていなかったことが分かる。たいへんな教養人で博学だったファーブルは、信念の人だったが、その分、世の中を辛く生きていくようにできていた人だったようにも思える。

ところで、ファーブルの「昆虫記」は昆虫学者には不人気だそうである。どう見ても研究書の体裁ではないし、手厳しくほかの学者の批判をしていたり、虫のことばかりでなく、俗世間のことも書いているから、それがたとえ正しいことを書いていたとしても、人によっては要らぬことを書いていると思ってしまう。恐らく、専門家にはカチンと来るところがあるのだろう。しかし、幸いなことに、専門家でもなく、学者でもなく、教養もなく、昆虫に詳しいわけでもない、ただの虫好きには面白い本である。



◎ファーブルが、ドラグラーヴ社「昆虫記」の第1巻を発刊する。ファーブルは、自分がアルマスで行う研究の意義、そして「昆虫記」に記す内容について、それを馬鹿にする学者たちを糾弾して、次のように行っている。

あなた方は虫の腹を裂いておられる。だが私は生きた虫を研究しているのです。
あなた方は虫を残酷な目にあわせ、嫌な、哀れむべきものにしておられる。私は虫を愛すべきものにしてやるのです。
あなた方は研究室で虫を拷問にかけ、細切れにしておられるが、私は青空の下で、セミの歌を聞きながら観測している。
あなた方は薬品を使って細胞や原形質を調べておられるが、私は本能の、もっとも高度な現れ方を研究している。
あなた方は死を詮索しておられるが、私は生を探っているのである。

そして、「自分が『昆虫記』を書くのは、本能の謎に挑もうとする、とりわけ若い人のためである。学者たちによってつまらないものにされてしまった博物館を、もう一度、若者たちが好きになるようにするためである」と宣言している。



◎人間以外では、いかなる生き物も自分で命を断つという最後の手段を知ってはいない。なぜなら、そのいずれも死ということを知らないからである。死について、はっきり思い描くことができるのは人間だけであり、死後について素晴らしい本能的直観を持つことが出来るのも人間だけである。


◎ファーブルはまた、唯一死を知る生物であるはずの人間が、なぜ戦争というおろかな殺し合いをやめないのかと、「昆虫記」の中で繰り返し問うている。
例えば、サソリの共食いについて述べたところでは、戦いに負けた相手を食べ尽くすという行為は、それは食料にしているという点において理がある。しかし食べるわけではないのに、民族と民族が殺し合う戦争は何のためにするのか、自分には理解できないと言っている。

◎さらに、道徳を知るはずの人間が、なぜ野蛮な行為を続けるのかについても疑問をなげかけている。文明が進み、技術も進んだけれども、戦争やめるということに関しては一つも進歩していない。
例えば、技術が進歩した結果、大量の銃弾を連射できる機関銃などが開発され、戦争の手段は格段に進んでしまった。ファーブルは、人間の道徳が進歩し、殺し合いをやめるようになるには、まだまだ時間がかかるだろうと述べている。そして、奴隷制の廃止や女子教育の普及を例に挙げ、人間は非常にゆっくりとではあるが、少しずつ良い方向には向かっているとしている。


◎つまり、絶望していても仕方がないということである。たとえどん底に突き落とされたとしても、頭を上げて、とにかく力いっぱい生きていこう。ファーブルの文章の根底には、どんなに困難な状況あっても、自分の人生というものを充実させよう、楽しく生きていこうと言う、力強いメッセージがある。


◎ファーブルは91歳で、その生涯を閉じた。セリニャンの墓地にある墓石には、ファーブルの遺言により

「死は終わりではない、より高貴な生への入り口である」

と言う言葉がラテン語彫られている。無駄な死というものはない。生き物の死は、次の生へとつながっている。それは昆虫でもそうであるし、自分自身もそうである。








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「食べ物の好き嫌いの科学」

2014-07-22 07:03:56 | 日本

食に対する好き嫌いや嗜好性は、私たち人々の個性を決める要素とも言えそうだ。でも一体、食べものに対する好き嫌いや嗜好性はどのように起きるのだろうか。
食の好き嫌いに関する疑問を、大阪大学大学院人間科学研究科の八十島安伸氏に聞く。


Q.食べものの味に対する好き嫌いは、人によって様々、好き嫌いはどのように生じるのか?

A.味覚の好き嫌いには、まず、先天的なものがある。味覚のうち、苦味と酸味の2つは、多くの動物において先天的に嫌いな味覚となっている。どちらも、体にとって摂り込むべきでないシグナルとして認識されている。

われわれ人を含めた多様な動物は、植物の葉などを苦く感じる。植物にとって葉は貴重な資源であり、食べられては困る。そこで植物は、葉にアルカロイドなどの消化を阻害する物質や毒性をもつ物質を含むように進化してきたと考えられている。それらの物質を動物が苦く感じる。一方、酸味については、食べものの腐敗や発酵が進むと、有機酸という物質が作られるので、酸っぱく感じる。酸味は、その食べものが腐敗している危険を表すサインなのである。

動物にとって、苦味や酸味のある食べものをもともと嫌っていれば、それらを体に多量に取り込まずに済む。これらの味を嫌う能力は、げっ歯類や人間の赤ちゃんを含む霊長類などの多数の動物種で見られる。両生類も、苦い餌を口にすると吐き出すらしい。
動物の進化の過程で、苦味や酸味を避けるような能力を持つ動物が生き残り、その子孫が進化してきた結果、苦味や酸味を嫌う動物種が多く生息するようになったと考えられる。


Q.苦味や酸味以外の味について

A.塩味は濃さが関わってくる。あまりに塩味が濃いと嫌な味になるが、薄ければおいしくて好きな味になる。加えて、塩味をどう知覚するかは体の状態とも関係する。例えば、汗を大量にかいてナトリウムが体内から欠乏すると、普段なら受け付けないような濃い塩味さえおいしく感じるようになる。体の生理状態が味覚の好き嫌いにも影響するということを示している。

また、甘味や旨味は、多くの動物にとって好きな味として知覚されている。


Q.食べものの味を、好き、嫌いと判断するのは体のどこの部分なのか?

A.先天的な味覚への好き嫌いに関する能力は、脳幹にあると言われている。例えば、健常な赤ちゃんは苦味や酸味を口に入れると特有の顔面の表情を見せる。水頭症などで大脳が発達できていない新生児でも、健常の赤ちゃんと同様の表情を見せる。つまり、苦味や酸味に対する嫌悪的な顔面表情は、脳幹の機能によるものと言える。


Q.後天的に食べものを好きになったり嫌いになったりすることもあるが?

A.自分の経験によって好き嫌いが変わっていく場合もある。先ほど、苦味や酸味は人の赤ちゃんにとっても先天的に嫌いな味覚だと話した。でも、乳幼児の味覚や食べものへの好き嫌いは、親御さんや同世代の子供たちの影響を受けることもある。

例えば、「新奇性恐怖がなくなっていく」という学習の過程が一例である。人を含む雑食性の動物は、様々な種類の食べものを食べることができるわけだが、赤ちゃんや子供の頃は食べる経験そのものが少ないため、接する食べものは初めての場合がほとんどである。動物は、出合う食べものに毒が含まれているどうかを食べる前に知ることができない。つまり、新奇な食べものは潜在的に危険なものであるとして、動物たちは用心しながら、それを少量だけ食べる。このような行動傾向を「食物(味覚)新奇性恐怖」と呼ぶ。

新奇の食べものがたとえ甘くておいしくても、初めてのものであれば、動物はためらいながら食べることになる。その後、お腹が痛くなったり気持ち悪くなったりしなければ、消化管から、たとえて言えば「内臓機能は順調で、これは安全だ」ということを表す情報が脳へと送られる。すると、脳はその情報を事前に経験していた味覚情報と関連づけて(連合して)、「その味は安全である」と学習し、その味を覚える。そして、その学習内容をその味との次の出合いの場で思い出すので、前回よりもためらわずにより多く食べるようになる。

この場合はその甘い食べものが「これは安全」というラベリングがなされるので、次回はより多く食べられることになる。しかし、別の味の食べものの場合には、「それが好き」となるためには、その味を繰り返し経験していく必要もあると考えられている。
このような新奇性恐怖とその減少は、人においても見られる。こうした経験を繰り返すと、食べられるものの種類が増えていき、様々なものを食べられるようになる。


Q.逆に後天的に食べものを嫌いになる場合もあるのか?

A.いまの例とは裏返しに、「味覚嫌悪学習」という特徴的な学習も後天的に起きる。

例えば、カニを食べたらあたって嘔吐してしまったとか、なにかを食べた直後に体調不良を起こして、苦しくつらい思いをしたという経験をみなさんもお持ちかもしれない。その食べものはそれまでは好きであったとしても、そのような経験をした後では、どうしてもそれを嫌いになってしまう。

これも、「これは毒だ」ということを表すような内臓感覚の情報と、味覚の情報とが脳内で連合してしまい、「この味は嫌い」もしくは「この味はまずい」と、意図せずに学習してしまうので、食べられなくなってしまう。

この後天的な味覚嫌悪学習には、脳の扁桃体という部分の機能が関わってくる。扁桃体は、味覚のほか、視覚、聴覚、体性感覚などの情報が集まるところで、自分にとってそれが良いか悪いか、あるいは好きか嫌いかという価値付けをしていると考えられている。つまり、脳幹だけでは、味への好き嫌いを後天的に変えることはできないということでもある。


Q.幼い頃の食の経験が、その後の好き嫌いに関わってくるという話をよく聞くが?

A.幼児や子供たちは自分で食事を用意できないので、その時期の食べることは自分のみで完結するものではない。つまり、両親や養育者から食べものをもらい、かつ、両親などと一緒に食べる場面が多いわけだが、他者から食べ物が与えられるという食事スタイルと他者と食べるという行為が、食べものの好き嫌いに大きく関わってくると言える。
まず前者だが、離乳食の頃から食べてきたものや食卓に頻繁に出されていた食べものは、好きになる可能性が高くなる。これは、いわば、心理学で言うところの「単純接触効果」に起因するかと思われる。なにかに繰り返し接触していると、それを好きになる傾向がある。

次に後者だが、共食する他者から受け取る情報によって、「楽しい」や「うれしい」といった快情動が生み出されると、その感情の影響を受けて、そのときに食べるものの味を「おいしい」と思うようになったり、おいしさが増加したりする。これが繰り返されると、その食べものの味が好きになる。

さらに、お母さんやお父さんという、幼児にとってごく親しい存在の人が食べている食べものは、「危険なものではなさそうだ」と認識され、それに対する新奇性恐怖が減少すると考えられている。これらのプロセスが複合的に進んでいくことによって、様々な食べものへの好き嫌いがつくり上げられていくと考えられる。


Q.多くの人にとっては、4歳頃まではなにを食べていたかの記憶さえないが?

A.確かに、多くの人にとって、幼少の頃の体験した食べものやその味覚の記憶は、旅行のエピソードやものの意味などのように明確に思い出せないもの。つまり、脳の中でつくり出され、保持される記憶の種類によって、明瞭に思い出しやすいものとなかなか思い出しにくいものがある。言語化できる記憶の多くは明瞭に思い出しやすいのだが、味覚記憶はなかなか言語化しにくい。

しかし、脳は、自分にとってその味が親しみがあるかどうかという程度の記憶を、幼い頃から日々の食体験を通じてつくり出している。こうした記憶は「熟知性記憶」と言われている。いわば、“お袋の味”を覚えているといったことに該当する。
そして、その味の記憶に基づいて、個人特有の味嗜好がつくられていくことになる。意識には上りにくいものだが、脳に味覚の記憶、いわば食体験の記憶が残っていれば、それがその後の食の嗜好性に影響する。

例えば、地域特有の食文化に幼い頃から慣れ親しんでいると、その味が他の地域からA.見れば独特であっても、その味への違和感をまったく覚えず、当然のように食することができる。これも、幼少期からの食体験に基づく味の記憶の効果の表れと言える。
ただし、突き詰めて考えてみると、味への嗜好が本当に生まれた後の経験によって生み出されたのかどうかは、判断しづらいところがある。私たち人は、お母さんのお腹の中で胎児として成長している間に、お母さんが食べた食べものに含まれる物質が溶け込んだ羊水を飲むという味覚経験をしていると知られている。この胎児期の味覚経験が、生まれてからの嗜好性に影響を与えるという報告もある。


Q.嫌いなままの場合と、好きに変わる場合

A.それは嫌いの度合いと、接触の回数である。
例えば、ある人にとっては、グリンピースは味覚嫌悪学習の効果によって生理的に受け付けない程度までなっているのに対して、トマトは味や匂いが「なんとなく嫌い」という程度、つまり新奇性恐怖や、いわゆる食わず嫌いにとどまっているとする。トマト嫌いの理由がその程度のもので、新奇性恐怖がなくなれば、トマトの味のおいしさを発見する余地があるので、好きに変わる可能性も高くなる。

加えて、その食べものに触れる回数も影響する。グリンピースは味覚嫌悪学習によって生理的に受け付けないほど嫌いになっていれば、それ以降、食べる経験はほとんど増えない。例えば、グリーンピースの匂いにすら嫌悪が学習されてしまうと、一口も口にしないことだってあり得る。そうなると、グリーンピースを「嫌い」から「好き」にするために必要とされる再学習の機会が十分に得られず、嫌悪記憶が維持されてしまうことになる。

それに対してトマトは、ソースやケチャップというように形や見た目、風味を変えて食べていくうちに、トマトに対する嫌悪のハードルは低くなっていき、「トマトって食べてみればおいしいじゃないか」とそのおいしさを発見し、それを学習できる機会が持てるかもしれない。そして、結果として食わず嫌いが変わるかもしれない。
このように、嫌いなものを食べる機会をどれだけ持てるかという食体験の多寡が、嫌いのままで残るかどうかに影響するのである。


Q. 1度の経験で、好き嫌いが決まってしまうこともあるのか?

A.嫌いになる方の味覚嫌悪学習は1度の経験だけでも起きることが、動物の実験で確かめられている。ラットにサッカリンという甘い溶液を飲ませた直後に、消化管に異変を生じさせる注射をする。ラットはしばらくは体調異変でぐったりする。体調が回復した後で、ラットを喉が渇いた状態にさせてから、再びサッカリン溶液を与えても、ラットは甘いサッカリン溶液は飲もうとしない。しかし、その後で水を与えると水は飲む。これは、一度の経験でもサッカリンの甘さに味覚嫌悪学習が起きてしまったことを意味している。

逆に、好きになる方は徐々にしか起こらないことも分かっている。ラットにある風味を経験させた後でショ糖を与えると、ショ糖にはカロリーがあるので、内臓から「栄養を得た」という感覚情報が脳に伝わり、脳内でその情報が風味の情報と連合される。そのため風味への嗜好が強まると考えられているが、その風味嗜好の学習は徐々にしか起きない。








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「首長霊信仰によって日本統一をなし遂げた大和朝廷」

2014-07-21 09:05:20 | 日本

武光誠さんの「首長霊信仰によって日本統一をなし遂げた大和朝廷」の論文が素晴らしい。
以下、要約し記す。



日本の古代史については、意外に皆知っているようで知らないのではないかと思う。学校の教科書にも明確な記述がないので、日本という国の誕生について、われわれ素人には、曖昧で不明瞭な部分が多い。

そこでまず、日本の成立というのは日本人の成立とも深く関わるわけだが、今のような日本人のもとができたのは、弥生時代の終わりである。

その前に縄文時代というのがあったわけだが、縄文人というのは、もともと北の方から日本列島に渡ってきた人たちで、狩猟、漁(ぎょ)ろうを中心に生活していた。そこへ、紀元前2世紀以降、水稲耕作という新たな文化を持った、いわゆる弥生人たちが、朝鮮半島から大量にやってきた。そして、縄文人と交流・混血しながら、弥生文化をつくりあげていったわけである。その弥生文化が日本国内で互いに交流して、ひとつまとまったものになったのが、3世紀の半ば頃である。

そしてその時期に、奈良盆地に今の天皇家の先祖にあたる大和朝廷が生まれて、数多くの小国や部族をとりまとめ、日本統一をなし遂げた。大和朝廷が国家統一を成し得た最大の要因は「首長霊信仰」といえると思う。すなわち、一つの信仰のもとにすべての日本人をまとめ、国家をつくりあげたのである。有力豪族の祖先を「首長霊」として祭り、その霊が、自身の子孫だけでなく、庶民も守ってくれるとする発想である。

そして大和朝廷は、「天皇霊(すめらみことのみたま)と呼ばれる大王(おおきみ)の首長霊を最も尊いものとし、これを頂点として、豪族達の首長霊の序列をつくった。つまり、天照大神(あまてらすおおみかみ)がいちばん偉い神だとし、天皇の祖先神を中心に神々の序列をつくったわけである。

そしてそれを上から一方的に強制するのではなくて、確かに序列はあるけれども、民にとっては、各氏族、各地方の神様がいちばん大切だ、というように、それぞれの自立性を残しながらまとめていった。誰もが、自分たちの神様の系列をたどっていくと天照大神につながっていくわけだから、国民の間に自然に一体感が生まれてくるというわけである。
一つの村が一つの神様を祭り、その信者同士がお互いに助け合ってまとまっている。その村々も、同じ神様を信仰するもの同士、助け合いにつながっているわけである。そういう日本の神社信仰はごく最近まで残っていた。今でも人間のつながりとか、人間の和というのは、われわれ日本人の中に根強くある。
また、日本人は単一民族で価値観が割合一定していてまとまりやすいという要因もあった。そのうえ、ずっとその後、一つの国家が分裂しないで続いているのも大変珍しいと思う。
ほんとうにこれは特殊なケースである。他民族から征服されることなく、村の首長がそのまま大きくなった形で国が統一されたというのは、外国にはない珍しい例である。そのうえ日本というのは、現代でも行政指導が意外に強い。それも、政治家が独裁的に決めるのではなくて、いろんな企業の意向を、なんとなく役人が調整する。あまり表立った議論をしなくても、いつの間にかみんなが望むような政策が取れるシステムになっている。そのへんが、古代の日本の政治そのものである。

また、日本人は外交が下手だ、とよくいわれるが「マアマア外交」などといわれながらも、日本をここまで大国に押し上げてきた、という点で、日本の政治力はやはり優れているといえる。

ところで、縄文人と弥生人の基本的な違いはどういうところだろう?
大きな特徴をいえば、縄文人は「円の発想」、弥生人は「区分の発想」を持っていた、という点である。

「円の発想」というのはアニミズム(精霊崇拝)から生じたもので、人間も生き物も、風、雨、太陽、月、星等の自然現象もすべて精霊を持った平等な存在とみるものである。人間は何とでも互いに友達になるという発想で、むやみに木を切ったり、動物を殺したりしない。狩りで捕えた獲物にしても粗末にはしないで手厚く祭るし、人間も動物も、死ねば同じところに葬ったわけである。自然の恵みのままに、自然を壊さないで、自然の一部として生活していこうという考え方である。
集落も、円形の広場を中心にして、周囲には竪穴住居がめぐらされ、その周りにゴミ捨て場(貝塚)があるというもので、その三者が同心円を形成している。
それに対して弥生人は、人間は自然の一部ではない、有益な動植物を増やし、有害な生き物を排除する権利を持っている、そして、人間には能力差があるから、それに見合った身分が必要だ、という発想を持っていた。これが「区分の発想」である。逆にいえば、そういう発想があったからこそ、土地を拓き、そこにいた動植物を追い出して水田を作ることができたのだということになる。その点縄文人が、農耕を知っても、森林や草原を壊さない範囲で耕作をして、決して自然の生態系には手を触れようとしなかったのとは対照的である。

また、人々の信仰も、精霊信仰に代わって、弥生人の間では人間中心の祖霊信仰がもてはやされるようになった。祖霊が、太陽の神、水の神、山の神などになって、自然物を支配し人々を支えるという発想である。そして、祖霊のお告げを聞く巫女(シャーマン)が集落の人々の農作業や祭祀を指揮する指導者になっていった。
弥生時代の集落には、多くの溝がみられる。まず、外界と集落とを分ける幅の広い深い溝、さらに個々の住居や水田も他者の進入を拒否する溝で囲まれている。同じ集落の中に、広い住居、狭い住居があり、時には、水はけが良く、眺望の美しい位置を独占している住居もみられる。これらは、その時代の人々が決して平等な暮らしをしていたのではなかったことを表すものである。

また、弥生時代の集落には広場と貝塚がない。これはつまり、共同のスペースを持たず、各家々が穀物を保管していたことになる。死者は住居から離れた墓地に葬られ、動物や魚介類の残滓や壊れた道具は、単なる不要物とされた。
農耕は、狩りとは違い、土掘り、土運び、種まきなど、大勢の人間が歯車の一部みたいになって共同作業しなければならない。根気もいるし、誰か強い指導者がいて号令をかけていないと、みんな働かなくなってしまう。

ところで、戦後日本の急成長の中で、企業は、競争に勝とう、シェアを拡大しよう、と必死になっていた。しかし、最近はそのへんはトーンダウンして、地域の住民との融和とかコミュニケーション、あるいは地球や自然と仲良くしようといったエコロジーの問題に取り組むところが増えてきている。企業PRもそういうことを積極的に打ち出す傾向が強い。まるで縄文時代に戻っているような感じである。
経済中心の弥生時代的な価値観できたけれど、それが行き詰まってしまった今、ひょっとしたら弥生時代以来、大事なものを忘れていたのではないか、と考えるようになり、自然の中の人間というものを見つめ直す“ゆとり”が生まれてきたのではないのか。
この2~3年の自然保護の動きを見ると、日本人は捨てたものではないな、日本人の良心は信用できるな、と思う。「割箸はひょっとして木の無駄遣いではないか」「フロンガスをなくそう」「埋立てになるプラスチックボトルはなるべくなくそう」という声が起こると、徐々にみんなに受け入れられて市民運動などに広がっていく。
日本人には、平均的に誰でもわかっていくというすばらしさがある。それは日本人の良さである。それと、日本人は勉強好きだし、雑誌や新聞もよく読む。新聞記事にさりげなく自然保護のことが出た途端に、それがいつの間にか市民の声となっていく。











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