龍の声

龍の声は、天の声

「坪内逍遥とは、」

2021-10-30 09:38:48 | 日本

神保町の古本屋で坪内逍遥の著書 『所謂 新しい女』19124年(明治45年)をゲットした。
坪内逍遥とは如何なる人物なのかを調べてみた。


坪内逍遥(つぼうち しょうよう、旧字体:坪內逍遙、1859年6月22日(安政6年5月22日) - 1935年(昭和10年)2月28日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。小説家としては主に明治時代に活躍した。代表作に『小説神髄』『当世書生気質』およびシェイクスピア全集の翻訳があり、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた。本名は坪内雄蔵(つぼうち ゆうぞう)。別号に「朧ろ月夜に如く(しく)ものぞなき」の古歌にちなんだ春のやおぼろ(春廼屋朧)、春のや主人など。俳句も詠んだ。


◎生涯

尾張藩領であった美濃国加茂郡太田宿(現・岐阜県美濃加茂市)で、江戸幕末期に生まれた。父は尾張藩士で太田代官所の手代を務めており、明治維新とともに一家で実家のある名古屋の笹島村へ戻った。父から漢学書類を読まされた他に、母の影響を受け、11歳頃から貸本屋に通い読本・草双紙などの江戸戯作や俳諧、和歌に親しみ、ことに滝沢馬琴に心酔した。
愛知外国語学校(現・愛知県立旭丘高等学校)から1876年(明治9年)、東京開成学校入学、東京大学予備門(後の第一高等学校)を経て、東京大学文学部政治科を1883年(明治16年)に卒業し文学士となる。在学中は西洋文学を学び、詩人の作品の他、同級の親友・高田早苗の勧めで西洋小説も広く読むようになった。1880年(明治13年)にウォルター・スコット『ランマームーアの花嫁』の翻訳『春風情話』(橘顕三名義)を刊行。また高田や、市島春城、小田一郎、石渡敏一などと神保町の天ぷら屋に通ったが、この時の経験が『当世書生気質』の題材になった。

その後、高田早苗に協力して、早稲田大学の前身である東京専門学校の講師となり、後に早大教授となっている。1884年(明治17年)にウォルター・スコット『湖上の美人』の翻訳『泰西活劇 春窓綺話』(共訳、服部誠一名義)、シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』の翻訳『該撒奇談 自由太刀余波鋭鋒』を出版。

1885年(明治18年)に評論『小説神髄』を発表。小説を美術(芸術)として発展させるために、江戸時代の勧善懲悪の物語を否定し、小説はまず人情を描くべきで、世態風俗の描写がこれに次ぐと論じた。この心理的写実主義によって日本の近代文学の誕生に大きく貢献した。またその理論を実践すべく小説『当世書生気質』(「春のやおぼろ先生」名義)を著した。しかし逍遙自身がそれまでの戯作文学の影響から脱しきれておらず、これらの近代文学観が不完全なものに終っていることが、後に二葉亭四迷の『小説総論』『浮雲』によって批判的に示された。当時書生であった矢崎嵯峨の屋の作品を春の屋主人補助の名で出版されることもあった。

1889年(明治22年)に徳富蘇峰の依頼で『国民之友』に「細君」を発表して後は小説執筆を断ち、1890年(明治23年)からシェイクスピアと近松門左衛門の本格的な研究に着手。1891年(明治24年)、雑誌『早稲田文学』を創刊する。1897年(明治30年)前後に戯曲として新歌舞伎『桐一葉』『沓手鳥孤城落月』『お夏狂乱』『牧の方』などを書き、演劇の近代化に果たした役割も大きい。1906年(明治39年)、島村抱月らと文芸協会を開設し、新劇運動の先駆けとなった。雑誌『早稲田文学』の成立にも貢献した。1913年(大正2年)以降にも戯曲『役の行者』『名残の星月夜』『法難』などを執筆する。

『役の行者』は1913年に完成し、出版する予定となっていたが、島村抱月と松井須磨子の恋愛事件があり、作中の行者、その弟子の広足、女魔神の関係が、逍遥・抱月・須磨子の関係を彷彿させると考えて急遽、出版を中止した。1916年にこの改訂作『女魔神』を『新演芸』誌に発表し、翌年『役の行者』の題で出版した。続いて1922年に再改訂作『行者と女魔』を発表。初演は1924年に、初稿によって、築地小劇場で最初の創作劇として上演され、高い世評を得た。その後も初稿および改訂版により上演が行われている。また同じ題材で、挿絵も自身の手による絵巻物『神変大菩薩伝』を1932年(昭和7年)に発表した。1920年には『役の行者』は吉江喬松によって「レルミット」(l'Ermite) の題でフランス語訳されて出版、詩人アンリィ・ド・レニュらによって賞賛を得た。

また、1909年『ハムレット』に始まり1928年『詩編其二』に至るまで独力でシェイクスピア全作品を翻訳刊行した。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館は、逍遙の古稀とシェイクスピア全訳の偉業を記念して創設されたものである。
晩年は静岡県熱海市に建てた双柿舎に移り住み、訪ねて来るのは河竹繁俊くらいであったという。町立熱海図書館(現・熱海市立図書館)の設置に協力しており、この図書館は「逍遥先生記念町立熱海図書館」「逍遙先生記念市立熱海図書館」を名乗っていた時期もあった(1936年7月より1944年8月まで)。最後までシェイクスピア全集の訳文改訂に取り組み、『新修シェークスピア全集』刊行とほぼ同時に逝去した。
1935年2月28日、感冒に気管支カタルを併発し、双柿舎にて死去。享年77。戒名は双柿院始終逍遙居士。


◎家族・親族

妻・センは東大の近くにあった根津遊廓の大八幡楼の娼妓・花紫で、当時学生であった逍遙が数年間通いつめた後、1886年(明治19年)に結婚した。松本清張はこれを題材にした『文豪』を書いている。2人には子がなく、逍遙は兄・義衛の三男・士行を7歳のときに養子に迎えたが、後年士行の女性問題が原因で養子縁組を解消している。また写真家・能笛家の鹿嶋清兵衛とその後妻・ゑつの間にできた長女・くにを6歳の時に養女に迎えている。このくにの回想記『父逍遥の背中』(小西聖一編、中央公論社 1994年、中公文庫 1997年)には晩年の逍遥の様子が詳しく綴られている。甥の坪内鋭雄も早稲田大学を卒業後に作家となったが、日露戦争で戦死した。


◎主な作品

・文化人シリーズ切手(第一次)

・評論 『小説神髄』1885年(明治18年)

・小説 『一読三嘆 当世書生気質』1885年(明治18年)
       『未来の夢』1888年
       『妹と背鏡』1889年
       『細君』1889年(明治22年)
     『所謂 新しい女』19124年(明治45年)

・戯曲 『桐一葉』1894年(明治27年)
       『牧の方』1896年(明治29年)
       『役の行者』1916年(大正5年)
・楽劇 『新曲浦島』1904年(明治37年)

・研究 『シェークスピア研究栞』(『沙翁全集』40巻)1928年(昭和3年)
       『イプセン研究』(河竹繁俊編)1948年(昭和23年)

・翻訳 シェイクスピア全集の翻訳
『沙翁全集』全40冊、第一編(1909年(明治42年)12月)のみ冨山房と早稲田大学出版部との共同出版、第二編以降は早稲田大学出版部の単独出版。第40編は著述で『シェークスピア研究栞』(1928年(昭和3年)12月刊行)当初第23編迄は『沙翁傑作集』といい、第24編より『沙翁全集』と改称、以後最初の分も『沙翁全集』と改称している。

『新修シェークスピア全集』全20函(全40冊、1函に2冊収納)中央公論社。上記早大出版部本の改訂であるが『オセロー』などはほとんど新稿といえるほど面目を新たにしている。(1933年(昭和8年)9月より1935年(昭和10年)5月迄配本)以後この版を底本として戦後に創元社(全1冊)、新樹社(分冊)等から新版が出されている。中央公論社版は誤植が目立ち、付録月報の『沙翁復興』には正誤表が掲載されている号がある。

・書簡集 逍遙新集『坪内逍遙書簡集』全6巻、早稲田大学出版部、2013年(平成25年)、

・作品集 
『逍遙選集』全12巻、別冊3巻、春陽堂、1926年(昭和2年)-1927年(昭和3年) 編集者は無記名であるが坪内逍遙自選。明治24年以前の著作は旧悪全書だとして収録しない方針であったが、出版社などの要求により別冊として収録。

『逍遙選集』全12巻、別冊5巻、第一書房、1977年(昭和52年)-1978年(昭和53年) 春陽堂版の復刊であると同時にそれに漏れた著作を別冊4巻、5巻に収録。事実上の全集。













佐久間象山

2021-10-29 08:32:23 | 日本

佐久間象山,作

世人の心きょう 豆よりも小さく
あくさく 寧(なん)ぞ知らん 英雄の胸
自ら奮えば 能く遠大の計を成し
自ら屈すれば 廓清の功を樹(た)て難し

・世間の人の心は豆よりも小さい。あくせくと目先を追うばかりで、英雄の胸の内など理解できるはずがないのだ。およそ、自ら奮い立ってこそ遠大な謀りごとは成し遂げられる。自ら卑屈にかがまっているようでは、天下を治めととのえることは無理だ。











「花園の午睡」

2021-10-28 08:27:20 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
今回で、最終回らしい。
実は、本年10月3日に菅家一比古さんが昇天なされました。私より1歳年下でしたが、誠におしい人物をなくしました。こころよりご冥福をお祈り致します。ありがとうございました。



あなたをいつも上から見下ろしてばかりゐた
あなたをいつも自分の眼鏡だけで見てゐた
果たしてあなたは私を見てくれてゐるのだらうか
本當は私の粗い波動を受けて傷つき
目をそらしてゐるのかもしれない

もつとあなたに近づきたい・・・
もつといのちを感じたい・・・

あなたと語りあへたならどんなに素敵だらう
この世の最高の戀人のやうにいつくしみ
私は癒されるに違ひない

私は花の氣持ちになつてみやうと思ひ
見下ろすのをやめ
花たちの隣に寝転び天を仰ひでみた

空いつぱいの青空が澄み渡り
綿菓子のやうなふんわりした雲が
につこり微笑みながら通り過ぎて往く

愛らしく囀る小鳥たちが
まるで無限の青ひ空間を
遊び場にしてゐるかのやうに
無邪気に戯れてゐる
蜜蜂たちはとてもにぎやかに
花たちとおしやべりしながらうれしさう

やがて一羽のアゲハ蝶がやつてきて
私の上を戸惑ひながら舞つている

あなたのその小さないのちは
皆を生かしてゐたのだ
そしてその可憐ないのちを
皆がいとほしく思つてゐたのだ

美しいあなたは自らを主張しやうとしない
だから人はさり氣ないあなたの
美しいいのちをつい見過ごしてしまふのだ

その可憐なるものを
地の上に現はしたものを私は讃へる
やうやく私はあなたと一つになれた氣がした
寝そべる私の身体の底から
大地の生命の囁きが
子守唄のやうに響ひてきた

あたりは目映ひばかりの光に包まれてゐる
まどろみをおぼへた私は静かに眼を閉じた

(菅家一比古 言霊詩集「いのち旅ゆく(二)









「平家物語 巻第六 小督に登場する『想夫恋』とその歴史背景」

2021-10-26 05:59:42 | 日本

想夫恋(そうふれん)とは、清盛によって宮中を追い出された小督(こごう)が、高倉帝を想い、筝の琴で弾いていた曲である。


◎『平家物語』本編の解説

まず、小督との恋の前段階として、恋愛盛りの二十歳前後の高倉天皇が、葵の前という上童(貴族の家に召し使われる童女)を熱愛しました。しかし、天皇は彼女の身分が低すぎるので、世の謗りを恐れて、寵愛をやめました。
葵の前は病気になり、儚く死んでしまいました。

そして、「小督」の段では、葵の前が死んで沈み込んでいる高倉天皇を慰める為に、中宮・徳子の方から、女房の小督(こごう)が派遣された、と書かれています。

まず「女房」について説明します。
「女房」は今では、妻の別称として一般に用いられていますが、本来の意味は、宮中に使え、個人用の部屋(=房)を与えられて住む女官を指していました。
現在で言うなら、住み込みメイドでしょうか。
ただ、中臈(ちゅうろう)・下臈(げろう)女房は主人の身の回りの世話もしますが、上臈(じょうろう)女房になると、取次ぎ役や、話相手、家庭教師などをする事が主な仕事になります。
女房として、中宮・定子(ていし)様と他の殿上人(てんじょうびと)達との取次ぎをしていた清少納言(せいしょうなごん)や、女房として中宮・彰子(しょうし)様の家庭教師をしていた紫式部(むらさきしきぶ)などが有名な例です。

時には、この話の様に、御主人様の夜伽も勤めたりしました。

小督(こごう)の出自については、『平安時代史事典』によると、
「生没年未詳。高倉天皇の女房、範子(のりこ)内親王の母。権中納言藤原成範女。『平家』では建礼門院に仕えた女房とする。

宮中一の美人で琴の名手の小督は、平清盛の女婿・藤原隆房(ふじわらのたかふさ)に見初められたのち、高倉天皇の寵愛を受けることになる。しかし清盛が激怒していることを漏れ聞き、小督は内裏を出奔、嵯峨野に隠れ住んだ。(後略)」

これを補足しますと、小督の父・藤原成範(ふじわらのしげのり)は、信西入道(しんぜいにゅうどう)と、紀二位(きのにい)の息子です。紀二位は、後白河上皇の乳母(めのと)です。平安時代の貴人は、実の母より乳母との精神的つながりが強いので、乳母の子である乳母子(めのとご)とは兄弟同然に育ちます。だから、成範と後白河上皇も仲が良かったはずです。もしかしたら、小督は後白河上皇にとって、姪の様な感覚だったのかもしれません。

『平家物語』では、小督は徳子から高倉天皇に差し出されたと書かれていますが、信頼の置ける記録である公家日記『山槐記(さんかいき)』には「新院(=高倉天皇)女房」という記述があります。実際は、高倉天皇自身が内裏女房(高倉天皇直属の女房。徳子には仕えていない。)としての小督を見初めたのでしょう。

経緯はどうであれ、高倉天皇は小督をいたく寵愛されました。しかし、小督には高倉天皇の寵愛を受ける前に、藤原隆房(ふじわらのたかふさ)という恋人がいたのです。

藤原隆房(ふじわらのたかふさ)は、平安末から鎌倉初期にかけての公卿(くぎょう)。最終官職は、権大納言。今で言ったら、副大臣レベルです。
先祖の代からの有力な院の近臣で、後白河上皇にも信頼されていました。妻の一人は、平清盛女(たいらのきよもりむすめ)(建礼門院徳子の妹、隆衡(たかひら)・隆宗(たかむね)・隆重(たかしげ)らを儲ける)がおります。

妻との関係もあり、一貫して親平家の立場をとりました。
文筆・歌道に秀でていました。

また小督(高倉天皇の女房を務め、宮中一の美人と評される)との恋愛関係は有名。
更に笙・琵琶・笛などにも秀でたことが知られています。

隆房は、小督が高倉天皇の寵愛を受け始めてからもあきらめきれず、熱心に文を送るなどアプローチを続けました。しかし、小督は隆房にすげない態度を取っていました。

しかし、自分の娘の夫二人がそろいも揃って小督に熱を上げている事を知り、清盛は怒りました。
それを漏れ聞いた小督は、嵯峨に身を隠しました。

高倉天皇は、旧暦八月十日過ぎ…ということは、仲秋の明月に近い、月の綺麗な雲ひとつない日の夜、弾正少弼(だんじょうしょうひつ)仲国(なかくに)を召して、自筆の小督への文を預け、小督の居所を探すように命じました。

仲国は、内裏の馬寮(めりょう)の馬を借りて、嵯峨に赴きました。
そして、ほとんど手がかりのない小督の居場所をどうやって見つけようかと思案し、名案を思いつきました。

仲国(あ、そうだ!小督殿は筝の名手。この月の明るさに、帝の御事を思い出して、きっと筝を弾いているだろう!小督殿が内裏で筝を弾いた時、私は笛の役に召された事がある。私は小督殿の筝の音を覚えている。)

亀山のあたり、松林の近くで筝の音が聞えましたた。
仲国は耳を澄ませて聴くと、「想夫恋」の曲でした。
仲国は、(曲も多いのに、帝の御事を思い出して、この曲を弾く小督殿の心の優しさよ…)
と思い、笛を少し合わせてから、筝が鳴っている家の戸をほとほとと叩きました。

確かに筝を弾いているのは小督でした。小督は、清盛の怒りを恐れて、明日には大原の奥に入って出家しようと思っていたとの事でした。
仲国は、内裏に戻るのを嫌がる小督を無理に連れて行き、再び高倉天皇と引き合わせました。

高倉天皇は、小督を目立たない所に置き、夜な夜な召した結果、治承元年(1177)六月、二人の間には皇女一人(範子内親王=坊門の女院)が生まれました。

それを知った清盛は、小督を捕え、尼にして追放しました。












「自然力を呼び起こす」

2021-10-25 07:43:41 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。


日本は照葉樹林文化の国です。文字通り、お日様の光を浴びて、木々が青々と生い茂るのです。ヒマラヤの南部・インドシナ北部・揚子江沿岸・朝鮮半島南部、この細長い一帯が照葉樹林文化の地域です。

この地域はタロイモとか、山芋などの根菜食が中心です。ヨーロッパは雑穀文化、アメリカはトウモロコシ文化と言われます。照葉樹林文化の根菜類には、葛・カタクリ・こんにゃく芋があります。これらは根を砕き、水晒しをします。

水晒しをするためには、大量の水と桶が必要になってきます。日本神話には、天照大神が天の岩戸にお隠れになったときに、アメノウズメノミコトが桶の上でマサカキを鬘(かずら)にし、笹を身にまとって踊り、天照大神に岩戸を開かせるというお話があります。こうしてみますと、水、植物(お花)、桶(器)を基層にし、複合的に重なり合って、茶道も華道も生まれたのではないでしょうか。

日本人は、自然の色を「青」に喩えます。空の青、海の青、山の緑も青になるのです。どう見ても、道路の信号は緑なのですが、それを青信号と言います。
「大和は国のまほろば 青垣山こもれる大和しうるわし」
幾重にも緑が青垣のように重なります。

もののけ、もののふ、もののべ、ものは霊魂を意味し、「もののあはれ」とは、大自然の生命と自らの生命が一つになり、合わさった感動を表現しているのです。大自然の生命の営みは、私の営みであり、私の生命の延長として観ているのです。

その一体感を持った時、「もののあわれ」という心性が成り立っていくのです。大自然の生命を眺めるという行為は、私自身を観る行為そのものなのです。自然と心がものとして一つ・・・それを「もののあわれ」と言います。

松尾芭蕉は『奥の細道』の冒頭に「月日は百代の過客にして いきかふ年もまた旅人なり」と表現していますが、自然界から、人間界から、宇宙転変、一切の世界が流転している、永劫なる循環をしていることを鋭く見抜いているのです。最高の霊性と情緒と感性を持った方だと思います。大伴家持、柿本人麻呂もそうです。

日本人の持っているこの感性は、なかなか他の世界には判ってもらっていないように思います。しかしこの自然力を呼び起こす力は、自然と一つになっていく力を持っています。欧米近代主義は計らいの連続ですから、大いなる自然力が養ってくれなくなるのです。

これからのポスト近代を提供できるものは、大自然回帰に基づいた日本の理念なのだということを知っていただきたいのです。









「和らぎの世界を持つ人」

2021-10-24 09:06:33 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。


心の柔らかい、和らぎのある人の側にいるとほっとし、満たされます。
私もそういう存在でありたいものです。

作家の五木寛之氏は幼い頃、ある夜、山を越えて、向こうの村まで行かなければならないことがありました。
断崖絶壁があるほど、山道は大変険しく、五木寛之少年は恐怖におののき、不安に怯えながら歩いていました。

その時です。雲間からお月様が出て、さーっと足元が明るくなり、辺りが照らされたので、深く感謝をしたそうです。

不安におびえながら、重い荷物を背負っての闇夜の山中行、それは私達の人生そのものです。
お月様に道を照らされて、勇気と希望と安心がもたらされたのです。

そこで考えてみてください。
月の光が重荷を軽くしてくれたのでしょうか?
月の光が山道を登る労力を軽くしてくれたのでしょうか?

さやけき月の光は、相手に勇気と希望と安心を与え、再び歩き始めるように導くことができるのです。

以前も「涙」の話をしましたが、「涙」は「大歓喜」の対極にあるものではなく、「涙」と「大歓喜」はセットになっています。
観音大悲のように私のために泣いてくれ、私のために祈ってくれる人がいた。
「もののあはれ」や「感愛(かなしび)のこころ」を持ち合わせた、そんな和らぎの存在があれば、
復元力が働き、私は知らず知らずのうちに浄化され、晴れやかに逞しく生きていくことができるのです。

隈もなく 澄める心の 輝けば
 わが光とや 月思うらむ

これは明恵上人の歌ですが、さやけき月と私の晴れ渡った心は一つです、
月の光によって私は清められています、という意味です。

「感染的一体感」で自他対立を超え、
積極的に大自然の生命と共鳴、共感して、
皆様の霊魂の扉を啓き、和らぎの世界をさらに深めていってください。








中村天風語録」

2021-10-23 07:38:47 | 日本

中村天風語録2-①」

◎本当の満足とは

心の本当の満足というのは、常にできるだけ自分の言葉や行いで、よろしいか、他人を喜ばせることを目的とする。
ところが、それを何か他人の犠牲になる、そんな生活のように考える人もありゃしないかい。
とにかく、他人の喜ぶような言葉や行いを、人生の楽しみとするという尊い気分になって生きてごらん、今日から。


「中村天風語録2-②」

◎本当の幸福

本当の幸福というのは、人生がより良く生きられる状態に自分ですることなんです。
自分でしないで、他からしてくれることを待ってる限りこやしないよ。
自分の現在の生活に自分の心がまず満足しなきゃいけないんだよ。
それが生命を高くし、程度を上にした考え方なんだ。
つまり、自分の生きがいを感じる状態をもっと気高いところにおかなきゃいけないんだよ。
うまいものでも食って、いい着物でも着て、こう思うところに本当の生きがいはないんだけれどもねえ。


「中村天風語録2-③」


◎病は怖ろしきものならず

一日も早く病を回復させ、本当に丈夫な人間になろうと思うなら、断然病などに負けてたまるかと、一大元気を心の底から煥発することであると、繰り返して進言する。
ましてそうすることによって自然良能作用が旺盛に活動するという真理と事実とを考えると、病というものをひたすらに怖れる必要は少しもないのである。
「病は怖ろしきものならず、これを怖れる心こそ怖ろしい!」


「中村天風語録2-④」


◎悪しき想像

あなた方おおむねは自分の希望する人生状態や日ごろ自分の心でああなりたいなあ、こうなりたいなあという事柄を、ややもすると無制限に拡大し、引き伸ばして考えるという場合が多いんです。
想像を組み立てろといっても、ただやたらに馬車馬的な想像じゃいけない。
それを考えないでやってると、想像してる事柄の種類によっては、反対に人格を向下し、品性を堕落せしめ、運命を毀(こぼ)ち、人生を価値なくする恐れがある。


「中村天風語録2-⑤」

◎真・善・美 

いかなる人事世事に応接する際にも、まず心の積極的態度を崩してはならないことと同時に、平素心して真我の尊厳さを乱さぬために、自己の思考内容(特に人生に対する)を信念的に高潔に把持することに専念せねばならない。
しかして、その要諦は、ただひとえに、つねに、真(誠)善(愛)美(和)を本位とする
思考を以って、自己の精神生命の現実の姿とすることに努めることである。


「中村天風語録2-⑥」

◎疲れたら休め

人間は変化の中にある。
その変化と変転にいちいち関わり合いをつけていたら、いたずらに心にムダな重荷を負わしていることになる。
「疲れたら休め」のとおり、心も休めてやる必要がある。
しかし、肉体は自分の意識で運動をやめることができるが、心は能動的で何かを考える傾向性を持っているから肉体と違う。
だから「安定打坐法」で無声の境涯に心を入れることが心を休めることになり、心の旅路のオアシスになる。


「中村天風語録2-⑦」

◎心に合理的修練をさせる

どんな場合にも、またどんなことにも安心立命で悠々と生活し、健康な肉体を有し、長寿の幸福を克ち得るために、自己統御が必要である。
その前提として、本当の「我」というものを正しく信念し得る自覚意識を確立させるために、心に合理的修練を施して本来の境地に心を活かすように心がけねばならない。
そして自分の本質がどんなものであるかがわかれば自己統御も完全となり、そしてさらに精神訓練の効果を積み重ねて立派な人になれる。


「中村天風語録2-⑧」


◎人体は水中で生活している

肉体組織の必要とする貴重なる体液である、唾液、胃液、リンパ液などはいずれも水分から作られる。
従って水なくしては、消化作用も同化作用も、その他一切の機能の活動が不可能になる。
だから、「正常な組織の中には常に多量の水がある。
従って、あらゆる組織は水中で生活している」
という生理学上の見方はまさに絶対の真理である。
従って、生命を確保する仕事を行うに必要とする水を飲むことである。


「中村天風語録2- ⑨」

◎人あっての自分

もしも、いささかたりとも、報償を本位とするというがごとき、凡俗同様の卑しむべき心持ちが発生したなら、そのときは「箱根山 駕籠(かご)に乗る人担ぐ(かつ)人 そのまた草鞋(わらじ)を作る人」
という古諺(こげん)を思い出すがよい。
さすれば、この世の中に活きるのは、いかに偉くなっても、自分一人で生きられるべきものではなく、人あっての自分、自分あっての人ということが、即座に直感され、その直感が良心に感応すれば、報償を超越した責務感となり、さらに当然の帰結で、その責務感がまごころとなって発露する。


「中村天風語録2-⑩」


◎自分は力だ!

元気という気がでたときに、何ともいえない爽快さを感じるものである。
とにかく、元気溌剌たる状態で活きることこそ、
最も重要かつ大事なのであるから、
心の置きどころを常に積極的にするために、
「自分は力だ」ということを断じて忘れてはいけない。













「大馬賊 伊達順之助の解説」

2021-10-22 07:27:58 | 日本

伊達 順之助(だてじゅんのすけ)
明治〜昭和期の満州軍閥 海軍顧問。 檀一雄「夕日と拳銃」のモデルになった大陸浪人。

・生年  明治25(1892)年
・没年  昭和23(1948)年9月9日
・出生地 岩手県
・別名  中国名=張 宗援
・学歴〔年〕 麻布中学,慶応中学,攻玉社中学,立教中学,海城中学


◎経歴

伊達政宗の子孫にあたり、岩手・水沢藩主宗敦の3男。父の影響で9歳頃から射撃の訓練をする。大変な乱暴者で麻布、慶応、攻玉社、立教、海城など当時の名門中を転々。立教中時代に拳銃で不良を射殺、華族礼遇停止処分を受ける。その後、満州に渡り、馬賊の頭目となり、大正5年頃パブジャップ将軍の蒙古独立軍に参加。14年には張作霖軍の少将となり中国に帰化、満州事変時に、日本軍の別働隊として華北国境を転戦、鬼将軍と呼ばれる。昭和13年満州国軍大将を自称して、中国人部隊・山東自治連軍総司令として天津に入るが、15年日本軍により解体。敗戦まで青島で海軍顧問の待遇を得るが、戦後、中国軍に逮捕され、23年上海で銃殺される。檀一雄「夕日と拳銃」のモデル。

明治維新から25年経った年に、伊達政宗直系の子孫として生誕。
伊達家は明治後『華族』となるのですが、『華族』は「一般市民の模範となってふるまう」ことが求められました。
しかし、順之助は『華族』の家に生まれながら、「どうやったらこんな風に育つのか?」というくらい大変素行が悪く、いくつもの中学校を転々とさせられます。
ちなみに、学習院へは「皇族の方に迷惑がかかる」ということで入学させてもらえませんでした。


◎ケンカ相手を射殺
18歳の頃、縄張り争いから相手のヤクザをピストルで射殺。
当然法の裁きを受け、懲役刑になるぞ、というところで伊達家が動きます。
ヤクザ者と交流があり、前科もあった順之助への心証は悪かったのですが、伊達家が雇った日本初の私立探偵である岩井三郎が、相手の学生の普段の素行、射殺時の状況を数ヶ月かけて徹底調査、順之助の正当防衛を実証します。
ちなみに『岩井三郎事務所』には、日本を代表するミステリー作家である江戸川乱歩が働いていました。

◎張作霖暗殺計画

1916年(大正5年)、モンゴル独立運動に参加するため民間の有志による『満蒙決死隊』を結成した順之助は、張作霖(ちょうさくりん)(中華民国の馬賊の頭領、政治家)の存在が独立運動には邪魔と判断、暗殺を計画するも失敗。
順之助は退去の処分を受け、日本へ帰国。


◎山形有朋暗殺計画

1919年(大正8年)、大物政治家の山縣有朋(やまがたありとも)が問題発言。
昭和天皇が皇太子の時、良子妃殿下との婚約についていちゃもんをつけてきたのです。
これに怒った順之助は山縣の暗殺を計画するも実行されず、翌年山縣は病死。
昭和天皇は婚約を破棄することなく、良子妃殿下と婚姻。
 当時の中国大陸の東北部は『満州』と呼ばれ、中国とロシアが「ここは我が国の領土だ!」と互いに主張し、この2国に勝利した日本(日清・日露戦争)も領土を主張していました。
そんな中、順之助は『大陸浪人』として中国大陸に渡ります。
明治初期から第二次世界大戦終結までの時期に中国大陸・ユーラシア大陸・シベリア・東南アジアを中心とした地域に居住・放浪して各種の政治活動を行っていた日本人の一群を指す。

この頃の順之助の動きは目まぐるしいので、時系列で淡々と書きます。

・1919年(大正8年)、朝鮮に渡り『朝鮮国境警備隊』に入隊。
隊長となり、武装朝鮮人のアジトを急襲するなど活躍。
・1923年(大正12年)、『朝鮮国境警備隊』を辞して帰国。
・1924年(大正13年)、中国大陸の奉天に渡り、7年前に暗殺しようと試みた張作霖の傘下に入る。
・1929年(昭和4年)、中華民国の軍人である張宗昌(ちょうそうしょう)と義兄弟の契りを交わす。
・1931年(昭和6年)、中華民国に帰化し、張宗援を名乗る。
・1932年(昭和7年)、『満州国』建国。
『満洲陸軍中将』を自称し、馬賊を従えながら各地を荒らしまわる。


◎チャンス到来

1937年(昭和12年)、陸軍大将の寺内寿一(ひさいち)が『北支那方面軍司令官』に就任した事で、中国各地を荒らしまわりながら機を窺っていた順之助にチャンスが訪れます。
寺内は『山東自治連軍』を編成。
大将に指名された順之助は四千人の兵をしたがえて山東省に入りました。
すると、そこには『歓迎張宗援総司令』という張り紙が町中いたる所に張られていたのです。
『張宗援』は順之助の中国名。
順之助の蛮勇は有名になっており、現地の人達から恐怖をもって迎えられていたのでした。


◎程国瑞殺害

山東省には程国瑞という人望の厚い人物がいました。
順之助に積極的に協力した彼のおかげで、『山東自治連軍』は約一万人にまで膨れ上がりました。
しかし、順之助は恐怖します。
人望が厚く人気のある程国瑞、一方、恐怖をもってしか迎え入れられない順之助、いずれ程国瑞が主導権を握るのは明らか・・・、順之助は程国瑞を殺害しました。


◎山東省自治連軍解散

1940年(昭和15年)、順之助が率いていた『山東自治連軍』は日本人、中国人などの混成部隊で、中国人に武器を持たせることに危機感をもっていた上層部の意向により解散を命じられます。
配下だった中国人の将や兵は散り散りになり、それぞれの故郷へ帰っていきました。
行き場を失った順之助は青島(チンタオ)に向かい、従兄弟の海軍中将である桑折英三郎(こおりひでさぶろう)を頼ります。
『青島海軍司令部顧問』という職を得た順之助は、家族を青島に呼び寄せて一緒に暮らします。


◎日本人戦犯として連行

第二次世界大戦が終わると、順之助は中国青島にて日本人戦犯として連行、戦犯とされ青島拘留所、上海監獄臨時戦犯拘留所、江湾鎮戦犯収容所に収監され死刑宣告を受けた。のちに上海監獄に送られ、銃殺刑に処せられた。
処刑当日、かつて日本人馬賊として恐れられた順之助の最期を見ようと、多数の見物人がやってきました。
順之助は処刑椅子に座るや豪快に笑ったところを、処刑人はすかさず頭部目がけて銃弾を発射。
1948年(昭和23年)9月9日死去。享年56歳


◎系譜

・祖父:伊達宗城
・義祖父:伊達慶邦
・父:伊達宗敦
・母:万喜子(松根三楽の長女)
・正妻:伊達八重子(田村弥太郎の娘)
・長男:伊達宗義(拓殖大学教授、花園大学名誉教授、専攻は中国軍事問題)
・次男:伊達政之(香港第一日文専科学校校長)
・長女:伊達智子
・妾:中国人女中
・張宗貴(中国籍)
・義兄:大木遠吉(伯爵、姉・幸子の夫)
・従兄弟:桑折英三郎(海軍中将、青島逼塞時の庇護者)


「蒙古放浪の歌」

一、心猛たけくも鬼神おにがみならぬ 人と生まれて情なさけはあれど
  母をみ捨てゝ波こえてゆく 友よ兄等けいらと何時いつ亦また会あはん

二、波の彼方の蒙古の砂漠 男多恨たこんの身の捨てどころ
  胸に秘めたる大願たいがんあれど 生きて帰らむ希のぞみはもたぬ

三、砂丘を出いでて砂丘に沈む 月の幾夜か我等が旅路
  明日も河辺が見えずは何処どこに 水を求めん蒙古の砂漠

四、朝日夕日を馬上に受けて 続く砂漠の一筋道を
  大和やまと男児おのこの血潮を秘めて 行くや若人千里の旅路

五、負はす駱駝らくだの糧かて薄けれど 星の示せる向むこだに行けば
  砂の逆巻く嵐も何ぞ やがては越こへなん蒙古の砂漠

























「宇宙のリズムに沿って生きる」

2021-10-21 07:18:55 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。


長野県の安曇野に行きますと道祖神がたくさんあります。道祖神は四辻や道端、村や町の境にあって魔除けをし、旅人の守りをしています。道祖神は夫婦和合の姿を描いた石像です。肩や頬を寄せ合っていて、とても微笑ましいのです。

道祖神の「道」は「満ち」溢れているという意味です。中国で「技」が「術」となり、「術」になったものが「法」となり、「法」となったものが日本に来て「道」になるのです。

対馬海峡を渡ると、いろいろなものが「道」になります。(茶道、華道、武道、香道、歌道)「道」というのは究極なもので、そこに「魂」が溢れているのです。

ですから日本のことを「日(霊)の本(ひのもと)」と言います。霊魂(みたま)の「霊」は、元々ヒ、ミ、チとも呼びます。日本という国の磁場は、実は「霊の元(ひのもと)」なのです。世界で生まれた「技」や「術」が日本に辿り着くことによって価値の再創造がなされ、新たに生まれ変わるのです。

道祖神には道(ロード)を守るという意味の他に、道の祖(元、親)という意味があります。なぜ道の祖が和合像なのでしょうか。それは日本の響きが和合・調和であるからです。

この世は全ての響きが溶け合い、混ざり合い、調和しあって一大音楽が流れています。実は人体も音が鳴っていて、心臓には心臓固有の音、肺には肺の音、胃には胃の音があります。

これを発見したのがイギリスのマナー博士という方で、博士はそれぞれの音を収録しました。お盆にパウダー状の白い砂を撒いて、サイマティックスという音波で胃の音を聞かせたら、砂は胃の形になったのです。心臓の音を聞かせると心臓の形に、肺も膵臓も、みな固有の音を発しています。

人体はコスモロジーで60兆の細胞を持つ小宇宙ですから、宇宙の構造そのものです。この宇宙は全て音、響き、波動、周波数、波長で成り立っています。ということは、宇宙のリズム、流れ、法則を知った時、このリズムに沿って生きることが「道」、日の本(ひのもと)を生きることだとわかってきます。

イスラム圏やユダヤ圏、キリスト圏などは裁き、戒律などで生きようとしますし、宗教に限らずドグマを持っている国々もそのドグマに生きようとします。しかし、実際は違うのです。宇宙には響きがあり、法則がありますから、そのリズムを探っていけばいいのです。

そうしますと、自分が共振しはじめ、どこかでそれと共鳴する人が出てきます。一人の「気づき」で共鳴し始めると、周りも共鳴し始めます。その共鳴が次々に共鳴を呼び、響きが響きを呼んでいきます。

日本の中心に「和合・調和」という原理があることに私達は感謝しなければなりません。














「選挙中のネット広告」

2021-10-20 07:19:45 | 日本

選挙中のネット広告、厳しい規定どうクリア? 代行業者が明かす舞台裏
令和3年10/18(月) 
参考にしよう!


スマートフォンでネットサーフィンをしていると、政党や政治家のバナー広告が現れる――。かつてはあまり見かけなかったネット広告に違和感を感じる人も多いようだが、政治の世界でもネット空間は無視できないアピールの場となっている。19日に公示される衆院選の期間中もネット広告は増える見通しだという。だが、公職選挙法などが定める厳しい規定をどうやってクリアするのか。その舞台裏を取材した。【土江洋範】


◎公選法の厳しい制約、何が違反で何がセーフ?

現在は候補者の陣営がSNS(ネット交流サービス)やブログで日々の活動をアピールするのが当たり前になっており、ネット活用は選挙の勝敗を分ける重要なツールになっている。ネット広告もその手段のひとつだ。  広告はニュースサイトなどに表示され、政治家の名前や顔写真のほか、「この国に未来を」などとキャッチフレーズを盛り込んだものが一般的だ。クリックやタップをすると、候補者や政策を紹介するウェブページなどに飛ぶようになっている。だが、こうしたネット広告も19日の衆院選公示後は、公選法の厳しい制約を受けることになる。  ネット選挙が解禁された2013年の公選法改正で、広告についてのルールも定められた。まず、「清き一票を」などと投票を呼びかける文言を盛り込んではいけない。さらに、広告を出せるのは政党だけで、候補者個人は認められていない(町村長選など一部選挙では政党も禁止)。だから、選挙前に個人の知名度アップのための広告を打つ陣営が多いというわけだ。今年7月の東京都議選でフェイスブックに広告を出した2人の候補者が「公選法に違反している」と指摘されたが、これは選挙期間中に個人名で行ったとされるからだ。


◎代行会社への依頼数は4年前の10倍超

同社は、ネット上の住所にあたる「IPアドレス」などをもとに閲覧者が住んでいる地域を割り出し、選挙区の有権者だけにピンポイントで広告を表示する「世界初」のシステムを作り上げ、17年からサービスを始めた。表示させるサイトは選ばずランダムな分、費用は10万円から受け付けている。月間で約490万回表示したケースもあるといい、代表取締役の高畑卓さん(44)は「街頭演説を何回すれば、これほど多くの人に見てもらえるのか」と胸を張る。  高畑さんは、当初は「ネットを見ているのって若者だけでしょ?」などとあまり興味を持ってくれない政治家が多かったと振り返る。公選法の縛りが強く「違反したら怖い」という雰囲気もあった。  だが、今回の衆院選を見据えた依頼数は、17年当初と比べて「ゆうに10倍は超えている」。まだ選挙前に広告を出す個人が多いものの、選挙中に支部長として出したいという陣営も増えているという。  背景には、各陣営がネットの波及力を無視できなくなっているという事情がある。国による通信機器の利用状況調査では、近年は60代以上のシニア層のネット利用率も高まっており、もはや「ネットは若者のもの」とは言えなくなっている。新型コロナウイルス感染拡大の影響もあると高畑さんはみる。「コロナ下で集会が開けない、人に会えない。従来の活動が立ちゆかない期間が長く続き、ネット広告に目を向けている印象だ。有権者にとっても得られる判断材料が増えるメリットがある。ネット選挙のウエートは今後さらに高まっていくだろう」
「あなたの衆院選」は毎日新聞社とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。選挙の基礎知識のほか、政策課題などについて分かりやすく伝えます。


◎選挙期間中も候補者がネット広告を出すには

ただし、「抜け道」も残っている。公選法改正の時に与野党が決めたガイドラインによると、政党には党本部だけでなく支部も含まれ、「〇〇党△△支部」という広告を出してよい。そこに支部長の氏名や顔写真を添えても直ちに違反とは言えないとされ、文字や写真のサイズを党名・支部名より小さくして控えめに載せた広告の例が示されている。つまり、候補者が支部長を務めていれば、事実上、個人の宣伝ができるということだ。これに対しては、無所属候補との不公平さを指摘する声もある。  選挙前の個人であれ選挙中の支部長であれ、自分の選挙区外の有権者に広告を配信しても、別の選挙区にポスターを張るようなもので意味がない。多くの人に届く分、無関係な人も含まれるというネット広告の無駄をなくしたのが、各陣営からの依頼で広告を代行している会社「イチニ」(東京都港区)だ。











「老子より」

2021-10-19 05:50:47 | 日本

世人はほめられ愛されること(寵)や悪評され恥められること(辱)に対して、まるで小心な馬が驚くが如く、胸をどきどきさせて全く落ち着くところがない。この寵辱(ちょうじょく)は、人間にとって大きな関心事には違いはないが、こんな単なるレッテルに過ぎない外物に終始わくわくし、ノイローゼになるのはこれを大患(たいかん)といわねばならない。

我々にこの寵辱という大患がある理由は、我々が自分のなまの身を有と考えて、この人生を楽しくしようと思うからに外ならない。しかし長い眼で見よ、我が身というものは有りながら無、無にして有、ただその背後にあるものによって生じ、また生かされているに過ぎないもので、過ぎ去ってしまえば唯、夢幻(ゆめまぼろし)の如き存在に過ぎない。であるから我々がもし、我が身を無々と考えて、何もあくせく生を厚くする必要はないと考えて来れば、我々に何のわずらい事があろうか。

もし我々が、その背後にあるものと一体となり使命をさとり、真の意味において自己を尊び、我が身を以て天下の重きに比すべき貴いものと考えて自重するようになれば、その人にこそ、初めて天下を寄せ任せることが出来るであろう。 









「中村天風語録」

2021-10-18 08:57:32 | 日本

「中村天風語録1-㊶」

◎人生を立体的に観察する

生活に負わされている
負担とか犠牲という方面のみを考えると、およそ人間の生活くらい苦しく、つらく、悩ましいものはないと思われよう。
しかし、もっともっと立体的に人生というものは観察すべきである。
すると、期せずして生活の範囲の広いことと同時にその内容が、ちょうど精巧な織物のように、極めて複雑な色模様でちりばめられていることを直感する。
そして、その直感なるものが、生活の中から、相当楽しく、面白く、愉快で、スウィートだと思えるものを、かなり量多く見出してくれるのである。


「中村天風語録1-㊷」


◎かりそめの気持ちでやらない

「正義の実行」を、確実に現実化するには、何をさしおいても、平素の言葉や行為をいかなる場合にも、かりそめの気持ちで為すことなく、つねに、本心良心にもとらぬよう、注意に注意して心がけねばならない。


「中村天風語録1-㊸」


丸心に使われるな

意志の力の煥発(かんぱつ)が不十分だと、そのできごとに対応が「心」の操縦が完全にできなくなり、反対にそのできごとに「心」がとらわれて
正当な判断や断定が結局不可能となる。
これはつまるところ、使うべき「心」に使われてしまうという、不合理な、憐れな結果である。


「中村天風語録1-㊹」


◎いのちの力の使い方

いのちの力の使い方――

結論からいうと、これはきわめて短い言葉で表現することができる。
すなわち、
「力を入れることに重点を置かずに、力を働かすことに重点を置く」
――これである。


「中村天風語録1-㊺」

◎不偏愛

「不偏愛」とは何を意味するかというと、率直にいえば何ものをも憎まざる公平無私の純正なる愛情をもって、人にも物にも、否、ありとあらゆるいっさいに平等に、相接することである。
それは繚乱(りょうらん)たる陽光と同様に…。
しかも、この不偏愛の実行ということは、ただ単に唯善践行の秘訣であるばかりでなく、厳格な意味からいって、真人生の本来の真の面目なのである。
だから、万一愛の情けに偏りがあるのでは、ほんとうの人といえないのである。


「中村天風語録1-㊻」

◎無私無我の生活

現代のような物質偏重の時代であっても、人生の根本哲理は、自我を本位としない生活こそ真の人間に与えられた最高至純の合理的なものであるということに、何の変わりもないのである。
いいかえれば、
人間は無私無我の生活を本位として活きてこそ、
ほんとうの人間としての幸福

―健康と長寿とよき運命―
を求めなくても恵まれるというのが、この世ある限りいささかも変わることのない、人生に賦与されている宇宙真理なのである。


「中村天風語録1-㊼」

◎とらわれない心

神経系統の生活機能は、
心が積極的でないと完全には働かないんだよ。
つまり、心の態度が積極的ならば神経系統も積極的になるが、心の態度が消極的ならば神経系統の生活機能も消極的になっちゃう。
非常に心が落ちついて、
何のとらわれもないときには、かなり難しいことでも平気でやっていけますよ。
ところが、心に落ちつきがないと、やさしいことでも難しくなっちまうんだ。


「中村天風語録1-㊽」

◎生命力の使用量
 
人々がその人生に活きるために使っている力は、
実際の生命力の全体量からいうと、何パーセントかにすぎない。
大抵の人は、自分の生命の力の全部を使って活きているかのように思っている。
そして自分は、これだけ努力しているのにもかかわらず、一向によい運命もこず、健康も完全にならない。
健康や運命は、人間の力ではどうすることもできないものだと決めてしまい、人間の力を低く弱く評価することになるのである。


「中村天風語録1-㊾」

◎宿命統制に必要なこと

良い運命の主人公として活きていきたかったら、何をおいてもまず、心を積極的にすることに注意深くし、始終自分の心を監督していかなければならない。
そしてまた、宿命統制にもう一つ必要なことがある。
それは常に、心の中に感謝と歓喜の感情をもたせるよう心がけることである。
習慣として、何でもいいから、感謝と喜びで人生を考えるよう習慣づけよう。
この心がけが、宿命統制にすこぶる効果があり、
さほど困難でないと悟れることと思う。


「中村天風語録1-㊿」

◎観念の型

人間の心に何かの観念が出ると、その観念の型のとおりに宇宙根元から微妙な力が働き出し、その観念の型が良ければ良いように、悪ければ悪いように

―わかりやすくいえば―
思い方や考え方が積極的であれば、積極的なものができ消極的なら消極的なものができる。
そういうように真理ができている。
人間の境遇だとか、その人の現在に同情するということはないのである。
峻厳(しゅんげん)侵すべからずである。












「運の良い人がやっているミツの習慣]

2021-10-17 11:03:23 | 日本

◎開花する理由

取材させて頂きました。そこで、わかったのは、多くの人が、驚くほど[喜
び上手]ということでした。ある女性実業家のお宅に伺った時、手土産に
横浜にある、フランスクッキーを持っていった時。

[わぁ!ここのクッキー一度食べて見たかったのよ。嬉しいわ ありがとう!]
こちらが 恐縮するほどでした。
別室にいたスタッフまで呼んで[みんなでシェアしましょうよ]本当に嬉しそう
に目を輝かして、まるで子供のような笑顔でした。

その方はお金持ちですから、自分で取り寄せようと、思えばいくらでもできるはずです。こんなに喜んでくださるなんて・・とても感激しました

人は相手が笑顔で喜んでくれると、[この人を もっと喜ばせてあげたいな]
と感じます。[この人のお役に立つなら自分の力を精一杯出してお手伝いしょう]と思います。

応援されて、才能がもっと花開くのです


⭐️成功するには⭐️

1.望む現実を創ることは
  望む自分を創ること。

2.すべての壁は
  自分の内にある。

3.できるかできないかではなく
  やるかやらないか。

4.やる人は『時間』を作り
  やらない人は『理屈」を作る。
 
5.他人の期待ではなく
  自分の期待に応えられる
  自分になる。

6.自分の苦しんだ経験が
  必ず他人の役に立つ。

7.最大のピンチは最大のチャンス。

8.大変とは大きく変わるチャンス。

9.うまくやるより本気でやる。

10.楽な日々は過ぎ去る。
  充実した日々は積み重なる。

11.何をするかより
   なぜするのか。

12.大切なものほど身近にある。

13.いつやるかではなく
   今できることからやる。

14.答えは全て自分の中にある。

15.すべてはうまくいっている。









「中村天風語録」

2021-10-16 19:03:42 | 日本

「中村天風語録1-㉛」

◎雑念妄念の排除

心身を統一するときに、一番妨害になるのは心なんだ。
雑念妄念をとりさえすれば、人間のすぐれた霊性心、すなわちインスピレーションが出てくる。
霊性心が本当に自分の命のものとなると、ぜんぜん今までと違った頭になってくる。
いつもクリアなすっきりとした、それこそ磨きたての真珠を薄絹に包んだような気持ちになれますよ。
そうすると、一番先にあなた方は、ああ、人間というものは幸福に生きて、丈夫に生きる方がやさしいわ、ということを発見するはずです。


「中村天風語録1-㉜」

◎頼もしい自己建設

「頼もしい自己建設」とは、これをわかりやすくいうならば、すなわち「命」を活かす力=
「体力、胆力、判断力、断行力、精力、能力」
なるものを、量的にまた質的に、自己の生命の内容に充実せしむることなのである。


「中村天風語録1-㉝」

◎人生、何事も「調和」

自己の人生の完成を現実に企図するものは、常に何事何物にも「調和」ということを決しておろそかにすべきではない。
現にわれらの実践する心身統一法なるものも、この絶対真理にのっとって、生命の一大調和を現実化しようとする敬虔(けいけん)な意図のもとに組織した方法なのである。
特に、その基本要諦となっている精神態度の積極化ということこそは、まことに全生命体に対する
もっとも根本的な調和基盤をなすという重大なものなのである。


「中村天風語録1-㉞」

◎「生命力」の萎縮減退

平素から生存の確保という、生活ということよりも、より以上真剣に考えねばならぬことを実行していない生命には、いかなる方法手段をもってしても相対的な効果はあっても、絶対的な効果を獲得することはできないのである。
というのは肝腎かなめのいのちのちから「力」が
萎縮減退しているからである。
そのため、努力いたずらに空しくして効果極めて少なしという遺憾なる結果が心ならずも生じてくるのである。


「中村天風語録1-㉟」

◎理性の限界

現代の人々は理性に事物を判断する力があるという点を極端に尊重し過ぎる傾きがある。
しかし、理性というものは、心性意識の発達に伴って発達する理智から発生するものであるから、
理性そのものにも昨日と今日との間に相当な進歩をするという実際的変化がある。
したがって、
われわれが理性を無上のものとして尊重し過ぎることは決して賢いことではない。
まして人生の万事を理性に全部依存せしめるという態度ははなはだしい誤りである。

※心性意識:精神生命に存在する
理性心から発動する意識


「中村天風語録1-㊲」

◎本当の欲望は楽しい

かなわない欲望を心に描くと苦しいんだ。
真理の上から論断すると、悩んだり苦しんだりする欲望は欲望とは言えないと思う。
本当の欲望というのは、
楽しい欲望のことなんだ。
欲しがりゃ欲しがるほど楽しいのが本当の欲望。
だから、すべからく楽しめる欲望を炎と燃やしなさいと言いたいんであります。
そうするとその欲望を燃やしゃあ燃やすほど、何ともいえない、人生が豊かなものになるんだよ。
これが天風哲学の主張する、燃やしなさい、燃やしなさいという欲望なんだ。


「中村天風語録1-㊳」

◎触覚作用の抑制

触覚作用は、意志の集中によってある程度までは抑制できる。
つまり、病からうける苦痛感や他のものから受ける不快な触覚感のごときは、
意志の力とクンバハカ(神経反射の調節法)を用いて、心機を確実に転換しえれば、相当の程度まで抑制できることなんです。
だから、古往今来(こおうこんらい)、偉人もしくは修養の徹底した人が、みだりに寒暑を気にかけたり、病に冒されても容易に苦しいとか痛いとかいうことを口にしないのも、その意志力が積極的に働いて心機転換が巧妙に正確にできた結果であるといえるんです。


「中村天風語録1-㊴」

◎笑いは養生である

人間は神経の集積であるので、神経系統をみだりに消極的に興奮させることが、直接間接に生命に危険を与えることとなるのは当然である。
人間の個体の生命擁護のために、全神経系統の興奮を鎮める一手段として
「笑い」を生体に仕組んである。
事ある時も事なき時も
終始笑顔で応接しよう。
否、事ある時は一層笑顔を崩さぬように練習するべきである。
特に、体の弱い人はひとしお笑いに努力することを養生の第一とするべきである。


「中村天風語録1-㊵」

◎他人の批判より自己省察

ことわざに
「人のふり見てわがふりなおせ」
というのがあるが、
他人の言葉や行為をやたら批判する人というものは、人のふりにわがふりを正しく照合して、是正しようとはしないので、ただあしざまにそれを批判するだけなのであるから、
したがってその批判から少しの価値あるものも、わが心に感得しない。
みだりに他人を批判することを本位として、いささかも自己省察を施さないがために、人生に何よりも大切な自己自身の統御ということに、少しの進歩も向上も顕現しないのである。