龍の声

龍の声は、天の声

「唯我独尊な人は謙虚?について学ぶ」

2020-05-30 13:49:05 | 日本

「天上天下唯我独尊」というと、よく夜中にバイクを乗り回している元気な若者たちが、橋の下にスプレーで書いたり、特攻服の背中に書いたりしてますよね。
大変仏縁深い若者だと思います。
それというのも、「天上天下唯我独尊」という言葉は、世界の三大聖人といわれてもトップにあげられるお釈迦さまのお言葉だからです。
ただ、「唯我独尊」というのは、お釈迦さまのお言葉であることからも分かるように、「オレが一番偉いんだ」とか、「オラオラおめーら、虫けらどもめー」という意味ではないので、若者たちは、何か誤解している可能性もあります。
まず、「天上天下唯我独尊の意味」は、どのように読むのでしょうか?

◎天上天下唯我独尊の読み方

「天上天下唯我独尊」の読み方は「てんじょうてんがゆいがどくそん」と「てんじょうてんげゆいがどくそん」の2通りあります。
これはどちらでも構いません。
「上下」の場合は「じょうげ」と読みますから、「てんじょうてんげゆいがどくそん」とも読みますし、
聞いたときのイメージのしやすさは、「てんじょうてんがゆいがどくそん」のほうが分かりやすいという人が多いようです。
ではお釈迦さまは、このお言葉をどんなときに言われたのでしょうか?
お釈迦さまはいつ言われたの?
このお言葉は、お釈迦さまがお生まれになられたときのお言葉です。
ルンビニー園という花園で、この世にお生まれにられたお釈迦さまは、つぶらな瞳をはっきり見開かれ、よちよちと東西南北に7歩ずつ歩かれます。
そしてもみじのような右手で天をさし、左手で地を指さされ、はっきりと「天上天下唯我独尊」と言われたと説かれます。
これを「七歩の行人」ともいいます。
あの花祭りのときに甘茶をかける右手で天を、左手で地を指さされた、生まれたばかりのお釈迦さまが言われたお言葉です。
でも、お釈迦さまのお言葉ということは、もし天上天下唯我独尊が「この世でオレが一番偉いんだ」という意味なら、お釈迦さまが言われたことと合わなくなります。

◎普通、自分で自分を偉いという?

普通、「自分は偉い」と自画自賛する人は、あまり偉い人ではありません。
「実るほど頭をたれる稲穂かな」という歌もあります。
稲も、まだ若くて青いときは、ツクンツクンと天に向かって突っ立っていますが、だんだん秋になって実ってくると、頭が下がってきます。
それと同じように人間でも、まだ若くて青二才といわれるときは、自惚れて頭が高く、反り返って虚勢を張っているものですが、だんだん円熟してくるほど、頭が低く、腰が低くなるということです。
「自分で自分が偉い」という人は、まだそんなに人格を高めているとはいえないのです。
ところがお釈迦さまといえば、世界の四大聖人、三大聖人といわれてもトップにあげられる方です。
こんな、大人なら誰でも知っているようなことが分かられないはずはありません。
「天上天下唯我独尊」は、「オレがこの世で一番偉いんだ」という意味ではないのです。
ではどんな意味でしょうか?

◎天上天下唯我独尊の意味

「天上天下唯我独尊」はどんな意味かといいますと、まず「天上天下」とは、天の上にも天の下にも、ということで、大宇宙広しといえども、ということです。
次に「唯我独尊」ですが、「我」は、オレとか私という意味ではありません。
我々とか私たちということです。
なぜそんなことが分かるかというと、このあとお釈迦さまは、「三界皆苦 吾当安此」(三界は皆苦なり。吾まさに此に安んずべし)といわれて、この一節では、ご自分のことを「吾」と言われているからです。
ですから「唯我」とは、ただ、私たち人間だけに、ということです。
人間以外には何があるのかというと、仏教では、私たちは、果てしない遠い過去から、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つの迷いの世界「六道」を、生まれ変わり死に変わり、輪廻転生を繰り返していると教えられています。
「唯我」とは、その六道の中で、ただ私たち人間に生まれたときだけ、ということです。
「独尊」とは、たった一つの尊い使命がある、ということです。
「使命」とは、「命を使う」と書きますように、「命の使い道」のことで、究極の目的のことです。
「独尊」とは、たった一つの究極の目的があるということですから、「唯我独尊」とは、「私たち人間に生まれなければ果たすことのできない、たった一つの究極の目的がある」ということです。
ですから、「天上天下唯我独尊」とは、犬や猫、虫けらに生まれたら果たすことのできない、私たち人間に生まれたときしか果たすことのできない、たった一つの目的がある」という意味です。
だから、「どんなに苦しくても自殺してはいけませんよ、その目的果たすまで、生き抜きなさいよ」とお釈迦さまは教えられています。
ではそれはどんな目的でしょうか?

◎唯我独尊の目的とは?

それは、お釈迦さまがお生まれになって、「天上天下唯我独尊」といわれるとき、7歩ずつ歩かれたことに関係があります。
7歩とは、6歩+1歩です。
「6歩」は、「六道」を表しています。
私たちが果てしなく遠い過去から、生まれ変わり死に変わり輪廻転生を繰り返している地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の「六道」です。
その苦しみ迷いの「六道」を出て離れることを6歩+1歩の7歩で表されています。
この六道輪廻から離れることは、仏教を聞かなければできませんが、仏教は人間に生まれたときしか聞けませんので、人間に生まれた目的は、仏教を聞いて果てしない苦しみ迷いの輪廻を離れ、未来永遠の幸せになることなのです。
それが本当の生きる意味なのです。
では「天上天下唯我独尊」の次の「三界皆苦(さんがいかいく)吾当安此(ごとうあんし)」とはどんな意味でしょうか?

◎どこかに幸せな人はいますか?

「三界皆苦 吾当安此」の「三界皆苦(さんがいかいく)」は「三界は皆苦なり」と読みます。
「三界」とは「欲界(よくかい)」「色界(しきかい)」「無色界(むしきかい)」のことで、いずれも迷いの世界です。それぞれどんな意味でしょうか?
まず「欲界(よくかい)」は、五欲のみで生きている世界です。
五欲とは、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の五つの代表的な欲をいいます。
食べたい飲みたい楽がしたい、どうすれば楽に儲かるか、人から褒められるか、愛されるかと欲望のままに生きている世界です。
次の「色界(しきかい)」の「色」とは物質のことです。
色界に生きる人とは、絵画や彫刻、書道や華道などの芸術に生きる意味を求める人です。
欲界で、お金や名誉、愛情を求めて努力しているうちに、欲望を満たす快楽は、やはり刹那的で続かないと分かってきます。すると、芸術を求めたらいいのではないかと、芸術にも興味を持ちます。五欲のみで生きるより高尚な世界です。
ところがこの世は諸行無常の世界です。それは色界も変わりません。
形あるものはいつかは必ず滅びますので、芸術の感動も続きません。
どんなにすばらしい芸術を残した芸術家の人たちでも、やはり人生に満足できてはいないのです。
芸術もやはり、これ一つ果たせば、人間に生まれてよかったと大満足できる本当の生きる意味にはならない、ということです。
最後の「無色界(むしきかい)」は物質を超越した世界です。
無色界に生きる人とは、哲学や思想など、精神的なことに生きる人です。
諸行無常の世界では、形あるものは必ず崩れるとすれば、形のない、精神的なことに生きる意味を見いだせるのではないか、と考えます。
ところが哲学や思想の世界にも、結局、本当の生きる意味は見つかりません。哲学者の人たちも、みんな生きる意味は分からないと言っています。
三界はみな迷いの世界ですから、「三界は皆苦なり」とは、どんな人の人生も苦しみである、ということです。

◎お釈迦さまの宣言

次の「吾当安此(ごとうあんし)」は「吾、まさにここに安んずべし」と読みます。
「吾(われ)」とはお釈迦さまのこと、「此(ここ)」とは三界のことです。
「三界はみな苦しみの世界だから、ここでは幸せになれない、どこかへ行って幸せになろう」というのではなく、「この釈迦は、この三界にいながら仏のさとりを開こう。そして、苦しみ悩む人々を本当の幸せに導こう」ということです。
いまだかつて誰も行ったことのない前人未踏の道を自ら開拓し、すべての人が救われる道を切り開くぞ、という確固たる決意を示されたのです。
これをお釈迦さまはお生まれになられてすぐに言われたと聞くと、「生まれてすぐ歩いたりしゃべったりできるの?」と思う人がありますが、そんなことができるかどうかは別として、お生まれになられたときのこととして説かれたのは、仏教にお釈迦さまは、そのような「苦しみ悩むすべての人を本当の幸せに導く教えを説くぞ」という一大宣言なのです。












「ブッダ(お釈迦さま)とは?について学ぶ②」

2020-05-29 05:08:43 | 日本

ブッダの出家の動機─四門出遊─

シッダルタ太子が、このように思うようになったのも、元はと言えば小さい頃、はじめて城から出て外の世界を見たときの衝撃からでした。

◎東の門

はじめ、城の東の門から外に出てみると、そこには今まで見たこともないような人が、よろよろと歩いていました。
肌はしわより、腰は曲がり、杖をついています。
おつきの者に
「あれは一体何者だ?」と尋ねると、
「あれは老人でございます」
「老人とは何か」
「はい、人は年を取ると、あのような老人になるのでございます」
「何!?それは王でもなるのか」
「はい、申し訳ございません。王様といえど、年がいけば、必ず老人にならねばなりません」
これを聞いたシッダルタ太子は、ショックでその日は元気をなくし、城へ帰ってしまいました。

◎南の門

しばらくたって城の南の門から出てみると、またもや、見たことのない人が、むしろの上に横たわっていました。
体はがりがりにやせ細り、うめき苦しみながら、虚空をかきむしっています。
「あれは一体何だ」
「はい、あれは病人でございます」
「人は老い、必ずあのように病にかかって苦しまねばなりません」
「何!?それは王でもか」
「はい、申し訳ありませんが、王様といえども、やがて病にならねばなりません」
またもやショックを受けたシッダルタ太子は、外へ出る元気をなくして城の中へ帰ってしまわれました。

◎西の門

またしばらくして西の門から出ると、また見たこともない人が運ばれて行くのを目撃しました。
骨と皮ばかりにやせ細り、全く動かなくなった人が、悲しそうにすすり泣いている人たちに囲まれて、ゆっくりと運ばれて行きます。
今でいう、葬式の行列でした。
「あれは一体何だ?」
「はい、あれは死人でございます」
「死人?何だそれは」
「はい、人はやがてあのように、必ず死んでいかなければなりません」
「何!?それは王でもか」
「はい、申し訳ありませんが、 王様といえども100%死んでいかなければなりません」
これを聞いたシッダルタ太子は、今までで一番の大きなショックを受けて、もはや外へ行く元気はなく、そのまま城へ帰ってしまいました。

◎北の門

それからまたしばらくして今度は北の門から出てみると、そこには、老いと病と死の問題を解決しようと修行している修行者がいました。 それを見たシッダルタ太子は、内心、まさに人生は、老いと病と死の問題を解決せねば、大変なことになると思ったのです。
普通なら「今さえ楽しければいいや」と思ってそこまで考えないのですが、よく考えて見ると、すぐに消える、一時的な幸せでは、誰も満足できません。
それなのに、やがて人生はあっという間に過ぎ去り、老い、病にかかり、死んでしまったら
一切の幸せが崩れてしまいます。
このことは、人生を真面目に見つめないと、なかなか起きてこない悩みです。
幸せが崩れてから、それに苦しみ悩む人はあるでしょうが、シッダルタ太子は、幸せが崩れてからではなく、まだ若く、能力もあり、欲しい物は何でも手に入る幸せなときに、人生の本質を見抜かれたのです。
それで、この解決を求めさせてくださいと、お父さんに言われたのでした。

◎ブッダの出家

太子の出城の願いは差し止められ、これまで通りの同じ毎日が繰り返されていたのですが、どんなに健康や財産、地位、名誉、妻子、才能などに恵まれていても、やがてすべてに見捨てられる時がくることは避けられません。
どんな幸福も続かない人生のすがたを知っておられたシッダルタ太子は、もはや心からの安心も満足もできませんでした。
「どうすれば、崩れない本当の幸せになれるのだろう?」
シッダルタ太子の、真実の幸福を求める気持ちは、日に日に強くなってゆかれました。
やがてある日の夜、シッダルタ太子は四季の御殿で目を覚まされました。
そこには昼間、美しく着飾って踊っていた女たちが、みっともない様子で寝ていたのです。
太子は幻滅を感じ、深く後悔しました。
「私はだまされていた!これこそ本当のすがたなのだ。こんなことをしている間に、もう結婚して10年が過ぎ、あっという間に29歳になってしまった。こんな所でうだうだしていたら、私は何のために生まれてきたのか?このままでは生きている意味がなくなってしまう」
シッダルタ太子はもう誰にも言わず、「健陟(カンタカ)」という白馬に乗って出ていってしまいました。
ときにシッダルタ太子、29歳の2月8日のことでした。
これが有名な「出城入山(しゅつじょうにゅうせん)」です。

◎ブッダ捜索作戦

翌朝、城ではてんやわんやの大騒ぎです。
浄飯王は「お前ら500人もいて、1人も気づかなかったのか。
何をやっているんだ」と激怒すると、キョウチンニョ(憍陳如)という人が現れて「どうか私に太子様を探させてください」と申し出ました。
「おお、探してくれるか」
喜んだ浄飯王は、キョウチンニョをはじめとする五人を使わし、全国を捜索します。
やがてついに、修行している太子を発見できたのです。
キョウチンニョは、尋ねました。
「世の中には、出家の動機に4通りあると聞いています。長い病気の苦しみで、もはや喜びを見いだすことができないとか、老人になって体が動かず、希望を失ったとか、お金や財産を失い、生活に困っているとか、家族を亡くして世をはかなむからと聞いています。ところが、太子様は4つともあてはまりません。若く、健康で、勉強もでき、運動神経も抜群でらっしゃる。
そしてお金はいくらでも手に入る。ご家族はみなさん健在。なぜそれらの楽しみを捨てて、一衣一鉢の姿で遠いさとりを求められるのでしょうか?」すなおな疑問をたずねてみました。

◎なぜシッダルタ太子は楽しみを捨てて悟りを求めるのか

するとシッダルタ太子は、
「そなたがたには あの激しい無常の嵐が分からないのか。一切は続かないのだ。どんなに今楽しいと思っても、やがて必ず衰え、ほろんでいくのだ。快楽のかげには、無常の響きがこもって不安を感じるではないか。美女の奏でる音楽や歌は、欲をもって人を惑わすのみだ。欲に迷わされているうちに、人生は、夢のように幻のように消えていってしまうのだ。いつまでも若いままでいたいと思っても、若い時はあっという間に過ぎ去って、老いと病と死のためにすべてに裏切られてしまうのだ。そなたがたにはまだ分からないのか!」と一喝されたのです。
お金も財産も、地位や名誉も、目の前にあるときは、意味に満ちあふれているように見えるのですが、やがて老と病と死によって、必ず崩れ去ってしまいます。
せっかく苦労してかき集めても、最後裏切られるときには、苦労の意味がまったく分からなくなってしまいます。
王様の太子として生まれ、勉強も一番、スポーツ万能、欲しい物は何でも手に入り、国一番の美女と結婚して、将来の地位も名誉も約束されていたお釈迦さまも、やがては崩れてしまう儚い幸福では、本当の満足はえられないと知っておられたのです。
キョウチンニョたちも、言われてみれば確かにそうだと深く納得し、城へ帰ると浄飯王に、太子様と共に修行したいと申し出て、共に修行に励むようになっています。

◎仏のさとりを開かれる

そしてお釈迦様は、私たちが想像もできない厳しい修行を6年間なされ35歳の12月8日、ついに仏のさとりを開かれました。
35歳で仏のさとりを開かれたお釈迦様は、80歳でお亡くなりになるまでの45年間、すべての人が、本当の幸せになれる道一つを説き続けていかれました。
これを今日、仏教といわれます。
ですから、仏教を聞けばどんな人でも老いと病と死を超えた絶対変わらない絶対の幸福になることができるのです。







「ブッダ(お釈迦さま)とは?について学ぶ①」

2020-05-28 08:56:04 | 日本

「ブッダ」とは、仏のさとりを開かれた方のことで、お釈迦様のことです。
約2600年前、仏教を開かれ、世界の三大聖人のトップにあげられます。
ブッダは神ではなく、お父さんもお母さんもいる歴史上の人物です。
ブッダは、一体どんな方で、どんなことを教えられたのでしょうか?
ブッダが悟りを開かれるまでにどんなことがあったのかを知れば、ブッダがどんなことを教えられているかが分かります。

◎ブッダの誕生日は4月8日

約2600年前、インドのカピラ城に浄飯王とマーヤー夫人という妃が住んでいました。
2人には長い間子供がなかったのですが、もう子供ができないかと思っていた頃、マーヤー夫人が身ごもられました。
今日同様、マーヤー夫人は出産のため、隣の国の実家に帰ろうとしたところ、ちょうどルンビニー園という花園にさしかかった時、産気を感じ、そこで出産されました。

時あたかも4月8日、ルンビニー園には一面花が咲き誇っていました。
そのため今日でも、お釈迦さまの誕生日、4月8日を「花祭り」といって祝います。
マーヤー夫人は、もう実家へ返る必要がなくなり、カピラ城へと帰ってゆきました。

◎お母さんが亡くなる

ところが、高齢で産後の経過が悪かったのか、1週間後に亡くなってしまいます。
浄飯王は、最愛の妻が亡くなった悲しみもありましたが、もう無理かと思っていた跡取り息子ができたということでは、大喜びでした。
シッダルタ(悉達多)太子と名づけてかわいがりました。
やがてかわいがっているうち、「見れば見るほど賢そうだ。さては将来大物になるに違いない、どんな立派な人物になるのだろう」
当時、国一番の占い師・アシダ仙人を城へ呼び、聞いてみることにしました。

◎アシダ仙人の予言

ところがアシダ仙人は、じーっとシッダルタ太子を見ていたと思うと、やがて涙を流しました。
知り合いに自分の子供を見せたら、急に泣き出したとしたら、何事かと思います。
浄飯王も「このめでたい席で不吉な涙を見せるとは何ごとか。事と次第によっては許さん」激怒して刀に手をかけました。
アシダ仙人は「これはこれは申し訳ございませんでした。
私が見たところ、太子様は一目でただ人ではないと分かりました。
将来は、全世界を支配する伝説の転輪王(てんりんのう)となられるか、無上のさとりを開かれる仏陀となられましょう。
いずれにしろ、二度とこの世に現れないようなお方です。
しかも、どちらかといえば、私には仏陀(ぶつだ)になられるように感じます。
ところが私はもう年ですから、この方が将来無上のさとりを開かれて、真実の教えを説かれるころには、もうおりますまい。
目の前にそんな真実を説かれる方を目の前にしながら、その真実が聞けないなんて、なんと残念なことかと、涙せずにはいられなかったのです」
それを聞いた浄飯王は、「なんだ、そういうことであったか、ならば許そう」と大変満足したのですが、それならぜひとも転輪王になって欲しいと、教育によって何とかしようと思ったのです。

◎ブッダの才能

浄飯王は、シッダルタ太子が幼稚園にもあがらないうちに文武の家庭教師をつけました。
当時国一番の学者であったバッダラニーと、国一番の武芸の達人、センダイダイバーの2人です。
今で言えば、ノーベル賞学者とトップアスリートを家庭教師につけて英才教育を始めたようなものです。

◎バッダラニーの申し出

やがてしばらくすると、バッダラニーが 「どうかやめさせてください」 と王様のところへやってきました。
浄飯王は驚いて
「どうした、何か太子がいたずらでもするのか?
給料が足りないのなら、2倍にしてやる」と言うと、
バッダラニー、「いえいえ、王様、とんでもございません。太子様は、大変まじめに学んでおられますが、一を聞いて十を知り、十を聞いて百を知る大変聡明な方です。最近は何か私の知らないことまで知っておられるようで、太子様の質問に答えられません。
もう私には教えることがありませんから、どうかやめさせてください」と言います。
浄飯王は「まあそれなら仕方ない」とやめることを許したそうです。

◎センダイダイバーの申し出

またあるとき、センダイダイバーがやってきました。
「私もついでにやめさせてください」
「一体どうした?」
浄飯王が尋ねると、
「実は私は、特に弓の達人と言われていますが、そんな私でも、100回射れば1発は外します。ところが、太子様は百発百中すべてど真ん中を射ぬかれる。乗馬をしても、私は息切れしながらやっとやっと乗りこなしますが、太子様はどんな暴れ馬も乗りこなされる。もう教えることは何もありません。どうかやめさせてください」
それを聞いた王様は、「まあそういうことなら仕方がない」とやめさせたそうです。
それ以降、太子は一人で学問に励んだり、武芸の鍛錬をされるようになりました。

◎ブッダの悩みと結婚・子供

ところが成長するにつれ、太子は物思いにふけられるようになりました。
浄飯王は、アシダ仙人が言っていたことを思いだし、心配になってきます。
何度も理由を尋ねるのですが、憂鬱な太子は何を聞いても答えません。
そこで浄飯王「太子もそろそろ年頃だし、きっとお嫁さんが欲しいんだろう。私の時がそうだった」と、妻をめとらせることにしました。
そこでシッダルタ太子は19歳のとき、国一番の美女といわれたヤショダラ姫をお嫁にもらいました。
するとしばらくは明るい太子になったのですが、それも一年間だけでした。
やがて子供が生まれると、太子は「ラーフラ(羅睺羅)」と名づけています。
「ラーフラ」とは「束縛者」という意味です。
子供が生まれると、何とか子供に健康に育ってもらいたいと、自分がやりたかったことを我慢して、お金と時間を使って子供を育てるので、束縛されて苦しみますよ、ということかもしれません。
そして太子はまた、憂鬱な生活に入ってしまいました。

◎毎日遊び暮らす……

浄飯王は、仏のさとりを悟ろうなどという望みをなくさせなければなりません。
一体何を悩んでいるのだろう。金か、おいしい食べ物か。
色々与えてみますが、何を与えても、太子の顔色は晴れません。
太子の悩みは、浄飯王の考えていたことではなかったのですが、 普通、人が欲しいと思うありとあらゆるものを与えて尽くしてしまいます。
そしてついに浄飯王は、季節毎に一番快適に過ごせるように、四季の御殿をつくらせ、500人の美女をはべらせて、太子を明るくしようとしました。
あなたはもし豪邸で、毎日仕事もなく、美味しいものを食べ、ずっと遊んで暮らせるとしたら、うらやましいでしょうか?
太子の悩みはそんなことではなかったので、まったく悩みはなくなりませんでした。
一体太子の悩みは何だったのでしょうか?

◎ブッダの願いとは?

やがてある日、シッダルタ太子は、浄飯王に手をついて、「私をこの城から出させてください」
とお願いに来たのです。
浄飯王は驚いて、「四季の御殿も建ててやったし、五百人の美女もはべらせた。美味しいものを食べて毎日遊ぶだけなのに、一体何が不足でそんなことを言うのか?」
「お父さん、実は私の望みは3つあります。それさえかなえてくれるなら、城を出なくてもかまいません」はじめて、その悩みを打ち明けました。
「1つ目の願いは、いつまでも今の若さで年老いないことです。2つ目の願いは、いつも達者で病気で苦しむことのないことです。3つ目の願いは、死なない身になることです」
それを聞いた浄飯王、「それは、どんな権力をもってしても、どうしようもない。年をとれば、病気になるし、やがては死んでいかねばならない」
「私はそれが悩みなんです。老・病・死、これが解決されなければ、何のために生まれてきたのかわかりません。死ぬために生きているようなものです。これを解決するために、城を出させてください」
太子が言うと、「それはどんな人でもさけられないことなのだから、何とかあきらめて私の後を継いでくれないのか……」と浄飯王は、城を出たいという太子の願いを一旦保留にしたのでした。













「在日朝鮮人の変遷②」

2020-05-27 08:53:14 | 日本

◎在日朝鮮人マネーの封じ込め

世界の金融は、特に地下金融は、在日朝鮮人マネーの封じ込めに動き始めた。そのため、2005~6年にかけて多くのことが起こった。

①ホリエモン事件、西武鉄道事件、サラ金の過払い金判決、オームのサリン事件、創価学会とつながりの深い武闘派の山口組系後藤組の追放、経済事件など。
②2006年より日本国内の高額所得者上位発表がされなくなった。(上位8割方が朝鮮系の人々)
③菅直人総理より、李明博韓国大統領に、民団の所有する名簿、在日朝鮮人と背乗り朝鮮人の全データーが提供された。


◎在日朝鮮人への恐れるマイナンバー制度

2019年1月1日にマイナンバーが施行され、日韓合同の徴税が可能となり、戦後の朝鮮人、台湾人からの不動産の強奪が表に出されようとしている。
戦後に登記された朝鮮人名とその後に通名で登記された日本人名との関係は?戦前からの所有者の権利はどうなるのか?

マイナンバー制度が施行されて、どんどんその効果が表面化しつつある。大阪地区では、生活保護の二重三重受給ができなくなってきている。
金融機関でも、今、すべての口座を洗い、マイナンバーの提供を受けている真っ最中である。もうしばらくするとマイナンバーがない口座は、出金停止になる。
不動産の世界でも、地上げ等の資金は在日朝鮮人が提供されていると言われていたが、全ての資金が引き上げられて、2~3年前から地上げ中の虫食い状態の不動産でも投げ売りされていると言われている。不動産売買においてもマイナンバー制度が施行されれば、買主、売主、共にマイナンバー提示が要求される。


◎在日朝鮮人の脅威、日本行政の追い込み

この10年の国際的な取り決めだけではなく、日本国内だけでも行政は着々と手を打っている。
①サラ金の過払い金問題で、解体された。
②新暴対法で、暴力団が全て金融活動を禁止された。
③韓国では、韓国外に住む韓国人は金融資産を全て報告する義務が課せられた。
④税金の徴収は日韓両国で別々に行っていたが、そのれを改めて、日韓両国の税務署が、合同して、徴収活動をする協定が出来た。
⑤マイナンバー制度が実施され、通名での財産運用が実質的に不可能になった。

日本に膨大な財産を持っているロッテ一族も警察、税務署に精査されている。これを終われば、ソフトバンクの孫正義や創価学会の池田大作の財産に、日米韓の税務署と検察等の合同調査が始まるだろう。来るべくXデーに備えている。


◎在日朝鮮人が恐れる兵役の義務

事情徴収に素直でない3世以上の在日朝鮮人には「兵役の義務があるが、韓国政府に敵対的な人間は、真っ先に徴兵をかけて38度線の一番前に並べる」と脅せば、呼び出された在日朝鮮人で、全てを答えない者はいないとのことである。
3世以上の在日朝鮮人の場合には兵役の義務が生涯ついてまわる。帰化の手続きを取っているとしても、正式に手続きが完了するには、兵役の義務を果たすのが条件ではないのか。また、日本国政府が帰化を認めたとしても、当然、韓国政府にも国籍の離脱を認めてもらう必要があるが、それは容易なことではない。


◎各界に変遷してきた在日朝鮮人

①国会・地方議員 ⇒ 共産党→社会党→民主党→立憲民主党へ
②労働組合 ⇒ 総評→連合へ
③教育界 ⇒ 日教組へ
④学生運動 ⇒ 全学連→革マル→全共闘等々へ
⑤団体 ⇒似非団体
⑥宗教界 ⇒ 池田大作を軸とする創価学会の各組織へ
⑦やくざ組織、反社会勢力 
⑧芸能界・マスコミ界
⑨その他

現在、在日朝鮮人の数は数百万人とも言われているが、すでに各界の主要カ所へ多数潜入している。
これらは全て「同じムジナ」在日朝鮮人である。


◎日韓問題を解決するには、

韓国が成り立つように、日本は協力を惜しんではならない、
具体的には、
①若者の徴兵のがれに協力しないこと。
②韓国の金持ち階級が、日本国での通名で財産を持てないようにすること。

それを国家として協力できなければ、何をしてもダメである。日本国と韓国の共倒れの運命が待っている。



<了>






「在日朝鮮人の変遷①」

2020-05-26 08:49:04 | 日本

某氏より、「在日朝鮮人の変遷」についての報告書が来た。
参考にされたい。
以下、要約しきす。



1945年8月、敗戦直後から、在日朝鮮人の間で、在日団体が自然発生的に各地に作られた。そしてGHQの下に、それらをまとめて、1945年10月15日に、今の民団、総連の母体である在日本朝鮮連盟が作られた。そして全国に下部組織が形成されていった。朝鮮維持軍とか戦勝国民軍と自称した。彼らは日本軍が本土決戦用に準備していた武器庫を襲い、武器弾薬を略奪した。また、日常品や食料を強奪して、駅前のフリーマーケット(闇市)で売りさばいた。
朝鮮人には、戦勝国民の地位が認められていたため、婦女暴行、殺人、強盗などしても、アメリカ軍政下においては、日本の警察等は取り締まることが出来なかった。とにかく、朝鮮人は武装している。日本の警察は銃器の携帯も出来ず、丸腰だった。多くの警察官が殺された。
当初はGHQ内部に日本弱体化計画もあり、朝鮮人の暴動、殺人、強盗、強姦は放置されていたが、それでも暴動が手におえない場合は、GHQのMP憲兵が出動し、日本の警察と合同で銃撃戦を展開し暴徒を逮捕して暴動を抑え込んだ。


◎在日朝鮮人、第一波、第二波、

在日朝鮮人の第一波は、1945年終戦後の混乱期に、旧日本軍の武器庫を襲撃して、大量の武器を確保し、強盗、殺人、駅前等の不動産の不法占拠等を手に入れ、現金も確保して、とんでもない資産階級になった連中である。

第二波は、1950年に始まった朝鮮動乱。その時に日本に逃げ込んできた数百万人(500万人とも600万人とも言われている)の朝鮮人戦争難民である。動乱が終わった段階で、まともな朝鮮人は南北朝鮮に帰国しているが、韓国の李承晩が受け取り拒否をしたのは、旧ヤンパン(奴隷階層)の者たちである。彼らは、朝鮮半島に帰国するでもなく、日本政府が帰国させようとしても韓国政府に拒絶された人々である。彼らは第一波と同じ奴隷仲間でありながら、特権階級化した第一波の下におかれた。だが、第一波の朝鮮人が悪逆非道にふるまったため、日本人社会では、朝鮮人に対して徹底的な嫌悪感を生み出した。そのため、第二波の朝鮮人は、朝鮮人であることを隠して生きていくことになっていく。


◎在日特権

1945年終戦後に日本にいた朝鮮人たちが各地で暴れた事件は多数ある。その中で、同年末に起きた朝鮮人による神戸市長田区役所襲撃事件は、朝鮮人に在日特権を許してしまった元となる大きな事件であった。そしてついに1952年に「生活保護と住民税、所得税の免除」を認めてしまった。


◎日韓基本条約(1965年)での在日朝鮮人とは、

在日朝鮮人3世以降は、日韓条約により日本国の永住者ではない。よって在日3世以降の者は帰国することになっている。特定措置として、日本に在住資格がある在日朝鮮人は、1世と2世だけである。


◎「なりすまし日本人」が持っている、エタ特権とは、

戦後及び朝鮮動乱時に、日本に密航でやって来た第二派の朝鮮人は、各地にあるエタ・に入り込み、非合法に日本国籍を取得していった。
彼らは、なりすましているので、朝鮮人特権がない。そこで民と自ら称して、「我々は、民だから差別されている。だから優遇すべきだと主張した。(被差別問題)の同和問題解決の一つとして1969年、大阪国税局長の高木文雄に17項目の事項を認めさせた。
内容は、朝鮮総連に対して認めた「5か条のご誓文」とほぼ同じである。
これらの内容は、1969年の解放新聞の大阪版にも掲載されている。
この解放同盟は、山口組系暴力団の一部組織を構成するほど、その繋がりは深い。


◎在日企業優遇税制「五か条のご誓文」

1976年10月、社会党の高沢寅男により、国税庁と朝鮮人商工会との間で税金の取扱いが決められた。(別冊宝島「ザ・在在日特権より」)

①在日企業のすべての税金問題は、朝鮮人商工会を協議の窓口とし解決する。
②朝鮮人商工会の会費は損金(必要経費)として認める。
③学校運営の負担金に対しては前向きに解決する。
④経済活動のための第三国の費用は損金として認める。
⑤裁判中の諸案件は朝鮮人商工会と協議し解決。

これにより在日企業には個別税務調査ができなくなり、脱税し放題になった。具体的な手口は、在日企業が売り上げを朝鮮人商工会に会費として納める。それが損金とみなされ在日企業は利益がゼロとなる。利益がゼロなので法人所得税がかからず、法人住民税や社員の保険料も安くなる。その後、朝鮮人商工会から在日企業に全額返還される。結果、売り上げが無税となる。


◎現在までに確認されている在日南北朝鮮人の特権は、

①公文書への通名使用
②日本への永住資格
③犯罪防止指紋押捺禁止
④所得税、相続税、資産税などへの優遇措置
⑤生活保護への優遇
⑥永住資格者の優先的帰化
⑦朝鮮学校の大学検定免除
⑧外国籍のまま日本公務員への就職
⑨公務員就職の一般職制限撤廃
⑩大学センター試験への朝鮮語の導入
⑪朝鮮大学校卒業者の日本の司法一次試験免除
⑫朝鮮大学校卒業者の無審査での公・私立高校受験資格
⑬掛け金が無くても年金受給可能

◎現在特権申請中のものは

①在日朝鮮人への地方参政権
②公務員就職での管理職制限撤廃

◎生活保護世帯(大都市に住む夫婦子供2人の家族の場合は)

①生活費一か月に15万円
②母子家庭なら追加で2万3000円
③教育費として7000円
④住宅費として上限5万円
以上、23万円は毎月返済不要の生活保護費

この他の特権は、
⑤医療費は保険内なら無料
⑥病院通院費は必要と認められたならば全額支給
⑦上下水道代お基本料金なし
⑧NHKは無料
⑨都営交通などの無料券の支給を受けられる
⑩国民年金の支払いの全額免除
⑪JR定期券の割引
⑫掛け金無しで年金受給
⑬公営住宅への優先入居

推定で年間約600万円が支払われている。
在日朝鮮人約64万人の内、46万人が無職。
年間1兆円以上の日本国民の税金が南北朝鮮人に使われている。












「これがプロの練習です」

2020-05-25 09:07:17 | 日本

関谷文哉さんが、忘れられぬイチローの言葉について語っている。
参考にしたい。

あの衝撃、あの言葉は忘れられない。2008年2月、記者がまだ11歳の頃に一度だけイチロー(当時マリナーズ)の練習をオリックスの本拠地・スカイマークスタジアム(現ほっともっとフィールド神戸)で見学したことがあった。

機会は突然訪れた。メジャーのスプリング・キャンプを控え、渡米を控えた前日、国内で最後の自主トレに励んでいた。野球少年やファンらが一目見ようと球場に足を運んだが、練習は通常非公開。練習は見られないだろう…と諦めかけていた時に関係者が告げる。  「イチロー選手がファンの皆さんに練習を見ていいですよと言っています。どうぞ球場にお入りください」  「フン」という声を出しながら、フリー打撃を行うイチローの姿があった。2004年にメジャーリーグ新記録の262安打をマークしたというイメージが強かっただけに、ヒットメーカーの印象があったが、右翼方向へ何球も柵越えを連発。思わず目を奪われた。  ある野球少年が「ホームランばっかり」とつぶやき、その発言を拾ったイチローが「あの~、ホームランは狙ったら打てるんだよね」とニヤリ。打者・イチローのイメージが大きく変わっていく。  ファンの前であいさつしたイチローが言い切った言葉も忘れられない。
「これがプロの練習です」  

卓越した技術、センスから裏打ちされた自信のようなものだろうか。きわめてシンプルな表現だが、イチローが発する言葉の重さを感じた瞬間でもあった。
 
その後も第2回WBC決勝・韓国戦の決勝打や日米通算4000安打などの活躍を、テレビを通して見てきたが、この打席は本塁打を狙って打ったのではないかと今でも思い浮かべるシーンがある。  

2013年6月25日。ヤンキースに所属するイチローがレンジャーズと対戦した試合だ。3-3の九回1死一塁で打席に入ったが、一走が初球に二盗を仕掛け、失敗し2アウトに。カウント1-2からの4球目、シェパーズの156キロツーシームを一閃。完璧に捉えた打球は右翼席に突き刺さり、サヨナラ本塁打となった。  

「『もらった!』なんて(気持ちは)ないよ。ないないない。目をつぶって打ってはないけど、そういう感じに近い。もう思い切り、来た球をガーンっていう全然深みのない打席。ただ来た球を振ったら行った」  翌日のデイリースポーツに掲載されたイチローのコメントだ。「狙って打った」という直接的な表現こそはないが、フルスイングすることだけを決めた中で一発で仕留められる技術の高さは、まさにプロの技に違いない。  
12年前にその姿を目の当たりにし、メジャーリーガー・イチローを取材する機会が訪れればと夢を抱いてきたが、昨年3月に現役を引退。現在は草野球チーム「KOBE CHIBEN」を率いる。















「認知症予防、重要事項を7項目」

2020-05-24 08:09:31 | 日本

「認知症予防、重要事項を7項目」
元近畿大学社会学講師 小野田 隆さんより


1、深呼吸で 有酸素運動、海馬に酸素を送る深呼吸です。呼吸こそ生命の根源です。深く、ゆっくりと強く、丁寧に呼吸しましょう。
2、マインドフルネス(無想)とは食べる瞑想、歩く瞑想で無想になる事でしたね。体の中でも特に脳が軽快になりましたか?
3、後頭部緩め指圧後頭部を柔らかくマッサージすることで、血流をよくする。左脳と右脳に行く血管を緩めて血流をよくします。肩こりの解消も血管の柔らげが重要です。髪の後頭部の生え際を、親指で指圧してください。頭の中心に向けて指圧してね。三秒ずつ1センチ刻みに、後頭部をまんべんなく指圧してください。鍼ボーイ(ハリボーイ)などを使用すると効果上がります。
4、踵落とし踵落としをして、脳に酸素を送る。足は第二の心臓です。踵落としを数回することで、骨も再度強化されてホルモンバランスもとれます。一日数回を7回はして下さい。

5、クンバハッカ運動とは肛門絞め運動です。5秒間、いつでも肛門絞めをしましょう。クンバハッカと言いながら肛門を絞めます。ヒンズー語でクンバハッカは肛門を絞めようということです。無声でクンバハッカと言いながらしましょう。排泄器官が丈夫になり、健康にいいです。中村天風流も効果があります。

6、一笑一若とは一度笑うと一日若返ることです。何度も笑って若返りましょう。面白いから笑うのですが、面白くなくても笑う事ができればしめたものです。朝起きたら一人では「ほほ、ははは」と笑います。寝床でおかしいことを思い出して「ホホハハハ、ホホハハハ」鏡に向かって「ハンサムおはよう!」「ベッピンさんおはよう」と言って、ジーと自分を見つめてください3秒間でいいです。そしてホホハハハと笑ってください。若くなります。楽しくなります。昼は昼食だと言って笑って下さい。

7、あいうえお体操です。アー両手を上に上げる イー両手でいの形を作る ウー自分を両手で抱く、自分を大切に抱きしめる エー片手を頭上にし、片手を背中にまわす オー頭上でОオウの形を作ってOKです。三回繰り返します。両手を動かすことで肩甲骨周りも緩んできます。肩こり解消です。何回もしましょう。

以上の重大7事項体操が、認知症予防体操です。













「坂本龍馬の逸話」

2020-05-23 11:21:51 | 日本

坂本龍馬には、こんな逸話が残っています。
       
         
当時、土佐藩では長刀が流行していましたが、龍馬は短刀。
    
「なぜ短刀なのか?」と友人が聞くと、
「実戦では短い刀のほうが取り回しがよいから」と龍馬は答えました。
     
友人はさっそく短刀を差し、龍馬に会いに行くと、彼は懐から拳銃を出し、
「銃の前には刀なんて役に立たない」と言いました。
    
納得した友人は拳銃を買い求め、再び彼に会ったところ、龍馬は何と言ったか?
万国公法(国際法)の洋書を取り出し「これからは世界を知らなければならない」
      
龍馬はまず土佐藩藩士をやめ、自分を縛っていたものから脱け出しました。
そして、日本初の株式会社となる亀山社中・海援隊を結成し、貿易をはじめます。
       
「鎖国」という枠の中で暮らしていた時代に、龍馬は自由の身になり、異国の智恵を取り入れたのです。
     
龍馬は視野が違った。
見えている風景が圧倒的に違ったのです。
       
だから世の中の流れが見えた。
流れが見えた人だけが革命を起こせます。
         
さて、古い自分を倒すためにはどうするか?
それは「出会う」ことです。
         
「こんなふうに生きている人がいるのだ」
「こんな考えがあるのだ」
と、自分の常識を蹴飛ばしてくれる異邦人と出会うことです。
それが自分維新の鍵を握っています。

異邦人は教えてくれます。
自分はこんなに狭い価値観に縛られていたのかと。
そこに気づくこと。
いつだって、革命はそこからはじまります。
        
「命」を「革(あらた)にする」と書いて「革命」です。







「奇跡のリンゴ」

2020-05-22 09:50:27 | 日本

「奇跡のリンゴ」

(柳田邦男、新潮社より)


気づきの原点は幼き日の感性

宿泊先のホテルで、執筆の途中でコーヒータイムにしようと、何気なくテレビをつけたら、津軽地方の孤峰岩木山の美しい姿が映っていた。弘前には何度か訪れているし、アップルロードをドライブしたこともある。岩木山や盛岡の岩手山は懐かしく感じるほど目に焼きついている好きな山だ。

何の番組かなと思って見ていると、りんご農家の主人らしい人がアップになった。いかにも何十年も農作業をしてきたことをうかがわせる深いしわを刻んだ日焼けした顔。笑顔がすごくいい。りんごの木の枝に下がる大きな実の一つを握ると、「いいねぇ、ありがとう、ありがとう」と、りんごに感謝している。大きなりんごの玉は透明感のある赤にややオレンジがかったピンクの斑(ふ)が入った感じで、秋の日射しの中で光っている。

汗を流し丹精をこめて育てたりんごに、「ありがとう、ありがとう」と、感謝の言葉をかける表情によそよそしいところはない。自然にその言葉が出て来てしまうという感じだった。私は思わず引き込まれて、番組を最後まで見てしまった。

番組は毎週火曜日の夜に放送している「プロフェッショナル 仕事の流儀」というシリーズもので、個性的な仕事をしている人物を取り上げて、仕事をしている現場のドキュメンタリーな映像とその人物をスタジオに招いて話を聞く部分とで構成されている。その日は、弘前市で農薬も化学肥料も使わない自然農法によってりんごを育てることに独力で成功した木村秋則(あきのり)さん(57歳)の苦難に満ちた30年をたどり、その農法の神髄を探るという内容で、タイトルは『りんごは愛で育てる』だった。

最近は忙しいのでほとんどテレビを見ないのだが、その夜は思いがけず最後まで見てしまい、最近にない感動を味わった。

木村さんがりんごの自然農法に挑んだのは、30年前、まだ27歳の若い頃だった。夫婦で8百本もりんごの木を育てていた。りんごの木は病虫害にやられやすいので、農薬を噴霧車を使って撒布していたが、霧状になった農薬は自分にもかかってくるので、夫婦とも薬害のひどい皮膚炎に苦しんだ。

こんなことをしていたら命にかかわると思った木村さんは、自然農法の本を頼りに、農薬も化学肥料も使わないでりんごを栽培することを始めたのだ。ところが、みごとに失敗。害虫にやられたうえに病気で無残に葉が枯れてしまったのだ。2年目も3年目も失敗。3人の娘をかかえて、経済的に困窮し、まともな食事もできなくなっていた。周囲からはあざ笑う声も聞こえてきた。

5年目、木村さんは死のうと思って、岩木山に入った。森の中を進むうちに、不思議なものを見た。りんごの木が一本、葉を虫にも病気にもやられずに立っていたのだ。こういうのを「意味のある偶然」と言う。懸命に何かを求めているとまるで待っていてくれたかのように、啓示をもたらすものに奇跡的に出逢うのだ。それはりんごの木ではなかったことが後でわかるのだが、その時はなぜだと思って、周囲の土壌を調べてみた。土壌は手で掘れるくらい柔らかく、空洞になっているところもあり、雑草も木も根が実によく張っている。木を支えるのは、根だ。りんご畑の土壌は重量のある大型噴霧車の車輪で踏み固められている。雑草もない。それではりんごの木は本来の生命力を奪われているに違いない。そうだったのか。一筋の光明が見えた。

まともな弁当も持たせることのできなかった娘たちも、途中でやめたら、自分たちは何のために我慢してきたの、と言って、父親の背中を押した。















「舐(な)められる」

2020-05-20 05:59:31 | 日本

「舐(な)められる」

(谷沢永一、新潮社より)

人間の集団では誰もがたがいに敵意を抱いて拮抗(きっこう)している。どんなに親密な間柄であっても、心の奥底にはかすかながらも敵愾心(てきがいしん)が潜んでいるものだ。親友交換なるものは人間の本性である対抗心をいつも柔げるよう努めている心労(しんど)い気働きの成果である。いわんや普通の人間関係では誰もが他人を快からず思っている。だからうっかり油断していようものなら何時何時(いつなんどき)どこから攻めこまれるか判(わか)らない。相手がこちらを貶(おと)しめるために何か仕掛けてくる場合は、相手が切りこみに成功すると自身を持っているからであり、それは自分が平素から舐められているゆえんである。諍(いさか)いが起こるのは相手が好戦的であるからだけではない。自分に隙(すき)があって蔑(さげす)まれて見下されているので、知らぬ間に相手の攻撃心を育(はぐく)み助長したのである。国家と国家の間の戦争の場合でも、相手に勝てると思わせた弱い国の方に本当の落度がある。

だから人間たる者の義務と責任は、誰にも舐められないよう毅然(きぜん)として身を処する平素の心構えである。そのためには本職に精を出して気を張りつめていなければならぬ。為(な)すべき本筋の仕事に打ちこんでいる者を人は絶対に軽蔑(けいべつ)しない。それほど絢爛(けんらん)たる業績を挙げていなくとも、着実に細心に努めている精励を周囲の者はいちおう認める。相対的に無能な者が無能なるがゆえに見放されるのではない。無能者の勤勉はこれまたひとつの取り柄であり好もしい風景である。無能な者が己れの無能に居直って拗(す)ねて斜交(はすか)いになって、不平を喚(わめ)きちらして故(ゆえ)なく誰彼(たれかれ)を謗(そし)り人の邪魔になるとき遂(つい)に弾(はじ)きだされるのである。














「安岡正篤 珠玉の言葉」

2020-05-19 05:55:20 | 日本

「安岡正篤 珠玉の言葉」
(神渡良平、講談社より)

安岡正篤はその勉強会に来ていた財界人が経済団体や政府の諮問委員会の長に就任したとき、よく色紙に揮毫(きごう)して贈った言葉に、明の崔後渠(さいこうきょ)の「六然訓(りくぜんくん)」がある。安岡自身が、「私はこの『六然訓』を知って以来、少しでもそういう境地に身心を置きたいものと考えて、それとなく心がけてきた。実によい言葉で、まことに平明、しかもわれわれの日常生活に即して活きている」と述べている。

日常生活では忘れられているようだが、何か事があったとき思い出し、「ああ、そうだ。今が肝心なんだな」と心構えを新たにする。安岡は「寸言こそは人を感奮興起(かんぷんこうき)させる」と言うが、六然訓などはその最たるものである。

  自處超然  じしょちょうぜん
  處人藹然  しょじんあいぜん
  有事斬然  ゆうじざんぜん
  無事澄然  ぶじちょうぜん
  得意澹然  とくいたんぜん
  失意泰然  しついたいぜん


一 自ら処すること、超然
自分自身に関しては、一向にものに囚(とら)われず、恬淡(てんたん)としている。人はよく見ているもので、モノに執着している人は人が離れていく。他人の行状は自分を振り返ってみる格好の物差しである。

二 人に接すること、藹然
藹(あい)とは草木が盛んに繁るさまをいうので、處人藹然とは、人に接するときは、相手の気持ちが和らぎ、穏やかになるように心がける。

幕末の儒者・佐藤一斎も『言志四録(げんししろく)』で私たちを諭(さと)して言う。

「春風(しゅんぷう)を以て人に接し、秋霜(しゅうそう)を以て自らを粛(つつし)む」

三 有事の時には斬然
いったん事が起きればグズグズしないで、束ねたものをマサカリで斬るように、一気呵成(かせい)にやる。

四 無事の時には澄然
事がない場合には、静かな湖面のように澄み切っている。私利私欲がないから心が澄んでいる。澄んでいるから融通無碍(ゆうずうむげ)に動くことができるのだ。

五 得意の時には澹然
澹というのは水がゆったりと揺れ動くさまをいう。従って、得意絶頂のときこそ、逆に静かであっさりしていることが緊要だ。そうすると足をすくわれることがない。

明の洪自誠(こうじせい)の手になる『菜根譚(さいこんたん)』にも同じ趣旨の言葉がある。

「成功、常に辛苦(しんく)の日にアリ。敗事、多く得意の時に因(よ)る」

得意絶頂のときに、敗れ去る原因を作っていたのだ。

六 失意の時には泰然
失意の時にはうろたえ、呆然となるのが人間の常だが、だからこそ逆に泰然と構え、大所高所から眺めてみる。するとそれまでは見えていなかったことに気づき、死地を脱することができる。そこで意気消沈したらおしまいだ。











「気高い強さ」

2020-05-18 07:21:10 | 日本

(中村天風、PHP文庫より)

どんな文豪のつくった小説でも戯曲でも、すぐれた人というのは滅多に中心人物に出てこないだろう。もしも中心人物にすぐれた人が出てくりゃ、小説や戯曲があまりに平和すぎて、事件がなくなっちまうわ。涙にむせんだり、血を流したりするようなことがなくなるよ。だから、小説家は、なるべくひん曲がった人間を主人公にして、テーマを豊富につくりあげることが秘訣だと思ってる。

そこで、さあ、すぐれし人、言い換えると、いわゆる昔の人が言った、すべての真理を知ってる聖賢(せいけん=聖人と賢人)の周囲には、不運というものは絶対にこないんだ。こないというより、むしろ発生しない。

そこで知らなきゃならないのは、この聖賢というのはどういう人なんだろう。それは、心がただ単に積極的であるばかりでなく、本当の心の強さのなかに「気高さ」をもってる人のことなんだよ。

はてな、心のなかの気高い強さというのはどういうんだろうと思うだろう。それは結局要するに、卑屈にやせ我慢で強さをつくろうとするのでなくて、淡々として、少しも気張らずに強くなり得ているのを、気高い強さという。














「外からの支配」よりは内からの支配を」

2020-05-16 06:20:03 | 日本

「外からの支配」よりは内からの支配を」
(サミュエル・スマイルズ、三笠書房より)


政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎない。どんなに高い理想を掲げても、国民がそれについていけなければ、政治は国民のレベルまで引き下げられる。逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でも、いつしか国民のレベルにまで、引き上げられる。つまり、国民全体の質がその国の政治の質を決定するのだ。これは、水が低きに流れるのと同じくらい当然の論理である。

立派な国民がいれば政治も立派なものになり、国民が無知と腐敗から抜け出せなければ劣悪な政治が幅をきかせる。国家の価値や力は国の制度ではなく、国民の質によって決定されるのである。

われわれ一人ひとりが勤勉に働き、活力と正直な心を失わない限り、社会は進歩する。反対に、怠惰とエゴイズム、悪徳が国民の間にはびこれば、社会は荒廃する。

われわれが「社会悪」と呼びならわしているものの大部分は、実はわれわれ自身の堕落した生活から生じる。だから、いくら法律の力を借りてこの社会悪を根絶しようとしても、それはまた別な形をとって現われ、はびこっていくにちがいない。国民一人ひとりの生活の状態や質が抜本的に改善されて初めて、このような社会悪はなくなる。

また、法律を変え、制度を手直ししたからといって、高い愛国心や博愛精神が養えるわけでもない。むしろ、国民が自発的に自分自身を高めていけるよう援助し、励ましていくほうが、はるかに効果は大きい。

これまで述べた通り、すべては人間が自らをどう支配するかにかかっている。それに比べれば、その人が外部からどう支配されるかという点は、さほど重要な問題ではない。

たとえば、暴君に統治された国民は確かに不幸である。だが、自分自身に対する無知やエゴイズムや悪徳のとりこになった人間のほうが、はるかに奴隷に近い。

奴隷のような心を持った国民は、単に国のリーダーや制度を変えただけでは囚(とら)われの身から解放されはしない。

政治の力だけで国民を救えるというのは実に危険な幻想なのだが、このような考えはいつの時代にもはびこりやすい。しかも、多大な犠牲を払って国の変革が成し遂げられようと、国民の心が変らなければ、その変革はほとんど功を奏さないだろう。

人間が無知やエゴイズムや悪徳の束縛から逃れられるかどうかは、ひとえにその人間の人格にかかっている。そして国民一人ひとりの人格の向上こそが、社会の安全と国の進歩の確たる保障となるのだ。

ジョン・スチュワート・ミルは、その点をしっかりと見抜いている。彼はこう語った。

「人は専制支配化に置かれようとも、個性が生きつづける限り、最悪の事態に陥ることはない。逆に個性を押しつぶしてしまうような政治は、それがいかなる名前で呼ばれようとも、まさしく専制支配にほかならない」











「安定打坐法は正当なる思慮と断定とを生み出す」

2020-05-15 09:15:04 | 日本

絶対的密法であるから其心して践行に努力すべし

われらの天風会が、的確にかつ急速に心身の改造を現実にするべく、われらの人生教養とする心身統一法の要点をきわめて短時日の間に会得させることを目的として、毎年夏期に本部および各支部において必ず開催する夏期修練会の必須的行修課目として、参加会員一同に実修践行させる安定打坐法(あんじょうだざほう=別名天風式坐禅法)が、この箴言表示の通り、正当なる思慮と断定とを生み出す絶対的な密法であることは、一度でも修練会に参加した会員は一様に、きわめて現実に、しかも簡単にその妙諦を味得して充分にその真価を認識され、修練会で収受された各種の貴重な価値高い効果ある方法の中でも、真理瞑想行から享受する真悟の妙諦と、この安定打坐法の実際効果が、特に特に出色した顕著なものがあると心から礼賛されるのは、毎度修練会の納会の際のいい合わしたような感謝の辞で感得される尊い事実である。

したがってこの理由は、安定打坐法という密法が即座に妄想念を制御静止して立ちどころに心鏡を払拭することによって、世人の多くが容易にできがたいと思い込んでいる無念無想=最高心境=三昧境(さんまいきょう)=Samadhiにきわめて簡単容易に到入することができるからである。

いいかえれば、われわれの心境が無念無想という最高心境に到入すると、科学的にいえば宇宙創造の根本要素=PC・H(プランク常数H)と人間の生命とが融合一体化するからで、これをさらに哲学的に表現すれば、神人冥合(しんじんめいごう)の現実化が具顕して、神=大自然のもつ叡智(えいち)が無条件にその心の中に流入するからである。すなわちかのヘーゲルのいった、宇宙に偏在する妥当性という目に視えない、しかも絶対的に貴重なる実在と、完全に心が合一状態になるがためである(このことに関してのもっと詳しい学術的説明は、修練会に参加した人々に領布した『安定打坐考妙』という天風の著書をもう一度熟読して思い起こすがよい)。

ところが安定打坐密法が顕著な現実的効果のあることを修練会で知得した人の中で、修練会が終わった後も、修練会期に実行したときのような情熱を燃やして常にこれを励行し、人生に甚大な効果と幸福を実際的に享受している人ももちろん多数おられるが、ときにたまたまこれを心ならずも怠るともなく怠る人がいるのをわずかな数であるが見聞することがある。

天風が新箴言の第九項にこの箴言を作為したのも、やはりそうした遺憾な人がときどきいるためにほかならない。

要するに、その種の人々は、宝の山に入りながら手を空しくして帰る人と同様だといってよいと思う。

であるから、万一この記述を読んで、ハッと自己の心に強い反省を感じることがあったら、その刹那(せつな)から初心に還ったつもりになって、あらためて情熱をかきたてて践行に努力されるがよい。

現に往年、禅家の名僧で活き仏とまでいわれた一代の善知識、石川素童(いしかわそどう)師が、東郷元帥や杉浦重剛(すぎうらじゅうごう)先輩等とともども、初期時代の修練会に参加され、この密法を践行された際、感慨深くいわれた言葉を特に皆さんの行修に対する貴重な拠(よ)りどころとして書き添えることとする。

禅師はこういわれた。「こんな訳なく接心のできる近道のあることも知らず、何と何と、永い永い間、深山幽谷(しんざんゆうこく)の中や険しい山坂を苦しい思いをして歩いていたと同じ苦行で行修して、さてさて接心把握の至難のことよとつくづく坐禅行の味得徹底の難しさを痛感していたものであった。“どの道を行くも一つの花野かな”ではあるが……しかしこのたびこの優れた真理を授かりしこと、何ともいえぬ仏恩でした……しかしこの密法は、一般の苦行僧には、容易に授戒(じゅかい)すべきでないと思うというのは、こんな安易な方法で簡単に接心せしめると、宗教の真諦(しんてい)を往々蔑ろにする者ができるおそれがあるゆえ云々(うんぬん)」と。

たしかに禅師のこの言葉はそれが僧門の人であろうと、普通の人間であろうと、まことに貴重な反省を与えられた誡語であると思う。要は私が常々口ぐせのようにいっている“lightly come, lightly gone.”(得やすければ失いやすし)を厳戒された一大偈辞(げじ)だからである。

多くいうまでもなく、反省は価値ある更生への動機となる。

なお、厳かに内省検討してみよう!

今自分は、日々の人生生活の際、しばしば与えられるであろう「接心」(無念無想への一貫道程)への貴重な機会を、安定打坐の践行をおろそかにすることによってあたら逃していやしないか……それがあまりにも安易な方法であるだけに……。

そして万一そうであったならば、もっともっと生命存在の瞬間瞬間を重大視して、常によりもっと活きがいのある人生を作為することに心を真剣にふり向けることに心から努力しようと厳かに反省するがよい。古歌に、

「今いまと今という間に今ぞなく、今という間に今ぞ過ぎ行く」

というのがある。

まことに虔(つつまし)やかに心すべきことである。

























「真の日本と保守とは何か?②」

2020-05-14 09:18:05 | 日本

さて、昨年春、先帝は譲位され新帝が践祚された。

そして、昨年晩秋、新帝は大嘗祭に臨まれた。
大嘗祭は皇居の中に大嘗宮の悠紀殿と主基殿を建て、そこに天皇がお一人で夜に籠もられる。誰も同席することはできない。
天皇はそこで、天照大御神の食されるお膳を自ら作られ、御自分のお膳も作られ、天照大御神と共に食事をされる。
そして、徳島県吉野川上流域の畑で大嘗祭が執り行われる時のみ栽培される大麻で編んだ麁服(あらたえ)という織物を身体に巻いて、天照大御神と同じ床で明け方までおやすみになる。
その時、天照大御神が降りてこられ天皇と一体になられる。
即ち、天皇は「現人神」になられる。
これが宮中祭祀のなかで最重要な儀式である大嘗祭だ。
よって、ここに、万世一系の意味が明らかになる。
これは、天壌無窮の神勅を下した天照大御神が初代の神武天皇から百二十六代の今上陛下まで生き通しているということだ。

次に、大嘗祭の後の令和二年の元旦、皇居で四方拝が行われた。
この四方拝も宮中祭祀の最重要の儀式である。
それ故、昭和天皇は、昭和二十年一月一日午前五時、都内の各所から空襲警報が鳴り響き、
皇居内の高射砲陣地からサーチライトの光が空を照射するなかでも四方拝をされた。
四方拝は、元旦、寅の刻(午前四時ころ)から黄櫖染御袍(こうろぜんごほう)に身を包まれた天皇が、宮中三殿の神嘉殿の南側に設けられた建物にお一人で入られて行われる。
これは、遙か昔からの皇祖相伝の儀式(秘儀)であり、侍従も見ることはできない(藤田尚徳著「侍従長の回想」)。

天皇は、伊勢の皇大神宮、豊受大神宮の両宮に向かって礼拝された後、四方の諸神を拝し、そして、呪文を唱えられる。
その呪文は、「総ての災厄などの悪いものは、皆、ことごとく我が身を通れ、我はそれを浄化したい」という決意を表明した呪文である。
この呪文は、天皇御自身でなければ唱えられず、御代拝は認められない。
呪文は、次の通りと教えられている。

呪文
賊冠之中過度我身(ぞくかん しちゅう かどがしん)
毒魔之中過度我身(どくま しちゅう かどがしん)
毒気之中過度我身(どくき しちゅう かどがしん)
毀厄之中過度我身(きやく しちゅう かどがしん)
五急六害之中過度我身(ごきゅうろくがい しちゅう かどがしん)
五兵六舌之中過度我身(ごきゅうろくぜつ しちゅう かどがしん)
厭魅之中過度我身(えんみ しちゅう かどがしん)
萬病除癒(まんびょうじょゆ)
所欲随心(しょよくずいしん)
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)

我が国は、すべての悪いものは、皆、我が身を通れ(過度我身)、我がそれを浄化したいと願う
天皇を戴く家族の国なのだ。
とはいえ、諸兄姉、早朝の暗闇の中で、一人、この世の総ての悪いことは皆自分の中を通れと唱えられますか。
身の毛がよだつではないか。
自分が生んだ幼児の為なら、母はそれをすると思うが、天皇は、全国民の為に、総ての悪いことは、皆我が身を通れ、我がそれを浄化すると誓われる。
とてつもない御存在ではないか。
このような元首を戴く国が他にあろうか!
ありがたさ、心にしみる!

さて、現在進行中の武漢ウイルス禍との戦い、さらに、それが済んだ後の我が国を取り巻く内外の情勢は、一段と厳しさを増してくると思われる。
その時、我らは、我が国は大嘗祭と四方拝を行われた天皇の知らす国であるという我が國體を忘れることなく、自信と誇りを以て立ち向かおうではないか。
この國體への確信を堅持すれば、最重要作業である「教育の再興と不可分一体の国軍の創設」も、掌中に入れたようなものである。
我が国の真の憲法とはこの國體なのであるから、危機において國體が明らかになれば危機を克服できるのだ。

諸兄姉、日本を信じよう、楠木正成のように国の為に死んでも生きると信じよう。
明治天皇の日露戦争の際の御製を記して筆を擱く。

『敷島の大和心のををしさは ことある時そあらわれにける』



<了>