龍の声

龍の声は、天の声

<健康> 明るい生活 ①②③

2023-02-28 08:55:45 | 日本

<健康> 明るい生活 ①
「自分の中にある特に良い遺伝子をオンにするためのスイッチ」

①環境を変えてみる。
②生き甲斐をもつこと。
③他人と比較せず自分のペースで生きること。
④明るく前向きなプラス思考で生きること。
⑤笑いと、感動、感謝のある生活をすること。
⑥強い目的意識を持つこと。
⑦人との出会いを大切にすること。
⑧世のため、人のために生きること。

「笑い」「感動」「感謝」「プラス思考」「高い志」「大きな夢」「強い信仰心」


<健康> 明るい生活 ②
「超・長寿法」

①早起きに徹する。
②起きたら、お茶や水を補給する。
③起床後、2時間以上過ぎてから運動を行う。
④50代からの運動は早歩きがよい。1時間40分位がよい。(1万歩) 
 <運動量の強さは、180-年齢=127位の脈拍数がよい>
⑥歩くときはなるべく土の上がよい。
⑦水分は常時とる。1日3リットル


<健康> 明るい生活 ③
「万病撃退法」

食べ過ぎや冷えが万病のもと。
よって、小食と温かくすることが健康の極意だ。

・ガン細胞は、体温が、35℃で一番増殖する。 
⇒、39.3℃以上で死滅する。
・体温が、平熱より、1℃下がると30%以上免疫力が下がる。
⇒、1℃上がると、免疫力は5~6倍になる。











<開運> 明るい生活 ⑨⑩

2023-02-27 07:07:33 | 日本

<開運> 明るい生活 ⑨

「ツキを呼ぶ言葉」

ありがとう! 感謝しています!

①言葉は思うだけではだめ。声に出すと生命がでる。
②何かいやなことがあった時に、直ちに「ありがとう!」と言う。
③汚い言葉、人の悪口、怒りは絶対使ってはだめ。即、「ありがとう」
④先祖と両親に徹底的に感謝する。


<開運> 明るい生活 ⑩

「ツキを呼び込む魔法の言葉」

ツキは笑顔が好きだ。
どんな相手でも、けなすのはNGだ。
使命感で行動すると成功する。
心身のエネルギーがないとツキを呼び込めない。

ツキを得たいと願うのなら肯定的な言葉を多くつかうことだ!
それには意識して毎日、具体的に練習し、習慣化することだ。
それでは早口言葉で練習だ!
いくぞー! ハイ、スタート!


できない    ⇒ できる!
嫌い      ⇒ 好き!
つまらん    ⇒ 楽しい!
不幸      ⇒ 幸福だ!
困った     ⇒ こんなの簡単だ!
ムリ       ⇒ どうにかなるぞ!
不可能     ⇒ 大丈夫だ!
役にたたない  ⇒ 必ず役に立つぞ!
お先真っ暗   ⇒ 将来は明るいぞ!
・・・・・・・・・    ⇒ ・・・・・・・・!


もっともっと、早く言おう!
もっともっと、
肯定的な言葉をいっぱいいっぱい使おう!








「結(ゆい)②」

2023-02-26 09:07:45 | 日本

◎台湾

アミの人々は文字・数の表現の代用として結縄を多く使用し、大正時代、地域によっては昭和初期まで、相手への意思伝達や記録計算において結縄が用いられていた。計算のための結縄は太さの異なる3本の麻糸を束ねて作られ、それぞれの糸が位取りを表した(アミの経済観念は非常に単純で、3桁以上の演算を必要としなかった)。このほか、借用証書として、さらに男子の集会所における祭礼や作業負担の記録のために結縄が用いられている。
プユマ社会では、男女の情愛のほどを確かめるのに結縄が用いられる。男には赤色、女には青または黄色の糸を用い、男女2本の糸をつないで数ヶ所の結び目を作り、その結び目の位置や結び方の一致・不一致によって互いの愛情を確認しあった。


◎雲南・チベット

中国雲南地方やチベットの少数民族には結縄の風習があり、トーロン族・リス族・ヌー族・ワ族・ヤオ族・ナシ族・プミ族・ハニ族・ロッパ族などは、中華人民共和国成立以前には縄によって日付をつけていた。リス族は会計に結縄を用い、ハニ族は同じ長さの縄に同じ形の結び目を作って共有し、貸借の証明書とした。寧蒗のナシ族やプミ族は、羊毛を編んだ縄を結って情報を伝え、人々を招集した。

チベット仏教の僧侶は、108個の結び目がついた数珠を用いて祈祷の回数を数えることがあった。また、黄色い紐は仏陀、白い紐は菩薩というように、祈祷の対象によって色の使い分けがなされていた。これと同様の習慣は、20世紀初頭までシベリアのマンシ・ハンティ・ツングース・ヤクートなどにも行われていた。


◎西南アジア

英領インドで1872年に国勢調査が行われた際、ジャールカンド州サンタル・パルガナ地区のサンタルの首長は、男女と成人・子供の別に4色の糸を用いて人口を報告した。南インドのコンドの婚姻儀礼では、求婚者の手に結び目の付いた紐が与えられ、同様の紐が花嫁の家族のもとに保管される。結婚式の日取りは、毎朝この結び目をほどいていくことで調整される。
このことは、旧約聖書のエレミヤ書の次の記述とも関連するかもしれない。ヘブライ語で帯を意味するקִשֻּׁרִים‎(qishshurim)は、文字通り「結び目」や「結縄」も意味する。
おとめはその飾り物を忘れることができようか。花嫁はその帯を忘れることができようか。ところが、わたしの民の、わたしを忘れた日は数えがたい。


◎ヨーロッパ

ラトビア、およびリトアニアのラトビア人コミュニティには、20世紀まで、暦や呪術的治療、招待状、そしてとりわけ民謡を記録する目的でメズグル・ラクスティ(mezglu raksti;「結び目の文字」)という結縄が用いられていた歴史がある[36]。民謡を記録した糸はヅィエスム・カムオルス(dziesmu kamols;「歌の毛糸玉」)と呼ばれ、500曲以上のラトビア民謡の中に登場する。結び目はラトビア語アルファベットに対応しており、アルファベットとの対応関係や紐の組み合わせを異にする3種類の表記法が知られている[37]。また、ドイツでは19世紀末に、製粉業者がパン屋と取引する際に結縄を使用していた例がある。


◎アフリカ

租税や貸借に結縄を用いる習慣は、西アフリカ一帯、とくにナイジェリア・ラゴスの後背地に住むイェブの社会に認められる。ジャン=バティスト・ラバが1720年に黄金海岸(ガーナ)を訪れた記録では、上流階級の黒人はポルトガル語の読み書きができたが、大多数の下層階級は結縄を用いていた。

コンゴ周辺にも商取引や暦のための結縄を用いる部族が多い。コンゴ共和国のテンボ社会にはラフィアヤシの繊維から編んだ縄を用いて求婚のメッセージをかわす習慣がある。アフリカ南部のモノモタパ王国では王が即位するごとに宮廷歴史家が結び目を1つ作る習わしがあり、1929年時点で35個の結び目があって、15世紀中葉にさかのぼる全ての王を区別することができた。ラーゲルクランツが1960年代に、アフリカにおける結縄文化の分布図を残している。


◎オセアニア

ハワイの徴税人が結縄を用いていた事実は、1820年代のイギリス人宣教師らの日誌に記されている。彼らの記すところでは、「徴税人たちは、読み書きができないが、島中の住民から集められたあらゆる種類の品々についての非常に詳細な記録をつけている。これは主として1人の人間によって行われ、そして記録するものは、400~500尋(約750~950 m)の縄1本にすぎない」。東洋学者のテリアン・ド・ラクペリは1885年にハワイの結縄についてより詳細な記述を残しており、異なる形状・色・大きさの縄や結び目・房によって記録が行われると解説している。

マルキーズ諸島では家系図・民謡・伝説を記録するのに結縄を用いていた。カール・フォン・デン・シュタイネンの20世紀末の記録では、マルキーズ諸島の家系図は159世代前まで遡り、島への到達や宇宙創造の伝説を記録している。また、死者が出たときには僧侶がココナッツの繊維から作られた紐に結び目を作り、死亡者の統計を作っていた。人類学者ラルフ・リントンは1920年から1921年にかけての調査において、「結縄の使用は、ポリネシアの他のいかなる地域よりも、マルキーズ諸島において最も高度に発達しているように思われる」と綴っている[44]。結縄文化はソシエテ諸島を経由してニュージーランドまで伝わり、現地のマオリの間ではタウポナポナ(tau-ponapona)と呼ばれていた。イースター島にも結縄による家系図が残っている。
ポリネシア以外でも、メラネシアのソロモン諸島やナウル、さらにフィリピンでも日付を数えるための結縄の使用が報告されている。18世紀に西洋を訪れた太平洋諸島人として知られるパラオ(ミクロネシア)のリー・ボー王子は、結縄を用いて航海日誌をつけるなかで文字の便利さに気づき、学習を始めたが、イングランドの学校に通ううちに天然痘で客死した。


◎その他の用例

19世紀、ブライユ点字が普及する以前に、結縄による英語アルファベットの表記(string alphabet)が考案された例がある。エディンバラの盲目の語学教師デヴィッド・マクベスとその知人によって開発されたもので、アルファベットを結び目の形状・大きさ・状態によって書き分けるものであった。発案者は、他に発明されていた視覚障碍者用の文字に比べて持ち運びやすく、材料費が少なく、正確に伝達可能であるなどの利点を挙げている。19世紀の日本では東京盲唖学校の生徒である小林新吉が、いろは47文字に対応した結び目で文章を表記する「むすび文字」を考案した。1989年(明治22年)には、平野知雄により大小のビーズを通す「通信玉」が考案された。

紐や縄による情報伝達は一種のステガノグラフィーとして諜報活動にも利用されてきた。編み物の中に暗号を仕込む手法は、古くはチャールズ・ディケンズの『二都物語』の中にも登場するが、第一次世界大戦時には実際にイギリスの諜報活動に使われるようになった。第二次世界大戦では英国のスパイ、フィリス・ラトゥール・ドイルがドイツ占領下のフランスに潜入し、モールス符号の編み物によって駐屯ドイツ軍の位置を記録していた。大戦下のベルギーのレジスタンスは年配の女性を雇い、列車の通過を編み物のパターンで記録させることで、敵の兵站を追跡しようと試みたという。


<了>




「結(ゆい)①」

2023-02-25 08:21:23 | 日本

結縄(けつじょう)は、紐や縄などの結び目を用いた記憶補助手段、もしくは原始的な情報媒体である。南米のインカ帝国下に行われたキープが最もよく知られているが、同様の方法が世界各地に伝わっている。このような記録方法は今日でも、カトリックのロザリオや仏教の数珠、ハンカチの結び等にも見ることができる。
結縄は刻木(英語版)などとともに事物文字の一種に分類され、文字使用に至る先行段階と見なされる。言語の形式の単位、すなわち音素の単位や意味の単位との対応関係は一定ではなく、恣意的であったため、本来の意味での文字のレベルには達しなかったものと考えられている。しかし、なかには言語との対応関係が見られるものもある。


◎古代の結縄

・史料
結縄が記録媒体として用いられた最も古い記録の1つとして、中国では『易経』の繫辞・下伝に、
上古結縄而治。後世聖人易之以書契。
上古は縄を結びて治まる。後世の聖人、之れに易(か)うるに書契(文字や)を以てす。
の記述がある。唐代の易の注釈である『周易集解』は『九家易』(前漢、逸書)を引き、「古は文字無く、其れ約誓の事有らば、事の大ならば其の縄を大結し、事の小ならば其の縄を小結し、結の多少は物の衆寡に随う」と述べる。ここから、文字のなかった時代の政治を「結縄の政」と言い、特に老荘の書にはその理想が垣間見える。例えば、『老子』第80章「小国寡民」には「民をして復た縄を結いて之れを用いしむ」などとある。

日本に関して、『隋書』巻81東夷伝倭国条には、倭人の風俗として「文字無し、唯だ木を刻み縄を結ぶのみ」と記している。関連は定かでないが、唐古・鍵遺跡や鬼虎川遺跡など弥生時代の遺跡からは、結び目の付いた大麻の縄やイグサの結び玉と考えられるものも発見されている。また古来日本では草結びと言って、萱や菖蒲などの長い葉を取って2・3か所玉結びにして、その結び方や場所によって祝意や恋愛などの様々な意味を表したとされている。

古代ギリシアにおいては、ヘロドトスの『歴史』(紀元前5世紀)に記録がある。アケメネス朝ペルシアの王ダレイオスは、同盟のギリシア軍に橋頭の防衛を任せてスキュティアに進軍する際、60個の結び目がついた革ひもを渡しながら、次のような言葉を残したとされる。

そなたらはわしがスキュタイ人攻撃に出発するのを見たならば、その時から始めて毎日結び目を一つずつほどいていってくれ。その期間にわしが戻ってこず、結び目の数だけの日が経過したならば、そなたらは船で帰国してくれてよい。

古代エジプトのヒエログリフには、結び目の付いた紐を模したものがある。エジプトの測量術において、結び目のついたロープを使って直角三角形を作っていたことは知られているが、こうした測量技師は同時に結び目を作り計数管理をする技術者であった可能性もある[9]。広義の死海文書に類する、ナハル・ヘヴェルから出土したヘブライ語の貸借契約書の中では、領収書を「結び目 קשׁר‎」や「断片 שובר‎」という言葉で表しており、これは読み書きが普及していなかった頃に結縄や木片をもって数量を記録していた状況の名残と見るべきである。


◎宗教儀礼と結縄

記憶手段としての結び目の利用はユダヤ教の衣装タッリートにも痕跡を見ることができる。律法に従えば、すべてのイスラエル人男子は朝の祈祷の際に肩に房飾り(ツィーツィート)を下げることになっているが、この房飾りに下がっている糸のうち、その四隅の紐は常に一定の数になるように結ばれている。セファルディムの伝承では26、アシュケナジムの伝承では39で、これはユダヤ教において重要な数と見なされている。

主はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々に命じて、代々その衣服のすその四すみにふさをつけ、そのふさを青ひもで、すその四すみにつけさせなさい。あなたがたが、そのふさを見て、主のもろもろの戒めを思い起して、それを行い、あなたがたが自分の心と、目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。」

カトリック教会のロザリオや仏教の数珠、イスラム教のミスバハなど、多くの世界宗教に共通して見られる数珠状の祈りの用具は元来祈りの回数を数えるための道具であり、ロザリオであれば150、数珠であれば108というように各教派の儀礼に応じて珠の個数が定まっている。同様の道具はヒンドゥー教、ジャイナ教、シク教でも用いられている。コンボスキニオンと呼ばれる東方正教会の道具には、珠ではなく結び目を利用しているものもあり、これは伝承によれば4世紀のエジプトの聖者パコミウスに端を発するとされている。


◎南北アメリカ

・インカ帝国
結縄として世界的に最も著名なのがキープ(Quipu)である。キープは「結ぶ」あるいは「結び目」を意味し、租税管理や国勢調査などの統計的記述に用いられ、固有の文字を持たなかったインカ帝国の集権的行政において重要な役割を担った。キープの紐には羊毛が用いられ、色、結び目の距離、数、大きさ、形あるいはねじれ方などによって膨大な情報を記録することができた。帝国ではキプカマヨク(結縄司)と呼ばれる役人が統計管理や会計にあたったが、その精度はスペイン人が驚嘆するほどであった。

キープはインカ帝国の口承伝承や法律保存のうえで、記憶を補助するための手段としても機能していたと考えられている。しかしながらほとんどの場合キープは計数の道具であって、言語情報を伝える文書とは見なし得ないと考えられてきた。一方で、キープの一部に二進法に基づく原始的な書記体系の形式をなしているものがある、という説も近年有力視されつつある。ゲイリー・アートン(英語版)やサビン・ハイランドなどの研究者が、キープに刻まれた名前や文字的情報の解読に成功したと主張している。


◎中南米

歴史家のエルランド・ノルデンシェルド(英語版)は、結縄が中米のコロンビアやパナマのインディオ、メキシコ中部~北部、アマゾンからポリネシアにまで存在したと指摘したうえで、十進法を知らなかった点で中米の結縄はペルーのそれとは区別されるべきであると主張する。ルイ・ボーダンも、コロンビアのポパヤン、オリノコ川カリブ、北米のインディアンの一部、文字出現前のメキシコに結縄が使われていたと述べる。16世紀イエズス会士のホセ・ゲバラ神父はトゥピ・グアラニー語族がキープを使う伝統について語っており、ペドロ・ロサノ神父も、アンダルガラ(アルゼンチン)のインディオが1611年現在でもそれを使っていたと報告している。驚くべきことに、インカ帝国の版図に組み込まれなかった地域でもキープが使われており、チリのマプチェの間では19世紀にもその慣習が行われていた。

それがインカ帝国に由来する、あるいは独自に発生したにせよ、類似する風習は今日まで南米に伝わっている。例えば仏領ギアナのトゥピ・グアラニー系の民族の間では、宗教儀礼の順序を示すための記録あるいはロザリオとしてウドゥクル(udukuru)と呼ばれる結縄が用いられる。


◎北米

北米インディアンの間でも結縄はしばしば見られる習慣であった。これが認められる部族としては、ワシントン州東部のヤキマ、アリゾナ州のワラパイとハヴァスパイ、カリフォルニア州のミウォクとマイドゥ、ニューメキシコ州のアパッチとズニ(英語版)などがある。

結縄に類するインディアンの文化にワムパムがある。ワムパムはビーズや穴を開けた貝殻に樹皮や麻などの植物性繊維や鹿皮などの紐を通したもので、ワムパムは「貝殻」を意味しているとされる。貝殻やビーズ玉の色の相違によって様々な意味を表すことができ、部族の歴史、部族間の条約や協定に相当する取り決めや領土の境界、さらには個人の特徴をも記録するのに用いられた。


◎東アジア

上述のように中国の古典籍に結縄の習俗が伝わっているが、近年に至るまで、琉球諸島や台湾、中国、アイヌ社会、あるいは日本内地でも類例が報告されている。


◎北海道

アイヌの結縄文化については、1739年(元文4年)に坂倉源次郎が著した『北海随筆』や、1808年(文化5年)に最上徳内が著した『渡島筆記』に言及されている。これらによれば、和人や山丹人、オロッコとの交易において勘定用の結縄・刻木が用いられており、和人が交易に出向いた際には1年前の情報でも詳細に記憶していた。また、記録法は恣意的に運用されるのではなく、古い慣習に従って行われていた。明治の人類学者の坪井正五郎は、帝国大学理科大学にアイヌの結縄を持ち帰っている。


◎日本(内地)

宮中行事で大嘗祭の前日に行われる鎮魂の儀に「糸結び(御魂結び)」があり、結びを用いて百を数え、遊離する魂を鎮める習わしがある。同様の鎮魂祭は、奈良の石上神宮・新潟の弥彦神社・島根の物部神社などにも伝わっている。

本居宣長の『玉勝間』第13巻には、讃岐の田舎に伝わる求婚の風習が記されている。男が女に2つ結び目のついた藁を送り、女は拒絶する場合には結び目を外して返し、承諾の場合には結び目を中央に集めて返すものという。坪井正五郎が柏原学而から伝え聞いた話によると、現在の静岡市駿河区久能山付近では家々の勝手ロに縄が2本下げてあり、塩売りが塩を置いて行く際にその量に従って縄に結び玉を作り、勘定を受け取るときにはこの玉を数える習慣があった。


◎沖縄

琉球諸島では文字使用を許されなかった庶民の間の記録法としてスーチューマやカイダ文字などと並び、藁算(ワラザン・バラザン)と呼ばれる結縄の慣習が行われていた。スーチューマやカイダ文字は比較的上層の人々が用いたのに対して、一般庶民は、藁あるいはイグサの結び方によって数量を表す方法を用いたのである。これには人数を表すもの、貢納額を表すもの、材木の大きさを表すもの、祈願用のものがあった。明治期に初めて藁算の考察を残した民俗学者の田代安定は、特に八重山地方において普及が著しく、ここでは会計上の意味を超えて、禁止や告訴、命令などの文書的通達に代わる「会意格」の用法があることを記している。









「琴線に触れるとは、」

2023-02-24 07:13:41 | 日本

「琴線に触れる」とは、感銘を受ける・感動する・心が震える・心に響く・共鳴することを意味する表現である。素晴らしい映画や小説、絵画、音楽などの芸術作品に触れたとき、感動的なエピソードを見聞きした際などに用いる言葉だ。具体的には、芸術作品などを見て心の深い部分を刺激され、感動を覚えると共に自然と涙が流れるという状態である。


◎「琴線に触れる」の読み方

「琴線に触れる」の読み方は「きんせんにふれる」である。「琴」を「こと」と訓読みし、「ことせんにふれる」と読むのは間違いだ。


◎「琴線に触れる」の語源・由来
「琴線に触れる」は、中国故事が語源である。具体的には、中国戦国時代の書物『列子』にある「琴の音色を聴いている耳は、まるで私の心の中のようである」というという一節から生まれた。つまり、素晴らしい琴の音色を聴くと、自然に心の奥深くで反応・感動するということである。


◎心の琴線に触れるとは
心の琴線に触れるとは、心の奥を揺り動かすような感銘・感動を受けるという意味がある。具体的には、「心の琴線に触れる音色に癒された」、「心の琴線に触れる楽曲を制作したい」、「恩師の温かい言葉が心の琴線に触れる」などが挙げられる。


◎「琴線に触れる」の使い方・例文
「琴線に触れる」の使い方・例文は、「真摯な思いで伝えた言葉は、きっと彼の琴線に触れるだろう」、「琴線に触れる楽曲に出会い、私の人生は大きく変わった」、「今日見た絵画は琴線に触れる名作で、見ているだけで自然に涙が流れた」、「オーディエンスの琴線に触れることが今回のコンサートの目的だ」、「困難に立ち向かうドキュメンタリー番組は、いつも私の琴線に触れる」などがある。

その他には、「素晴らしい芸術作品は、心を閉ざしている人の琴線に触れる可能性がある」、「琴線に触れる作品との出会いは、人生の貴重な財産である」、「彼が話す優しい言葉の一つひとつが私の琴線に触れる」、「私の心の琴線に触れるのは、いつも純粋で穢れがない作品だけだ」、「心の琴線とは、誰もが持っている美しく気高い感情のことだ」なども挙げられる。

感じやすい心情。心の奥に秘められた,感動し共鳴する微妙な心情。「―に触れる」
「琴線」は,もともとは琴の糸のこと。それを,物事に感動する心の奥の心情を表すものとして比喩的に用いる言葉です。

「片言でいう小児の言葉が,胸中の琴線に触れて,涙の源泉を突くことがある。」 
子供のたどたどしい言葉であっても,人の胸の奥の心情を揺り動かし,感動の涙を誘うことがある,ということを「琴線に触れる」を使って表現しています。
「琴線」が「琴の糸」であって,その琴の糸が人の心を感動させるような美しい音色を発することから,心の奥深くにある,物事に感動し共鳴しやすい心情の例えとして使われるようになったという経緯が理解されていないとも考えられます。その結果,「琴線」は元々の意味を離れ,何らかの感情を引き出すスイッチのような意味合いで使われるようになったのかもしれません。


◎「琴線に触れる」の類義語は、
「胸がときめく」、「胸を打つ」、「しみじみと感じる」、「心を動かされる」、「目頭が熱くなる」、「熱いものがこみ上げる」などがある。ちなみに、若者言葉である「エモい」も類義語の一つだ。


◎逆の言葉
「怒りを買ってしまうこと」という意味での用法が広がっている言葉は、「に触れる」。目上の人などの怒りに触れる」という意味。








「ナンバ歩きまる④」

2023-02-23 17:39:34 | 日本

「ナンバ」歩きとその練習法について
昔の日本人は「ナンバ」で歩いていた。「ナンバ」歩きとは、同じ側の手と足を同時に出して歩く歩き方で又、手を振らないで歩く歩き方も「ナンバ」歩きと言う。
色々な歩き方で試してみよう

① まず、両手を腰に当て、まっすぐ小さな歩幅で歩いてみよう。
当然、腰に手を当てているので、手は振り出せない、ほとんど肩を振らないでも歩けるはずだ。

② 次に、腰に手を当てたまま大股でまっすぐ歩いてみよう。
嫌がおうにも骨盤を前後に動かし肩を前後に動かす歩き方になる。「そう、肩で風切る歩き方だ。」やってみよう

③「ナンバ」歩きの事を骨盤歩きとも言う。
両足を前に出して座って、お尻で歩いてみよう。

④「三歩一手」でまっすぐ歩こう。
両手を肩において、二歩小さく歩いて三歩目で大きく踏み出し、同時に同側の手を前に差し出す。「三歩一手」で正しい立ち方、姿勢が出来たら、又差し出した手を肩に戻して反対の動作を繰り返す。
「イチ、ニイ、サン」、又は、「小さく、小さく、大きく」と声を出してやってみよう。

⑤後ろ歩きも同じ様にやってみよう!

<ポイント>
立つときは中心軸を意識して進行方向をしっかり見る。
三歩目を踏み出した時、手は指先を前方に向けて遠くにしっかり差し出す。
この時立ち方は弓歩になり目はまっすぐ遠くを見る、前膝は足先と同一方向、腰は、垂臀にしてしっかり落とす、後ろ足のかかとは上げない。
お尻は横に振らないで股間節を大きく前後に広げた立ち方です。
出来ているかな、お互いに点検し合おう、他の人の動きも観察しよう!「イチ、ニイ、サン」、「イチ、ニイ、サン」とリズミカルに無理のない姿勢で伸び伸びと・・・・・

<ナンバの効果>
ナンバ動きに習熟すると、同側動作で、前後の幅が大きくとれ、腰背を軸にした力強い動きが出来ます。
太極拳に必要な「上下相随」の動きが巧みになります。
 




<完>






「ナンバ歩き③」

2023-02-22 05:45:40 | 日本

逆ナンバ、ナンバ動作を大切に!

●ナンバは不器用な人の歩き方か?

人は歩くとき、右手左足という様に交差神経支配で拘束されていて、右手、左足が前に行くとき左手右足が後ろにいくのが一般的である。
右手右足、左手左足と同側で歩くと、おしりを左右にふり、ぎこちない動きになる、又子供などが行進の時、緊張の余り同側の手足を振って歩くことがある。この様にナンバ歩きは不器用な人の歩き方と思われていました。
最近ナンバのような不都合と思われる動きが注目されだしたのは、なぜだろう?身体の巧みな動きに、より関心が高まって来たからであろう。

●ナンバの語源 

階段を大股であがる時、しんどくて、もうダメだというとき自然に膝の上に同じ側の手をあて膝と肘をのばして歩く姿勢になる、「難場」の字のごとく難ぎな場所でおおきな力を発揮する歩き方を「ナンバ」歩きと言う。
又山道などの谷に面した狭い難ぎな道では両手を振って歩けない、手を振らない歩き方も「ナンバ」歩きと言います。

●スポーツ、武術のナンバの動き

スキーの回転で、ポールを背に同側ですり抜けるときの高速の動作。武術では、刀を素早く抜く動作や袈裟切りの動作、すもうの四股での前への押し。空手の追い突き。剣道の打ち、突き。
太極拳の動作では 倒巻肱、野馬分そう、手揮琵琶,単鞭、など同側型動作が実に多い。

●ナンバは効率のいい動き

昔の日本人はナンバで、高速で走るプロがいた。飛脚や馬丁などの職人だ。実際に幕末のころ日本にきた外国人が場丁を雇い乗せてもらったところ、何十里もたずなをもって一緒に走り、休むとき馬の世話をしていたと言う、日本人の足の速さに驚いた記実がある。
一見、不都合と思われる「ナンバ」の動きも習熟すると、右手左足と言う相反神経支配から抜け出し、人間の動作や表現、広い意味で脳の働きが拡大し技能も質的に向上するのでしょう。
悪い力も勤めれば 良い力となる
 






「ナンバ歩き②」

2023-02-21 06:48:40 | 日本

「同側型動作」を大切に!
最近、日中友好協会の太極拳の中で「ナンバ」という言葉について論議されるようになってきた。
事の発端は、昨年の本部指導員の合宿で、中国人指導者の屈国峰さんが、「ナンバ」の動きを紹介してからです。屈さんが「ナンバって知っていますか?」と言うと「女の人に声をかけて友達になる事」「大阪にもあるよ、地下鉄に難波駅の次は大国町」はじめて耳にした人は「何だろう?」と思った事でしょう。
結論から言うと
「ナンバ」とは、同じ側の手足が同時に出る歩き方(同側型動作)
の事です。

私は数年前から「ナンバ」について知っていました。その時、「昔の日本人はナンバで歩いていたようだ」と言われて本当かなと驚きました。
言われてみると、江戸時代では浮世絵の手足の姿勢が「ナンバ」で、火事場で庶民が逃げている絵をみても「ナンバ」であり、飛脚の走る姿もナンバだ。
畑を耕す動作も、阿波踊りなどの民舞にも、ナンバの動作が実に多い。このように考えていくと、「ナンバ」歩きは不思議な歩き方でもないようです。
でも、いま何で「ナンバ」歩きなのでしょうか。
 












「ナンバ歩きとは、①」

2023-02-19 07:37:52 | 日本

「ナンバ歩き①」


「昔の日本人がしていたナンバ歩きって?!」

歩くときは、右足を前に出すと、右手は後ろに、左足を前に出すと、左手は後ろになるのが一般的です。しかし、古武術研究家の甲野善紀の説によると、江戸時代以前は、右足を前に出すと、右半身(右肩と右腰)も前に出る歩き方が日本人に広く浸透していたそうです。この歩き方を「ナンバ歩き(ナンバ走法)」といいます。「ナンバ」の語源は諸説あり、難儀な場所では上体をひねらず、同じ側の手足を同時に動かすことから「灘場歩き」と呼ばれるようになったという説などがあるようです。実際に江戸時代の浮世絵や大名行列の絵などには、ナンバ歩きと思しき動きをしている人の姿がよく描かれています。
現代においても、日本の伝統武術や陸上競技などに、ナンバ歩きの動きが応用されることがあります。2003年の世界陸上パリ大会で、陸上トラック競技で日本人初の銅メダルに輝いた末続慎吾選手は、200m走のラスト50mでナンバ歩きの動きを取り入れたことで、手足のタイミングが合って最後まで走り切れたと語っています。

四足歩行のほ乳類の場合、右前足と左後足、左前足と右後足が同時に着地・離地する歩き方を「斜対歩(しゃたいほ)」といいます。一方、右の前足と後足、左の前足と後足を同時に動かす歩き方を「側対歩(そくたいほ)」といいます。ウマは斜対歩ですが、ゾウやキリンは側対歩です。

足の裏の付け方によっても、歩き方に違いが見られます。
ヒトやクマなど、地面に足の裏を接触する歩行スタイルを「蹠行性(せきこうせい)」といいます。イヌやネコなど地面に指だけを接触する歩行スタイルを「指行性」(しこうせい)」といいます。
ゾウやウマなど、地面にひづめを接触する歩行スタイルを「蹄行性(ていこうせい)」といいます。
「あれ?イヌやネコは肉球をぺたぺた地面に付けて歩いているのでは?」と思われるかもしれませんが、肉球は指で、かかとは足が後ろに折れている箇所にあるので、実はイヌやネコはいつもつま先立ちで歩いているのです。イヌとネコの歩き方にも違いがあり、イヌは肩幅分だけ足跡が左右に広がりますが、ネコは足跡が一直線になります。ファッションモデルが細いランウェイを一直線に歩くスタイルも、ネコにちなんで「キャットウォーク」と呼ばれます。特に女性モデルは、左右の足が交差するように歩くので、ネコのように腰がセクシーに揺れて優雅に見えるのです。

現代では人工知能「AI」を搭載したロボットの研究が進んでいますが、ロボットの世界で世界初の二足歩行をしたのは、1960年代末〜1970年代始めに早稲田大学の加藤一郎教授らの研究チームが開発したロボットでした。日本で二足歩行のロボット研究が盛んなのは、手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』や藤子・F・不二雄の漫画『ドラえもん』など、人間と仲良く共存するロボットキャラクターの影響が根底にあるといわれています。

近年では、国内で『ROBO-ONE』という二足歩行ロボットの格闘技大会も開催されています。2017年には同大会初の試みとして、人が一切操作しない完全自律型の二足歩行ロボット同士が、パンチや投げ技を繰り出す迫力のバトルが繰り広げられたようです。










「少子化の実態を直視せよ!」

2023-02-19 06:55:33 | 日本

なぜ北欧諸国やフランスは、少子化対策がうまくいったのでしょうか?なぜアメリカやイギリスは出生率が高いのですか?なぜ日本は少子化への対策が遅すぎるうえに出生率が低いのでしょうか?
山嵜 元さんが、その実態を分かりやすくはなしている。


北欧やフランスの少子化対策はまったくうまくいっていません。
特に北欧は酷く、日本と違って男性の育児休暇も出産手当も手厚いフィンランドの出生率などは日本以下です。

スゥエーデンの出生率が高めなのは北アフリカ他からの移民(主に男尊女卑の文化の激しいイスラム教徒の人々)によるものです。
フランスやイギリス、ドイツも同様です。

現在のドイツは新生児の母の4人に1人が外国人です。
女性の教育と権利が制限されている民族の移民の子どもが増えているだけです。
日本よりもずっと男性が育児も手伝って女性が活躍する素晴らしい国々なのに不思議なことですね。

なのになぜか皆さん、「政府や男性が女性に協力すると少子化は解決する!」と言い続ける。
夫が育児を頑張っている国は素晴らしい!女性の社会進出や家事育児を国家や男性がサポートすれば出生率が伸びる!などと言う、いかにも世間受けしそうな都合の良い世迷い言が雄弁にもっともらしく語られていることがしばしばございますがほとんど関係ないことが欧米各国で証明済みです。また母国から離れて女性の自由が認められた移民二世三世の出生率は先進国並に落ち込むのも統計で明示されています。

国家の育児サポートが手厚い?オーストラリアの出生率は目下、日本と同様に激減中です。不思議ですね?
オーストラリアの政府と男性は日本みたいな男尊女卑の国と違って育児サポートに熱心な筈では?

女性の高学歴化、女性の社会進出、女性の自由恋愛&自由結婚がすべて未婚化、そしてその当然の帰結である少子化につながっており、金や政府や男性の協力で少子化は解決しないことがだんだんとわかってきました。








◎人生を支配する極意

2023-02-18 08:39:12 | 日本

◎人生を支配する極意


朝もやの
こころ起きつる
ひとときに
おもい浮かべよ
明るきこころ



毎朝、目が覚めた時の気分が己の人生を左右する。
日々の思いには憂鬱歓喜の思いが毎日違う
大成するには、目覚めた時の感情を自分で支配すること。
気分を支配することが重要である。
その為には、目覚めのうつろな時に、

以下のように心の中で数十回念じる。
※念じる言葉は、自分にあった言葉でよい。

「わが下へ 大龍逆巻き 列をなし 金波銀波の 宝珠もたらす」

こころを燃やし、積極的にここをを明るくすることである。
そこに神秘の極意があり、人生もかく成らん。










「先払いしましょう」

2023-02-17 07:04:13 | 日本

代償を伴わない進歩や成功などありえません。

あなたの望む「成功」とは何ですか?

そのために喜んで払う「代償」とは何でしょうか?

成功の法則というものがいくつか存在します。

その中でも成功者が必ず実践するものが、「代償の先払い」です。

ビジネスで成功したいなら、先に「代償」を差し出しなさいという意味です。

それが、お金なのか、時間なのか、それとも労力なのか、人それぞれによって違います。

何もしないだた待っていては何も起こりません。

成功するためには、進んで「代償」を払わなければなりません。

「代償」を進んで払う覚悟があれば、すぐに成果が得られなくても、忍耐することができます。

私たちが払える「代償」のひとつは「失敗」という代償です。

誰だって、失敗して、人から笑われたり、怒られたりすることは嬉しくありません。

でも、その「代償」を進んで、たくさん支払った者だけが成功への道をたどるのです。

喜んで払いましょう。

喜んで待ちましょう。







「天沼矛(あめのぬぼこ)]

2023-02-15 07:38:38 | 日本

この国が死にかけている!
それを生き返らせることができるのか?
これでこの国はうまれかわれるのか?
神は乗り越えられる試練しか、あたえたまわないらのではないのかー!


凪さわぐ
漂よえる国
鎮まれと
指し下せしよ
天沼矛を


なぎさわぐ
ただよえるくに
しずまれと
さしくだせしよ
あめのぬぼこを








「沖縄の無人島・屋那覇島、中国系企業が半分購入」

2023-02-14 07:02:07 | 日本

「沖縄の無人島・屋那覇島、中国系企業が半分購入」

2/13(月) 18:23配信

沖縄本島北方の無人島・屋那覇島(やなはじま)の約半分の土地を、東京都内で不動産投資やリゾート開発を手がける中国系企業が約2年前に購入していたことが島がある沖縄県伊是名村への取材で分かった。

村によると、島の面積は74万平方メートルで、村が沿岸部の大半を含む26%を所有しており、中国系企業が前の所有者から購入したのはその他の土地だという。村は2021年2月時点で所有者の変更を把握していたが、中国系企業との認識はなかった。この企業のホームページでは、屋那覇島を取得したことを明らかにした上で、「現在リゾート開発計画を進めている」としている。

松野官房長官は13日の記者会見で、屋那覇島は安全保障上重要な土地の利用を規制する「重要土地等調査・規制法」の対象外とし、「関連動向について注視していく」と述べた。



この事態を見過ごしていた政府は、まことに怪しからん!
中国による尖閣列島制圧も、最早時間の問題となる。
北海道も水資源ということで買い漁られている。
日本国民は心して対応していかなければならない。