龍の声

龍の声は、天の声

「さんま、その食と漁①」

2013-09-29 07:28:48 | 日本

漆原次郎さんの「さんま、その食と漁」について、まとめた論文があった。
さんまの季節に相応しいので要約し、2回にわたり記す。
おいしい「さんま」を選ぶポイントは、背が太い、光沢がある、眼がきれい、鰓(えら)があざやか、くちばしが黄色といった点である。「さんま」の塩焼きで、うまい日本酒を飲んでくれ。



「さんま」の季節がやって来た。多くの食材の季節感が失われたなか、「さんま」はいまも旬を味わえる海の幸だ。
8~9月頃、千島列島沖の北太平洋を南下し始め、11月に銚子沖へやって来る。日本海側を南下してくるものもいる。秋が深まるにつれさんまの体に脂が乗る。焼けば煙を立ててこんがりと香ばしい。その後、11月下旬頃からの産卵期を迎えると脂は急に落ちる。脂の乗った新鮮な「さんま」は、秋のこの季節しかないのだ。

「さんま」をテーマに、日本人の食としての接し方と、漁の仕方を、過去から現代にかけて追っていく。

「さんま」という言葉には、由来、当て字、方言からして様々な側面がある。呼び方の由来では、細長い魚の意味の「狭真魚(さまな)」から来たという説、「たくさん」を意味する「さん」と「うまい」を意味する「ま」で「さんま」となったという説などがある。当て字にも「秋刀魚」のほか、かつては「秋光魚」「秋水魚」「青串魚」、さらに「小隼」「三馬」「三摩」などが使われていた。和歌山から四国や広島にかけて、さんまは「祭魚(さいら)」と呼ばれてきた。大漁祈願に備えた魚の呼び名だ。和歌山ではほかに「さより」とも呼ばれ、また、長崎では「さざ」、また新潟では「ばんじょ」と呼ばれてきた。

また、「高級魚ではないがうまい」という構図は、江戸時代の落語「目黒のさんま」にも使われている。
目黒へ鷹狩りに出かけた殿様が、農家で焼きたてのさんまを食べ、そのうまさを忘れられなくなる。後日、殿様がさんまを食べたいと言い出すと、家来の手で日本橋の魚河岸のさんまを高級に料理した椀ものがさし出される。だが、殿様の口に合わない。殿様は知ったかぶりに言ったのだった。「さんまは目黒に限る」と。現実世界でも、高貴な人びとにとって、さんまは“知られざるうまい魚”だったのかもしれない。

1892(明治25)年7月8日付の読売新聞に「前田利嗣 秋水魚(さんま)を知らず」という見出しの記事がある。華族の前田利嗣(1858~1900)の少年時代の逸話だ。利嗣は、通学先で用意された食事が口に合わずにいたところ、ある日さんまの塩焼きが出され、うまいと骨以外のすべて食べた。そして家に帰り「きょう学校で珍しい魚を食べた。味が濃くて香ばしくて、うちの晩餐よりはるかに勝っていた。『サンマン』というらしい」と家の人に話したという。

身分がどうであれ、うまいと思えば、それをまた食べたくなる。人びとの食欲を捉えて、さんまは日本人が好む魚の代表的存在になっていったのだ。

さんま漁の変遷もおもしろい。
1544(天文13)年の東伊豆で「サイラ網」による漁法がすでに始まっていたという。サイラ網は、魚の群れを包囲するように使う「巻網」の一種だ。また遅くとも17世紀、紀伊半島の熊野でさんま漁が行われていたという。熊野で獲れるさんまは時期的に脂が抜けたもの。当地には背開きのさんまを塩と酢で漬けた「さんま寿司」や、1本ずつを干していく「さんまの丸干し」などの独特の食文化がいまもある。さんま漁は全体的に紀州から房総へ、つまり西から東へと伝わっていったとされている。

漁法については、江戸時代までサイラ網などの巻網が普及していたが、なかには地方独特の珍しいものもあった。例えば、日本海の佐渡沖では江戸時代から「手づかみ漁」が行われてきた。春、海藻を吊るした米俵や簀子(すのこ)などを海に浮かべ、産卵にやってきたさんまを手づかみで獲るというものだ。

明治時代以降になると、網を直線状などに張って魚が進むのを遮るようにして魚を獲る「刺網漁」が全国に普及していった。とはいえ、全国の年間漁獲量は明治時代には1万トンを超えることはなく、20万~30万トンの現在にくらべて小規模なもの。大衆魚といっても漁獲量には限りがあった。

だが、昭和に入り戦争前後の時代、さんま漁に画期的な技術革新が起きる。「棒受網(ぼううけあみ)」という網を使った、さんまの大量捕獲法が生まれたのである。

この漁法は、さんまが光のある方に進もうとする「正の走光性」を利用したものだ。船に「集魚灯」と呼ばれる光を放つ器具をいくつも備えつけておく。そして夜間、漁場となる海域において、探照灯などでさんまの群れを探して近づき、両舷の集魚灯を点けてさんまを船のまわりに集める。次に左舷の灯を消して、右舷のみで海を照らす。これで、さんまは右舷側に集まってくる。その間に船の左舷から、竹竿(現在は強化プラスチック製パイプ)に付けた棒受網を張り出す。風などによって船体が網から離れたら、左舷の灯を点灯し、右舷では船尾から順次消灯する。さんまは、この灯光照射域の移動に伴い、船の船首側や下を回って左舷側に集まる。そこで、左舷側に張り出していた棒受網の網裾を巻き上げてさんまを網の上に集約して捕獲するのだ。




この記事をはてなブックマークに追加

「真理の吟唱 悪の存在を否定する祈り」

2013-09-28 07:59:47 | 日本

想念は動力であり、善き事を想えば善ことが現れて来、悪しき事を想えば悪しきことがあらわれてくるというのは一応、心の法則として真理である。しかし悪しきことがあらわれるのは幻の現れる法則に過ぎないのであって、悪しき事を想えばとて、悪しきことが「真実の存在」として、あらわれてくるのではないのである。悪しき事物は本来存在しないのであるから、どこどこまでも、それは非存在であって、あるかの如く見えているのに過ぎないのである。

あなたが如何に不健康に見えようとも、この世界が如何に不完全に見えようとも、その不健康も、その不完全も、実には存在しないのであって、元気溌剌たる人間が、完全円満な世界に生活しているのである。悪しき想念は悪しきことを造る力があるなどと考えてはならないのである。悪しき想念は、ただ悪しきものを「幻」にしてみせるだけの事である。

善き想念は、実在の世界に根を張っているから積極的な力であるが、悪しき想念は悪しき事物をつくるような積極的にな力はないのである。悪しき想念そのものが「無」であり、実在ではないのである。実在でないところの悪しき想念が、実在する悪をつくることができないのは当然のことである。

心、平和であり、調和であり、大安心のもとに生活するのである。





この記事をはてなブックマークに追加

「霊夢・わが神を顕す」

2013-09-28 07:58:20 | 日本

わがおもいに神を顕す
わが呼吸に神を顕す
わが言葉に神を顕す
わが表情に神を顕す
わが態度に神を顕す

わが日常生活の一つ一つに神を顕す
わが仕事の一つ一つに神を顕す

頭で考えない
自己の切なるおもい
魂から発するおもいで、わが神を顕すのである

神が顕れれば、即ち、善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わる
そこは、すでに極楽浄土、仏の国、神の国となる




この記事をはてなブックマークに追加

「中国VS東アジアの領有権問題」

2013-09-27 06:56:08 | 日本

英エコノミスト誌に「中国VS東アジアの領有権問題」についての記事があった。
これは参考になるので、以下要約し記す。



中国は、昨年、同国が黄岩島と呼ぶ島を事実上併合した際に、米国が何も反応しなかったことに勢いづいているのかもしれない。
黄岩島はフィリピンがスカボロー礁として領有権を主張する島で、フィリピン諸島最大のルソン島から220キロしか離れていない。フィリピン側は、中国が船団を島に常駐させ、漁場を封鎖していると主張。今では、中国が75個のコンクリートブロックを海に沈め、建設工事に着手していると訴えている。中国はこれを否定している。

しかし、中国は日本の尖閣諸島に対する態度とは対照的に、東南アジアでは少なくとも友好的に思われるよう努めている。李克強首相は今月、東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国との関係が「ダイヤモンド・デケイド」に入ろうとしていると述べた。
また中国は、加盟国4カ国(ブルネイ、マレーシア、フィリピン、ベトナム)が中国と重複して領有権を主張しているASEANと南シナ海について話し合っている。
9月14~15日には中国の蘇州で、中国、ASEAN双方が、2002年に採択された紛争防止のための海洋行動規範の「宣言」を実行に移す取り組みについて協議した。中国は法的拘束力を持つ最終的な行動規範について「協議」することを約束した。だが、中国が結論を急ぐ兆しは全く見られない。

確かに、主権に対する中国の立場は和らいでいないし、中国の主張に異議を唱える国に対するトゲトゲしい態度も和らいでいない。先の李首相の発言は、中国南部の都市、南寧で開かれた「中国・ASEAN博覧会」で行われたものだ。聴衆の中に姿が見えなかったのは、フィリピンのベニグノ・アキノ大統領。アキノ大統領は招待を撤回されたのだという。アキノ大統領が不興を買っているのは、アキノ政権がスカボロー礁や他の島嶼、砂州、岩礁を巡る中国との紛争に第三者を巻き込もうとしているためだ。

ASEANを分裂させようとする中国の努力「直近では蘇州での会合で試みた」をよそに、フィリピンはASEAN諸国を自陣営につけようとしてきた。またフィリピンは、日本と同様に安全保障条約を締結している米国の援助も歓迎している。米国は、国際的に認められているフィリピンの国境を越えた領域は両国の安保条約の適用対象外だと言明した。しかし、先のルソン島での共同演習を含め、フィリピンとの軍事交流を深めている。

またフィリピンは、国連機関である国際海洋法裁判所(ITLOS)に訴えを起こした。今年1月、フィリピンはITLOSに対し、南シナ海における中国の領有権の主張、つまり、中国が漠然と「九段線」と呼ぶ、事実上南シナ海全域を取り囲むU字型の線について裁定するよう求めた。ITLOSは現在、フィリピンに対して、2014年3月末までに詳しい「陳述書」を提出するよう求めている。中国はただその手続きを無視するだろうが、多少面目を失う恐れがある。中国籍のITLOS判事、高之国氏が共同執筆し、今年、国際法の専門誌アメリカン・ジャーナル・オブ・インターナショナル・ローに掲載された論文は、九段線は、その内側に入るすべての島嶼に対する主権の主張および、島嶼と「その近海」に眠るすべての資源を開発する権利と「同義語」になったと述べた。

シンガポールの東南アジア研究所(ISEAS)のイアン・ストーリー氏は、この拡大解釈が次第に中国の公的見解になると考えている。
小平の下では、領有権問題に対する中国の政策は、恐らくは資源開発については相手国と協力し、問題を脇に追いやることだった。主権の問題は後で対処すればいい、ということだ。小平は1978年に、釣魚島・尖閣諸島問題は「将来の世代」が解決してくれると述べている。

マサチューセッツ工科大学(MIT)のテイラー・フラベル氏は、7月末に開催された、海洋強国としての中国に関する政治局研究会の席上、中国の新国家主席、習近平氏が小平路線を再確認したと指摘する。また、習主席は中国の権利の保護と同じくらい地域の「安定の維持」を強調したという。これはASEAN諸国に親切にする努力に沿うものだ。

しかし、それ以外の点では、中国が主権と見なす範囲を必死に防御する姿勢が和らぐことを示唆する兆候はほとんど見られない。中国はむしろ、国の南側でも東側と同様に、地図上のみならず海でも自らが主権と見なすものを行使しているのだ。






この記事をはてなブックマークに追加

「若者と中高年男性を自殺から救え!」

2013-09-26 06:23:16 | 日本

「自殺」と「自決」とは天地の差ほどの違いがあり、一緒にしては断じてならない。
自殺とはすなわち、己のことのみにて、命を断つこと。
自決とは、公を生かすために個の命を捧げる菩薩の行であること。
死んでしまえば同じだと、とぼけたことを言っている輩には全く理解が出来ないだろう。

自殺志願者よ!自分のためではなく、公のために生きよ。そして公のために死ね!
と言っても理解ができる心境にはいないので、先ずは「目の前のゴミを拾え!」と言いたい。そこから生きる道が必ず拓かれるだろう。

今回は、谷所由紀子女史が「欧米よりはるかに自殺率が高い日本の問題点とは」について、論文を出されたので、これを要約し記す。



日本の自殺の現状や、金融危機など経済的苦境との関係、また実際に各地で行われている具体的な自殺予防の取り組みについて考えてみたい。

日本は先進主要国の中でも自殺率が高い国であるということをご存じだろうか。
2013年6月の OECD Health Data によると、日本はOECD(経済開発協力機構)加盟国中、韓国、ハンガリーに次いで3番目に自殺率が高い。また韓国と同様、1997~98年の金融危機を境に自殺が急増、その影響がほとんど見られなかった西欧の国々とは、自殺率の推移が明確に異なる。

日本では昨年、15年ぶりに自殺者数が3万人を下回ったものの、1998年の金融危機以降2011年まで14年連続で3万人を超えている。また、1998年以降2012年まで、男性の自殺者数は常に女性の2倍以上を示している。
一方、10万人当たりの自殺率は1990年の16.9から一貫して減少、2010年には11.7となった。なぜ失業率が増加したのに自殺率が減少したのだろうか。

スウェーデンでは、1990年前半から国家的自殺対策プロジェクトとして包括的な自殺対策に力を入れてきた。スウェーデンでは早くから予防医学が支持されており、様々な疾病に対する予防対策の理念が国民に浸透している。

そのため、自殺に関しても、個人を取り囲む環境要因に働きかけ、未然に防ぐような取り組みや、自殺未遂者へのアウトリーチ型の危機介入を行うなど、学校や職場等多様な状況に対応した自殺対策に取り組んできた。

また、失業者へのセーフティネットや、きめ細かい再雇用促進体制を実施していることも低い自殺率の維持に貢献しているようだ。日本には正規雇用、非正規雇用という分類があり、失業保険や社会保険保障などの受給条件などの格差が激しい。

例えば、2009年の失業給付金の失業者全体の受給率は、日本が20%強であったのに対し、スウェーデンでは70%近くであった。

さらに、スウェーデンにおいては女性の社会参画が進んでいる。したがって、夫が失業しても経済的基盤が崩壊することが少ないことも1つの要因であろう。日本でも女性の社会進出を促進し、家計の安定を実現する社会をつくることが働き盛りの男性の自殺を減らすことへつながるのではないだろうか。

若者の就職に関してはどうだろうか。日本は新卒一括採用の慣習があり、応募対象が限られるなど、新卒で就職に失敗するとその後の挽回が難しい仕組みになっている。こういった慣習は、スウェーデンをはじめ欧米諸国にはない。日本の若者にとって、再挑戦が難しい社会であることが指摘できよう。

以上見てきたように、日本における自殺の主な原因・動機の1つとして、失業や就職難などの経済・生活問題が影響していることは明らかである。

そして、その大きな要因として、失業者などの求職者へのセーフティネットの不足や、正規雇用・非正規雇用という格差の存在、また若者対象の新卒一括採用制度など、失敗を許さない社会が影響しているようである。



◎日本の高い自殺率との関連要因として、

日本では人と人とのつながりが他国に比べ弱い。一昔前は、3世代が1つ屋根の下に住み、兄弟も多く、近所との付き合いも頻繁であった。しかし、近代化に伴って核家族化が生じ、自分以外の他人と触れ合うことが少なくなった。この「他者との関係の希薄化」が高い自殺率と関連性があると指摘されている。

例えば、自殺を思いとどまった理由として、誰かに相談したという回答が男女ともに多く、相談することの大切さを示している。心の悩みを抱えた人々が気軽に相談できる相手が身近にいることや、人々のつながりを地域の中で再構築していくことが重要である。
このように、孤立化が蔓延している現代社会では、失業や就職失敗をきっかけとして精神的ダメージが長く続き、うつになりやすい。そのうえ、生活苦や身体的健康問題も引き起こされる、というように、自殺の動機・原因は複数かつ複雑に関連している。
したがって、経済・生活問題を抱える人々のための有効な自殺対策を講じるには、日本の現代社会に住む個々人の抱えているあらゆる問題に多面的にアプローチする必要がある。






この記事をはてなブックマークに追加

「頭がいい人の話し方が身につく3つの口ぐせ」

2013-09-25 08:40:16 | 日本

樋口裕一(多摩大学教授)さんの「頭がいい人の話し方が身につく3つの口ぐせ」についての文章があった。
是非参考にしよう。以下、要約し記す。


1.「ぜひ、やらせてください」と、自分をうまくアピールする。

日本人は、自分をアピールするのが苦手な人が多い。本当はアピールしたいのに、どうしても引っ込み思案になってしまう。新しい仕事の話に、心の中では「ぜひ、自分がやりたい」と思っていても、自分からはなかなか言い出すことができない。つい「ほかの人のほうが適任なのでは?」などと遠慮してしまう。
また、たとえ指名されても「自信がありません」と言ったりすることもある。そのくせ、実際にほかの人に仕事が回されると、「あの人は自信過剰だから」などとやっかんだりする。それなら、はじめから「その仕事、ぜひやらせてください」と、明るく言ってみよう。そのほうが気分はすっきり、周囲からも好感を持たれるだろう。
その場合、ちょっとしたコツがある。それは、もっともらしい理由をつけてアピールするのである。

頭のいい人は「私ならできるのでやらせてください」と、能力があるからやらせてほしいとは言わない。「その仕事は以前にやったことがあるので」「それなら、郷里の近くで土地勘があるります」など、能力ではなく、やる気をアピールすること。そのほうが口にしやすいし、周囲も嫌味に感じることはない。
もちろん「私は留学の経験があり、英語が得意なので」などという理由づけはNG。自慢めいたことは言わないように気をつけること。



2.「確かに…しかし…」と、うまく反対意見を考慮する。

自分の意見をしっかり言うのはいいのだが、真っ向から反対してばかりいると、「すぐ反対する」「面倒なやつだ」などとよからぬ評判が立たないとも限らない。そうならないために、こんな口ぐせを身につけよう。「確かに、おっしゃることはよくわかります。しかし……」と言って、意見を述べる。まずは相手の言い分を踏まえてその正しさも理解した上で、自分の意見を言えば、相手の警戒心も薄れる。大事なのは、相手のプライドを傷つけないことである。
とくに目上の人に反対する場合、相手の意見を尊重しているのを示すことが大切。「確かに、課長がおっしゃる通り○○の側面はあると思います。しかし、△△の理由から、私はこうしたほうがいいと思いますが、いかがでしょう?」などと。
また、目下の人に使う場合は「確かに、きみの言うことはよくわかるけれど……」と、前もって反論を封じる効果もある。あらかじめ相手が言いそうな反論を示し、一定の理解を示しておけば、後から突っ込んでくることはなくなる。
しかも、この口ぐせを使うことには、メリットがある。「確かに」と言うことで相手の意見を整理でき、「しかし」の後で言うべきことを考えられること。時間稼ぎをしつつ、頭の中を整理できるわけである。
このフレーズは、本来は相手の意見をいったん肯定してから後で否定するわけだが、相手の意見が強く、反対したらまずいことになりそうとわかったら、「確かにその通り」で、終わりにすることも可能である。議論に負けない、ちょっとした裏技と言える。



3.「…だろうか。確かに…しかし…。なぜなら・・・。したがって…」と、型を使って論理的に話す。

「話すのが苦手」という人は少なくないようだが、ことにビジネスの世界では、論理的に話をすることが求められている。
論理的に話すなどと言うと、苦手意識がさらに強まってしまうかもしれない。しかし、型に即して話をすれば、それほど怖れることはない。
おすすめするのは、4部構成の論述の型である。

1.主張表明  何について話すかを明確に。「……だろうか」など疑問提示でも。
2.意見提示 「確かに……しかし……」という型を使い、自分の意見を示す。
3.展開   「なぜなら」で始めて、自分の意見の根拠を示す。
4.結論   「したがって」で始めて、もう一度自分の意見を整理する。

この一連の流れを、口ぐせとして覚えておけばいい。ビジネスの話はもちろん、音楽やスポーツなどの趣味、社会、政治、経済など、何について話をするときでも、この型を口ぐせにしてしまおう。
たとえば、食事に行くとき。「今日のランチは、ラーメンにしようか。確かにカレーもいいけれど、今日はラーメンにしよう。なぜなら、昨日はカレーだったから。したがって、今日はラーメンに決定!」というように考えていくわけである。
こんな他愛もないテーマでも、いつも型を使うことで、論理的に考えるトレーニングになる。これを続けるうちに、本当に論理的な思考が身についてくる。






この記事をはてなブックマークに追加

「脳の疲れがとれる生活術」

2013-09-24 07:18:15 | 日本

有田秀穂(東邦大学医学部教授)さんのPHP文庫『「脳の疲れ」がとれる生活術』の中に、心と体の疲れがスーッと消える10の習慣について書かれている。


現代人は疲れやすくなっているのかもしれない。周囲には、さまざまな便利なものがあふれ、生活はどんどん暮らしやすくなっているはずなのに、何かイライラしたり、欲求不満が多く、いつもストレスを抱え、疲れがとれない状態なのではないだろうか。それは肉体的に疲れているというよりも、むしろ心の疲れ、すなわち「脳の疲れ」といえるものをつねに抱えているからである。

日本人の幸福度はかなり低い。
・イギリスのレスター大学、178カ国の調査[世界幸福地図 国別幸福度ランキング2006]では90位。
・ミシガン大学社会調査研究所による2008年発表の世界97カ国の調査では43位。
・2009年度「地球幸福度指数ランキング」では143カ国中75位。

いま、経済的な問題や政治的な問題など、いろいろな問題を抱えているとはいえ、日本はまだまだ豊かな社会である。そうであっても、日本人自身があまり幸福だとは思っていない。しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに続く福島原発事故以来、少し変わってきたのではないかと思っている。不幸な出来事だったが、それをきっかけにして、日本中からボランティアなど支援の輪が広がり、また家族の絆、人と人の絆の大切さが見直されてきたからである。危機の中で、家族を含めた人間関係こそが、私たちの心を癒してくれることに、多くの人が気づきはじめたのである。

実は、人と人の結びつき、信頼こそが、脳の疲れを癒してくれるということが、脳科学の立場からも検証されはじめた。
私は以前から脳のセロトニン神経の活性化によって、ストレスを受け流すことができるようになり、安定した心になるということを書いてきた。さらに最近注目されているのは、オキシトシンというホルモンである。オキシトシンが十分に分泌されていると、脳の疲れを癒し、気分を安定させ、人に対する信頼感が増し、心地よい幸福感をもたらしてくれる。オキシトシンとセロトニンは関係していて、オキシトシンが分泌されるとセロトニン神経に影響を与え、セロトニン神経も活性化される。オキシトシンとセロトニンが十分に分泌される生活は、心の疲れを癒し、心に充足を与えてくれるのである。


◎脳内にセロトニンとオキシトシンを十分に分泌する、誰でも簡単にできる方法は、

1、夜は12時までに眠る。
2、夕食後はパソコンを操作しない。
3、夜は携帯電話で長話をしない。ベッドの近くに携帯電話を置かない。
※1~3については、睡眠ホルモンであるメラトニンの分泌をよくして、よい睡眠をとる条件である。

4、朝日を浴びる。(朝型生活に)
5、朝と夕方に30分程度歩く。あるいはジョギング、サイクリング、スイミングなどのリズム運動を30分程度。
6、呼吸法をする。(これもリズム運動の一種)
一日の中で何回か5分程度、腹式呼吸をする。ヨガ、気功、坐禅などは呼吸法。
※4~6はセロトニン神経を活性化する。

7、家族団らん。
8、夫婦、恋人とのふれあい。
9、感情を素直にあらわす。
10、親切を心がける。
※7~10はオキシトシン分泌を促し、セロトニン神経も活性化させる。

この7~10の行動から人間関係がうまくいき、気分よく生活することでオキシトシンが分泌されることがわかると思う。オキシトシンが十分に分泌されると、脳の疲れがとれるだけでなく、体をも健康にする。


「幸福ホルモン」オキシトシンは哺乳類だけが持っているホルモンで、心が癒される、幸せな気分になるという効果がある。

1、人への親近感、信頼感が増す。
2、ストレスが消えて幸福感を得られる。
3、血圧の上昇を抑える。
4、心臓の機能をよくする。
5、長寿になる。

オキシトシンが分泌されると、脳内では「脳内物質」として働いて心を変え、さらに血液中のホルモンとなって体にも効く。







この記事をはてなブックマークに追加

「祈りを込める。願いを込める。」

2013-09-23 06:57:24 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。いつもながら素晴らしい霊言である。
以下、要約し記す。


ある婦人が庭の背丈の低い小さな椿の花に、毎日語りかけ撫でるように可愛がっていた。「あなたも隣の椿の花のように、大きく、大きく咲くのよ」と言い続け数年経った。何とその椿の花は、誰の目に見ても他の椿の花よりも、ひときわ大きくあでやかに咲くようになった。

そして、その婦人は白い椿の花に「ピンクの色も交えて咲いてくださいね」と願い語りかけ続けたところ、翌年ピンクを交えた美しい花が出現したのである。花に心がある。

それは花ばかりでなく、山にも川にも木々や虫や動物たちにも言えること。私も20代の頃、住んでいた古いアパートの中にアリたちが一列縦隊で行進していた。そして私は「ここは君たちの住むところではないよ。お願いだから出て行って下さい。回れ右!」と力強く唱えたところ、アリたちは逆方向に向きを変え、部屋から出て行ったのである。

人間が祈りを、込め願いを込めたものは必ず通じ実現する。私の中の生命(いのち)の花の蕾に、祈りを込め、願いを込め語り続けてみて欲しい。

「○○さん、あなたは偉大なる神の分霊魂(わけみたま)です。あなたは元々から素晴らしい。あなたに出来ないことは何一つありません。あなたは生命そのもの、光そのもの、愛そのもの、無限そのもの、調和そのもの、喜びそのものなり!」と力強く語り続けるのである。

そうすることによってあなたの生命(いのち)の花は、やがてそのように咲いてくること必然となる。







この記事をはてなブックマークに追加

「ご遷宮、日本生成の体験」

2013-09-22 07:23:14 | 日本

愈々10月に入ると、第62回遷宮が行われる。国民こぞってお祝いしよう。
わが輩の先輩である椛島有三さんが、第61回遷宮(平成5年)の「遷御の儀」を奉拝された体験を語ってみえる文章があった。
先輩の貴重な体験談を通じて遷宮の意義を学ぶ。
以下、要約し記す。



私は10月5日、外宮の「遷御の儀」を奉拝すると言う光栄に浴することができた。その時の体験をお話しする。

外宮に参すると、参道に相撲の桟敷(さじき)みたいに茣蓙(ござ)の席が設けられていた。招待者は約4,000名で、その席はかなり広がるのだが、午後2時の受付開始と同時に入ったため、幸運にも1番前の席に案内され、神様が通られる姿を目の前に拝することができた。

14時から17時半までは、いろいろな連絡事項のアナウンスなどがあったが、17時半頃から、秋篠宮殿下はじめ多くの特別参列者の方々が参進された。18時から、第三鼓の合図をもとに勅使、祭主、大宮司、小宮司などの総勢100数十人の方々が、それぞれ、太玉串を両手に1本ずつ持って、参進してこられた。外宮の杜は、鳥の声と虫の音と風の音、それに時々大きな杉の梢がたち騒ぐ音だけで、静寂そのもの、本当に4,000人の人がいるかと思うような感じの静寂さであった。

14時から19時半まで、5時間半も杜の中にいると、何もすることがないから、だんだん雑念がなくなる。不必要なものはどんどんとれて、ご遷宮の事だけに精神が集中していくような状態になっていった。 19時から20時までの1時間、太玉串を祭主以下の方々が捧げられ、勅使が祭文を奏上され、そして御扉が開かれるといった儀式が行われている。私たちには見えないのだが、お神楽のかすかな音が聞こえてくると、「ああ、お祭りが始まっていくなあ」と、その儀式のさまが実感できるのであった。

8時になると、一斉に松明(たいまつ)の灯も何もかも全て消され、真っ暗闇になった。本当に真っ暗闇になった外宮の中で、静寂に包まれてお祭りを待っていた。やがて、左手の古いお宮の方から、松明の明かりを先頭にした神遷しの行列がかすかに見えてくるのである。100数十人の方々が、ザック、ザック、ザック、と音を立てながら、こちらに近づいて来る。この松明の光と、ザック、ザック、ザック、という玉砂利の音、その後に続いてくる和琴、篳篥(ひちりき)、笛の音、そして男の人たち「あー、あー、」と繰り返す道楽(みちがく)の声がこちらに迫って来る。

自分のところに、間近に迫ってくる状態は、どう表現すればいいのだろうか・・・。

私はこの奉拝の間、暗闇の中で感じたことを断片的にメモっていた。
それは以下の通りである。

『静寂にして、清浄な杜
その間に響く神楽の音、行列の音、迫ってくる松明の灯
そこから何かが生まれてくる。新しいいのちが生まれてくる。
その実感の中で、自分は恐ろしいまでに感情が打ち震えている。
かって経験したことのない魂の躍動、天地の創造、宇宙の創造、生み生まれてくる世界、これまでとは違う異次元の世界、その世界に自分の魂は、打ち震えている。
原始宗教、神話の宗教儀式、その真っ只中に自分はいま遭遇している。
はかり知れない信ずる深さ、
生まれること、新しいものが想像されること
それを為し給う宇宙の神、創造の神
天照大神の実在
その実在を信じてきた深さ
信じるという営みを続けてきた2000年の歴史
この2000年の極致が、20時から20時20分の間に現れ迫ってきている。
原始宗教が2000年の時を経て洗練され、昇華された儀式
その儀式を目の当たりに見るこの瞬間
白い絹に包まれたご神体の実在を信じている。
信じることの積み重ねが20年の準備であり、それを61回繰り返してきたこの日本民族
生まれることは信ずることであり、信ずることは生まれいづることである。
宇宙・地球の生成
その生成の響きに心傾け、耳を澄まし、そのままに受け止め、それを素直に表現してきた日本民族
ここに信ずることの深さがある。
人類の誕生というも、個人の誕生というも、その結果であり、所産であり、宇宙の響き、創造の響き、これに心を傾け、耳を澄ますことが、人類、個人の、響き、リズム、創造となって、自ずと導かれていくことを信じてきた民族
ああ、まさしく神ながらの民族』


天照大神、八百万(やおいよろず)の神々と自然、それが自分と融合し、一体感を創る。こういうことができる民族と言うものを、私自身は本当に体験させていただくことができた。それは、私が今までに感じることができなかった世界であったような気がする。

日本民族は、何もない暗闇の中に宇宙生成、神々の生成の響きを聞き、受け止め、その宇宙創造の神を信じ、その宇宙創造神を信ずる中から、天照大神、豊受大御神の出現とその実在を信じ、そして2000年の伊勢の神宮、また1300年の遷宮、そして125代の天皇陛下の存在を築きあげてきた。今日の日本の基礎が、このようにして生まれできたということを感じたときに、日本民族の信じることの深さ、そこから多くのことを生み出してきた事実に対して「信ずることの意味」について深く考えさせられた。

葦津珍彦(あしずうずひこ)先生のご文章には、
『人間が、この世に生まれるのは、生理的には父母によって生まれたのであるが、その根底には神霊の働きがある。神霊によって、すべてが生まれるとの「信」は、神道の根本である。人間が生まれるのは神霊によるし、人間の精神的祖は、その神であることを信じている。後世でも、神話の神々を氏神とし、自分をその子孫であり、氏子とする信仰は生きている。生理的には人間は父母の子であるが、信仰的には神話の神を父母とし、祖として生まれたとの「信」である。その「信」がなくては、日本の神道も神国思想も成立しない。』

私は日本民族が、山や川や木や石が、神によって生まれるという宇宙生成の響きを信じて、今日までに2000年生き続けてきたということを考えたとき、自己の使命や目的も、神から生まれないはずはない!それが達成されないはずはない!と思えてきた。山や川や木や石が、信じることによって生まれるものなら、自分の使命や目的も信ずることによって必ず生まれてくる。そういう信念を自分は持つべきではないかと思えてならなかった。

<了>







この記事をはてなブックマークに追加

「高橋是清の運をつかむ生き方 ②」

2013-09-21 11:37:20 | 日本

◎ではなぜ是清は、巡ってきたチャンスを確実に「つかむ」ことができたのでしょうか
 
後に自ら以下の如く述べている。「学問も大事だが、見聞をひらくことも大事である。見聞が狭くては、訪れた機会を活かすことができない。」年齢に比して是清ほど多くを見聞し、世の中の酸いも甘いも味わった人間もいない。奴隷、芸者の箱屋、破産、・・。そんな「どん底」の生活は生きた教材となり、彼に人間とはどんな生き物なのか、世の中とはどのように回るものなのかを教えたはずである。そしておそらく彼が自得したのは、「人間、失うものは何もない。どん底の生活に陥っても、焦らずにやるべきことをやっていたら、必ず道はひらける」という信念だった。実際、是清がどん底に落ちても、必ずそこから引き上げようとする善意の力が働いている。それこそが是清の語る「つかむべきチャンス」である。人を騙すのも人間ならば、善意で人を救うのも、また人間なのである。そして是清は、不遇を嘆いたり、誰かを恨んだりせず、一方でチャンスを与えてくれる善意には感謝した。「失うものは何もない」と思えば欲得はないから、不運な境遇を嘆く気も起こらないし、逆に善意のありがたさには素直に感謝できるのである。またそんな人物を、周囲は決して放ってはおかない。むしろ信頼し、「この男なら仕事を託すことができる」とチャンスを与えたくなるのである。是清は、この一種透徹した人間観、人生観を持つことで、突然訪れた「運」を見誤らずにつかむことができたのである。

昭和4年(1929)の世界恐慌の際も、是清は自らの経験の中から最適と思われる対処策を導き出し、見事に日本を救っている。この時の是清の根幹にあったのは、「無私」の心ともいうべきものであった。

世界恐慌が勃発すると、是清は要請を受けて5度目の蔵相に就任した。当年、78歳。まさに老体に鞭打っての再登板だったが、「いま奉公しなければ、する時はない」と是清自身も述べているように、日本のために全身全霊を尽くす覚悟であった。是清が、恐慌退治の際に何よりも重んじたのは「人々(庶民)のためになるか」という一点である。

是清は、金融緩和と積極的な財政出動、そして個人の消費の促進を重視した。それにより円安にして輸出を伸ばし、さらに社会全体でお金を使う流れに導いて、恐慌から脱却したのである。ちなみに是清が蔵相在任中であった昭和6年から3年間で、輸出額は11億円から21億円と、驚くことにほぼ倍増した。

是清の経済政策の大前提は、多くの人々の生活を豊かにすることだった。これは、「国を富ませれば人々が豊かになる」ではなく「人々を豊かにしてこそ国は繁栄する」という発想である。考えのスタートが、あくまで「人間」だったことが重要な点である。

また、是清はアメリカを例に挙げて、次のようなことを述べている。「米国人は決して人の助力を仰がない。自分の腕で世に立つとの思いが極めて強いからだ。たとえば、米国の乞食は紳士の馬車の着く所に待っていて、扉を開く、そして黙って手を差し出す。紳士は馬車を降りて5銭か10銭をやる。乞食すら決してただで金銭を貰わない。ここが面白いではないか」

是清が説いているのは、各人が自助努力をすることの大切さである。自助努力によって個人が幸せになってはじめて、その個人の属する家族から地域社会、そして国家までもが幸せになっていく。つまり、自助の人々が集まることで、より良い社会をつくることができるという考え方である。これは何も、アメリカに限った話ではない。私が好んでで用いる 「修身-斉家-治国 - 平天下」 という儒教の教えも、まったく同じ意味である。
「人々のためになるか」という点を最も重んじて、恐慌に立ち向かった是清。そこには己の欲得が介在する余地なない。ただ、「困っている人々のために、日本を窮地から救うために、働きたい」という思いがあるだけである。若い頃より、「失うものは何もない」と欲得を離れて行動してきた是清にすれば、「無私」の姿勢はある意味、当然だった。

そして、その姿勢は是清に限らず、維新の動乱を経てきた者たちに、多かれ少なかれ共通するものであった。是清自身が、「己を捨てて君国のために殉する至誠の観念の盛んであったことは、昔が羨ましく思う」と述懐するように、維新の頃には多くの者が「日本のために働く」という気概を抱いていた。嘉永7年(1854)に生まれた是清もまた、当時の空気を肌で感じながら成長した1人である。

ひたすら日本のためにという「無私」の心と、豊富な人生経験があればこそ、是清は世界で最も早く、世界恐慌から日本を救うことができたのである。そして忘れてならないのは、そんな是清だからこそ国民は絶対的な「信頼」を置いて、彼にすべてを託したのである。それは是清が個人レベルで運をつかんだのではなく、いわば一国の運をつかむという、壮大なスケールで語られるべきものなのかもしれない。

晩年の是清の顔は、何とも魅力的な「童顔」である。言い方は悪いかもしれないが、どことなく天衣無縫の「とっちゃん坊や」を、思い起こさせる。まるで、彼が終世抱き続けた純真な「童心」が、顔にそのまま表われているかのようである。その意味で、つくづく「見事な顔」だと、私は思う。

人間というものをよく知り、どこまでも陽性で純真な高橋是清の「運」をつかむ生き方に、激動の現代を生きるヒントが、隠されているように思えてならない。


<了>



</font>

この記事をはてなブックマークに追加

「高橋是清の運をつかむ生き方 ①」

2013-09-20 07:28:54 | 日本

作家、童門冬二さんの「高橋是清の運をつかむ生き方」の論文に、人間、失うものは何もない。なぜ彼は「日本の運」をつかみ得たのか、「顧みれば予の前半生もまた波瀾重畳、種々なる逆境を嘗めて来た。」と自身が述懐するように、高橋是清の前半生は実に起伏に富み、何度も「どん底」を味わっていた。しかしその経験から彼は、人間や世の中を知悉し、「運」のつかみ方を自得していく。そんな彼を、やがて恐慌に見舞われた日本が必要とした。是清の「運」をつかむ生き方とは、どのようなものだったのか。
以下、要約し2回にわたり学ぶ。



是清は、危機的な不況に喘いでいた旧制(戦前)の日本を、一転、活況へ導いたことで知られる。生涯で7度(たび)も大蔵大臣を務め、中でも昭和4年(1929)からの「世界大恐慌」では、世界中のどの国よりも早く、日本を見事な手腕でデフレーション不況から救った。


◎是清の生き方を、「波瀾方丈」の人生

「顧みれば予の前半生もまた波瀾垂畳、様々なる逆境を嘗めて来た」自身も述懐している。是清は、母親が生家に奉公していた女中であったため、父親に認知されることはなかった。さらに生後僅か4日後には、仙台藩の足軽・高橋家に里子に出されてしまいう。ひねくれたり僻んだり、俗に言う不良少年への道を辿ってもおかしくないような生い立ちである。しかし是清は、こうした境遇ながら誰も恨むことなく、「お天道様」の陽射しを浴びて歩くかのように、明るく生きていった。その姿は向日性のタンポポやヒマワリの花、はたまたカボチャの蔓を連想させる。こうした生き方ができたのは、1つには理屈を超えた生来陽性の資質によるものである。そしてもう1つは、若き是清が慶応3年(1867)に留学して、アメリカという国に直に触れたことが大きかったと思う。

14歳の時、英語を学ぶために渡米した是清は、仲介した商人に騙されて奴隷(正確には年季奉公)に売られてしまう。しかし若き日に、その目でアメリカという国を見たことは、大きな財産となった。
当時のアメリカは、イギリスに次いで「産業革命」で成功を収めた新興国だった。そして欧州に負けじと、まさに「がむしゃら」に前だけを見据えてアジアにマーケットを求めていた時期と重なる。また、アメリカ人の特徴として、1つ1つの物事をドライに捉える気質があった。面白いことに、彼らはあまり苦悩を引きずらない。言うなれば「楽天主義」である。当時のアメリカが、世界史上でも出色の急発展を遂げることができたのは、アメリカ人特有の、がむしゃらさや楽天主義と決して無縁ではない。

若くて勢いがあり、前だけを向くパッショナルな国。是清は、そんなアメリカの国民性に触れたのをきっかけに、向日性、あるいは楽天的な生き方の重要さを実感した。もちろんこれは、是清だからこそ鋭敏に反応できた面もあるかもしれない。と言うのも是清は、幼い頃に馬に踏まれても無傷だったのをはじめ、いくつか幸運な出来事が重なり、「高橋の子どもは幸せ者」と言われていた。「自分は運がいい」。そう心の底から信じていた是清だからこそ、陽気なアメリカ人の姿勢に、共感することができたのだろう。

明治元年(1868)、1年間のアメリカ生活を経てようやく帰国した是清に、普通の人ならば絶望し、身を持ち崩すような出来事が次々と降りかかった。しかし、彼は下を向かずに乗り越えていった。


◎機会は決して作るべからず、来るを捉えよ

「機会は決して作るべからず、来るを捉えよ」是清の言葉である。どんな状況に直面しても、決してじたばたと焦ってはいけない。ただ、与えられた機会に全力を尽くせばよい。この言葉通り、是清は「どん底」に陥っても慌てずうろたえることなく、明るさを失わずに「運」が自分に向くのを待った。そして実際、不意に訪れた「運」を見事につかむのである。

ペルー銀山事件から2年後の明治25年(1892)、是清は日本銀行総裁の川田小一郎から、「日銀建築所の事務主任」の誘いを受ける。すると是清は「あなたの玄関番でもやります」とニッコリと笑いながら快諾。畑違いの仕事ながら真摯に取り組み、日銀新館を期限通りに、しかも低予算で完成させた。是清はこの手腕が認められ、やがて日銀の公職を歴任していくことになる。
もしもこの時、是清が川田の誘いに二の足を踏んだり、期待に応えていなかったならば、後の名蔵相は誕生しなかっただろう。その意味で是清は、自身に訪れた運を見事に「つかんだ」と言える。







この記事をはてなブックマークに追加

「アベノミクスのモデルになった男、高橋是清 ②」

2013-09-19 07:30:19 | 日本

◎高橋財政を見直す意義

当時と現代では、経済状況や国際状況で驚くほど類似点が多い。財政状況を見ても、江戸幕府の莫大な借金を新政府が背負い、経済運営に支障を来していた。明治5年に太陰暦から太陽暦に突然改暦したのも、それによって月数が一つ減ることになり、役人の人件費(月給制)を1カ月分削減できたからだといわれている。それほどまでに政府は借金に苦しんでいたわけで、これは現代と共通している。

また、1923年の関東大震災と2011年の東日本大震災、1929年の世界大恐慌と2008年のリーマン・ショックなど、平成日本とパラレルになっている出来事も多い。政権がコロコロ変わるところも同じである。

ただし、2つの大きな相違点があることを見逃してはならない。

1つは「軍需産業の存在」。当時の政府は日本国債を日銀に引き受けさせて大量のお金を刷る一方、積極的な財政出動も行なったのだが、大量のマネーの流入先は軍艦の製造をはじめとする軍需産業だった。当時は日本の軍備をさらに強めていかなければならなかったから、軍需関連の重厚長大産業に旺盛な需要があった。そこに財政出動がピタリとはまり、大恐慌で世界各国が青息吐息になるなかで、雇用も税収も増え、日本が「独り勝ち」ともいえる状況になったのである。

しかしいまの日本に、軍需産業に相当する産業、経済の牽引役はない。それを安倍政権が創り、育てていくことができるか。アベノミクスの3本目の矢が的中するかどうかに、日本経済の未来が懸かっている。

もう1つは、是清は金融緩和と同時に、金輸出再禁止に踏み切っている。当時の諸外国は金本位制を敷いていたから、これは世界経済から回路をいったん断ち切り、国内の循環だけで経済を運営していくことを意味する。経済学の「常識」に従った前大蔵大臣・井上準之助の旧平価による金解禁政策が、深刻な恐慌と多大な金の流出を招いた「現実」を直視し、是清は国民生活に本当に必要なものは何かという点を考え抜いたのである。

ただし現在、同じことをするのは不可能である。グローバル化で各国の経済が複雑、強固に結びついているため、日本のみならずアメリカや中国の金融緩和によって積み増されたマネーが、行き場を探して世界中を右往左往している状態だからだ。そんななか、日本国内だけにマネーを滞留させることはできない。逆にいえば、日本オリジナルの新産業を安倍政権が打ち出せれば、世界中のマネーが日本にどっと流れてくる可能性もある。最近の株価を見ると、同じような金融緩和政策を行なっている日米でも、アメリカの株のほうが底堅い。それはまだ、日本の成長戦略に魅力がないからである。


<了>




この記事をはてなブックマークに追加

「アベノミクスのモデルになった男、高橋是清 ①」

2013-09-18 07:23:24 | 日本

昨今の金融緩和政策で日本経済に明るい兆しが見え始めるにつれ、高橋是清の経済政策を再評価する向きが強まっている。作家・幸田真音氏は、彼を「人望と人脈をもち、現場感覚に優れていた人」と評する。その優れた人間性はいかにして形づくられ、どのように経済政策につながっていったのか。そしてなぜ、2・26事件で凶弾に倒れなければならなかったのかについて、語った文章があった。
以下、要約し2回にわたり高橋是清の人間像を学ぶ。




◎すごい数の失敗

是清という人物はものすごい数の失敗をして、そのたびに学びを得て乗り越えていった。13歳で渡米した際も、よくわからないまま契約書にサインをしたため、奴隷として売られてしまうのはその筆頭である。それでも、そこで契約書やサインがどれほど重要かを身にしみて理解し、その経験は成長して実業の世界に身を投じるときに生かされる。そもそも生後数日で養子に出され、義祖母のもとで足軽の子として育てられたことで「したたかさがないと生きていけない」と本能的に感じ取り、それが自助自立、不屈の精神につながったのである。


◎転職を重ねた人

是清ほど転職を重ねた人はそうそういない。生涯で優に30を超える職業を経験しており、東京英語学校や文部省の通訳など世間から立派と思われる職業に就いても、信念が曲げられたと感じたら、いくら慰留されても簡単に辞職願を出してしまう人物だった。

たとえば、日本の近代化のため知的所有権の確立が不可欠だと法制定に尽力し、1887年、33歳で特許局の初代局長となる。その業績だけでも晩年まで悠々たる人生が送れたはずだが、その直後、是清は世話になった官僚仲間に請われ、役人を辞職してペルーの銀山経営に向かった。ところが事前調査をした技師がいい加減で、結果的に事業は大失敗。帰国後は坑夫たちのため私財を全部処分して無一文になった。それでも「銀山採掘は日本のためだった」と自分に言い聞かせて、困窮の時期を甘んじて受け入れる。

一方、ペルーから帰国するときは、大打撃を被ったにもかかわらず、懲りずに船中で次の事業の企画書を書いている。「最後にはなんとかなる」という、いい意味での楽観主義、打たれ強さをもっている。


◎現場を真に理解していた人

現場を真に理解していた人という点も凄い。
たとえば、彼は10代のころ、書生として森有礼(初代文部大臣)のもとに身を寄せたが、その後、今度は自分が若者を養う番だと考え、費用を工面するため投資に目覚め、ついには株屋まで立ち上げる。結果、大損を出してしまうのだが、そこから市場のメカニズムや市場参加者の心理を肌で学ぶ。机上の理論を越えたマーケットの動きを実体験から理解していく。
市場には資金を調達したい人と資金を運用したい人がいる。前者はいかに低い金利で資金を確保するか、後者はいかに有利な利回りで投資するかを考える。そして両者のバランスが取れたとき、債券が発行できる。この構造は現代もまったく不変だが、当時、欧州の起債現場の実態を理解していた数少ない日本人が是清だったのである。

1904年、49歳の是清は、日露戦争の戦費調達のために、ロンドンのマーケットでポンド建て日本国債の募集に挑戦する。もし失敗すれば日本の外貨は底を突き、財政も破綻、戦争の敗北も必至という、まさに危機的な状況であった。しかし是清はそのような内実をおくびにも出さず、現地の新聞記者の前で平然と「わが国の財政は盤石」と言い切っている。服装や滞在先のホテルは一流のものを使うなど、「相手にどう見られるか」にも配慮した。当時、まだ極東の新興国だった日本の国債を買うということは、日露戦争において日本の勝利に賭けるのと同義だから、少しでも隙を見せれば、誰も日本国債など買わないとわかっていたからである。

また、市場には長期保有を基本とする投資家と短期的な売買を行なうスペキュレーター(投機家)がいるが、金融の常道として投資家に国債を買わせるのが望ましく、周囲もそうアドバイスするのだが、是清は「最初はスペキュレーターを狙う」と主張。利に敏いスペキュレーターに「日本国債は儲かる」と思わせれば、評判が口コミで広がり、日本国債の人気が高まると考えたからである。彼の目論見は大当たりし、第一回の国債募集開始直前には、ロンドンで3%ものプレミアムが、ニューヨークではさらに高く3と8分の3%がついた。これも市場心理を知り尽くしていた是清だからこそできたことである。


◎掟破りの経済学

高橋是清が大蔵大臣として1932年に行なった日銀による国債の直接引き受けは、まさに当時の経済学でも掟破りであった。

ここでもやはり、外貨調達の経験が生かされている。一時的にロンドンでの募集に成功したものの、日本の正貨準備率はわずか21%。2回目の募集で得られる金額を加えても28%に満たず、日本の金本位制自体が際どい自転車操業だった。一方で昭和初期の日本は財政支出がどんどん拡大していたため、赤字国債を継続的に発行していく必要がある。しかし市場で売却した国債が値下がりしてしまえば、投資家は二度と買ってくれない。国債市場が未成熟だった当時、両方の問題を解決する苦肉の策として、是清は国債を、市場を通さず日銀に直接引き受けさせる案を思いつく。

ただ、これは政府のモラルハザードと悪性インフレを起こす可能性があるため(現在は財政法で禁止)是清は、いずれは日銀から民間の銀行などに転売することを想定していた。事実、日銀が引き受けた国債のうち、93%は転売された。そして、民間の買い余力が7割台まで落ちたら国債発行自体を縮小していく、という「出口戦略」もきちんと描いていた。この方針のもと、当時の政府は軍事予算の削減に舵を切った。

しかし、一度広げてしまった風呂敷を畳むのはとても難しい。当然、軍部からは猛烈な反発を受ける。国会で陸軍大臣など軍関係者と丁々発止の激論を繰り広げるのであるが、最後は2・26事件で青年将校の凶弾に倒れてしまう。つまり、是清の人生そのものが「出口戦略」の難しさを体現しているわけである。金融政策や財政政策は、過激なものであればあるほど、強烈な副作用も伴うものである。





この記事をはてなブックマークに追加

「韓国人の反日感情の根本的な原因について、」

2013-09-17 06:58:07 | 日本

拓殖大学教授で韓国(サイシュウ島)出身の呉善花(おうそんふぁ)女史の論文に、多神教的価値観の日本と朱子学一本の韓国の違いについて書いてある。
ここが根本的なところゆえ、以下に要約して記す。



「韓国人の反日感情の根本的な原因について、」そこには韓国人と日本人の国民性の違いというものが大きく働いている。例えば、日本の価値観は多元的、多神教的である。 1つの神だけの考え方は絶対ではなく、いろいろな神々が存在して、木の神、岩の神、海の神、山の神、それぞれの役割がある。山の神が海に行く時ときには、海の神に道案内を案内してもらう。また、海の神が山に行く時も同じである。お互いがお互いを認めあうという考え方である。

これが儒教という発想を根元に持つ韓国人、中国人には理解できない。儒教の中でも特に朱子学だが、彼らは神の存在を否定する。人間信仰なのである。人間の1番の頂点「聖人君子」ということになるのであるが、自然万物の中に秩序があり、その頂点に人間がいるという考えである。そして、その下にいろいろな序列ができていく。だから彼らにとって、山の神、海の神といった自然の神々を信じるのは未開人であり、自然はすべて人間のために存在するということになる。

人間の世界の中でも同じことで、皆が平等では無い。聖人君子というのは、自分だけではなく、先祖から努力して徳を積んだ最高の人物である。だから、先祖が立派であればその子孫も立派な人物だと考えられている。そして仁徳も知識も含めあらゆる面で一番優れた人物が中心に立ち、この中心者の考え方が絶対的なものになる。わかりやすく言えば、北朝鮮の金日成は、絶対的な存在であり、その子孫の金正恩は、本人に力なくても「三位一体」ということで君臨し続けるわけである。

そのような世界観の中では、絶対的な中心軸を守ることは全て善であり、ここから外れる事は全て悪になる。そして、それを取り巻く最高の人たちを全国から集めてくる。その選抜試験が、昔は「科挙(かきょ))だったのであるが、その最高の頭脳集団が作ったものは絶対であり、それ以外のものは全て排除していくという原理原則主義が、韓国人の根底にある価値観なのである。

中国の場合は国土が広大であるから、原理原則といっても、中央から外れて行けば一般にまで浸透しにくいところがあるが、朝鮮半島は狭いから、儒教の本物の中国よりも強固に、田舎の隅々まで徹底した。そして、家庭の中でもお父さんがいちばん偉くて、お父さんに反発する子供は社会的に排除されると言うように、倫理、道徳にまで、それが及んでいった。朝鮮半島では、約500年の間こうした儒教的価値観が貫かれてきたのである。

だから韓国人にとって、韓国政府が作った歴史教科書は揺るぎないものになる。「他の歴史認識もある」という発想そのものが理解できない。竹島は韓国のものだと言う事を国が決めたなら、「それ以外の意見がある」という発想が分からないのである。

一方、日本にも儒教や朱子学が入ってきたが、それは絶対的なものにはならなかった。日本人は誰か1人だけ絶対的な力を持つことをとても嫌う。一人の人間が突出するよりも、みんなを互いに尊重しましょうという発想になる。だから会議をする。みんなで
して、なんとなく決まっていくわけである。この原理を「空気」などという言葉で説明する人もいるが、私はとても古いタイプの日本人の精神のあり方だと持っている。

海の神も大事だし、山の神も大事だと言う多神教的な発想は、人間そのものにも当てはまる。みんなそれぞれ大事な命があるという価値観が、日本人の一番根底にある。この感覚が、儒教の国の人には理解できず、ここから大きくズレてしまっているのである。

朝鮮半島では、 1392年から日韓併合の1910年までの約500年間、李氏朝鮮と言う1つの王朝が続いた。日本で言えば、室町時代から江戸時代を経て、明治時代に相当する時間である。朝鮮半島でも、もともと仏教が一番であったから、日本と理解し合える価値観を持っていたと思うが、高麗時代が崩れて、李氏朝鮮王朝が築かれる過程で徹底的に仏教弾圧し、実学を弾圧し、朱子学一本にしてしまうのである。ここから精神的に日本と大きく違った道を進むことになった。

日本の場合、神道的なものの基盤の上に仏教が入ってきているが、日本ではいろいろな仏教が派生して行く。儒教でも、朱子学や陽明学などが入ってくるが、そこから日本の学問が次々と新しく生まれていく。つまり、日本では、鎌倉時代から室町時代、江戸時代にかけて学問や思想がものすごく広がって、たくさんの文化は生まれてくるが、この同じ時期に、朝鮮半島は朱子学一本に統制していたということになるのである。この違いが、どれほど大きなものかということなのである。

このあり方を理解しないと、今のままでいくら付き合っても何もならない。戦後70年近くずっと付き合いが出来ていたかどうか。日本と韓国は一度も踏み込んだ付き合いが出来ていないのである。

では、この問題にどのように対処すればよいのか。まずは、これまで話したように、日本人と韓国人は全く違う人種なのだ!ということを知らねばならない。その上で、覚悟して付き合うのか、あるいは距離を置くのか、ということなのである。理解するまで距離を置いた方がいいか、あるいはいつもやられることを覚悟して付き合う方がいいのか、その判断を見極めるためにも、まず「知る」ことが大切である。「知る」というのは、韓国人が言うような「日本は韓国にいかにひどいことをしたのかもとをもっと知るべきだ」というようなことではなく、お互いの価値観、あり方がいかに違うのかということを「知る」ことである。それを知らないで、いくら歴史認識の問題だけ解決しようとしても、何も変わらないのである。








この記事をはてなブックマークに追加

「10・9 アメリカが、クラッシュ?」

2013-09-16 07:55:46 | 日本

高山清州さんのブログに「アメリカが、クラッシュ?」の見出しのものがあった。
参考になるため、問題点を注視したい。

以下、要約して記す。



アメリカは今年の5月に法律で定められている借金の上限(16兆7000億ドル)に達しており、追加の借金ができなくなっている。そのため、アメリカ財務省は10月半ばにも資金が無くなる可能性があることから、議会に速やかな借金の上限拡大を要請した。
しかし、財政運営を巡って与野党の意見対立が続く議会では、上限を引き上げる協議がほとんど行われておらず、今は公務員の年金の積み立て金などを一時的に利用する緊急の措置でしのいでいる。

16兆ドルといえば、日本円にして約1600兆円。アメリカはこの状況でシリアに戦争を吹っかけるようだが、本当に余裕が無くなってきたということなのだろう。現に今年の10月には資金が無くなると米財務省は述べているわけで、このままではあと2ヶ月でアメリカが経済崩壊をする可能性があるということである。

レーガン政権の経済顧問をつとめたLaurence Kotlikoff氏は、年金、医療保険制度など社会保障にかかる『非公式』な債務を含めれば債務の総額は211兆ドルあると指摘した。現在の『公式』債務(14兆ドル)の15倍という途方もない数字である。
今後アメリカでは7800万人のベビーブーマーが引退し、一人あたり4万ドルのコストがかかるとすれば、ベビーブーマー世代へのコストは年間3兆ドルかかる。
Kotilikoff氏はこの財政問題を解決するには、「6割の増税か、もしくは4割の歳出削減を永遠におこなわなければならない」という。

また、ニューヨーク(CNNMoney) 米連邦準備制度理事会(FRB)は24日、新しい100ドル札を10月8日に発行すると発表した。製造工程で予想以上の遅れが生じたため、当初予定からは3年近くずれ込んだ。
新しい100ドル札は10年にわたる研究の成果を結集してデザインを刷新したとFRBは説明する。
特に偽造防止対策の強化には重点が置かれた。表面に印刷された青い3Dの帯は、札を前後左右に傾けると帯中の模様が動く仕組みになっている。また、インクつぼと鐘の図柄、および右下の「100」の文字も、札を傾けると赤銅色から緑色へと変化する。

さらに、JPモルガンチェースは、「アメリカは9月22日から海外送金を禁止にする」と言う話をしている。

10月の債務不履行、新100ドル発行、9月下旬からの海外送金禁止。
ちょっと、偶然にしては色々と情報が揃い過ぎだとは思えないか?

アメリカが経済崩壊をしたら、日本へも大きな影響がある。

日本は世界で一番アメリカにお金を貸している国であり、その額は数百兆円以上になる。
しかも、日本の銀行なども米国債や米国株などを多数保有しているので、日本政府だけではなく、日本の金融機関もアメリカと一緒に暴落に巻き込まれることになる。そうなれば、銀行からお金を引き落とすのは困難になるかもしれない。

経済崩壊後は、紙幣よりも硬貨の方が価値がある。紙幣は最悪の事態になるとティッシュペーパーと同じ扱いになるが、硬貨には銀や銅などが使用されていることから、最低限の価値が残る。また、食品や金、石油などの現物も非常に価値が高くなるので、経済崩壊に備えて、少しずつ紙幣を他の物に変えておくと良い。

果たして、Xデーは、10月9日となるのか?





この記事をはてなブックマークに追加